●灼熱
ばちん。焼かれる建材が大きな音を立てた。
踊る焔に舐められて、体育館の影が闇夜に浮く。黒衣のディアボロは熱風に裾を靡かせて、崇高な祭司のように、寡黙にそれを見守っていた。
刻一刻と果てに向かう命。
無力に立ち尽す人々。
「‥‥ちくしょう」
1人の若い消防士が焦燥と怒りに瞳を焦がす。
「バケモン共が‥‥!」
「! 止せ、高岡ッ!」
仲間の静止を無視し、彼は傍に転がる救急車の残骸の鉄パイプを拾って天魔に突進する。
(俺たちは消防士だ。無力じゃねぇ‥‥!)
恐怖を殺し。敵を睨む。
「バケモン風情が、なめてんじゃねえよッ!」
ニタニタと笑う爛々グールが、愉快そうに彼を見る。
太った頬を揺らして熱風を吸い込む。パイプを振りかぶる消防士を狙い、大きな口内に炎の影を溜め――。
次の瞬間、グールの頭が後ろから槍に叩き潰された。
天魔の陰に跳躍していたのは、忍び駆けた彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)だ。
兜割りを受けたグールは溜めた火を燻らせて蹌踉(よろ)めく。
パイロファントムが、フードの奥から彩を見た。地面に翳した彼の手が、真っ赤に熱した溶岩を生む。
散蒔かれた灼熱の液が、着地した彩の肩に降りかかる。
「‥‥ッ!」
皮膚が蒸発する音。歪む彼女の顔。
眼前の攻防に、唖然とする消防士。胴体に衝撃を感じた次の瞬間、彼の体は少女ネピカ(
jb0614)に担ぎ上げられていた。
無言かつ高速に、ディーク東郷(
ja9623)らが控える消防隊の元まで運搬され、彼は地に尻をつく。
(――消防士の癖に‥‥)
所詮は、ただの一般人。
(天魔のいる火事場じゃ、ここまで何も出来ねえのかよ)
悔しさを噛み殺したまま、ネピカを見上げる。
「‥‥‥‥‥‥」
真っピンクなジャージに身を包み、燃え盛る体育館を茶の瞳に映して少女は無言。消防士はその静かな姿に、彼女の余裕を感ずる。
一方、ネピカの内心は。
(げっ。こりゃ思った以上にヤバイのぢゃ‥‥!)
割と、危機感を覚えていた。
(何という熱気! 煙! 中の子らは一酸化炭素中毒で既に手遅れの可能性すらあるぞよ。早速連携作戦開始じゃ!)
機敏な動作でスケッチブックを取り出し、ペンを走らせ消防士に渡す。
反射的に土に汚れた手袋で受け取り、若き消防士はそれを読む。
『事態は一刻の猶予もない。私ら撃退士で、天魔共を何とか押し止めるぞよ。』
そして文字は言う。
『その間に、あなたたちに救助を頼むのじゃ。』
『私らは化け物の相手が専門で、火事相手じゃ手も足も出せないのじゃよ。』
『今この場で子供達を救い出せるのはあなたたちだけじゃ。』
消防士の瞳に炎がちらつく。
『頼むぞよ、ファイヤーファイター!』
頭上で笑む声。消防士が顔を上げた時には、ネピカはもう戦場に駆け出していた。
「タイミングは自分が合図します」
後方から彼の脇を駆け抜けながら、佐藤 としお(
ja2489)が言う。
「消防側がこれ以上もたないと判断したら、自分達に連絡して救助に入ってください!」
消防士の瞳に闘志が灯る。
「‥‥はいっ!」
彼の伝達によって、消防団は撃退士達の動向を見守りだす。
としおがグールに照準を定める。緋色の瞳に想うは、囚われの子ども達だ。
(すぐに助けるからね)
弾丸にアウルを集中させ、白光を纏わせて。
「この一撃の積み重ねが皆の命を守るんだっ!」
カオスレートを上昇させて撃った弾が、ふらつくグールの胸を貫いた。閃光が散り、巨体の背後に腐肉が派手に砕け飛ぶ。
『オ! オオォォ!』
