●幕開け
切り刻まれた人、焼け焦げた人。血に塗れた人、人……人の形を留めない、人。
雁鉄 静寂(
jb3365)が無言で瞼を落とし、水無瀬 快晴(
jb0745)は血が滲む程に拳を握り絞める。
(……カッツェ。お前だけは許さない!)
快晴の脳裏には以前相見えた女悪魔の嘲笑が響いていた。
それは任務を共にしたザジテン・カロナール(
jc0759)やファーフナー(
jb7826)も同様で。もっともこちらは怒りを露わにする事なく冷静を保っていたが。
「人々と平穏を返してもらいましょうー」
間下 慈(
jb2391)の呟きに、逢見仙也(
jc1616)が当然とばかりに頷いた。
風に乗り、どこからか獣の唸り声が聞こえてくる。
「どっちだ?」
翡翠 龍斗(
ja7594)の問いを受け、ザジテンはヒリュウ・クラウディルを召喚。そのまま空高く舞い上がらせる。共有した視界に映るのは鳥の目線で見下ろした町の光景だ。
「ディアボロ確認です」
天魔は半径百メートルほどの範囲に散らばっている。それぞれの現場は建物で遮られているが、極端に離れているわけではない。
「天使さん達は何処にますか?」
「ええっと。ユヅルさんならすぐそこの公園に」
「公園ですね。すぐに戻るから、それまでカイをお願い」
そう言い残し、川澄文歌(
jb7507)は駆けだした。
●交渉
「前にお会いしましたね? 前回は敵同士でしたが、利害が一致するなら共闘しません?」
私達は天界勢を攻撃しない。だからそちらも冥魔以外は攻撃しないで、一般人を守ってほしい。
そして私達があなたの結界が効かない操られた一般人の対応をするから、他の群れが町や人々を攻撃しないよう、一か所に集めて欲しい。
そう切り出した文歌に、使徒・宮西弓弦はちらりと視線を向けた。
「フゥ」
漏れたのは溜息。
「貴女達の『利』とは何ですか? 私達にとっての『害』を、貴女は理解しているとでも? 一方的に条件を押し付けられて、快く受け入れるとでも思っていたのですか?」
その口調には鋭い棘と毒が含まれていた。
「私達の『目的』はこの町を天界の庇護下に置く事です。冥魔を排除するのは手段。貴女達がそれを認めるなら、その条件を受け入れましょう」
「そんなの……」
できるはずがない。
答えに詰まり立ち尽くした文歌に、弓弦は背中を向けた。その口から再び溜息が漏れる。
「……もとより貴女達を相手にするつもりはありません。住民も同様です。ですが、冥魔の手に堕ちた者の安全は保障しかねます」
たとえそれが操られただけの人間であっても、必要ならば排除する。
そう言い切った弓弦が狼達へ新たな指示を与えたのを見届け、文歌は仲間達の元へと戻った。
●操人間
「そっちじゃないっ」
金髪朱眼の修羅・龍斗が押しとどめているディアボロの群れには、高齢の女性が混じっていた。
外見からは想像できないほど俊敏な動きで戦いに割り込み、時には逃げ遅れた住民へと襲い掛かる。
できるだけ手を出さないようにと思っていても、状況がそれを許さない。
「あまり長引かせるのはマズいな」
老女の様子を観察していた龍斗が舌を打った。
この動きが赤い爪による擬似的なものだとしたら、身体に掛かる負荷は計り知れない。
「……でも、りゅとにぃ」
演技ではないのか?
