「あーもう! どこにでもそーいう馬鹿が居て、話をややこしくするんだから!!」
「まったく、どこも悲劇ばかりだな」
憤り、あるいは呆れたように肩を竦め、Rehni Nam(
ja5283)とディザイア・シーカー(
jb5989)が吐露する。
耳にしたのは心の痛み。目にしたのは八つ当たりの暴力。
当人ではない自分が、とやかく言えるものではないが――
(悪魔さんはきっと、その人を愛していたのかな?)
青鹿 うみ(
ja1298)は、未だ見ぬその感情を思い浮かべていた。
その時、オペ子から緊急連絡。
「俺達に連絡が来たということは、撃退署へも通報済ですよね?」
「たぶんね」
樒 和紗(
jb6970)の問いにママが頷く。ならば避難誘導程度は期待できる。
一同が手早く装備の確認を済ませる中、
「ユートさんが好きだった、あるいは得意だった曲って分かりますか?」
ふと尋ねたのは川澄文歌(
jb7507)。
「流石にそこまではわからないわねぇ」
「そうですか……」
ルディの注意を引くのに役立つかもしれないと思ったのだが、仕方ない。
一方で鷹代 由稀(
jb1456)は、
(事情知ったところで何が変わるわけでもなし。とはいえ…まあ、手は打っとくか)
そう内心でごちて、ママに話しかける。
「リーゼって携帯持ってる? 持ってるなら番号教えて欲しいんだけど」
●
「ゴミは掃除しねェとなァ?」
ざわめく野次馬に目を向けた瞬間、撃退士を掴んでいたルディの左手が不意に弾かれてその身体を地に落とす。
「ァン?」
「…何が気に食わないのかは知らないけれど、これ以上はやめておきなさい」
振り向けば、イシュタル(
jb2619)の姿。手から離れた撃退士の周囲には、彼女が展開した不可侵結界が張られている。
直後、飛び出したリディア・バックフィード(
jb7300)が撃退士を抱えて即後退。
警察や撃退署員と共に文歌が避難誘導を行い、リディアの確保した瀕死の撃退士に和紗が駆け寄った。
まだ息はある。流石に骨が曲がる云々を気にしている余裕はないとして、彼女は撃退士の男に治癒スキルをかけた。
「彼の避難を手伝って頂けませんか?」
近くにいた警官に男を託し、和紗とリディアは武器を持って立ち上がる。前線では、既にディザイアが交戦状態に入っていた。
(俺がこいつの攻撃にそこまで耐えれるとは思えん)
出し惜しむ余裕などなく、ディザイアは初動からあらゆるスキルを駆使して対峙する。
「またテメェらかよ、クソが」
忌々しげに顔を歪めるルディ。その眼は、完全に鬼と化している。
刹那、彼は落ちていたレンガの破片をつま先で蹴った。魔力で加速した瓦礫が砲弾に等しい速度で飛び、ディザイアの盾を重く殴りつける。
その攻撃が、一般人達の動揺を更に広げた。
「うるせえンだよ。黙って死ね」
それは、無差別に向けられた殺意。逃げていく男の1人へ、ルディは再度瓦礫を蹴る。
ヒンッと空気を鳴らして飛んだ瓦礫はしかし、誰にも当たる事なくビルの壁に穴を開けた。
間一髪のところで、レフニーが男を地面に押し倒していた。
礼を言う男を逃がし、魔具を構えてルディに向き直る。
(…ルディさんを止めないと)
今の彼は、頭に血が上り過ぎている。
怒りや憎悪に流されて、自らが軽蔑する者と同じ事をしては…させては、いけない。
同様に、仲間達もルディの注意を一般人から逸らすべく牽制射撃を試みる。
和紗の矢が、由稀の銃弾が、リディアや文歌の魔弾が急所以外の部位を狙って射掛けられる。だがそれらは、ルディの纏った力場――魔力障壁――によって悉くが弾かれてしまった。
物魔両方において、手加減が通用する相手ではない。ならば、とレフニーは全力のヴァルキリージャベリンを放つ。
