――カモが来た。
極限の恐怖という舞台の中、彼らはどんな物語を演じてくれるだろう?
デビルの少女は猫のような瞳を細めて微笑んだ……
●
その廃屋はひっそりと佇んでいた。
時折吹く風が森の木々を揺らし、ブォォンと不気味な音を奏でる。昼間でさえこの雰囲気なのだ。夜になれば、より迫力が増すだろう。
「キャー、怖そーっ!」
車から降りたRehni Nam(
ja5283)が大袈裟に身を竦ませる。
その燥ぎっぷりに眉を顰めたエカテリーナ・コドロワ(
jc0366)は、向坂 玲治(
ja6214)に耳打ちされ、それが作戦である事を思い出す。
そう。これは天魔を油断させるための演技。廃墟探検に来た心霊サークルという設定なのだ。
「あっちの方を見てくるね。……鳴子の紐を仕掛けてくるから」
後半は囁くように。空き缶の詰まった袋をファーフナー(
jb7826)に託し、蓮城 真緋呂(
jb6120)は建物の裏手へ。一人では危ない、と藍那湊(
jc0170)も後を追う。
「先に行ってるぞ」
水無瀬 快晴(
jb0745)とザジテン・カロナール(
jc0759)は廃屋へ向かった。
建物の中は薄暗く、湿った匂いが満ちている。トタトタと響く足音は、来訪者が残すゴミ目当てに住み着いたネズミの物だろうか。
天魔の気配はない。今のところは。それでも油断は禁物だ。
部屋数の多い一階は玲治、快晴、ザジテンとRehni、真緋呂の二班体制で。
ファーフナー、エカテリーナ、湊が二階の客室を。
三班に分かれて行動を開始する。
●
這い跡は廃屋の至る所に残っていた。
食堂の倒れたイスを壊す事なく乗り越え、客室の壁や天井にも。玲治が予想していたような蛇やワーム型とは違う、ナニか。
『写真にあったスライムで確定だな』
エカテリーナが下した判断に異を唱える者はいない。
その上に積もった土埃から、昨日今日付けられた痕跡ではないという事も。
『爪跡もありました』
湊が着目したのは柱に刻まれた鋭い傷だ。他にも卓袱台が叩き割られていたりして、この部屋の中で何かが暴れた事は確かだと思う。
『……レフばーば、厨房に包丁ないけど?』
『妙ですね。それがトリガーだと思ったんですけど』
『過去の噂話は天魔が脚色している可能性が高い』
ウワサとの相違を訝しむ仲間達に、ファーフナーが助言を与える。
なるほどと頷いて、Rehniはヒリュウ・大佐と共に犠牲者が残したメッセージを探し始める。
もっとも見つかるのは肝試しに来た者達の落書きが殆どで……。
『貴重品の類もありませんね』
やはり回収されているのだろうか。
誰が、何のために?
証拠隠滅か、身分証を利用するためか。その疑問に真緋呂は口元に指を添えて考えを巡らせる。
「やっぱりエネルギーにする為の連れ去りじゃない? 行方不明の噂が出始めた時期、二つの巨大ゲート出現後で一致してるわよね。天使か冥魔かまでは判らないけれど。証拠を消すのは、発覚を遅らせるため?」
『おそらく冥魔だろうな。あのボロ布、見覚えがある』
群馬奪回作戦の折、玲治が目を通した報告書の中によく似たディアボロが記載されていた。
黒鳥の娘達――ベネトナシュという女悪魔の眷属。
『その人が今回の首謀者なんですか? いっぱい浮いていたモノは能力?』
「……バンシーは悲鳴だね」
少しでも役に立てるよう情報を頭に叩き込むザジテンに、快晴が丁寧に解説した。
撃退士達はその他にも敵がいると推測していた。
『捕らえた人間を運搬するモノも居るな』
そう断言したのはファーフナー。
被害に遭ったという通報がないことから、撃退士達は電波を遮断する個体も居るだろう。
だから無理を押し通して光信機の使用許可をもぎ取った。
「――確かに電波が届きにくい場所だが……ちょっと広い程度の民家だぞ。必要か?」
サポート役の蒲葡 源三郎 (jz0158) はそう苦笑していたが、こうして隠密を貫きながら意思を伝達し合うには、通信機器が不可欠なのだ。
――お子様に学生、そしてジジイって、どんな御一行様?