グールが叫ぶ。高速で駆けた撃退士の連撃は止まらない。
「――まずはお前からだな」
闇に同化する歩行で敵の背後を取り、サガ=リーヴァレスト(
jb0805)が背の長剣を引き抜く。
振り抜く刃から不可視の弾丸を放つ。しかしグールは振り回す銀色の籠で弾いた。火の粉が舞う大気を掻き分けた籠の攻撃を、彩とサガは、同時のバックステップで回避する。
「‥‥話が通じる相手ではなさそうね」
鳥籠を掻い潜って接近したグロリア・グレイス(
jb0588)が、黒手袋に長剣を具現化させる。
「なら、こちらも武力でお相手するまでよ」
籠を持つ腕を狙い放つ鋭突。全てを断たぬまでも、敵の腐肉を削り飛ばす。
襲撃に気がつき、もう一体のグールが動き出す。
その眼前。熱に歪む大気の中に、緋色の衣を纏った少年が立ちはだかる。
「‥‥どこを見ている? 貴殿の相手は私だ」
爆ぜる館の炎が蘇芳 和馬(
ja0168)の白髪と赤瞳を照らす。
咆哮する爛々グール。籠を振り上げる天魔を、大太刀を具現化させた和馬が迎え撃つべく踏み込む。
焔が舞う。
赤々。明々。朱赤と。真っ赤に焼ける檻を背に、黒き番人は両腕を掲げる。
焼かれる館は砂時計。
炎の砂に命が埋まる、刻限は近い。
「救出の道の為に、障害は排除させて貰うわよ」
タウントを纏った月影 夕姫(
jb1569)が、熱気に歪むファントムを見据えた。
●陽炎
ぱしゃん、と。湿れるグラウンドを彩が踏む。
「水剋火です」
炎に透ける結晶質のコイルに変形したV兵器を伸ばす。ファントムは黒衣を翻して回避する。
グールが炎を吐く。
サガは咄嗟に脇に飛んで躱すも、猛炎は地に跳ね、砂を飴のように溶かしながらグロリアを包んだ。
「く‥‥っ」
紅蓮の中で顔を歪めながら彼女はダガーを投げる。腕を狙うも、飛翔した刃は表面を削って闇に消えた。
距離をとって、としおは業火の戦場に目を凝らす。彼等の作戦では、一体目のグールが倒れた瞬間が鍵となるのだ。
その瞬間、見逃す訳にはいかない。
傷浅いもう一体のグールが、鳥籠の蓋をガチャリと開けた。
「!」
和馬を閉じ込めるべく、掬い上げるように籠を振る。和馬は冷静に刮目する。
――水打つ心。檻が画くだろう軌跡が、彼には波紋の如く見えた。
「甘い」
最低限の動作で屈む。檻が巻き込んだ熱風に頬を撫でられながら、和馬はグールに躍りかかる。
彼の仕事は、敵の撃破では無く、体育館に行かせぬよう留める事だ。
繰り出す多数の技に織り交ぜる本物の一撃。太刀の切っ先がグールの腹を薙ぐ。
体育館が燃える。
「さっさと落ちろ‥‥!」
サガが側面に回り込む。撃ち放つ二発目のゴーストバレットを、グールは巨体に似合わぬ動きで躱した。グールが嗤って、籠を振り上げる。
その時だ。
地に燃える炎を突き破って、ネピカが頭から敵の脇腹に突っ込んだ。
「ぬりゃっ!」
スキル『石頭』。アウルを纏ってのまさかの頭突きに弾かれて、グールの巨躯が大きく曲がる。たたらを踏む。その敵に。
「これで吹き飛びなさい」
隙を逃さず、夕姫は腕を構えた。
「収束‥‥砲撃!」
5つの魔法弾を射撃。瞬き消える光の中、グールの全身が砕け飛んだ。
――今だ!
「行きましょう! 僕が援護しますっ!」
銃を胸に構え、としおが飛び出す。
待機していた消防団が走る。炎の影が、彼らの銀色の制服に揺れる。
すかさずファントムが反応した。手を掲げ、指を開き、空中に溜めて火球を投げる。
迫る炎の塊。としおはアサルトライフルを上げ、アウルを込めて狙撃する。轟々と迫る火球に命中させ、地面に弾き落とした。
(よし‥‥っ、いける!)
