「おー……初ほっかいどー……」
常塚 咲月(
ja0156)が棒読み気味に呟く脇を、久遠ヶ原学園一行が嵐のように駆けていく。
頭上には青空。眼前にはなだらかな丘。学生達の笑い声が高く響き、木々から鳥が一斉に羽ばたいていく。土や草の匂いを存分に吸い込み、咲月は歩き出す。
北海道。その単語だけで世界の全てが違うように思えてくるから不思議だ。
――ん……面白いモチーフ……あればいいな……。
と咲月が足を速めた、その後方。
「……ふ、ふ……まぁ……遠足もとい課外授業は始まったばかりだしな。ま、全く、はしゃぎ過ぎるなよ、お前達……」
ラグナ・グラウシード(
ja3538)は独り訳知り顔で頷いていた……。
●午前はゆっくり歩くような速さで
「桜は存じておりましたが……まさか一面の桜だなんて」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が一面に咲き誇る花々を見渡す。芝桜の桃色――というより薄紫と、色とりどりのチューリップ。見ているだけで自然と甘い香りが感じられる。
芝の代りに桜の絨毯が広がっている光景。足元に咲く1輪は慎ましく、けれど一面を覆う力強さを持っている。なんと筋の通った生き方!
「わたくしっ、わたくしもこのように生きませんと」
「え、と。みずほ、さん? 何に感化されたんでしょう」
御堂・玲獅(
ja0388)が、ぱんぱんに膨らんだ鞄を持ったまま立ち尽した。
「解りませんの!? この気品、そして溢れる生命力っ」
「あー、そうですねぇ、尊い命です……」触っちゃいけないものに触った事を自覚し、玲獅が苦笑して「そ、それよりお茶会の準備をしましょう? お茶請けも持ってきましたし」
「っと、忘れてましたわ。ささ御堂さんこちらへ」
みずほが芝桜を横目に林道を進む。玲獅が木々の隙間から花々を眺めつつ歩くと、前に小さな隠れ家のようなログハウスが見えてきた。振り返ると、木々の隙間の芝桜。新緑と桜の溶け合った自然の香り。
「パラソルで仮設のテラスを作ってここでゆっくりしましょう」
「はいっ」
玲獅が荷からケーキを慎重に取り、みずほはハウスの人にお願いしてポットやテーブルを借りてくる。シートを広げて各種紅茶セットを並べれば、もう小さなお茶会の開幕だ。
みずほが待ちきれないとばかり2人分の紅茶を注ぐ。ダージリン。玲獅がカップを持ち、瞑目した。
新緑の合間を漂う、1艘の小船。様々な香りが鼻腔を擽る。
「いただきます」
一口。温かい。ふぁ、と小さく声が漏れ、慌てて口元を手で覆う。
「で、ではケーキの方も」
玲獅がやや頬を染めて切り分けんとした時
「……わぁ……きれい……」
月乃宮 恋音(
jb1221)が何かに誘われたように、木陰からやって来た。さらに林道からは癸乃 紫翠(
ja3832)が片手を目の上に翳し、木漏れ日を観察しつつ歩いてくる。
「うん、確かに……落ち着いた良い所です」
「……っひん……」
びくぅ。不意に現れた紫翠に驚く恋音である。ちょいちょいとみずほが呼び寄せると、小動物の如く恋音が近付く。
「お茶会、如何かしら? そこの貴方も」
「……ぁ、ぁの……ちょっとだけぇ……」
「んん、僕はじゃあ少し離れてご一緒しますか」
前髪の下からびくびく窺う恋音の視線に苦笑し、紫翠はシートの端に屈む。みずほ達が紅茶を用意する間にデジカメを構え、木々の合間から覗く芝桜を撮った。
「写真、お好きなんですか?」
「まぁ、趣味程度です。妻と一緒に見たかったんですけどね。生憎落せない授業があったらしい」
「成程」
「一面桜の絨毯か。はは、彼女なら全身でダイブしてたかも」
「それは……拙いのでは」
