●冬の大宮駅
見捨てられた街区を抜け悪魔の占領地に入る。境界線上にはぽつりぽつりとディアボロの姿が見えたが、ぼんやりとうずくまっているだけで攻撃してくる様子はなかった。
ロータリーの舗装がはがされ畑となった場所には緑のボールのような塊が点々と並んでいる。
「中々良い白菜を作ったな……」
かがみこんで佐藤 としお(
ja2489)はつぶやいた。おそらくこれは彼が悪魔に渡した種から育った白菜だ。九月には袋に入った小さな粒だったが、今は青々と葉を茂らせて収穫を待っている。
「悪魔のところに行かないの?」
少し離れたところから巫 聖羅(
ja3916)が声をかけた。彼女の後ろにはファーフナー(
jb7826)が立ち、油断のない様子で辺りを見回している。
「私たちはとりあえず、井上さん達にご挨拶して来るけれど」
としおは立ち上がって一緒に行くと答えた。
「大宮駅に来るのも久し振りになってしまったけれど、みんな元気かしら?」
手ぶらで伺うのも何なので、と持って来たおみやげ(補給物資)を両手に持って聖羅は井上の姿を探す。駅前広場のあちこちに人が出て、アスファルトのかけらで炉を作ったり大鍋を運び出したりしていた。その顔が明るいのは、解放が近いと知ったゆえだろうか。
「ベリアルさんの堪忍袋の尾が切れる前に解放されるといいねぇ」
星杜 焔(
ja5378)が穏やかに言った。
「二人の喧嘩は兄弟喧嘩みたいなものだからな」
これまで何かと関わって来た悪魔たちの顔を思い浮かべながらとしおは言う。
「互いが納得いかなきゃ収まらないだろうね」
「ゲームって誘導されて勝ってももやもやしたりするから難しいよね〜」
焔もうなずく。介入しても加減が難しいと思う。ということで彼らはゲームには関わらず、芋煮会の準備に専念する心づもりだ。
(それにしても、兄さんはどうして変な格好してジュルヌ達の所に行ったのかしら?)
井上の姿を見つけて手を振りながら、聖羅はそう思った。
●地獄の七(様子見編)
その頃。悪魔二人が死闘()を続ける駅務室にも撃退士たちが到着していた。
秋に来た時はきっちり整頓されていた室内は散らかっている。駅長用の執務机の上には散乱したカード。そして疲れた様子の悪魔が二人、部屋に入って来た撃退士たちを見た。
「お久し振りです! ジュルヌ様……!! 俺の事、憶えてますか?」
機先を制するように声を上げ、ジュルヌの元に歩み寄ったのは短い黒髪(のウイッグ)に分厚い眼鏡、地味な服装の若い男。以前に依頼で会った時の変装を再現した小田切ルビィ(
ja0841)は悪魔に愛想よく微笑んで見せた。
「おお。もしや荘園候補二番目の土地で出会った親切な人間か」
ジュルヌも乱れた髪をかき上げ、嬉しそうな顔をする。
「暴虐な天使の手にかかることもなく息災にしていたか。無事で何よりだ」
「久しぶりアルちゃん」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)はアルファールに声をかける。
「今日は楽器は間に合ってる。僕は今、重大な用件で忙しい」
偉そうに言った幼なじみに、
「いい加減に負けを認めろ、三百戦して全敗だろう」
ジュルヌはうんざりした顔で言ってから「そう言えば撃退士が来ると聞いていたな」と呟き眉間にしわを寄せる。
「大宮駅の引き渡しが滞っていると聞いたので来たんだよ」
龍崎海(
ja0565)が前に出た。引き渡しって何だっけと首をかしげる茶髪の悪魔に、
(ジュルヌを責める気が起きませんね……)
雫(
ja1894)は軽い頭痛を感じた。
ジュルヌの傍に座り込んだルビィが「差し入れです」と温かい緑茶(缶)と肉まんを渡した。他の撃退士たちも適当に居場所を見つけて腰を下ろす。斉凛(
ja6571)は白いメイド服の裾をつまみ、ひざを曲げて優雅に礼をした。
