●罪
なぜ戦いになるのだろうか。
関東某所にある再犯長期受刑者収容施設に集まった撃退士たちは、静かに作戦を進めていた。
しかし、敵も黙って見ているわけではないだろう。
いや、黙って見ているだけかもしれない、今のところは。
「逃げられました」
北條 茉祐子(
jb9584)は淡々と通信機器に報告した。
一同は一階のロビーに集合する。
「さすがに厄介やな、ディーの能力は」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は腕を組んだ。その危険性を最も主張していたのは彼だ。
悪魔『死人形』の一族は、『人形』と呼ばれる特殊なディアボロ作製で有名だ。一般的なディアボロよりかなり特殊な行動を可能とする。
中でもマリス=P・ピュッペントート・ドライセンの作品『ディー』は、戦闘能力がほとんど無い代わりに、姿を消したり気配を消したりできる、調査・通信用の、妖精のような『人形』だ。軽く小さなボディは必要エネルギーを軽減し、弱いゲートからでも召喚・送還を可能とする。
そのディーが、何度か収容所に接近した。だが、発見に気づくなり姿を晦ましてしまう。速度に差があるわけではない、かなり遠くから収容所の様子を窺うだけなのだ。
「手の内がバレたかな」
特に慌てる様子もなく、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)はロビーから窓を見た。ただただ広い、閑散とした空間。その向こうに長く、高い壁。
だが天魔には全くの無意味だ。
「キミがマリスちゃんだったとして、逃げる大量の護送車を見たらどうするかな?」
ジェラルドは角河トホルを見た。
長椅子に座っていたトホルは、ぼんやりした顔で立ち上がると、
「すまんが、わからん。殴り合いになったら挽回する」
そう答えてその場を立ち去った。
この任務について以来、ずっとあんな調子だった。
それも含めて、この作戦には、暗雲が立ち込めていた。
まずは囚人たちの異動についてだ。
「最低でも一ヶ月はかかる」
刑務官が辛そうに言った。アウル能力のある雇われ護衛たちではない、通常の、長年ここに務める刑務官の面々だ。彼らは揃って首を振った。
法律の問題ばかりではない。
「囚人と言っても全員処遇が違う」
薬物を使用していたので未だ治療中の者がいる。
犯罪組織に関わっていた者がいる。
自殺願望のある者がいる。
模範囚に見えて危険視されている者もいる。
あと数ヶ月で出られる者がいる。
外で家族が待っているという者もいる。
人間は千差万別だ、右から左に動かせるものではない。
「受け入れ先も簡単には見つからない」
日本全国で、男性用の再犯長期受刑者の施設は20に満たない。北は北海道から南は沖縄を含んでの話だ。
この施設の囚人は400名以上。それだけ車と、運転手の手配も必要だ。
その全てに無茶を言って、数日で動かせるようにした。撃退士の権限を使ってもギリギリの行為だ。
「ぷりんちゃん、いつくるの?」
柘榴姫(
jb7286)はマリスをそう呼ぶ。
遊びに来る友人を待つように訊ねる柘榴姫に、神雷(
jb6374)は微笑みを返す。
「来るとしたら、こちらが最も大変な時……護送するその時でしょうね」
皆、予感はあった。
逃れられないのだという予感と、それに立ち向かう覚悟があった。
「マリスさんとたたかうの……です?」
華桜りりか(
jb6883)が呟いた。
誰も応えなかった。
戦うと決めている者に、いまさら応える意味はない。
決めかねている者に、答えは用意できていない。
だから誰も、何も言わなかった。
屋上で、イリン・フーダット(
jb2959)は四方に目を光らせていた。翼があり、冥魔認識の能力もある。彼とゼロが索敵の要だ。
今はひとり、見張りながら、考えている。
先日、所長と話をする機会があり、訊ねてみた。
「私は法律に詳しくないですが、今までに被害者や遺族が満足した量刑というのはあるんですか?」
所長は寂しそうに笑った。
「恐らく、無いでしょう」
