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「温泉は、良いけど、合いも変わらず無茶な場所にあるとは、また、騙されたような気がする……」
辟易した表情でつぶやいたのは神楽坂 紫苑(
ja0526)だった。
スキー、お花見、ツーリングに続く遠野企画第4弾。彼は今回も含め、そのうちの3つに参加している。
毎度、当たり障りのない内容を謳いながらも、実際に参加してみると想像の斜め上を行くぶっ飛んだ企画だ。
流石に今回の遠野は、生徒を残してひとりで先に進んでしまうということは無いようだが、時折地面や樹木のうろなどを探りながら歩いている。
「ん、まあ修行だと思えば何とかかな? こんな険しい道とは予想してなかったけど……」
苦笑を浮かべる猫野・宮子(
ja0024)。
彼女らが進んでいるのは、何の整備もされていない山林。
雪は無いが気温は低い。
「すっかり冬になって、ぐっと冷え込んできましたね……」
そう言ったのは黒木・恵梨(
ja0805)。
かじかみそうな手に、ハァと息を吹きかける。
「うーん」
柏木 優雨(
ja2101)は、後ろで束ねた長い髪が山林を歩くには煩わしくて気になるようだ。
「どうしたの? ゆうりん」
高峰が声をかける。
「髪……切ろうかな……。でも、長いほうが良いって……言われたし……」
毛先をいじりながら答える。
「私も長いほうが可愛いと思うな」
「……ありがとなの」
表情の変化こそ乏しいが、柏木は内心で可愛いという言葉を素直に喜んだ。
「誰も入ったことのない秘湯……みたいなところって一度入ってみたかったんだよね」
このような場所をかきわけて進んだ先にある温泉である。
桜花(
jb0392)の期待もおのずと高まっていく。
「ふわあ、秘境の温泉! 私も楽しみです!」
久遠寺 渚(
jb0685)もまた、秘湯という響きに胸を躍らせているひとりだ。
「とっ、ところで遠野先生は、あの、さっきから何をしているんですか?」
「うむ、良い食材でもないかと思ってな」
遠野の手には、まるまると太った蛙が握られていた。
「わふー♪ 野外訓練でありますな!」
声を弾ませたのはプルート=プルート(
jb2796)。
「自分、訓練は天界にいた頃より日常的に行っているので、こういうのは大好きであります!!」
何処に隠し持っていたのか、プルートは虫取り網を無差別に振り回しはじめる。
そして、ここにもう1人、人間ではない参加者がいる。
はぐれ悪魔のユーノ(
jb3004)だ。
学園の生徒と行動を共にするのは今回が初めてだが、それが任務ではなく秘境の温泉ツアーになるとは本人も思っていなかった。
いささか間の抜けた話だと思わなくもなかったが、これから人間の世界で暮らすことになるであろう長い歳月を彩るものとして、このようなイベントは外せない。
「さーて、どんな秘境かなー? 山の中も寒いのも慣れたもんだしね」
そう言う碓氷 千隼(
jb2108)は、高峰と同じ北海道出身。
幼少の頃から野山を駆け回っていただけあって、この程度の寒さなど気にもならない。
リーリア・ハートネス(
jb2023)は、遠野や高峰と軽く挨拶をかわしたあと、これから行く温泉のことを高峰に聞いてみた。
「先生とっておきの場所っていうこと以外、私も詳しくは知らないんだ」
「そうですか……。ところで、高峰さんはテントなどお持ちになったんですか?」
「寝袋だけだよ」
「では……寝るときは……私のテントでご一緒しませんか?」
「え、良いの? じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかなぁ」