キョージュの悪口とか、会話も全然聞こえてこないし。なんか今までの獲物とは微妙に違う気がする。
っていうか、家にヒモ回すってどんな呪いよ?
「……あぁ、そういうコト♪」
ふと思い当たった正体。撃退士という存在。
狩ろう。
どうせ今回で終わりなのだ。最後に毛色の変わった獲物を相手にするのも悪くない。
少女は瞳に嗜虐的な光を浮かべた……
●
カラン……。
屋内に吊るされた空き缶が音を立て、来訪者の出現を報せる。
ザジテンは壁に開いた穴から外の様子を窺った。
「女の人です。鳴子の紐を引っ張って……」
歳の頃はRehniと同じぐらい。へそ出しタンクトップにホットパンツという格好をした少女が。
『侵入者だ。首謀者かもしれない』
それだけを仲間に伝え、玲治は本棚の陰に身を潜めた。快晴とザジテンは厨房で魔具を顕現させて待つ。
やがて食堂へ現れた少女は軽く周囲を見渡した後、鼻歌を歌いながら快晴が仕掛けた財布へと手を伸ばした。
少女が財布を開いたのを見届け、快晴は潜伏場所から飛び出した。一気に詰め寄る。
「お前、それをどうするつもりだ?」
「きゃああっ」
少女は甲高い悲鳴を上げた。逃げようとして足を取られ、盛大に転んでしまう。
「イタタタ……もう、ビックリさせないでよぉ」
強かに打ち付けた膝をさすりながら、少女は恨めしそうに快晴を見上げた。
――はい、これ身分証。
免許証の写真とあんまり似ていない? 地味でしょ。だってコーコーの時のだもん。校則厳しかったんだー。
女は化粧で化けるの♪ あーあー、あんたら男だもんねー。そりゃ判んないかぁ。
●
『悪い。違った』
少女の名は小野崎薫。八月で十九歳。隣市の短大生だという。妹が友人に財布を隠されたので、代わりに探しにきたのだとも。
念のため学園に照会を依頼し、現在進行形で在籍も確認された。
『人騒がせな。とっとと追い払え!』
事情を聞き、エカテリーナは無作法者の事情に構っている暇はない、と切り捨てた。
今は任務の真っ最中。無関係の一般人は邪魔以外の何もでもない。
「天魔め……必ず見つけ出し、どこまでも追い詰め、たとえ便所に隠れていても息の根を止めてやる!」
そう断言し、未だ見えぬ敵影を探すため、調査に意識を向けた時。
バチン!
