●撃退士の選択
「幼い頃に交わした言葉って、何だろうね 」
境内へと続く階段を見上げながら、狩野 峰雪(
ja0345)は東野幸枝の宣言に思いを巡らせた。
例え千里離れても心は一つに――人間同士が争いに明け暮れていた時代に生まれた比翼連理の誓いは、少しずつ意味を変えながらも現代まで受け継がれてきた。
落ち葉は1年もすれば土に還る。幸枝は何故、すでに存在しない物を態々壊すと言ったのか。
決別の意志は、使徒となった親友・宮西弓弦に向けられたのか、それとも人間としての自分に対してか?
「……やけになったっておにーさんは怒らないよ、幸枝ちゃん。だけど……」
全てを捨てて生まれ変わるつもりだとして、彼女はその先に何を見出したというのか?
一年近くの間、幸枝と関わり続けていた阿手 嵐澄(
jb8176)は、彼女が選んだ道に苛立ちを隠せなかった。
「己で決めた決断であれば、それなりの覚悟もお持ちでしょう」
死――それも救いのひとつである、とマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は思う。
もっとも、幸枝を見殺しにしようと考える者は、この中には居ない。
「ピエロの、東野の思惑通りにはさせません。必ず東野を『人』として守ってみせます」
「えぇ。そしてよりベターな選択肢を見つけ出しましょう」
戦いに備え夜姫(
jb2550)が闇の翼を広げれば、その横で雁鉄 静寂(
jb3365)が銀色の銃を構える。
他の者達も次々と魔具を実体化させ、50段以上もの階段を駆け登っていく。
「伏せろっ!」
先頭を走る向坂 玲治(
ja6214)が境内の様子を視認した時、地を揺るがすような咆哮が響いた。
●魔断の射手
警告と同時に炎の龍が走った。
とっさに槍を旋回させて振り払うも、炎は玲治の身体を包み込む。むっとする熱気の中、チリチリと産毛の焼ける匂いが鼻を突いた。
「……粋な歓迎をしてくれるぜ」
羽獅子の初撃を、玲治は持ち前の防御力で耐えた。受けた傷は軽微。階段という地形が幸いし、後続の者達が巻き込まれる事もなかった。
「奇襲を仕掛けられると良かったんだけどね」
峰雪としては接敵前に少しでも削っておきたかった所だが、高台に位置する上、侵入路が限られる神社は攻めるには少々難かった。
「羽獅子はあの1体だけでしょうか」
伏兵の存在を危惧する山里赤薔薇(
jb4090)は、境内を囲む森にも目を配り警戒を怠らない。
「宮西の勢力も油断できねぇ。俺達がヴァニタスに気を取られている間に東野を攫われないようにしねぇと」
「そうそう。例えばあそこ、怪しいねェ」
玲治の呟きに同意を示したランスは境内の最奥にある社に目を向けた。建物自体は2メートル四方と小さいが、少女と狼が身を潜めるには充分な広さだ。
多少の戒めにはなるだろう……とほくそ笑み、ランスは阻霊符を展開する。
「ディアボロのお相手はお任せしますわ。できるだけ抑えてくださいませ!」
襲いかかる羽獅子の牙を逃れ、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)とマキナ、玲治――メンバーの中でも一際高い実力を持つ3人が、境内の隅を駆け抜ける。
羽獅子の注意がそちらに向いた隙を見逃さず、峰雪は素早く死角に回り込んで狙いを定めた。
