●おにんぎょあそび
木々を揺らす風の音、川を流れる水の音。
それだけだ。月明かりに音があればそれすら聞こえてきそうなほど、夜の公園は静かだった。
公園といってもそれがどの範囲を指すのか、撃退士たちには分からないし、あまり重要なことではない。
重要なのは、それが今宵の戦場であるという事実。
散開する直前に、若松 拓哉(
jb9757)がマーキングを使用した。これで仲間内での位置確認は完璧だ。
休日の昼間となればボール遊びや鬼ごっこの聖地となるこの公園だが、これから始まるのはもっと危険な遊び。
そして、彼らは公園に散った。
「Contact(接敵)!」
誰かが接敵し、通信が切れる。
先駆けが誰かは明白。
声で分かる、喋り方で分かる、そして何より『彼』の気質が、性質が示す。
先陣を切るのはヤツしかいない。
「どうせならフルの自分とやりたかったんやけどなぁ、しゃあない、始めよか!」
そいつの名は、ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)。
華桜りりか(
jb6883)が呟く。
「ゼロさんが2人なの……」
彼女の目の前、三歩先に、頼れる黒い背中がある。
ゼロだ。
そして彼に向けて襲いかかる禍々しい黒影もまた、『ZERO(ゼロ)』だった。
「タイマンせなあかん理由もないしな」
己の姿をした敵を前に、ゼロに一切の戸惑いはない。
「行くで、りんりん」
ゼロは口調に似合わずクレバーだ。会話すれば分かる。彼は誰よりも己自身をよく知り、その上で他者を知ろうとする。
りりかと組んでいるのも偶然ではないのだろう。ゼロは先手に自信がある、だからこその人選。
「はい、です」
りりかが続く。続くことができる。クレバーなゼロよりも、可憐なりりかの瞬発力こそ驚くべきかもしれない。
ゼロの大鎌がZEROの大鎌を受け止め、絡み、斜め後ろへ放り投げるように振り払う。
いなしきれずにZEROは放られた。全身に菊花のごとく電流が走り、身の自由を奪われて樹木に叩きつけられる。
戦力差は圧倒的だった。
このディアボロが前回のゼロを模しているというなら、怪我をおしてミッションに参加した彼を模しているということだ。
今のゼロは全快の、全開。
磔になったZEROが身を起こすよりも早く、ゼロの黒い翼がはためき……
そこに色鮮やかな妨害が入った。
華のようなアウルの輝きがゼロの背中を襲う、それをりりかのアウルが同じく華の輝きで相殺する。
ゼロにダメージは無かったが、止めの一撃を繰り出す機会は失われた。ZEROはやや動きを鈍らせながらも復帰。
「……」
妨害してきた敵を前に、りりかは、小首を傾げた。
分かっていたことだ。あの捻くれた撃退士から、同じ容姿のディアボロが相手だと教わっていた。
けれどもそれは、『Riri(りりか)』は、違っていた。
顔も、髪も……身長、体重、体型、何から何まで同じなのに。
「……あれは、あたし、です?」
全くの無表情の中心にある、ガラスのような瞳。
すべてを素通しするRiriの瞳は、不安に揺れるりりかの瞳を、冷たく捉えていた。
森の途切れる所で、神雷(
jb6374)は柘榴姫(
jb7286)に戦術指南をした。
「ししょー、わかったわ」
無表情にサムズアップで応える姿に微笑んで、神雷は仮面を着けて自らの戦場へ向かった。
数歩も行かぬうちに襲撃を受けた。
柳の葉のような無数の刃が神雷を襲う。だが、距離のある強引な攻撃だ。両手に閃かせた刃で打ち払い、あるいは身を躱し、数本が袖に突き立ったが、神雷は構わず歩を進めた。
そのゆったりとした動きが、速い。
敵は、追いつけなかった。
「人形遊びですかぁ……」
緑の広場を往きながら、神雷はひとり呟く。
仮面の下、笑みの混じった声。
離れ小島のように立つ低い桜の木の下へ進む。とうに花の季節ではない、葉が揺れているだけだ。
神雷はその揺れる葉を眺めた。
ややあって、敵が、ドッペル『Jnri(神雷)』が現れた。先ほどの投剣はこいつの仕業だ。強引に下生えを払ってきたのだろうか、スカートに草の葉がついていた。
幼子の粗相を咎めるように、神雷が笑う。
