ロビーに緊急放送が流れる。
――人形を連れた女悪魔。
「え、まさかエリスちゃん?」
反射的に彼女を連想して顔を上げるRehni Nam(
ja5283)。しかし次に聞いた言葉に彼女は大きく首を傾げた。
――ディアボロを引き連れた男悪魔と仲間割れをしている。
え? 仲間割れ?
「一体何事なのです?!」
急ぎ受付へと向う撃退士達。だがそれに先んじて、誰よりも早く動いた人影が1つ。
イシュタル(
jb2619)がその背に4枚の翼を広げ、真っ先に斡旋所を飛び出していた――
●
一般人に追いすがろうとする羊人形をエリスとそのぬいぐるみ魔具が懸命に迎撃しているが、多勢に無勢。1体の羊が防衛線を突破してしまう。
逃げ惑っていた1人の男性に鋏状の蹄手を伸ばし――
刹那、雷のように落ちた槍が羊を地面に串刺しにした。
「間に合ってよかった…。エリス、怪我はないかしら?」
「い、イシュタル? 何でここに」
ふわりと舞い降りた彼女を見て、エリスは目を丸くする。
「約束したわよね? 貴女にもしものことがあったら助けると」
ヒヒイロカネへと戻った魔具を拾い上げ、再び槍を実体化させながら答えるイシュタル。
「おぅ、やっぱお嬢だったか。遅れてすまんな、助けに来たぞ!」
そこへ一呼吸遅れて、ディザイア・シーカー(
jb5989)ら7人も到着。
エリスの姿を確認するや否や、周囲に彼女が味方である事を誇示する為にわざと声を大にする。レフニーもそれに合わせるように「お待たせ!」と声を掛け、エリスが撃退士側の存在である事を強調。
続くように、困惑している一般人達へ言葉を投げるリディア・バックフィード(
jb7300)と鷹代 由稀(
jb1456)。
「この悪魔は敵ではありません」
「この子は久遠ヶ原の学生。要するに、はぐれってやつ。だから無害よ。あっちの中二病全開の頭と目したのは知らないけど」
「で、あれ誰ですか?」
一同は天辻 都(
jb8658)が指差した先――白髪赤眼の男悪魔――を見る。レフニーがダメ元で名を尋ねてみるが、彼は答えるどころかこちらを見ようともせず、ただただ面倒臭そうに大きな舌打ちを返してきた。
エリスが事の経緯を話す。
――工事現場に現れたのもこの男。しかしそれ以外での面識は一切無い。
「ま、まさか悪魔の社会にもストーカーがいたのです?!」
素の感想そのままに、思わず声に出すレフニー。
「エリスちゃんの苦しむ姿を見たいという捻じ曲がりまくりな愛情ですか!? き……キモいのです!!」
「え、まじで……?」
彼女に釣られて、エリスや青鹿 うみ(
ja1298)も「うわぁ……」と白い目で悪魔を見やる。
「つまり、変態なんですね」
一方、それ以上の侮蔑の視線を向けたのはリディア。
「努力する者の邪魔をするなど嫉妬でしかありません。貴方が抱く感情は劣等感でしかないのですよ」
「……気高いだけで命が守れんのかよ」
その時、初めて悪魔が8人を――いや、リディアを見た。
尋常では無い敵意が、チリチリと肌を焼く。
「…見た目の割りにゃずいぶんファンシーなディアボロだな?」
その威圧感から仲間を庇うかのように、ディザイアが軽口を叩く。
ただでさえ敵の数が多いこの状況で、悪魔にまであちこち動き回られては堪らない。この挑発に乗って自分1人に注意を向けてくれれば、他の7人が動き易くなるのだが――
「欲しけりゃ持って帰っても良いぜェ?」
返ってきたのは、からかうような軽口だけだった。
だが自ら動くつもりもないらしい。それならそれで好都合だ。
「エリスは皆を守って下さい。敵は俺達が」
悪魔の代わりに再び動き始めた羊達を見て、樒 和紗(
jb6970)が告げる。