牽制の弾丸が耳を掠め、羽獅子は煩わしそうに頭を振った。
そして振り向き際に、吼える。
「くっ……!」
扇状に広がる衝撃波に、静寂、峰雪、赤薔薇が巻き込まれた。
激しい耳鳴り。感覚が無くなる程に全身が痺れ、静寂の手からシルバーマグがこぼれ落ちた。
幸い異常が後に残る事はなかった。すばやく銃を拾い上げ、態勢を整える。
「このままでは一網打尽です。散開してください!」
「言われたくても判っているよぉ」
静寂の指示に応えるランスの口調は軽い。
とはいえ、狭い境内ではライフルの射程を活かす事はできない。ヴァニタス・ピエロの能力も考慮すると、結局は数メートルの距離に縛られる事となる。
ランスが引き鉄に添える指に力を込めた瞬間、羽獅子を挟んだ射線上に対ピエロに回った仲間が重なった。誤射を避けるため、ランスは軽く息を吐いて呼吸を整える。
「私が注意を引き付けます」
夜姫が闇の翼で上空を旋回する。充分に間合いを取った所で、薙刀――否、二条の雷鞭を振りかざした。
複雑な軌道を描く攻撃を、羽獅子は完全には読みきれない。
「南無三! ちゃっちゃと吹っ飛んでちょうだいよォ!」
顔面を強かに打たれて動きが止まった瞬間を見逃さず、ランスは今度こそ引き鉄を引いた。
蒼い軌道は冥魔を滅する破魔の光。一撃必殺は望めなかったが、羽獅子の肩を貫く事ができた。
「叫び一つ上げないとは……さすが下級ヴァニタス級と言われるだけありますね」
天界の気を帯びたランスが反撃を受けないよう静寂が素早く前に出た。
静寂の髪が風に揺れる。それは冥府の匂いを含んだ追い風となって、彼女自身の能力を底上げしていく。
●少女が囚われるものは
こちらの思惑通り、羽獅子はピエロから離れてくれた。後は……。
頷き合うみずほと玲治。彼我の位置を見定め、二手三手まで行動の先を読む。
この状況下で警戒すべきは、未だピエロの傍に立ち続ける幸枝の存在だ。
人身を蝕む毒の霧に彼女を巻き込むわけにいかない。仮にピエロが『敵』から除外したとしても、肉の盾として利用されれば、此方の行動は大幅に封じられるだろう。
撃退士が望む『任務の成功』には、幸枝の身柄を確保する事が必須条件なのだ。
「あなたの相手はわたくしですわ!」
強引に幸枝を引き寄せ、逃走の構えを見せたピエロに肉薄するみずほ。ステップを踏んでサイドへ回り込むと、渾身のストレートパンチを撃ち込んだ。
ピエロは幸枝の腕を掴んだ状態で軽々と避けてみせる。
「ちょっと! か弱い相手に3人掛かりなんて卑怯じゃない」
「今時オネェ系はウケねぇぜ。早々にこの業界から退場して貰おうか!」
どこの誰がか弱いのか? 突っ込みたい気持ちを抑えつつ、玲治は退路を断つ位置に回り込む。
(困りましたわね……)
密着した状態では幸枝も一緒に吹き飛ばす事になる――そんな焦りを表に出すことなく、みずほは機会を窺う。
「いいですわよ、ノーガードの打ち合い、望むところですわ!」
斬撃をその身に受けながらも、みずほは手を休めることなく攻撃を繰り出し続ける。
不意にピエロに黒焔が纏わりつく。マキナの封神縛鎖だ。
陽炎のように揺らめく炎はピエロの身体に触れた瞬間、堅固な鎖となってその身を縛める。
意識を刈り取る事は叶わなかったが、マキナの攻撃に特化した一撃は、ピエロの身体に決して小さくないダメージを刻み込んだ。
「チャンスですわ!」
