●リプレイ本文
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(……やはりこういう状況か。遠野教諭は面白い方の様だ)
森の中へと消えていった遠野と富原を見送りつつ、蘇芳 和馬(
ja0168)は心の中でひとりごちた。
険しい山林というのは、実践的な体作りや、無駄を極限まで削り落とした体捌きの訓練には最適な場所だ。武術訓練といえば山篭りというイメージも、恐らくそういうところから来ているのだろう。
蘇芳は訓練の意味も込め、出来る限り遠野たちに追随していこう決め、一人先に山林へと分け入っていった。
「なんと言うか……色々とツッコミ所はあるが、とりあえず遠野教師はともかく、ジェームス氏も速過ぎるだろう……」
あっという間に消えていった随伴者2人を見送り、リョウ(
ja0563)はそう呟く。
遠野が速いのは当然として、彼のスパ友(スパーリング友達)でしかないジェームスも遠野と引けを取らないくらいのスピードで消えていったのだ。2人ともかなりの荷物を背負っているはずなのに。
この馬鹿げた花見を放棄し、人里まで出て普通の花見でもしようかと考えながら携帯のGPSを使って周囲を検索してみるが、得られた情報はここがとんでもなく人里離れた山奥だという事だけだった。
「まぁとにかく追うとしよう。あそこに桜はあるわけだしな」
リョウは嘆息を漏らしながら、なかば諦めるように吐き出すのだった。
「ちゃんと……主催者を確かめるべきでした……」
自らが置かれた状況に唖然としているのは合川カタリ(
ja5724)だ。
バスを降りる前までの浮かれ気分など、すっかり吹き飛んでしまっている。
「こんなものです。予想どおりですね」
大神 直人(
ja2693)が立ちすくむ合川の横に立ち、眼鏡を人差し指で上げながら言った。
(咬呀、うめぇもん食えるって聞いたが……これじゃ割に合わないねぇ)
そんな事を考えながら山を眺めている天藍(
ja7383)に、どうしたんだと八辻 鴉坤(
ja7362)が声をかけてくる。
「春の訪れに山の色も鮮やかだ。リラックスして訓練……否、楽しい花見になるだろう。ほら、行くぞ」
そう言いながらクラスメイトである天藍の背中を押した。
「前回のスキーのときと良い、思い切り騙されたぜ。桜は、好きだから見に行くけどさ」
配られた地図を眺めながら、ため息混じりにそう呟いた神楽坂 紫苑(
ja0526)は、ただおろおろしている三神 美佳(
ja1395)を視界の端にとらえる。
その小さな体躯は初等部1年生――いや、幼稚園児に見えなくもないが、たしか4年生と言っていたはず。
「オレが山頂まで一緒に行ってあげるよ」
「良いんですか? ありがとうございます」
何の疑いもなく参加し、分けもわからずこんな場所へ放り出されてしまった三神を難儀に感じた神楽坂は、山頂まで彼女と同行してあげることにした。
「わぁ、ほんとに空気が美味しい……、桜、桜」
「さんぽ君、なんでそんなに元気でいられるの……?」
桜を指差し感激の声を上げている犬乃 さんぽ(
ja1272)に、高峰はやや呆れた表情を送る。
「いや、だって……」
そんな犬乃は、まさか心の内を素直に口に出来るわけもなかった。
「険しい山をかけ分けて行くお花見っすか? 風流っすね! 真奈も張り切って行くっすよ!」
横から声をかけてきたのは、高峰の親友の一人、羽生 沙希(
ja3918)。自分が置かれた状況に何の疑問も持っていない様子だ。
「ふ、風流かな……」
「……真奈ちゃん、何があっても絶対一緒にたどり着こうね!」
尚も困惑する真奈の手をぎゅっと握り、犬乃は真剣な顔で高峰に言った。
「手を取り合いながら山林をかけ分ける女の子と男の娘っすか、風流っすなぁ」
