●兄妹
――僕は妹を守りたい。ただ、それだけだったんだ――
春の優しい日差しが降り注ぐ境内の石畳の上で、あどけない少年がまだ幼い少女を庇うように覆いかぶさり息絶えていた。
桜井・L・瑞穂(
ja0027)の震える細い指先が、すでに冷たく動かなくなってしまった兄妹を優しくなでた。
「……誰なんじゃろうの……こん子等こがしたもん……」
相良 虎太郎(
ja6915)は、苦々しい表情を浮かべてそう呟く。
「天魔の素材が人間だって、知らなかったわけでないのに、なんなんですかこの不快感は」
折り重なった兄妹の骸に苛立ちを覚えたジェイニー・サックストン(
ja3784)は、そう吐き捨てると、足早にその場を立ち去った。
それは天魔に家族を奪われ孤独となってしまった自分と違い、たとえ天魔になってしまっても守るべき家族が残されていた少年に対する嫉妬からきたものなのかも知れない。
「2人を同じ場所へ埋めてあげませんか?」
「……そうだな」
宮本明音(
ja5435)が提案し、蘇芳 和馬(
ja0168)がそっと答えた。
「私は、村の再調査へ行きますわ。もしかしたら、何かしらの痕跡が残っているかも知れませんもの」
怒りに震える桜井は、そう宣言すると踵を返し、
「……許しませんわ。絶対に許しませんわよ……!!」
そう呟きながら、村のほうへと走り去った。
時間は1時間ほど前へと遡る――。
●会敵、そして……
のどかな田園風景が広がる山間の小さな村。
民家はまばらで、田畑の中に点在しているといった感じだ。
それでも商店街まで来ると、それなりの数の家屋が立ち並んでいた。
建物の壁は所々破損しており、窓ガラスなども割れている。
壁にこびりついたどす黒いあとは、恐らく人間の血のあとだろう。
「人のいない山村。そして、そこに現れた天魔――なるほど……」
石田 神楽(
ja4485)はこれまでの経験から、今回現れた白狼が村の人間なのではないかと考えていた。
「最初の報告と後の報告で狼の色が違うっていうのは、ちょっと気になるよね」
「灰色狼がいる可能性もゼロじゃない。慎重に敵の出方を見極めたいね」
桐原 雅(
ja1822)に星杜 焔(
ja5378)が答える。
事前情報どおり、村に人の気配は全くないし、天魔が徘徊している様子も伺えなかった。
「4匹、多数を同時に相手取るのははじめてですね」
ジェイニーはそう呟き、歩きながら多数同士の戦闘のイメージトレーニングを行う。
(……何らかの争いがあったか、灰狼が隠れている等、全く別の理由の可能性もある。用心するとしよう)
襲撃されたときの爪あとが残る村の景色を眺めながら、蘇芳はそんなことを考えていた。
「天界勢か魔界勢かは解りませんけど、山村に住んでいた人たちの仇。必ずや討たせて頂きますわよ!」
意気込む桜井だったが、やはり彼女も最初の報告と毛色が違うことが気になるようだ。
「或いは何かしらの成長を遂げたのかもしれませんわ。用心しませんと」
狼の嗅覚なら、新たな人間が村に入った時点で気付いていてもおかしくないはずだが、途中で不意打ちを受けることもなく神社へ続く階段まで到着することができた。
境内への長い階段を上ると、そこには情報どおり4体の白い狼がいた。
狼たちは撃退士の姿を見ても、いきなり襲い掛かってくるわけでもなく、2体の中型狼がけん制するようにゆらりと立ち上がってうなり声を上げる。
「……あれが今回のターゲットか」
蘇芳が打刀をすらりと抜き放った。
本殿に小型狼、それを守るように大型狼が陣取っている。
「人様の領域を審判するとは無礼千万。覚悟は宜しくて?」
桜井は狼たちをびしっと指差し、声高らかに宣戦布告した。
「まずは敵の情報収集……彼を知り己を知れば、ってやつだね」
桐原も戦闘態勢に入る。
「狼っていうとズル賢いとかそういうイメージあるよね」
宮本はロッドを構え、いつでも『シューティングスター』を放てる準備をした。
撃退士が取った戦法は、前衛3人が中央で中型狼を引きつけ、足止めと敵の特性把握を行い、後衛が右翼と左翼に展開して挟撃、ならびに大型狼と小型狼の撃破を狙うというものだ。
3人が本堂へ近づくと、中型狼が行動を開始する。
近づいてきた撃退士へ一気に駆け寄り、両サイドにいた蘇芳と桐原へ襲い掛かった。
蘇芳に向かった狼は、刀を構える彼に飛び掛り、前足で押さえ込もうと試みる。
だが、その動きを読んでいた蘇芳は、軽く身体をひねって避けると、すれ違いざまに刀を振り下ろし、狼に手傷を負わせた。
