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なにぶん急な探索で、出入り口の位置も数も判らない。
礼野 智美(
ja3600)は念の為、持っていたメモ用紙に『探索中。閉めないで下さい』と記し、セロテープでマンホールに貼り付けてから用水路へと降り立った。
着信音で場所の特定ができないものかとオペ子に番号を聞いて掛けてみるが、浸水して壊れたのかそもそも電波が通っていないのか、繋がらない。
先に降りて濡れる事も構わず水の中を手探りしていたエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)も、首を横に振る。
もしかしたら、仔猫が玩具と間違えて咥えていったのかもしれない。
こうなっては奥へ進むしかないが、
「待て待て。俺らは仕事だからともかく、濡れてそのままにさせるなんざ俺の主義に反する」
そう言ってディザイア・シーカー(
jb5989)は、常備していた自分のレインコートと長靴をオペ子に貸してやった。
「すみません」
短く礼を述べると、彼女は耐水装備に身を包む。
流石にサイズが大きすぎたようたが、これはこれで被覆面積が増えてむしろ良かったかもしれない。
(オペ子さん……この人連れてかなきゃいけないんですか? 置いてった方が早いんじゃないですかねえ)
それを見て、内心で首を傾げるエイルズ。
「中は危ないです。俺が背負いますので、どうぞ」
そこへ、気後れがちに申し出たのは桜井疾風(
jb1213)。
俺じゃ他に役に立てそうも無いので、と自虐気味に言う彼を、オペ子は眠たげな薄表情のままじーっと見つめ、
「セクハラですか」
どこまで本気なのか量りかねる淡々とした台詞を吐き出しつつ、しかし特に躊躇する様子も無く疾風の背中へと被さっていた。
(あ、でも乗るんだ)
案外、図太い。
袋井 雅人(
jb1469)は最後に梯子を降りてきた月乃宮 恋音(
jb1221)に手を貸しながら、胸中でごちた。
「……うぅ……。……猫さん、早く助けませんと……」
状況が状況だけに、仔猫の体調が心配だ。もちろん、携帯も。
「足跡見つけたよー」
ジェンティアン・砂原(
jb7192)と共に辺りを見回していた保科 梢(
jb7636)が弾んだ声で一同を呼ぶ。
マンホールの隙間から射す僅かな明かりに照らされて、水に濡れた小さな肉球の跡が壁際を転々と奥へ伸びている。
「はいはい。それじゃ仔猫ちゃんと電話を見つけて、きちんとオペ子ちゃんを斡旋所に送り届けなきゃだね」
そのオペ子ちゃんに関してはちょっと、いやかなりぼんやりしてて正直心配だけど。
各々はライトを点けると、膝下の水を掻き分けながらザブザブと進み始めた。
●
先頭はエイルズ、ジェンティアン、恋音の三人及び彼女の補佐として雅人。
最後尾にはディザイアが付き、智美と梢は疾風に背負われたオペ子を囲む形で隊列を組み、各々が周囲を警戒しながら歩く。
「仔猫は、黒猫か」
歩きつつオペ子から話を聞いていた智美はそれと同時に、自分達の通った道を可能な限り詳細にメモ用紙に書き記していた。
前進152歩、106秒、T字路右折。
前進240歩、168秒、十字路直進。
膝下まで水に浸かっている為に歩幅が正確とは言い難いが、大方の目安にはなるだろう。
それより問題は、無計画な拡張工事が祟ったのか、思いのほか出入り口が少ない事だ。
手掛かりだった足跡も、すっかり乾いてしまっている。
「壁際を移動する反応が一つ。一応、方角は合ってるみたいだよ」
鼠でなければ、だが。
ジェンティアンは光纏により均一青紫色となった瞳で左側の通路に一つの気配を捉えた事を告げ、同時に心中でぽつりと付け加える。
