久遠ヶ原の地下の一室。
「……ま、仕方無いわよ。清濁併せ呑めなきゃ、組織なんて纏められないし」
巫 聖羅(
ja3916)はそう答えた。
「了解。撃退士の職務は果たしますよ」
とエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)。
「ご理解いただけて感謝します」
大塔寺は言って深々と頭を下げた。
「私もその依頼、受けても構いません。しかし、規定以上を求めるのならば、その働きに応えるのもまた道理では?」
銀髪赤眼の男、天野 天魔(
jb5560)は微笑を浮かべてそう述べた。
「――流石にしっかりしておられる」
源九郎は眼鏡の中央のフレームを指で押さえて直す。
「では皆さんの口座に規定の二割分をそれぞれ追加で振り込ませていただく、それで如何でしょう?」
「正当な報酬には正当な働きを。ご満足いただける結果をお渡ししましょう」
赤眼の青年は頷いた。
「ただし、これは全員に守って貰わなければ意味が無い。その意志がなければ追加分は支払えませんが、如何です?」
「――悪いが、俺が約束出来るのは『他言無用』の一点のみだ」
赤髪の剣士、久遠 仁刀(
ja2464)はハッキリとそう述べた。
「後は風紀委員長と同じだ。嘘をつくことが内紛の起爆剤になり得る状況で、内紛阻止の為に嘘をつけという依頼は受けられない」
「ボクも同意見だねぇ」
赤毛の探偵、雨宮 歩(
ja3810)もまた頷いて言った。
「犯人が判明した場合、偽ることなく明かすよ。その場しのぎの偽装をしてもいずれは破綻するだろうからねぇ」
偽装とは即ち隙だ。
「そうなれば、死天使が笑うだろうさぁ」
死天使サリエルの死後、富士のゲートを継いだイスカリオテ・ヨッドは自らを死天使と称しているらしい。果たしてあのハーフブラッドは、その隙を見逃してくれるだろうか?
「一理はある。ただ、それも含めてなんとかならないだろうか?」
源九郎はそう述べた。難しい状況である。
「……この事態を何とかはするわ」
ナナシ(
jb3008)は答える。政治的な話は、判らないでもない。防衛組織が弱体化すれば一般市民にまで被害が出る。それは見過ごせない。
「けど後で一発蹴らせなさい」
「はは、ぼかぁ貧弱なので、出来れば優しく願いたいんだがね。仕方ない。それで未来が守られるのなら、安いものだ」
かくて書記長からの依頼を受けた撃退士達は静岡県へと飛んだのだった。
●
「まさか、山県さんが暗殺されるなんて……」
エイルズはタクシーの中で呟いた。
「仇は討ちます……と、言いたいところですが、そう簡単な話でもなさそうですねえ」
県警に到着した一同を出迎えたのは初老と青年の二人組みだった。
一同はまず簡単に自己紹介をする。
「俺も警官だったがヘマ踏んで、今ではこのザマさ」
と言ったのはファーフナー(
jb7826)だ。
「日本の警察は優秀だ。探偵ごっこの手伝いなんざウンザリだろうが、ここは助けると思って一肌脱いでもらえんだろうか」
「おや、元ご同輩でらっしゃいましたか、それは心強いですね」
若い刑事は何処か挑戦的に述べる。
「捜査のイロハも知らない連中に現場を荒らされるのは勘弁願いたい所でね」
対して初老の警部は微笑を浮かべると若者の頭をぐいと目に見える強力で掴んで下げさせた。
「いやいや失礼。アウルに関する事は我々では知識が薄いですからぁ。それについて詳しい方に来ていただけるのはこちらとしても助かりますよぉ。どうか一つよろしくお願いしますぅ」
言って自身もまた会釈した。
挨拶の後に捜査状況についてを尋ねる。
「一緒にチェックインして、行方をくらませた女性、ですか」
手帳を片手にエイルズ。
「ええ、そうなんですよぉ。女の名は鈴木葵、二十六歳、元撃退士です」
「……そういえば、あのライフル、ファンの美女からもらったと言ってましたねえ……まさか本当に罠だった?」
「へぇ、ファンの美女、ですか。それをガイシャが?」
若い刑事が喰いついて来た。
「ええ、先の戦の時にそのように」
「ファンの美女、というのが鈴木である可能性はありますね。鈴木も見目は良い」
青年刑事は一枚の写真を取り出し一同へと渡す。
「……随分、スタイル良い人なのね」
ストンつるんペタンの童女ナナシは写真を見つつそんな事を思った。商売用であろう扇情的な服装の女はズンッきゅっボンッである。自分も遠い将来こうなったりは――するのだろうか?