温泉に行くという目的のために、こんな山奥を歩いていることに疑問をもつどころか、女性陣はこの状況を受け入れてさえいる。
「久遠ヶ腹女子って……たくましいよな……」
神楽坂のつぶやきは、山林を抜ける風にかき消された。
途中、はしゃぎすぎたプルートが迷子になりかけるアクシデントはあったが、それ以外に目立ったトラブルもなく山林を抜けた。
「こ、ここを降りるの……?」
高峰の声が震えている。彼女の足元には、崖下まで30mはあろうかという断崖が口をひらいている。
「お前らは撃退士だ。なんてことないだろう? なぁに、俺が先に降りて足場を確保しておいてやるから心配するな」
遠野は丈夫なロープを木の幹に縛り付け、しっかりと固定されたのを確認してからそれを断崖に垂らす。
「俺が下まで降りたら、一人ずつ順番に降りてこい」
そう言い残して、遠野は所々に杭を打ちつけながら下っていく。
遠野のあとは、安全性を確かめるために神楽坂が率先して降りた。
尻込みする高峰を尻目に、メンバーがどんどんと崖を降りていく。
「真奈、お先になの」
「ゆうりんまで、なんでそんなに平然と!?」
幾ら場数を踏んでもヘタレはヘタレ。怖いものは怖いのである。
「高峰様は降りませんの?」
ユーノは、尻込みしている高峰に声をかける。
「いや、だって……怖くないの?」
「滅多にない機会ということで、ここで楽しめそうなことは思う存分楽しませて頂きますの。あとで惜しんでも仕方ありませんものね」
闇の翼を使えば難なく降りられる高さだが、ユーノは皆と同じ苦労を味わうことをえらぶ。
ユーノがどんどん遠くなっていくのを見て、高峰も意を決して崖下りすることにした。
崖を下ると、そこにはぽっかりと洞窟が口を開いていた。
「……え? ど、どーくつ越えないといけないのでありますか?」
急にうろたえるプルート。何を隠そう、彼女は暗所恐怖症なのだ。
「ここを抜けた先にあるんだ」
松明に火を灯し、遠野が先導する。
おたおたするプルートをよそに、他の仲間はどんどんと洞窟へ入っていった。
「ちょっ、待ってよー!」
やっと崖を降りきった高峰がプルートそばを通り抜けようとしたとき、彼女はすかさず高峰の服の裾をつかむ。
「た、高峰殿、じ、自分と一緒に洞窟を抜けてほしいであります」
「……怖いの?」
こくこくと必死に頷くプルート。
高峰はクスッと笑ったあと、プルートの手をしっかり握って洞窟を進んでくれた。
洞窟はしんと静まり返っていて、靴音や水の滴る音が不気味に響きわたっている。
あたりにほんのり漂う硫黄の香りが温泉が近いことを示唆している。
「温泉……楽しみです……」
リーリアの声に抑揚はないが、口にだすくらいだから本当に楽しみなのだろう。
プルートは、高峰の手をぎゅっと握りしめ、聞こえてくる物音のひとつひとつにビクビクと反応している。
そして、不意に飛び立ったコウモリに驚き、手を握ってくれている高峰を引き倒し、悲鳴を上げて洞窟を爆走していった。
洞窟の途中には広い空洞があり、遠野は焚き火の準備をしながらここがキャンプ地になると説明した。
空洞の少し先に洞窟の出口が見えていて、湯気が立ち込めているのが確認できる。
「冬の秘湯を堪能します……!」
黒木の台詞を号令にするように、生徒たちは荷物をおろし、嬉々として温泉へと向かった。
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「温泉到着♪ ……って、天然の温泉過ぎる!?」
予想以上の温泉に、猫野は思わず声をあげた。
「こ、これはええと……着替えとかはテント使うしかないね……」
「なら……私のテントを使って……」
リーリアは、温泉場の隅にテントを張りはじめる。
「私のテントも提供いたします」
ユーノも自分のテントをリーリアの隣に設置した。