それがどんなに小さな犯罪であれ、感情は害され、時間は奪われる。失われた金品などが全てかえってきたとしてもだ。
犯人に支払い能力がなかったら、金品はかえらない。
そして、命は、誰が何をしようと決してかえってこない。
「大切な人が殺されたら、私だって、犯人を許せないでしょう」
所長の答えに、イリンは頷いた。予想できたものだった。
けれどね、と所長は続けた。
もしも、自分の大切な人が……人を殺してしまったら。
「私は世界中の人に、命をかけてお願いするでしょう。どうか助けてやってください、死刑にしないでくださいと」
「……」
イリンは考えている。
正義がいかに曖昧なものか、よく知っているつもりだった。
だが悪というものも……犯罪という誰もが認める善悪の基準ですら、主観によって変わってしまうものなのか。
(例えば私の、大切な人が、罪を犯したとして)
自分ならどうするのか。
「囚人を襲う……か」
広い屋上の別の一角では、ヤナギ・エリューナク(
ja0006)が紫煙をくゆらせている。
隣にはトホルがいる。火の消えたティン・シガーにもう一度ライターを当てるも、火がつかない。
「おい、トホル」
振り向いたトホルにライターをかざしながら、ヤナギは笑う。「お前さんの影響か? ありゃ」
トホルも、疲れたように笑った。
●告
いつから戦いは始まったのだろうか。
その日、囚人の護送は速やかに行われた。
綿密に計画を進め、いざ実行となれば後は段取りのままに進んだ。
手配された大型護送車に40人ずつ、中庭に整列し、順番に移動して、素早く乗り込んで、発車。
半分ほども進んだ頃だろうか。
マリスが現れた。
空からだ。
戦闘用の『人形』である巨人ゴリアットを中庭に放り込み、自身は屋上に着地した。
「きゃはァ、そうこないとねェ……元気な子は大好きよォ」
黒百合(
ja0422)が声を上げた。
撃退士たちはそれぞれに対応する。
「ディーを発見、追います」
「俺も行く」
イリンとゼロが飛ぶ。ディーをとらえられるとしたらこの二人だろう。
ディーは慌てたように逃げ回った。もちろん『人形』に感情など無いから、そう見えるだけだろうが。
囚人の対応も問題はない。
目を離せる状況ではないが、逆に言えば目を離さなければ良い。柘榴姫と茉祐子も護送には同行する。
それを確認し、ジェラルドは身を翻して屋上を目指した。
ゴリアットには神雷と黒百合が向かった。
トホルもそれを追いかけようとして、呼び止められた。
「マリスさんの所へ行って下さい……です」
りりかだった。
明確な理由があっての進言ではない。だが、りりかは賢く、敏感な心を持っている。その心が動いたのだ。
「トホルさんが行くべきなの……」
「……」
トホルは、頷けない。
「何やってんだ、行こうぜ」
その背に、別の方向から声がかかった。
ヤナギがいた。トホルが振り向いた時には、もう走りだしていた。
トホルはりりかへ向き直り、頷くと、身を翻して駆け出した。
屋上へ。
広すぎるほど広い、殺風景な中庭で、神雷と黒百合はゴリアットと向き合っていた。
新調は3メートルほど。甲冑に覆われた、というより巨大な甲冑が、巨大な剣を担いでいるような姿。
ひと目で分かる。
強い。
「ちょっとお訊ねしますが」
唐突に、神雷は口を開いた。
「あの子に対して、これからどうやって接したら良いと思います?」
ゴリアットに向けてだ。
無論、返答はない。この『人形』は喋れない。
気にせず、神雷は語りかける。
「ご主人様はもう少し大人に甘える事を覚えた方が良いですねぇ」
「永遠の十四歳じゃなかったの?」
マリスは呟いた。
見た目通りの年ではないのだろうと思っているが、はっきり聞いたことはない。まあ、わざとらしく子供ぶっているのは確認するまでもないが。
『人形』を通して、マリスは神雷の声を聞いていた。
やがて、屋上にやってくる足音が聞こえた。
誰だろう。
目を閉じて、待つ。
「囚人なら、罪悪感少なく連れて行けると思ったのかな」
ああ、彼か。
振り向いたマリスが見たのは、悪意なく、嫌味もなく微笑んでいるジェラルド。
