●山頂にて
「筋肉のぶぁっきゃろーっ!!」
消えたサークルに向かって、高峰は魂の底から声を出して悪態をついた。
冷たい風だけが虚しく吹きつける。
「高峰さん……そろそろ学習しましょうよ」
わなわな震えている高峰の肩にぽんと手を置き、しみじみと声をかけてきたのはアーレイ・バーグ(
ja0276)だ。
振り返った高峰の目が点になる。
そこにあったのは、冬山に相応しくない白ビキニの少女。
「こんな格好ですが結構暖かいんですよ? 日光浴ですね♪」
よく見ると透明なスノーウェアを着用しているのだが、そもそも透明である意味がよく分からない。
「先生の悪逆非道な行いはこの胸に……」
巨大な胸を持ち上げ、チョコレースの時に擦り傷だらけになった下乳を強調する。
「残ってませんけどねー。流石に擦り傷ですからもう治ってます♪」
きっと、自慢の巨乳を強調して高峰をからいたかったのだろうが、高峰もひそかにDカップ。胸へのコンプレックスは持ち合わせていなかった。
「筋肉先生に騙されるなんて……」
「どうしてこうなったのです? 本当に」
雫(
ja1894)と御手洗 紘人(
ja2549)は、二人並んで両手でソリを抱きしめ、ただ呆然と立ち尽くす。
「うまい話には裏がある、とよく言うけれど……この豪快さ! さすが久遠ヶ原といったところか」
ネコノミロクン(
ja0229)は目の前に広がる森林を見据え、ふつふつと闘志を燃やした。
「もちろん、コロンでもただで起きるつもりはないけどね。それなりに楽しませてもらうよ」
そう言うと、景気付けに懐から取り出した酢コンブを口に含んだ。
(何でこうなったんだろう……)
楠 侑紗(
ja3231)はただ立ち尽くし、事の顛末を必死に思いかえしていた。
学園公認のスキーイベントで、きっと丁寧なスキー指導をしてもらえるのだろうと勇んで参加してみたら、何故かゲレンデでもない雪山の頂上に放置されている。あまりの状況に事態が飲み込めないでいた。
「あははは、絶景かな、ぜっけーかなってとこね♪」
額に手をあて、山からの景色を眺めながら楽しげにしているのは、ほろよいお姉さんこと雀原 麦子(
ja1553)。飲んでなくても高めのテンションを維持できるのは流石だ。
「せっかくのシチュエーションなんだし、フツーに滑っても面白くないから競争……バトルレースでもやらない? 名づけて雪山キャノンボール♪」
「その催し、私も乗っていいかしら」
指を高らかにあげてレース開催宣言をした雀原に、真っ先に名乗りを上げたのは東雲 桃華(
ja0319)だった。
桃色の長い髪が風にゆらめき、雪の白に美しく映える。
「レースに勝てば、何かおいしい物が食べられる……とか?」
呆然としていた楠も、なにやら楽しそうな雰囲気につられてやってきた。
レースには東雲や楠のほか、数名の参加者が名乗りを上げる。
「じゃあ、ルールの説明するよ」
雀原はそう言って、参加者を集めてルールの概略を説明した。
「久しぶりに滑るんだが、やるからには負けないからな」
説明を受けている参加者の中で、神楽坂 紫苑(
ja0526)はそう呟きながら静かな闘志を燃やした。
その横で青木 凛子(
ja5657)は、こぶし大の雪玉を見つめ、真剣な顔で考え込んでいる。
(この雪玉を山頂から転がしたら、どれくらいの大きさまで成長するかしら……)
ロクな事は考えていなかった。
そんな中、この状況をポジティブに受け止めている者もいる。
「裏があるとは思ったが……、読みは大当たりのようだ」
遠野の考えの裏を見事に読み当てていた蘇芳 和馬(
ja0168)は、身体操作などを直に学ぶ良い機会と判断していた。
「今回は存分に訓練に励むとしよう」
そう言うと蘇芳はゴーグルをかけ、切り立った断崖のほうへと向かっていった。
「わざわざこんな所に置き去りにするとか……」
ソフィア・ヴァレッティは(