「今日はメイドとして皆様にお給仕させていただきますわ」
紅茶神の名を持つ彼女が用意して来た極上の紅茶がポットの中から香りを放つ頃には、悪魔たちは再び対決の準備を整えていた。
「カードゲームか」
愉快な二人組()と噂に聞く悪魔たちを見に来たミハイル・エッカート(
jb0544)は意外な対決法に目を丸くした。それから思いついて提案する。
「俺もそのゲームに混ぜてくれ!」
皆が驚いて彼の顔を見る。
「大丈夫だ、勝負の邪魔はしない」
ミハイルは落ち着いた声で言う。
「ただ一緒に遊びたいだけだ」
「それなら俺も参加したいな」
海も手を挙げる。
「ベリアルとの約束もあるわけで、無関係ってわけじゃないしダメだろうか?」
ジュルヌだっていずれベリアルと相対することになるってことはわかっているはずだと思う。本気なら勝負回数に制限くらいかけるはず。三百回も勝てばそろそろ溜飲も下がっているだろう。
雫も参加したいと言った。
「提案ですが。私が勝ったらアルファールは今までの事をジュルヌに詫びて、べリアルの指示に従ってください」
「ジュルヌにならともかく、人間に負けたりしないし。別にいいよ」
朱い瞳にまっすぐ見据えられたアルファールは肩をすくめる。
「だがこれは決闘だし……」
ジュルヌは迷う様子だ。
「どうでしょうか?」
雫はジュルヌに鋭いまなざしを向けた。
「此方としては約束を反故にされるのは困りますが。ジュルヌが怒る気持ちも判らないでは無いので、アルファールが割を食う感じで妥協しませんか」
ぐむむとうなるジュルヌの耳元で、ルビィが囁いた
「撃退士の加勢を認められては如何っすか?」
怒りの気配が感じられないジュルヌに、大方拳の下ろし方で迷っているのだろうと彼も内心で苦笑している。
「この方法なら、どちらの面子も潰れずに済むと思うっす!」
ジュルヌはもう一度うなり声をあげ、
「賢しげなことを言うな、人間」
とルビィを叱りつけてから尊大にうなずいた。
「よし、勝負に加わることを許可する。アルファールの相手にも飽きて来たしな」
言い訳しても乗せられた事実は誤魔化しようがない。
とはいえ参加するにもまずはルールを把握しなくてはならない。ゲーム参加組の三人は悪魔が勝負を行うデスクの傍に陣取る。
ルビィはそのままジュルヌの横に、ジェンティアンは樒 和紗(
jb6970)と一緒にアルファールの近くに座った。凛は全員に紅茶とティーフードを給仕する。
そして勝負が始まった。
●心のハードル
一方、西口ロータリーでは芋煮の準備が順調に進められていた。皮をむかれる大量のサトイモ、あちこちで上がる煮炊きの煙。
『朝の通勤時間帯に大宮駅にいた』ことが縁で集った人質たちは出身地も好みも多彩だ。そのためあちこちに出された大鍋は、それぞれ違う味付けになっていた。
スタンダードな味噌を使った豚汁風のもの、しょうゆ味のもの、牛肉を使った鍋もあるし鶏肉や魚を入れた鍋もある。
「やっぱり冬場の炊き出しは、身体も心も温まる芋煮が一番!」
聖羅はツインテールを揺らしながらきびきびと働く。
「下拵えから味付けアクとり何でもお任せあれだよ〜」
手際が良く笑顔を絶やさない焔もすぐに皆に溶け込む。
「芋煮出来上がったら、ゲームしてる人たちに差し入れてきてもいいですか〜」
彼が味見をしながらのんびりたずねると、
「あら、こっちに呼びましょうよ。もちろん皆さんが良ければの話だけど」
聖羅は提案した。周りから「別にかまわんよ」「暴れさせなきゃいいよ」と声が上がる。
その言葉に、彼女は華やかに微笑んだ。
「人間だけじゃなく、勝負で心身消耗(?)した悪魔二人もひっくるめ皆でぽかぽかになりましょう!」
ファーフナーは井上からこれまでの状況などを聞き出していた。
「あれ以来補給事情は格段に良くなりました。病人が出た時の対処法も確立できましたしね。電話やネットで家族との連絡も出来ますし、悪魔との関係も悪くないです」