「雰囲気は大事ですよ。ワシの真似をするなら、その辺りも理解しなさい」
もっとも、Jnriの服装はクラブで着用していたときのものだから、今の神雷を真似ようもなさそうだが。
少し派手過ぎましたかねぇ……客観的に自分の姿を見て、神雷は少し照れた。
だが、そろそろ良いだろう。あまり眺めていて気持ちの良いものではない。
あの金色の瞳は。
「大変良い御趣味です」
いつの間にか、二人の手にはそれぞれ二つずつの刃があった。
立ち去る師匠の背中に刃が飛んでゆくのを見ても、柘榴姫は気にせず森の中に入った。
彼女たちは撃退士、やるべきことをやるだけだ。
「おにんぎょあそびはすきよ」
それがやるべきことかと、突っ込む相手は居ない。
必要もない、事実その通りだから。
つかまってはいけないのは同じこと。
とらわれてはいけないのは同じこと。
行く手に『少女』が現れる。
大きな剣を担いだその姿、話には聞いている、そして知っている。学園でも屈指の実力者……の、ドッペル。
似ていないと思う。その少女を知る誰もが思うだろう、彼女ほど表情豊かで明るい少女はそういない、比べてこの敵は、もはや木石だ。
いわゆる、お人形。
「おにんぎょさん、あそびましょ」
招く柘榴姫へ、風を巻く勢いでドッペルが迫る。真っ直ぐで、疾く、重く、強い。
柘榴姫はさっさと逃げにかかった。戦闘力なら何をとっても負けている、単なる追いかけっこでも敵わない。最初の距離を保つこともできないだろう。
だから策がある。
木々に張り巡らされた蜘蛛の糸……柘榴姫が張っておいたワイヤーの前に、ドッペルは一瞬足を止めた。
その間も柘榴姫は逃げる。
ドッペルは足を止め、柘榴姫を見た。逃げるだけなら放っておくかと思案するように。
「おにさんこちら、てのなるほうへ」
そこに、柘榴姫が魔術を放つ。大地の詩が石の刃となってドッペルへ迫る。
遠すぎるし、狙いも甘い。ドッペルが大剣を一振りするだけで術は消し飛び、ダメージにはならない。
それでも意識を向けさせるには充分だった。大剣を振りかざし、ドッペルは柘榴姫を追う。
決死の鬼ごっこが始まった。
●濁った月
作戦開始の少し前、北條 茉祐子(
jb9584)は、角河トホルに言った。
「あの……悪かったとか思わないで下さい」
トホルは頷いた。
「よろしく頼む、奴に、ホンモノを見せてやれ」
「はい」
そして茉祐子は一人、森の中を歩いている。
もう少し行けば他のメンバーの戦闘域に入る辺り、ここが丁度いい。
「……えっと、P?」
どちらに向けても一緒ならと、茉祐子はまっすぐに声をかけた。
「本物の『北條茉祐子』が欲しいなら、人形を森に出向かせなさい。5分以内に来なければ、臆したとみなします」
静かに待つこと一分弱。
敵が、『Mayu(茉祐子)』が現れた。
まだ暗がりで顔も見えぬ距離だが、茉祐子は仕掛けた。
同時にMayuも仕掛けてきた。
風切り音も鮮やかなアウルの刃が茉祐子の身体を削り、ぱっと血が飛沫をあげる。
同時に、周囲の植物が鞭のように延びて、Mayuの手足に絡みつく。
茉祐子は己を知っていた。
自分がこのスキルを凌げるのは三回に一回程度、ならばこのドッペルも。
「……」
敵が自由を取り戻すより早く、茉祐子は苦無を手に踏み込んだ。
束縛したが、敵は刃を躱そうと動くため、一撃で急所を抉ることができなかった。
だから、見てしまった。
その顔を。
本当は見ないで壊したかった……笑顔。
この場に誰がいても、良い笑顔と形容するであろう極上の笑顔。
物静かで引っ込み思案な茉祐子に、こんな笑顔ができるのかというような素敵な笑顔。
「ふふっ、やっぱり私、凄く怒っていますね」
「どうして笑っちゃうんでしょう?」
「さあ? でも……」
けれどもそれは、茉祐子の見た夢。
ドッペルに表情を作る機能はないし、会話などできるはずがない。
だから茉祐子は終わらせた。
どっちが喋っているのか分からない会話、まるで人形としているような不毛な会話を、自分の言葉ではっきりと断ち切る。
「容姿や所作を似せただけで本物を称するなんて……不愉快です」
ここに集った撃退士すべての思いを言葉にして、茉祐子は苦無を振るい、突き、切り裂いた。
……不愉快?
