●準備OK?
転移装置を抜けた先は、緑豊かな大自然の中だった。
「みんなー、こっちこっち」
聞き覚えのある声に振り向けば、準備のため一足先に現地入りしていた神代 深紅 (jz0123)の姿があった。
彼女の足元には、テントや食材が詰まった荷物が山と積まれていた。
「着いて早々に悪いけど、これ子供達が来る前に運んじゃって」
そう言って、この辺に……と案内図を指し示した。
「ねぇカイ、あそこだよね」
場所はすぐに分かった。南原拓海――ナハラ(jz0177)が居たからだ。その隣には、アルカイドの姿も見える。
「……久しぶり。子供、産まれたって聞いたよ。おめでとう」
「赤ちゃん、双子だって聞いてます。今後のためにも今回の依頼がんばらないと、ですね」
黒猫ティアラを抱いた水無瀬 快晴(
jb0745)と水無瀬 文歌(
jb7507)が祝いの言葉を述べると、ナハラは少し照れたように微笑み。
「その様子では順調に育っているようだな」
「はい、お陰様で」
母子の体調を気に掛けるファーフナー(
jb7826)には、深々と頭を下げて礼を述べた。
鴉乃宮 歌音(
ja0427)は均等にテントを配置しつつ、周辺の様子を確認する。
危険要素があれば取り除くつもりだったが、特に心配はなさそうだ。
「テントは先に張っておくのか?」
アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)の呟きに、小宮 雅春(
jc2177)は考えを巡らせた。
「このままで良いと思いますよ」
子供には重労働かもしれないが、せっかくの機会である。
できる事は自分達でやる――それがキャンプの醍醐味なのだから。
●キャンプ開始
「では、まず自己紹介をしようね」
芝生の上に体育座りをした子供達の前で、雅春が微笑んだ。
「僕はコミヤンって言うんだ。よろしくね。そして友達の……」
得意満面で手を伸ばした場所には、何の影もない。
おや? と首を傾げ、周囲に視線を向けるコミヤン。
「……出ておいでー、キツネイヌ!」
そう叫んだ瞬間。
『おいらはコヨーテだっ! キツネイヌって言うなー!』
ヒヒイロカネから顕現させたパペット・コヨーテの拳がコミヤンの鼻先を襲った。
(えっと、明日花ちゃんは……)
列の中程にその姿を見つけた瞬間、ばっちりと視線が合った。
星杜 焔(
ja5378)が微笑みを向けると、おませな女の子は、とびっきりの可愛い笑顔を返してきた。
上手く気を引く事ができたらしい。
「俺は星杜 焔。皆と友達になれたら嬉しいよ。よろしくね」
その後も順番に学園生の自己紹介が続き、今度は子供達の番。
すっくと立ち上がり、元気よく名前を言っていく子供達。
「矢野……です」
その中で、名字だけを告げた男の子がいた。心太だ。
「お名前は言えるかな?」
優しく問いかける文歌に、男の子は俯いたまま。
「ここたー」
答えは別の子供から上がった。
「心太くんは自分の名前が嫌いなんです」
「別の意味があるんだっけ?」
「でもそれ言ったら、勇馬だって『未確認動物』だし」
「み、みかくにんどうぶつって何?」
違う。それは違うけれど。次々と挙げられる例に、怖がりな勇馬は耳を塞いだ。
●モンダイ大作戦
学園生の手を借りながらテントを張り終えた子供達。
心地よい達成感が冷めないうちに、自然学習の時間へと突入する。
「まずは明日花ちゃんをこっちに引き込まなきゃね」
好き嫌いをなくするため、まずは料理の事を知ってもらう。それが学園生の計画だった。
しかし明日花自身はお絵かきに興味を引かれている様子。
「夕ご飯を作るお手伝いが、もう少し必要なんだ。……一緒に作ろうか?」