激しいジャブの末に繰り出されたみずほの右ストレートがピエロの顔面を捕らえた。ふざけた仮面を粉々に砕き、後方の社まで吹き飛ばす。
ゆらりと立ち上がるピエロ。玲治がすかさず間に入り、行く手を阻んだ。
「マキナ、幸枝を頼む!」
しかし――己が与え得るは『終焉』のみと自覚するが故、マキナは『救い』を仲間へ託し、黒焔を操り続ける。ただひたすらに、目の前の敵を滅ぼすためだけに。
ふぅと小さく息を吐き、玲治は自ら幸枝を確保する。
「幸枝ちゃん、こっちへおいでなさい。言ったはずよね?」
差し伸べられた手に、幸枝が手を伸ばす。しかし彼女は玲治の腕に捕えられたまま。振り払おうにも、一般人の腕では敵うはずもない。
「そう……判ったわ」
周囲に赤い霧が立ち込めた。ピエロの血は強力な毒を孕み、マキナやみずほを蝕んでいく。
幸枝も霧に包まれたが、共にいる玲治の庇護を受け彼女が毒に冒される事はなかった。
「やめて……私を放して」
「もう無理をするんじゃない」
「だめよ、まだ」
安心しろ。何も心配いらない、と言い聞かせながらも、玲治は抵抗を続ける幸枝を抱え、毒霧の範囲を脱する。
ピエロが嗤う。撃退士に対する切り札を奪われても、構わずに。
「やめて――っ!」
これで元通りとピエロが嘲笑う中、幸枝は一際高く拒絶の声を上げ、何かを掴み取るように空へ手を伸ばした。
その時、力強い羽ばたきと共に撃退士の頭上を陰が過った。
●終焉の時へ
対ディアボロ班は、予想以上に手間取っていた。
翼を持つが故、羽獅子は空中を移動し立体的な動きで撃退士を翻弄する。
散開することで炎や咆哮の被害を封じても、爪や牙といった身に備わる力によって、じりじりと削られていく。
回復力に乏しい中、赤薔薇の体力はもう限界近くまで達していた。
あと一撃、耐えられるか。
ピエロの対応に回った者達が幸枝を取り戻したのは、そんな時だった。
「あと少し、頑張りましょう!」
赤薔薇が気力を奮い立たせてバスターライフルを構える。
一番の危険は取り除かれた。
あとは幸枝を安全な場所へ避難させるため、目の前のディアボロを滅ぼすだけ。そう思った時、ピエロの嘲笑に応えるように羽獅子が低く唸り、頭を振るった。
咆哮の前兆を確認した撃退士が距離を取って身構えた直後。
およその予想に反し、羽獅子は力強く翼を羽ばたかせると、そのまま空を駆けるように舞い上がった。
高く、高く、町の方へ――
「いけない。このままでは!」
ただひとり、羽獅子に肉薄していた夜姫だけが、その動きに反応した。
「もう二度と……後悔はしたくありません」
恐れているのは任務の失敗ではなく、悲劇の継続。
だから夜姫は、地上の仲間が銃を構え直すより早く、半ば全力で羽獅子の前方へと回り込む。
打ち据えた雷鞭が羽獅子の動きを鈍らせた。
「退けなさい!」
蒼い弾丸が閃く。
射程が心許ない拳銃から換装した、峰雪のスナイパーライフルだ。
天界の力を纏った弾丸は羽獅子の胸元を深く穿った。
羽ばたく力を失い高度を落とした羽獅子に、静寂とランスが絶え間なく銃撃を繰り返す。
「たくさんの人が死んだ。お前たちが殺した。……許さない!!」
赤薔薇の足元で火竜が鎌首をもたげた。今にも暴れだしそうな竜を掌で制した後、赤薔薇は狙いを定めて解き放った。
全身を焼かれながらも、羽獅子は痙攣する脚で血を踏み続ける。
ガウゥッ!
