●夜明けの晩
「私では力不足とおっしゃるのですか?」
出撃を禁じられたヴァニタス・東海林は愕然とした表情を見せた。
必ず期待に応えて見せる、と必死に食い下がる。
「そういう意味ではない。私はお前を高く買っているのだ」
嘆きの黒鳥・ベネトナシュ (jz0142)は慈愛の眼差しで東海林の顔に手を伸ばした。火傷の残る半顔に、そっと唇を這わせる。
「お前にはマエバシへ行ってもらいたい。私の名代として、アバドン様のお力になるのだ。あ奴などには任せられん、重要な仕事だ」
「は、はい! お任せください」
アルカイドではなく、自分に。
そのひと言は、見事に東海林の歪んだ自尊心をくすぐった。恍惚とした表情で跪く。
いそいそと出発の準備に向かう東海林の後ろ姿を、ベネトナシュは笑みを浮かべて見送った。
「……これで良いのだろう、ピジョンよ」
しばしの静寂の後、ベネトナシュは天蓋の向こうに身を潜める男に視線を向けた。
●黎明の刻
グラウンドを占拠するディアボロ達が俄かに興奮し始めた。
「皆さん、そろそろ準備を」
外の様子を窺っていたキイ・ローランド(
jb5908)の視線に力強く頷き、雪室 チルル(
ja0220)と御守 陸(
ja6074)が立ち上がった。
穏やかな旋律を奏でていた九十九(
ja1149)も、二胡を禍々しき風神を宿す大弓へと持ち替えて時を待つ。
「あたしは何時でもOKだよ」
エルフリーデ・クラッセン(
jb7185)はウォーミングアップも万全。軽くジャブを決めて、やる気をアピールした。
午前8時。
『ただいま支配領域内に突入したのです!』
光信機から流れ出たのは可愛らしい少女の声。ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)が両の拳をグッと握り締める。
こちらの状況を端的に伝えたグレイフィア・フェルネーゼ(
jb6027)は、ノイズのように入り混じるディアボロの叫びに気付き、柳眉を顰めた。
襲撃は後発隊の方へも等しく行われているようだった。
●狂宴の始まり
「変身っ! 天・拳・絶・闘、ゴウライガぁっ!!」
千葉 真一(
ja0070)は掛け声と共に光纏を果たすと、開け放たれた扉から身を踊り出した。
待ちかねていたように無数のディアボロ達が襲いかかる。真一は臆することなく拳を振り上げると、正面に立ち塞がったバンシーを一撃で沈めた。
後に続いたのはフラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)だ。蒼い髪を風に靡かせ、リボルバーを構えた。狙いは体育館を強襲する以津真天。
今度は一撃撃破とはいかなかったが、腹を撃ち抜かれた以津真天は錐もみ状態で地上に落下。扉の前で防衛に当たっていたエルフリーデが止めを刺した。
「後ろはあたい達に任せて!」
チルルは白き大剣を振るい、体育館を守る。剣先から放たれた衝撃波が細氷となり、数体の鳥達を飲み込んでいく。
「ゴウライソード、ビュートモードっ」
真一が繰り出した蛇腹剣は、バンシーの爪によって阻まれた。
直後に耳を劈いた、身の毛もよだつような悲鳴。魂に語り掛ける甘い囁きを、真一は歯を食いしばって振り払った。
瞳を黄金色に染めた陸は、ライフルを構えて狙いを定める。
スコープの中で数体のディアボロが重なった瞬間を逃さず、全てを貫け、とばかりに引き金を引いた。
ディアボロが羽を散らせて地に堕ちる。
「……次っ」
ほっと息を吐くも、安堵している暇はない。陸は気を緩めることなく、銃を構えた。
神代 深紅 (jz0123)と緋翠の面々も奮闘を続ける。