「売れっ子だったそうですからね」と刑事。
「そして鈴木葵は元は一刀志郎の息がかかった下部組織の人間だった、か……」
久遠は呟き、警部へと問いかけた。
「一刀の周りに最近頻繁に現れている人物や連絡を取っている相手は浮かび上がっていないか?」
「最右翼ですからね。我々も怪しいと踏んで調査を進めているのですが……古参の副長ですからねぇ、交流する人間の数は元々多い。最近と絞ってもかなりの数なんです」
「怪しい相手はいない、か」
「いえ、公から企業、フリーランス、マル暴から観光、水の関係者まで、どいつもこいつも利権や女がらみで山県への動機はあってもおかしくない。逆です、多すぎる」
警部はそう述べた。手広くやっている。
「一刀の近しい相手で行方知れずになっているのは件の女以外にいないか?」
「近しい血縁関係ではいませんねぇ。配下関係となると両手の指じゃ収まりません」
一通りの情報を確認し県警から出た所で聖羅が言った。
「それにしても……連合の撃退長をハニートラップで暗殺するなんて、敵も随分とえげつ無い真似をするじゃない」
「あの人、女性に弱かったみたいですからねぇ」
「一体、誰がやったのかしらね。天使の仕業にしては人間的過ぎる気も……」
聖羅は口元に手をやり小首を捻って考え込む。
「英雄色を好む、か」
ドイツ系アメリカ人の中年は碧眼を細め鼻を鳴らした。
「女難の相……エアリアという堕天使、しかし、副長たる者が裏付けもなく仇と決めつけ殺すと騒ぐだろうか?」
聖羅は視線をファーフナーへと向ける。
「……エアリアは何か確信ないし、それに近い物を掴んでいる?」
「もしくは、エアリア自体も怪しい」
まぁ可能性だがな、と元警察官。
世には埋伏の毒という物がある。ファーフナー自身、アンダーカバーとしてマフィアにその一員として潜入した過去を持っていた。
「エアリアさんは長らく味方であった人でしょう? 先の大戦の際も共にサリエル軍と戦いました。それは無い、と思いたいですが……」
とエイルズ。
「あー、疑い始めたらどいつもこいつも怪しすぎるぜ!」
赤坂白秋(
ja7030)がガリガリと頭を掻いて言う。
消えた女鈴木葵、DOG副長一刀志郎、死天使イスカリオテ・ヨッド、そして堕天使エアリア。
「おまけに事件の究明だけでなく、内紛も抑えなければならない……か」
久遠は唸った。
「まぁいずれにせよ、まずは調査だねぇ」
雨宮が言って一同は頷いたのだった。
●
久遠は一刀派の動きを探らんとした。
「今後のDOGはやはりそちらが有力になりそうか?」
若い一刀派撃退士が屯っているというバーを訪れた久遠は、一杯注文してから店主よりどのグループがそうなのかを尋ねると、若者達へと声をかけた。
「……なんだお前?」
現れた赤髪の剣士へと若者達は警戒の色を向けた。
「いや、俺もそろそろ、学生を卒業してフリーの撃退士になろうと考えているんだがな……先には大天使も討つ程だし企業連からの金払いも良いと聞くし、仕事を貰うならDOGに所属するのが良いと勧められた。だが、こうして下見に静岡に来てみたら、今、割れてるそうじゃないか」
「あーな」
若者達は理解の色を示した。
「腕の立つ奴が増えるのは歓迎だ。あんた、知ってるぜ、ドラゴンの翼を光刃一発で斬り飛ばした奴だろ?」
「ヤマガタがステッタから、堕天女は鉄火場で兵隊としてツエーだけだし、これからは一刀派の天下よ!」
かくて男は若者達に聞き込みを行うのだった。
●
「さてぇ、探偵のお仕事の時間です、と」
ホテルに到着した雨宮が手袋を嵌めながら言った。
