現場に到着した8人は、周囲の状況を一瞥する。
同僚の発砲により動転している警察。それに怒号を浴びせる消防隊。舞い散る火の粉に照らされた、それらの人垣。
「ま、行きますか」
淡と言ったのは彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)。
それを待たずして、翡翠 龍斗(
ja7594)は桜井明(
jb5937)の用意してくれた飲料水ボトルの中身を頭から被り、燃え盛るビルの中へと駆けて行く。
その後ろ姿に気づいたレスキュー隊員が、残った7人に声をかけた。
「撃退士の方ですか?」
藤堂 猛流(
jb7225)は頷き、
「簡単なもので良いから、耐熱装備を貸してくれないか」
そう言って要救助者用の簡易耐火シートを借り受け、飛び出していった龍斗の分も持って彩やアイリス・レイバルド(
jb1510)、そしてアサニエル(
jb5431)と共にビルの中へと突入する。
「…状況が、よくわからないから、話を聞かせてほしい」
相馬凪(
jb7833)が隊員へと尋ねる。
「火元の場所と、それと要救助者はまだあの中にいますか?」
重ねて尋ねたのは、明。
「火元は恐らく地下駐車場の車。要救助者は、既に全員脱出済みです。ただ、例のディアボロ2体は……」
「ディアボロの行動に不明な点でも?」
「不明と言いますか、その……」
隊員は僅かに言い淀んだ後、
「あの2体は、本当は無害なのではないかと」
そう口にしていた。
赤い瞳をした方はこちらに危害を加えるどころか、逆に要救助者の女性を率先して助けた。その時点では青い瞳の方にも敵意は感じられず、ただ黙って赤の後をついて回っていただけ。青が暴れだしたのは、警官隊が彼らに攻撃を加えた事に憤怒したからであり、むしろ非はこちらにあったのではないか。
それが、レスキュー隊員を筆頭にした消防組織側の見解だった。
「実際、赤は青が怒り出した直後、それを制止したわけですし」
『2体が暴れている』という通報はあくまでも警官隊の一方的な言い分である、と。
「人を守ったディアボロ……? 本当にディアボロ…なの…?」
誰に言うでもなく、呟くようにぽつりと声を洩らしたのは支倉 英蓮(
jb7524)。
彼女は、2体がディアボロ化した瞬間を見た人がいないか尋ねる。しかし隊員は同僚や警官達と顔を見合わせた後、申し訳なさそうに無言で頭を振った。
友好的であるかもしれない相手を手にかける事の是非。だが同時に、例え自衛の為だとしても青が凶暴性を秘めているのもまた事実である。
――討たなければならない。
「…せめて。致命的に間違っちまう前に…」
優しさを持った存在かもしれないからこそ。凪は腹に据えた覚悟を口にする。
明はそんな少女と少年の肩に優しく手を置くと、隊員に向けて言った。
「防火装備借りられます?」
●
一面炎に囲まれた建物内部。
炎の中に飛び込むのは、これで何度目だろうか。龍斗は1階エントランスの床にぽっかりと開いた穴を覗き込んだ。
そこへ後ろから声をかけたのは猛流。
彼が龍斗に耐火シートと無線機を手渡すと、龍斗はイヤホンの周波数を繋ぎ直してからそれを羽織る。
「反応は無いな」
生命探知の結果を告げるアイリス。
ただし厳密には、地下に反応が2つ。おそらくこれがディアボロだろう。
「念の為だ。あたしは上の階でも探知を掛けてみるよ」
効果範囲外に居ないとも限らない。アサニエルは無線機片手に、1階隅にある階段を上っていく。
後続班に無線で今から地下へ向かう旨を告げ、4人は階段を下方向へと進み始めた。
●
建物に入り、英蓮は消防隊から借りた見取り図を広げる。