ふっと息を吐いて、としおは焼ける校舎に目を向ける。炎の勢いから、天魔の全滅を待つ暇は無いと見た。
ならば策は一つ。
ファントムやグールが仕掛ける遠近全ての攻撃を無力化しながら、消防団の救助活動を実行させる。
容易では無い。しかし、迷う時間も無いのだ。
●
熱に輪郭を失い始める意識の中で、女性教師はその音を聞いた。
燃え盛る四方の壁。その一角が破られる乱暴な音。
崩れる。そう思った。次の瞬間、肩を叩かれる。
銀色の制服を着た消防隊員の顔が、目の前にあった。
「大丈夫ですか?」
火勢に負けるまいと彼が声を張る。
「消防です! 立てますか?」
炎の中でも安心に涙が出ることを、女性教師は初めて知る。
●焔苑
人間達が救助活動を開始し、ファントムの動きが変わった。
眼前の撃退士達は無視。パキリ、と開いた指に炎を纏わせて、一直線に体育館に飛ぶ。
察知し、グロリアが駆ける。指の間に影手裏剣を具現し、投擲。
振られた番人の細指が、灼熱でその全弾を弾いた。
「知恵はあるようだが――」
サガが、かちり、とウイングクロスボウでファントムの背を狙う。
「――敵に後ろを見せるとは感心しないな!」
トリガーを引く。熱風を割いて飛んだ矢が、黒衣の背に突き刺さる。しかし執念深き天魔は、猶も前進を続ける。
ならば、と。飛ぶ方向を予測した夕姫が魔法弾を撃つ。飛来した五弾をもろに受け、さしものファントムもややたじろいだ。
地面を蹴って、彩が飛んだ。敵の意識を刈る為の『兜割り』。空中で身を翻し、ファントムの頭頂を狙って槍を振り下ろす。
天魔は、さながら幽霊が如く。
ひらりと身を交わし両腕を開く。行方を遮るサガに覆いかぶさるように指を伸ばし、その首を掴みあげた。
「! ちっ‥‥!」
サガの紫瞳は見た。ファントムの周囲の空気が、紅蓮の熱気に一瞬歪むのを――。
火柱が上がる。
地面に火口でも開いたかと紛う業火に、サガ、グロリア、夕姫が呑まれた。眩いばかりの赤橙色の中に、撃退士達の黒い影が舞う。
悲鳴すらかき消す火炎が収まると、グロリアと夕姫が、膝を折った。
だんっと地面から飛んだネピカの頭突きを躱し、邪魔者をなぎ払ったファントムは体育館に手を向ける。
直後だ。
長槍の一突きが、黒衣の胸を後ろから刺し貫いた。
「油断はいけませんね」
唯一業火を逃れた彩が天魔の隙をついたのだ。暴れて逃れた魔道士を、さらに銃弾が襲う。
としおの攻撃だ。続々と人々を救助する消防団の脇、焼ける体育館入口を背に、彼は突撃銃を構えていた。
照準の中、ファントムが体勢を崩すのが見える。体力の終わりが近いのだ。
「‥‥終わりだっ!」
黄金の龍を纏う少年がトリガーの指に力を込める。その時。
彼のすぐ目の前に、傷だらけの爛々グールが飛び出した。
●
和馬の善戦ぶりは並大抵のものではなかった。
天魔の怪力で体育館に進もうとするグールを、たった一人で抑えていたのだ。
しかし如何せん、人と魔の1対1。理不尽な体力の差は、やがてその限界を生む。
(しまった‥‥!)
悟った時には遅い。汗を飛ばして地面を蹴るも、振り回された籠は空中の和馬を的確に呑んだ。
彼の眼前で蓋が締まる。太刀で檻の破壊を目指すも、当然、すぐには出られない。
グールは籠を滅茶苦茶に振り回す。獲物が鉄格子に叩きつけられるのを楽しみながら、体育館に進むのだった。
●
としおの声に、夕姫が振り向く。
其処には、開いた体育館入口めがけ大量の息を吸い込むグールがいる。緊急事態を悟った彼女は、駆け出しながら手をかざした。
グールの脚部狙って放つ魔法弾。飛翔し、天魔の腰周りを破壊する。
敵は止まらない。
事態は悪化する。
彩の槍とネピカの頭突きを受けながらも、ファントムが五本指を天高く掲げていた。
その中に育つ火球。暗いフードに勝利の色を滲ませて、番人はその魔力を極限まで注ぎ込む。
まずい。
としおの頬を汗が伝う。背後には子ども達。胸を焼く焦燥。
この攻撃を通したら終わりだ――!