皆さんのおかげです、と井上は改めて頭を下げた。
「ジュルヌに理解を示していると聞いたが」
前置きして、ファーフナーは慎重に提案した。
新年は家で過ごしたいという希望を彼の口からジュルヌに伝えられないだろうか。これまで丁重に扱ってくれた感謝の意を添えて。その上で、彼らも新しい年をエンハンブレで仲間と共に過ごしてはどうかと伝えるのだ。
ロータリーの真ん中に出現した白菜畑を眺める。あれを手土産に、芋煮のレシピも覚えて帰らせるのも悪くないのではないだろうか。
井上はちょっと驚いたようだった。
「まあ、他の天魔に捕まるよりはきっと運が良かったのだろうなとは思っていましたが」
人の好い顔に少し陰りが浮かぶ。しばらく考えてから彼は答えた。
「それが解放につながるならやりましょう。アレがアレなりに私たちを健康に楽しく過ごさせようと心を砕いてくれたのは分かっていますしね」
心を決めたのかにっこりと笑う。
「恨むのではなく幸運を感謝したほうがいいですね。それに気付かせてくださってありがとうございます」
もう一度丁寧に礼をして、そうと決まったら白菜を収穫しないと、と井上は去った。ファーフナーはうなずいて、その背中を見送った。
「収穫? なら手伝うよ」
畑に入った井上たちをとしおが手伝う。立派に育った白菜は、触れてみると実が固く締まって重みが感じられた。これを悪魔が作ったのかと思うと不思議な気がした。
わけあってジュルヌの前では、彼は『アルファールの攻撃で無残に命を散らした撃退士・佐藤としおの復讐に燃えるその弟』という設定になっている。
今日はジュルヌと話してみよう。そう彼は思った。
●地獄の七(休憩タイム)
カードの種類は四種類。禍々しい姿の魔物と剣、棍棒、媚薬、宝石がデザインされた色鮮やかなカードだ。それを使って繰り広げられるのは、大変見覚えのあるゲームだった。
「例えば持ち手札が5だとする。4以下を持っていない場合、5を出さないほうがいいのか。相手を困らせることができる」
観戦しながらミハイルはぶつぶつ呟く。
「つまり7並べか」
人間界のゲームとルールに違いはなさそうだ。見慣れないカードにさえ慣れればプレイは問題ないだろう。
アルファールがまたもや大敗したところで和紗が休憩を提案した。
「一休みしませんか? 俺も持って来たものがあるんです。気に入るといいですが」
取り出したのは大粒の種のようなもの。それを透明なカップに入れお湯を注いでしばらく待つと、
「あっ、何だこれは?」
薄桃色の桜の花が飛び出したのに続き、色鮮やかなキンセンカが花開く。工芸茶だ。
「美しいな……。素晴らしい」
アルファールが目を細める。
「これはいいな、気に入った」
職人がひとつひとつ手作りするのだと和紗が教えると、悪魔はますます嬉しそうになった。
「いいな。僕はそういうのが好きなんだ。さっきの紅茶といい、人間はいいものを作るな」
「ところでゲームの方ですが」
さりげなくアドバイスしようとした和紗はは途中で言葉を止める。タイマンの7並べ(つまり相手の手札は丸わかり)で三百戦全敗という結果を出す相手に『少しは考えて札を出せ』という言葉をどう伝えれば良いか、難しいところだ。
「ああ。ジュルヌはズルいだろ? 僕の邪魔ばかりするんだ」
和紗が何か言う前に、カップの中の花を揺らしながらアルファールが言った。
「何故かいつも僕よりいい札を手に入れるし」
それは多分、いい手札が来ていても生かせていないだけである。
「僕は苦手なんだよね、ああいう細々した策を巡らせるのは。面倒くさいだろ?」
和紗は紫の瞳でじっと茶髪の悪魔を見る。苦手で面倒くさいカード勝負を、それならどうして続けているのか。その答えが分かった気がして、彼女は少しだけ口許をほころばせた。
「話は変わりますが。『楽器』が、『ある意味本気にさせてくれたから、約束通りイイモノあげる。だからさっさと終わらせてね』だそうです」