黄テープをくぐり殺害現場の状況を確認した後、一同は警備体制の確認を行う。
「……うちの警備体制は万全ですよ?」
苦悩の色を滲ませながらホテルの支配人は答えた。
「県警は深くは突っ込まなかったみたいだけど、警備のスキルって何を使ってるんだい?」
一般人には理解が薄いのかもしれないが、アウルを用いたスキルといっても何でも出来る訳ではない。
「…………異界認識や冥魔認識、生命探知、索敵そういったものです」
「それらは、索敵はともかく、他はどれも互角以上、ないし、それに迫る程度の実力がないと機能しないものだねぇ」
「そもそも、機能してても死角って出来ますよね、それ。あと、効果時間とか回数もありますし、それにスキル保持者が使用態勢に入っていないと――」
メモを片手にエイルズ。
「ですから、そういう死角は複数人でカバーしあったり、監視カメラを配置したり――」
それに聖羅もまた言う。
「改めて監視カメラがどの位置に設置されているのか、私達にも確認させて貰って良いかしら?」
「……もう、なんなんですかアンタ達はぁ!」
「名乗ったでしょ、久遠ヶ原の調査団よ」
一同は渋る店の人間を宥めすかし脅し協力を取り付ける。
「あぁ、この店はもう終わりだ……ただでさえ売り上げが低迷してて、これから建て直しをって所だったのに……」
「撃退長が殺されるとは運が悪かったな」
ファーフナーはぽんと肩を叩く。支配人は何処か投げ槍に、
「もう好きにしてください。案内しますよ」
「有難うよ。あぁ、それと、一つだけ聞いておきたいんだが、山県明彦がここに予約を入れたのか?」
「え? いえ、予約無しでいきなりですよ。解ってたらもうちょっとシフト増やしたのに……」
支配人はそう答えたのだった。
●
撃退士達はカメラの位置を確認すると、その映像をチェックする。
結構な分量になったが洩らす事の無いように見る。しかし、事件前後の時間帯には不審人物は何処のカメラにも映っていなかった。
エイルズは壁走を使用し、殺害現場、ビルの入室可能な全室はもとより、外壁、屋上、周囲の土地の調査に出た。
(なかなか骨が折れますね……)
コンクリートの壁に痕跡が残されているかどうかを注意深く調べるのは一苦労だった。
調査の結果としては――
「そうか、何も見つからなかったかぁ」
エイルズが調査を終えた後から並行して、事件当時の警備体制の再現と検証を行っていた雨宮が唸った。
「あくまで僕が調べた結果ではありますけどね」
「まぁ捜査なんてそんなものだよ。そういう積み重ねを積み重ねて真相を炙り出すのさぁ」
「そちらはどうです?」
雨宮は警備員の巡回ルート、監視カメラの範囲を掻い潜って、事件現場の一室まで辿り着けるかどうかを試していた。
「意外にザルって程ザルじゃなかったねぇ。でも、壁走りがあればいけたよぉ。ちょっと危ない場面はあったけどねぇ。僕と同等の潜入能力がある撃退士なら、壁走りで成功率六十パーセントって所かなぁ。ただ、僕も試す前に一応使用ルートを調べたけど、こちらでも痕跡は見当たらなかった」
「調査といっても限界はある」
紫煙をくゆらせながらファーフナーが言った。
「それに、そもそも、飛行ならば痕跡は残らない―ー阻霊符が展開されているから、窓はどうにかして開けなきゃならないがな」
「窓に指紋などは?」
「鈴木葵他過去の利用客やスタッフの指紋がべったりだな。鍵はかけられていなかった」
「じゃあ鈴木葵は窓から消えた?」
「部屋のドアからは流石に無理だねぇ。監視カメラと警備にまずひっかかる。ダクトも無理だ」