「私も手伝いますっ」
進み出たのはうみ。
恐らく悪魔の狙いはエリスの命ではなく、その体面。彼女が守ろうとする一般人を傷つけ、彼女の心を折る事。だが、そんな事はさせない。
もしエリスへの非難の目が消えず、心ない言葉を投げられたとしても、少なくとも私は…私達は――
「エリスちゃんが何をしているか、ちゃんと知っていますっ」
隣で都もこくりと頷く。
「私も警察と協力して避難誘導を行います。制服ですし見た目で撃退士だとわかるでしょう」
3人が誘導を開始し、残りの6人は武器を構えて敵の群れと対峙した。
口火を切ったのは和紗。敵が複数固まっている所にナパームショットを撃ち込む。
それを見た範囲外の羊達はわたわたと散開しながら一般人を追いかけようとするが、ディザイアがそれを許さなかった。
「さぁこっちだ! 相手してやんぜ!」
覇気の篭ったアウルが走る。威圧され、背を向けるのは危険と感じた羊達は挙って彼へと殺到した。
わらわらと群がってくる羊人形を蹴り飛ばし、閃いた鋏を躱し、頭を鷲掴んで地面に叩きつける。
合間に防御スキルも挟みつつ、ディザイアは螺旋を描くように後退しながら、敵の群れを『中心地点』へと引きずり込んでいく。
やがて羊達の塊がソコに到達した瞬間、彼は大きく跳躍してその場を離脱。
直後、上空からレフニーの練り上げた小隕石群が降り注いで群れの大半を消し炭へと変えた。
「これだから頭の弱ェディアボロは……」
その光景に、傍観していた悪魔が舌を鳴らして再度羊達へ指示を飛ばす。
ディザイアに集中していた羊の注意が、再び一般人へと散り始めた。
しかしそこへ、イシュタルが奇門遁甲を被せる。幻惑状態に陥った羊達は標的を見失って右往左往し、中には羊同士で斬り合いを始める個体も。
辛うじて効果範囲から逃れた羊が一般人へと駆けるが、不意にその行く手を濃霧が阻む。
「霧で視界が悪くなりますから気をつけて下さい」
リディアがスリープミストを展開しながら告げる。アウルの霧に呑まれた羊が昏睡してパタリと転がり、何とか意識を保った個体も霧を隔てた向こう側から唐突に攻撃を受けて、次々と地に伏していた。
一般人達を護衛しつつ、エリスとうみが中距離から弾幕を張っていた。殲滅班の範囲から漏れた敵を狙い、1体ずつ確実にトドメを刺していく。
そして2人の射程より遠い敵には、都がスキルによる長距離射撃で対応。
9人の連携により、敵は見る見るうちにその数を減らしていった。
ふと、索敵を行っていた和紗が隠れている敵に気づき、エリスに注意を促す。
頷いた彼女が指示された方を注視すると、柱の陰に1体。気づかれた羊は慌てて陰から飛び出し、ちょこまかと走り回ってぬいぐるみ魔具の魔法弾を避ける。
狙いが定まらずに唇を噛むエリスだったが――
「そぉいっ!」
うみがアウルの糸を投げ、捕らえた羊をぐいん!と大きく弧を描いて地面に叩きつける。直後、エリスのぬいぐるみ魔具が放った淡緑色の粒子が敵を射抜いた。
「工事現場の時といい、しょーもないやり口は同じね」
煙草に火を点けながら、鷹代 由稀(
jb1456)が悪魔に向けて言う。
「大方、廃病院で人狼けしかけたのもアンタでしょ」
「あァ? んな悠長にお喋りしてる暇あんのかァ?」
燻る煙を払うように、悪魔が由稀の視線を促す。その先では、数体の羊が一般人の方へ駆けていくのが見える。しかし、
「私は“同じ”って言ったのよ?」
由稀の二丁拳銃が、その背を悉く射抜いていた。
「雑さも同じだっつってんの。この程度のパニック対応、学園の生徒なら慣れっこよ」
拳銃をヒヒイロカネに戻し、指の隙間に煙草を持ってフーと煙を吐く由稀。