その間に遠野は光源確保のために温泉場の四隅に焚き火を設置する。
「さーて、温泉温泉。ま、上手く岩で二つに分けられてる感じだし、ここまで登ってお預けも可哀そうだから、入浴を男女で分ける必要はないでしょ……って、あれ?」
碓氷の台詞を他の女性たちが全力否定した。
「……水着用意してるのって、あたしだけ?」
結局、温泉の中央にある岩を境に男湯と女湯に分けることにした。
一応、岩でしっかり分けられてはいるし、湯気で視界は狭くなっているが、壁で完全に区切られているわけではないので、万が一のために女性陣は湯船まではしっかりとタオルを巻いて移動する。
「ふう……。この時期の温泉は格別です……。登山の疲れも癒えますね……」
黒木はかけ湯をしたあと、タオルを外して肩まで湯に浸かった。
まるで全身の疲労が湯ににじみ出ているような感覚が全身を包みこんだ。
「たまにはこう、温泉に入るのもいいものだね……」
桜花は大きく伸びをしたあと、黒木の身体を抱きよせる。
「な、なんで抱きついてくるんですか?」
「気にしなくて良いよ」
桜花にその気があるわけではない。年下に過保護なまでの愛情を抱き、それがセクハラまがいなスキンシップとして出力されているだけなのだ。
「うー」
どうにも腑に落ちない黒木。
その隣で湯に浸かっている猫野は、年下のリーリアと自分の胸を見比べる。
「……どうかした?」
リーリアが猫野の視線に気付いた。
「な、何でもないよ」
慌ててそう答えた猫野だが、年下のリーリアの方が大きくて、内心では若干へこんでいたりする。
「真奈の……大きいの……羨ましいの」
柏木がぽつりと呟いた。
「は、恥ずかしいから、そんなまじまじ見ないでや」
赤面して胸を隠す高峰。
何が大きいのか言及していないが、彼女の視線をたどれば何が大きくて羨ましいのか一目瞭然だ。
湯汲み着姿で入浴しているのは久遠寺だ。
プルートは、そんな久遠寺の様子を不思議そうに眺めていた。
「わっ、私の顔に何かついてますかっ?」
「いえ、久遠寺殿は、なぜ着物姿で入浴しているのかと思いまして。事前に予習した本には、温泉は裸で入るものとしたためられておりましたので」
ちなみに漢字が読めないプルートは、ひらがなのみを読んで内容を解読してきている。
「じょっ、女性だけだったらいいですけど、だっ、男性も一緒なのに肌かなんて絶対ありえません!」
「そういうものでありますか」
女子の恥じらいというものを理解できないでいるプルートだった。
「……何か?」
ユーノは、自分に向けられた桜花の視線に気付く。
「ああ、ごめんね、見つめたりして。天使も悪魔も人間と大差ないんだなって思っちゃって」
桜花は苦笑をかえし、あなたも一杯どうと、お盆に浮かべたジュース入りの紙コップを差しだした。
天魔と裸の付き合いをするなんて、滅多にある機会ではない。
物珍しく、つい観察してしまったのだ。
「そういう桜花様は、なぜその傷跡を消されないのですか?」
「この傷?消せるけど……なんか、自分の過去も消しちゃいそうで消したくないの」
桜花には、顔と左胸に過去の事故で受けた傷跡がある。手術をすれば綺麗に消せるのだが、彼女にとっての傷跡は、自分の生きた証なのだ。
「過去……ですか」
数百年生きられる天魔と違い、数十年しか生きられない人間にとって、過去とはどれほど大切なものなのか、はぐれ悪魔になって間もないユーノには、まだいまいち良く理解できなかった。
彼女にとって大切なのは、過去ではなく二度と訪れないであろいう一瞬なのだから。
リーリアはそんな皆の様子を、岩に背を預けてゆったりと湯に浸かりながら眺めていた。
「男のコは少数で肩身が狭そうだねー」
碓氷が悪戯っぽく笑う。
男性が少ない分、女性はより取り見取りで様々なタイプがいる。