「猫さーん、出ておいでー。怖くないよー」
一方、中衛に位置取りながら未だ見ぬ仔猫に呼びかける梢。
水を吸わないよう衣服の裾を大きく捲ったその足取りは、どこか楽しげでもあった。
「そういえば、日本の下水道には白い鰐がいるらしいですねえ」
不謹慎かもしれないが、実に興味をそそられる。
尤も、どんな都市伝説でも実在を確認してしまえばもはや単なる駆除対象でしかないが。
「ま、噂だけどな」
そんなエイルズに相槌を打ったのは、ディザイア。
彼もまた『天魔の可能性』も考慮し、透過による奇襲を防ぐために阻霊符を壁に押し当てながら歩いていた。
天井や物陰を注意深くライトで照らすエイルズに続いて進み、やがて直進か左折の分かれ道が見えてきた頃、
『あ』
一同は声を揃えて顔を上げた。
左に伸びる曲がり角の手前に、携帯を咥えた黒い仔猫が居た。
向こうもこちらに気づいたようで、ぴくっと耳を立てて振り返る。
互いに立ち止まり、じっと見つめ合う。
――梢はボレーキックの前科持ちであるオペ子を隠すように、さっと間に立ち
――恋音は敵意が無い事を示す為、さり気無く視線を逸らし
――ジェンティアンはお昼に食べるはずだったサンドイッチにそっと手を伸ばす
その時だった。
ばしゃんっ
響いたのは、どう考えても鼠等の小動物が立てたような小さな水音ではない。
警戒して一同が身構える中、ソレは現れた。
水面がボコボコと泡立つや否や、全長6mはあろうかという巨大な白い怪物が大口を擡げて噴水のように勢いよく飛び出してきた。
「ワニ、かな? すごーい、口大きいねぇ」
危機感に欠けた、梢の声。
一方で、先頭に居たエイルズの小柄な体躯を頭から丸呑みにせんとする真っ白な大顎。その突進軌道を視覚的に読み取った彼は、咄嗟にアウルを解放する。
壁寄りに立っていたはずの彼の身体はしかし、次の瞬間にはトランプの束と入れ替わっていた。
「おお、本当にいましたねえ」
確かに白い。驚きの白さだ。
感想も束の間。寸前までエイルズを模っていたトランプの束は重牙に噛み砕かれて塵と化し、鰐は突進した勢いのまま壁に衝突する。
水路全体が揺れるほどの重々しい衝撃と共に鰐の足が止まり、鰐が方向を変えるよりも早く最後尾に居たディザイアが躍り出る。
高々と跳躍した彼は口を開けようとしていた鰐の上顎を踏みつけ、その反動でもう一度跳躍。空中で身を捻りながら、眼下の鰐へとアウルの拳圧を撃ち放ち、着地と同時に再び阻霊符を壁に押し当てた。
更に別の方向からも、アウルの拳弾が直撃。雅人だ。
疾風が担いでいるオペ子――ひいてはその前に居る恋音――を庇う様に立つ彼の手には、友から託された魔具が絶対の意思でそこに在った。
爬虫類特有のギロッとした眼が雅人に向けられた瞬間、彼のすぐ隣にいた恋音は竦む気持ちを抑えながら無数の魔手を鰐へと嗾ける。
よほど魔法耐性が低いのか、鰐は抗う様子も無くあっさり捕縛された。
これを好機と、エイルズは大胆にもその鱗肌に触れられるほど近くをすり抜ける。
――いや、実際触れていた。
爆発。
すれ違いざまに鱗に縫い付けたトランプが爆ぜ、白い巨躯が爆炎に呑まれる。
「反応無し、と。今の爬虫類ちゃん、天魔じゃなかったみたいだよ」
アウルの残滓が煙のように立ち込める中、異界認識を試みていたジェンティアンが告げた。
彼はいつの間にか胸元に仔猫を抱え上げており、サンドイッチに釣られて放した携帯をオペ子に手渡しながら鰐へと視線を戻す。
見世物小屋か、はたまた無責任なコレクターが投棄したものか。
どちらにせよ非天魔であったのならば、少々やりすぎたか――
そう思ったのは間違いだった。