状況的に、エレベーターはまず使い物にならない。エスカレーターもあるが、これは上階にしか続いていないので意味が無い。どうやら地下を行き来する為には、1階の隅に一箇所だけある階段を通るしかないようだ。
彼女は背負っていたリュックを漁り、借り受けた酸素ボンベや小型消火器などが詰まっている中から縄梯子を引っ張り出した。
「先に…行ってください……」
頷いて階段へと進んだ明と凪に背を向け、英蓮は近くの柱に括り付けたそれの片端を床穴の中へと垂らす。
流石に長さが足りずに途中で止まってしまったが、撃退士の脚力ならば何とか届く距離だろう。
倒壊まで時間が無い。
少女はリュックを担ぎ直すと、熱風渦巻く地下への階段を駆け下りた――……
●
猛流ら4人は1階の床から吹き抜けに続いていた穴の終わり――地下3階――へと到達。
幾つもの柱に支えられたその空間は、剥がれた壁材や燃え盛る炎に遮られて軽い迷路のようになっていた。
不鮮明な視界の中、彩が塵埃の上に足跡のようなものを発見。
炎や瓦礫を避けて所々迂回しながらそれを追っていた4人は、やがてその視界の奥に2体の怪物の姿を捉えた。猛流と龍斗は身を屈めて手近な車の傍へ、彩とアイリスは柱の陰にそれぞれ身を隠して様子を窺う。
そんな時、無線機のイヤホンから明の声が届く。
『要救助者は、全員脱出済みだそうだよ』
『みたいだね』
返事をしたのはアサニエル。上階での生命探知にも反応は無いらしく、彼女は自分も地下へ向かうと告げる。
そして報告を続ける明の話を聞いた猛流は、どこか納得したように小さく唸りながら遠巻きの怪物達に目を向けた。
仮に、誰かの危機に反応する以外の思考が残っていないのだとすれば、今あそこで無意味に佇んでいることにも頷ける。
そう思って見ていると、やがて合流した明と凪が彼らの肩を叩いた。だが、英蓮の姿が見当たらない。
すぐに追いつくよ、と言う明に猛流はこくりと頷いた。アサニエルも直に駆けつけるだろう。
建物があとどれほど持つかわからない。
膝の上にパラパラと降ってきた煤埃を払い、一同は互いに顔を見合わせて合図する。
猛流は吸い込んだ息を強く吐き出した――
「助けてくれ、怪我人がいる!」
ぴくり、と。それまで微動だにしていなかった赤と青の怪物が揺れ、その瞳がぬらりと振り向いた。
赤がのしのしと地面を踏みしめながらゆっくりと近づき、車の陰でしゃがみこんでいた猛流達を見つけるが、しかしどこにも外傷は無く呼吸も然として整った様子の彼らを見て、赤は獣のような唸り声を鳴らして小さく首を傾げる。
そこへ彩がゆっくりと近づき、声をかけてみる。
「私の言葉がわかりますか」
振り向いた赤は、答えない。小首を傾げたまま、ただじっと彼女の顔を見つめ――
その時、大きく動いたのは青だった。
立っていた場所からこちらを見ているだけだった青が突如として雄たけびを上げ、脇に停まっていた軽トラをその巨大な右腕で乱暴に掴むと、まるでおもちゃのように軽々と振り被って猛流達めがけて放り投げる。
彩と男4人は慌ててその場から飛び退いた。
寸前まで彼らが身を隠していた車と軽トラが衝突し、けたたましい音と共に破片が飛び散る。
芝居を見抜かれたのか、はたまた警官に撃たれた怒りが収まっていないのか。どちらにせよ今の青の目には、もはや猛流達は敵としか映っていないようだった。
腹の底から咆哮を轟かせながら迫ってくる青を止めたのは、赤だった。
赤は真横から体当たりするように青に肩をぶつけると互いに絡まりあって転がり、支柱の何本かをへし折った所でようやく停止。
青はそんな赤に構う事無く立ち上がると、圧し掛かっていた瓦礫を跳ね除けながら再び吼えた。