「やらせるか‥‥!」
としおが銃を持ち上げる。ファントムの胴体を狙い、引き金に力を込め――。
手遅れを悟る。駄目だ。敵を殺していては火球の防御に間に合わない。ならば、どうする?
(僕の‥‥この特別な力は何の為にある!?)
天魔が火球を投げる。夜空に尾を引く熱の塊が、としおに飛来する。
(――敵を斃す為じゃない。)
僕の力は――、護る為に。
「やらせるかよぉぉぉッ!!」
尋常ならざる速度で放たれたとしおの弾丸が、間一髪のところで火球に命中する。
『回避射撃』――アウルの籠った一撃が、空中で焔を爆散させた。
それはまるで夜に咲く花火のよう。暴力的に幻想的な光景の下で、爛々グールが口内に炎を溜め切った。
その瞬間に。
夕姫が駆ける。
強い意思を瞳に宿し、グールに跳びつく。天魔が目を剥く。魔法弾を並べた盾で、彼女は天魔の口を塞ぐ。
私は。
子ども達を。
「絶対に――、殺させはしない!」
押し込められた炎が爆発を起こす。爆心地の夕姫の服の装飾が吹き飛び、髪留めが焼失する。がくん、と膝から地面に落ち、彼女は身を傾かせた。
「‥‥生命は‥‥あなた達の娯楽じゃないわ」
炎煙を引きずって崩れながら、夕姫はそれでも、強く言う。
「行いの報いは受けてもらうわよ」
嗤うグールの背後で金属が断たれる音が響く。
グールが目を大きくし、振り向こうとする。その顔に――。
縦に一閃の、亀裂が入って。
「‥‥『秘剣・禍津太刀〈マガツタチ〉』」
檻を脱した和馬が振り抜いた大太刀が、爛々グールの肉体を両断した。
巨躯が崩れる音が二つ。残された敵は、満身創痍のファントムのみだ。
猶も執念深き番人は、灼けた指を開いて一般人の少女に掴みかかる。
「――往生際が悪いですね」
ぐん、と揺れ、ファントムの体が空中に固定された。
背後についた彩が、力強い機械の手のスキル魔具を向けている。念動派で敵を掴む、『剛魔把』。
「敵に背を向けるなと、サガが言った筈ですよ」
魔道士の黒衣、その胴体に、一瞬にして銀色の軌跡が刻まれる。
「‥‥貴方は私の法から外れた」
痙攣する体。グロリアの長剣が、パイロファントムの生命力を奪い去った。
「斃すには、充分過ぎる理由よ」
断罪された黒き番人が、内側から焼けて滅び去る。
無人となった体育館が焼け落ちたのは、天魔の全滅と同時であった。
●
事態は収束する。
消防団による後始末は進み、救急車による被害者の搬送は順調。
数人の怪我人はあったものの、死者は一人も出なかった。
事件は無事、解決したのだ。
寒空の下。裾を引っ張る力を感じて、和馬は目線を下げる。
少女がいた。
震える手と、潤む瞳。和馬はどこか理解できぬ物を感じながら、問う。
「‥‥怖かったか」
少女が頷く。
生と死と、人の恐怖。未だ和馬が実感を得られぬ物だ。
でも。
「‥‥良く耐えた」
そう言った。
「立派だと、思う」
少女はぽかんとして、でも、褒められたことは分かったようで。
涙を零して、頷いた。
「ありがとうございました」
消防士が、撃退士達に礼をする。天魔に何も出来なかった自分を恥じる。そう言う彼に。
「いやぁ、僕らもそうですよ?」
としおが苦笑する。
「天魔と戦える。でもそれ以外は、出来たり、出来なかったりです」
何でも出来る訳ではない。
でも、何も出来ない訳でもない。
「だから今日のも、皆で勝ち取った勝利だったんです」
消防士が顔を上げる。やがて頷き、姿勢を正した。
夜がふける。熱の余韻を残しながら、空は凛と澄んでいく。
消防団の敬礼を受けながら、撃退士達は帰途につくのだった。
〈了〉