光輝の槍が一閃。障壁に突き刺さった瞬間、それでも足りぬと力場に弾かれて掻き消える。が、
バシン、と。
光槍が霧散した瞬間、僅かに抜けた衝撃だけがルディの側頭部を叩いた。
ダメージには至らず。しかしその赤眼は、ぎろりと8人に向けられる。
一瞬、彼の姿が一同の視界から消えたかと思った直後、ディザイアの懐に肉薄。
ゆらりと喉元に伸びた彼の手をディザイアは咄嗟に払い、カウンターに膝蹴りを見舞う。だが障壁表面がバチリと弾けただけに終わり、代わりに魔力を帯びたルディの掌がスッと腹部に押し当てられていた。
ミシッという音がして、ディザイアの口端に血が伝う。
ルディが片膝をついた彼の首に再度手を伸ばす。寸前、上空から突き下ろされる蒼銀の矛。
割って入ったのはイシュタル。しかしその切っ先は障壁に阻まれ、バチバチと火花を散らす。と次の瞬間、ルディがその柄を無造作に掴んだ。
槍ごとイシュタルを振り回し、ディザイアに叩きつける。
転がった2人のもとへレフニーが治癒スキルを詠唱しながら駆け寄るも、当然それを良しとしないルディ。苛立たしげに舌を鳴らして手を翳す。
だが、その身体を縛り付ける無数の糸。
遁甲の術で気配を隠していたうみ。
しかしルディは、いとも容易くその糸を引き千切った。
「――随分と簡単に、私の束縛を解くのですね」
潜行したままのうみの声が、ビルの谷間に反響する。
「貴方にはそれだけの力があるのに……縛られている気がするのです」
ユートの死に。
だが、敢えてソレとは明言しない。
「彼女の生きていた過去から現在に、細く細く伸びる糸があります。彼女のしたかったことを私は知らないけれど、それを現在に、未来に繋げるのは彼女を理解した人の役目です」
彼女の死は、決して鎖などであって良いはずがない。
だから見失わず、掴んであげてほしい。
「なんでテメェがアイツを知ってんだよ」
うみの口ぶりに、ルディが眉を顰める。
「全部…ではありませんが、聞いたのです」
答えたのはレフニー。
「こんな事をしても、何も変わらないのですよ」
いや、今の行いはやがてエリスをユートに、自身をユートの叔父と同じにしかねない。「人間は〜」と決め付けるのは、自らが思う人間像に、他ならぬ自分自身を貶めてしまう。
「エリスが言っていました。『私も同じかも』と。貴方もそう思ったから…だから執拗に、エリスを人間に関わらせまいとしたのでは?」
そう続けたのは、和紗。
ルディに同情すべき心情はある。だがだからと言って、全ての人間が同じだと批難して良い理由にはならない。
「人間を否定することはユートも否定すること…違うのでしょうか。それとも彼女は『特別』でしたか?」
もしそうだとしても、同様に他の者にもそれぞれ『特別』はいて…護りたいと、そう思っているのだ。
「俺は選ばれたとも高潔だとも思っていませんが、手段があるなら手の届く場所は護りたい。そこにはエリスも含まれます。尤も、エリスは護られるだけの存在ではありませんが」
「……うるせえンだよ」
返ってきたのは、静かな呟き。
「もうあのチビなんざ知った事じゃねェ」
「……これだからガキの相手は面倒なのよ」
やれやれと咥え煙草を揺らす由稀。彼女は懐から携帯を取り出し、
「あ、リーゼ? 私、由稀よ。エリスに用があるのよ」
リーゼの携帯を呼び出した。
しばらくして、受話口にエリスが出る。
「エリス。ルディの奴にあなたの覚悟を言ったげなさい」
耳から離した携帯をスピーカーモードに切り替え――
バスッ
煙草の先が消し飛び、持っていた携帯がナニカに撃ち抜かれて手の中から飛んでいく。
「どうでもいいつってんだろォが」
「……」
ガラガラと地面を転がっていく携帯を見送る。