一方、桐原に向かった狼は姿勢を低く突進し、蹴り主体の独特な構えを見せる彼女の足に向かって牙を剥く。
蹴りで応戦する桐原の攻撃をかわし、軸足の足首に犬歯を食い込ませた。
「くあっ!」
体勢が崩れ、転倒する桐原の足を激しく噛み振るう。
そこへジェイニーが牽制射撃を行い、桐原を解放させた。
「ありがとう」
血が流れる足首を押さえて礼を言う。振られたことによって、傷口は大きく開いてしまっていた。
「わたくしが傷を治してさしあげますわ」
桜井がそう言うと、彼女の周りを光の花弁が舞い始め、花吹雪が桐原に降り注ぐ。
「もう大丈夫のはずですわ」
彼女の言うとおり、桐原の足の傷はほとんど消えていた。
「……成る程。だいたい把握させて頂きましたわ」
蘇芳は刀を構えながら周囲に不審な点がないか探るが、新たな敵が潜んでいる気配は見当たらない。
「ちっこいんは良くわからんが、多いんが兵士、でかいんがリーダーちゅうことかのぉ、でかいんはわしにゃ相手できそうにないけんのぉ、任せるけんな」
右翼に展開した相良は、そう言いながら前衛に群がる狼に向かって弓を放った。
中央隊と右翼隊が中型狼の気を引いている隙に、左翼へ展開した石田と星杜が大型の狼を狙う。
「さあ、君の相手は俺たちだよ」
背中から光の翼を生やし、上空へと舞い上がった星杜が大型狼にむけて発砲した。
「そこに"存在する"のなら…――ただ、狙い撃つのみ」
漆黒に染まった銃のグリップが、まるで蔦のように変形して石田の腕に絡みつき、そこから黒い線がまるでレーザーポインターのように銃口と大型狼を結ぶ。
放たれた弾丸は、正確に大型狼の身体へと吸い込まれた。
咆哮をあげる大型狼。
小型狼がそこへ歩み寄り、傷口を優しく舐める。すると大型狼の傷口がみるみると塞がっていった。
「厄介な。冗談じゃねーですよ」
ジェイニーは舌打ちしながら攻撃を続ける。
「すまんのぉちっこいの、回復されちょったらこっちも疲れるんじゃわぃな、そこらでやめてくれんかのぉ?」
相良は小型狼に弓を放つが、大型狼がその前に立ちふさがって変わりに被弾する。小型狼は、大型狼の後ろに隠れるように下がるだけで、こちらを攻撃しようという意志すら感じられなかった。
「……なんじゃちっこいの、お前さんは襲ってこんのけ ……調子くるぅ敵じゃのぉ」
右翼隊攻撃の矛先を小型狼に向けると、中央隊が応戦していた中型狼に動きが出た。
1体が今まで以上の攻勢を見せたのだ。攻撃のリズムを崩された蘇芳が何発か被弾し怯む。その隙にもう1体が右翼へ向かって突進をみせた。
「いかせないよ!」
そこに桐原が立ちはだかり、回し蹴りを食らわせる。
狼にダメージこそ与えられなかったが、足を止めさせるには十分だった。
「タダでやられると、思ってんじゃねーのですよ!」
ジェイニーが足が止まった中型狼を撃つ。
「2連鎖、3連鎖ー!!」
宮本がそこへ追撃をかけた。
青白い光の矢が中型狼へと突き刺さり、そのままどっと倒れて動かなくなる。
敵の攻撃リズムを掴んだ蘇芳は、相手の動きに反発するのではなく、流れるように受け流す。
「……狙うは1点のみ」
受け流し、隙が出来たところへすれ違いざま刀を振るう。その動きはまるで流れる水のようだった。
蘇芳に斬られ、よろめたところを桜井のレイピアに突き刺された中型狼は、崩れおちるように倒れる。
「ほーっほっほっほ、引導を渡すときがきましたわね!」
中型狼に止めを刺した桜井は、大型狼を見据え、高笑いを上げた。
星杜は、隙あらば小型を狙おうと試みるが、大型狼の巨大な図体と本殿の屋根が邪魔をして、なかなか小型狼への射線が開かない。
降り注ぐすべての攻撃を大型狼が受け、小型狼はひたすら回復行動を務めている。
「狼は仲間意識強いんはわかるん……じゃがこん子変じゃ、動物らしゅうない、まるで……」
相良はあの2頭の狼の動きが、人を襲うよいうよりまるで、何かを護りたいと思っているように感じでいた。
「……あの2体の動き……。やはり、ですか……」
石田も最初に感じていたものを確信に変えた。
小型が回復に動く一瞬の隙をみつけ、ジェイニーは鋭い1撃を浴びせた。
悲鳴を上げて身体を跳ね上げた小型狼は、後ろに下がって自分の傷口を舐める。
大型狼は、目の色を変えて右翼隊へと突進をかけるが、中型狼を処理した中央隊に阻まれ、さらにそこへ左翼隊が小型狼までの退路を分断させるように割って入った。
四方からの集中攻撃を浴びる大型狼。白い毛がみるみる赤く染まっていくが、それでもまだ余力が残っているようだ。
その様子を小型狼が鼻を鳴らしながら悲しそうに眺めている。