視線の高さを合わせてお願いをする焔。明日花は顎に指を添えて迷っている。
もうひと押し。
「可愛い女の子が作ってくれたご飯、男の子、喜ぶと思うよ?」
「……うん! 判った」
アイドルの微笑みと共に囁いた文歌の言葉に、明日花は満面の笑みを浮かべた。
※
子供達は花壇の前で絵を描いていた。
描き終えた子から順番に次の場所へ移っていき、最後に心太だけが残された。
――最後に名前を書く。お絵かきの先生がそう言っていたから、心太の絵はまだ完成していないのだ。
『名前、書かないのか?』
話しかけたのはコミヤンが操るキツネイヌだ。
心太は背中を向けたまま、小さな声で恥ずかしいから、と呟いた。
その様子を見て、キツネイヌは溜息を吐く。
『名前が嫌い、か。由々しき問題だな』
「ゆゆしきって?」
『見過ごす事ができないって事さ』
もう一度、溜息。
『その気持ち、分かるぜ……。おいらもこんな格好悪い名前嫌なんだ』
どうすれば良いか皆で考えよう。そう告げるコミヤンに、心太は唇を噛みしめる。
――そんなの判ってたら、最初から悩まない。ここたが心太である限り、恥ずかしいままなのだ。
「ふむ……コンプレックスは分かる。が、由来と願いを知ってみてもいいんじゃないか?」
アルドラは電子辞書を駆使し、『心太』という文字に秘められた意味を探る。
「なるほど。昔は『こもるは』を固めたものを『こころふと』と呼んでいたのか。……つまり『心太』自体が後付けという訳だな」
ところてんの語源は別として、両親はその文字にどんな願いを込めたのか。
どんな時でもゆるく、ぷるぷるして欲しい?
いや、違う。心を太く逞しく。何事にも動じない心の持ち主であれ――そう願ったはずだ。
アルドラが一通り説明を終えた後、歌音は気にする事はない、と諭すように言った。
「名前を馬鹿にする奴は『ところてんとも読むのだ凄いだろう!』と笑い飛ばしてしまえ。心の太さを見せつけてやるのだ」
しばし考えて、心太は力なく頷いた。クレヨンを握る手に、ぎゅっと力を込めて。
「……お父さんも先生も、同じこと言ってた」
そしてスケッチブックを閉じると、絵を完成させる事なく友達の後を追った。
※
快晴はナハラと共に遊歩道を散策していた。
子供達を先導し、草や野鳥について丁寧に説明するナハラ。快晴は後方に位置し、遅れがちな勇馬に付きっ切りだ。
「あ、カブトムシ!」
木の幹に止まる堂々たる姿に、男の子が瞳を輝かせて叫んだ。もぞもぞ動くのがくすぐったく、男の子は妙な笑い声をあげる。
カブトムシは順番に子供達の手を渡り、勇馬のもとへ。
「……手を出してごらん」
快晴に誘われ、勇馬はビクリと体を硬直させた。
「怖い?」
「……」
「じゃあ、猫は?」
快晴はリュックに入った猫をチラ見せさせた。
『なァ』
懐っこく目を細める猫にも、勇馬は怯えている。
「……大丈夫。引っ掛かない、よ」
恐る恐る手を伸ばす勇馬。ふさふさの毛玉に触れた瞬間、慌てて手を引っ込めてしまったけれど。
その後も散策は続き、子供達はセミの抜け殻やワラビなどの宝物をゲットしていく。
やがて一行は開けた場所に出た。散策路の終点だ。
「……今度は釣りをしてみる、か?」
階段を下りて駐車場へ回れば、その先は釣り堀だ。先に話は通しているので、すぐに遊ぶ事ができる。
「撃退士先生、あれはなぁに?」
子供の一人が快晴の手を引き、散策路の突き当りで草に埋もれる石段を指し示す。
「……昔ここにあった村を守っていた祠、だよ。寄ってみる、か?」
細い石段を登った先はちょっとした広場になっていた。鳥居はなく、苔生した小さな石造りの祠だけが、ひっそりと佇んでいた。
※
子供達の手で山盛りの野菜の皮が次々と剥かれていく。