「ええ」
頷くマリスに、ジェラルドも頷く。
「概ね同意だがね。法というモノは守らせるものであって、守る事が必ずしも善ではない」
それは人間も天魔も変わらないのだろうか。
だが、マリスにはそれを悲しんだり、怒ったりする余裕が無い。
そしてジェラルドは、余裕があっても、いちいちそれを悲しんだり怒ったりしない。
「弱者に力で犯罪行為をした人間を、それを上回る力で押さえつける。不都合だらけさ! でも、正義とやらはそういうモノらしい」
マリスは、全員に聞かなければならない問を口にする。一人目はジェラルドだ。
「では、どうしてあなたは邪魔をするの?」
「たぶんキミが間違っているからだ」
普通に、ジェラルドは言った。
「あなたは正してくれるのね」
マリスは微笑んだ。「でも、もう結論は出ているわ」
「それなら仕方ねえな」
そこに、新たな声がかけられた。
ヤナギだった。少し後ろに、トホルもいた。
敵が増えて、マリスはなぜか安心したように笑う。
「まだ来るの?」
「来るさ」
答えたのはトホルだ、例によって嫌な言い方をする。「あんたの邪魔をしに、ここへ来る」
ついでだ、マリスは問うことにした。
「どうして邪魔をするの?」
「……」
トホルは応えなかった。
ヤナギは、はっきりと答えた。
「もう一度あの歌を聴くためだ」
彼には理由があった。はっきりと、何よりも自分のための、こうでなくてはならない理由があった。
「……」
マリスは口を開き……何も言えなかった。
「炎となれ、凍える夜の吹雪の中……」
一節を口ずさみ、ヤナギは力強く笑う。「歌や音楽ってェのは魂の色音だ……お前の魂は、強い」
泣きそうなマリスに向けて。
「逆境の中、強き者であろうとするお前の声、今でも忘れられねェゼ」
ヤナギの言葉は、トホルとジェラルドの心にも、あの時の歌声を思い起こさせた。
そうだ、あれは……
……楽しかった。
「それじゃ、お互いに、お互いが護る者の為に……あ、そだ」
今までとは違う感じに、ヤナギは笑った。
「イリンがよ『私は私の務めを果たします』だと。何か似てるよな、お前ら」
「こちらイリン、ロストしました、申し訳ありません」
外壁を背に翼を羽ばたかせながら、視線だけは油断なく、イリンは通信を送る。
「了解。あかんなぁ、もうちょいマジに狙うべきやったか」
ゼロの声に、珍しく焦りがある。
ディーの行動が不可解すぎる。こちらを挑発するように付かず離れず飛び回り、何もしない。
いや、ああやってこちらの分散を誘っているのか?
(……ディー、お前にも事情があるんやろ? やから何も聞かん。やるからにはとことん行くで?)
そこに、茉祐子からの通信が飛び込んできた。
護送車に乗り込む時、茉祐子は空にディーを見つけ、すぐさま報告した。
「発見しました、入り口から二階部分です」
ゼロとイリンが文字通り飛んでくる、それまでの数秒間。
ディーは茉祐子を見ていた。
「……マリス?」
茉祐子は、ディーの向こうにマリスを見た。
だから言った。
「私にも守りたいものがある」
届かなくても良い。ディーは見聞きしたものをただ主人に伝えるだろう。それを見て、マリスが何かを感じてくれれば。
けれども。
「それはそんなに大事なの?」
「!?」
声が聞こえた気がして、茉祐子は息を呑んだ。
ゼロたちの接近を感じたのか、ディーは飛び去ってしまった。
「おじさん、あやとり」
手近な囚人に声をかける柘榴姫。その手には肉を切り裂く金属製の糸がある。
囚人は恐れ慄いて身を引いた。
退屈だ。柘榴姫はワイヤーを仕舞い、シートに身を投げだして虫取り網をいじった。ディー捕縛用だ、阻霊符と一緒に用意した。
車が動き出す。
「やくそくをやぶる、わるいこはめっってするわ」
鉄格子のはまった車窓から、収容所を眺める。屋上では、もう戦いが始まっているだろうか。
ふと、声が聞こえた気がした。
「ごめんね、おねえちゃん」
その声は透き通って聞こえた。
悔いは欠片もなかった。けれど、心から悲しんでいる声だった。
……どうしたの?