ja1133)頭を掻き、軽く呆れながら呟く。
横では雪山キャノンボールの説明が一通り終わろうとしていた。
「とりあえず、降りないとだね」
ここはゲレンデではなく、何の整備もされていない雪山。目の前には、まだ誰の足跡もつけられていない新雪が、太陽の光を反射させてきらきらと輝いている。
「折角だから、新雪を滑るのでも楽しませてもらおうかな」
色々考えていても仕方ないと、気持ちを切り替えて純粋に楽しむことにした。
「――これは坂ではなくて、『崖』だろう……?」
小田切ルビィ(
ja0841)はところどころ岩肌が露出している断崖を前にして、なぜ自分がこんなところにいるのか必死に考えていた。
「俺はスキーをしに来たのであって、アブセイリングをしに来たわけでは断じて無い」
しかも、使うものはロープではなくスキーだ。命綱すらない。
「だが、しかし――」
彼の脳裏にむかし観たスキー映画の映像がよぎる。
「驚天動地のスキー。――そんな凄ぇシーンを激写出来る……のか!?」
懐のデジカメを握り締め、内に秘めたる渇望を認識し、わなわなと震えていた。
その後ろを少しつまらなそうに歩くのは、Nicolas huit(
ja2921)だ。
せっかく憧れの遠野先生とスキーで戯れられると思っていたのに、蓋を開けてみたら雪山に置き去り。当初の目論見から大きくはずれ、ややご立腹でもある。
「ここからカッソーするのが一番早いな感じだと思いますので! 早くロッジに行って、トーノせんせーに遊んで貰うのが目的なので!」
そう宣言すると、何も臆することなく断崖コースを滑走し始めていった。
「雪山なんて小学生の時以来だな」
鳳 静矢(
ja3856)は鳳 優希(
ja3762)の肩を抱き、しみじみと呟いた。
「うーん、とりあえず、下まで行けるかな?」
そう呟きながら優希はそりの準備をする。
「静矢さん、用意はいいかなー?」
「用意は良いが……これは一体?」
二人乗りようのソリには沢山のぬいぐるみが並べられ、人間が乗れるスペースが1人ぶんしかない。そのソリの先端にバウスプリットのような棒を取り付け、静矢はそこに括りつけられていた。
そんな夫の戸惑いなどどこ吹く風。優希は意気揚々とソリを森林へと滑らせていく。
そうこうしているうちに、雪山キャノンボール隊は山頂に整列していた。
「みんなー、用意は良い?」
陽気な雀原の声とは裏腹に、参加者の目は本気だ。
「さあ、よ〜い――」
スタートダッシュを決めるべく、全員が息を呑む。
「ドン♪」
雀原の合図とともに、レース参加者は一斉にスタートをきった。
「ふふふ……」
レース参加者が一斉に滑走していった山頂で、青木は不敵な笑いをこぼしていた。
傍らには、人間の頭部ほどまで成長させた雪玉。
「意地でもゲレンデが崩壊するほど青春してやるわ」
そう言ってサングラスをかけると、雪玉を斜面へ躍らせた。
雪玉はゆっくりと転がりはじめ、次第に図体を肥大させながら速度を増していく。
「りんりん、またエグい実験を……、ちょっと俺も混ぜて欲しいですし!」
雪玉と併走する青木の声をかけてきたは梅ヶ枝 寿(
ja2303)だ。
「ことぶ子! そっち行ったわ! 木にあてるんじゃなくてよ!」
「おっけー、任せとけ!」
二人は絶妙なコンビネーションで雪玉を成長させていった。
「…………。ナニアレ」
筋肉先生の常人とはかけ離れた思考回路に感心しつつも、純粋にウィンタースポーツを満喫していた餐場 海斗(
ja5782)を、巨大な雪玉が追い抜いていく。
先ほどまでのんびりと滑っていた彼の中で、闘争心のスイッチが入った。
「雪玉に負けるとかありえねぇ」
一気に攻めの滑りへと転換される。
断崖の頂上で今まさに滑走しようとしている3名の男子生徒の姿があった。
凛々しい顔で崖下を見下ろしているのは御手洗。その手には本人が『そり』と言い張っているダンボール箱。『みかん』の文字がまぶしく輝く。