突如、怪獣のような咆哮が轟いたかと思うと靄の様に揺らめいていたアウルの粒子が一気に吹き飛び、そこには一切の傷も無く撃退士達を睨め付ける鰐の姿があった。
一体なんの冗談か。
およそただの爬虫類とは思えない頑丈さで鎮座するソレに我が目を疑っていると、その怪物はある一点に狙いを定めた。
これも野生動物としての本能なのか。
鰐はこの場で最も弱い獲物――オペ子――へと目掛けて突進する。梢は咄嗟に身を呈して彼女を庇おうとしたが、
ずしり、と。
数歩進んだところで不意に鰐の足が止まる。
必要無くなった阻霊符を解除したディザイアが、自身の胴ほどもある鰐の尻尾を両腕でがっしりと抱え込んでいた。
「させねえよ――って、おわ!?」
刹那、彼の身体は宙を舞った。
人の域を超えた膂力を持つ撃退士――その中でもかなりのガタイを有しているディザイア――を、尻尾の先で軽々と投げ飛ばす白鰐。
彼が地瀝青の壁に叩きつけられ土煙と水飛沫に埋もれたのを受けて、智美は帯刀していた忍刀を抜き放ちながら言う。
「走ってください」
常識外れの鰐に呆けかけていた疾風は我に返ると、意を決してオペ子に告げる。
「失礼しますっ!」
言うが早いか疾風はおぶっていたオペ子をお姫様抱っこの形で抱え直し、凄まじい勢いで水の上を走り出した。
ピカピカとストロボのように明滅しながら。
「桜井ちゃん、足早っ」
感嘆するジェンティアンの脇を抜け、梢が後を追う。
「……えと、ディザイア先輩は……」
「シーカーさんだって撃退士ですからねえ。あのくらいで倒されたりはしないでしょう」
「それにシーカーちゃんは透過能力持ちだし、むしろ単独の方が安全だよね」
二人が口早に答え、智美も無言で頷く。
恋音は雅人と顔を見合わせると、やがて彼と共に疾風達を追って走り出した。
「そういうわけだからシーカーちゃん、悪いけど無理しない程度に足止めよろしくね」
空気を感じ取ったのか鰐は追走の構えを見せるが、それは智美の放った一閃により阻まれていた。
一瞬、揺らめいた金色の炎がしなやかな体躯を包んだかと思うと、中段に構えた白金の刃が風を切って駆けた。
薙ぎ払いの一撃を受けて鰐が怯んだその隙に、三人はその場を後にした。
追走しようと一度大きく尻尾を振った鰐は、その尻尾が再びガシッと何かに掴まれてギョロリと眼を向ける。
「よろしくされちゃ仕方ねえ」
魔術の詠唱工程を組み替えながらゆらりと立ち上がり、ディザイアはククッと口の端を歪めた。
●
追い縋るような殺気を完全に引き離したところで、疾風達はようやく足を止めた。
「ふふ、僕が輝いてるからって、暴れるのはやめなよ仔猫ちゃん」
アウルによる光源は明度が強すぎるのか、仔猫が少しばかり嫌そうに身をよじる。
ジェンティアンは相変わらず冗談めかした口調で言いながら仔猫の頭を撫で、光源を手持ちのフラッシュライトへと切り替えた。
道中は夢中で――特に、水上を走っていた疾風は――気がつかなかったが、膝下止まりだった水位は腰が浸かるほどまでに上がっていた。
どうやら、逃げているうちに下層部へと降りてきてしまったらしい。とは言え、どのみちあそこからは延々一本道だったのだが。
「あそこ、梯子がありますね」
暗視スキルを展開していた雅人が指差した先。
そこには、随分と高くなった天井へと伸びる一本の縦橋があった。
●
「うおおぉぉらあぁ!」
尻尾を掴んで振り回し、力任せに叩きつける。
少しあがり気味になった呼吸を整えながら、ディザイアはオペ子達が走り去った方を見やった。
もう良い頃合だろう。正直、敵がタフすぎてキリが無い。透過なり目眩ましなり、そろそろ自分の退路も確保するべきか。
幾度目かの叩き落としにも弱った素振りすら見せず、鰐が再び大口を開けて飛び掛ってきたのを慌てて受け止める。
