●ゆめ
……誰?
私を見ている。
私に語りかけてくる。
私に触れてくる。
背の高い、精緻な人形のような美しい女性……いや、少女。
モウすこシ、マっていて、まま。
その声。
ああ、その声……
モンダイないわ、ままのちぇっくは『でぃー』にもふぃーどばっくしてあるから、テがダせなかったとオモう。
サスガだ。
応える声は男性のもの。
他にも、いろいろな声がする。
ああ、良かった。
いっぱい友達ができたのですね……
●たたかい
無人のビルの一角、壁際に置かれたガラスの棺……いや、寝台。
三代目死人形マリス(jz0344)の母『プレザンス』の眠る寝台には、色とりどりの布がかけられている。
ただの黒布、華やかなストール、ゴシック系の上着など。万が一プレザンスが目覚めても凄惨な戦いの場を見せないようにという配慮もあるが、はなむけのようにも見えた。
聖骸布のようだと思いかけて、角河トホル(jz0314)は首を振った。
その言葉は北條 茉祐子(
jb9584)の思いに反する。怒りのあまり表情を消してしまった少女は、決して棺という言葉を使おうとしなかった。
プレザンスは生きている。
その娘が、守っている。
そしてその周りには、さらに頼もしい仲間たちが控えていた。
「気休めになればいいケドよ」
ヤナギ・エリューナク(
ja0006)はベースネックを撫でるように寝台に触れ、結界を張った。
「いたいのいたいの……とんでかない?」
柘榴姫(
jb7286)が治療の術を遣い、
「子供はね、もっと大人に頼っても良いんですよ」
師匠の神雷(
jb6374)はマリスの頭を撫でてから、迎撃に向かった。
そんな風に優しくしてくれない仲間もいた。
「答えは前に聞いた。でも嬢ちゃんなら俺の言いたいことは分かるはずや」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は、それきりマリスとは喋らなかった。
「マリスさん、お母様に、声をかけてあげてください」
華桜りりか(
jb6883)の言葉も充分に厳しい。
しかし、寝台にもたれ座り込んでいるマリスは微笑んだ。わたしにも出来ることがあるんだと。
「……」
本物の守護を見せつけられた気がして、トホルは目を逸らした。いつもひとりで戦っていたせいで、どう守れば良いのか分からない。自分に来る攻撃ならいくらでも捌いてみせるのだが。
「ごめんなさい、巻き込んでしまって」
マリスが力なく言うのを、仲間たちはそれぞれ否定する。
「自分で決めたことですので」
イリン・フーダット(
jb2959)はいつもの応え。
「これはもうボクらの戦いでもあるんだよ」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)も笑って否定した。
調査用の妖精ディアボロ『ディー』に記録されていた情報から、今回の敵がどんな相手かよく分かっている。
攻撃・遊撃班が出て行ってしばらく。
「始まった模様です」
御堂・玲獅(
ja0388)が告げた。
玲獅は、イリンの要請を受けて駆けつけてくれた強力な助っ人だ。トホルは恐縮し、マリスはそれ以上に悩んだが、仲間の仲間は、やはり仲間だ。玲獅は当然のこととして助力を請け負った。彼女の治療スキルはメンバーでも随一だ。
空気が変わった。
戦いの気配は急激に膨れ上がり、速度を増して迫ってきた。
それはあまりにも、早かった。
マリスを守る、それが最優先事項。だから敵を近づかせないのが最善手。
敵は一直線に標的、マリス目掛けて飛んだ。
建物の合間を縫うように。
そこに、茉祐子の弓とイリンのライフルが降り注ぎ、速度が鈍る。