管理人に怒られる姿が目に浮かぶ玲獅である。
そこにみずほの紅茶が差し出され、紫翠と恋音は同じようにふー、と息をかける。そして芳しい香りを堪能し、カップの淵に口をつけた。
こくり。勿体なさげに嚥下すると、2人は異口同音に言葉を漏らした。
「美味しい」
「わぁ〜」
深森 木葉(
jb1711)がミズカ・カゲツ(
jb5543)と並んで芝桜の脇を歩いていると、涼風がざぁっと斜面の草花を揺らしていった。
辺り一面の彩り。桜だけでない。チューリップ、ツツジ等が競うように花開いている。そして丘上には山桜。1つの物語が、ここにある。
「きれい……」
「ふむ、サクラ。聞きしに勝る見事なものです。この花の下で狂喜乱舞するというのも解る気がします」
「き、きょうきかぁ……」
ミズカの言葉にコケそうになる木葉である。木葉はミズカの猫もとい狐耳がぴこぴこ動いているのを確認し、気を取り直して屈む。そっと芝桜に触れてみた。
溶けてしまいそうな花弁。胸いっぱいに息を吸うと豊かな大気が体を巡るのが解る。快い一体感。木葉が寝転がろうとした時、傍から声が聞こえた。
「きもちーよねぇー。私も寝よっかな」
「!?」
がばっと手を刀の柄にやるミズカ。木葉が目を向けると、少女――一之瀬さくらと三条知世がそこにいた。
「ミズカちゃん」
「失礼。咄嗟に……」
「あ、突然声をかけた私の方が悪いですっ」
「いえ〜」
さくら達も屈んで芝桜に見入る。言葉もなく、ただのんびり。
次第に温かくなってきた日射しが気持ち良い。木葉の首が自然とかくんと傾き、ミズカが支える。その時
「ふぇっ?」
「?」
謎の声。さくらが気怠げに見やると、そこには目を丸くした少年がいた。少年――水無月 ヒロ(
jb5185)は覚悟を決めたように深呼吸するや
「4人……じゃなくて2人と2人は恋人同士なの?」
「こい……え、恋びっ!? ち、違う、違うよぉっ!?」
「ご、ごめんなさいっ、ごゆっくり〜!」
「ちちちちがうってばぁー!」
とんでもない疑惑を放り投げて走り去るヒロ。
うら若き女子4人は彼の後姿を呆然と見送り、ただ佇むだけであった。
春風が野原を駆け抜け、草花が波打っていく。
――いい、きもち……。
目を覆う程に下した前髪を押え、只野黒子(
ja0049)は辺りを見回した。資料と睨めっこし続けた目に花の色が快い。
くぅ。小さくお腹が鳴った。黒子は水を一口含み、再び資料に見入る。
情報。言うまでもなく戦争で最重要なものの1つで、当然天魔との戦闘でも不可欠になる。上位天魔の武には集団で当るしかない現状、特に情報は大切になる。充分な情報支援が第一。加えて強力な職能集団同士を繋ぐ、御旗。1つの集団でなく4つの集団になれる御旗も大切だ。それが第二。
ならば具体的にどうするか。大きな事など自分1人でできる筈がない。が。
――せいしゅん、だからこそ……HEROが要る。本来の戦争に不要なHEROが。
黒子が億劫に嘆息した時、ふと近くの山桜ではしゃぐ人影が見えた。彼らは何やら宙を舞う花弁と戯れつつ、なんとみるみる近付いてくるではないか。そして――
「ぇ、っとここに人が座っ」「先輩先輩先輩先輩こっちだよほぅわぅっ!?」
見事ストライクである。
押し潰された黒子が何とか這い出る。その惨状を認め、慌てて先輩と呼ばれた――亀山 淳紅(
ja2261)が平身低頭した。
「ほんっますいません! 全く気付きませんで……お怪我は……してへんかな」
「……はい。大丈夫です、が」
居住まいを正して黒子が散らばった資料を集める。それを衝突してしまった犬乃 さんぽ(
ja1272)が手伝い、ごめんねと頭を下げた。
「つい周りが見えなくなっちゃった」