「何か、変さねぇ」
地を這うすねこすりを射止めた九十九は、波状攻撃を繰り返すディアボロに違和感を覚えていた。
周囲を乱舞する無数のディアボロは、全体から見ればごく一部。グラウンドには、未だ何倍もの数が控えている。
なぜ総攻撃をしかけず、無駄に戦力を温存しているのだろう? それに個々の地力も、昨日、襲撃を仕掛けてきた群れと比べ、全体的に劣っているように思える。
「そういえば、昨日のあの女性、いないんじゃない?」
チルルが指摘したのは、ヴァニタス・東海林の存在だ。
あれだけ悪意を漲らせ宣戦布告をしたのだ。今日は嬉々として一般人を狙うのでは、と危惧していたのだが。
「もしかして、僕達が疲弊するのを待っているのかも」
陸と九十九は頷き合い、意識を集中した。乱舞するディアボロの中から、人影だけを追い求める。
「見つけたねぃ」
風が指し示したのは、グランドに捨て置かれたバスの陰だった。
九十九の警告を受けた撃退士の視線がその場所に向けられる。
「アルカイド……!」
フラッペの叫びをかき消すように、どこかでクラクションの音が鳴り響いた。
◆
ディアボロの鳴き声と、鍔迫り合いの音。
見えない分、戦いの様子はより生々しく、人々の妄想を掻き立てる。
ロドルフォは耳を塞ぐ女性達の肩を抱き、励まし続ける。
「俺達だけじゃどうしても手が足りねえ。頼りにさせて貰うぜ」
落ち着きのない男性には責任を押しつけ、目の前の不安から気を逸らさせた。
「フェルネーゼ先輩」
西田笑子が、そっとグレイフィアの肩を突いた。
視線で差し示した先、校舎側と繋がる渡り廊下にいくつかの影があった。黒いローブに身を包んだバンシーが、3体。
頷き合って立ち上がった2人は、守りの強化を緋翠メンバーに託し、迎撃に向かう。
笑子は魔法書を開き応戦する。
「……今しばらく、時を稼がなければいけないのです。故に、これ以上立ち入らせる訳にはいきません」
グレイフィアは鋭い爪を肩に受けながらも、青い鋼糸で腕を絡め取った。
『イツマデ、イツマデ』
館内のキャットウォークに立ち、狙撃を続けていた藤咲千尋(
ja8564)の耳に響いた奇怪な鳴き声。
急降下してきた以津真天が窓を突き破り、襲いかかる。
(あっ、弓が……!!)
鋭い鉤爪が肩に食い込み、諸共に転がった。手から零れ落ちた弓が、足場の向こうに落下した。
以津真天は勝ち誇ったように一声鳴いて、鋭い嘴で千尋の眉間を狙う。
「イツマデ、イツマデって、いつまででもだよ!!」
千尋は咄嗟にリボルバー抜き、以津真天の喉元に撃ち放った。
もう少し。もう少し……。
ただ“待つ”だけの時間は、ひどくゆっくりと流れていく。
後発隊は今どのあたりにいるだろう?
激しい妨害を受けているとはいえ、もうとっくに到着していてもいいはずだ。
まさか……という思いが過ったその時、光信機が受信を示した。
『到着なのです!』
◆
名前を呼ばれた剣士は静かに顔を上げた。微かに動いた唇が、フラッペの二つ名を呼んだように思えた。
反射的に駆け出したフラッペに、九十九が言葉を投げかけるが、彼女の耳には届かない。
牽制の弾丸を剣の腹で弾きアルカイドが距離を詰める。グラウンドに留まっていたディアボロが一斉に動きだした。
ほぼ同時、激しいエンジン音を響かせて3台のバイクが敷地内に飛び込んでくる。その後ろから、2台のバスも。
炎と彗星が道を切り開く中、ディアボロの群れを力ずくで押しのけ、突き進む。
「そちらへは行かせないよ」
後発隊にかかる負荷を少しでも減らすため、キイはタウントを行使した。
地と空のディアボロ達は、血に飢えた眼差しで、忌まわしき天界の気を放つ者を捉える。
