「痴漢ですって?! しかもカップルばっかり狙うってどう言う趣味よ」
緊急の依頼書を見て、松永 聖(
ja4988)は眉を顰める。
天魔か人間かは分からないが、痴漢とはまた趣味が悪い。
「天誅でも何でも食らえば良いわ!」
怒り心頭といった様子で依頼書にサインする聖。
「べ、別に世のカップル達の為なんかじゃないんだからねっ! もしアイツと私が一緒に歩いてたりしたら私達もカップルに見えたりするのかなとかも、全然思ってないんだからっ!」
「はあ」
アイツって誰だよと思いつつ、オペ子は熱したヤカンのように高ぶっている聖に相槌を打つ。
一方、聖の後ろには同じく依頼を受けて集まった他の7人の姿もあった。
「まったく…イベント毎に大騒ぎだな、ここは」
呆れ半分面白半分といった顔で口端を引くディザイア・シーカー(
jb5989)。受け取った詳細情報を確認する。
供述資料は……役に立たんな。色々酷い。
「ま、定時であがれるよう最大限努力してやるさ」
それまでコレでも食って待っているといい、と先ほど購買で買った菓子袋を受付カウンターに置く。
「おお」と嘆声しながらそれを受け取ったオペ子は、ふと彼の横で変にソワソワしている桜井疾風(
jb1213)の様子に気がついた。
声をかけると疾風はハッと顔を上げ、
「いえ、その、お、オペ子さんが定時に帰る為とあらば仕方ありません」
何故か既に疲れきった表情でそう口にした。その隣で、ごほんと咳払いをするディザイア。
「違うんです……俺も本当は不本意なんです……」
うわ言の様にブツブツと呟きながらロビーを出て行った疾風に続き、一同は痴漢捕縛の任を開始した。
●A班
(それにしても…先の10組と11組目は明らかな差があるわね…)
遊撃兼監視役として単独で物陰に隠れていた聖は、囮役の2人――鎖弦(
ja3426)と秋桜(
jb4208)――を遠巻きに眺めながら考えていた。
証言を聞く限り、それまでと違い11組目の犯行には悪意が感じられる。
(だっていきなりハリセンでしょ? 馬鹿じゃない?!)
しかも人前で女の子の尻をひっぱたくなど言語道断だ。
個人的には11組目の犯人は10組目までとは別人だと思うのだが、実際のところどうなのだろうか。
(ま、犯人さえ、とっ掴まえれれば、何でもいいけどね)
一方、反対側の物陰。
「にしてもまぁ、空気が甘ったるいな〜。もっとこうキリッと引き締まった空気が好きなんすけどね〜」
植木の陰でうつ伏せになりながら、SHOW(
jb1856)がごちる。
目立たないように地味めな服装で監視するその先には、痴漢を釣る餌としてカップルを装っている鎖弦と秋桜。更にその2人を挟んだ対角の物陰には、遊撃班として動く聖の姿もあった。
季節は2月。バレンとかタインとか言うイベントを控えたこの時期は、どこもかしこもピンクいオーラが充満していた。
事実、囮としてカップルのフリをしている鎖弦ら以外にも、マジモンのカップルが幾度と無く視界の端を横切っている。
「監視って…ちょっと退屈だよね…」
ふと、SHOWの隣で同じく匍匐している明音(
jb8807)が小声で言う。その手には監視役のステータス『あんぱん牛乳』が握られていた。
「あんぱん、好きなんすか?」
「監視役だから……」
おどおどした口調であんぱんを頬張る明音。その持ち前の暗さと存在感の薄さは、まさに監視任務に相応しい働きっぷりであった。
(コレは任務…とはいえ、噂になられたら俺はともかく相手に申し訳ないな)
恋愛小説や漫画で得た知識を基に恋人役を演じながらも、鎖弦は内心気後れしていた。
それに対し秋桜は普段の青い悪魔姿を隠して人間に擬態し、白ニットのミニワンピに黒のレギンスという出で立ちで堂々と振舞っている。
これでもかというほどイチャイチャと鎖弦の腕に自らの腕を絡め、胸を押し当て、しまいには耳に息まで吹きかけてみる。
やりたい放題だ。