「大丈夫です。……桜、好きなんですか?」
「うん♪ ここはまだ満開だし、いっぱい遊ぼうと思って。あ、先輩! 花びらもっと沢山集めて彼女さんのお土産とかどうかなっ」
楽しんでいる人に水を差す事もない。黒子が解りやすく微苦笑してみせると、さんぽは一緒に遊ぼうと強引に黒子も立たせ、山桜の方へ走っていく。
淳紅もやはり桜の下に向かい、枝を仰ぐと、光纏して歌を口ずさみ始めた。宙に展開される楽譜。透き通るテナー。淳紅は踊るように花弁を追う。
「せや、落ちてくる花びら掴めたら願い事叶うーて言うやろ? あれ流れ星よりめっちゃ楽やと思わん? 星サン怒とると思うねんけどな。ま、自分は楽な花びらキャッチで願い事叶えさしてもらうんですけど!」
歌は聴く者だけでなく歌う者も幸せにする。淳紅が自らの歌に熱中するにつれ声も高くなってくる。黒子が座り込んで傍観していると、何事かと何人かがこちらを窺うのが見えた。
そのうち一之瀬さくらが何故か疲れた顔で丘を上ってくるや
「わぁ〜、大道芸ですかっ?」
「違います」
「私もここで見てていいですか? あ、あとご飯も! そろそろお昼ですよねっ、皆で食べたいなぁって」
一転して目を輝かせて言った。
●お昼は歌うように
「愛莉ちゃーん」
「はーい」
礼野 静(
ja0418)が神谷 愛莉(
jb5345)を呼ぶと、愛莉は小走りで静に追いつき、横並びで歩き始めた。
周りには風に靡く自然の絨毯。そこを並んで歩く静と愛莉は姉妹のようで、2人の後姿を礼野 智美(
ja3600)はぼんやり見つめ、平和に浸る。
――姉上とこんな風に一緒にいるのって、修学旅行以来だよな。
危険もなく、ただ一緒にいられる。それを嬉しく思う反面、懐のヒヒイロカネの感触が智美の心を冷ましもする。
「そうだ、愛莉ちゃんはこういう所でよくのんびりするんですか?」
「んと、えっとね、えりはあんまりのんびりしないです。ぱぱとままがいた時はいっぱいハイキングしてたんだけどね、今はいっぱいやることがあるの」
「あら、クラスで大人気なんですか?」
「ちがくってね、えりはもっと強くなりたいの。それにお料理もままみたいにしたいしお兄ちゃんともあそびたいの。お兄ちゃんはえりがいないとだめなひとだから、もっともっとがんばるの。です」
「そう……」
静の表情が暗くなる。智美は愛莉の兄を思い浮かべた。
――逞しい、な。お前の方が妹離れできていないんじゃないか、なぁオニイサマ。
静が愛莉の髪に触れ、ゆっくりと手櫛で梳る。
「強くなるには色んな経験をするのが1番です。あの智美だって危ない事ばかりじゃなくて色々な事に挑戦してるんですよ」
「そうなの?」
「や、そう、だが……姉上、あのって何ですか、あのって」
「ふふっ」
口元に手を当て笑う静。智美がさらに追求してやろうかと思った時、ふと風上から美味しそうな匂いが漂ってきた。
ぱぁっと思い出したように愛莉が駆け出す。
「あのね、えり今日はおかずを作ってきたんです! はやく!」
3人が丘上に辿り着くと、まず最初に目についたのは同じく昼食を取ろうとしているらしき葛城 縁(
jb1826)と彩咲・陽花(
jb1871)の姿だった。仲間発見と縁が駆け寄ってくる。
「わぅっ♪ 一緒に食べようよっ!」
「いいんですか?」
「ご飯は皆で食べるのが美味しいんだよ〜」
「ん、縁、あそこがよさそうかな? かな?」
陽花がやや下った南西斜面に目をつけ、下りていく。ぽつんと佇む山桜は何とも風情があり、絶好の場所だ――が。
先客がいた。残念。陽花が別の所を探そうとした時。
「わぅわぅっ♪ お邪魔してもいいかなっ。お弁当は作ってきてるから、色々交換しよ〜!」