悪魔・カッツェの狡猾さを知る快晴は疑念を捨てきれない。
「幻霧を試してみます?」
うまくいけば爪が抜けてくれるかも。そんな望みをかけ、自身にボディペイントを施した文歌は老女の傍へ。
しかし、封印は既に発揮された効果を打ち消す事はできず。
「きゃっ……うぅっ」
潜行の効果を失った文歌は骨ばった指で喉を締め上げられ、くぐもった悲鳴を上げた。
「……文歌を離せっ」
快晴のダークハンドが老女の四肢を絡め取る。僅かに締め付けが緩んだのを見逃さず、力づくで引き剥がした。
その時、老女のこめかみに赤い色が見えた。
「カイ、そのままヘッドロックだ」
「……?」
言われるまま老女の首を固定した快晴。それで良いとほくそ笑み、龍斗は手にした小瓶を片手で器用に開け、トロリとした液体を指に垂らす。
「人間なら……効いてくれるはず」
そして、前触れもなしにその指を老女の口の中へと突っ込んだ。
ピンク色をした巨大毛玉にディアボロが群がった。
当のパサランは眉ひとつ動かさないが、感覚を共にするファーフナーの表情を見る限り、決して無ダメージではないようだ。
「……さすがにカツエさんじゃないですよね」
異形の中に一人だけヒトの姿をした者がいる。肩に赤い爪を撃ち込まれた二十代の男だ。
「人間だね。認識できない程実力差があるとは思いたくない」
外見を変えるぐらいなら撃退士にもできる。油断は禁物と言い聞かせるザジテンに、仙也が小声で囁いた。
「どちらにせよ一度動きを止めなければ爪を摘出する事もできん」
周りのディアボロも邪魔、という事で。
ばくんっ!
パサランはω状の口を大きく開き、男性を一時的に腹の中へ。
「長くは持たんぞ」
「五秒あれば充分ですよ」
一般人が切り離された事で、仙也は遠慮なくファイヤーブレイクを行使した。
多くのディアボロが巻き込まれる中、一体の翼猫が空高く舞い上がった。吹き飛ばされた先で器用に態勢を整えると、即座に反撃に転じた。
滑空から一直線の体当たり。
ザジテンは冷静にその軌道を予測し、今度は顔面に張り付かれる前にそれを撃ち落とした。
瞬く間にディアボロは駆逐され、パサランは男性を吐き出した。
「よし、そのまま抑えろ」
ファーフナーの命令を受けどっしりと座り込むパサラン。下敷きになった男は抜け出そうと必死にもがく。
果たして簡単に抜けてくれるのか。それで解放されるのか? 胸を過る様々な不安を振り払い、仙也は慎重に赤い爪へ指を伸ばした。
(触れる。よし……このまま)
驚くほど簡単に、その爪は抜けた。
血のように赤かった欠片が見る間に鮮やかさを失っていく。そして、風に溶けるように消えていった。
気配を断つ潜行能力も、敵の攻撃を肩代わりしてくれる仲間がいなければ、期待通りの効果は得られない。
狭い裏通りで総攻撃に晒されていた静寂を救ったのは、何処からともなく現れた狼の群れだった。
狼達はディアボロに次々と食らいつき、瞬く間に小学生ほどの男の子を孤立させる。
後方に目を向ければ、見覚えのある赤髪の天使がそこにいた。馴れ馴れしく手を振るハガエルに軽く会釈をし、静寂は居住まいを正した。
(彼が『人間』なら効いてくれるはず。)
静寂が手にしているのは赤い筒状の鈍器……ではなく、学園の廊下から拝借した消火器だ。もちろんアウル兵器ではない普通の。それを少年の顔面を狙って噴射する。
しかし少年はまったく動じず、自身に敵意を向けた静寂に肉薄してきた。
驚くほど超人的な動き。それでも見開かれた両眼は充血し、異物を排除するための涙が溢れている。
(この子は人間? それとも……)
確信を得るにはまだ一手足りない。
ためらうその一瞬を狙い、狡猾な悪魔の罠が牙を剥く。
少年が巻き起した旋風は周囲の物全てを巻き込み、切り刻んだ。