渾身の衝撃波。
しかし、それに捕えられた者はなく――崩れるように倒れた羽獅子の眼から、次第に光が失われていった。
黒焔を受けたピエロの身体が大きく傾いだ。
終焉の一撃を与えるために踏み込んだ時、反撃の刃が腐敗の血に塗れたマキナの首を薙いだ。
それが最期。
にやりと笑みを浮かべたピエロは、マキナの首に一筋の赤い線を残し、ついに力尽きる。
1秒、2秒……気の遠くなるような緊張が続いた。
やがて本当に終わったと納得した瞬間、幸枝は崩れるようにその場に座り込んだ。
顔面は蝋人形のように蒼白で、傍から見て判る程に体が震えている。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
手を差し伸べたみずほに、幸枝はしっかりと頷いた。
●来た道、行く道
幸枝が落ち着くのを待って、峰雪はできるだけ穏やかな口調で語りかけた。
「東野さん、自分を犠牲に皆を救うつもりだったのかも知れないけれど、安易に辛さから逃げ出しているだけとも言えるよ?」
「この町の現状、ヴァニタスを逃がし人々を守れなかった私にも責任はあります。ですが……それでも出来る限りは、人として在る事を諦めないで欲しいです」
自身の思いを真摯に告げる夜姫。静寂は無言のまま、幸枝の答えを待った。
「違う……違うんです」
彼らの言葉に、否定の声を上げたのは赤薔薇だった。
赤薔薇がシンパシーで読み取った幸枝の『記憶』。
暴れ回るディアボロ。ヴァニタスが放つ赤い霧に冒され爛れていく人々。彼らを救うために倒れていくフリー撃退士達。おそらくその場にいた誰もが見ただろう惨劇の場面。
赤薔薇は視線を移した。釣られて皆もそちらを見る。
眼下に広がる町並みの中で無数の赤い光が点滅していた。すでに救命活動が始まっているのか、風にのってサイレンの音が聞こえてきた。
「あ……」
ここで皆もようやく幸枝の行動の意味に気付く。
彼女は決して逃げてなどいなかった。
町の人々がこれ以上戦いに巻き込まれないように。
新たに派遣される撃退士が戦いにだけ専念できるように。
ヴァニタスを少しでも長く留まらせるために……
それは確かに利他行為と呼ばれるものかも知れない。それでも。
「私は箱に入れられたお人形じゃない。何もしないで後悔するのは嫌だった。間違いを恐れていては、進む事も逃げる事もできないから」
幸枝は希望を繋ぐための賭けを行い、未来を勝ち取ったのだ。
救命活動を見守る幸枝に、任務完了の報告を終えた静寂がある提案をした。
「学園には天魔に狙われた者を保護するプログラムがあります」
静寂が懸念するのは、ヴァニタスを失った悪魔の報復だ。
今回は姿を現さなかったが、使徒・弓弦の動向も気になる。生きる世界が違っても大切な友達、と幸枝は言ったが、向こうも同様に思っているとは限らないのだから。
「お気持ちは嬉しいのですが、ご遠慮します」
幸枝は微笑を浮かべて即答した。
「冥魔に狙われるのは町の人も同じ。『私だけ』安全な場所に逃げるなんてできない」
「でも、町の人達は……」
赤薔薇は『記憶』に残る人々の視線を思い浮かべ、視線を伏せた。
ピエロを信用させるための演技とはいえ、あれだけの言葉を投げ責めたてたのだ。しばらくは誤解が残るだろう。
「全て納得しています。その上で、私はこれからもこの町で、町の人達と一緒に生きていきます」
幸枝は決して多くを語ろうとしない。
しかし真直ぐに前を見据える瞳は、千の言葉を重ねるより確かな思いを伝えていた。
●灯火を胸に
惨劇から一夜明けた『約束の日』。
単身で町を訪れた弓弦に、町の人々は最後の答えを告げた。
天界の庇護は受け入れない――ただ一言、結論だけを。
制裁を恐れる声は最後まであったが、意趣返しをするぐらいなら最初から同意を求めたりはしない。
それを裏付けるように、弓弦は穏やかな微笑を浮かべて首肯した。
「この町の未来に祝福がありますように」
至極穏やかな声で祈りを捧げ、弓弦は町を後にする。
そして、二度と町を訪れる事はなかった。
天魔が蔓延る混迷の時代、人は足もとすら見えない暗闇に閉ざされた『今』を手探りで歩く。
一歩先には奈落の底が口を開けているかもしれない。
最初は易すくとも、明日には高く険しい断崖に行く手を阻まれるかもしれない。
何度も迷い、間違い続けるかもしれない。
それでも人はその度に自ら考え、乗り越えていく。
その先にあるだろう、希望を掴むために……。