「そういえばアイツいないな」
アルファールはカップを置いて室内を見回した。
「こういう時こそ僕のために音楽を奏でるべきじゃないか。どこへ行ったんだ?」
楽器ことジェンティアンは、アルファールが工芸茶に気を取られた間にジュルヌを室外に連れ出していた。
「アルちゃんのお世話も大変だ。でもジュルヌちゃんが大宮の人質を大切にしてくれたのは、べリアルちゃんの交渉にプラスだったよ」
そう言われ、ジュルヌは渋い顔をする。
「アルファールとはもう関係ない」
言い張る悪魔をなだめ、彼は続ける。
「これは君の手柄だよ。そうじゃない?」
色違いの瞳に力を込めて言われると、ジュルヌは虚を突かれたように黙ってしまった。反応が分かりやすいと内心でほくそ笑み、ジェンティアンは次の言葉を口にした。
「だからさ。ゲームに負けて勝負に勝つじゃダメ?」
「何?」
悪魔の目が丸くなる。つまりわざと負けてくれということだと相手が理解する前に、
「負けてくれたら、お礼にこれあげる」
ちらつかせた写真にはアキバ系で身を固めたジュルヌの姿。前回の依頼で撮影したものである。
「あっ、それは。まさか私を脅す気か」
顔色を変えるジュルヌに、違う違うとジェンティアンは首を横に振る。
「そんなことしなくても、友達は放っておけないでしょ?」
写真を悪魔に渡してにっこり微笑む。
「な……あんな奴は友達などではない」
言い返した時には、もう背中は遠ざかっていた。ジュルヌは何とも言えない気分で手の中の写真を見た。
●地獄の七(勝負編)
休憩が終わると、デスクの周りを囲む五人にカードが配られる。いよいよ勝負の始まりだ。
札を出すのはミハイル→ジュルヌ→雫→海→アルファールの順。ゲームは平凡にスタートするかと思われたが、ジュルヌがいきなりパスした。更に一周回って次の手番でもパス。
「どうしたのジュルヌ。勝負を投げたのかい」
アルファールが揶揄するが、ジュルヌは渋い顔で黙っているばかりだ。
(どう動こうかな)
自分の手札を見て海は迷った。この時点で場には媚薬と棍棒の6と8が出そろっている。剣と宝石はまだ一枚も出ていない。
手の中の宝石の8を見る。今出せるのはそれ一枚だった。パスをしてまで止めるべきだろうか。
あからさまにアルファールの手助けするのはどうかと思うが、おかしく思われない範囲でジュルヌを牽制する。そんなつもりでゲームに参加したのだが、いきなり考えどころに突き当たった。
彼の手持ちは残り九枚。この札を出せば八枚になる。一方ジュルヌは二回パスした上、二番手の席なので手札は多めの十一枚だ。
少し悩んで海は8の札を場に出した。手札の数字は飛び飛びで、両端近くに偏っている。パスは温存したほうが安全だと考えた。
次の手番でジュルヌもようやく札を出した。媚薬の4だった。どうやらあまり手札が良くないらしい。
ゲームが進み場札が増えていく。しかし剣の8だけが出ない。
「パスです」
宣言した雫がにたりと笑った。
「おやおや、8が出て来ませんね……誰が持っているのでしょうね?」
一人を除いて全員が(お前だろ)と思った。銀の髪の少女の全身から、誰から狩ってやろうかと言わんばかりのオーラが立ち上っている。
雫は次の手番もパス。更に次の手番で、
「皆さん、素寒貧になる覚悟は出来ましたか?」
赤の瞳を不吉に光らせながら、場に出すのは棍棒の4。熱中し過ぎて若干目的を忘れている気もしないでもない。
場の支配権は完全に雫のものと思われたが。
「……パスです」
止めているうちに自分の手が苦しくなってきた。背水の陣となる三回目のパスをした時、手元には媚薬の13と宝石の1・2という思いっきり端っこの札が残っていた。
宝石は4、媚薬は10まで場に出ている。誰か宝石の3を出してくれれば! 媚薬の11でもいい、望みがつなげる!