由稀は千切れた煙草を捨て、新しいものを咥えながらライターを取り出し、
「今のアンタ見たら、そのユートって彼女なんて言うだろうね。考えてみたことある?」
シュボッ、と火を点けた。
「弱い者を痛めつける。それは貴方のいうクソ虫と何が違うんです?」
誰かの声に、ルディの眉間が一層深くシワに歪む。
声の主は文歌。
「貴方は何に怒ってるんです? 本当は不甲斐ない自分自身に怒ってるんじゃないですか? こんな事してもその怒りが収まらない事は貴方自身が一番分かってるはずです」
「囀るんじゃねェよ」
フッ、とルディの姿が消える。瞬間、砲撃のような膝蹴り。辛うじて胸の前でクロスさせた両腕が軋み、吹き飛ばされた文歌がビル壁を大きく抉る。
さらに追撃をかけようとするルディ。
しかしそこへ、遁甲を解いたうみが割り込んだ。
ルディは止まる事なく――しかし標的を切り替え――、間に立ったうみへと魔力の爪を突き出す。が、次の瞬間にその一撃が捉えたのは、うみではなく彼女の変わり身だった。
直後、再び潜行して周囲の影に溶け込むうみ。
「チッ、ちょろちょろと……」
「破壊で過去は拭えませんよ」
ルディの背に、別の声が掛かった。リディアだ。
他者を衝動のままに傷つける。
それは理性を捨てた獣と同じ。
「何故、気が付かないのですか……力を行使する度に貴方が嫌悪する存在と同列になるという事に!」
どんな想いや理由があろうと、破壊は破壊だ。
ましてや憎悪や後悔では、世界と、自分と向き合う事はできない。
「以前、私の矜持に挑めと宣言しました。だから……」
何があろうと、無様な姿は見せない。
誰もが世界の不条理と戦い、明日を求める。
奪われて嘆き苦しむ者、奪い快楽に興じる者。
「それでも、と現実に抗い続けます。残酷な世界に屈して立ち止まれません。私は私の道理を信じて、あなたに立ち向かいます」
「テメェは……」
「ゴミやクズをどうにかできなかったのは…本当に遺憾だがね」
ディザイアの声。レフニーに回復されて立ち上がりながら、口に溜まっていた血と共に憤りを吐き捨てる。
「…あんたは人間に期待しすぎてるんじゃないか?」
元々、天魔より遥かに脆弱な存在だ。
仮に撃退士になったところで、万能になる訳でもなし。近づこうとするのが精一杯で、理想には程遠い。
しかし同時に、天魔の側にも同じ事が言えるのではないか。
確かに肉体的には遥かに強靭だろう。だが、肉体と精神が比例するとは限らない。
戦争とは無関係に人間を嬲る天魔もいる。
「『あらゆる天魔は死すべし』なんてクソッタレな思想の根底には、そういう理不尽な蹂躙は決して無関係じゃねえだろ」
天魔のゴミが、人間のゴミを余計に増やす。その量産を加速させてるような輩に、ゴミがどうのと言われる筋合いはない。
「憎むなら当事者だけにしとけや、ゴミの同類!」
荒々しく叩きつけるディザイア。
「だから……うぜェってんだよ、テメェらァ!!」
直後、白髪の悪魔が吼えた。
叫びが天を穿ち、噴き上がった魔力の奔流が稲妻のように荒れ狂う。
まずい。
リディアは咄嗟にルディの詠唱を妨害しようと銃弾を放つが、暴風のように膨れ上がった彼の魔力には歯が立たず。
地や壁を抉りながら駆け巡る魔力の嵐を止める術はなく、8人は剛撃に打ち殴られて瓦礫の中へと消える。
「そのお利口でお優しい矜持とやらで、今までどれだけのクズを善人にできた! テメェらの小奇麗な誇りで守れてんのは、結局テメェらの誇りだけだろォが! 同類だァ!? 上等だクソがッ! 元より上品ぶってるつもりなんざねェんだよッ! それでクソ虫が一掃できるんなら、ゴミにでも何にでも塗れてやらァ!」
――彼女のしたかったことを私は知らないけれど、
――彼女なんて言うだろうね。考えてみたことある?