「久遠寺の肌、白くてスベスベー」
「えっ、なっなな、何をっ!?」
「リーリア、胸おっきぃ」
「碓氷さんも大きいです」
もちろん、声だけのサービスなのだが、
「隣は、にぎやかですね」
「……そうだな」
状況が全く見えない神楽坂と遠野は、ただ悶々とするしかなかった。
「まあ、こっちは、ふたりで、のんびりしますか?」
神楽坂は、そう呟いて星空を見上げた。
切り立った崖の中にぽっかりとあいた夜空は、まるで星屑のキャンパスだ。
その中で煌々と輝く月は、幻想的でとても美しい。
そこに氷の蝶が舞う。
月以外にも風情があるものをと、柏木がスキルで生み出したものだ。
「ほぅ」
遠野は感心したような声をもらした。
「良い夜ですね」
「そうだな」
ふたりは、しばらくの間、夜空を見つづけた。
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温泉で身体を温めたあと、早速夕食の準備にとりかかる。
「料理なら任せろー」
ここが見せ場といわんばかりの気合いを入れる猫野。
「久遠寺は生きた食材を持参か!」
久遠寺のリュックから白蛇が顔を出してるのを見て、遠野が豪快に笑いながら言った。
「まっ、まま、まー君は食材じゃありませんっ!!」
久遠寺は涙目になりながら、慌ててリュックに押し込んで口を閉める。
気を抜けば、まー君が遠野の胃袋におさまりかねない。
「みんなっ! 自分が捕まえた食材を見てほしいであります!」
プルートは自慢げに袋を開けて中身を披露する。
袋の中では大量の虫たちがうごめいていた。
「ぅきゃーっ!」
盛大な悲鳴を上げたのは高峰。
残りのメンバーも、あの遠野さえも顔を引きつらせている。
「蟲は……食材じゃないの。食べたらダメなの。かわいそうなの! こんなに可愛いのに……」
柏木は、ムカデを撫でながら訴える。
「いやいやいや」
いろいろツッコミ所はあるが、予想の斜め上をいく柏木の反応に神楽坂はそれしか言葉が出ない。
捨ててくるように桜花からやんわりと諭され、プルートはしょんぼりしながら洞窟の隅で袋を開放した。
虫たちが四方に散り、新たな悲鳴が沸き起こる。
「あちらは楽しそうですね」
仲間たちの喧騒眺めながら、ユーノは手際よく蛙をさばく。
「鳥さんに似た味と食感って聞きますけど、本当でしょうか?」
「チキンに似てるが、独特の脂っこさと臭みがあるぞ。素揚げにすると美味い」
久遠寺の疑問に遠野が答えた。
その横では、黒木が覚束ない手つきで具材を切っている。
「包丁で指切るなよ?」
見かねた神楽坂が手ほどきをくわえる。
料理が得意なメンバーが多かったおかげか、本日のメニューが次々と出来上がっていった。
遠野が用意した紙皿に飯ごうで炊いた白米が盛られ、生徒らが協力して作ったカレーがかけられる。
別の器には豚汁がよそられ、それぞれに配られた。
食事が五臓六腑に染みわたる。
「なかなか美味しい食材ですの」
蛙を食べたユーノの感想を聞いた何人かは、おそるおそる蛙にも手を伸ばす。
食事のあとは、それぞれテントや寝袋を使って就寝した。
遠野は、焚き火が消えないように夜通しで火の番をするつもりのようだ。
「……はい。お疲れ様なの」
皆が寝静まったころ、柏木がコーヒーの差し入れをしてきた。
「眠れないのか?」
左右に首をふる柏木。
「友だちと……こういうのは、初めてだから……楽しかったの。機会をくれて……ありがと、なの」
そう言いのこし、柏木はテントへと戻っていった。
翌朝、朝食をとったあと、帰路へとついた。
(良い思い出になりました……)
荷物をまとめながら、黒木は心の底からそう思っていた。
今回のツアーは、撃退士になっていなければ体験できなかっただろう。