だが無情にも、彼女の手番までにそれらの札が場に出ることはなかった。雫、痛恨の脱落!
「すまん。止めていたつもりじゃなかったんだが」
次の順番でミハイルが媚薬の11を出した。剣の8が場に出たので、そちらに続くカードを出すのを優先していたのだ。
「いいです、仕方ないです」
それより宝石の3を止めてるヤツは誰だ。そっちが気になる。
やがて一度もパスすることのなかったミハイルが一抜けし、ジュルヌの連勝は止まった。だが『ジュルヌがアルファールより先に抜ける』とまた揉め事になる可能性もある。
ジュルヌの手札は残り二枚、アルファールは残り一枚。だがアルファールはここへ来てパスを連続している。ジュルヌと海が出す札によっては、脱落も有り得る。
札を出そうとして、ジュルヌの手が止まった。二枚のカードの間で指がさ迷う。
「ここを統治し続けた苦労を簡単に手放せと言われて納得できないですわよね」
静かな声がした。凛が後ろに立っていた。
「でもこれはベリアルに対する『大きな貸し』ですわ。部下とはいえ領地を放棄させるのは後ろめたいでしょう。でしたら代わりに良い条件の待遇を求めればよろしいのですわ。貴方が維持してきた功績は無駄にはなりませんの」
ジュルヌは返事をしなかった。
だが迷っていた指が一枚のカードを選び出し場に置いた。棍棒の2だった。
「それだよ。僕が待っていたのは」
アルファールが歓声を上げて棍棒の1を場に出す。
「悪いけど、俺の方が順番が先だよ」
海が咳払いをして手札を出す。二着が海、三着がアルファールで決着がついた。
ジュルヌは長いため息をつき、それから最後の札を場に投げ出した。
「悪いな娘。私は止めるつもりで持っていた」
ようやく場に出た宝石の3を雫は凝視する。
「……このことは覚えておきます」
「あっはっは、ジュルヌどうしたの? 人間にまで負けちゃうなんて」
アルファールは機嫌がいい。三百敗したこと、自分も人間に負けたことは棚上げした様子だ。
「ジルガイア、良い“友人”を持っていますね」
ジュルヌがイラッとしたのを察知し、和紗がフォローに入った。
「彼がこの地を大切にしたのも主の交渉が成功した一因です。一言“ありがとう”を伝えては?」
「そうです。負けたらあやまる約束ですよ」
雫も声をそろえる。
「僕、お前には負けてないよ」
「で……ですが撃退士には負けたでしょう」
雫の主張にアルファールはやれやれと肩をすくめ、
「ジュルヌ。ゴメン」
とても軽くあやまった。それから和紗をちらりと見て、
「えーと。あと、ありがと?」
と付け加える。
ジュルヌはそれを聞いて、がっくりと肩を落とした。それからもう一度長い長いため息をつき、
「……アルファール様、とまた呼べば満足か?」
とたずねた。
「それはどっちでもいい。エンハンブレの僕の部屋」
「分かった。掃除をしに行けばいいんだろう」
三回目のため息。こうして二人の悪魔の争いは終息した。
●戦い終わって
「皆さんに振舞う芋煮ですよ〜味見していただけますか〜」
タイミング良くドアが開き、芋煮の入った皿を持って焔が部屋に入ってきた。食欲をそそる香りが駅務室に広がる。
「この場所は解放してもらえるんだよね」
大事なことなので海はしっかり確認する。ジュルヌは疲れた顔でうなずいた。
「好きにしろ。ディアボロが心配なら、ひとところにまとめて来る」