「でも窓にしても……元撃退士の彼女なら、割と簡単に逃亡可能な筈、と私も睨んでいたんだけど、話を聞くに彼女のジョブ、ルインズなのよね。しかも例の軍隊式教育でアウル成長が阻害されていたらしく実力も極めて低かった、と」
聖羅が唸って言った。
「雨宮級で六割なんでしょう? 同じように掻い潜れたのかしら? 不可能じゃないにしても、かなり危険よね」
「ちなみに、壁走りも飛行も使えないとなると、この階の高さからそのまま飛び降りるのは並以上の撃退士でもきついですよ。例え強行しても地面に痕跡は残ります。物音もするでしょうし、路上の監視カメラの範囲にも映像、音、共に入りかねない。方向を上に転じて、ロープなどを使って屋上方向へ登るとしても僅かには傷跡などが残りそうなものですが。横も同様」
「痕跡は調べた限り無いし、物音の証言も録画記録も無し」
「俺は一刀と繋がりがあるというその女はあくまで内通者、共犯者であって、犯人は別に存在するんじゃないかと疑っている」
ファーフナーが言った。
「山県の遺体が転がっていた浴場へ続くドアだけは鈴木葵の指紋しかない。山県明彦の指紋も無いんだ。これは犯人が触ってしまったので、慌てて拭いたという事なんじゃないか?」
「…………やっぱり一度、鈴木葵についてよく調査する必要がありそうね」
思考に沈んでいた聖羅が言った。
「思うわ。共犯者だとしても……彼女、生きているのかしら?」
その呟くような問いには誰も答えなかった。
●
それから数日、聖羅達が調査を進めてゆくうちに幾つか解った事がある。
「葵? ええ、あの子、普段は大人しかったけど、アラ――アルコールを飲んだ時は良く言ってたわぁ『人生の貸し分は全部取り返すんだ』って、アタシには良く、そう、口癖みたいに言ってた」
鈴木葵は、かつて使命感に燃え血の滲むような努力をしていた軍隊式養成学園の撃退士だった事。
その努力のせいでアウルを弱体化させ、新人撃退士以下のアウルしか保持していない事。
大量に死亡者を出した久遠ヶ原の『大惨事』事件の生き残りである事。
「激痛の中、何日もベッドの上で生死の境を彷徨いながら思ったわぁ、アタシの努力って、アタシの人生ってなんだったのかしら? って。強くなろうとして弱くなってたんですものね、その挙句に殺される。恐ろしかった。力の差を目の当たりにした。人間が、アタシ達が本気の天魔に勝てる訳がない、そう思った。葵もそうだったみたい。ともかく、撃退士としての人生は、アタシ達の青春は、ろくでもない物だったわ。撃退士辞めてアタシは今の生活は充実してるけど、でもあの子は、今でも何処か、やるせなさそうだった」
鈴木葵は大惨事の後に撃退士を辞めた。
「――そうです『白い翼(アラ・アルバ)』、アウル覚醒者にも効く強力な薬品です。三年くらい前かな、久遠ヶ原でも随分と流行ってたけど……その辺りはオタク等の方が詳しいんじゃないの? ケルビムの火を壊滅させたのオタクん所のトップでしょ、確か」
鈴木は白翼薬を売っていた販売組織と関わりを持っていたという噂があった。
「本当だったのかまでは知りません。鈴木に前科は無い。静岡支部はDOGが壊滅させたんですが――あぁ、突入メンバーには一刀さんもいたかな? ええ、山県さんは鈴木とは養成学校時代の知り合いで、あの兄貴は軍隊式訓練でも全然アウルの力が衰えなくってね、たいしたもんでしたよ。まぁ山県のあにぃはあの性格だったから、軍隊式が性に合ってたっていうより、要領良く適当にさぼって手を抜いてただけだと思いますが――」