柘榴姫は鉄格子に指をかけ、空を見上げた。
なにがかなしいの?
やくそくやぶったのがかなしいの?
「かなしいときは、たすけてっていえばいいわ」
柘榴姫は少し考えて、車を飛び降りた。
●犯
どうやったら戦いは終わるのだろうか。
中庭にりりかが駆けつけると、くの字になった神雷が足元に飛ばされてきた。
慌てて駆け寄り、治療のアウルを使う。
「だ、大丈夫、です?」
「助かります」
普段と変わらぬ笑みを浮かべる神雷だが、普段通りなら戦闘中は面をつけているはずだ。どこかに飛ばされたらしい。
黒百合も神雷も、二人でゴリアットを倒せるとは思っていない。そのため無茶な攻めはせず、防戦に努めていた。それでもこの有り様だ。
りりかは『霞声』を活性化させた。
「マリスさん、ここは引いて下さい……です。もうここにはあたし達以外に誰もいないの」
りりかの声は、間違いなくマリスへと届いた。
ゴリアットは動きを止めていた。
「……向かってくるというなら、あたしは『戦う』しかないの……」
『私だって、戦うしかないわ』
突然の声にも、りりかは驚かなかった。
「でも、あたしは……一緒の時を過ごしたマリスさんとたたかいたくないの!」
りりかの心の叫びにも、マリスの声は揺れない。
『私だって、戦いたくないわ』
透き通るような声。
一片も飾らない、本当の心の声。
思いと言葉は本物なのに……構えられた剣が戦いを始めてしまう。
ゴリアットが動く。
それより早く黒百合が動く。
「可愛がってあげるわァ、人形の如くねェ」
口元から特殊ウィルスを吹き付け、白銀の槍を翻す。
ゴリアットの巨剣が舞い踊り、戦慄の旋風が唸りを上げる。
怪物めいた戦法には、怪物めいた戦法が返ってくる。
『貰った人形、可愛がってるわ』
「ほんとォ? 嬉しいわァ」
低い踏み込み。小柄な黒百合からすれば、ゴリアットの巨体は、はるかに見上げる高さ。
その向こうに……屋上。
『雷光砲』と名づけた必殺の一撃が、黒百合の手のひらから迸った。逆しまに奔るいかづちが、ゴリアットを通し、屋上のマリスまで捉える。
返礼のように渦巻く巨剣。
辛くもそれを躱す黒百合へ、さらにマリスから本物の返礼が届いた。
真空の刃に包まれ、黒百合は全身から血を吹き上げる。
『お返し、考えてるからね』
「きゃはァ、楽しみにしてるわァ」
黒百合は笑う。
きっとマリスも笑っているから。
「プリンちゃんはバカですねぇ」
肋骨の痛みを庇いながら、両手の二刀を必死に操る神雷。
(助けてあげたくなるじゃないですか)
助けが必要なのはどちらなのかと誰かが言うかもしれない。けれども神雷は笑って応える。「私はもう助けてもらいましたから」と。
りりかも、戦になれば、身体は動いてしまう。
「……」
泣きそうな顔で、しかし符を操る指に迷いはなく、陰陽の術を導く口訣に淀みはない。
誰も、『人形』と戦っているつもりはない。
その向こうにマリスがいるのだ。
三対一のはずだ、それは間違いない。
けれど、三人は包囲されていた。
Artillerist……砲兵と名付けられた、弓や鉄砲を構えた小柄な『人形』の群れ。
