●煉獄の中へ
薄蒼い空を鳥が舞う。
嘴が異常に長いカラスや鉤爪を持つスズメ。見慣れているはずの鳥達はみな不気味で。
中でも一際目を引くのは、蛇のような身体を持つ鳥。
『イツマデ、イツマデ』
不明瞭であるが故、その鳴き声はより不快な響きを孕む。
「何とも趣味の悪い鳴き声だな」
千葉 真一(
ja0070)は忌まわしげに呟いた。
「気に入らないさね」
音楽を嗜む九十九(
ja1149)にとって、耳障りな雑音は存在自体が許せない。
ふわりと舞い降りた1体に藤咲千尋(
ja8564)が狙いを定め……すぐに腕を下ろした。
ディアボロ達は様子を窺っているだけのようだ。もっとも周囲に殺気が満ちていることから、隙を狙っているだけかも知れないが。
「救助者は105人……」
御守 陸(
ja6074)は渡された名簿を指でなぞる。キイ・ローランド(
jb5908)も、迅速な救助ができるよう、顔と名前を頭に叩き込んでいた。
「出来るだけ、……いや、全員助けなきゃ」
エルフリーデ・クラッセン(
jb7185)に、グレイフィア・フェルネーゼ(
jb6027)が頷いた。
「大丈夫よ! あたい達ならできるはずよ!」
雪室 チルル(
ja0220)もそう力説する。
「そのためにも、急がないとな」
ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)は時計に目を向けた。
人々を集めるだけが任務ではない。守り通すことができなければ、明日に望みを託すことはできないのだ。
「黒鳥……」
フラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)は、町の何処かに潜んでいるだろう女デビルの二つ名を呟いた。
「キミは、何処で、何を見ているのだ……?」
●ふたつの砦
情報の通り、中学校には多くの人々が集まっていた。
「わたし達は久遠ヶ原学園の生徒だよ!!」
見知らぬ者の乱入に、人々は怯えの色を見せた。即座に千尋が素性を明かし、不安を取り除く。
「君達が“緋翠”だな。応援に来たぜ」
真一はこれまで頑張ってきたフリー撃退士達を労った。
捜索に向かう仲間を見送った後で、真一と千尋は持参した食料を配る。
「腹が減っては何とやら、だ」
「大丈夫、大丈夫だよ!! みんな揃って生きて帰るよ!!」
そのために自分達が来たのだ、と千尋は胸を張り、人々を励ます。
おにぎりと飲料を1つずつ。僅かな差し入れにも人々は感謝し、貪るように食べ始めた。
◆
庁舎に身を寄せていた人々は、提供された食料に複雑な表情を見せた。
「悪いが、今は受け取るわけにはいかない」
リーダーの男性が申し訳なさそうに告げる。
今、仲間が食料を探しに出ている。彼らを差し置いて、自分達だけが腹を満たすことはできない、と。
「なら、せめて中学校への移動を承諾して欲しいさね」
作戦の説明した九十九は、リーダーにそう掛け合った。
「より多くの人が、より安全に明日の朝を迎えられるように。色々思うところがあるとは思うが……ちょっとだけ堪えて協力して欲しい」
ロドルフォも真摯に向き合う。
説得には時間が掛かるかもしれない。2人はそう覚悟していたが、人々は意外にも快く受け入れてくれた。
人間関係の悪化が原因とは言え、そこに横たわる川は、憎悪などではない。
軽度とはいえ、半身に障害が残る負傷をし、外で活動する危険性を体現した男性。
意志はあっても、能力的にそれが不可能な者がいることを知る女性。
相容れなかったのは、一番に護るべき者の順位だったのだから……。
庁舎に仲間が戻るのを待ち、合流作戦は決行された。
目立たないよう小人数で。まずは女性と未成年、老人を優先し、移動を開始する。