手元が危なっかしかったりするのは、お手伝い経験の差か。問題の明日花は……お察し下さいレベルだ。
「うーん……。じゃあ、今度は人参を星型にしてくれるかな?」
ちょっぴり難易度の高い作業を任せて撃沈した文歌は、隠し切れない動揺の中、新たなミッションを告げる。
今度は型で抜くだけだから、きっと大丈夫、のはず。
「明日花ちゃんはどうして食事が苦手なの?」
型抜きのコツを教えながら尋ねる焔に、明日花は不思議そうに小首を傾げた。
「明日花、食べるのは好きだよ?」
肉や野菜は食べたくないだけ。お腹がすけば、スナック菓子を食べるから問題はない。
「……御菓子ばかり食べていると、そのうち太って肌も汚くなるかもしれないな」
胸を張るお子様相手にファーフナーの容赦がない言葉が飛ぶ。
「そんな事ないもん、明日花、小さくて可愛いもん。おデコのおじいちゃんなんかハゲちゃえ!」
その分、返ってきた言葉も容赦なかった。
(材料に苦手意識がある、という訳でもなさそうだな)
食わず嫌い――仲間達とのやり取りを観察していた歌音の推測を裏付けるように。
「さっき明日花ちゃんが食べてたお菓子、お米とエビだよ?」
「うそだー。あればおせんべいだもん」
「じゃあモンブランは知ってる?」
「うん。大好き」
「あれは栗を使ってるんだよ」
「ケーキだもーん」
つまり明日花にとって、ケーキ上の栗はケーキで出来ていて、プリンは卵や牛乳と別物という認識なのだ。
この様子では、単に甘いというだけ料理を食べてくれないだろう。
歌音は動じる事なく次善策を考える。
●夜が来る前に
――ここが武蔵国と呼ばれていた時代、深刻な蝗害が発生した。
村が人身御供としてひとりの娘を捧げると、山に住まう天狗(山伏と思われる)が蟲の長に扮して蝗を導き、村を飢饉から救ったという。
祠は、その天狗と娘を奉った物だと伝えられている。
祠の謂れを簡単に説明した後、肝試しが始まる。
ルールは子供四人に学園生が二名付き添い、祠でスタンプを受け取ってくるというシンプルなもの。
「僕も行かなきゃダメ?」
いよいよ最終組。ついに自分の番が来たことを知り、勇馬は今にも消えそうな声で訪ねた。
「……昼間、皆で行った場所だ。その時は恐くなかった、だろ?」
大丈夫。皆もいる。だから心配は要らない。そう言って、快晴は勇馬を送り出した。
昼間と同じ場所。でも、今は暗くて怖い。
そんな階段を、元気な女の子達が先陣を切って駆け上がっていく。
どうしてそんな事ができるんだろう?
ファーフナーのスーツを握りしめる勇馬にとって、信じられない光景だ。
薄暗い街灯の下、ぼんやり浮かび上がる祠。その傍に、黒づくめの人影が佇んでいた。
先に回った友達は、お花屋のお兄さんだったと言っていたが……。
「きゃあっ」
女の子が悲鳴を上げた。なぜなら『その人』は、人間とは思えなかったから。
「ほら、こっちへおいで」
クスクスと笑いながら手を差し伸べるその人の目は、虫のような複眼なのだ。
悲鳴を上げる子供達。
「あれは伝承の天狗!? 皆、下がれ……人身御供にされるぞ!」
アルドラは打ち合わせ通り、退路を塞ぐように子供達を広場の隅へ誘導していく。
「何故だ、何故攻撃が通らん……!」
撃退士が倒せるのは天魔のみ。『伝承』に立ち向かえるのは、純粋な子供の心。そう思い込ませ、勇馬に自ら立ち向かわせる作戦だった。
ヒーロー志願の子供であれば、上手く乗ってくれただろう。
しかし、勇馬は極度の恐がりなのだ。撃退士でさえ敵わない相手に、自分が何かできるとは思えない。
「うわあぁん!」
天狗役のナハラに頭を撫でられ、勇馬の『怖い』が爆発した。