射撃の雨は、それだけで敵の動きを止めるようなものではなかったが、さらに茉祐子の阻霊符が建物を障害物へと変えていた。人間界に馴染んでいない天魔がこれに戸惑うのは珍しくない。
護衛側にいたジェラルドが飛び出し、ゼロが食らいつく。
一瞬遅れて、敵『ミゼル』の放つ風の刃と熱線の乱舞が吹き荒れた。苦し紛れの攻撃だ、りりかの守護がマリスたちを守りぬく。
「思った以上に元気な子だね、お相手は慎重に」
トホルの通信が皆に届く。
(ここで止める)
茉祐子の瞳が、アウルとは関係なく、灼熱の色に染まっていた。
よくも、マリスを。
こんな奴が。
淡紅藤の翅を拡げ、怒りに燃える目でアウルを開放。周囲の植物へ気力を送り込み、手足のごとく武器のごとく、敵へ叩きつける。
敵……
マリス=ミゼル……
血塗れのその姿は、彼女に良く似て。
(あ……)
当たった。
でも、反撃が躱せない。
「!!」
既の所で、同じく空中から接敵していたイリンが防ぐ。
「上から抑えましょう、飛ばれたままでは危険です」
「……はい」
冷静な声に、やや落ち着きを取り戻す茉祐子。
通信を聞く保護者は、小さくため息をついた。
「どうも頭に血が上っているようで……ご迷惑を」
「いえ、イリン君はよくやってますよ」
頭を下げる玲獅に、トホルも礼を返した。
「らしくない」
笑顔のままジェラルドも銃弾を放つ。得意のワイヤーでは届かない。
凶鳥の輝きを閃かせ、ゼロが無言で距離を詰める。
「一番らしくねえのはアイツだけどな」
壁を垂直に駆け上りながら、霞のように揺らめく弓に雷の矢をつがえ、ヤナギが呟く。「戦闘中にギャグ言うキャラじゃねえだろ」
そういう意味では、ほとんど全員が『らしからぬ』動きだった。
●むかしむかし
冷静さを失ったら勝てない、とか、マンガだと言うだろ?
……トホルは戦いを教える時、必ず最初に言う。
あれは嘘だ。
そもそも冷静なら戦いを避けようとする。
戦うときは誰だって興奮する、身体的にも精神的にも。
興奮しながら正しい判断をしろ。
大切なのは、平常心。
……そういう意味では、神雷はこの時、どうだったのか。
間違いなく冷静ではなかったのだが。
着物の裾をはだけさせ、大鉈と大包丁を振りかざし、夜叉のごとく襲い掛かる。
それでいて頭は冷めていた。
「竜嗤さんでしたか、お初にお目にかかります、金色夜叉と申します」
語りかけようと、思っていたわけではない。
ただ……なんとなく、思うことがあって。
「あなたのやり口は素晴らしいですね、とても悪魔らしいです」
言葉が口をついて出た。
「「フン」」
ミゼルは嘲笑った。少女の声に、幾人も重なっているような声だった。
斬撃のほとんどが弾かれ、返しの痛撃が神雷のみぞおちにめり込む。
「……」
吐血のせいで声もあげられず崩れ落ちた。
無論、戦っているのは神雷だけではないし、むしろゼロやジェラルドの斬撃こそ脅威であり、敵がそちらの対応に追われるために、神雷はとどめを免れた。
実力はわかってる、一人で何かできるとは思ってない。
でも、言っておきたかった、言ってやりたかった。
まるで昔の自分を見ている様で。
「……薄汚いドブの臭いがしますね」
やめなよ、そんなふうに、言うな。
振り返りそうになって、やめた。
彼はもういない。いたとして、そんなふうに言ってくれたかどうか。
「……」
けれど、痛みが引くのを感じて、さすがに振り返る。
玲獅だった。
トホルもいる。
「ここまで接近されちゃ、敵の位置がはっきりしてたほうが良い。立てるか?」
言って、トホルは乱暴に神雷を助け起こすのだった。
柘榴姫も駆けつける。
「すーみーれーちゃん、すてきなぱーてーしましょ」