そんな様子を眺め、うんうんと頷きながら呟く羽生だった。
「……追いつかないか」
蘇芳は一度立ち止まって呼吸を整える。
なんとか追いすがってはみたものの、遠野と富原の姿はあっという間に木々の彼方へと消えてしまった。
そこからは意識を変えて、いかに体への負担を小さくして登るかということに主眼を置き、自分のペースを守りながら少しでも彼らに追いつけるよう意識しながら進むことにした。
皆より少し先行していたリョウは、地図と実際の景色を見比べて地形の把握につとめる。
木の幹には、一定の間隔で赤いリボンが結び付けられていた。
遠野たちはこの作業をしながら登っているはずなのに、全く追いつく気配がない。
後続との間隔が少し開きすぎたので、リョウは女性陣のために藪を慣らして待つことにした。
「オリエンテーリングみたいで楽しいね」
満面の笑みでそう言うのは犬乃だ。だが、いまいち遠野ワールドに入り込めない高峰には、なぜ彼がこんなにも嬉しそうなのか理解できず、辟易した表情で嬉しそうだねと反応することしか出来なかった。
「みんな、状況に適応するの早すぎ……」
参加者たちを見回し、高峰はそんな感想を漏らした。
皆、今の状況を受け入れ、楽しむことへ気持ちを切り替えている。
やがて、川の流れる音が聞こえてきた。
「川か?」
神楽坂がつぶやく。
現れたのは川幅5mほどの川。流れはさほど強くはないが、そこそこの深さはありそうだ。
「川は良くねーあるなー……我、濡れるの嬉しくねーある」
天藍がぼやく。
「辿り着くまでも花見です、か? ……なんでだ」
リョウも呆れたように言った。
地図を見る限り、この川を渡らなければ桜まで行けない。あの2人もここを通ったことになる。
「こんな事もあろうかと……」
そう言いながら犬乃がリュックから取り出したのは、かなりの長さを持ったロープだった。
「水上歩行で川を渡って、両岸の木を結び付けて綱渡しすれば良いと思うんだ」
犬乃はにっこりと笑って提案する。
「なるほど、では俺が向こう側へ結んでこよう」
そう言うと、リョウはロープの端を持って川を渡っていった。
「ちょ、沙希!?」
突然、高峰が驚きの声を上げる。
ロープの準備をしている最中、おもむろに羽生が服を脱ぎ始めたのだ。
服の下から現れたのは、学園指定の水着。
「水泳部の本領発揮っすよ!」
そう言いながら勢いよく飛び込んでいく。
「腕が遠野先生になりそうな鍛錬ですね……」
張り終わったロープを前に、ため息と一緒に言葉を吐き出した合川は、花見会場で食べ物をがっついてやるんだと心に誓った。
神楽坂は膝を折り、少しかがんで三神を自分の背中へと促す。
「ありがとうございます」
「んじゃ、しっかり捕まってくれよ」
この2人のショットは、傍目からも微笑ましく見える。
「大神、我を負ぶって川を渡るよろし」
「何で俺が!?」
天藍のお願いに、思わず声をあげる大神。
「没問題没問題、これも修行あるよー、多分きっと強くなれるあるー」
「嫌ですよ」
「むぅ、しかたねーある」
意外とあっさり引き下がった天藍は、あきらめて自力で渡ることにした。
「真奈ちゃん、ここはボクに任せて!」
そう言って、犬乃は高峰をお嬢様抱っこする。
「え? わっ」
「……少しの間だけ、お人形さんみたいにじっとしててね」
高峰を抱えながら水上歩行で川を渡る犬乃の顔は、耳まで真っ赤になっている。
「お……重いなら無理しなくて良いんだよ?」
その表情を見て盛大な勘違いをする高峰。犬乃が想いが報われる日は来るのだろうか。
川を渡り、さらに半刻ほど進むと、そこには切り立った崖がそびえていた。所々に金具が打ち込まれているのを見ると、どうやら遠野たちはここを登っていったようだ。