以津真天の鳴き声が谺する中、避難は不気味なほど順調に進んでいく。
このまま何事も無ければ……。
誰もが抱いた願いは、ここぞという時に裏切られた。
2組目が中学校の敷地内へ入り、人々の緊張の糸が緩んだ時、狙いすましたようにバンシー達が立ち塞がった。
「落ち着いて!!」
『ムダ、諦メロ』
『キヅケヨ、イイカゲン』
人語を発する人面犬や以津真天もいた。千尋の言葉に茶々を入れ、嘲笑う。
女性が耳を塞いで座り込んだ。嬉々として襲いかかる人面犬を、真一……否、ゴウライガが熱い拳で叩き潰す。
「ヴァニタスが居るかもしれない」
ロドルフォが警告を発した。
緋翠の話では、ディアボロ達は特に連携することなく、攻撃も威嚇程度だったという。
しかし、今ここに集まっているディアボロは非常に統率力が高い。直接指揮を取っている者がいるはずだ。
千尋は周囲を索敵するが、それらしき姿は見当たらなかった。
パニックに陥り走りだした男性を、バンシーの爪が襲う。
「危ない!」
ロドルフォの庇護の翼は、開かれなかった。
足元に胴長の猫――すねこすり。愛らしい姿で油断をさせ、アウルの力を封じ込めたのだ。
「させません!!」
千尋が射た回避射撃が爪の軌道を逸らし、直撃だけは免れた。九十九が馨風で包み、切り裂かれた肩を癒す。
「この人を頼むさぁ」
緋翠メンバーに負傷者を託し、九十九は弓を引いた。猛き虎の異名を持つ弓は、咆哮と共に鋭い一矢を放ち、以津真天の身体を貫いた。
午前10時――合流完了。
●捜索組・A班
「もう大丈夫。出てきていいよ!」
4体の鳥型ディアボロとの戦闘を終えたチルルは、周囲にもう敵がいないことを確認してから声をかけた。
横転したトラックの陰に身を隠していた深紅が顔を出す。続いて、1組のカップルも。
「5番・上野充さん、32番・渋谷佳子さん、保護完了よ」
無事車までたどり着いた後、陸はリストにチェックを入れると同時に他班へ連絡を入れる。
救助した者達を搬送役の神代 深紅 (jz0123)に託し、残った3人は再び捜索を始めた。
「五反田さんが言っていたのは、この辺りのはずだけど……」
地図と照らし合わせ、陸は周囲に目を配る。
――精神的にかなり参っている子がいるから、気を使ってほしい。
それは庁舎グループのリーダーから託された情報だった。
最後に姿を確認したという家に向かった撃退士達は、囁くような声を聞き、奥へと急いだ。
『マダ、生キテル』
『シブトイネ』
四畳半の和室に、人面犬が2匹。
弱い相手には吠え立てるくせに、反撃の構えを見せると逃げていくチキンな連中だ。今もチルルと目が合っただけで、尻尾を巻いて隣室へ逃げていった。
「田町ひかりさん?」
部屋の隅で蹲っていた少女は、チルルの問いに体を強張らせた。
足元に血で汚れたカッターが転がっている。俯いて膝を抱える左手首は、度重なる自傷行為のため醜く腫れていた。
「僕達は撃退士です。助けに来ました」
陸の語りかけを、少女は頑なに拒んだ。自分に生きる資格はない、と呟き続ける。
「まだ8ヶ月だったんだよ」
少女の口から洩れる声は、ひどく震えていた。
「あたしが痴漢って言ったの。だからあの人は、家族を巻き込んで、自殺した。あたしが5人を殺したの。だからあたしは、生きてちゃダメなんだ」
『死ネバイイノニ』
「あんたは黙ってなさい!」
チルルは下卑な言葉を吐く人面犬を白直剣で貫き、永遠にその口を塞いだ。
「僕は、生きていて欲しいです」
陸は耳を塞ぐ少女の肩を抱いた。アウルの光で手首を包み、深く刻まれた傷を癒す。
「苦しくったって、後悔にまみれてたって、今、生きてるんです。それを無駄にしちゃダメです」