「ええ、葵は偶にすっごい目で兄貴の背中を睨んでたっすね。兄貴はてんで気付いちゃいなかったけど」
「アァ、確かに、調子の良いヤマガタがトップなのが気に入らないって言ってたナァ。一刀サンとは気が合ってたみたいだけど、それでその後組織に、でもほら、一刀サン、ハラワタ煮えくり返ってても笑顔で握手する人じゃない? んで、なんか段々邪魔になってきたとかってんで、手は切れてる――ってハナシだったんじゃなかったっけぇ? え、なに、アオイがヤマガタとったの? じゃ、一刀サン裏ではまだ繋がってた訳かぁ、あの人マジパネェな。息をするように嘘を吐く。そいやアンタ達、何処の組の人? え、1年23組? ハァン?」
「鈴木葵? そんな女は知らない」
――女のその後は掴めなかった。
鈴木葵の足取りは、ホテルに入った以降、初めからそんな人間など存在していなかったかのように、この世界から消え失せていた。
●
「流石の腕だな。よし、アンタなら信用出来る。今行けば雇って貰えると思うぜ。ここだけの話しだけどよ。一刀さん、警戒してんのか、何かやらかす気なのか、腕の立つ奴を密かに手元に掻き集めてるからな。実の所、俺もその一人なんだが……相手がエアリアだったらあいつ戦闘だけはマジでヤバイからなぁ、強くて裏切らなさそうな奴が欲しい」
久遠が警察に伝わってなかった情報のうち若者達から聞けたのはそんな話だった。
「一刀さんが山県さんをってのはまず無いと思うんですけどね。誰も信じませんけど」
他方、ファーフナーは例のスーツの男を探し出しその話を聞いていた。
「なんでそう思うか? いや、ちょっとね、私は山県派との交渉を担当してた一人だったんですよ。話は上手くいって上司と喜んでた矢先にアレですからねぇ。殺す気なら交渉なんてしないでしょ――その姿勢自体がブラフ? やだなぁ、流石に、まさか……は、ははっ」
●
赤坂白秋はエアリアを訪ねていた。
「静岡防衛の為にDOGが果たした役割はとても大きかった」
男はDOGの貢献を讃え、かつての長、山県明彦の死に対し悔やみの言葉を述べる。
対する黄金の長髪の堕天使の娘は、室内であるにも関わらず、その豊かな肢体を白の胸当てと具足で包み、細い腰に鋼の長剣を佩いていた。彫刻のように美しく、しかし赤坂へと向けられる碧眼は氷の如くに冷たい。
エアリアの周囲はおよそ十二名もの精鋭であろう撃退士達が固めていた。部屋の外、本部ビル内にも多数の撃退士達が詰めているようだった。
赤坂の賛辞と弔辞に対し、ブロンドの娘の口から返って来た礼の言葉は、どこまでも形式的で硬い物だった。
「しかし……また騒がしいな。聞いたぜ、今朝から伊豆で大火災が起ってるらしいな。それに乗じる天魔の群れ……その対応か?」
天使はピクリと柳眉を吊り上げる。
「……まあそんな顔すんな、美人が台無しだ。話は聞いてるぜ」
男は態と惚けてから小声で告げ、二人で話したいと申し出る。
エアリアは眉間に皺を刻み、赤坂の顔と腰と胸を見、そして首のヒヒイロカネを見た。武器の所在を確認しているようだ。
空気は弓に矢が引き絞られてゆくように張り詰めてゆく。緊張が最高潮に達しようかとした時、エアリアは口を開いた。
「――良いだろう。御前達、さがれ」
「しかし」
「良い」
側近達は食い下がる様子を見せたが、しかし女の一瞥を受けて結局命令通りに退出していった。
「人払いはした。話はなんだ?」
「感謝する。例の宿泊施設だがな、当日の警備体制は万全じゃなかった。穴だらけだった」
「なに?」
「だから俺達は、久遠ヶ原の調査団は、天魔による犯行って線も考えてる」