立ち上がって部屋を出ようとする悪魔に、
「あ、終わったら解放祝いの芋煮会にぜひ〜。皆さんお待ちしてます〜」
焔がのんびり声をかける。
「私たちは邪魔ではないか」
ジュルヌは苦く笑う。それへ、
「そんなことありませんよジュルヌ様。一緒に参りましょう」
声をかけた黒髪・メガネの男がさっと変装を解く。銀の髪と真紅の瞳のコントラストが悪魔の視界に飛びこんだ。
「俺は小田切ルビィ。撃退士なんだ。今迄騙してて御免な?」
突然の変身にジュルヌはしばらく目を白黒させていたが、やがて小さく笑った。
「そうか。私たちは初めからお前たちの掌の上にいたのかな」
芋煮会に顔を見せろとルビィにも言われ、ジュルヌは苦笑しながら「では邪魔にならない程度にしよう」と言ってからディアボロの処理に出て行った。
面倒くさそうなアルファールも連れ、撃退士たちは芋煮会の会場へ向かった。
外は薄暗くなり始めていた。鍋を煮る火があちこちで赤く輝いている。たくさんの人が外に出ており、芋煮をよそって思い思いの場所で口に運んでいた。
『解放決定』のニュースが広がるにつれ、あちこちで歓声が上がり口笛が鳴る。人々の話す声も高くなり、笑顔がいっそう輝きだしたように見えた。
「懸命に努めたつもりだったが。やはり皆はこの荘園を出ていきたいのだな」
隅に座ってジュルヌは寂しそうに言った。その前に芋煮を乗せた紙皿が差し出される。
「一緒に食べようぜ」
ルビィが笑った。
「人間や人間の造り出す物も結構良いモンだろ?」
ジュルヌは黙って芋煮を口にした。しばらくしてから、
「ここに来てから人間と話をしたり、一緒に食事をしたりしたが。……そうだな、悪くなかった」
とつぶやくように言った。
「そうか」
それなら、あの日撒いた『種』は芽吹いたのだ。ルビィは思った。
ジェンティアンはひとりでボーっと座っているアルファールを見つけて近付いた。
「はいこれ。約束の『いいモノ』」
「こ、これは? べリアル様じゃないか。よくやった楽器」
渡されたのはTシャツだった。黒々と書かれた『永遠の愛』の文字と共に、ラベンダー色のバラがべリアルの背後に合成された華やかなものである。(特注品)
アルファールはジェンティアンの手からシャツをひったくり、主の写真に見惚れた。
「そろそろ名前も覚えてよ」
苦笑するジェンティアン。手の中で『創造』のスキルにより青紫の花が作られていく。
それを差し出しながら、
「この花と同じだよ。竜胆」
と名乗る。
「ふーん。まあいいや、覚えておくよ。リンドウか」
アルファールは気のない様子でスキルで作られた花を受け取り、
「綺麗な花だな」
と言った。
それはごく親しい者しか呼ばない名であることをアルファールは知らない。
目に見えぬ価値あるものを贈られたことも知らずに、茶髪の悪魔は子供のように花とTシャツを交互に眺めていた。
「沢山あるから慌てずに並んでね」
配膳をてきぱきと手伝いながら聖羅が声を張り上げるうちに夜は深まっていく。
「どんな料理か知らんが鍋物らしいな」
鍋の中をのぞきこみながらミハイルは初めての芋煮に挑戦。
「俺は肉が好きだ、牛肉がいい」
と言うと鍋の傍にいた中年女性が笑いながら肉をたっぷりよそってくれた。
食べようとしたところに、ぶらりとアルファールが歩いてくる。
