●波
波飛沫があがった。
たったひとり温泉を楽しむフーリのもとへ、襲撃者は湯波をあげて飛び込んでゆく。
「ラル!」
川内 日菜子(
jb7813)が相棒を呼ぶ声は響かない。女湯の露天風呂は、屋根こそあるが開けた所で、少女の声は夜気に吸い込まれていった。
その声にはまったく耳を貸さず、襲撃者ラファル A ユーティライネン(
jb4620)は温泉に飛び込んだ勢いのまま、フーリに抱きついた。
「温泉独り占めかよフーリ〜、俺たちも混ぜろよ〜」
「混ざればいいじゃない〜」
ラファルに抱え込まれたフーリは、嬉しそうにその平坦な胸に頬ずりした。
再び大声を上げそうになる日菜子だったが、大声が怒鳴り声になりそうな予感に戸惑う。
「……ほら」
静かな口調で言いながら二人を引き剥がし、日菜子は複雑な気持ちのまま、湯に身体を沈めた。
「ラァルはマシンボディなのよね?」
「ああ、超ハイテクだぜ」
「じゃあどうしてそんなに『控えめな』スタイルなの?」
「いやそれは……お、お前だってちっぱいだろーっ」
「わたしはこれからだもん!」
ざばんと再び波が上がって、日菜子の顔から髪までずぶ濡れにした。
「いいかげんにしろーっ!」
怒鳴り声に小さな嫉妬が混ざったことを、日菜子自身ですら気づくことはなかった。
いろいろな意味で湯の温度が上がりそうなやり取りから一足早く逃れていた巫 聖羅(
ja3916)は、浴衣姿で土産物を見ていた。
「うーん。兄さんとおじさまって、甘い物は大丈夫だったかしら……?」
魔の斬撃を操る赤い瞳と『呪われしもの』を思い浮かべながら、聖羅は和菓子の箱を手にとった。
知る者ならば悩むまでもなく圏外の発想だが、聖羅は、普通よりもう少しだけ詳しくあの二人を知っている。
その視線が中庭に移ると、青年二人が、やはり浴衣姿で連れ立って歩いていた。
「不思議な組み合わせ」
聖羅は笑って、手を振った。
手を振り返したのは砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)。
その隣でラズリ・シールが会釈を返す。妙に日本人臭い。
「いや〜浴衣はいいね」
ロビーの聖羅を見ながら、ジェンティアンは和の心について語る。
「侘びと寂びと萌えのすべてを含んでいるね」
「モエ?」
「和の心だよ」
英国人との混血ゆえか少しずれた説明だが……いや、むしろ完璧すぎるほど完璧な説明と呼べるかもしれないが、ともかく、ラズリにも何割かの意味は感じ取れたようだった。
だがそれ以上に彼らが感じたものがある。
「おや、招かれざるお客のようだ」
「ネズミか」
客間の広縁でひとり銃の分解掃除をしていた神酒坂ねずみ(
jb4993)が、打ち粉を置いて顔を上げた。
ヘッドホンを外すと、スタイリッシュなお経が漏れる。猫のマインドコントロールに抵抗するため常に聞いているのだが、リラックスタイムは終了だった。
窓を開け、上縁に手をかけると、逆上がりで屋根に乗る。そしてネズミよりも小さな足音で屋根を駆けていった。
見る者がいれば間違いなく感想に困ったであろう一幕。
●刃
刃のうちあう音が響く。
「遅れてきた罰かな?」
東條 雅也(
jb9625)の声に動揺はない。前手の剣で大鉈をいなして逆手の剣で突き返す。
浅い、だが突き刺さっては動きが止まってしまう。それでは二体目の振るうツルハシに貫かれていただろう。
人に似て武器を持ち、人に似て残酷な怪物たち。アラビアの伝説にあるグールという食人鬼に似ていた。
宿が見えてきたという辺りでこいつらを発見した雅也は、陰影の翼を広げ急行した。阻霊符を使用し、一体と切り結ぶうちに他が宿へ向かおうとするので、アウルを込めて敵の注意を引きつけた。
「こっちだ死肉喰らい!」
言いながら、むしろこのディアボロたちこそ食われた人々の成れの果てかもしれないと、悩んでいる暇はなかった。挑発に引かれたグールたちに囲まれたのだ。
カ、カンと続けざまに凶器を払って、手首に斬りつける。武器を落とせたと確信できる手応えなのに、気づくと傷痕すら消えている。
(再生か?)