直後に襲ってきたのは、避ける間もないほどの猛攻――効果はキイが予想した以上に絶大だった。
背中を合わせて死角を無くしたキイとエルフリーデは、多数のディアボロを相手に奮闘する。
「黒鳥は? 今、何処にいるのだ?」
フラッペの問いに、アルカイドが応えることはない。間合いを取り直し、感情が見えない氷のような視線を体育館の方へ向けた。
振りかざした剣が紫の雷を纏う前に、陸が剣を狙い撃つ。
◆
後発隊が持ちこんだ車両の1台は、悪魔達の妨害で崖下に転落死、大破したという。
しかし慌てる必要はない。こんな時のために、真一が危険を冒して燃料を移し替えておいたのだ。
「B班、済まないが向うへ」
ロドルフォの迅速な誘導で、人々は迅速にバスへ乗り込んでいく。
「出発の準備が完了しました」
グレイフィアが漆黒に染まった翼を広げる。
その言葉を合図に千尋がナパームショットを行使。爆炎によって開かれた僅かな道に身を割り込ませ、バスは走り出した。
●満ちていく光
人々を乗せたバスが急傾斜の国道を走り抜ける。
ディアボロは目に見える人間を優先的に攻撃するため、バス自体の損傷は控えめだ。
その分、周囲を守る撃退士達は、激しい追撃に晒され続けていた。
「あっ……」
バスの上でディアボロの突撃を受けた緋翠メンバー。チルルが差し伸べた手は空を切り、彼はそのまま落下する。
「無理をするな。早く戻れ!」
バイクを操るロドルフォの視線の先には、独り空に位置するグレイフィアの姿。多くの飛行ディアボロに囲まれ、満身創痍になりながらも鋼糸を手繰り奮闘している。
九十九も後部座席から弓で援護をするが、やはり数が多すぎる。
離脱不能の状態でグレイフィアの背から翼が消えた。態勢を整える間もなく、アスファルトに叩きつけられた。
「ボクが回収してくる。皆は先に行って」
「任せるさねぃ」
「デートの時間に遅れるなよ」
軽自動車を預かる深紅に離脱者の保護を託し、バスは止まることなく進み続ける。
(怖い……。でも、頑張らなきゃ!!)
前面を守るフロントガラスが粉々に割れ、運転席は無防備の状態だ。
負傷したドライバーに代わってハンドルを預かる千尋は、イチイバルを納めたヒヒイロカネを握りしめ、勇気を振り絞る。
「千尋先輩は運転に専念してください」
陸は運転席の横に立ち、銃を構えた。風が吹き込む中、狙い違わずディアボロを撃ちぬいた。
前方の、僅かに道幅が広くなった退避スペースに佇む影があった。
「……黒鳥!」
誰よりも早くそれを認識したフラッペ。撃退士達はバスを守るため、素早く陣を固める。
ベネトナシュは鮮血を塗ったような赤い唇に妖艶な笑みを浮かべ、右手を差し伸べた。直後、無数の黒い羽が舞い散った。
狙われたのは――前方を守る撃退士。
「きゃあっ!!」
バランスを崩したバイクが目の前で転倒し、千尋は慌ててハンドルを切った。間一髪で巻き込みは免れたが、剥き出しの岩肌に車体の側面を叩きつけてしまう。
「後を頼む」
最後に残った庇護の翼でバスを衝撃から守ったロドルフォは、人々の護りを九十九に託し、空へと舞い上がった。
フラッペやキイもバスを飛び降り、後に続いた。
「……まだ諦めぬとは」
「俺がこの人たちを護ると決めた。その為に全力を尽くす事に何を迷う必要がある!」
不退転の意思を持ち、真一が立ち塞がる。
チルルは進路を確保するため、氷で包まれた大剣を振り抜いた。氷壊アイスマスブレード――その圧倒的な質量で敵を弾き飛ばす大技である。
(軽い連打当てたって倒せない……。だったら、重い一撃を流星の速さで……打ち抜くッ!!)