「どーにもエリスにこだわってるみたいだけど…嫌がってんだからやめたら?」
呆れた目で悪魔を見やる。
――だがその背後で、密かに彼女へとにじり寄る1体の羊。
「そーゆーのをストーカーっつってね。こっちの世界だと、嫌がる女の子に無理やり付き纏うと…訴訟、罰金、減給、免職、もしくは…」
直後、息を潜めていた羊が鋏を構えて飛び掛った。が、
ジャキリ。
由稀の実体化した散弾銃が、ぴたりと羊の鼻先に突きつけられ――
「こうなる」
銃声。
爆ぜた散弾をゼロ距離で浴び、羊人形は木っ端微塵に弾け飛んだ。
どうやらそれが、最後の1体だったようだ。
手駒が尽き、悪魔は溜息を零す。
「あんだけいて1人も殺れてねえとか、シラけるにも程があんだろうが」
見物だけのつもりだったが、このまま勝ち誇られるというのも癪だ。テキトーに1人殺しておくか。
そう考えて砕けた鋏の破片を拾い上げ、逃げていく一般人の背を物色していると――
「ぶっちゃけ勝てる気がしないので大人しくしてて頂きたいのですが」
動向に目を配っていた都に横から声をかけられた。
彼女は『エリスにお熱』な悪魔の気を自分に向ける――一般人から逸らす――為、思いついたようにエリスへと駆け寄って仲良しアピールを始める。
「私とエリスさんは同じ鍋をつついたり一緒に写真を撮ったりする仲なんですよ。まじ仲良しです、ソウルメイトです」
「そ、ソウルメイ……え、何?」
聞き慣れない単語と都の行動に、困惑するエリス。そんな彼女の動揺に構う事なく、都はぎゅーっと肩を寄せてドヤ顔(無表情)を悪魔に見せ付ける。
「……テメェ、人間か」
するとそれまでに無いほど不快そうな目つきで、悪魔が都を睨める。
「人間風情がヌかしてんじゃねえよ」
――何かがチカリと光った。
寸前、悪寒を感じたエリスは反射的に魔具に念じていた。
都の顔前に飛び出したエリスのぬいぐるみ魔具が、都の代わりに鋏の破片を受けてザクリと串刺しになって地面に落ちる。
狙いを外した悪魔は舌打ちしつつ再度攻撃しようと都を見るが、
「させるかよ!」
闘神布を纏わせた拳を振りかぶり、ディザイアが殴りかかる。渾身の力で踏み込んだ左足がアスファルトを砕き、轟と突き出した右腕は大気を穿つ程の一撃だったが、その拳は悪魔の身体手前で見えない力場に弾かれていた。
ざあっと押し返された彼に悪魔が顔を向けるが、そこに飛来する光輝の一矢。バチッと力場が震え、視線が矢の飛んできた方へ移る。
聖弓を構える和紗の姿。
「何が目的か知りませんが、エリスを巻込まないで下さい」
「好きな子に嫌がらせする小学生並だな」
「巻き込む? 嫌がらせ? それをやってんのは、さっきから周りでみっともなく走り回ってるクソ虫共の方じゃねえのかァ?」
エリスを害敵扱いしたのは誰か。
事実を正しく理解せず、率先してエリスを共通悪だと決め付けて都合の良い捌け口を欲したのは誰か。
「ディアボロ作ってガキを襲わせたのは俺だけどなァ。そのゴスロリを貶めたのは他でもねえコイツらだろうが」
それは嘲笑ではなく憎悪。
悪魔はまるで汚物でも見るかのような目で、一般人らを睥睨した。
「そうなる様に見せかけて、そうなる様に誘導すりゃこうなるわな」
その視線を遮るように、ディザイアが悪魔と人垣の間に立つ。
「人は勝手ですけど、バカじゃないです」
そう言ったのはうみ。
確かに、最初は『冥魔』だと誤解されていたかもしれない。だがエリスがエリスである限り、彼女を知ろうとする人はきっと増えていく。
「…貴方は彼女に付きまとっているようだけど、結局何がしたいのかしらね」
蒼銀の矛先を向けるイシュタル。
探るような桃色の瞳を受け、悪魔は一瞬、ほんの僅かに口を開きかけるが――