斧が肩を掠め、鎌が胸元を切り裂いた。敵を引きつけたはいいが数が多すぎる。
後退しかけた時、斧を振り上げたグールに植物のツタが巻き付いた。
続いて黄金色の炎が弾けて、そいつの脚を吹き飛ばす。
「ようこそ」
優秀な執事らしく援護と挨拶を同時にこなしたリアン(
jb8788) だがグールが脚を再構築して立ち上がるのを見て、さすがに少々驚いた。
「ふむ、足は再生可能と?」
「手も同じです」
「なるほど」
情報を仲間たちへ伝えながら、リアンは魔道書を槍に持ち替え、雅也が二刀を構え直す。
再生を果たしたグールが得物を振り上げ……それは振り下ろされることなく、銃声を抱いて地に転がった。
「何事も無く過ぎればただ飯だったのだが。侭ならぬ侭ならぬ、とねえ」
鷺谷 明(
ja0776)は、キザなしぐさで銃口に息を吹きかけた。
「だからこそ楽しいのだけれど」
休息も戦いも生の一環。快楽主義者はいつものように笑いながら、呪縛の気を全身に漲らせた。
大きな瞳をじっと据えて、ねずみは屋根の上から敵を把握する。
無理やり侵入しようとまごついているグールどもにマーキング弾、一体に一発ずつ。これで敵の位置はまるわかり、袋のネズミ。
「お見通しでござる」
満月を背に、呟く。
大きな瞳が並んでいた。
撃退士が動き出す。
「天魔は私達が必ず食い止めますから、皆さんは落ち着いて行動して下さい!」
聖羅はいち早く従業員たちに声をかけ、一箇所に避難させた。ねずみの誘導に従えば、敵とはち合わせることはない。
交戦位置から離れた1階の比較的安全な場所を思案し、奥まった場所にある厨房を避難所とした。
温泉の少女たちも、行動は素早かった。
「敵かよ。折角フーリの肢体を堪能してたのに野暮なことしやがって、ぶっ殺してやる」
「シタイ? タンノー? どういう意味なのヒーナ?」
「いや、フーリは知らなくていい」
ジェンティアンはラズリと並んで館内を走る。
「旅館従業員の避難は他の子がやってくれてるみたいなので、僕らはお客の出迎えに行こっか」
「バ・レ(ああ)」
招かれざる客人からは、高いサービス料をせしめるべきだ。
●破
破壊音。
垣根の壊れる音だ。
「一体、男湯から建物へ侵入」というねずみの報告に、ラファルは迷うことなく追いかけた。
日菜子とフーリが慌てて続く。
垣根を飛び越え、男湯を突っ切って脱衣所へ、そこで追いつく……はずが。
日菜子とフーリが止まってしまう。二人共、もじもじと身体を抱くように隠していた。
「あーもー逃げちまうだろ! ほら!」
ラファルはせっかちに言うと、カゴにあったバスタオルを二人に投げ渡し、自分のがないことに気づいたが気にも留めず、脱衣所を飛び出した。
「ちょ、ちょっと待てラル!」
「ま、待ってよ〜」
日菜子とフーリは慌ただしくタオルを身体に巻きつけて、敵をというより素っ裸で飛び出したラファルを追った。
「は、は、は、は、は」
声をあげているだけのような笑いが響く。
乙女の幻影を纏い、夜風に抱かれて踊る明を、グールたちは捉えることすらできなかった。
そのため、雅也とリアンはじっくりと隙をつくことができた。カオスレートを操り、効果的な攻撃を繰り出し、反撃は明が受け持つ。
もちろん明からも苛烈極まりないアウルの呪縛がとんだ。
メンバー中もっとも早く始まった戦闘は、もっとも早い決着となった。
「さて、回復回復」
明が芝居がかった祈りを捧げると、風が流れ、仲間たちの傷を癒やす。
「ありがとうございます」
「いやいや」