エアリアは戸惑いの色を瞳に浮かべて赤坂を睨んできた。
「……確かな報告によれば、不埒な場所だが天魔は侵入できない場所でもあり、まず人間の仕業と断じて間違いが無い、という話だったが?」
男は表情は変えなかった。ポーカーフェイス。
だが、
(また妙な話が出て来たぜ……)
胸中で呟いた。誰がそんな事をこの女に言ったのだ。
「少なくとも、俺達の調査では違う。これを見てくれ」
赤坂は仲間達が調査し纏めた書類をエアリアへと差し出し説明する。
「……偽りではないだろうな?」
嘘ついて何の得があるよ、と言いたい所だったが、生憎と書記長の依頼がかくあったように久遠ヶ原としては嘘をつくには得がある。
「誓って嘘偽りは述べていない」
苦しい所だ。事実であろうとも他人から信じてもらえない時がある。
エアリアは資料へと視線を落として沈黙している。
「信じてくれ。そして考えてくれ、今、騒ぎを起こせばどうなる?」
その言葉にエアリアの瞳が見る見ると疑念の色に染まっていく。
「もし争いが起これば此方としては鎮圧に動かざるを得ない」
ブロンドの天女ははっきりと形相を怒りに歪めた。
「ほう、脅しか?」
「いや違う、これは単なる懸念であって」
「何が違う、流石学園は大組織だな! だが我々には時として損得よりも優先させるべき事があるッ!!」
「――損得だと?」
瞬間、赤坂のポーカーフェイスに罅が入った。男もまた瞳に怒気を滲ませて言う。
「あんた、今、損得と言ったか?」
赤坂もまた小規模ながら部隊を持つ身だ。率いる者の責任は知っている。
「伊豆の戦況は芳しくないと聞いている。作戦は、増援はどうなってる。あんた、それを損得と言ったか」
エアリアは顔を真っ赤に染め上げ、次に青くした。
「私は」
「あんたは今DOGの頭だ。仲間全ての命を背負う立場だろう」
赤坂はエアリアを見据えながら一つ息を吐くと気を沈めんと努めつつ言う。
「……あんたがすべき事は何だ、副長殿」
「私は…………悔しいのだッ!! ずっと、ずっと頑張ってきてこんな結果、あんまりじゃないかぁッ!!」
女は叫んだ。
「仲間だと信じようとしてたのにあの外道っ!! このままじゃあ明彦が浮かばれないっ!!」
「悔しいのはあんたであって山県明彦じゃない。無念だというのなら、このDOG、こいつは、山県明彦が苦労して築き上げたもんだろうが……それを、右腕であったあんたが破滅させるのか。山県明彦は何をこそ無念と思う男だったんだ」
その言葉にエアリアは碧眼に涙を溢れさせ、ボロボロと泣き始めた。
赤坂は頭を下げると言った。
「どうか、頼む。DOGの経験と実力が必要なんだ」
顔を上げ、エアリアの碧眼を見据えて言う。
「先の戦いで、俺はイスカリオテと戦った。あいつがまだ生きてる事が、俺はとても怖い」
「……人を信じて裏切られるのはもう沢山だ」
女は言った。
「……けど、お前は前線の皆の事を心配してくれている。怒ってくれている。お人良しなのかもしれないな。だから、解った、私は、お前を信じよう……」
●
天野はもう一方の副長、一刀志郎の本拠地を訪ねていた。
「まずはお聞きしたい。山県殺害に貴方は関わっておられるのか? そして何故沈黙を続けるのか?」
天野は挨拶の後、初老の剣豪へとそう問いかけた。
畳張りの茶室に座っている巌のような角ばった顔立ちの男は、眠そうにさえ見えるぼんやりとした瞳を天野へ向けて来た。
「沈黙、ですか……私は学が無いものでしてな……弁が立つ方には有用なのでしょうが、私のような者にとっては、言葉はあまりに不便……そう感じております」