少女は、ディアボロを介して聞いた茉祐子の言葉に興味をひかれた。
どうしてだろう?
かなり似せていた、自信はあるのに。まだ、足りない?
ああ、違う、考えるのはこんなことじゃない。
このままじゃ彼らは手に入らない、それをどうするか考えよう。
考えよう。
ひとりで。
イリン・フーダット(
jb2959)は人影を見留め、足を止めた。
銀髪の二人組。冥魔認識するまでもない、あれはディアボロだ。
今回、赤い瞳の『彼』はここに来ていないはずだし、その隣にいる青い瞳の青年は……
「若松さん、私は回避能力が低く、移動も遅い。しかし防御は固いので気をつけて下さい」
イリンは傍らの若松拓哉に、妙なアドヴァイスをした。
「了解……」
拓哉は静かに銃剣を取り出すと、銃とナイフを分離させて左右の手に構えた。
刃を掲げ、嘆息する。
「今夜、月……濁ってる」
ドッペルの二体、『赤瞳』と青い瞳の『Irin(イリン)』はほぼ同時に動いた。移動速度の差で、赤瞳が先にイリンへと到達する。手にしているのは無骨な直刀。
モデルとなった彼が、阿修羅というカテゴリーの技術を修めていたことを、イリンは思い出す。だとすればこの戦いは互いに噛み合っている……噛み合いすぎている、戦法も、カオスレートも、相性の全てが。
長くはかかるまい。
「援護……開始……」
拓哉の銃弾が赤瞳をかすめ、動きを鈍らせるが、鋭い一撃は止まらない。
イリンに躱せるものではない、どうにか盾で受け止め、衝撃に耐えた。
「なるほど、本物に匹敵する威力」
表情も変えず、イリンは槍を繰り出すが、難なく躱される。
格上なのは委細承知だ。
拓哉の弾幕を利用してイリンは距離を取る。
速度で圧倒的に勝る赤瞳だが、追うのではなく遠距離での攻撃にシフトした。拳銃めいた装備に切り替える。
イリンも、盾と火炎放射器という変則的な装備に切り替え、反撃する。
敵、Irinからも銃弾が飛んでくるが、イリンは軽々と防いだ。
「模倣としては、神業、魔技の域ですね」
だからこそ防げる。技量がほぼ同じとなれば、アウル能力を自在に使えるイリンのほうが有利だった。
そして、たとえ格上であっても、連携があれば当たる。対してドッペルたちはただ並んで攻撃しているだけだ。
漫然とした攻撃は全てイリンが受け止めた。無傷ではない、だが彼の自己再生を上回るほどでもない。
「ただ、模倣が本物を超えるには、創意工夫と閃きが必要です」
模倣だけでは、進歩はない。
そこからどう進む?