何事にも突撃していく縁であった。
期せずして7人という大所帯になった昼食会に、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は秘かに心躍らせていた。
――やっぱり根っからの奇術師、なのかな。
ポケットのコインを弄っていると悪戯心が鎌首を擡げてくるが、まずは昼食だ。縁、愛莉が弁当を広げる一方、水無月ヒロはとっておきだと自信満々それらを並べ始めた。
「お一つどうぞっ!」
満面の笑みで差し出されるのは缶の●●カレーやら、白い恋人……的な何かやら、鮮やかな橙色のジュースやら。何というか、特に缶の佇まいは威風堂々として見る者を圧倒している。
縁が乾いた笑みを浮かべ
「あ、ありがと……」
「麓のお店で見つけたんだっ、よかったら食べてね!」
きらっ。いたいけな少年の眩しすぎる視線が心に突き刺さった。
智美が何でもないように缶を開け、おにぎりを崩してルーに浸す。間髪入れず一口。二口三口。
獣の、味がした。
「えも言われぬ味がする」
「……」
「え、えっと、じゃーん。私のお弁当もどうぞ。実は私も作ってきてたんだよ♪」
無理矢理空気を変えんと殊更明るく弁当を取り出す陽花。縁がそれに乗った。
「うぞっ!? 陽花さん料理できるようにな」「ふふん、私の真の実力からすれば料理も多分楽勝だよ」
陽花が無駄に胸を張って蓋を開け――ぱたん。縁が閉めた。陽花が開け――ぱたん。閉める縁。開けぱたん。開ぱたん。開――
「何で!?」「私には惨劇を未然に防ぐ義務があるんだよ!」
断固として蓋を押え付ける縁。この時点で妙な刺激臭が漂っているのが何かもうヤバイ。縁が心を鬼にして叫ぶ!
「陽花さんはスイーツだけ作ってればいいんだよっ!!」
だよっ……だよっ……だよ……。
無情なエコーが、どこからともかく聞こえた気がした。項垂れる陽花。縁が肩に触れると、陽花は自らのそれを重ねた。
「……悲しいけどこれが戦争なんだね」
「うん、お弁当という名の戦争だよ……」
「……、えへへ。スイーツは任せてよ。ケーキもゼリーも……一杯作ってきたよ♪」
『陽花の笑顔は、オトナを知り、何かを諦めた笑顔であった……』
ナレをつけるエイルズである。
なんて茶番を繰り広げつつ弁当を平らげていく7人。エイルズは早々に食べ終えると、懐に手を入れ立ち上がった。
――たまには奇術師としての腕も磨かないと、ね。
「さぁさお立会いの皆々様、ここにありますは種も仕掛けもないトランプ――」
「兄さん、すごい! 桜の海よ!」
遠くの林が風に靡き、波のように近付いてくる。そして芝桜が合唱のように揺れた直後、全身に春風が押し寄せた。
巫 聖羅(
ja3916)が勢いよく振り返ると、小田切ルビィ(
ja0841)は構えていたデジカメのシャッターを連続して切った。
「あぁ、被写体に困る事はなさそうで嬉しい限りだ……っと」
脇目も振らず写真に収めていくルビィ。そんな兄の様子に秘かに唇を尖らせる聖羅だが、それとてルビィの目には入らず
「うぅむ……これだけ自由にヤれるのも久しぶりだな……」
とパノラマ写真まで撮る始末である。
ルビィのほくほく顔を見た瞬間、聖羅の堪忍袋の尾が音を立てて弾け飛んだ。
「っ兄さん!」「ぬお! 何だどうした」
驚くルビィの腕を掴むや、強引に丘を上っていく。こっそり後ろを窺うと、ルビィは平然と着いてきていた。聖羅の方は怒りを露わにするように大股なのに、だ。それがまた癇に障る。掴んだ腕の太さと火傷しそうな熱さも、無性に苛ついた。
――どうせ私は……。
「おい、そろそろ説明してくれ」
――いつもいつも自分ばっかりで私の事なんか気にも留めてくれない! 私がどれだけ……心配、してるか。
