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青空の下に広がる黄色や赤。
きれいにならんだビニールハウスと薔薇のトンネル。
ティータイムにぴったりなログハウス風の東屋。
写真に写っているのはどれも夢のような風景――そう、夢。かつての農園の面影は、欠片も残されていない。
「にゃぁ……」
目の前に広がる鉄の爪によって無残に引き裂かれた大地と、虫食いのように点在する灰色の廃棄物。
容赦のない『現実』を目の当たりにし、狗猫 魅依(
jb6919)は思わずため息を漏らす。
周囲に視線を移せば、林のあちこちにも大小様々な物が投げ捨てられているのが見えた。
「あれも不法投棄なのでしょうか?」
眠(
jc1597)が指を差したのは、コース内に掘られた穴の底で腹を見せている小型トラックだ。
フロントガラスが割れ、錆の浮かんだボディはへこみ、前輪が消えているけれど……
「妙だな」
ファーフナー(
jb7826)はナンバープレートが付いたままである事を訝しむ。
所有者は馬場か、それとも産廃業者か――周囲を確認してみたが身元を示すものはなく、ファーフナーは車のナンバーを控えると、サポート役である蒲葡 源三郎(jz0158)に照会を依頼した。
「さて何か反応するかな?」
携帯音楽プレーヤーのボリュームを最大限まで上げながら、鳳 静矢(
ja3856)は改めて地図を眺め、全体的な位置関係を把握する。
旧白井農園は現在地の東側――現在のクラブハウス一帯。当初はそこをコの字型に取り囲むように、9つのコースが造成される予定だった。
「そういえば、ポニー舎の裏手に防空壕があったと言っていたな」
「ボウクウゴウ?」
「戦争の時、人が避難するために掘った穴の事だねぃ」
地図を覗き込んだ魅依の疑問に応えたのは皇・B・上総(
jb9372)だ。
ふと考えを巡らせる。それは他の仲間達も同じだったらしい。誰ともなく視線を合わせて頷き合う。
「透過する天魔相手ではさして効果は認められないが……心理的には逃げ込みたくなるのが人の常、さ」
「天魔が身を潜めるにも、都合が良さそうですね」
上総の推測に眠がまったく正反対の可能性を重ねる。
どちらにせよ撃退士としての直感は、その場所が重要な手がかりであると告げていた。
(さてェ、行方不明者の捜索任務かァ……。五体満足で生き残ってればいいわねェ〜……)
くすりと微笑みを浮かべた黒百合(
ja0422) が空に舞う。
「じゃあ、先に行くわねェ」
「待て。単独行動をするのは危険だ」
静矢が引き止めるも、極限まで移動力を高めた黒百合の姿はすでに遠く。撃退士達は慌てて後を追う。
「あちらは任せて大丈夫そうね」
その姿を見送りながら、アサニエル(
jb5431)はやれやれと言った様子で赤い髪を掻き上げた。
「さて、このだだっ広い所から探すのは骨だけど……やるしかないね」
面倒そうな口調とは裏腹に、その表情は楽しげだった。
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先刻の車について、回答は意外なほど早く帰ってきた。
トラックの所有者は市内に住む男性だった。その素性を調べるには、日単位の時間を要するという。
「そんなものか。まぁいい」
裏付けは取れていないが、支倉の他にも一般人が巻き込まれている可能性を考慮するべきだろう。
「……」
ふと考えて、ファーフナーは携帯電話を握り直すと、予め聞いていた支倉のナンバーを呼び出した。
どこかで呼び出し音でも鳴れば、支倉の居場所が判明しただろう。しかし、流れてきたのは圏外を示すメッセージ。
「圏外か。という事は、やはり防空壕の中にいる可能性が高いな」
自嘲気味に口元を歪めると、ファーフナーは空へと舞い上がった。
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一目みて何もないと判るクラブハウスを飛び越え、黒百合は駐車場の北端へと降り立った。
「ポニー舎があったのは、たぶんこの辺りなのよねェ……」
土手と呼ぶには少々苦しいが、それらしきものも確かにあった。
表面を覆うブロックは所々がひび割れ、雑草が頭を覗かせている。上部は腐蝕したフェンスの土台だけが残っていた。
「何か見つかりましたか?」
息を切らせながら追いついた仲間達に、黒百合はごらんの通り、と手をかざした。
「おやおや」
ブロックに刻まれた足跡が2種類。上総はここ数日のうちに何者かが侵入した事を確信する。
「これはスニーカーだねぃ。歩幅や大きさからして、どちらも男のようさね」
足跡はフェンスを越え、その奥に広がる雑木林の中へと続いていた。
また、何かが這いずったような痕跡も。撃退士はそれらの痕跡を見失わないよう、慎重に追跡する。