盾をかざし、イリンは半歩、踏み出した。火炎放射器をヒヒイロカネに戻す。
意図を汲んだ拓哉が銃身に意識を込める。
赤瞳は拓也を見た。武器を収めたイリンではなく、先程までとは違う攻撃を仕掛ける予兆に反応した。
Irinは変わらず漫然と射撃、盾で防がれる。
そして、イリンは、閃くような一歩を踏み出した。
闇を切り裂くような輝き。
『神輝掌』と呼ばれるスキルだ。わりと有名な技で、使い手たちは思い思いの名をつけるが、こだわらないイリンはそのままそう呼んでいた。
拓也を見ていた赤瞳は、銃弾を躱したものの、より危険な直撃をもらう。
均衡は一気に崩れた。
「月明かり……汚い血……もったい、無い……」
拓也が呟く。
赤瞳が最後の力を振り絞るように、イリンに拳銃を叩きつける。それよりも早く、拓也のストライクショットが赤瞳に突き刺さった。
「影で、壊れろ」
その一撃が止めとなって、赤瞳が文字通り崩れ去る。転倒する間もなかった。
残るはIrinのみ。
イリンの瞳に迷いはない。
守りを身上とする彼にとって、自分の攻撃は見慣れたものだ。
「鏡の前に己を頼みとし、己に負う心は持てど、己を省みる方は稀です」
イリンに足止めされるIrinを、拓也が少しずつ削ってゆく。
「でも……痛いね、傷口を、見るのは……」
「それでも見るしかありません」
拓哉とイリン、表情に乏しい二人だが、それは見た目だけのこと。
言動には、不確かながらも純粋な思いが溢れている。
「回数を重ねれば、迷いは減るでしょう」
あの時クラブで、トホルは遠慮なくイリンに言ったものだ。
『イリン君ほど真面目だと、逆にずるいっつーか。普通にしててもすげー面白いんだよなぁ』
天使とは、残酷で傲慢な殺戮者だと聞かされていた。
事実その通りだ。冥魔の少女にとってそれ以上の認識など必要なかった。
だがこの夜、少女がディアボロを介して見た銀髪の天使は、勇敢で誇り高い騎士のようだった。
彼は言っていた。
外面だけを見るのではなく、内面を識る(しる)だけではなく、そこから……省みる。
「……」
月を見上げる。
「わたし、間違ってるの?」
声に出てしまった。
はっとして、少女は辺りを見回す。
遊具施設。
大きなディアボロ。
大事なディアボロ。
それから、心配そうに目をチカチカさせている通信型の一つ。
「ディー」
思わず名を呼んでしまい、首を振る。
このディアボロにそんな名前はなかった、識別コードはあったが、少女はそれすら呼んだことはない。
あいつが、あの人間が勝手に名前をつけて、それで……
「!」
今、決着がもう一つ。
少女はもう一度月を見上げ……嘆息した。
●花の香
「どうして幸せそうにしているの? 何もかも忘れたままで」
りりかはずっと、その小さな軋みを聞いていた。
鏡を見るたびに思うのだ。
うつっているのはだぁれ?
わたしはだぁれ?
ねえ、こたえて……あなたはだぁれ?
