天候、晴れ。風、弱い。気温、そこそこ――
危惧されていた悪天候も無事回復し、屋外での演技を計画していた撃退士達はほっと胸を撫で下ろした。
子供達に見つからないうちに集会場を訪れた撃退士達は、すぐに準備に取り掛かる。
「花屋の弁償……花ってくっそ高ぇんだよな。贅沢しなけりゃ1月暮らせるね、うん」
血のりを服に仕込みながら、アドルフス・カーター(
jb2578)は店の被害額を思い、苦笑いをした。
「ボクもアウルの力がなければ、こういう教育をうけることになったのかな」
康介と比較的年の近いジョー アポッド(
ja9173)は、有りえたかもしれない自分の姿と康介を重ね合わせた。
あれだけ正義感が強いのだ。もし能力があれば、きっと頼もしい仲間になっていただろう。
「せめて周囲に迷惑をかけさせないよう、天魔の怖さを教えたいところですよね」
悪魔族といっても人間と変わらない外見のヴェス・ペーラ(
jb2743)は、より『らしく』見せるため、鏡と向き合っていた。
襟足や耳の裏側の化粧をエヴァ・グライナー(
ja0784)に手伝ってもらい、着々と納得のいく作品に仕上げていく。
「僕は天魔の怖さよりも、撃退士の格好良さよりも、人間の強さを知ってもらいたいな」
依頼に対し、仲間達と少し違った思いを抱いている鈴代 征治(
ja1305)。大切なのは特別な能力を持っているかではない。どう生きていくかだ、と断言する。
準備が全て終わったところで、撃退士達は依頼人達を招き入れ、改めて自己紹介と演技の説明をする。
同時に、協力して欲しい内容も。彼らはそれを快く受け入れてくれた。
「頑張ってな」
「たとえ演技でも、ケガをしないよう気を付けるんだよ」
かけられる言葉はどれも激励ばかりで、撃退士達は改めて自分達に寄せられた期待の大きさを思い知る。
「さて、少し過激な課外授業の始まりじゃ。康介に天魔の恐ろしさを教えるぞよ」
「伝えられるかどうかは、私達の演技次第ですね」
やる気満々の悪魔役・イオ(
jb2517)に続き、フロスト(
jb3401)が立ち上がる。彼女も悪魔族だが、キャストの戦力比を考慮し、撃退士役を演じることになっていた。
「やれやれだ、付き合うこっちの身にもなって欲しいものだね」
ぶっきらぼうな物言いの高坂 永斗(
jb3647)だが、仲間達と演技の進行を話し合う姿には、任務に対する真摯な気持ちが表れていた。
もうすぐ、康介が幼稚園から戻ってくる。時刻は、午後2時を回ろうとしていた。
●第一幕
『お母さん達、もう少し遅くなるの。お隣のおばちゃんがご褒美を郵便受けに入れてくれたから。それを食べて待っててね。絶対に、外に出ちゃだめよ?』
「うん、わかった!」
電話の向こうの母親に、康介は元気よく返事をする。
他にもいろいろ注意を受けたが、康介の頭はすでにご褒美の事でいっぱいだ。電話を置くと同時に玄関へ一直線。
柴田家の郵便受けは屋内タイプなので、康介は外に出ることなくご褒美を受け取れる……と信じていた。
差込口ら小さな手が伸びてくるのを目撃するまでは。
「それは僕のだぞ!」
予想通りに康介はドアを開け放つと、黒いレンコートの人物――イオに、びしっと指先を突き付ける。
「こーちゃん、なんかへんだよ」
友達は康介を家の中に戻そうとするが、康介は全く聞こうとしない。『天魔退治七つ道具入りリュック』の中から、振り回すと柄の部分が光る剣を取り出した。
「光剣エスクカバリーを受けてみろ!」
康介の攻撃を、イオは余裕で避けると、子供達の頭上を軽く飛び越え、家の中へ戻る唯一の道を塞ぐ。
「ほほう。元気な子供じゃな」
着地の拍子にフードが外れ、素顔が露わになる。そこにあったのは、人間にあるはずのない2本の角。
「きゃー」
「てんまだぁ」
『本物』の出現に、友達はベソをかきながら走り出す。
しかし、その行く手を阻むように、今度はアドルフスとヴェスが舞い降りた。
「俺ら相手に面白いこと考えてるらしーじゃん?」
「どうしてくれましょうか」
舌なめずりをする悪魔を前にしても、康介は恐れを見せることはない。トゲトゲの付いたマッサージ用ボール、捕縛用の縄跳び、お父さんの臭う靴――様々な『武器』を投げつける。
それらの攻撃全て物質透過で擦り抜けさせ、ヴェスは紫色の唇を三日月の形に歪めて笑った。
「そんな物でどうにかなると思ってんのか?」
ついに出てきた凶器(フォーク)を見て、アドルフスは息を吐いた。軽く腕を捻ってフォークを取り上げると、目の前でくず鉄へと変える。