小さいが、れっきとした武装集団、というより、マリスが意のままに操る武器だった。
「仕掛けるの、早かったかな?」
危機感なくぼやくジェラルドに、同じような調子でヤナギが応える。
「そうでもないだろ」
マリスの魔術と『人形』による波状攻撃は、じわじわと戦力を奪いに来る。一気に仕掛けて勝負を決めたほうが良い。
撃退士たちは互いに背をかばいながら、マリスと向き合っている。
「やりづらいよなあ」
呟くトホルに、ジェラルドは「あ、やっぱり」と背中越しに声をかける。
「師匠的に?」
「え? いやそうじゃなくて人形の」
「ぶっちゃけそうだろ」
ヤナギも加わる。「トホル、動きが悪ぃぜ」
「そーそー、いつもの皮肉もなんか情感がないし」
「情感て何だよ、まあジェリーは意味不明だけど、動き悪いのはあっちも一緒だぜ?」
「マリスちゃんのこと?」
「ああ、もっと動けるはずだがなあ」
「固くなってんだろ、仕方ねえよ」
「可愛いとこあるねぇ」
「あなたたちねえ!」
ついにマリスが声をあげた。
「もう少し小声で喋りなさい! やる気あるの!?」
三人は背中合わせに顔を見合わせる。
「つっても小声で話す内容か?」
「だよねー、作戦とかじゃないし」
「えっちな話でもないし」
「「「なぁ?」」」
爆炎と砲火が三人を包み込んだ。
寸前に、空気が裂けるような音を残し、三人の姿が消える。
この三人に共通するのは、足音の無さだ。
接近戦を身上とするトホルが摺足とは思えぬ速度でマリスへ肉薄する。
マリスは『砲兵』を盾に後退……そこにジェラルドのワイヤー……を、わざと遅らせて、フェンスを垂直に駆け上がったヤナギが、『地面と平行に飛び上がり』マリスの頭上をとる。
「!!」
迅雷の如き速攻を、マリスは必死に躱した。だが追いかけるように伸びてきたジェラルドのワイヤーにつかまった。
「学園ナンバーワン縄師ですから」
甘い夢に囚われた少女を、ジェラルドは『優しく』縛り上げた。悪魔で無かったらバラバラに切断されていただろう。
マリスは真っ赤になりながら、悔しそうに言った。
「えっちな話じゃないって……言ったくせに……」
「経験だよナニゴトも」
「発言が真性じゃねえか」「ジェリー、まだ昼だ」
わりと駄目な会話内容ほど、余裕はない。戦いが始まってからずっと、マリスの魔術や『人形』たちの砲火で削られ、ダメージは蓄積している。
ここで一気に決めなくては……そんな焦りすらあった。
ジェラルドの抑えが効いているうちにと、トホルとヤナギは別方向からそれぞれの最大の一撃を仕掛ける。
次の瞬間、全員の視界が真っ白になった。
良くないことが起こると誰もが感じた。
その通りになった。
ジェラルドは一呼吸ほど意識を失っていた。覚醒すると同時に敵から飛び退り……気づく。
追撃がない、いや、それどころか敵意が消えている。
「……」
足音がした。
トホルだ、普段から足音のしない彼にしては珍しく、音をたててヤナギに駆け寄る。
ヤナギはフェンスにもたれ座り込んでいて、トホルの手には腕がある……
……腕?