「崖? これは高すぎるだろう。ちょっとしたビル並だぞ……」
リョウが呆れて呟く。
「花見をするために崖を登るっすか。風流っすなぁ」
「羽生は『風流』の意味を知ってて使ってるんだよな?」
思わずそう聞いたリョウだったが、当たり前っすよと笑顔で答えられてしまっては、それ以上何もツッコミは入れまいと心に誓うしかなかった。
「すげ、絶壁かよ。此処、マジで登るのかよ」
神楽坂はそう言うと深いため息をつく。
「予想はしてたけど、まさか崖を登ることになるとは……」
前回のチョコレース参加者である大神は、ある程度の遠野ワールドを予測していたが、本当に崖登りする羽目になろうとは思っていなかった。しかも前回より遥かに高い。
騙され続けるのも癪なので、花見会場で遠野に仕返ししてやろうと硬く心に誓う大神だった。
鬼道忍軍のリョウと犬乃は川に引き続き、ここでもスキルを利用して皆の荷物を運ぶ。
それまで最後尾から皆を見守りながらついてきた八辻だったが、ここでは女性陣より先に登り、彼女らのために足場を確かめることにした。
「ふぁいといっぱーつ!」
半ばうんざり顔で気合を入れているのは合川だ。
犬乃が上から垂らしたロープを掴み、足場を確かめながらゆっくりと登っていった。
(……握力の訓練にはちょうど良いな)
蘇芳は、そんなストイックなことを思いながら黙々と崖を登る
置かれた状況に何の疑問も抱かないあたり、彼も遠野ワールドの住人になる素質を持っているのかもしれない。
「おめーらさっさと登るよろしー、まだ若いのに情けねーあるよ」
驚くべき身の軽さを見せて、さっさと崖を上りきった天藍は、まだ登っている仲間を見下ろしながらそう叫んだ。
高峰の様子が気になった犬乃は、崖っぷちに立って崖下を覗き込む。すると高峰が何か必死に伝えようとしているが声が聞き取れない。
言葉で伝えるのを諦めたのか、高峰がジェスチャーへと切り替える。
大きく手を叩き、ピースサインを送り、腕で頭上に輪を作り、手で日差しを作って遠くを眺める。
「……ん? って、見上げちゃ駄目ぇぇ。し、縞パンだから、恥ずかしくないもんっ」
涙目のまま、耳まで真っ赤になって強がる犬乃だった。そう、高峰が送ったジェスチャーは『パンツ丸見え』だったのだ。
垂らされたロープを命綱よろしく身体に結びつけた三神は、ゆっくり確実に登っていく。
彼女が崖の半ばまで辿り着いた頃には、既に他のみんなは登りきったあとだった。
「あの、引き上げてもらえたら嬉しいです」
三神は捨てられた子猫のような表情で見上げる。
「斜面の突起に気をつけるんだよ」
「分かりましたぁ」
見かねた神楽坂が三神を引き上げてあげた。
崖を上りきると、桜はもう目前だった。
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桜の木へ近づくにつれ、肉を焼く香ばしい香りをはらんだ煙が流れてくるようになった。
「おう、やっと着いたか」
遠野が肉を焼きながら、にこやかな表情で出迎える。
桜の巨木は花が満開に咲き乱れていた。
「……これは見事な山桜か」
桜の根元で大の字になった蘇芳の頬を、心地よい春風がなでる。
「――苦労した甲斐はあったか」
リョウも見事な桜に心を和ませる。
「今、肉を焼いてるからな。紙皿や割り箸は、そこにあるから自分らで用意しろな。クーラーボックスには飲み物も入ってるぞ」
荷物を指差しながら遠野が言った。
「あ〜疲れたぜ。眺めは最高だな。桜は綺麗だけどさ」
神楽坂は、そんな感想を口にしながら缶ジュースの蓋を開ける。
その横では、三神がリュックから取り出した猫の着ぐるみを着込んだ。彼女いわく、防寒用らしい。
合川は体力回復も兼ねて、黙々とBBQに箸を伸ばしている。