「ママーっ!」
ついにお友達が泣き出した。他の大人たちに援けを求めるため、門の外へ走り出す。
先回りしたアドルフスは、子供達が車道にまで飛び出さないよう壁になる。イオは子供達の間に割って入り、康介と友達を分断させた。
ヴェスは途中の脇道をことごとく封じ込め、康介を追い立てる。やがて小さな公園を抜け、その先の小道に逃げ込んだ事を見届けた悪魔達は、互いに視線を交し頷きあった。
●幕間
――康介は河川敷に向かいました。
ヴェスから連絡を受けた征治は、軽く屈伸した後、タイミングを見計らって走り出した。
「キミ、一人? 何をしているの?」
ジョギング中のお兄さんを演じながら、息を切らしている康介に話しかける。
「天魔だよ! 天魔が出たよ」
小さな指が指し示す方向に悪魔の姿を確認し、征治は真剣な表情で康介を見つめた。
「撃退士に連絡するからキミは帰りなさい。……いや、小さい子を放っておいていいはずない。僕についてきて。逃げるよ!」
征治は康介を抱いて河川敷を走る。橋脚の陰に身を隠し、携帯電話を取り出した。
「こういう時は、すぐに撃退士に連絡しなきゃね」
安心させるように微笑みながら、征治は近くの民家で待機している撃退士役の仲間達へ合図を出した。
●第二幕
撃退士の助けを待つ征治と康介の耳に、微かな羽ばたきが聞こえてきた。
「ここに居ましたか」
ついに追いついた悪魔・ヴェス。
イオとアドルフスも次々と舞い降り、2人はまさに絶体絶命の危機。しかし――
「Er war von je ein Boesewicht.Ihn traf des Himmels Strafgericht. 汝、今来の咎人なり。その罪は神の名の下に正される……!」
高らかに宣言された裁きの声。
そう、ヒーローはいつも遅れて到着するものなのだ。
軍服姿のエヴァに続き、自分とそう年齢の変わらないジョーが現れたことで、康介は驚きの声を上げた。
「『そこまでだ……』」
凛々しく銃を構え、河川敷に降り立つ永斗。棒読みといえば聞こえが悪いが、抑揚がない口調には何とも言えない凄みが感じられた。
「天魔は敵です。……斬らせてもらいます」
人形のような表情で打刀を手にしたフロストは、静かに構えを作ると、悪魔と向き合った。
「撃退士だ!」
康介は嬉しそうに叫ぶと、征治の腕を振りほどく。この期に及んで、自分も一緒に戦うのだと瞳を輝かせた。
「そこから動いちゃだめです!」
とっさに声を上げたジョー。あれを見て、と警告する。
川の中に、不自然な泡が湧き上がっていた。
「何かいる……」
「きっとディアボロです。襲ってくるかかもっ」
泡は一カ所だけではない。橋を挟んだ反対側にもあった。そちらは陽が射していることもあり、水中に潜む影がはっきりと見えている。
――実際は酸素ボンベが入ったワラ袋なのだが、ジョーに先入観を植え付けられた康介は、それが不気味に蠢いていると思い込んでしまう。
「ここでじっとしていようね」
戦いに飛び込んだり、逃げ出して川に落ちないよう言い含める征治に、康介は恐々と頷いた。
ヘッジホッグブレイドを振るうヴェスと剣戟を繰り返すフロスト。
その実力は拮抗しているように見えたが、空高くから一撃離脱を繰り返す悪魔を前に、フロストは苦戦を強いられていた。
「避けてばかりでは戦いになりませんよ?」
ヴェスに挑発的な言葉を浴びせられても、フロストは動じることはない。僅かな隙をついてカウンターを繰り出し続ける。
「お姉さん!」
背水の陣となったフロストに、すかさずジョーが援護に入った。小さな身体で踏ん張りつつ、銃を撃って空中にいる悪魔を地上に落そうとした。
「感謝します」
見事な連携で接近戦に持ち込んだフロスト。2対1という状況でも苦戦に変わりなく、頬に、肩に、血を滲ませながら、一進一退の攻防を繰り広げていく。
「ウィーッ!」
奇声をあげて立ちまわるアドルフス。永斗は肩スレスレを狙い撃ち、仕込んでいた血のり袋を破裂させる。
「お姉ちゃん! そんな奴に負けないで!」
お子様らしい声援に、過敏に反応したのはアドルフスのほうだった。
設定にどっぷりとハマり、絶対コロスと物騒なセリフを叫んで一気に肉薄する。
「……本気出すにも、ほどがあるぞ?」
銃器相手に接近戦と大人げない。嘆息する永斗の口元には、その言葉とは裏腹に微かな笑みが混じっていた。
演技とはいえ、任務は任務である。真実味を出すためにはこれぐらいが丁度良いのかもしれない。
「きゃあっ!」