イメージ的には強烈な静電気。激しい衝撃が脊椎を貫いて――エカテリーナの視界が暗転した。
「違ったみたい」
「そう。……それにしても、虫が多くない?」
窓が割れているせいだろうか。真緋呂の周りには無数の蜂が群がっていた。刺されたからと言ってどうなる訳でもないが、煩わしくて仕方がない。
場所が変わっても、防虫スプレーで追い払っても、蜂は変わらずに付きまとう。
「これって」
さすがにこれは変だと思い始めた時だった。
廃屋の壁から滲み出るように、音もなく不気味な塊(スライム)が現れたのは。
『天魔が出現しました!』
その報告は即座に仲間達へ伝えられた。
阻霊符発動。魔装を展開し、一般人の姿を脱ぎ捨てて。少女達は戦闘態勢を整える。
援軍は望めない。
ほぼ同時、別行動をする仲間達も、同様に天魔と遭遇していたから。
●
最悪のタイミングを狙い済ましたように現れた、天魔。
薫を背に庇いながら、玲治はボロ布から伸びる爪をトンファーで受け止める。鍔迫り合いの後、力任せに横へと押し切った。
バランスを崩した所を見逃さず、快晴が剣を翻す。
光の刃が袈裟懸けに薙ぎ、ボロ布の正体を曝け出した。
それは人の形をした、実体を持つ闇。眼に当たる部分が不気味に赤く輝いている。
「やはりディアボロ、『黒鳥の娘達』か……」
玲治はバンシーを引き付けアウルの爆発で包み込むと、既に傷を負っていた一体が溶けるよう散っていった。
「ザジ、その子を頼む」
快晴の指示に力強く頷いて、ザジテンは立ち尽くむ薫の腕を引き、勝手口へと誘導する。
その前方にも敵はいた。ガラスのない窓からどろりと流れ込んできたスライムが。
「クラウディル!」
ヒリュウがブレスを吐く。一撃では倒れない。
反撃の体当たりで包み込まれたヒリュウを、ザジテンは咄嗟の判断で異界へと還した。
星明かりを纏った矢が風を切る。
スライムは粘液状の身体をぐにゃりと変形させ、それを避けた。
(雪村があれば良かったんだけど……)
まさか大切な魔具を忘れてくるなんて。
「武器の選択も大切、という事だな」
ファーフナーの槍は室内では扱うには大きすぎた。一度天井を大きく破壊して、忌まわし気に舌を打つ。
立ち塞がる敵は二種類。
スライムは鈍重ではあるが不定形の身体は攻撃の手応えが薄い。逆にバンシーの耐久力は並だが、その分一撃の威力は驚異的だ。
「気を付けろ。恐らく『蜂』もディアボロだ」
「わう……あれ全部?」
スタンを経験したエカテリーナの警告を受け、湊のアホ毛が力なく垂れた。
「何、纏めて落とせば問題はない」
ファーフナーの周囲が白く染まり、凍てつく冷気が蜂の群れを包み込む。
「償いをしてもらおうか有象無象ども。貴様らのつまらん命でな!」
二体のバンシーが射線状に重なった瞬間を見逃さず、エカテリーナが引き金を引いた。
スライムの体当たりを六花の壁で受け止めた湊。
(拘束力はそれほどでもないかな)
酸の類もないようだ。湊は包まれたまま掌から氷柱を放ち、スライムを貫いた。
迫りくる攻撃を躱したRehniと真緋呂。
別班と合流を果たしたとはいえ戦況は未だ逆風の中。ディアボロは倒す度に新手が現れ、先の見えない戦いの中、手札は次々と尽きていく。
「落ち着いて。大丈夫だから、ね」
享楽的な娘でも、この状況は堪えたのだろう。薫は俯いて肩を小刻みに震わせている。真緋呂は彼女がパニックを起こさないよう、励まし続けた。
――アァァ……!
死角を取られないよう背を預けた壁を力ずくで破り、バンシーが現れる。
耳元で響いた嘆きの声。
霞がかった意識の中、繰り出したファイヤーワークスに捉えたのはディアボロではなく撃退士。一般人である薫は、玲治が庇護の翼で守り切った。
「振り払って!」
Rehniが与えた刻印の加護を受け、快晴はすぐに正気を取り戻した。
「これ以上は危険だと思います」
ディアボロの容赦ない攻撃が、躱された撃退士の銃弾や音波が、脆くなった建物の耐久力を急激に削っている。このままでは直に倒壊してしまうだろう。
もっと広い場所へ誘い出すべきだろうか? それに、薫を早く安全な場所へ逃がさなければ。
視線で合図を送ったザジテンに、Rehniは首を横に振った。
屋外であれば、生体レンジなど強力なスキルも行使できるが……
「外にも生命反応があります」
獲物を逃がさないよう、全ての出口を塞ぐように。
「どうせ皆殺しにするのだ。悩む必要などない!」
行け!