下生えの草が点々と踏み荒らされている。あちこち逃げ回った様子はない。まるでその先に何があるのか知っているかのように、真っ直ぐ一方向へ向かっていた。
「ほら、あそこっ! 土手じゃない?」
魅依が歓喜の声を上げる。
前方に見えたのは大人の背丈ほどの高さがある急斜面。足跡は一度そこで途絶え、1種類だけが新たな軌跡を描き、大きく弧を描くようにゴルフ場の方へと続いている。
斜面は何もないように見えるが、一部だけ明らかに質が違っていた。
「……ちょっとォ、誰の仕業よォ」
手を伸ばすと、コツンという堅い感触が伝わった。透過して内部へ忍び込むつもりだった黒百合は、非難の目を仲間達に向けた。
もし天魔が潜んでいれば、逃走の危険性がある。そう諭された黒百合は渋々透過を諦める。
コケが生えた板をかぶせただけの姑息な隠し扉を取り除と、その下から半ば崩れかけた横穴が顔を出した。
湿り気のある土の匂いが鼻を突く。
黒百合と魅依が身を屈めて潜り込むと、暗闇の中で何かが身を竦ませた。
支倉ではない。長い髪を振り乱した妙齢の、女性。細い指で地を鷲掴みにして這い蹲っている。
天魔か、それとも――正体を見定めようする撃退士を前に、女性は土気色になった唇から掠れた声を絞り出す。
「アナタ達は?」
撃退士である事を告げると、女性は両の眼を見開き……
「Oh my goodness! 馬場サンが呼んでくれた。タカフミ、アナタの友が本当に!!」
……嗚咽にも似た歓声を上げた。
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「そうかい、無事に保護できたんだね?」
『うん。やっぱり防空壕にいたよ! 支倉と、あと、エリカって人も。今、ファーフニャーが治療に来てくれるって』
アサニエルはほっと胸を撫で下ろした。
あとは天魔を探すだけだ。否、その前に保護した一般人を町へ搬送して出直した方が良いだろうか?
作戦を練り直すため、仲間と合流を決めたアサニエル。
(おや?)
林の中に不自然な影を見つけたのは、そんな時だった。
「天魔……!」
それが異形のモノと認識した時、ヒュンと風を切り、鞭のようにしなる何かがアサニエルを襲った。
掠っただけでこのダメージ。という事は、冥魔の眷属か。
態勢を整えるため樹の影に身を隠したアサニエルは、即座に仲間達へ警告を発した。
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天魔、発見――
その報告を受けて真っ先に駆け付けたのは、壕の外で警戒に当たっていた静矢だった。
「いつの間に、こんな近くまで……」
多くの目が防空壕へ向いている間、息を潜め、機をを狙っていたのだろうか?
まず目にしたのは芸術的なまでに美しい裸体。視線を下に落とせば、鋭い棘を持つ緑色の『つる』が、まるでドレスのように下半身を覆っている。
その姿は、ある種の物語に出てくる妖花・アルラウネを彷彿とさせた。
(あれは人間か?)
静矢が注視したのは、アルラウネの足元で渦を巻くつるの先――そこにある3つの塊だ。
つるの間から垣間見える白髪交じりの髪や節くれた指は、おそらく中年の男性のもの。単に動けないだけなのか、すでに死んでいるのか、雁字搦めの状態では判断し難い。
アルラウネが妖艶に微笑むと、濃厚な薔薇の香りが静矢の精神をくすぐった。
「……っ」
ぐにゃりと視界が歪み、一瞬の暗転。周囲の物全てが化け物の姿へと変化する。
パニックに陥りかけた静矢だったが、今一度呼吸を整え、どうにか混乱を振り払った。
「お待たせしました」
「助太刀するさ」
直後、静矢の元に駆け付けた援軍は眠と上総。片膝をつく静矢の前に立ち、それぞれの魔具を構える。
アルラウネの後方にはアサニエルが降りたち、包囲網を完成させた。
「気を付けろ、人質がいる」
アルラウネを焼き尽くそうとした上総は、その一言で状況を理解し、口角を上げて笑みを浮かべる。
「……あの赤い花。見た目からして血とか吸ってきそうだねぃ」
このアルラウネが吸血で生命を保つタイプであるなら、下手に攻撃はできない。人質の血が吸い尽くされてしまう可能性があるからだ。
「私に任せてください」
入れ替わるように眠が前へ出る。じっくりと間合いを見定め、呼吸と共に懐へと飛び込んでいく。
人間を捕らえているつるを鷲掴みにし、手にした刀でそれを断ち切った。
襲い来る棘の鞭に肌を裂かれながらもう一度。
解放された男達を、上総が掻っ攫うように避難させた。
「……まったく、無茶な事をするよ」
全ての男達を削ぎ取った眠は既に満身創痍の状態だ。本人はまだ平然としているが、アサニエルはライトヒールを施し、その傷を癒した。
人の形を残しているだけあり、アルラウネはそれなりの知能を有しているようだった。