だが鎖弦も大したもので、気恥ずかしさなどおくびにも出さずに彼氏役を全うしようと秋桜にアドリブを返している。
その様はどこからどう見てもバカップル。これなら犯人も黙ってはいまい。
「そこの2人」
その時、鎖弦と秋桜の背後から声をかける者がいた。2人が振り返り、SHOWと明音そして聖も物陰からハッと顔を向ける。
立っていたのは高等部の男子生徒。彼は神妙な面持ちで2人のもとへと歩いてきて――
「恋人生活の赤裸々な体験を、余す事無く詳細に教えてはもらえないだろうか」
「そんな声掛けがあるかぁっ!」
思わず叫んだのは聖。
彼女はザザーッと男子生徒――古坂――へと滑るように詰め寄ると、両手で彼の制服の襟を掴んでガクガクと揺さぶった。
しかし古坂はぐらぐらと揺れる脳の不快さに耐えながら、至って真面目な様子で答える。
「待て。俺はただ、女子という性別がもたらす不可思議な魅力について、その体現者であるカップルから実体験に基づいた忌憚の無い性事実を教えてもらいたいだけだ」
うわっ、気持ち悪い。
「確保だ!」
早とちりする事を恐れて慎重に様子を窺っていたSHOWと明音も、これには有無を言わさず飛び出してくる。
5人に囲まれてあっという間に逃げ場を失う古坂。
「大人しくしなさい、この痴漢!」
「痴漢? それは違う」
しかし双剣まで取り出した聖とは裏腹に、彼は真面目な物腰を決して崩す事無く話を続ける。
「俺は種の命題とも言えるこの疑問に真っ向から挑んでいるだけだ。やましい心など微塵も無い」
断言した彼の表情は、気持ちが悪いほどキリッとしていて――
「愛だの恋だのは知らんが、男女の営みについてなら喜喜としてこたえよう」
そう口を開いていたのはサキュバスこと性の変態伝道師、秋桜先生。
「まず朝は男が布団の中で●●●●●●●からそれを●●●やって、昼は台所で●●●●●着てそのまま●●●●●からテーブルで●●●●してもう1回●●。夜は当然●●●●だから●●●の●●で朝まで●●●●●●――」
これは酷い。
聖が顔を真っ赤にして小刻みに震え、鎖弦ら男組も流石にそれはと心の距離がバックステップ。
「なるほど。心と身体の境界線に縛られているうちは、本当の答えには程遠いと……やはり俺はまだまだ未熟なようだ」
ただ1人、古坂だけが秋桜の言葉に真剣な面持ちで頷いていた。
そんな調子で秋桜がつらつらと放送コードぶっちぎりで喋り続けていると――
「あー……ちょっとそこの君」
また新たな人物が一同に声を掛けていた。
振り向くと、風紀委員の腕章をつけた男が2人。
「ついさっき、往来で度を越したスキンシップをしているカップルがいると通報があったのは、君達の事か」
そう言って風紀委員の2人が指差したのは秋桜と鎖弦。
「今も随分と挑発的な言葉を連呼していたようだが……ちょっと生徒指導室まで来てもらえるかな?」
「……」
秋桜は風紀委員の方をじーっと凝視した後……
突然猛ダッシュ。
「あ、貴様っ!?」
「待て、待たんかっ!」
物凄い速度で遠ざかっていく秋桜を追って、風紀委員達も慌てて駆け出す。
ぽつんと取り残された聖や鎖弦らだったが、しかしすぐに古坂の事を思い出して振り返り――
彼が忽然と居なくなっているのに気づいた。
慌てて辺りを見回すが、影も形も無い。
しまった、と4人が内心で舌打ちしたその時だった。
「待ちやがれ!」
遠くの広場から、ディザイアの声が響いた――……
●数十分前、B班
着替えてくると言って、意気消沈した様子で更衣室へと向かった疾風。
しばらくして返ってきた彼の姿を見て、ディザイアは目を点にした。
長く艶やかな黒髪をしたスカート姿の美少女が、そこに居た。
「えっ誰?」と口を突いて出そうになった言葉を飲み込み、心なしかプルプルと震えている彼――いや彼女をまじまじと眺める。
「うん、可愛いと思うぞ」
微笑むディザイア。
あぁ、その笑顔が痛い!