「――っと、まじでしつこいなっ。本当に動物かコイツ……!」
眼前に迫った顎が閉じないようギリギリと両手で必死に押さえ止めながら、呆れ混じりに口端を吊り上げていると――
ばしゃんっ
嫌な音が、背後から鼓膜を叩いた。
「おい、冗談だろ……」
ザザザザとノイズのような音を立てて水飛沫が迫ってきて――……
●
「レディーファースト。後ろは危ないから、女の子達からお先にどうぞ☆」
ようやく見つけた梯子を前に、ジェンティアンは人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「では遠慮なく」
最初に答えたのは智美。彼女は疾風から降りたオペ子に先を譲ると、梢と恋音を待ってから自身も梯子を登っていく。
(さてと。それじゃ、眼福なアングルで僕も登るとしようかな)
それまで待っていたジェンティアンが絶好のポジションで梯子に手を伸ばそうとするが――
「後衛ありがとうございます砂原さん。お先すいません」
身軽になった疾風が申し訳なさそうに謝りながら一足早く梯子を掴み、女子達に気を遣ってか、顔は正面に固定したままソソクサと登り始めていた。
(……桜井ちゃん、空気読もうよ……しかもせっかくの上は見てないし)
はあ、と小さく溜息を吐きながら仔猫を抱え直し、ジェンティアンは少々つまらなさそうに梯子に手を掛ける。
そうして、殿の雅人とエイルズも周囲を警戒しながら梯子を登り始めたその時だった。
ズン……
一同が手足を乗せている梯子から全身に轟くような重音と振動がビリビリと伝わり、先頭を登るオペ子のすぐ横の壁がボコッと大きくドーム状に盛り上がる。
亀裂が天井にまで走り、次の瞬間、壁面は内側から爆散するように弾け飛んでいた。
アスファルトの厚壁を突き破って出てきたのは、足止めに残ったはずのディザイアと、彼を噛み砕かんと大口を開けた白鰐『2匹』。
彼は眼前に迫る鰐の顎を必死にこじ開けながら瓦礫と共に水路へと落下し、派手に水柱を立てる。
同時に、壁に打ち込まれていた梯子はその地盤の崩落と共に瓦解。
疾風達は揃って悲鳴を上げながら、ディザイアと鰐が立てた水柱の上へと身を被せた。
撃退士の、本気の、クロール泳法。
この期に及んで眠たげな表情一つ崩さないオペ子と仔猫を抱え、一同は文字通り決死の形相で用水路の川を泳いだ。
「何で一匹増えてるんですかあ!」
「鰐に聞け鰐に!」
ザバババと水を掻き殴りながら猛進する人間と、ドザザザと水を押しのけながら猛追する鰐。
この際、脱出できるならもうマンホールでも排水溝でも何でも良い。
疾風達はただそれだけを捜して、ひたすら全力で泳ぎ続けた。
●斡旋所
男性職員は抱えていたゴミ袋を建物裏手にある集積所に放り込む。
『心配だからと立ち尽くしていても何も変わらん』
そう言って引越し作業の続行を指示した局長の仕事人っぷりに、彼は感心するやら心配するやらでどうにも落ち着かないでいた。
「まあその通りなんだけど」
ぽつりと独り言を呟いたその時、
『――ぷはあ!』
足元のマンホールが内側から弾け飛び、オペ子捜索に向かったはずの学生達がぞろぞろと這い出てきた。
「…………………こ、怖かった」
目を白黒させる職員の前で、疾風達は真っ白になってバタバタと地面に倒れ伏す。
が、そんな死に体の一同の中において完全に無傷のまま、すっくと立ち上がる一人と一匹。
「あ、ひょっとして君が――」
「はい。本日付でオペレーターとして着任しました。どうぞオペ子とお呼び下さい」
「その猫は?」
尋ねられ、オペ子と仔猫が顔を見合わせる。
しばし見つめ合った後――
「小次郎です」
そう言って、オペ子はずぶ濡れになった黒い仔猫をそっと抱き上げた。