責めも叱りもせず、ただ存在を認めて。少女の心が希望を思い出すまで、2人は待ち続けた。
午前11時30分――保護完了数、71名。
●捜索組・B班
耳を劈くような衝突音が響いた。
高台の家屋で捜索をしていたフラッペとキイは、立ち上る黒煙を目印に現場へと向かった。
車が電柱に潰され、ガソリンの匂いが立ち込めていた。爆発音と共に炎が膨らむ。
倒れた男性に群がる三眼の鳥達を、紫の閃光が薙ぎ払った。
2人が到着したのは、黒衣の剣士が男性を抱え上げた時だった。
「やっぱり、キミなのか?」
「黒ずくめの撃退士って、フラッペちゃんの知り合いだったの?」
尋ねたキイに、フラッペは首を横に振った。
「違うのだ、キイ。あのヒトは撃退士なんかじゃない」
「え?」
「Vanitas」
その一言で、キイの表情が変わる。優しき少年の微笑みから、気高き戦士の眼差しへと。
「アルカイド……風が来たのだ。ここは譲らない、のだ!」
一気に間合いを詰めたフラッペ。素早く男性を奪回すると、鋭い眼差しで黒衣の剣士を見据えた。
2人の視点はほぼ同じ高さ。睨むような紫の双眸は、顔が映るほどに近い。
「……蒼き疾風?」
かつて名乗った二つ名を、彼は覚えてくれていようだ。反撃を受けなかったことに、フラッペは胸を撫で下ろす。
しかし、まだ安心はできない。一刻も早く、この場から一般人を移動させなければ。
(ここは僕に任せて)
意を決し、キイは一歩前へ出た。
「君は何のためにこんなことをしているのかな? こんなややこしい手段を用いてまで」
注目を自身に引き付けるため、ゆっくりと移動しながら語り掛ける。
アルカイドは質問の真意を探っているようだった。
「……趣味?」
抑揚のない口調で言葉が紡がれる。
「……あの方は試しているのです。魂を得るまでの余興として。極限の状況に置かれた時、人は何を求め、どんな行動をとるのかを」
「そのために、君は撃退士の振りを?」
「……心当たりがありません」
キイは落下防止用の柵に背を預けた。アルカイドの背の向こうに、フラッペの姿が見える。
(今だ!)
(了解なのだっ)
完全に死角となった瞬間、フラッペは男性を抱えたまま、弾丸のように駆けだした。
「……?」
反射的に振り向いたアルカイド。その時すでにフラッペの姿は遠く、彗星のような蒼い光の残滓が靡いていた。
「………………」
アルカイドが再び正面へ向き直った時、キイも鉄柵を乗り越え、向う側へと身を躍らせていた。
◆
仲間が向かった高台で立ち昇った黒煙を見て、グレイフィアの心に不安が過る。
しかし今の彼女に、彼らの身を案じるだけの余裕は無かった。
奇怪な叫びを上げ、異形のツバメが飛ぶ。小型とはいえかなりのスピード。直撃を受ければ、人体など簡単に貫かれてしまうだろう。
グレイフィアは炎の大鎌を振るう。ツバメは紙一重の差で刃を避けた。
「護衛が減る時を待っていたのでしょうか」
周囲を乱舞する敵は時を追うごとに増えている。このままでは数に押し負けてしまうかもしれない。
「センパイ、この人達連れて少し離れて。あいつらはあたしが抑える」
「あんな数……無茶よ」
「大丈夫。ちゃんと作戦があるから」
エルフリーデはびしっと親指を立て、ウインクをしてみせた。
「お前達の相手はあたしだあああっ!!」
そして自分の存在を誇示するように叫び、国道とは逆方向に走り出した。
目指したのは両側を家屋に挟まれた狭い路地。ここなら敵の動きを絞ることができるはず。
不敵な笑みを浮かべ、ナックルを構えたエルフリーデ。その直後、背後から突進してきた鳥を振り向きざまに叩き落とした。
もちろん、全てのティアボロがエルフリーデに引き付けられたわけではない。
5体の鳥が空を駆け、避難する人々の前方に回り込んだ。威嚇の一声に、人々の足が竦む。