疾風は、キラキラと顔を背けて涙した。
(…男の人同士ですよね?)
監視役として物陰に隠れていた雫(
ja1894)はディザイアと疾風のやり取りを見ながら、秋桜から預かったビデオカメラの録画ボタンを押す。
鬼道忍軍としてのスキルを遺憾無く発揮して変装した疾風だったが、流石に声や仕草までは変えられない。その欠点を補う為に彼が考えたのは、スケッチブックによる筆談だった。
雫が覗き込んでいるカメラレンズの向こうで、スケッチブックを持った疾風とディザイアが仲睦まじく散歩している。
肩を寄せ、腕を組み、躓いた疾風をディザイアが咄嗟に支え起こし、疾風がにこりと笑顔を返す。
やがて近くにあったベンチに腰掛けると、疾風は徐にスケッチブックをめくって何かを書き始めた。
できたのは1枚の似顔絵。
そこには丁寧な筆調で、優しく微笑むディザイアが描かれていた。
「……」
どう? と上目遣いで首を傾げる疾風。
「ん、相変わらず絵が上手いな」
その頭をぽんぽんと優しく撫でるディザイア。疾風は嬉しそうに、にぱっとした笑顔を浮かべた。
「…………」
見てはいけない物を見ているような気がする。
雫は2人の様子と周囲の状況に気を配りつつ、しっかりとその光景をカメラに収めていた。それにしても……
(声を掛けただけで痴漢扱いとは腑に落ちませんね)
手口の違いから、10組目までと11組目では恐らく犯人は別人ではないかと推測。しかし普通、声を掛けただけでそこまで嫌がられるものだろうか?
ともあれ、まずは犯人を確保して事情を確かめなければどうする事もできないか……。
そんな風に考えていた時、レンズ越しの雫の視界に不審な影が映った。
フード付きのパーカーを羽織ったその人物は、そうっとした足取りでベンチに座る疾風達の背後に近づく。
2人もそれに気づいたようで、チラチラと雫の方へ視線を送ってきた。そしてそこで初めて、自分がカメラで取られている事を知る疾風。
動揺して声を出しかけた彼をディザイアが咄嗟に制止し、何とか気を持ち直して2人はベンチから立ち上がる。
背後の不審人物が黒か白かを見極める為、あえて無防備に背中を晒しながらベンチから離れると――
スパーン、と。
爽快な炸裂音を響かせて、疾風はハリセンで尻を引っぱたかれていた。しかもかなり痛い。
「かかったか! すまんが洗い浚い吐いて貰うぜ!」
続けざまに自分の方へと飛んできたハリセンを蹴り払い、フードを目深に被っている犯人へと向き直るディザイア。
間髪容れずに物陰から飛び出してきた雫の存在にも気づき、犯人は慌ててその場から走り出した。
「待ちやがれ!」
地面を蹴って犯人を追う3人。
ディザイアと疾風がアウルの鉄糸を振るう。犯人はワタワタと逃げ惑いながら、しかしその悉くを紙一重で躱しきった。ならばと雫が束縛スキルを射掛けるが、これも失敗。
おぼつかない身のこなしの割に、随分とすばしっこい。
だがそんな犯人の前方に、不意に4つの人影が現れる。聖達だ。
「捕まえろ明音!」
たまたま先頭に居た彼に、ディザイアが叫ぶ。
「ちょ、ちょっと…待って!!」
意を決して犯人へと飛びつく明音。あたふたとそれを躱した犯人だったが、着地点の地面を狙ってSHOWが拳銃を速射。驚いて完全にバランスを崩したところへ、聖の手にした双剣の柄が鳩尾にクリーンヒット。
突き飛ばされて地面を転がった犯人はそれでも何とか立とうとするが、その身体を締め上げる一筋の鉄線。