「……テメェには関係ねえ」
呟くように言い残し、翼を広げて飛び去っていった……
●
警官や撃退署員らが取り仕切る中、和紗の提案で商店街の片付けを手伝う事になった8人とエリス。だが住民達の間には、未だ微妙な空気が残っていた。
天魔という異邦人であるエリスへの、割り切れない警戒心。
それは後ろめたさを誤魔化す為の、無意識の自衛であったのかもしれないが……
「…貴方達人間は助けてくれた恩人すら非難するのね。その身が無事なのは彼女のお陰だと言う事を分かっているのかしら?」
静かに憤るイシュタル。
「例え貴方達が彼女を認めなくても…私が彼女を認めるわ。何があっても彼女の味方で居続ける…大切な友人なのだから」
「平気よ、イシュタル」
エリスはそんな彼女の袖を引き、小さく首を横に振った。
――あの日、この世界で生きていこうと決めた。
そう思わせてくれたヒト達が居た……いや、居る。あの日も、先日も、そして今も。
人間嫌いという自身の根底が変わった訳ではない。だが、それとはまた別のナニカ。
彼ら、彼女らは、ヒトがヒトを受け入れる事の在り方を教えてくれた。だから自分は、例えこの先どれだけヒトから嫌われようとも、ヒトを嫌いにはなれないだろう。
「ありがと」
エリスは短く礼を言う。
一方でその様子を窺っていた和紗は、電器屋に並べられていた物を見てある事を思いついた。
「エリス、デジカメを持っていますか?」
「持ってるけど、突然なに?」
首を傾げるエリスからデジカメを受け取ってメモリーカードを抜き出し、電器屋の主人に頼んで展示用のパソコンを点ける。
メモリーカードをスロットに挿して、カチカチとマウスを操作すると――
通りに面した店の大型モニターに、緩みきった顔で鍋の肉を頬張るエリスの写真がドアップで映し出された。
「んなっ!?」
ぼんっと頭から煙を噴いて固まるエリス。
「何だ何だ?」と他の7人や住民達も集まり、大勢でモニターを囲む。
スライドショーのようにゆっくりと切り替わっていくその写真には、8人の撃退士とバーの同僚達に囲まれて笑う――人間の少女と何一つ変わらない――悪魔の姿が映っていた。
エリスは大慌てで和紗の手からマウスを奪い取り、画面を閉じる。そこへ、
「あ、あの……」
人垣の中から、それまで言い出し辛そうにしていた1組の親子がおずおずと歩み出てきた。
最初に羊に襲われていた親子だ。子供の手には包帯が巻かれている。
「おねえちゃん、助けてくれてありがとー」
その子供は、にぱっとした笑顔でエリスに言う。それに続くようにして、他の親子も顔を覗かせる。
「うちの子も助けていただいたみたいで、何とお礼を言ったらいいか……」
「お姉ちゃんのお人形さん、すっごくかっこよかった!」
キラキラした目でエリスに詰め寄る少女。この子は確か、電柱が倒れてきた時の……
「目にする人は少ないかもしれませんが、俺達と笑顔で過ごすエリスの姿を見れば、きっと良い悪魔だと思ってくれます」
ふと、後ろで和紗が言った。
「おじちゃん達もかっこよかった!」
子供達は無邪気な様子でディザイアを指差す。
「おじ……まあ、間違っちゃいないが」
やれやれ、と。しかし悪い気はしないと、ディザイアが肩を竦めて笑う。
「とりあえず、最初の壁は消えたみたいね」
言いながら、由稀が紫煙を吐く。
エリスが悪魔である以上、そうと知れれば人間の悪意を受けるのはこの先変わらない。それでも折れないでいられるか。
――この様子なら心配ないか。
わしゃわしゃとエリスの頭を撫でる由稀。
ほんの少し空気の軽くなった商店街で、撃退士達は始まったばかりの後片付けに改めて手を貸した。