こうなってしまっては他に手は無い。
身構えた猛流は2体の懐に飛び込むと、赤と青それぞれの片腕をありったけの力で両脇に抱え込んだ。
彼の意図を読み取り、アイリスは誰よりも早く自身のアウルを活性化させていた。光纏し、吹き上がった彼女の黒い粒子が周囲で燃え盛る炎をも呑み込んで猛流の全身を覆っていく。
暴れ狂う青の拳は猛流を襲うがしかし、彼の体表面を皮膜のように流れる粒子の波がその威力を大きく削ぐ。
2体の動きが鈍った隙を狙う一同だったが、敵の膂力は猛流の想像以上だった。
押さえ込んでいた猛流の足が僅かに地面から浮き、その一瞬の緩みを押し広げるように青は掴まれている腕を振り回して猛流を火に覆われた壁へと投げ飛ばす。
叩きつけられ、苦悶の表情を滲ませる猛流。その上に衝撃で崩れた壁が降り注ぐも、飛び出した赤が彼に覆い被さってその背で瓦礫を受け止めていた。だが瓦礫から燃え移った炎は、猛流と赤を容赦なく取り囲む。
咄嗟に助けに入ろうとする明達だったが――
瞬間、何かに気づいてそれを呼び止めたアイリスの声。
それとほぼ同時に、炎に包まれた猛流と赤の頭上に消火器が投げ込まれていた。
即座に、瑠璃色に染まった瞳から放たれたアイリスのアウルが投げ込まれた消火器を射抜く。破裂して噴き出した消化剤が猛流と赤を包み込み、焼け爛れた瓦礫のほとんどは燻った煙を立ち上らせて沈黙していた。
安堵したのも束の間。激昂して止まる事無く爪を振り上げた青に、凪は双剣による連撃でその注意を自身へと向けさせる。その隙めがけて、彩も虎神の如き重拳を見舞った。
青がその場に崩れたのを見て、赤は自らの傷にも構わず立ち上がろうとしたが突如現出した聖鎖の光がそれを阻んだ。
「まったく、よくわからないディアボロもいるものさね」
その声に振り返ると、審判の鎖で赤を縛り付けながら立つアサニエルと、数秒前に消火器を投げ入れた主――英蓮――の姿。
意識を回復させた青は彩を襲うが、彼女は空蝉によりその豪腕を回避し、入れ替わりに龍斗が大剣の一撃を叩き込む。一直線に吹き飛ばされた青は赤へと衝突し、2体のディアボロは揃ってその場で膝をついた。
その間に、明が猛流を回復する。
「…あなた達は…なぜそうなってしまったのでしょう…」
頭を振って尚も立とうとする青の前に、英蓮が静かに進み出た。
ディアボロは答えない。
同じく前に出た龍斗の手が少女の肩に置かれ、
「せめて…同じ時、同じ場所で…安らかに…お眠りなさい…。自分達には…あなた達を助けられない…から…」
少女は、その両手に一対の刃を構えた。
腰溜めから居合いの速度で薙いだ英蓮の一閃が、青の動きを奪う。
そこへ一息に踏み込んだ龍斗の一撃が、青を庇って前に出た赤の胸を穿った。
――吼えたのは青。
蒼瞳の怪物は傷だらけの体躯を震わせながら、その醜くも優しい爪腕を翳して龍斗へと振り下ろす。だが、その慟哭が彼を裂く事は無かった。
龍斗が駆けた軌跡の陰から、朱色の衣を纏った少女が飛び出す。
英蓮は手にしていた二刀の片振りを捨て、両手持ちで構えた黒吽と共に青の懐へと疾駆した。
――頬から落ちたその雫は、果たして誰のものだったのか。
一瞬の攻防。
炎と煙が音も無く揺らめきあたかも静止しているかのような時の中で、蒼紅一対の怪物達は朱と翠の2人に深々と貫かれたままただ静かに聳立していた。
2人が刺し貫いた刃をゆっくり引き抜くと、赤は龍斗へもたれ掛かるようにズルズルと地面に伏し、そのまま二度と動かなくなる。だが――
青は胸に刺突の痕を刻み、傍らで事切れている赤をじっと見下ろしたまま未だ倒れる事無く立ち尽くしていた。
しばらくして、深濃の碧眼が撃退士達の方をゆらりと振り返る。