「っ……」
そんな声を聴きながら、りりかは、戦っている。
ゼロはZEROを切り刻んでいた。一切の手を抜かず、完膚なきまでに破壊した。
追い詰められた自分がいかに危険か、誰よりも分かっていると、彼は言っていた。自分自身のことだからと。
「あたしは……」
あたしのことが、わかってない。
あたしは……
『本っ当に癒やされるなあ』
思考に紛れる、ちょっとだけむかしの記憶。
生まれて初めて行ったクラブで、遠慮ない大声で話すお兄さん。自分ではおじさんと言っていたけれど。
だいぶ酔っ払っていた。
『ずっとそのままでいて欲しいね、華桜さんは……あ、僕もりんりんて呼んでいい?』
「……」
数日後、「まことに申し訳ありませんでした」という書き出しの長い謝罪文が送られてきたけれど、個性溢れる学園生に囲まれたりりかには、酔っぱらいごとき迷惑のうちにも入らなかったから、どうして謝るのか不思議だった。
「りんりん!」
ゼロの声。
Ririが攻撃モーションに入っていた。
辛くも距離を取り、躱しきれない分はゼロが受けた。
「大丈夫か?」
「んぅ……ごめんなさい、です……」
「やりづらいやろ、下がっとけ」
「……」
彼に任せてしまえば、一刀のもとに勝負がつくだろう。
だから、ダメだ。
そんな簡単に終わらせてはいけない。
「だいじょぶ、です」
りりかは言った。
「……わかった」
ゼロはりりかの前に立つ、が、それは盾になるためであり、刃になるつもりはない。
戦うのは彼女だ。
Ririの掌でアウルの光が踊る。
同時に、りりかが胸の前に交差した掌からも、花弁に似たアウルの輝きが溢れだした。
……わかっているの。
わすれると言う行為が自分を護る為かもしれないという事を……にげているかもしれないという事を……
でも、もっと強くなったら全てを受け止めるから。
「いつか、きっと」
りりかはまだそんなに強くないから、決着には時間がかかった。
けれども、最後には自分の力で勝利を得た。
「……」
ゼロは何も言わなかった。いつも饒舌なこの男は、必要ない時には口を閉ざす……こうやって、笑みの形に。
大きな手で頭を撫でられて、りりかは蕾が綻ぶように、笑った。
葉桜の下、舞の如く優雅に、踊りの如く賑やかに、黒鉄同士が火花を散らす。
敵の刃は神雷にほとんど届かない。
予測できるのだ。
完全に守勢に回れば手は出せない。だから神雷は守りつつも、アウルを利用して、更に一手、自らの動きの先を読んだ。
少女の胸元を掠めた刃が、勢い余って桜の枝を払った。
それと同時に放たれた一撃が、相手の手首を刎ね飛ばす。
桜の下の戦いが、決着した。
舞手の刃はそれぞれ二刀。一刀は両の目を切り裂き、続く一刀が首を刎ねた。
手と、目と、首を失い、音もなく崩れ落ちたのは……ドッペルだった。
「……」
神雷は、切り飛ばされた桜の枝を拾いあげ、仮面を外した。
ふっと吐息を吹きかければ、枝から葉が落ちてゆき、色鮮やかな花が咲く。
戯れだ。自らの傷を癒やした際の、アウルの余波が他の生命にまで及んだだけ。
けれども。
「雰囲気は、大事ですよ」
もう一度だけそう言って、神雷は仮面を着け直し、森へと足を向けた。
花の香が夜風に揺れた。
ひらり、ふわり。
綿毛のように、蝶のように、霞のように舞いながら、柘榴姫はドッペルの突撃から逃れ続ける。
「あのひとは、おにごっこも、ちゃんばらごっこも、だんまくごっこだってうまいのよ」
おにんぎょはダメね、などと言いながら、実のところ柘榴姫は追い詰められていた。距離がジリジリと狭まっている。
あと一息で刃に追いつかれる、その時。
「お疲れ様です」
神雷が到着し、これで二対一。
とはいえ、神雷とて『彼女』を模した戦闘力に対抗できるほどではない。
……が。
辺りの茂みから、無数の蔦が鞭のように伸びて、ドッペルに襲いかかる。
ドッペルは大剣を一振りし、その蔦を切り払った。
「さすが、ですね」
樹上から接近していた茉祐子が小さく呟く。自身を模したドッペルには効いた技だが、やはり『彼女』は強い。
けれども、これで三対一だ。
「では、ししょーのおしえII」