「隠れてください。良いと言うまで、絶対に顔を出さないでくださいね」
グレイフィアは道端に設えられえたゴミステーションの扉を開き、人々を押しこめた。
「さて、どこまで耐えられるかは判りませんが……」
翻した大鎌は、今度こそツバメを両断した。
続く一撃は避けられず。グレイフィアは咄嗟に電磁を纏いダメージを和らげた。
足に一撃を受け、転倒したグレイフィア。体勢を整えるより先に、鳥は眼を抉り取ろうと襲いかかる。
その時、駆け抜けた蒼い風が鳥を蹴り飛ばし、危機を救った。
「待たせたのだ!」
「これ以上敵が集まる前に、いったん戻ろう」
多数の鳥を相手取っていたエルフリーデも、キイの援護を受け、包囲網を突破した。
「しっかり掴まっていてください」
慌ただしく車に乗り込み、シートベルトを締める間もなくグレイフィアがアクセルを踏み込む。
その後も鳥達の追撃は続いたが、やがて諦めたのか、バスを追うものは1体もなくなった。
午後4時――保護完了数、98名。
●そして月は満ち……
午後9時。
中学校体育館に集結した人々は、息を潜めて夜明けを待っていた。
105人――無事、全ての人々を保護することができたが、中には未だ精神的に不安定な者もいた。
チルルと千尋は傷の手当てをする傍ら、彼らを励まし続けた。
「逝ってしまった奴らのことを覚えている奴がいなくなっちまったら、弔いすらできやしないんだぜ」
我が子の年を数え続ける老婆に、ロドルフォは少しでも長く生きることが償いになる、と諭す。
「きれいな音……」
柔らかな旋律に、左手に包帯を巻いた少女が顔を上げた。
九十九が二胡を奏でているのだ。心休まる音色に、人々はじっと耳を傾けていた。
しかしその安らぎは、そう長くは続かなかった。
突然、廊下に響いた悲鳴。用を足しに行った男が、血相を変えて戻ってくる。
「しょ、しょ……しょう……っ」
震える指の先に、奇怪な鳥を従えた女が立っていた。デビルに魂を売り渡した、東海林が。
「裏切り者」
「俺達を皆殺しにするつもりか」
かつての穏やかな面影は微塵もない。傲然な自信に満ち溢れ、人々の蔑みさえ、まるで褒め言葉であるかのように受け止めている。
「それ以上近づかないで」
人々を守るため、エルフリーデが身体を張って東海林の前に立ち塞がった。
上位種との交戦は避けたかったが、事情が事情である。真一は静かに光纏し、激戦に備えた。
陸はライフルの引き鉄に指を添えたまま、動かない。
「戦う気はないわ。私はベネトナシュ様の言葉を伝えにきただけ」
撃退士に囲まれても、東海林が余裕の笑みを崩すことはない。両手を広げ、武器を持っていないことをアピールする。
『――罪深き人間共よ。よく生き延びた。希望を求め足掻く姿は、実に興味深かった。その強欲たる努力に敬意を表し、褒美を授けよう』
東海林は悪魔・ベネトナシュの言葉を諳んじる。玲瓏とした美しい声ではあるが、どことなく不快感がこみ上げてくる、そんな声だ。
『今宵は手を出さぬ。最期の夜を、ゆるりと休むが良い――』
「お待ちなさい」
一方的に言葉を告げて立ち去ろうとする東海林を、グレイフィアが引き留めた。
「外に見張りがいたはずです。彼らをどうしました?」
「殺してはいないわ。少しの間、眠ってもらっただけ。では、明朝、お逢いしましょう。最高の恐怖を与えてあげる」
私は“あの男”のように甘くはない、と宣言し、東海林は甲高い笑い声を残し、姿を消した。
「今の言葉、信じられる?」
絶体絶命の危機が去り、安堵の息を吐くキイ。尋ねられたフラッペは、静かに首を振った。
「判らないのだ。でも……」
黒鳥は自ら口にした言葉は違わず実行する。
そんな予感がした。