優雅に一礼するリアンに、これまた優雅に返しながら、明は雅也に苦笑を向けた。
「東條君は来て早々に災難だったね、まだ温泉も入っていないのに」
「覚悟はしてました、警戒区ですから」
雅也の声にも顔にも疲れの色はない。
「しかし……何故、一介のディアボロが大挙して此処へ?」
リアンが山の方を見やる。
何となく、嫌な予感。歴戦の撃退士たちは、これまでそんな空気をイヤというほど味わってきていた。
炎の雨は確実にグールだけを焼いた。
距離を伸ばし、防ぎにくい上空から次々と降り注ぐ炎は地獄の雨だ。
「地獄の業火に薙ぎ払われる気分は如何?」
紅の翼をひるがえし、炎の魔術を操る聖羅の姿は、火より生まれた存在を思わせる。
「イフリータ……」
ラズリが呟いた。
だが、それすら塗り替えるような鮮やかな爆炎が辺りを包んだときは、ラズリは声も出なかった。
「驚かせちゃった?」
笑いながら、ジェンティアンは遠慮なく爆炎の術を重ねる。カオスレートも相まって、圧倒的な威力。
程無く、二体の敵は動かなくなった。
聖羅は地に降りると、手近な一体の死亡を観察した。
「敵の狙いはいったい何……?」
女探偵めかして考えこむ。
「野良だったらこれで解決なんだけどね」
ジェンティアンが言って、もう一体の死亡を確認するため近づき……立ち止まった。
もう一体はまだ生きていたのだ。
ふらふらと立ち上がったのは女の姿をした怪物。
「グーラー!」
ラズリが叫ぶ。伝説では、美女に化けて旅人をたぶらかす人食いの怪物だ。
焼け焦げているのは見せかけではなく、ほとんど死にかけているのは間違いない。
……では、ジェンティアンがとどめを刺さないのは、何故か。
「離れて!」
聖羅の詠唱が始まる。
それを止めたのは、あろうことかジェンティアンだった。
「やだなぁ」
穏やかな笑みを浮かべ、『彼女』の手を取るように、グーラーの黒ずんだ鉤爪に手を差し伸べる。
伝説によればグールの爪には毒があり……
びしゃり。
水の飛び散るような音がした。
「僕に優しい彼女なんて幻以外ありえないし」
グーラーの手が吹き飛んでいた。
ジェンティアンの手には、符。寒雷霊符という戦闘用の符があった。
その符がもう一度、吹き飛ばされたグーラーの両手が再生するよりも早く、光を放った。
「素っ気ないのも愛しいってのに……」
言葉は、アウルの炸裂にかき消された。
●羽
羽音が聞こえた気がして、ラファルは窓の外を見た。
気のせいか、仲間の誰かが飛んだのか、適当に羽織ったこのシーツが揺れたのか。
聞こえていた爆音が収まりつつある、戦いが終わろうとしているのは空気で分かった。
そこに、日菜子が駆けてきた。
「静かになったな」
「ああ、でも油断はできねーぜヒナちゃん」
言って、フーリは遅れているのかと問おうとした、その時。
「お前が守ってくれる」
裸の『日菜子』がもたれかかってきた。
(敵だ)
感じた時にはすでに、ラファルは必殺の一撃を放っていた。
『日菜子』の片腕が落ちる。
もう片方の腕は、ラファルの下腹に突き立っていた。
「……くそ」
必殺の二撃目は至近距離の魔刃解放。『日菜子』の体内をえぐる。
「ラル!」
日菜子は叫んだ。
日菜子は叫んだ。
ラファルが、ラファルを貫き、ラファルに貫かれている。
「待ってたぜ日菜子」
笑う。
笑う。
無邪気に笑う。
日菜子は、走った。
「私の……」
その笑顔に向けて、走った。
全力で走った。
「……想い」
全力で走って。
全力で、床を蹴って、跳んだ。
「弄ぶな!」
炎のアウルが吹き上がり、爆裂弾のような足刀蹴りが炸裂する。