「ねえ、何これ。食べられるものなの?」
「悪魔も食べるのか?」
驚くが、そういえば勝負の最中にもこの悪魔は凛が給仕する紅茶やティーフードを遠慮なく腹に収めていた。
「野菜を食べるといい、お肌にいいんだぜ!」
と言いながら、自分の(肉の)取り分を守ろうとするミハイルだった。
手伝いが一段落したところで、焔も自分の分の芋煮を持って駅のテラスに陣取る。
美味しければ何風でも好きだが、豚汁風の芋煮は亡き父母の味を思い出すので格別だ。
「……おいしいな〜」
遠い思い出を胸に抱き、ほっこり煮えたサトイモを焔はひとり噛みしめた。
●手を取り合う未来へ
時間は過ぎていく。
「いろいろお世話になりました。次は上下関係ではなく友人として再開できることを祈ります」
そう言った井上の言葉にジュルヌは涙ぐみ、皆にからかわれた。
その後は芋煮作りのレシピを教えるための調理実演。発案者のファーフナーも参加する。
ジェンティアンは井上と中原に持って来た酒を差し入れた。
「二人とも今までありがとう。おつかれさま」
「ありがたい。いただきます」
「体が温まりますねえ」
二人は嬉し気に日本酒とスコッチで乾杯した。
「ここにいましたか」
レシピを確認していたジュルヌが顔を上げると、頬を火照らせた和紗が立っていた。
「来た時から気になっていたのですが、あの畑は貴方が?」
キラキラした瞳で聞かれ、良く分からないまま悪魔はうなずく。
「芋煮に入っていたものをいただきましたが、甘みがあって良い出来でした。決して肥えた土ではないのに素晴らしいです」
そこから始まる怒涛の農作業トーク(作物に適した土づくりの苦労から)。彼女は農作業にも一家言を持つガテン系女子大生なのである。ジュルヌの方がたじたじとなった。
「おい」
そこへ湯気を立てる器を持ったとしおが立った。演技に入っているのでいつもと違う仏頂面だ。
「おお、お前は勇士の弟」
と言うジュルヌにとしおは器を差し出した。中には、芋煮の残り汁を使って作ったラーメンが入っている。
「これはラーメンと言うんだ」
としおは説明した。
「ラーメンは色々な具材が混じり合って互いが手を取り最高の味になる」
言いながら、それはまるで久遠ヶ原だと彼は思う。様々な種族が集まり、学園という器の中でひとつに纏まり共に暮らす。
「俺の兄貴(自分)はラーメンが好きだった。俺も好きだ。お前はこれが美味いと思うか?」
「いただこう」
ジュルヌはもったいぶった態度で器を受け取り見様見真似で口にする。麺を味わい、ひとつひとつの具を味わい、丁寧に食べていく。
「……悪くない」
最後まで食べるとジュルヌはそう言った。それから、
「私はここに立派な荘園を作りたかったんだ」
と言った。
「結果は理想には程遠いものだったが、それでも何とかやって来られたのはここに住む人間たちと、お前たち撃退士の協力があってこそだった。……お頭様のおっしゃるようにお前たちと対等に手を取り合えば、もっと良いものが作れるのだろうか?」
「お前の作った白菜を見た」
としおは言った。
「時間を掛けて大切に育てる事が出来る……そういった事が出来るなら、お前たちへの怒りを納めて共存することも出来るだろうか。今はそれを考えているところだ」
ジュルヌは目を見開いた。それからゆっくりと吐息をつく。