「断崖を滑るから危険なんだ。僕は飛ぶ!」
滑走に先立ってジャンプ台を作り、その横でそう宣言したのは佐藤 としお(
ja2489)。
言ってることがよく分からない。
「男だったら一直線! 騎士だったら全力で挑戦する!」
その横でレイ(
ja6868)が高らかに宣言した。
「騎士道って言うのは、いつでも全力を尽くすモノだって聞いた!」
多分、間違ってます。
3人の横を猛スピードで通過していく影がひとつ。
「ためらっていたら逃げちゃうね赤い糸、いくよっ、恋の直滑降!!」
下妻ユーカリ(
ja0593)は脇にスケートボードを抱えたまま、崖を壁走りして下っていく。
恋はいつだってデンジャラスだからという理由で一番危険な断崖を選び、車輪があった方が高性能なはずと判断したからスケートボードを選択した。
ゲレンデが融解するようなラブがしたいと思っている彼女の思考回路こそが、既に融解してしまっているのかも知れない。
崖下から「うぉぉ、加速加速かそくぅ――!!」という声がどんどん遠ざかっていった。
負けられない――。
3人がそう思ったかは分からない。
だが、下妻の雄姿を見た3人は次々と断崖をスタートしていった。
「いきなりなんか大変な事に……」
人が減って静かになった山頂で、犬乃 さんぽ(
ja1272)が呆然と立ち尽くしている高峰に声をかけてきた。
「高峰ちゃん、実はボク、サーフィンはしたこと有るんだけど、スノボは始めてで。一緒に滑って、教えて貰えると嬉しいな」
じゃっかんモジモジした姿が可愛らしい。
「ごめんね、犬乃くん。筋肉の馬鹿な企画に巻き込んじゃって」
そう言われて、犬乃は大きくかぶりを振る。
彼にとっては、高峰と少しでも長く一緒にいられることのほうが重要なのかも知れない。
そろりそろりとボーゲンで登山道を下り始めたのは、彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)だった。
スキー初心者の彼女にとって何のレクチャーもなしに滑るのは、仮に登山道だったとしても死刑宣告を告げられたのと同じことだ。
若干足が震えつつ、S字に軌跡を描きながら慎重に滑る姿は滑稽に見えるかもしれないが、本人はいたって真面目なのだ。
彩は慎重に慎重に、ゆっくり確実に斜面を下っていった。
山頂からの景色をデジカメにおさめているのは、麻生 遊夜(
ja1838)。
「あ〜、一緒に滑りたかったなぁ」
そんなことを呟きながら、最近できた愛しい恋人の拗ねた顔など思い浮かべた。
「今度、誘ってみますかね」
少なくとも、遠野先生が企画したイベントは止めておいたほうが良いと思う。
殆ど人が居なくなった山頂で、可愛らしいミニスカサンタの逸宮 焔寿(
ja2900)が雪だるまをつくろうと悪戦苦闘していた。
季節はずれと言うなかれ。可愛いは正義。季節なんてくそ食らえ。可愛ければ良いんです。
「たくさんたくさん作るのです♪」
歌うように呟きながら、雪玉を大きくしていく。
ある程度まで大きくなったら、次は頭部になる雪玉を作る……はずなのだが、そのたびに先に作った雪玉が消えていた。
「あれ?」
頭にクエッションマークを浮かべながら小首を傾げるが、あまり深く考えずに新たな雪玉を作り始める。
そんなことを少なくとも5回は繰り返していた。
●雪山キャノンボール
「敵機発見……追突します」
木々を避けながら、華麗なソリ操作を見せる雫。
彼女の前方には、競り合っている東雲と雀原の姿があった。
「桃華ちゃん、くらえっ!」
「くっ、卑怯よ!」
雀原が枝から掠め取った雪で作った雪玉を投げつけると、東雲はそれを手刀で砕き、抗議の声を上げる。
東雲は、あくまで正々堂々とした勝負に拘っていた。
美しさを欠いた速さには、何の価値もない。
雪玉に怯むこともなく、さらにスピードを上げていく。
「桃華ちゃん、やるぅ♪」