これはさすがに薬が強すぎたか? ナハラはすかさず人間の姿に戻るが、勇馬のパニックは収まらない。
落ち着かせようと勇馬を抱き絞めたアルドラの服が、急激に暖かな湿り気を帯びていった……。
●初めて跳び箱を飛んだ日
ひとつ、またひとつとランタンの灯りが落とされ、キャンブ場に夜が近づいてくる。
満天の星空の下、ちょっとだけ涼しい風が木陰の洗濯物を揺らす。
「……俺、やりすぎた」
いろいろな意味で限界を突破した勇馬を思い出し、直接の原因であるナハラは頭を抱えた。
「ナハラの所為ではない。計画したのは私だからな」
「私は問題ないと思うけど。ただ、勇馬くんの反応が予想の斜め上過ぎただけ。現に他の子は大丈夫だったでしょ?」
今日は本当に御苦労様。深紅は心から学園生の健闘を称える。
「……明日花の件は上手くやれたようだ、な」
「ごはん、食べてくれたからね」
快晴の労いに、文歌は嬉しそうに微笑んだ。
さすがに完食とまではいかなかったが。自分で作ったという事実が、食わず嫌いを改善させた事は間違いないだろう。
そして食べ物についての認識も。
焔のパンケーキと歌音のキャラメリゼ。
それが『カレーと同じ人参から作られている』と認識した驚きの表情は、今でも忘れられない。
一方、心太は言うと……。
心太は結局、最後まで絵に名前を書く事ができなかった。
頭で理解はできても、心は納得できないと言った所か。
「もう少し、心太くんの気持ちを考えるべきだったでしょうか」
笑い飛ばすのも答え。願うのであれば、名前を変える事も良しと雅春は思っていた。
価値観を押し付けないよう注意していたつもりでも、気付かぬ内にそうなっていなかったか?
悩みは例えるなら跳び箱のような物だ。
他人は一跨ぎで越えられそうに見えても、当事者にとっては見上げる程高く感じられる。
明日花は難なく飛び越えた。勇馬はちょっと躓いてしまった。
そして、心太は……。
いつの間にか忘れていた、初めて跳んだ心の跳び箱の高さ。
はたして自分達は、心太の目に映るのと同じ『跳び箱』を見る事ができていたのだろうか。
かさりと音がして、テントの幕が揺れた。
顔を出したのは勇馬だ。何かを警戒するように、何度も周囲を見渡している。
「どうした?」
「ひゃっ」
一瞬だけびっくりした勇馬は、それが歌音と知ってホッとする。
「……あの、トイレ、ついてきてください」
もじもじと足踏みをしながら口にした言葉は、親御さんが『せめてこれだけは』と望んでいたもの。
お友達の前で盛大に躓いた子は、恥ずかしさをバネに再び走り始めた。
「では、俺が連れて行ってあげよう」
繋いだ手は森でフクロウが鳴くたび力が籠るけど、これからはきっと大丈夫。
ミーティングが一時中断され、雑談が始まった。話題はもっぱらナハラの子供の件だ。
「本当、可愛いですね」
知り合いにも見せたい、と双子の写真を自分のスマホに移しながら、文歌は傍らに座る快晴に視線を向ける。
「私たちも早く子供が欲しいなぁ」
「……子供、ねぇ」
愛妻が口にした願いにどう応えるべきか、快晴が考えを巡らせた時。
「お兄ちゃん達、赤ちゃん生まれるの?」
もう一人、寝付けずにいたお子様が、唇を噛みしめて立っていた。
「いつか、ね」
「名前」
「……名前?」
「ここたと同じ名前だけは、付けないで!」
それだけを叫んで、心太は自分のテントに向かって走り出す。
「これは、どう判断するべきだと思う?」
声色に楽しさを含ませて、アルドラが感想を求める。
アルドラの目には、彼も自分なりに前へ歩き始めているように見えた。
明日、また心太と話をしてみよう。
そうすればきっと、彼が心の奥に閉じ込めた本当の想いを、受け取る事ができると思うから。