チルルの攻撃を避けたことにより、目の前に晒された無防備な背中。
エルフリーデはその隙を見逃すことなく一気に肉薄し――
「そこを……どけろおおおっ!!!」
聖なる光を纏った拳を叩き込んだ。しかし。
エルフリーデ渾身の一撃を、ベネトナシュは眉一つ動かすことなく片手で受け止めた。
「身の程を弁えよ」
「ぎゃん!」
至近距離で放たれた衝撃波は、レートを正に傾けた身にはとても重く、エルフリーデは崩れるように倒れ込んだ。
◆
力強くハンドルを握った千尋がアクセルを踏み込んだ。一気に加速する。悪魔を抑えてくれている仲間のために、少しでも早く、この場を離れなければ。
すれ違い際、陸はライフルを構えた。撃ちはしない。それを察しているのか、ベネトナシュは笑みを浮かべたまま、撃退士の前に身を晒している。彼女の足元に倒れたエルフリーデは、ぴくりとも動かない。
大丈夫だろうか?
不安を抱きつつも、人々を乗せたバスは次々と走り抜けていく。
最後尾を守る九十九の目に映るのは、ディアボロから逃れながらも追い上げてくる軽自動車の姿。九十九は狙いを定めて弓を引く。黒い風を纏った矢は、群れの中で最も大きな個体を撃ち抜いた。
◆
「剣を納めよ、撃退士共。すでに勝敗は決している。
愉悦を含んだベネトナシュの声。死の宣告と思いきや、続けられた言葉は意外なものだった。
「最下級とはいえ、数百もの眷属を凌ぎ、“この場”を逃れた。……勝者はお前達の方よ」
ここまで散々に蹂躙しておいて、さらりと負けを認めるのはなぜか。
撃退士達はその真意を測りかね、逆に警戒心を露にする。
「黒鳥……キミは何を望んで、こんなことをするのだ?」
「その答えは、すでにあ奴から聞いているのではないか? 蒼き疾風よ」
リボルバーを構えたまま問い質すフラッペに、ベネトナシュは静かな声で答えた。
「人の心を試すというより、まるでゲームを楽しんでいるみたいだ。東海林の姿がどこにも見えなかったことも、何か意味があるのかな?」
「知りたいか? 小さき騎士よ」
ベネトナシュは手を差し伸べた。意を決して足を踏み出したキイを胸元に引き寄せ、耳元に唇を寄せる。
甘い香りと共に紡がれた言葉は、彼女が“ピジョン”と名付けた人間と交した“賭け”について。
声は押さえていないので、その内容は見守る仲間達の耳にもしっかりと届いているのだが。
「そ、それで、君は満足したのか?」
「するわけが無かろう。人の心は実に興味深い。知れば知るほど、愛しさは深く、欲望は増すばかりよ」
言葉とは裏腹に、その口調はとても満足げだ。
「愛しいから? だから試すのだ? ボクは……人の迷う顔より! 笑顔を見ていたいのだ!」
口調が荒くなるのは、理解したいと思うからこそ。
今にも掴みかかりそうな勢いのフラッペを、ロドルフォが制する。
「ベネトナシュ……あんたが絶望の黒翼なら、俺は希望の白翼になってやる。人の心はそう簡単に折れやしないし、例え折れたって何度でも立ち直るさ」
「面白い。その言葉、心に留めておこう」
撃退士の周囲を無数の黒羽が渦を巻き、視界を塞ぐ。
ほんの数秒――旋風が治まった時、あれほど舞い散っていた羽は一片も残さず消え去り、かの黒鳥の姿も、ディアボロ達も、撃退士の前から忽然と姿を消していた。
「あたい達が勝った、ってことなのかな?」
「おそらくな」
悪魔にとって支配領域内の人間は、糧であり財産でもある。それを奪われることは、屈辱以外の何物でもないはずだ。
自分達にとって、人々を守りきれないことが敗北であるのと同じように。
多少の腹ただしさを飲み込んで、真一は光纏を解除する。
「そうと決まれば、長居は無用だ」
ロドルフォは倒れたままのエルフリーデを抱き上げた。瞼がゆっくりと開くのを見て、安堵の息を漏らす。
凱旋のため道を歩き始めた時、光信機から嬉しそうな千尋の声が流れてきた。
105名の一般人は、無事に支配領域を抜けた……!! と。