「逃げられるほど甘くないぞ? 俺も、そしてこの鎖もな」
絡めたワイヤーをぎりっと引き絞りながら鎖弦が告げる。フードに隠れた犯人の顔に、しかし明らかな焦りの色が浮かぶ。
往生際悪く身をよじっている犯人の前に、ずいっと進み出る1人の少女。
「痴漢死すべし」
雫が冷ややかな眼差しと共に無骨な大剣を高々と振り上げ、夕暮れの学園広場に1つの悲鳴がこだました――……
●斡旋所
「で? 何でこんな事したのよ」
聖に問い詰められ、フードを引っぺがされた犯人もとい図書委員の女子生徒――佐古原 柳――は縛られたままワナワナと震えて顔をあげる。
「だって……オペ子ちゃんが図書室で『彼氏がいるから』ってナンパを断った時、目の前に私も居たのに私は声すらも掛けてもらえなくて……なのに外はカップルだらけで……それでつい嫉妬して……」
「そんなんだからリア充になれないのよぉっ!」
一喝する聖の剣幕に、柳は「びえぇぇ!」と泣きじゃくりながら何度も謝っていた。
「え、いや、あの、オペ子さん彼氏いるんですか……!?」
それに誰よりも強く反応したのは疾風。
あまりにもショックすぎるカミングアウト。そしてその事で自分がショックを受けているという事実が更にショックだ。
「や、まあ、オペ子さんとはただの顔見知りで……」
彼は、もはや誰に対する言い訳なのかも分からない台詞を口にする。それに対しオペ子は、
「彼氏の小次郎です。イケネコです」
頭上にいた愛猫をずいっと差し出してみせる。「ああ、そういう事」と頷く一同。
しかしただ1人、既に精神が向こう側へと旅立ってしまった疾風の耳にはそんな言葉は届きもせず、
「…………ま、まあオペ子さんが幸せなら俺はそれで良いんですよ」
干物のような笑みを浮かべながらドサリと長椅子に腰を落とし、ただただ真っ白に燃え尽きていた。
「でも結局…声掛け犯には逃げられちゃったね…」
明音がぽつりと呟く。
まあ害意は無いようだったし、柳と違って放っておいても大した問題は無いと思うが――
「ふむ。時には自分よりも若い相手の意見に耳を傾ける事も重要か」
などと話していたまさにその瞬間、自らの顎に手を当てて考え込む古坂が突如現れていた。
驚いて振り返った一同の前で、彼はこの場で最も幼い少女――雫――へと近づいていき、
「俺の為に味噌汁を作ってくれないか」
真剣な眼差しで彼女の肩に手を置いた。あ、なるほど。これは痴漢ですね。
そんな古坂の両脇から、ディザイアとSHOWがにこりとした笑顔で彼の肩に手を置く。
「お前アウト」
そうして今度こそ彼をふん縛った。
「くそ、なんて逃げ足の速い痴女だ」
そこへタイミングよくやってきた風紀委員達。どうやらずっと秋桜を追って走り回っていたようで、ぜえぜえと肩を上下させている。
「「おまわりさん、この人です」」
ぐるぐる巻きにした古坂を突き出す一同。
「ああ、例の痴漢か」
「待て、誤解だ。俺は――」
「話は指導室で聞く。さっさと来い」
有無を言わさず連行されていく古坂。柳も、もう1人の風紀委員に連れられて静々と去っていった。
――数日後。
エロの伝道師を名乗る匿名ユーザーが投降した『黒髪の筆談系美少女動画』が可愛すぎるとして、ネットではしばらくその少女の話題でもちきりになっていた。
そしてその美少女が実は男だと知れるや否や、それまでの話題を更に凌駕する勢いでアクセス数が伸びる。
その事を本人が知るのは、それからすぐのことだった。