賞賛の声を上げる雀原の視界に、急速接近してくる雫がはいった。
「雫ちゃん、ちょっと共闘といかない?」
雫の突進をギリギリでかわした雀原は、彼女と併走してそう持ちかける。
前方には徐々に遠ざかっていく黒い花弁を伴った桃色の後ろ姿。
雫は小さく頷くと、東雲の追撃体制へと入った。
両サイドから東雲を挟み込むように追い上げる。
「東雲さん、覚悟っ!」
「なんのっ!」
雫の突撃をコブを使ったジャンプで回避。
「くらえ♪」
そこへ前方に回りこんだ雀原が、スノボの固定具から外した右足で木の幹を蹴飛ばす。
『きゃあ!』
木の枝から落ちてきた大量の雪は、東雲と雫を巻き込んだ。
「ふふふ、甘――っとわ!」
雀原は気を抜いた瞬間、段差でバランスを崩してしまい、そのまま転倒する。
その横を黒いスノーウェアの男がすり抜けた。
「足引っ張り合ってる間に先に行かせてもらうぞ」
影野 恭弥(
ja0018)はそう言い残し、木々の間を最短コースで縫うように滑走していく。
「負けてらんねえぜ!」
その滑りに触発されたのは、神楽坂だった。
冷静かつ堅実な滑りで木々をぎりぎりでかわし、影野のあとを追う。
「お先に失礼するぜ。子猫ちゃんたち」
雪にまみれた東雲と雫の横を通り過ぎるとき、そんな軽口を投げかけるのを忘れなかった。
そんな光景をゆったりまったりたゆんぷゆんしながら眺めているのは、半裸にしか見えないアーレイ嬢。
レースに参加したものの、勝ちには全くこだわっていない彼女は、大きな胸をたゆませながら、のんびりとスキーを楽しんでいた。
●I Can Fly
それは、滑走というよりは落下に近かった。
所々にごつごつとした岩肌が露出しており、ライン取りを間違えたら命の危険すらありうる。
蘇芳は雪面から受ける力をコントロールしながら急斜面でカービングターンをし、常に先の展開を予想しながら滑る。
岩肌を飛び越え、雪面へ着地するときは身体のばねを使って衝撃を吸収する。勢いを殺しきれずに尻餅をついても、その反動を利用して体勢を整える。
流れと一体化し、身体にかかる負荷に無理には無理に抵抗しないその体裁きは、まさに流れる水のようであった。
「すげぇ、凄すぎるぜ!」
小田切は感嘆の声を上げながら、蘇芳の華麗な姿をカメラのファインダー越しから追い続ける。
撮影時のカメラマンがカメラを覗くと、危険に対しての感覚が麻痺してしまうという話を聞いたことがあるが、今の彼はまさにその状態だろう。
カメラで蘇芳を追いながら、夢中で彼のあとを追っている。
「かぁああそおくぅ――――!!」
その横を下妻が一気に通り抜けて消えた。
「なんだあれ……?」
そう呟きながらも、デジカメに収めることは忘れていない。
超絶スキーシーンを記録するという事に全神経を傾けている今の小田切には、何も怖いものが無いのかもしれない。
雪玉を成長させながら森林を滑走している青木と梅ヶ枝。
二人でパス回しをしながら、雪玉が木に激突するのを防いでいる。
「ことぶ子、行ったわよ!」
「やべっ!」
青木のスルーパスを受け取った梅ヶ枝は、痛恨のミスを犯す。人丈まで成長した雪玉にストックを轢かれ、バランスを崩して転倒。舞い上がる雪煙の中に消えた。
「ことぶ子ーーっ!!」
舞い上がった雪煙を穿つように雪玉が通過し、そのあとには雪玉が通過したときにできる溝があるだけで彼の姿が無い。
悲鳴を上げる梅ヶ枝を吸着したまま転がっていく雪玉を呆然と見送っていた青木。前方に巨木が迫っていることに気付いて我に返り、咄嗟に急旋回をかけた。
巨木の回避に成功して安心したのも束の間、避けた先は崖。不意に身体が浮遊感に包まれる。
「あたしの青春は終わらないわー!」
青木の魂の叫びが山裾にこだました。
「なんかすげぇ事になってるけど、負けるわけにはいかねぇ!」
餐場は先行する雪玉へ向けて最短コースを攻め、時には迫り来る大木すらもキッカーに変えながらぐんぐんと距離を詰める。