ヤナギの腕だ。
「……よし、繋がった」
祈るような気持ちで集中した結果、トホルはヤナギの腕を繋ぐことに成功した。切断面が綺麗だったのが幸いした。無論、しばらく動かすことはできないが。
「悪いな」
「お前のベースが聞けなくなったら嫌だからさ」
トホルはヤナギに笑いかけ、それから立ち上がり、ジェラルドを見た。
「大丈夫か?」
「へーきへ−き」
あと一発、同じの食らったらヤバイけどね……ジェラルドは心の中で付け加える。
そして、この場にはもう一人。
「……」
マリスは、震えていた。
両手で口元を覆い、涙をこぼし、震えていた。
わかっていたことだ。
誰もがそう思った。
本当に、この場の誰もがそう思った。
これはそういう戦いだと、始まる前から分かっていたのだ。
「だからヤだったんだ」
トホルは言った。
子供っぽい口調だった。
暗い声だった。
サメのような瞳だった。
それ以外は全くの無表情だった。
きっと、ナルシストな彼が、最も嫌う自分自身の部分だった。
ゆっくりとマリスを振り向いた。
マリスは震える膝を動かして、後ずさった。
トホルはブツブツと言った。
「いろいろだ、いろいろあったさ。何かもうみんな僕だって、皆だって、あんのは分かってんだよ。でもヤだった、やりたくなかった、でも」
瞬きもせずにマリスを見つめて……
「理由がはっきりできた。お前は、友達を傷つけた」
空気が軋むような悪意を、トホルは吐き出した。
マリスは首を振った。
駄々っ子のように首を振った。
「……」
ジェラルドの口元から、そして瞳から、笑みはとっくに消えている。
……じゃらりと、鎖の鳴る音がした。
●罰
戦いはいつまで続くのだろうか。
追跡の末、イリンとゼロはどうにかディーの捕獲に成功した。二人とも翼を持ち、物質透過が可能なことが決め手となった。途中で阻霊符を解除したのだ。
狭い空間の多いここで小柄なディーを捕えるのは至難の業だが、物質透過できれば条件は五分になる。
「でー、めっっなのね」
……柘榴姫はあまり役に立たなかった。
「強敵やったな」
「ええ」
冗談でも皮肉でもなく、この小さな妖精は、戦闘力を全く使わずに、二人の撃退士を無力化していたのだ。
これが作戦だとしたら大したものだが、本当の狙いは何だったのだろうか?
イリンは、その手に握りしめたディーに向けて、真摯に語りかけた。
「貴方にも役目があるでしょうが、私もこの施設を護る盾の務めを果たします」
そう、悩むのは後だ。戦いは続いている。
「……ディーを確保した」
ゼロは通信機に向け、それだけ言った。
「でーはおるすばんね」
柘榴姫は用意していた鳥籠にディーを入れ、阻霊符を使った。これでディーの自力脱出は不可能だ。
そして、三人は次の戦場へ向かった。
嫌な予感は消えない。
ディーはチカチカと目を光らせていた。
「あはァ、まだまだイケるのぉ? 素敵ィ!」
黒百合はズタズタの魔装を翻し、笑う。
ゴリアットの撃剣は衰えを知らず、むしろ苛烈さを増している。
「黒百合様はお元気ですねぇ」
「ほらぁ神雷ちゃんもぉ、こんな固くておっきぃの滅多にないでしょぉ?」
「そうですねぇ、もうちょっと楽しみたいです」
二人とも、言葉ほどには余裕が無い。
「次の……術、です」
額に汗を浮かべるりりかが最も素直な反応だ。治療のスキルがそろそろ尽きようとしてる。
それでも少女たちは退かない。
敵の生気を吸い取るかのように、活き活きと瞳を輝かす黒百合。
面を飛ばされたことを忘れるほどに、集中を高める神雷。
自分にできる全てのちからで、仲間を支えるりりか。
「おっきいのね」
普通に混ざってくる柘榴姫。
少女たちは自分を見失うこと無く、強敵に挑み続ける。
強敵の名は、運命。
トホルはあっさりと自分を見失った。