グーラーの頭が爆ぜた。
崩れ落ちるラファルを日菜子が抱きとめる。
重体というほどではない、息を切らして駆けつけたフーリが治療し、どうにか回復できた。
「立てるな?」
日菜子が立ち上がらせると、ラファルは少しだけ強く腰に手を回した。
「あと5秒」
「……駄目だ」
言うが早いが、日菜子はラファルの唇のすぐ隣にくちづけると、身を翻して通信を開いた。
一瞬あっけにとられたラファルだったが、早口に撃破報告をしている日菜子の後ろ姿を見て、にや〜っと笑った。
「本物のほうがはるかにいい女だぜ」
フーリが言った。
「イエデヤレ」
中庭の見える廊下で向き合う、ねずみとグール。
この戦、ねずみには文字通り全て見えていた。
「残るはおぬし一匹」
アサルトライフルを構え……まさかの斬撃。
変移抜刀術・咬切。ライフルの一部が刀身となって、グールを切り裂いたのだ。
急所こそ庇ったものの、グールの腕は切断された。
「今宵の月刺丸は手入れほやほやでござる。その鋭き刀傷、ここの湯でも癒えはすまいよ……とか言ってたら生えたー」
自分でノリツッコミである。
「えーえー分かってましたとも」
ブツブツ言いながら、もう一撃、今度は足に。グールは胴体こそ庇うが、最初から手足を狙うとまるで無防備に食らってくれる。手足を切り続けて時間を稼ぐ戦法は実に有効だった。
せいぜい2、3分も稼げば良い。
やがて仲間たちが到着し、最後のグールは集中砲火を浴びることになった。
最後の一体を倒し、撃退士たちが一息ついた、その時。
悲鳴があがった。
ただし危機的なものではない。
「こ、こっちを見るなっ! 見るなって!」
うっかりタオルが緩んでしまった日菜子が、皆の只中で直すこともできず、身体を丸めて必死に隠していた。
ちなみにフーリは、ちゃっかりラズリの浴衣をかぶっていた。おかげでラズリはステテコと腹巻きのみの下町姿。
「落ち着けよヒナちゃん、このシーツ使うか?」
「ばかっ! あんたはそれをとるなっ!」
平然と脱ぎ出すラファルに、むしろ男性陣が気まずく……なる者はほとんどいなかった。あっさり脱がれるとあっさり受け入れてしまうものである。『平坦』だし。
館内を確認したところ、グールたちの死体は消え去ってくれたので掃除の心配はなく、宿の損害も最低限に抑えられた。
そんな和やかな空気が流れる中、未だ外を気にする者もいた。
外、正確には山の方角を気にしていた、彼らのもとへ。
声がかかった。
「人形は全部壊した?」
黒と、白の翼が、そこに。
いったい、いつからそこに。
誰にも分からぬうちに、女が、いた。
「とりあえず6体」
ジェンティアンは、問いが予想されていたかのように答えた。
そう、と女は頷いた。
「……あなたは誰?」
聖羅は油断なく女を見据える。
「どうでもいいじゃない」
何となく予想できた応え。
リアンが言う。
「差し支えなければで結構ですが」
「ザバーニーヤ」
どうでも良いと言下に語る即答だった。
「もう良いわ、任務には要らないし」
言って、女は翼を広げた。
白地に黒なのか、黒地に白か、一見してわかりづらいまだらの翼。
気が付くと、そこには二枚の羽。
黒と、白。二枚の羽だけを残して、現れたのと同じく、唐突に消えた。そんな退場だった。
ラズリは湯を顔に浴びせ、息をついた。
「ザバーニーヤ……」
呟きは、湯煙に紛れてしまう。
空には星。
地上には湯気と、笑い声。
混浴のほうから呼ぶ声がして、ラズリは立ち上がった。
傷だらけの身体が白い湯を割って現れ、湯煙の向こうへ消えていった。