「人間は……いや、お前は寛容なのだな。だが忠勇の士であったお前の兄の責任は我々にある。その義理は必ず果たす」
人と悪魔の視線が合い、それからまた離れる。
「良かったらこれをまた作ってみないか?」
としおはポケットから出した紙袋を差し出す。そこには『そら豆の種』と書いてあった。
「いいですね」
一歩引いて二人の様子を見ていた和紗が微笑む。
「船に戻ったら島で農園作りでもしてみたらどうですか、ジュルヌ」
「土があるのか」
ジュルヌは興味を持ったようだ。
配膳が落ち着いてきたところで交代し、聖羅はファーフナーの隣りでようやく芋煮にありついていた。
ロータリーを眺める。人々の笑顔と焚火の炎とおいしそうな芋煮の香りでいっぱいの夜。
視界の中にはとしおとジュルヌの姿もある。
(人と悪魔が対等に共存できる世界が実現すれば素敵だな)
今のこの風景が、そのための一歩になればいい。そう思った。
人ごみの中に紫銀の髪を見た気がして、ジェンティアンは後を追った。今は使われていない線路の上で相手に追いつく。
「おや、前に会った顔だね。坊や」
月明かりの下でべリアルは笑った。
「アルちゃんに用事だった?」
たずねると、エンハンブレの主は首を横に振る。
「あたしの命令をいい加減に果たせ、ってぶん殴るつもりだったんだけどね。来てみたら手打ちの最中らしいじゃないか。そんなところに乗り込んでもカッコ悪いからこっそり帰るところだったのにさ。こういう時は見ないふりをするもんだよ、坊や」
「あー、それはごめん」
ジェンティアンは苦笑し、それから言った。
「ねえべリアルちゃん。僕をケッツァーに入れてくれないかな」
べリアルはまじまじと彼を見る。
「思い付きじゃないよ、前から考えていたんだ。アルちゃんとロウワンちゃんを阻止した程度の悪知恵はある。その結果は多少交渉に役立ったんじゃないかな?」
にこにこ微笑んで自らを売り込み、付け加える。
「あと地球の美味い酒情報もついてくるよ♪ 旅立つ迄は候補生でもいいし」
美味い酒と聞いて、べリアルも口元を緩めた。
「その情報は気になるね。……すぐに返事は出来ないけれど、坊やのことは覚えておこう」
今はそれで十分だった。ジェンティアンはうなずき、エンハンブレの主を見送った。
たくさんあった大鍋も空になりつつあった。
海は差し入れに持って来たクリスマスケーキを周りの人に配る。少し遅くなったが、クリスマス気分を味わってもらえればいいと思う。
和紗は路面やビルの壁面に『スケッチ』のスキルで絵を描いた。秋から初冬にかけての様々な風景。移ろう季節をこの場所で過ごした人々のために、とびきり鮮やかに。
凛は給仕に忙しかった。メイド服の裾が揺れる。食事が終わった後は皆に紅茶をいれ、甘いものが欲しい人にはチーズケーキを。
配り終わるとようやく自分もひと息ついて、紅茶の香りを楽しみつつチーズケーキを口にすると思わず笑顔がこぼれる。
「チーズケーキと紅茶の組み合わせは至高ですわ」
芳醇な味と香りのハーモニー。一日の疲れも癒される。
「年の瀬と言えばこれだね♪」
戻って来たジェンティアンは第九を朗々と歌い始める。和紗が声を合わせた。人質たちの中からも歌声が次々に上がる。年末の夜空に合唱が響き渡る。
歌声の響く中、もらったケーキを楽しみながら雫は夜空を見上げる。冬の澄んだ空に冴え冴えと星が輝いていた。