ああくそ。
嫌だ。嫌だ。
誰か止めてくれ。
でも止まらない。
攻撃せずにはいられない。
何もかも、もう滅茶苦茶にしたい。
それなら……
最初にやるのは、こいつだ。
震えて、僕を見上げているちっぽけな女。
そいつ目掛けて、型も何もない、力任せに振り上げた拳。
これで、もう、何もかもおしまいにしてやる……
音がした。
色んな音だ。
腕に巻き付く鎖の音、腰に巻き付くワイヤーの音、拳を受け止めた翼の音。
そして。
口から漏れた、笑い声。
「おかしいだろ」
「そうか?」
「なんで止めんのよ、仲間の攻撃を」
「止めて欲しいんやろ」
「……」
トホルは笑う。
ヤナギに向けて、ジェラルドに向けて、イリンに向けて、ゼロに向けて。
そして。
怯えてうずくまっているマリスに向けて。
「余計なことをしました」
イリンが生真面目に頭を下げる。「外れていました、今のは」
「いや、あんたが止めんかったら屋上に穴ぁあいとったで」
ゼロが言う。
トホルは頭を掻いて、振り返る。
「無茶するなよ」
「無茶させんなよ」
座り込んだまま器用に片手で鎖鎌を放ったヤナギは、そう言って笑った。
ヤナギはトホルの肩を貸り、マリスの元へ歩み寄った。
「……」
怯えた目で見上げるマリスに、
「探したんだゼ、これ」
ヤナギが差し出したのは、梅の花。
花言葉は「高潔」「厳しい美しさ」など。
そして西洋における花言葉は……
Keep your promise(約束を忘れない)
呆然と受け取るマリスに向け、ヤナギは言う。
「俺は……俺達はお前を傷付けたくない。だけど、俺もお前も退けねェ。なら、どうする?」
「……」
マリスは梅を掻き抱き、目を閉じた。いい香りがした。
眼を開くと、涙がこぼれた。
「戦うわ、そのために、来たのだから」
ただで手に入るとは思っていない。
でも、大事なもののためだから。
皆、頷いた。
絶望にも似た悲しさがあった。
見れば分かる、マリスは泣いているではないか。
けれども。
なぜだろう、そこには奇妙な、爽やかなものがあった。
「向かってくるなら、容赦はせん。お前もそれを望んでるんやろ?」
ゼロの声は優しかったから、マリスは素直に頷いた。じゃあ泣くなよ僕ワルモノみたいじゃんか、とかボヤいたトホルはジェラルドに「子供か」と小突かれていたが。
ゼロは言う。
「一つ確認や」
世界の終わりを知るときのような、無機質に固まった問いかけ。
「それは本当に母親なんか? お前の作り出した人形やないんやな?」
「……」
マリスは微笑む。
わからない。
でも、大事なの。
声はほとんど出なかったけれど、その場の全員に伝わった。
彼女の透き通るような覚悟は、それだった。
「わかった。お前の覚悟、しかと受け止めた」
言葉にしたのはゼロだったが、想いを繋げたのは、他にもいたはずだ。
「凍える夜の吹雪の中、か」
ジェラルドが呟く。
「吹雪はいつか止むんだゼ」
ヤナギが動かせる手で親指を立てる。
「あなたにはあるのですね……炎が」
イリンは、青い炎のような瞳で少女を見つめる。
「……」
少女は優雅に一礼すると、翔んだ。
翼を広げ、身を翻し、屋上から中庭へ。
合流を止めることはできなかった。そんな余裕は誰にもなかった。少なくとも中庭の少女たちに余力はなく、ヤナギは戦線離脱。ジェラルドの気力も尽きかけていた。
屋上でマリスを足止めしても、ゴリアットが強引に登ってしまえば、合流と同時に建物も破壊される。
だからこそマリスは自ら降りたのだ。
「はじめましょう」
自らの最高傑作の肩に降り立った少女は、不敵に微笑んだ。
●人
次に出会えるのは、いつ?
そんなメールを打ち込んで、しかし送信できず、トホルはそれを削除した。
誰かに会いたい、けれど、誰に?