戦神の力を借りた斬撃の舞がミゼルをわずかに後退させるが、決定打には成り得ない。
そのためミゼルの攻撃がわざわざ柘榴姫に向くことはなく……
「……?」
何の前触れもなく、柘榴姫の身体が炎に包まれた。
痛い、熱い、いやそれよりも、息ができない。
続く弾幕魔術に巻き込まれ、小さな身体はボロ布のように飛んだ。
もののついでの攻撃で、片付けられた。
イリンのカバーリングと、玲獅の癒しの風の範囲から外れていたら、助からなかったかもしれない。
危うい所で、柘榴姫は魂と意識を繋ぎ止めた。
それでもしばらく意識が飛んでいたらしい、気がついた時は、ビルの中、マリスの膝で寝ていた。
「大丈夫、です……?」
りりかが癒してくれたのだ。トホルに運ばれたのも、りりかから聞いた。柘榴姫は素直に礼を言った。
変に静かだ。
「……」
柘榴姫はマリスを見上げた。
「ぷりんちゃんは、すみれちゃん、きらい?」
「……」
唐突な質問、マリスは答えない。
けれども驚かない。
不思議の国の道案内は、白いうさぎの役目。
柘榴姫は続ける。
「わたしは、すきよ。だって、ぷりんちゃんだもの」
「……」
マリスは、頷く。
ミゼルは……あの子は、そのために作られた。
そのためだけに作られた。
すれみちゃんはぷりんちゃんのかわりをえんじてくれていた。
ぷりんちゃんのこころがこわれないように。
すみれちゃんはぷりんちゃん。
でもぷりんちゃんはぷりんちゃん。
柘榴姫の小さな額に、温かな雫が落ちる。
おかあさんと、むきあうのは、ぷりんちゃん。
おかあさんと、むきあえるのは、ぷりんちゃん。
だれも、たすけてはあげられないけど、みんながささえてくれるから。
「さぁゆうきをだして、まりーせちゃん」
すぐそこで爆音。
戦いのおと。
りりかが、マリスの手を握りしめた。
「マリスさん、今からどんなひどい出来事が起きるかわからないの……でもあたしたちはマリスさんの味方なの、です」
はっきりと告げる声の強さにも、マリスは驚かない。りりかは元来、こういう人なのだ。
「だから何をしても、何が起こっても……信じてほしいの」
「りりか」
手を握ったまま、マリスは身を起こす。
「おねえちゃん」
もう片方の手を柘榴姫が握ってくれた。
背中には、ガラスの寝台が。
……支えられて、マリスは立ち上がった。
「行ってきます」
●いまから、みらい
「こっちを見るな目障りだ。呼吸をするな息が臭い。存在するな価値がない」
どす黒い憎悪を燃やし、平常心で戦う。
いつものことだ、だからゼロの動きにブレはない。
圧倒的な機動性で飛び回り、攻撃し、躱し、まとわりつき、離れ……一人で幾通りもの仕事をやってのける。
ミゼルは前進を阻まれた。
もちろんその場に居座って破壊を振りまくミゼルは充分に脅威なのだが、マリスやプレザンスを狙われる心配がないぶんイリンのカバーリングは楽になるし、地上にいてくれれば包囲しやすくなる。
同じく遊撃で前進を阻む、ヤナギ。
雷を纏う矢、影の手裏剣で注意をひき、壁面を走って、アウルの壁(畳にも見えるが)で攻撃を逸らす。
ミゼルは羽虫に怒る獣のように弾幕魔術を連発する。
範囲は広いが薄い、イリンに防げぬほどではない。
功労を重ねながらも、ヤナギの表情は暗い。
「マリスを護るにゃミゼルを倒さなきゃなんねえ」
勝っても負けても、結局はうしなう。
同じ気持ちを載せた矢が別方向、上空からミゼルを穿った。
「……」
茉祐子だ。能面のようになっている表情に、鋭い怒りが滲む。
「んー、なるほど、適度に邪悪♪」
ジェラルドの笑みは変わらない。ワイヤーの鋭さ、精密さもいつも通りだ。