敵と獲物の区別。狙い易い標的――撃退士(敵)が救助を最優先とし、一般人(獲物)から意識を逸らそうとしている事も、見透かされているはず。
「まだ出ては駄目さ!」
外の様子を確認するために顔を出した魅依は、上総の声で慌てて頭を引っ込めた。
壕から戦いの場までは約30m。アルラウネの移動スピードを考えれば、決して近い訳ではないのだが。
アサニエルが受けた初撃を見る限り、攻撃範囲は相当に広い。そんな状況下で、これ以上一般人を標的として晒すわけにはいかない。
「でも、ここにいても危険なのよねェ?」
この壕はもともと穴を補強しただけの簡素なものだ。農園時代にはすでに立入禁止になっていた。
外で繰り広げられる戦闘の僅かな震動でも、パラパラと土の塊が降り注いでいる。
自力で動けない2人はアルラウネの格好の的。
しかし、このまま隠れ続けていれば、生き埋めの恐怖に苛まれ続けるだけだ。
『これ以上は壕がもたない。脱出する』
通信を受けた撃退士達は、アルラウネの注意を引き付けるため、包囲網を狭めた。
「縛るのがお好きかい。あたしも大好きだよ」
アサニエルは審判の鎖で妖花を縛り、行動を阻害する。
「養分になるつもりはありません。……断ち斬らせてもらいます」
唯一近接戦に挑む眠が熾烈な勢いで攻撃を繰り返す。静矢は彼女が捕らわれるたび、つるの根元に狙いを定め、縛めを断ち続けた。
「さぁ、今のうちだ」
タイミングを見計らい、最初に飛び出したのはファーフナーだった。壕の入り口を護るように立ち、支倉を抱える黒百合の脱出を援けた。
「後は任せたわァ」
翼を力強く羽ばたかせ、黒百合は一気に高度を上げる。
続いて魅依とエリカ。
うんしょ、と気合を入れて飛び上がるも、前衛の壁を抜けたつるが魅依に襲いかかる。
「にゃん!」
首に巻き付いたつるは直後にファーフナーが断ち切ったが、魅依は一撃で相当なダメージを被っていた。それでも気力を振り絞り、エリカを安全圏まで連れ出した。
「さぁ、もう利用できるものはないぞ」
撃退士は守るための戦いから一転、撃破へと。
力無き一般人はアルラウネの身を護る肉の盾であり、生命を繋ぐ食料でもあった。
それらを奪われてなお、アルラウネの戦意が衰える事はない。逆に憎悪を露わにした。
力任せに周囲を蹂躙する棘のつる、同士討ちを誘発する幻惑の香りで、撃退士を翻弄する。
着実に削られていく生命力を支えたのは、アサニエルの癒しの力だ。
「魔術師相手にするなら一撃で意識を奪うんだねぃ……まあ、次の機会なぞ与える気も無いがね」
つるに四肢を囚われても、上総は不敵な笑みを絶やさない。
繰り出した技はファイアーブレイク。
激しい紅蓮の炎が、断末魔の悲鳴ごとアルラウネを飲み込んだ。
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任務完了の報告を終えた後、撃退士達はその足で病院へ向かった。
保護された人々は皆衰弱していた。特に支倉は腹部に深い傷を負っていたが、幸い命に別状はいという。
アルラウネに捕らわれていた男達も、体力の回復を待って事情聴取を受ける事になるだろう。
「あいつは、動けない俺達のために助けを呼びに行ったんだ。逃げ足には自信があると啖呵を切って……」
一足先に面会を許された撃退士に、支倉はあの場所で何があったのかを語る。
ゴルフ場の土地を買い取り、かつての風景を取り戻すというエリカの夢を叶えようとした事。そのために馬場へ知識の提供を求め、化け物と遭遇した事。
おおよその経緯は、ファーフナーが事前に推測した通りだった。
「ずいぶん無茶な事をしたものだわさ」
話を聞き終えた上総は、呆れたように肩を竦めてみせた。
たとえアウルの素質を有していても、一般人である事に変わりない。捕らえられ、瀕死の重傷を負った馬場は、それでも助けを呼ぶために町を目指したのだろう。
討ち漏らしがないようゴルフ場一帯を捜索した撃退士達は、それを裏付ける痕跡を発見していた。
「あいつが死んだ事は、エリカには黙っていて欲しい。苦労したせいで人間不信に陥っているが、本当は他人想いの優しい女性なんだ。生きるためにまた誰かを殺してしまったと、自分を責めさせたくはない」
支倉の切なる願いを聞き、撃退士達は静かに頷いた。
「判りました。学園にもその旨を伝えておきます」
眠の一言を聞き安心したのだろう。礼を告げた支倉は、やがて微かな寝息を立て始める
「ふふふ、最後まで隠し通せると良いわねェ」
「……心配は要らないさ」
意味ありに微笑んだ黒百合。その言葉に応えるように、静矢が落ち着いた声で呟いた。
あれだけ彼女の身を案じ、想いを汲んでくれる人がいるのだ。
いつの日か真実を知る事になっても、きっと立ち直る事ができる。
――そう、確信していた。