ディアボロの相手を狼に任せ、慈はその中に混じる少女を見つめていた。
素肌を惜しげもなく曝け出した猫のような目の。髪と瞳の色は違っているが、それは資料で見た悪魔・カッツェとよく似ていた。
(人間に化けて騙すなら、逆に自分の振りをさせるのもアリですかねー。)
そして守るべき者を撃退士自身の手で殺させ、屈辱に震える姿を嘲笑うのだろう。
慈は指先に仕込んだ画鋲の感触を探った。
冥魔か否かを確認するためには、特別なスキルなど必要ない。
すれ違い際に少女の腕を捕らえた慈。即座に振り払われたその指先は変わらず白いまま。
傷つかない。という事は。
ビンゴ。
慈はその結論を表情に出す事はなく、油断を誘うため気付かぬ振りを続ける。
「ちょっと痛いかもしれませんが、助けるためですー。あとでちゃんと治しますからねー」
高く掲げた右手で雷を掴み、閃光と轟音に紛れて無数の弾丸を叩き込む。そしてその猛射に紛れ、得物を銃から剣へと替えた時――
「いない? どこに……」
「あはっ。だぁれだ♪」
耳元に感じた吐息は思いの他低い音色で。
背中から両目を塞がれた瞬間……慈の視界が赤で染まった。
●猫の女王
オープン状態の通信機にノイズが走った。
直後に破裂音と白煙が上がる。悪魔発見を報せるザジテンの発煙手榴弾だ。
慈が倒れている。顔を覆う指の間から血を滴らせて。傍らには使徒・弓弦が、脇腹を抑えて片膝を付いていた。
その数歩先、乗り捨てられた車の上に悪魔・カッツェはいた。恍惚とした表情で血に塗れた指を舐め、駆け付けた撃退士に挑発めいた視線を送る。
「……カッツエェ!」
快晴の殺気が膨れ上がった。
「カイ兄さま、落ち着いて!」
ザジテンが制止する暇もあらばこそ、快晴は光剣を構えて間合いを詰める。
しかし一撃を繰り出した時既にカッツェの姿は消え、剣はボンネットのみを断ち切った。
「後ろです!」
「カイっ」
仙也の警告で咄嗟に身を引かなければ、確実に首根を裂かれていただろう。掠めた爪も文歌のアウルの鎧に阻まれ、皮一枚傷つけただけに終わった。
「残念、もうちょっとだったのに」
カッツェがクスクスと耳障りな声で笑う。
「いつまでも調子に乗っているなよ」
低く抑えた声で宣言したのは龍斗だった。
金の髪を血の色に染め、赤い瞳は空の蒼へ。翡翠鬼影流の裏秘伝・死門を解き放つ。
「貴様程度に見せるのは、惜しいが……」
「あんたバカ? そんなボロい武器で何ができるワケ」
嘲笑は長く続かなかった。
見た目とは裏腹にアウルを帯びた古刀は鋭い切れ味を持つ。そこから繰り出される太刀筋は龍のような軌跡を描き、悪魔を翻弄した。
「カツエさん、僕も忘れないでくださいね」
ザジテンも後方から応戦する。
対極するカオスレート。当たれば命に関わる反撃は、幸いザジテンへ届く事はなかった。
代わりにカッツェが狙いを定めたのは、慈の保護に向かった仙也だった。
「邪魔をしないでください」
仙也はそれに動じる事なく、立ち塞がるカッツェの攻撃を鉄鎖で受け止める。
「……よそ見、している暇があるのか?」
仲間達の闘気に紛れ、快晴の闇討ちが迫る。
カッツェがその気配に気づいた時、光の剣は目前で――さすがに避けきれないと思ったのか、カッツェは腕に魔力を纏わせそれを受け止めた。
アウルと魔力が激しくスパークし、負荷に耐えきれなくなった二人はほぼ同時に間合いを取り直した。
「クビ狙うなんて判り易っ」
息をきらせる快晴に対し、カッツェは余裕の笑みで嗤う。
しかしダラリと下げられたままの右腕は、相当なダメージを負っている事を物語っていた。
●アンコール・ナイトメア
「あーヤメヤメ。やってらんない。『撃退士が天界と手を組んだ』んじゃ勝ち目ないじゃん? ……でも勘違いしないで。まだ負けたワケじゃないんだから」