倒木をキッカー代わりに大ジャンプし、ミュートグラブを決めた。
そのまま転がる雪玉すらもキッカーに変え、雪玉の軌道を変える。
崖のほうへと転がっていく雪玉に勝利を確信した餐場は、ガッツポーズを見せながらそのまま攻めの滑りを見せながら颯爽と滑走していった。
「I Can Fly――!!」
頂上から加速をつけ、自分で作ったジャンプ台から断崖に躍り出た佐藤は、降下していると表現するほうが正しい。スキーをV字に開き、光纏しながら落下する姿は、まるで天駆ける黄金の龍。いや、墜落してゆく龍といっても過言ではなかった。
レイは垂直に切り立っている崖を選び、直滑降で滑走している。表現としては「滑る」というより「落下」の方が正しい気がする。
「スゲー! スピード!! こえええよ!」
涙の軌跡を引きながら、どんどんと降下速度を増していく。
この速度だと、転倒して止まるという選択肢も選べない。絶体絶命のレイが選んだ行動は――
「あい! きゃん! ふらぁぁぁいぃぃぃ!」
飛んで何とかすることだった。
しかし、必死に飛ぼうとするが、
「は! まだスキル覚えてなかった!!」
『小天使の翼』が無いからどうにもならなかった。
レイは虚しく落下していった。
「何でも日本製がいいと思うななのですぅぅぅぅ……」
御手洗は捨て猫よろしく、ダンボールに収まって崖を落下している。
着地のたびに無残に変形しているが、それでも箱としての様相を保っているのは、さすが日本製というところか。
風向きなどを読みながら絶妙なコントロールで岩肌を避ける。そんなとき、崖横の森林から巨大な雪玉が飛び出してくる。
「……は?」
それは、御手洗めがけて真っ直ぐ落ちてきた。
回転する雪玉に人影が張り付いているような気がしたが、そんなことはどうでもいい。その雪玉は、まるで狙いすましたかのように迫ってくる。
「なんで雪玉がこっちにくるんです!!」
迫り来る雪玉に向かって、咄嗟にフレイムシュートを放った。
「ふむ、雪崩が発生しているな」
遠野はロッジでホットココアを啜りながら、生徒たちが奮闘しているであろう雪山を眺めている。
彼はディメンションサークルで生徒たちを送り届けたあと、自身は麓へと転移してもらい、一足先にロッジで温まっていた。
ストーブの前には、下妻が目を回して横たわっている。
真っ先に墜落していった下妻は、雪に刺さっているところを遠野に救出されたのだ。
前方の断崖斜面で派手な雪煙があがる。
雪のクッションを利用し、黄金の龍が飛び出した。
「お、きたな」
両手を広げ、風を読みながら飛距離を伸ばす姿は、まさに海面を飛翔し続ける飛魚のようだ。
それはそのままロッジへと接近してきた。
遠野は窓から離れ、部屋の隅へと移動する。
遠野が移動し終わると、ロッジの壁を破壊する轟音とともに黄金の竜こと佐藤が飛び込んできた。
「漢は途中で止まれないのさ……」
床にひっくり返りながら、遠野に向かってサムズアップを見せる佐藤の表情からは、何かをやりきった清清しさが満ち溢れていた。
そのあとも断崖コースを選んだ生徒が続々と戻ってくる。
急斜面を颯爽と駆けきった蘇芳は、ロッジのかなり手前から板を進行方向と垂直にし、派手に雪面を削りながらブレーキをかける。
ゴーグルを外して斜面を振り返り、スキルを応用した肉体操作や力の流し方に満足しながら雪山を眺めた。
「チョー怖かった……死ぬかと思ったよ……」
がくがくと震え、レイは涙ながらに言う。
着地した先が深い深雪の上だったおかげで、なんとか無事に下山することができた。
「おい、なんか凄ぇぜ!?」
小田切がファインダーを向ける先では、小規模な雪崩が発生している。
彼が言う『凄ぇ』は、雪崩のことではなく、雪崩の上に乗っているダンボール箱のことだ。
自ら発生させた雪崩と競争しながら滑走するシーンなら見たことはあるが、ダンボールに乗って津波に波乗りというのは、見たことも聞いたこともない。