「……今のうちに小型を処理するんだ」
蘇芳が左翼隊に向かって言った。
相良が手の中に凝縮させた棒状の影を打つ。
ジェイニーが鋭い一撃を放つ。
宮本が青白い光の矢を放つ。
それぞれの攻撃が小型狼へと吸い込まれ、身体を大きく弾き飛ばされた小型狼は、本殿の壁に当たったあと、弾かれて境内へと転がり落ちて動かなくなった。
それを見た大型狼が咆哮をあげる。聞くものすべてを臓腑から振る上がらせるほどの怒りに満ちた咆哮だった。
大型狼のがむしゃらな攻撃が撃退士の体力を奪っていく。
「くっ、まだこんな力が……っ!」
苦しげな表情を浮かべ、必死に応戦している桐原が呟きを漏らした。
「……これで仕舞いか」
おもむろに刀を鞘へ納めた蘇芳は、そう言うと腰溜めに構え、右手をゆっくり刀の柄へ添える。そして大型狼の攻撃が自分へ向いた瞬間、いっきにそれを抜き放ち、すれ違いざまに狼の巨体を深く斬り裂いた。
倒れこむ大型狼へ振り返り、血払いした刀を静かに鞘へ収める。
「倒しましたか?」
そう言いながら石田が笑顔で近づいた。
全員が息をのんで注視していると、大型狼は震えながらよろよろと立ち上がる。
だが、もはやその瞳に戦意はなく、大量の血を滴らせながら、ふらふらと小型狼のもとへ歩み寄っていった。
そして、小型狼のもとへたどり着くと、そこで力尽き、小型狼と重なりあうように倒れ、そのまま動かなくなる。
勝利を確信した桜井は、ポーズを決めて高笑いをしかけたとき、狼の死体に変化が現れ、その姿を見た彼女を愕然とさせた。
(ああ、両親の時と同じか)
星杜は心の中で呟く。
(自我が残っているわけじゃない。気にしないで良い)
星杜の心の呟きは、まるで自分自身に言い聞かせているようだった。
「子供……じゃの、こん子等……すまんのぉ、痛かったろうのぉ……もう終わったんじゃけぇの、ゆっくりねむりんしゃい」
巨大狼と小型狼は、その姿を幼い男児と女児の姿に変えていた。
「兄弟の様なふたり、ですよね……」
恐らく兄妹なのだろう。2人の顔は目元や口元が非常に似ている。宮本はそんな2人の亡骸を目の当たりにして息が詰まる思いがした。
「こういう事例もあるって聞いていたし、戦う道を選んだ時点で覚悟はしていた。でも……」
仕方ないと思っている訳じゃないと桐原が呟く。
そして、時間の流れは冒頭に戻る――。
●送魂
神社を見下ろすようにそびえている裏山。そこに生えた巨木の枝に、1頭の白い狼が境内を見下ろすように横たわっていた。
首から下げられたシルバーのファングネックレスが陽光を照り返して光る。
「あん? ありゃ何をしてんだ?」
死んで姿が戻ったとはいえ、自分たちの手で最期を与えた相手を弔っている人間たちの行動が不思議でならないのだ。
それは天魔には……いや、少なくとも彼には思いもつかない行動だった。
撃退士たちが神社の裏に墓を掘り、そこへ兄妹を埋葬する姿を興味深げに眺める。
人間というのは面白い動物だ。それが彼の率直な感想だった。
ベレー帽の少女が何やら周囲を探るように見回している。
彼女がこちらへ視線を飛ばしたとき、ふと目が合ったような気がした。
「ほぅ……」
完全に気配を消している自分の存在に気づけるはずはなく、それは偶然でしかなかったのだが、その敵対心むき出しの表情に『撃退士』という存在に対して少しだけ興味を覚える。
「しばらくは、退屈しないで済みそうだぜ」
狼はニタリと邪悪な笑みをこぼした。
今まで天界勢ばかりを相手にしていた彼は、新しい玩具を与えたれた子供のように心を躍らせる。
「また、俺を楽しませてくれや」
そう言い残すと、音もなく枝と枝を飛び移り、山の中へと消えていった。
星杜は土の中に埋もれ、次第に姿が見えなくなっていく兄妹にそっと涙を流す。
幼い兄妹の亡骸は、撃退士たちの手によって墓の中に2人寄り添うように横たえられた。
「私は今日のことを決して忘れません」
宮本は胸の前でこぶしを握り締め、そう決意する。天魔にされていたとはいえ、兄と共に生きられなかった妹と、妹を守りきれなかった兄、そんな2人のことを思うと胸が締め付けられるようだった。
「自分自身の手で、大切な人を守る力を」
自らの手で大切な存在を守れる力を身に付けようと心に誓う。
「飴、2人で仲良う食べるんじゃで? おやすみのぉ」
埋葬が終わったあと、相良はズボンのポケットから飴を取り出し、墓石代わりに立てた石の前にそっと供えた。そして、やさしく墓石を撫でてやった。
春の日差しは、まるでこの2人を弔っているかのように優しく降りそそぎつづけた。