銃声と共に響いたのはエカテリーナの声。頭上から木片とスライムの破片が降り注いだ。
●
無事に廃屋を脱出した撃退士達。
快晴とザジテンが薫を守り、車を止めた空き地へと向かう。
その背を見送って、足止めとしてその場に残ったファーフナーが虚空へ向けて叫んだ。
「……どこに隠れている?」
ディアボロを指揮しているだろう上位天魔に対する呼びかけだ。
敵の統率力を削ぐため。避難する車から目を逸らすため……そしてあわよくば首謀者を引きずり出し、事件の全容を明らかにするために。
「どうした、怖くて出てこれないのか?」
一秒、二秒、周囲の反応を探ろうと耳を澄ませる。
「……あはっ。あははっ」
甲高い笑い声は意外な場所から上がった。
背後を守っていたザジテンは、今まで必死に守り抜いてきた一般人・薫の豹変ぶりに眉を顰める。
「カオルさん……?」
「バレちゃったみたいね。ま、仕方ないか。笑い堪えるの限界だったし」
まさか、という思いが撃退士達の頭を過る。
その疑問を肯定するように、少女は残任な笑みを浮かべた。
「あたしはカッツェ。ケッツァーが一柱……」
カッツェが腕を翻す。
「危ない!」
ザジテンの喉元を抉るはずだった爪が、身を割り込ませた快晴の胸を穿つ。
蒼き月の加護を受け、気絶だけは免れた。しかし、温かい赤は止まる事なく足元に滴り続ける……
複数のディアボロを残した状態でのデビルとの対峙。
撃退士達は即座にデビルを拘束する者とディアボロを殲滅する者に分かれ、対応する。
ブレスによる牽制。コレダーと氷樹が逃げ道を塞いで。
「逃走の機会を失いましたね」
Rehniの審判の鎖がついにデビルを拘束した。
「目的はなんだ?」
「SNSは誰の入れ知恵だ?」
「攫った人達は何処へ連れ去ったの?」
ここぞとばかりに投げつけられる詰問に、カッツェは猫のように瞳を細めて。
「そんな事をしている暇、あるの?」
そう言って意味ありげに視線を逸らした、その先には。
――あいつら、女の子に何を……。
――バカ、あれを見ろよ。
――ひぃっ、化け物っ。
「何だと?」
「ちっ、このタイミングで」
それは廃屋を訪れた『肝試しの若者達』だった。
本来の獲物を前にして、生き残っていたディアボロが一斉に走る。
「させるか!」
電光石化の勢いで回り込んだファーフナーの魔槍がスライムを貫く。
エカテリーナの弾丸がバンシーの片脚を吹き飛ばした。
蜂の群れが撃退士の視界を塞ぎ、一瞬の空白。
湊の番えた矢が放たれる前に、バンシーは逃げ遅れた男を鷲掴みにすると、そのまま森の中へ。
――狩りはもう終わり。そういう約束なんだ。安心した?
今度また遊んでね。あたしの気が向いた時にでも。……じゃあね♪
軽々と拘束を解いたデビルも、愉し気な嘲笑を残し、姿を消した。
●
再び訪れた静寂の時間。
「僕の経験が不足していたから。僕が足を引っ張らなければ、こんな事には」
「……いや、お前のせいじゃない」
生命の芽で重体を免れた快晴は、涙を浮かべるザジテンの頭を優しく撫でた。
敵の種類、能力、上位種の存在――その目的すらも推測したはずなのに。
まさか首謀者自らが接触してくるとは思いもしなかった。その結果、怪しいと思いつつも『薫』の正体を看破しきれなかった。
敵を欺くため、そこを訪れても不思議ではない『肝試しの集団』を演出したにも関わらず、『本物』が現れる可能性に気付けなかった。
推測という名の先入観。読み切れなかった一般人の行動。小さなボタンのかけ間違いが生み出した、歪み。
「学園はどう判断するだろうか」
天魔の介入を確認し、デビルは撤退したが、それは学園の介入を顕示した結果ではない。
撃退士を見下す猫のような瞳が、その事実を示していた。
●
悪魔カッツェ、女。性格は惨忍で奔放、享楽的。演技力は抜群。
彼女が名乗った『小野崎薫』という人物について、今一度調査の必要有り。
Rehniは報告書の最後にそう書き記し、一葉の写真を添えて学園へ提出した。