津波は途中の岩石にあたってせき止まり、ダンボールだけが勢いあまって飛翔し、さらにそこから御手洗が飛び出した。
「ひぁあああぁぁぁ!!」
御手洗の悲鳴が遠野に向かって近づいてくる。
遠野はコキコキと首をひねったあと、両手を広げてキャッチ体制に入る。その直後、腕の中に御手洗が飛び込んできて、お嬢様抱っこ状態になった。
「もう……お婿にいけない……グズ……」
御手洗は目をうるうるさせながら、乙女ちっくにそう呟いた。
御手洗をお嬢様だっこしている遠野の腕に、誰かの腕が絡みついてくる。
「トーノせんせー、捕まえたー!」
嬉々として遠野の腕にぶら下がったのは、何のアクシデントもなく断崖を下りきったニコラだ。
彼は大好きな遠野に会いたい一心で最短コースである断崖を選んだのだ。
「トーノせんせー、僕と遊ぶと良いよ!」
「おおぅ!?」
「ぎゅーってして、がばーってして、ぐるぐるーってする。良いと思います」
満面の笑顔を見せながらのニコラのお願いは、さすがの遠野をも困惑させた。
●森林ワインディングロード
ソフィアは森林の斜面で軽やかな滑りを見せていた。
もともとスノボ経験があり、そこに撃退士としての身体能力も加われば、こんな斜面など何てことはない。
こぶをキッカー代わりにジャンプし、簡単な技を披露しながら純粋に滑りを楽しんでいた。
「お?」
マイペースで滑っているネコノミロクンの前を、野うさぎが横切っていく。
整備されたゲレンデと違い、ここは自然が溢れている……というより、自然の真っ只中だ。当然、野生生物に遭遇することだって十分ありえる。
スキーを止め、ポケットから取り出した梅飴を口に運ぶと、野うさぎのあとを追って、再びゆっくりと滑り始めた。
半裸少女ことアーレイは、レースに参加してはいるが、特に勝ちを狙っているわけでもなく、ゆっくりと滑走している。
「みんな、頑張ってますねぇ」
そう呟く彼女の前方では、レースに復帰した東雲、雀原、雫が抜きつ抜かれつのデットヒートを繰り広げていた。
「負けないわよ♪」
雀原がそう言えば、
「私だって唇は死守するわ!」
東雲がそう返し、
「勝って遠野先生への仕返しを手伝ってもらうんだから!」
雫もそれに答える。
遥か先へと行ってしまった影野を追って、必死の追い上げをみせていた。
「優希、当たる、木に当たる……!」
そりの先端に括りつけられた静矢は、口調こそ冷静だが顔は真剣そのものだった。
「わー、危ないねえ」
そんな夫を知ってか知らずか、のほほんとした口調で答える妻、優希。
先端から聞こえる鈍い打撃音と「ぐはぁ!」「がはっ!?」という夫のうめき声は聞こえているはずなのだが、全く気にする様子がない。
「ええい、仕方ない」
何度目かの激突でしびれを切らした静矢は、魔具を具現化させて受け流そうと試みたが、体を固定されていては成す術がなかった。
森林を迂回するように登山道がある。
ほとんどの参加者が森林か断崖を選び、こちらはかなりのんびりとした時間が流れていた。
「そうそう、胸とか骨盤の向きと反対方向に腰を落とすの」
高峰は、犬乃にスノボの滑り方をレクチャーしていた。
「この辺は、サーフィンと一緒だね」
身体の使い方がサーフィンとほとんど同じことがわかると、犬乃の上達は早かった。
「高峰ちゃん、見てー」
高峰に良い所を見せようと、カービングしながら彼女に近づいていく。そして、直前でターンしようとした瞬間、バランスを崩した。
「ちょ、犬乃くん!?」
明らかに体勢を崩して自分に突っ込んでくる犬乃に、高峰は思わず声を上げる。
「わわわ、高峰ちゃん、危な……」
そして、勢いを殺せないまま犬乃と高峰は接触。犬乃は高峰が怪我をしないよう、とっさに自分が下敷きになるよう彼女の下に身体を潜り込ませた。
「いった〜い……、犬乃くん、大丈……」