「手でも繋ぎたかったってか?」
「ちがっ」勢い任せに否定しかけ、深呼吸して返す。「べ、別に? 上から景色を眺めたかっただけ」
「そうかい」
それきり何も言わず、上る2人。稜線に出ると、いきなり風が強くなった。
爽快な風が胸のうちまで浚っていく。聖羅は我知らず腕を離し、髪を押えて遠くを見つめた。
ぱしゃ。
それを、ルビィが撮った。
「また写真……」
「好きなんだよ。いや本当に好きなのか、撮らされてるのかは知らねェけどな」
「何で?」
「――残せるから。皆の……そして俺の、生きた証を」
「……、……」
そんなだから、私は。言いたくて言えない百万の言葉が喉に詰る。ほんの少し聖羅は眉を歪め、しかし次には殊更声を弾ませ話を変えた。
「そ。それよりご飯にしよっか?」
「おういいねェ!」
辺りを見回し、人を探す。と、歌らしき声が聞こえ、2人はそちらに行ってみた。数人の生徒。聖羅はほっとして声をかける。
「あのさ、一緒に食べない? おにぎり作りすぎたのよね」
黒子、ルビィ、聖羅、さんぽ、淳紅。それにさくらと知世。
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は突如同席する事になった7人の顔と名前を整理しつつ、自前のピザを惜し気なく振舞う。
「大きい戦いが続きそうだから英気を養っておかないとね!」
「ザハーク。随分好戦的だとか」
「ナーガ君とかいうのがいるとかいないとか。是非ともウチで突撃取材でもしてェところだが」
「こんな所でまでそんな話、やめようよ。ボクはもっと今を楽しみたいな♪」
辛気臭い話を嫌い、さんぽがさくらに話を振る。
「一之瀬ちゃん、さくらって名前なんだよね。ボク桜が大好きなんだっ」
「そ、そうなんですかっ。何というか、サクラ違いだと解っていても緊張します」
「はぁはぁ……赤面したさくらちゃん……」
「1枚撮っとくか? 値段によっちゃ売ってや」「買います!!」
クイ気味に答える知世である。ソフィアが笑ってピザに齧りつく。
ピザ。イタリアの誇るべき料理だ。バジルやサラミや何やかんやを生地にぶち込んでいるにも拘らず、ソースとチーズが全てを包み込んでくれる。トマトソースの爽やかな風味とチーズのまろやかさ上で踊る種々の材料。やはり最高だ!
「ピザ、めっさ絶妙やなぁ。自分で作ったん?」
淳紅がゆっくり咀嚼する。
「まぁあたしの国の料理だしね。それに自然の中で食べるとなれば気合も入るし」
「遠足の前日は寝られへんタイプ?」
「さ、さぁ?」
誤魔化すソフィアである。
聖羅はピザを食べると、何を思ったかわなわな震え、自らの弁当を中央へ押し出した。
「これ、私のも自信あるから! 最近流行りのお茶目で憎いくまモン柄のおにぎり! ウインナー! ハンバーグ! 定番各種!」
「「「おぉ……」」」
「ふ、ふふん、負けないんだから」
何故勝負に持っていくのか。誰もがその疑問を押し殺した時、徐にソフィアが立ち上がる!
「あたしだって負けないよ!」
もしや判定役として全て食べさせられるんだろうか。残る5人は楽しい昼食が別の何かに変るのを予感した。
丘の上にぽつんと立つ山桜。その木陰に佇むニオ・ハスラー(
ja9093)は、遠目にはさぞかし儚げな少女に見えただろう。風に揺れる装束。桜とは別の何かを見ているような視線。何かに触れんとする左手……。
――全ては遠目に見れば、の話である。
「ほっかいど〜でおっはなみ〜♪ むむ、早速第一村人発見っす! お隣いーっすか?!」
「んぁ?」
芝に胡座をかいて座り、米をかき込んでいた日野源三が顔を上げた。
びしぃ!