手ずから茶を天野へとたてつつ老人は言う。
「最近また、茶に凝ってましてな……爺が点てる粗茶ですが、静岡の葉は上等なものです。よろしければ、どうぞ」
毒。
そんな単語が、ちらつかなかった訳ではない。天魔に効く猛毒というのも、世にはある、アウルが通っているものだ。相手が撃退士ならば、ありえないとは言い切れない。そして一刀は百戦錬磨の超強力な撃退士だ。
「いただきましょう」
しかし天野は淀みの無い動作で碗を受け取り口をつけた。敵意は無いと示す。一口、飲んでから言う。
「結構なお手前です」
天使の微笑を発動させ、視線を向ける。
「不躾な質問失礼致しました……真相究明は警察の仕事。学園としては、貴方が犯人だろうとDOG内部で殺し合いが起ころうと、撃退士の本分である対天魔に影響がなければ構いません」
茶室は静かだった。天野の声が良く響いた。
「ですが……現在、貴方がたの対立で悪い影響が出ています」
「対立、ですか……確かに、先代の山県とは長の座を争った事もございました。しかし、既に十年も昔の事。和解して後、彼とは長らく懇意にしてまりました。エアリアさんとも友好的なお付き合いをさせていただいているつもりだったのですが……はて、若い女子の考える事は、この老骨には理解が難しいものでしてな。不幸な勘違いがあったのかもしれません。同じ言葉を話していても、意味が通じているとは限らない。ですが、対立などございませんよ。時の経過と共に、誤解も解けましょう」
初老の剣豪は穏やかに微笑し茶を一つ啜った。
「時の経過ですか……しかし、今の静岡の時とは夜嵐の翌朝に等しい。嵐で増水した大河の濁流のようなもの。夜は明けたと、嵐が去ったと気を抜いていては、呑み込まれる」
堕天使は老人を見据えて言った。
「――安穏と構えていては、溺れ死ぬと?」
「そうです。故に、直ちに事件に無関係である事を表明し、今回の件と今後に関しての会談を行う事をエアリア嬢へ呼びかける事を要請致します。近日中に会談があるならエアリア派も暴挙は行わないでしょう。無論会談は我々が責任を持って警備し天使からもエアリア派からも御身を守らせて頂きます」
「貴方がたが、私の身を守ってくださると……」
「ええ。受けて頂けるなら貴方は友好団体であるDOGの長に相応しい賢明なお方です」
天野は頷いた。
「来るべき日は貴方様を学園が全力で支援するよう上に進言します。逆に拒否なさるなら、一刻も早く不毛な対立状態を収める為に、片方に力を貸して片方を潰す、と言った野蛮な方策をとらざるを得ません。ですから、どうか賢明なる判断をお願いします」
天野は頭を下げた。老人からの返答は無い。
「――最後にこれは学園でなく私個人の提案ですが、今御身が害されると両派の仲は修復不能になります。この機をイスカリオテが逃すとも思えません。故に一旦学園に来て頂けないでしょうか?」
その言葉を放つと、クッと音がなった。喉を鳴らした音だ。笑ったらしい。
「なるほど……承知いたしました。とぼけるのは止めて、腹を割ってお話いたしましょう」
天野が顔をあげると老人は微笑を浮かべて頷いてみせた。
「何故沈黙を続けるのか、ですが……言葉だけで否定した所で誰がそれを信じましょう。私はかつて山県明彦と激しく対立しており、実の所、その対立はずっと続いていたのです。ただ、サリエル・レシュが強大であった為、直接の対決はなかった……故にこそ、サリエルがいなくなった今なら、と皆は信じて疑わない。おかしなのは、それの実行を以って私に力があると判断し、うちの派に入ってくる者達もいるくらいでしてな」