赤黒いアウルを引きずりながら逃げ水のように動き、確実に敵を削ってゆく。ついにそのワイヤーが、狙っていた方向から絡みついた。
動きを鈍らせたのはわずかな間、一対一ならさほどの隙でもなかったかもしれない。
だが彼は、彼らはそれを待っていた。
「その一瞬を俺が逃すと思ったか?」
無情な黒い大鎌が真下から突き上がり、少女の股間から口元までを一気に串刺しにした。
誰がどう見ても致命傷だが、少女ミゼルはぎろりと大鎌を、持ち主のゼロを、睨む。
「て、めぇ……シュ、ヴァイツァ……」
破けた喉から辛うじて漏れる声は、少女のもの。
「喋るな耳が腐る。ジョーク野郎と話すことはねぇよ」
ゼロが大鎌を引き抜くと同時に、矢が、刃が、銃弾が、ありとあらゆる形のアウルが、囚われの少女をズタズタにした。
ワイヤーが引かれる。
寸前。
「それです、異質なものがそこに」
イリンが言った。冥魔認識のある彼には、最初から見えていた。
何かが潜んでいる。
ミゼルの胎内に。
「命を宿す、か。冒涜的だね」
つまらなそうなジェラルドの言葉に合わせるように、ゼロの大鎌が再び翻り、ミゼルの下腹部に突き立った。
ずるりと這い出たのは……腕だろうか?
オ、オ、オオオオオオ……
爆炎。
咄嗟にイリンが受け止めるが、再生の力がなければ彼とて耐え切れなかっただろう。
続いて、地響きのような声。
それがミゼルの口からだと分かったのは、全員が大きく距離をとってからだ。
ミゼルはまだ倒れていない。
叫んでいる。
呼んでいる。
マ、マ……!
声なき声。
傷ついたあの声帯では声など出せない。
……ママ……!!
それは何だったのだろう。
竜嗤の仕掛けた悪あがきか。
それとも。
答えを知る者はいなくて良い。
応えた者にすら、分からなかったのかもしれないのだから。
「ミゼル」
現れた女性に、ミゼルは向き直る。
口が、どうにか動いた。
マ、マ……
「ごめんね、ミゼル」
ママと呼ばれた、マリス=プレザンスは、ミゼルへと歩みよる。
見守る仲間に緊張が走った。イリンの翼が輝き、ジェラルドの手からワイヤーが垂れる。
それでも、マリスは歩む。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
ママ。
ミゼルは動こうとした。
動かなかった。
損傷のせいなのだろう、きっと。
でも……
「必ずまた逢えるわ、それまで、おやすみ」
マリスに抱きしめられたミゼルが、最後に微笑んだように見えたのは、きっとトホルだけではなかったはずだ。
「ま、人形が勝手に動くわけがないし、笑わせたのはマリスだろう。無意識に操ったんだ」
「可愛くないですねえ、素直に愛の力とは考えないんですか?」
「おじさん、はんこーき?」
そんなふうに醒めた解説をしたオジサンが、師弟から非難を浴びたのは後のお話。
●つづく
ビル一つ半壊、道路には大穴が2つ。
折れた電柱5本に信号機が4機。
それだけで済んだ。
まだ、今のところは。
「爆炎に紛れるとか、古くせえにもホドがあんぜ」
言って、鬼道忍軍のヤナギはタバコに火をつけた。一本吸い終わる時間もなさそうだが、気分転換だ。
「怪我した人、います、です……」
りりかを筆頭に、治療スキルをもつメンバーが仲間の傷を癒してゆく。
その片隅で、壁にもたれているマリスに、柘榴姫が言った。
「またつくればいいよね?」
「ええ」
マリスははっきりと頷いた。「でもあの子、おねえちゃんのこと、おばさんって呼ぶかもね」
それを微笑ましく見守っていた神雷は、その笑顔のまま、瞳の温度を消し去って、別の方向を見据えた。
「次はお前の番ですよ」
やってみろゴミクズ。
声が響いた。
五つくらいの口から発せられた声に、聞こえた。