三方に敵を迎え大剣を構え直すドッペルへ、柘榴姫は初めて自ら突進した。盾を構えているとはいえ無茶をする。小さな身体は盾に隠れてしまいそうだ。
がきんと凄まじい音がして、大剣が盾を弾き飛ばす。
だが、その裏に柘榴姫はいなかった。
「うしろのしょうめん、だぁれ」
跳躍し、ドッペルの背後へ回った柘榴姫は、禍々しい呪術を解き放つ。
同時に神雷が切り込む、と見せかけて、彼女の役割は防衛だ。両手の刃はそのままに、先ほどの行動予測を攻撃ではなく防御に切り替える。
それでも、長くは保たないだろう。
だからこそ茉祐子が居る。
「っ!」
雲間を照らす雷のように、樹上に淡紅藤色の輝きが閃いた……瞬間、輝きは落雷となって地表へ襲いかかる。樹を蹴って落下の速度を上乗せし、茉祐子はドッペルへ斬りかかった。
少女たちの、それぞれの能力を振り絞った連携。
漫然と大剣を振り回すだけのドッペルには、対応することができなかった。その振り回すだけの大剣が凄まじい脅威だったのは確かだが。
柘榴姫が三つの呪術を唱え、茉祐子の身に纏う輝きが消えようとする寸前に、勝負はついた。
「……」
茉祐子は、自分がどんな顔をしているのかよく分からないまま、崩れ去るドッペルを見つめた。
「気分の良いものではありませんね、お友達と似た姿を壊すのは」
仮面を外し、神雷が言う。口調はいつもどおり。
「じゃ、そうゆうことで」
柘榴姫はさっさと奥へ歩き出していた。
●本物
作戦開始の、少し前。
「やるわ」
「……」
ゼロから手渡されたベルトのバックルを、トホルは見つめた。
ただのバックルではない、ヒヒイロカネだ。
トホルは悟った。ゼロは気付いたか調べたか、とにかく、知っているのだ。トホルが武装を持たないことを。
一部で有名だった。
ソロ活動、組織ぎらい、こだわりが強くムラのある活動実績、対照的に「悪魔も泣き出す」とまで言われる苛烈な戦闘実績。
トホルはバツが悪そうに頭を掻いた。
「使い方、わかんねーし」
ジョークにもならない言い訳に、ゼロは返す。
「わからんでもええ、少なくともそいつは、お前の邪魔せんで」
トホルはゼロを見た。
何だか悔しかった。
「……じゃあ、どうも」
なんだよ、あなたは分かってるっていうのか? よし、邪魔にならないものなら、気の向くまま使おうじゃないか。
そして、トホルは己のドッペルを滅茶苦茶に破壊した。
それから、少しだけ森の中を歩いた。
「……?」
闇の向こうで戦闘の音が聞こえ、足を速める。
トホルが辿り着いたとき、勝負もついた。
荒い息をつくヤナギ・エリューナク(
ja0006)がいた。手傷はあったが、さほど大きなものではない。
ドッペル『Yana(ヤナギ)』の体は、草むらの中で崩れていった。
「よう」
「……おう」
トホルが挨拶すると、ヤナギは視線だけを返し、タバコを取り出した。
木にもたれて紫煙を吐くヤナギに、トホルは並んで、木にもたれた。
「ヤナギ、傷は?」
「二、三発『撫でられた』だけだ。そっちも楽勝みてえだな」
「雑魚だったからな、前の僕なんざ」
負ける気しないから手出し無用と、トホルは全員に通達していた。
「一ヶ月ちょいで、すげえパワーアップじゃねえか」
煙とともに吐き出すヤナギの言葉に、トホルは笑う。
「別に。あん時は5cmヒール履いてたから、すげー動きにくいし、靴ズレできたし」
あの時トホルは、重心の不安定なブーツを履いていた。
普段なら大したことではないのかもしれない、だが実力伯仲の勝負において、その程度の差が明暗を分けた。そこにゼロから貰った装備が加わり、雲泥の差となった。
「なんでそんなの履いたよ」
「周りに合わせたんだよ! どいつもこいつもマンガみてーな背ぇ高イケメンばっか、何だお前ら?」
「知らねえよ」
5cmヒールを履いてようやく180cm、さらにトホルはあの日、カラーコンタクトを入れていた。
余人からすればくだらないこと……いや、自身にもくだらないこだわりと分かっていた。
だからドッペルは笑ったのだろう。
「小せえな」と、聞こえたのだ。
だから言い返してやった。
こだわりを捨てて、貰った武装をしっかり使って、完膚なきまでにぶっ潰してやった……どんなもんよ?