天藍も「好吃好吃、うめーもん食う幸せあるー」と言いながら食べまくっていた。
「俺の分も食べるか?」
クラスメイトの天藍の食べっぷりを眺めていた八辻は、その底なし胃袋に感心しながら尋ねる。
「おお、ありがてーある」
八辻から貰った食料も、あっという間に天藍の胃袋へと消えた。
仲間と口裏を合わせて遠野の肉を横取り計画を立てていた大神だったが、遠野たちは生徒が到着するまでに自分たちの食事を済ませてしまっていたらしく、逆にどんどんと皿に肉を運ばれ、もともと食が太いほうではなかった大神は、早々にノックダウンされてしまう。
「皆、よく食べるよな?」
神楽坂が言うように、焼けた肉は片っ端から消えていった。
鳥ササミやヒレ肉など、脂の少ない部位を選んで食べているのは蘇芳だ。肉体のことを考慮しながら食べているあたりがストイックな彼らしいと言えよう。それ以外では焼き役に回っている。
三神もまた、焼き役と配膳役に回っているのだが、背が低い彼女の箸が届く範囲に肉がほとんどなく、もっぱら野菜ばかりを焼いて配膳している。
「遠野先生、ちょっと――」
「沙希ぃ、早く来ないと肉が無くなっちゃうよぉ?」
「いま行くっす」
道中、遠野先生への悪戯計画を耳にした羽生は、遠野に注意を促そうとしと声をかけたのと同時に高峰から声をかけられ、結果としてその事が頭の中から綺麗に消えてしまった。
「これ凄く楽しみだったんだ……」
外国育ちの犬乃は、日本の『花見』という行事に参加することがとても楽しみだった。
だが、彼が何より楽しいと感じているのは、見事な桜でも美味しいBBQでもなく――
(でも、一番の花は……)
羽生と歓談している高峰の横顔を見つめながら、そんなことを思っていた。
料理の特技を持つリョウは、プロの料理人である富原に料理の秘訣を訊いてみる。
「秘訣? うむ、それは筋肉と愛情と根性だ」
所詮、富原は遠野の友人だった。基本的に脳の構造が同じなようだ。
食事が終わり、それぞれが自由な時間を過ごす。
遠景を眺めながら桜の木の下に座っている猫は、景色をスケッチしている三神の姿だ。
八辻は持参したトランプでマジックを披露している。
「皆で写真撮りませんか?」
「俺も同じことを考えてたところですよ。デジカメもあります」
合川が提案し、大神もそれに続く。
2人の瞳がにやりと歪んだことに気付いた者はいただろうか。
富原にデジカメを渡した大神は、遠野を半ば無理やり中央に座らせる。
遠野を中心に皆が並び、大神と合川は後列両サイドに立った。
「撮るぞ。胸鎖乳突筋+僧帽筋は?」
「知るか、そんなこと!」
富原に向かって思わずツッコミを入れるリョウ。
ドスの利いた声でカウントダウンが始まり、カウントがゼロになる瞬間――
「今こそ撃退士の有り得ない体力を使う瞬間ッ!」
シャッターが下ろされる瞬間、合川と大神が旗取りよろしく遠野のバンダナ目掛けて同時に動いた。
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花見が無事終わり、花見会場は羽生と八辻の清掃によって来たときより綺麗な状態になっていた。
「Nothing gold can stay……。永久に輝きを保てるものは、何一つ存在しない。……そう、花は散るからこそ……美しい」
去り際、桜に向かって八辻がそんなことを呟いた。
遠野のバンダナに向かって旗取りをした2人は、神楽坂の提案によって遠野スペシャル鍛錬コースを1日体感することになった。
写真は遠野の頭が盛大にぶれてしまっていた。
バンダナの下がどうなっていたのかは、ご想像にお任せしたい。
後日、大神は遠野の顔を加工した写真を高峰に渡した。
ひどい筋肉痛で歩き方がぎこちなかった事を付け加えておく。