その顔にニオは弁当を押し付ける。
「ふ、ふ。あたしは古来よりこの国に受け継がれる伝統の儀式を知ってるっす……それは」
「そ、それは!?」
「おかず交換! おはなみでやらないといけないっす!」
「何……だと……! はよ、交換はよ!」
「お隣、いーっすよね?」「モチ!」
何やら妙なノリで意気投合する2人である。
ニオが蓋を開けると、中には色とりどりの定番メニュー。たこさんウインナー等、期待を裏切らない品々は見るだけで食欲をそそられる。ニオがたこさんを噛み切ると、肉汁が弾けた。
これぞシャ●エッセン。ニオの頬が緩んだ時、不意に麓から不穏な雰囲気が伝ってきた。それは次第に近付いてくるや
「さて。こんな大それた事をやらかす悪魔とは如何な『顔』を持っているか……!」
口角を歪めて笑うキャロライン・ベルナール(
jb3415)。一瞬だけ天使の翼を顕現して正体を明かし、いざ尋常にとばかり源三を睨めつける!
「……。うぉコレうめぇ! コレなん? ニシン? ニシンうめぇ」
「……」
「日野さん日野さんこーいうのは乗ってあげた方がいーっす」
こそこそ耳打ちするニオだがそれはむしろ追い討ちだ。
「……、はぁ別に解っていたんだどうせこんなオチだと遠足などと叫ぶ悪魔が普通な筈がない」
「げ、元気出すっす! ささ、一緒におはなみ〜っすよ!」
「うむすまない。はぁ、どこかに強敵でもいないものか」
すっかり意気消沈して地べたにぺたん座りするキャロライン。源三が米を頬張ったまま
「こっち来る奴にそんな本気でヤバイのは殆どおらんやろー」
「まぁ、な。あぁそうだ、これでも食べるか?」
店で買ったバタバタ焼きを差し出すとニオが瞳を輝かせて飛びつき、うまうまと齧る。キャロラインが改めて嘆息した。
「ところで、日野源三は何か持ってないのか? 冥魔的な何かを」
「何かってなんよ」
「こう、オドロオドロしい何かだ」
「……や、持ってないです」「っ、オドロオドロしい! とんでもない事思いついたっす! お鍋、お鍋はないっすか!?」
源三が何故か敬語になるのと、ニオが騒ぎ出すのはほぼ同時だった。首を傾げる2人を前に、ニオは高らかと宣言する。
「闇鍋っす! 野外で暗幕を被ってやる闇鍋……正気の沙汰じゃないっす! あ、そこの人も来て下さいっす、今から世にも珍しい事やるっすよ〜!」
謎の勧誘に誘惑されたのは常塚咲月だ。かくして4人はニオの道楽に巻き込まれるのだった。
――周囲に溢れる楽しげな声。その声を遠く聴き、ラグナは思う。
みな、また戻ってこれるだろうか。今度の敵は随分イカレた敵だと聞く。何が起るか解らない。
――せめて、目の届く者達の盾となる。
ラグナは瞑目し、全身で春風を受ける。たった、独りで……。
●午後は気まぐれに
んもー。もー。んも――。んぼー! んぼぉ――! んぼぉ――!! んぼもぉおぉ――――!!
――まったりぃ……。
月乃宮恋音は戯れる牛達を眺め、熱い吐息を漏らした。
見晴牧場。丘からやや離れたここは喧騒もなく牛や牛飼の声が聞こえるだけ。
「……ね、ねんがんのぉ……」
手許には牛乳と、シルクソフト。陽光を反射して輝くソフトはパールのよう。禁断症状の如く震える手で口元に運び、ぺろり。冷たい。優しい甘みが鼻へ抜ける。ぺろぺろり。体がミルクに溶けていく感覚。ぺろぺろぺろ。ぺろぺろぺ――!