身構える撃退士達。しかしその意に反して、青は襲い来る事無くただ静かに彼らを見ているだけだった。
時間にして30秒にも満たない僅かな――されど途方も無く永い――沈黙。
ずっとこうしているわけにはいかない。
倒壊へと向かう建物の中、彼らが意を決して魔具を握る手に力を込めたその時だった。
大気を揺らす程の地響きがしたかと思うと、それまで何とか持ち堪えていた天井が一斉に崩落を始め、逃げる場も無く一同を襲った。
そして再度、彼らは驚愕に息を呑む。
降り注ぐ瓦礫から彼らを助けたのは、青だった。
青はその巨体を盾にして8人に覆い被さるように立ち、落ちてきた天井を全身で受け止める。
誰もが驚きに固まる中、しかしアイリスだけは最後まで周囲の状況に気を巡らせる事を止めていなかった。
今の崩落で、唯一の出入り口であった階段は完全に塞がっている。通じている道といえば頭上に開いた崩落の穴だけだが、地上まではあまりにも高すぎる。撃退士の脚力を以ってしても、到底届く距離ではなかった。
最悪の結末がよぎりかけたその時、彼女の視界にある物が映る。
1階の柱から垂れ下がった1つの縄梯子。
長さが足りず途中で終わっているが、この距離なら何とか届く。
そう思ったのと、1階の柱が砕け折れたのとは全くの同時だった。柱に括り付けていた片端が解け、残された唯一の手段であった縄梯子がズルリと落ち――
ぱしっ、と。
その瞬間、落下しかけたロープの端を上から掴む手があった。あのレスキュー隊員達だ。
彼らは別のロープを繋ぎ足して充分な長さになった縄梯子を、遥か階下の8人へと差し伸ばす。
隊員の急かす声に引っ張られるように、撃退士達は縄梯子を掴んだ。
英蓮も7人に続いて縄に手をかけるが、不意に立ち止まって自分達を庇って天井を支えたままの青を見やる。
物言わぬ青の怪物は、ただ黙って海のように深いその瞳で彼女を見つめ返していた。
「急げ!」
地上から、仲間達の声が響く。
英蓮は何かを振り切るように唇を結び、青い瞳に見送られながら縄梯子を登る。
彼女が脱出した瞬間、燃え盛るビルは完全に倒壊し、やがて辺りは完全なる静寂を取り戻した――……
●後日談
一夜明けた朝方。
斡旋所で報告書を作成していた凪達のもとへ、レスキュー隊の1人が挨拶に訪れた。
あの後、瓦礫の下から青と赤の遺体が見つかったそうだ。
彼は、青が矛、赤が盾としての役割を持っていたのだろうという前置きの後、矛は1つだったが、盾は本当は2つあったのではないかと語り始める。
互いを羨ましがる兄弟がいるように、青は赤に、赤は青の在り方にそれぞれ憧れていた。もっとも赤は優しすぎて、最後まで青のようにはなれなかったようだが……。
まあ単なる妄想です、と彼は付け加える。
「では、自分もまだ事後処理が残っていますので」
そう言うと隊員は立ち上がって一礼し、凪達に見送られながら静かに去っていった。
「…ただ、死後の安らかなことを、願うだけ、か」
「そういえば支倉やパラダイン、藤堂はどこ行ったんだい?」
「ああ、あいつらなら――」
煤けた瓦礫の山の前。
花束と線香を置いて屈みながら手を合わせる猛流と英蓮、そしてその隣で静かに立つ彩の姿があった。
「今までよく頑張ったな。でも、そろそろ休んで……眠りなさい。お前たちの『願い』は俺達が受け取っておく」
「生まれ変わったら…どこかで、仲良く…ね…?」
「……いつか一発殴る」
ぽつりと何かを呟いた彩に、猛流と英蓮が首を傾げる。
「いえ、何でも」
彼女は一度眼鏡の鼻掛け部分をくいっと押し上げると、昇っていく線香の煙を見送りながらそっと口を開いた。
「Take a break, neighbors」