「前座は終わったか?」
ゼロの声に、二人は顔を向ける。
りりかも一緒だった。
「ああ、超弱かった」
トホルは言って、拳を振って見せた。
ゼロは笑った。
「終わらせに行くか」
だが、彼らが辿り着く頃、全ては終わっていたのである。
どうしてこんなことに?
少女は、ブランコに座ったまま、考えていた。
いや、ほとんど思考は停止していた。
「じっとして」
舐められている。
ここまで舐められたのは生まれて初めてだ。
ただこの、「舐める」と言うのが、侮辱の比喩ではなく、直接の動作だというのが、何かおかしい。
……少し前、遊具施設に佇む少女のもとに、別の少女がやってきた。
白い髪、白い服、痩せて小さな体……柘榴姫だった。
少女を守るために配置された二体のディアボロは、全く動かなかった。柘榴姫から一切の攻撃性を感じなかったからだ。
無論、マスターである少女が指令を出せば、ディアボロたちは動き出す。だが彼女はそうしなかった。
柘榴姫は何も言わず、ブランコを始めた。
少女は何となく近づいて……隣のブランコに座った。
すると柘榴姫は、ゆっくりとブランコを止めて、少女へと歩み寄り、よく冷えたパック入り牛乳を差し出した。
少女は、パック入りの飲料を見たことがなかった。
「……?」
悩んでいると、
「こうするの」
柘榴姫がストローを外し……
……それが、びしゃっと吹き出す様は、もはや予測回避が不可能なほどだった。
で、今に至る。
舐められている。
「仲のよろしいこと」
「!」
声がして、少女は慌てて振り向いた。
神雷が、色々なものが混じった笑みを浮かべていた。少し離れたところには茉祐子が、油断なくディアボロたちを監視している。
「お初にお目にかかります、神雷と申します」
「あ、ああ、知ってる……私は、三代目死人形。マリス=プレザンス・ピュッペントート・ドライセン」
本来は『マリセ』と発音する名前を、少女は父が呼んでいたほうで名乗った。むしろ公式にはプレザンスしか名乗らないのだが。
動揺していたのもある。だがそれ以上に、ひどく気弱になっていた。
皆に叱られているような気がしていた。
「それで、この……」
舐めてるのはと少女が訊ねようとしたところで、ようやく舐め終えた柘榴姫が自己紹介する。
「ざくろ、よ。柘榴姫。よろしく、プリンちゃん」
「……よろしく」
ここで返事をしちゃいけないことは分かっていたが、するしか無いことも分かっていた。
ディアボロを監視する茉祐子の元へ、残るメンバーが集結する。
「……お疲れ、様」
マーキングによって仲間の位置関係を知っていた拓哉は、早々にリラックスしていた。突出した柘榴姫が無事でいるなら、敵に戦闘意欲はないということ。戦闘意欲のない相手を襲う趣味はない。
「怪我してる人、治すの」
りりかは傷を負っている仲間たちをアウルで癒やす。巨人ディアボロ『ゴリアット』の眼前だが、敵に動く気配はない。
もう片方、『ダーフィツ』は、ブランコの傍らで主人を見守っているようだった。
「マジ面倒くせえ奴らだった」
戦闘終了を感じたヤナギは、新たにタバコを取り出す。
その煙から逃げるように飛び回るのは、通信型ディアボロの『ディー』だ。
「よ、ディー」
そんなディーに挨拶してから、トホルは茉祐子に声をかけた。
「どうだった?」
「……」
答えに困る質問だ。
トホルは笑って、茉祐子の顔を覗き込む。
「あの爆弾娘に勝ったんだって? 凄いじゃん」
「……本物じゃなかったか……ら」
そこまで言ったところで、茉祐子は天地が歪むのを感じた。
今の今まで、勝ったという実感がなかったのだ。勝ったと思った途端、膝の力が抜けた。
トホルが静かにその身を支えた。
「ありがとう、茉祐子さん」