「ふあぁぁっ、んっ、んん……」
胸の中で、何かが弾けた。怪しげな声を漏らす恋音を牛達は怪訝に思ったか、1頭が柵に近付いてきた。
んもー。
「……大丈夫ですよぉ……」
も、もー。
「……それよりミルク、ありがとうございますぅ……」
も。
心なしかドヤ顔で牛が返事する。恋音がそっと手を伸ばすと「仕方ねぇな嬢ちゃん」と頭を差し出してきた。なでり。温かくて、やらかくて、心が安らいだ。
「夏休みに秋桜もいいなぁ」
紫翠は散策しつつパンフを眺め、妻や姪とここを歩く姿を夢想する。最高だ。花を眺め、先程のお茶会のような食事をし、芝の上で遊ぶ。泣けそうな程、幸せな世界だ。
パンフを仕舞い、懐中時計を開く。1440時。時計を収め、デジカメを構えた。枝垂れる事なく伸びた枝に桃色の花が咲き誇る山桜。遥かな青空によく映える。
と、やや離れてやはりカメラを構えた銀糸の学生がいた。何かに迫られるように無心に撮り続ける彼を、隣の少女が見つめている。視線を移すと、今度は少女2人が仲良く歩いている。稜線を進むと、少年が何か土産を持って首を傾げていた。
何故か、背中の傷が少し痛んだ。
「……、お土産は何がいいだろう。白い恋人は外せないとして、海産物……」
ぱしゃり。
無性に、妻に会いたくなった。
「先輩、こっち、桜やツツジが入り乱れてます」
「うむ」
「不思議ですね……春が初夏を待って一緒に歩いている」
「ああ」
ケイオス・フィーニクス(
jb2664)が言葉少なに相槌を打ち、佐倉井 けいと(
ja0540)が話を続ける。それが幾度も繰り返されては消えていく。
「部の皆も誘えればよかったですけど」
「仕方あるまい」
「次は丘の方に行ってみますか?」
「いや」
何度も、何度も。声質のおかげだろうか、それでいて小煩いと感じないのは。しかも話が途切れても、不快な沈黙ではない。
ケイオスはただ静かに、芝桜を見続ける。「サボテンは……ないか」などというけいとの独り言が聞こえ、不意に懐かしさが込み上げてきた。姿形でなく、人の子が持つ不変の美徳、もとい言葉にできぬ何か。それが、けいとにもある。
「……我が主も斯様な景色を好んでいたな」
今日初めて、ケイオスから口を開いた。
「主?」
「遥かな昔より永劫続く、盟約の主だ」
「そう、なんですか」
「うむ。そして我が主は斯くの如き趣向も好んでいた」
「え?」
けいとが驚く暇もないうちに、ケイオスは彼女を抱いて地を離れていた。黒翼を羽ばたかせて上昇するケイオス。我に返ったけいとが腕の中で暴れる。
「な、だっ、先輩何を……っ、おも、重いですから!」
「どうした。この方が眺めはよかろう」
「な、眺めとかではなくっ……」
狼狽するけいとを無視してケイオスは上昇し続ける。眼下に戯れる学生達が見えた。桜と芝の絨毯と、林、その先の町並。どの国でも変らぬ素朴で美しい景色だ。
暫く抵抗していたけいとも諦めたのか、そっと腕を回してきた。風が、髪を浚っていく。
「……来て、よかった。先輩には迷惑だったかもしれないですけど」
「いや」腕の中で身じろぎした少女に目を落し「かつてを、思い出す事ができた。いつしか霞んでいた……我が主と見た、景色を」
永き時を生きる者にとって大切なのは、他でもない消えゆく記憶だ。その一部を、思い出せた。それがどれ程嬉しい事か、きっと彼女には解らない。だから、言う。少しでもこの喜びが伝わるように。
「……ありがとう」
けいとは僅かに頬を染め、困ったように俯いた。
――その光景は、ラグナの心の堤防を完膚なきまでに破壊し尽した。
楽しげに遊ぶだけに飽き足らず、優雅に空の散歩なんぞ決め込む奴までいる。何だこれは。自分は独りだというのに!