とこかで聞こえた爆発音に怯え、康介は耳と目を塞いだ。体を僅かに震わせ、征治の腕にしがみ付く。
怒声、悲鳴、剣と剣が奏でる甲高い音と、流れ出る血――初めて体験するホンモノの戦いに、自分がいかに危険な遊びをしていたのかを思い知る。
「にーちゃん……ケガしてるの?」
いつの間にか征治の脇腹が濡れていることに気付き、康介は泣きそうになる。
「これぐらい平気だよ。僕がついてる。絶対に守ってみせるから」
最初に会った時とは明らかに違う反応を見せる康介を、征治は力強く抱きしめた。
橋脚の下で息を潜める一般人に向かい、イオが大鎌を振るう。
「天魔め! 私のおどろおどろしくも身なら夢まで出てきて怖さのあまり一人でトイレにいけなくなるような魔術をくらえー!」
やたらと長い技名を噛むことなく叫びながら、異界の呼び手で束縛を試みるエヴァ。
イオの周囲に現れた無数の腕が、その小さな身体を捕えんと一斉に掴みかかる。しかし……
「な、なんですって!」
大鎌の一振りで斬り払われた腕は、虚しく影を薄め消えていく。
不敵の笑みを見せたイオの反撃をその身で受けたエヴァは、喉を振り絞った悲鳴を上げ、康介の前に転がった。
しっかり受け身を取って衝撃を減らしつつ、のた打ち回って大ダメージをアピールする。
「くっ! やっぱりアレを食べてないから、撃退士としての力を全力で発揮できないんだわ!」
「あ、アレって……?」
ごくりと息を飲む康介に、エヴァは地面に爪を立てながら、喉が裂けんばかりに言い放つ。
「具体的にはゴーヤ、レバー、ナス、セロリ、温めたトマト! お母さんの言うことちゃんと守って幼稚園の頃からちゃんと食べてなかったら、撃退士としての力が全力で発揮できないのよ!」
「ぼ、僕、セロリもナスも食べるよっ。食べられるように頑張るから!」
だから負けないで!
大粒の涙を流して叫んだ康介に応え、エヴァは淡い光を背負って立ち上がる。
「そ、その光は……」
「目が、目がぁ!」
眩しそうに目を細めたヴェスの背から翼が消え、地に落ちた。アドルフスは顔面を掻きむしって苦しみの声をあげた。
「……もう、きっと大丈夫。だから安心して。良かった。キミが無事で」
康介を抱いていた征治も、光に包まれたとたん、安心したように気を失った。
「覚えてやがれ!」
撃退士が放った謎の『光撃』を危険と判断した悪魔達。
お約束の捨て台詞を吐いて、アドルフスが闇の翼を広げる。
「運が良かったようですね。坊や」
ヴェスも飛べないイオを抱いて空へと逃れる。
一度上空を大きく旋回した後、悪魔達は空の彼方へ姿を消した。
●大団円で幕は閉じ
撃退士達の活躍で、怖い悪魔は追い払われた。
演技の終了を知って河川敷に駆け付けた人々の中に、別れてしまった友達や両親の姿を見つけ、康介の顔にようやく笑みが戻る。
「助けてくれてありがとう!」
両親に手を引かれ、康介は撃退士達に向かって素直にお礼を告げる。
僅かな間での変わり様に、康介の両親はもちろん、彼のやんちゃ振りに困り果てていたご近所さんは驚き、そして微笑んだ。
「これからはちゃんとお母さんの言うことをちゃんと守りなさい」
「『もう、危険な遊びは無しだぞ』」
「……うん!」
慶介の頭をぐりぐりと撫でてやる永斗。
今回の件がトラウマになりはしないか、と心配していた永斗だったが、はにかみながら返事をした康介をみて、それが杞憂だと察する。
「では、私達は次の任務がありますので……」
頃合いを見計らい、フロストは事前に打ち合わせていたセリフを言った。
「じゃあ、バイバイ!」
あっさりと別れの挨拶をして、帰還の車へ乗りこむジョー。他の撃退士達も後に続く。
「お疲れ様。……康介君、ちゃんと判ってくれたようですね」
労いの言葉と共に彼らを迎え入れたのは、先に病院へ搬送されたはずの征治。
「良かったじゃねぇか。本物に目ぇつけられる前に反省できたんだから」
「当然じゃ。あれだけ大騒ぎしたのじゃからな」
「私達にできる事はここまでですね」
スモークガラス越しに康介を見守っていた悪魔達も、達成感に満ちた表情で頷きあう。
天魔の脅威は心に深く刻み込んだはず。
互いを信じ、助け合う事。この世界で生き残るため、覚えなければならない事は他にもたくさんあるけれど――それらを教えるのは、康介を取り巻く人々の役目だろう。
町の人々の感謝の声を受けながら、撃退士を乗せた車が出発する。
最後に一度振り向いた撃退士達が見たものは、車が見えなくなるまで手を振り続けている康介の姿だった。