そんな感じで、学園を歩いていると、茉祐子に出会った。
「こんにちは」
「……やあ」
自然に挨拶する茉祐子に、トホルは不審なほどあたりを見回してから挨拶を返す。ゼロとかヤナギあたりに見られると面倒くさい。
「ええと、報告、ありがとう」
収容施設における『死人形』との戦闘依頼、学園に報告したのは茉祐子だった。
「いえ……大変でしたね、皆さん」
「まあ、生きてたからよしとしよう」
ため息をつくトホル。
後半の戦闘は本当に地獄だった。マリスとゴリアットはまるで一心同体のように死角をカバーして、数的不利をものともしなかったのだ。
全員が万全なら……五分だったかもしれない。
だが、余力など誰も持ち合わせてはいなかった。前半戦で戦力を分散させすぎたしわ寄せは、確実に彼らの刃を鈍らせ、足を絡めとっていった。
ディーを、ゴリアットを、そしてマリスが入念に計画した作戦と彼女自身の戦力を、低く見積もりすぎたのかもしれない。そう思わざるを得ないほどに。
フラフラになったメンバーを前に、マリスはディーの引き渡しを要求してきた。
「かわりに、囚人たちを大型車両ごとお返しするわ」
それを聞いて、最後まで立っていたトホル、イリン、りりかもついにへたり込んだ。彼らはすでに負けていたのだ。
PIED PIPER(笛吹き男)の笛の音で集められたのは……運転手たち。
ディーはマリスに借りた魔力で、数時間指示通りに走らせてから一箇所に集まるよう運転手たちに暗示をかけた。行動や会話に不審なところはないので、ちょっと見ただけでは気づかない。ましてや皆、囚人に気を取られていた。
囚人たちには何もする必要がなかった、何しろ鉄格子付きの後部座席に押し込められて、どこに行くかも分かっていないのだ。
危うく、茉祐子の乗っていた一台を除き、全てが持っていかれるところだった。
「私がもっと早く気づいていれば……」
「いや、無理でしょ。バラバラの目的地に向かってたわけだし」
当の本人たちは正しい路を走っているつもりだから、連絡も無意味だ。「順調です」で終わる。
結局、異変を認識できる一番の人材は自分たち撃退士だ。その自分たちの目の届かない所へ囚人を……餌を出してしまった。
もし、囚人を一堂に集めて見張っていたら。きっとそれはそれで暴動だの混乱だの戦闘の余波だの、七面倒臭い事にはなったんだろうが、少なくとも笛吹きパレードが知らぬ間に行われてたという事はなかったはずだ。
ふと、トホルは真顔になった。
「やはり、僕は撃退士になれない」
「え?」
「僕は両親も弟妹も健在なんだけど……もし、彼らが死にかけて、助けるためには誰か殺さなきゃいけないってなったら」
「……」
茉祐子は、真っ直ぐにトホルを見つめる。
「……その人にだって、家族はいます」
「でも僕には世界中の他人より、自分の家族のほうが大事だから」
「……」
茉祐子は目を逸らした。
マリスはそう考えた。それも、わざわざ囚人を選んで。
わたしなら、どうするだろう?
命より大事な、という言葉があるけれど、それは、どの命と比べてのことなのだろう。
「黒帽行かない?」
唐突に言われ、茉祐子は面食らった。
「え? くろぼう……」
「ジェリーのダーツバー。なんか一人じゃ入りづらいんだよね」
「あ、はい……」
「コーヒーでもケーキでも奢るよ」
トホルは明るく笑った。
「……はい」
茉祐子は、ぎこちなく微笑んだ。
●魔
……ああくそ。
悪魔は歯ぎしりしながら笑った。竜のように嗤った。
奥歯が一本消えた。あのチビのディアボロに埋め込んでおいたのだ。途中で、あるニンゲンに上手く取り憑かせたのだが、奴め精神力で焼き切りやがった、ああくそ。
ああくそ、あと少しだったのになあ。
あの女を殴り殺したら、あのニンゲン、どんな顔になっただろうか、ああくそ、見たかったなあ。
だが、だが、やった、やったぜ、あのニンゲンを見つけたじゃないか。
しかもしかも、やったぜ、あの女を潰す最っ高のネタも拾えたじゃないか。
悪魔は歯ぎしりしながら笑った。竜のように嗤った。
いたぶってやる、いたぶってやる。
殺してくれと頼みたくなるくらいにいたぶってやるぞてめえら。