「は、は……こんなの絶対おかしいよ。は、ハハHAHahA、あはははははははははははは」
楽しい課外授業になるといい、そんな淡い思いを抱いていた愚かな自分が沈んでいく。もう沢山だ。
「――――■■■■!!」
懐のヒヒイロカネを握るや大剣を顕現させる。索敵――発見。4時方向、目標4体。裂帛の気合と共にそちらへ駆け出――刹那、白刃が煌いた。
衝撃。腹。峰打ちされた刀がめり込んでいる。遅れて痛みが駆け巡る。
「ぬぅ……世界は、かくも私を拒絶するのか……」
「るせェよ。こんな所でやらかしてんじゃねェ。何かあったのか? 聞いてやってもいいが」
白刃を収め、男――ルビィが言う。学内新聞のネタの為、というのは内緒である。
そんなルビィを前に、ラグナは膝をついた。真のリア充は、自分のような者にも優しくしてくれる。それが、逆に、苦しい。
「悲しいな……現実というのは」
「意味が解らん」
ラグナは志潰えた革命者の如く頭を垂れた。
●黄昏は表情豊かに
「お腹……おもい……」
常塚咲月は昼に食べた闇鍋がまだ胃に残っているのを感じ、軽くえづいた。水を飲み、緩慢に描きかけのスケッチブックを見つめる。
紙の上に広がるもう1つの世界。斜面中腹に1本の桜が天を衝かんと屹立する一方、根元には芝桜が咲き乱れている。雲の流れは次第に速くなってきて、春の終りを予感させた。横からの日射しが強く、もう少しで茜色の空が青を塗り潰し始めるだろう。
咲月はその、寸前を狙う。
「本州のより……色が濃いのかな……」
思い出したようにサッと絵に手を加えていく咲月。
全身を撫でる風が早く描けと急かしているようで、けれどそれが不快ではない。これだから外で描くのはやめられない。
やがて桜と斜面と空しか見えなくなり、それらだけが浮かび上がってくる。快い、無音。
「こんな感じかな……後は……」
時が来るのを待つだけ。その時を捉え、今のものに別の色を加える。
そしてその時は、すぐ訪れた。
青に橙が差す直前、質感だけが変り始めた青空を大胆に切り取っていき――
「できた……」
1筋の光が、紙の上の現実を貫いた。
太陽は急ぐように沈み、橙が濃くなっていく。
「そろそろ帰らないとだねぇ〜」
「はい。今日が惜しい気がします」
木葉とミズカは名残を惜しんで中腹で腰を下す。
ゆっくり、余す所なく見て回った。玲獅とみずほのいたログハウスにも寄ってお茶をした。騒ぐ学生達も見た。これがこの国だと、言葉以外で説明するように。
それでも、足りない。木葉はぎゅっと拳を握り、意を決して銀狐のぬいぐるみを取り出した。
「それは……」
「うん。ミズカちゃんに貰った子。あのね、この子に名前をつけてあげたいなぁって」
「成程。この子もきっと喜びます」
「でね、ん〜と、ミズカちゃんの『瑞』とあたしの『葉』で、瑞葉なんて、どう……かなぁ〜。あ、別に違うのでも、うん、いい、けど……」
木葉がずっと考えていた名。それを口にするのは、思いの外、緊張した。それは多分、自分と相手に温度差があるかもしれないと、不安だったから。どれだけ仲良く見えても、心が同じとは限らない。
木葉がそっと様子を窺う。と、ミズカはまんじりともせず無表情でぬいぐるみを見つめていた。
――狐耳だけを、この世の春が来たとばかり振り回して。
「……ふむ。まぁ、よいのではないですか。少々こそばゆいですが、えぇ」
ばたばたばたばた!
受け入れて、もらえた。その事実に、木葉も胸の内から衝動が込み上げてくる。
「そこまで大事にして頂けると私も嬉しいですね」
「う、うんっ、うんっ! 大事にするよっ! えへへ、よろしくね瑞葉ちゃん!」
木葉がぶんぶんと頷き笑顔をみせる。ミズカも頷くと、ぎこちなく微笑んだ。
かくして、1人の悪魔の思いつきで始まった課外授業は終りを告げたのだった。
<了>
一行が帰途につく。さくらもまた帰ろうとした時、不意に逆光の中、1つの影が見えた。
編笠のような何かを被った人影。それは、あの日のお爺さんの後姿に、似ていた。今朝夢に見た、あの日の。
「っお爺さん!!」
逸る心を抑えて人混みを避け、そして駆け出すが、その時には人影は煙のように消えていた。
「どうしたの?」
「……、ううん、何でもっ。帰ろっか、おうちに」
さくらは少しだけ俯くと、踵を返して歩き出した……。