「……はい」
しっかりと頷く茉祐子に、同じ思いで戦ってくれたのを感じ、トホルは嬉しくなった。
その笑顔を、ゼロに向ける。
「今度あいつのBAR行ったとき言ってやろうぜ? 『お前のドッペル超弱かった』って」
「おう、言ったろうや」
意地悪く笑うゼロ。
「失礼ながら」
しかし、イリンが表情も変えず水をさした。
「やはりあの方のコピーだけあって強敵でした、スキルを使われたら勝てなかったと思います」
「……あ、うん」
「せやな……」
マジメか! ……と心中で突っ込む二人であった。
ブランコの周りに、人集りができた。
中央にいるのはマリス=プレザンスと、なぜか柘榴姫。
周囲には撃退士たち、そしてディアボロたち。
敵味方が混在しているはずなのに、マリスはなぜか、自分が孤立しているように感じていた。
皆に責められているような気がする。
それは厳密には違うだろうが、ある意味で正しい感覚だった。
「そのやり方は間違っている」と、はっきり糾弾されたのだ。
もしも父が生きていて、母がしっかり喋れる状態なら、同じように言われたのだろうか……思うほどに、マリスの心は凍えた。
「人間観察したいなら、学園に来たほうが勉強になりますよ」
あっさりと、神雷は言った。
身をもって体現している意見だ、文句のつけようがない。
「けど、ディアボロづくりはやめてもらおか」
ゼロの目は冷たい。
実際、この雰囲気から戦闘になる可能性もある。撃退士たちに油断はない。
……約一名を除いて。
「おにんぎょづくり、だめなの?」
「材料が問題なのですよ」
緊迫感の欠片もない柘榴姫に、ししょーは丁寧に説明した。
マリスは、俯いた。
「ごめんなさい」
「……」
トホルは嘆息した。
「クラブで助けた人たちから聞いたよ、なんか、特殊な人形作りに命かけてんだって? 凄い熱意だったって」
「……」
「ぶっちゃけ引いてた」
「う、うるさいわね!」
思わず顔を上げてしまってから、マリスは咳払いした。
「……君たちには関係のないことだ」
「関係ないが、人に迷惑をかけるようならお仕置きだぜ」
「……」
撃退士の役目は、天魔を殺すこと。ここで逃して被害が出たら、自分で自分が許せない。
だが。
トホルは、撃退士ではないと自称している。
それにもう一人。
「めいわくをかけないで、おにんぎょづくり、できる?」
柘榴姫は、マリスの顔を覗きこんだ。
「プリンちゃん、おねがい」
「……」
マリスは、俯き、小さな声で、わかったわと呟いた。
戦いは、終わった。
●おにんぎょづくり
ある日の夜。
少女はぼんやりと窓の外を見ていた。
通信機器が反応して、少女はそれを起動した。
絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
『Wo ist? Wo ist Malice! Wo ist!?』
少女は表情も変えず、呟くように応える。
「...hier, Mutti」
『Ah...』
通話の主は、途端に心を鎮めた。
優しい優しい、くどいほどの猫なで声になる。
『マリーセちゃん、明日はどこに遊びに行きたい?』
「そうね、裏のお山に行きましょう、ママ」
マリセと呼ばれた少女は、人形のような顔で応える。
天気の話、季節の話、お弁当は何にしましょうか、わたしが作るわ……茶番のような会話が続く。
不意に、通信が消えた。
ママが眠りについたのだ。
「……」
マリセは無表情のまま白い壁を見た。先ほどの悲鳴は、この向こうから聞こえた。
「大丈夫よ、ママ」
マリセは壁の向こうで眠る愛する人へ、言った。
「必ず、迎えに行くから」
貴女の知っている子供の頃のわたしが、ちゃんと迎えに行くから……