三下ばりの捨て台詞を残し、悪魔・カッツェは消えた。
残されたディアボロはサーバントにより駆逐され、危機の去った町ではようやく救命活動が始められる。
一時危機的な状態に陥っていた慈も仙也の回復とハガエルの解呪で生還を果たした。仙也は残る回復術をフル活用し、仲間達の傷を癒していく。
あとは……。
弓弦にも最低限の回復を施した後、仙也は自身の懐を探った。
用意していたのは、今後町を警備する撃退士のリスト(偽造)だ。
ハッタリでも天界勢を退かせるには充分と思っていたが、彼らの目的が町を支配する事なら意味はない。
「御礼にわたしが天使さんと美味しいお酒のお店でデートします」
切れるカードを持たない仙也に代わり、静寂が取って置きの切り札をちらつかせた。
完全棒読みの誘いにも、ハガエルは喜色満面で口笛を吹く。
一方の弓弦は無言のまま。普段であれば、辛辣な抗議の言葉や主に対する仕置きが繰り出される場面なのに、
「弓弦、いいのカ? 本当に行くゾ?」
本当は引き留めて欲しいのか、わざとらしくスキンシップを見せつける主に、弓弦の唇が歪んだ。
何かおかしい。撃退士がそう感じた時。
『アハ……。アハハハハッ』
弓弦が嘲笑った。光を宿さない瞳で、人形のような表情で。
「あっ! ユヅルさんの耳の後ろ、赤い爪が……」
「ちっ、……まずいぞ」
龍斗は『赤い爪』の効果を身体能力の強制強化と推測していた。
人体の崩壊を防ぐために掛けられた本能のリミッターを外し、一般人でも撃退士並みの動きを可能にさせる。
それが使徒に対して掛けられたのだ。引き出される『限界』は予想すらできない。
――まだ負けたわけじゃない。
カッツェはこの事を言っていたのだろうか?
撃退士が迎撃態勢を取る中、真先に動いたのは天使・ハガエルだった。顕現させた魔力の刀を抜き放つ。使徒の能力を熟知しているが故躊躇いはなく、弓弦はその一撃で意識を失い崩れ落ちた。
「何もそこまで……」
「この方が手っ取り早からナ」
爪を抜くだけで済んだはずと抗議した文歌は、ハガエルの言葉に反論できなかった。
操られた人々の動きを封じ、爪を抜き取る――それを完了するまで予想以上の時間を費やした事が、町の物的被害を抑えられない結果に繋がったのは明白だった。
だからと言って、人命最優先という判断が間違っていたとは思わない。
町を、住民を守る。
ディアボロを倒し、冥魔に操られた人々を解放する。
そこに紛れている可能性のある悪魔の正体を見極めて。
撃退士が目指したものは百を守る事。ならば冥魔はたったひとつ命を屠るだけで良い。
挑まれていたのは、限りなく一方的なワンサイドゲームだったのだから。
●幕引き
「使徒が人を守るのを許しているなら、お前は穏健派か?」
弓弦を抱え上げたハガエルが見せた曖昧な笑みを、ファーフナーは肯定として受け取った。
「今は武闘派勢力と揉めている時期だ。こんな場所に留まっていないで、一旦本拠地に戻って情報収集しては? ……宮西のためにも」
身体に受けた傷は直に癒えるだろうが、心に受けた傷は目に見えない分、いつまでも痕を引く。責任感が強いのであれば、それは致命傷にもなりかねない。
「……あァ、そうだナ」
撤退を勧めるファーフナーの忠告に、ハガエルは今度こそしっかりと頷いた。
天も魔も消えた町で、撃退士達は誰ともなく息を吐いた。
それは最悪を避けられた安堵か、最善を掴み取れなかった悔しさか。抱く思いはそれぞれだろう。
「帰ろう。ここで俺達がすべき事はもうない」
今回の任務で得られた情報を精査し、報告書に纏めなければいけない。
失敗を踏み台に、成功を自信に。その全てを経験として積み重ね、更なる高みに手を伸ばすのだ。
明日にでも訪れるかもしれない『次』のために。
今度こそ、完璧な『敗北』を思い知らせるために……。