初老の男は苦笑する。
「エアリアさんも私の仕業だと頭から信じきっておられるようで……サリエルが死んでも、安穏などには程遠いというのにね。山県明彦はそれを理解していたのでしょう、私との同盟継続にはYESと回答してきた、殺された晩に――しかし、エアリアは利権を渡すどころか私を殺すと。彼女は理解していない」
一刀は嘆息した。
「今、大事なのは、早急にDOGを一つにまとめる事です。なので、この法治国家でこの私を襲うというなら、まぁ、さっさと襲って貰いたかったのですよ。噂程度ならともかく、現行犯で捕縛すれば、流石に元山県派の連中も庇いきれますまい」
「自らを囮にエアリアの暴発を誘い失脚させるつもりだったと?」
「多少強引ですが、そうすれば、DOGは一つにまとめられる。ただ、これもこれでリスクがあります……そのうちの最大が、私が今死んでしまえば静岡は火の海という事でしょうな。万一を考えると、ご提案いただいた方策のほうが良さそうだ……エアリアと元山県派だけなら渡り合う自信はありますが」
一刀は言った。
「その時をイスカリオテが何がしかの方法で狙って来る、というのは、おっしゃる通り間違いないでしょうからな。山県を消したのは十中八九奴でしょう。学園が動いてくださるなら、ここは一旦、無理せず安全な領域まで退いた方が良い。どうかよろしくお願いしますよ」
●
書記長から出向者候補の情報を得たナナシは、企業連の各社を回って山県の後任の撃退長にはエアリアと一刀を避け、学園からの出向者を就任させるように説いた。
「イスカリオテは脅威よ。内部抗争で防衛力を低下させるべきじゃないわ」
はぐれ悪魔の童女は力説した。
「風紀委員さんがおっしゃる事はとても良く理解できます。我々としても二派の対立は頭の痛い所でしてな」
とある大企業の取締役は頷いた。
「しかし、二派はそれで納得するでしょうか?」
それに対しナナシは手法を説明した。
出向は一時的である事、少なくとも対立派閥が長にならない事、対立が続いたり暴走すれば出資企業や学園からも睨まれる事、その辺りを説くと。
「損得勘定で派閥内の外堀を埋めるの。その後には副長達も渋々でも納得させる」
「なるほど……とはいえ、これまでの功績などもありますし、外部からの抜擢となりますと……これは私の一存で決めるのは難しい。我が社が連合にどういう意見を出すかは、社内でよく協議した後にご回答させていただく、という形でよろしいでしょうか?」
「そう……どうかお願いね、静岡の皆の未来がかかっているんだから」
ナナシは一礼すると退出した。その際に、やたらと背中の羽に視線を感じたような気がした。
多くの企業のナナシへの対応は、先の大企業の物がもっとも丁寧だったと感じられるものだった。
●
結果。
エアリアは仇討ちを叫ぶのを止め、一刀は久遠ヶ原島へと居を移し、内部抗争の勃発は少なくとも表面上は回避された。
企業連は学園からの出向者が新たな撃退長となる案を蹴った。
ただし、企業連のうち有力な社の息がかかった男が外部より招聘され、それを撃退長とするようにDOGへと要求が出された。なお撃退士達は知る由もなかったが、その手法・条件はナナシが取締役へと語った物であった。
この動きを受けて近々、諸勢力の会合が行われる事となる。
ファーフナーは密かに山県暗殺についての調査結果のうちイスカリオテの関与を匂わせる情報をばらまき、山県暗殺は天魔による物だという噂が徐々に広まってゆくのだった。
了