言いかけて、高峰の動きが止まる。
仰向けに倒れた犬乃の胸の上にのしかかるように倒れた高峰。
はたから見たら、高峰が犬乃を押し倒しているようにも見える。
「ごっ、ごめん」
絵的には、押し倒された被害者にしか見えない犬乃が、顔を真っ赤にして謝った。
「ご、ごめん。重たいよね!? す、すぐ退けるから……っ!」
そう言った高峰だったが、お互いのボードが引っかかっていて、なかなか起き上がれず、意図せず組んず解れずの状態になる。
登山道脇の森林から、シャッター音が聞こえた。
「これはなかなか面白いものが撮れたな」
麻生はこっそり二人の状態をデジカメに納め、満足げに呟く。
一瞬、助けに行こうかとも考えたが、なんだか楽しそうにも見えたので、そのまま放っておくことにした。
そこより少し山頂付近。
彩はボーゲンでゆっくりと滑走していた。
その横をミニスカサンタがそりで通り抜けていく。
山頂に一人残り、雪だるま作りにいそしんでいた逸宮に追い越されたということは、彩が一番最後尾になったことを意味していた。
一人取り残されることへの焦りから足元の注意が散漫になり、スキーの先をクロスさせて、つんのめるように勢いよく転倒してしまう。
しかも、転んだ先が急な斜面になっていて、何度も横転を繰り返し、そのまま雪玉化していった。
スキー初心者の楠は、レースに参加してみたものの、まともに滑ることが出来ずに何度も転倒を繰り返していた。
「……トナカイに乗った王子様が、そりに乗ってやって来てくれないでしょうか」
小さなため息をつきながら、そんな軽口を叩いた彼女の前に現れたのは、トナカイに乗った王子様ではなく、ミニスカサンタが転がした巨大雪玉の数々。
普通なら軽く恐怖を覚えるところだが、幾度も転び、全身が雪まみれで早く下山したい彼女がとった行動は、
「いつまでも、こんなところにいられるかー……です」
自ら雪玉と同化し、麓まで一気に転がり降りるというものだった。
転がる雪玉たちの中に彩がコアになった雪玉も混ざり、木々をなぎ倒しながら麓へ向かっていった。
「さて、他の連中はどうなったのやら」
麓に着いた影野は、そう呟きながら雪山を見つめた。
木々が大きくゆれ、バキバキという音がこだまし、巨大な雪玉が森林に幾筋もの通り道を作っているのが見える。
影野は何も見なかった、聞こえなかったことにしてロッジに向かうことにした。
その後、森林コースを選んだ参加者も続々と下山してくる。
神楽坂とソフィアは、用意しておいたお汁粉やコーンスープを下山してきた参加者に振舞った。
レースの結果は、影野が優勝したのははっきりしているのだが、雪玉騒動で誰が最下位だったのかあやふやになってしまった。
「残念でしたねー」
最初から最下位を狙っていたアーレイが残念そうに言った。
騙されたことへの仕返しとばかりに、雫は遠野のバンダナを剥ぎ取ろうと試みる。
咄嗟に光纏してまで避ける遠野。目がマジだ。
「おっさんがいじめる〜」
「おっさんじゃねぇ! お に い さ ん だ !」
頭のバンダナを守りながら遠野が叫ぶ。
「先生、もしかして……」
「禿げてねぇし!」
遠野はネコノミロクンの呟きを全力で否定する。
「まだ何も言ってないけど……」
目立った怪我もなく、無事に全員がそろい、 遠野は帰りの時間まで向かい側にあるゲレンデでスキーを楽しむことを許可した。
料金は、すべて遠野が負担する。
山頂へ転送されたときには、ほとんど滑れなかった初心者も、普通に滑れるようになっていた。
スパルタと言っても過言ではないスキー訓練だったが、参加者はそれぞれに得るものがあったようだ。
そんな中、再び山頂へと向かっていく一組のカップルがあった。
「……よし、今度は選手交代で滑ろうか……なぁ優希?」
妻の優希が乗ったそりを引っぱる静矢は、恐ろしいくらい満面の笑みを浮かべて、優しくそう言った。
いつまでも夫婦円満であってほしいと願う。