「ンなもん、死んじまったら何の意味もねェだろォがァ!!」
牙を剥き、呻り、無人となった建物に当り散らす。しかし――
「……貴方に、私の誓いと想いを示す」
フラリと、土埃の中で誰かが立ち上がった。
「私はエリスを、大切な友人を助けると誓った」
塵埃の中から出てきたのは、イシュタル。
どんな絶望的な状況でも決して諦めない。どんなにぼろぼろになっても、認めてもらえるまで諦めずに立ち向かう。
「例え何度貴方に否定されようとも…彼女と一緒にいることを必ず認めさせるわ」
そして、それは決して独りではなく――
「貴方の言うクソ虫がまだ立ってますよ」
文歌。
「今度は顔を狙って下さい。アイドルにとっての顔はユートさんにとっての手と同じですから」
傷ついた両腕を解き、防御もとらずに無防備な姿を晒す。
「私はユートさんの事ほとんど知りません。けれど、私は歌で皆を幸せにする為にアイドルをやってます。だから音で皆を幸せにしたいユートさんの気持ちはよく分かります」
きっと、彼女が音を届けたかった皆の中には……
「幸せにしたい皆の中には、貴方も含まれているんです!」
そう、確信する。
「貴方が諦めるまで、いつまでも歌いますし何度でも立ち上がります。これがアイドルの私の矜持です!」
ガラリ、と別の瓦礫が動く音。
ディザイアが、レフニーが、リディアが、和紗が、由稀が、うみが、未だ倒れる事なく立ち上がる。
「俺の思想は間違ってるかもしれん。だが、お前が正解だとも思えん」
だから、今はこの拳だけを――
「想いの全てを込めて、全力全開の一撃を!」
雷光を宿した拳を握り締め、ディザイアが飛び出す。
突き出した一撃はしかし、ルディの障壁にぶつかって鍔迫り合いを発するのみ。
だがそこへ、
「どれだけ力の差があろうとも、私の誓いは…想いは無くなりはしない!」
イシュタルが蒼銀の槍を穿った。
拳と切っ先が重なり、障壁の火花が夜の暗影を激しく揺らす。そして次の瞬間
パキンッ
ガラスの砕けるような音がして、絶対の壁とも思われた魔力障壁が消失していた。目を見開くルディ。
しかし同時に、アウルの注力が限界を越えた2人の魔具も、ヒヒイロカネへと戻ってしまう。
「ハッ! それがテメェらの限界だなァ!」
ルディは口の端を歪め、魔力を収束した両掌を構えようと――
「「おおぉぉぉ――!!」」
ディザイアとイシュタルが、素手のまま拳を振りかぶっていた――
武術の型も戦法も無い。
ただ、想いに任せた一撃。
2人の拳がルディの左頬にめり込み、可視化するほどの衝撃が爆ぜる。
殴り飛ばされた白髪の悪魔は、数m後方の地面にどさりと背中から落ちた。
満身創痍の一同の視線を受けながら、ゆらりと起き上がって顔を押さえる。
手の平に、じわりと血が滲んだ。
なんだ
なんなんだこの連中は
掃けば容易く散り飛ぶ程度の分際で、決して潰れることなく立ち上がって向かってくる
ましてや今の一撃は……
立ち尽くしたまま俯いているルディに、イシュタルが再び声をかける。
「……もう一度、私達と話を――」
しかし、
「うぜえ……うぜえ、うぜえうぜえうぜえうぜェ!!」
猛ぶ悪魔。
彼はその背に大きく翼を広げると、鬼と化した瞳のままスゥっと8人を一瞥。
飛び去る間際、
「全部ぶっ潰してやらァ……」
ぽつりと言い残し、凄まじい速度で夜の空へと消えた。
――それからしばらくして。
ゲート出現の報が、一同へと届けられた。