「劇団猫の手初公演! 皆様、夢のひと時をご覧あれぇ!」
様々な店がずらりと並ぶ商店街で、自作看板を手に宣伝する少女が2人。元気に叫んで注目を集めるのが椿 青葉(
jb0530)で
「2組の男女が織り成す愛の喜劇。公演は16時半よりとなっております……」
詳しく説明するのが桐亜・L・ブロッサム(
jb4130)だ。
動と静。赤と白。対照的な2人の宣伝は、桐亜のいかにも異世界然とした挙措と相俟って不思議な程に目を引いた。買い物中の学生や妙齢の女性が何事かと2人を見ながら通り過ぎていく。
「皆様のお時間にほんの少しの笑いと感動を……劇団猫の手、宜しくお願い致します」
「桐亜先輩元気ないですよぉっ! さぁ、すこしふしぎな森の中にご招待でぇっす」
ひたすら全力の青葉。桐亜が自ら作ったチラシに目を落し、それを通行者に差し出した。手に取ってくれる人など2割もいない。が、だからこそ
「何かやってるの?」
不意に立ち止まってくれる人を大切にしたいと、身に沁みて実感できた。
「夏の夜の夢を」
「今日限りの公演、観て損はさせませんよぉっ!」
「へ〜、じゃー行ってみよっかな」
女性がチラシを受け取る。青葉は深く礼をすると、下を向いたまま独りごちた。
――猫の手の、そしてあたしのスタァへの第一歩が始まる……ううん、始めるのよっ!
●本番直前
「この辺でしょうか」
「うむ。その程度の間隔ならば座りやすいであろう」
シルヴィア・エインズワース(
ja4157)が一抱えもありそうな積み木を運び、小田切 翠蓮(
jb2728)はそれを空から見て調整する。
何はなくとも観やすい環境がなければ人は寄り付かない。前はシートに直接座ってもらい、後ろは謎の積み木に腰を下してもらう。これだけでも印象は違う筈だ。
「次はこっちの幕を正面から見てもらえんかのう」
「はーい」
逆に翠蓮の方は空から周囲に張り巡らせた幕がどう映るかを確認してもらう。この1ヶ月ですっかり相互支援体制が整っている2人である。
いや2人だけではない。木々周りに打ち水して一時的に体感温度を下げんとしていた桜井・L・瑞穂(
ja0027)が不意に口を挟む。
「客席に夕日が当らないよう公園入口の上にも張れませんこと?」
「成程……観客の期待感も煽れますし」
「やってみよう」
テキパキ会場を設営していく3人。「ご自由にどうぞ」と書いた段ボール台をその辺に置いた時、買出しに行っていた影山・狐雀(
jb2742)と宇野ひかりが戻ってきた。
「戻りましたー。飴とかお茶とかたい焼きとかたい焼きとか買ってきましたですー!」
両手一杯に袋を提げた2人が元気よく公園に飛び込んでくる。……口元に餡をつけたまま。
「ご苦労様ですわ、お2人共。ただし」
「?」
「買い食いした狐雀はご褒美なし!」
「なー! そそそんなごむたいなー!?」
あからさまに狼狽える狐雀である。
とまれ涙目の狐雀は捨て置き、ひかりが台に飴とお茶をセットする。その横に翠蓮が紙の束を添えた。
「アンケート?」
「うむ。芸の研鑽には客の感想が宝石よりも貴重であろう」
「そか、そうだよね」
ごくりと用紙を見つめるひかり。その瞬間を、シルヴィアが激写した。
「にょあん!?」
「さてこれをついったーにあっぷ、と。ふふっ、宣伝効果バッチリですね!」
「ちょ、うそ私今ヘンな顔……」
「……」
「……?」
「ど」
「ど?」
「どうやってあっぷするんでしょう!?」
「えっ」
……。
開演は30分後に迫っていた。
●夏の夜の夢
首裏や脇の下に貼った冷却シートが不意にひやりとし、翠蓮は我に返ったように目を瞬かせた。首を回す。そこで初めて、気付いた。
いつの間にか15人程の客が集まっている。時計。開演まで既に3分切っていた。そういえば思い返すとついさっき端末で1ベルを鳴らした気がする。
――わしともあろう者が緊張しておるのかのう。
意識して自嘲し、周りを見てみた。瞑目して微動だにしない桐亜。自己暗示をかけるように「大丈夫、絶対やれるっ」と気合を入れる青葉。いつも通り狐雀を気遣うシルヴィア。会場の様子をチェックする瑞穂。ひかりは入口で作り笑顔を振り撒いている。
深呼吸して呟く。
「……わしはパック。悪戯者の妖精パックだ……」
「みっ、皆さんっ、頑張りましょうねっ」
狐雀が気丈に呼びかけた時、開演の2ベルが鳴り響いた。
……
…………
静まり返った園内。遠く子供達の声が響き、木から蝉が飛び立った。
ハーミアとなったシルヴィアが独り中央まで歩き、台詞を言――えなかった。重い。体も喉も絡み付いてくるようだ。一瞬で頭の中がトビそうになる。しかし。
――演劇も音楽も同じ舞台。だったら何も怖い事はありません!
腹に力を込めて踏み出すや、両手で顔を覆って第一声を発した。
「あぁどうして解ってくれないの、お父様! 幾ら言われても私が愛するのはライサンダー1人。そんなに家柄が大事? 私が結婚するのはアテネの身分? そんなもの海の藻屑より役に立たない!」
どれ程稽古しても初めの台詞は恐ろしい重圧がかかってくる。それを跳ね除けるのは気合以外になく、そしてシルヴィアのそれは、大業を成すに充分だった。
絶望に彩られて膝をつくシルヴィアに狐雀――ライサンダーが歩み寄る。
「どうしたんだ、愛しいハーミア。そんな蒼い顔をして、貴女の薔薇が枯れ果ててしまったよう」
「恵みが足りないの。心には大雨が降りそうなのに」
「美しいものはあらゆる障害に蹂躙されてしまう定め。何が貴女を苦しめているのか」
「お父様……ううん、私を縛る運命そのもの。けれど私は荒波に耐えましょう。恋にはそれが付き物だから」
「だったら聞いてくれ。僕には家柄なんてないが、叔母の残した舟がある。荒波を乗り越える舟だ。2人で行こう。今晩、森に来てくれ。そうすればアテネの法から逃れられる」
「それは嘘? 嘘はヘラクレスだって殺してしまうわ」
「鏡に映し出される真実よりも本当さ。おっと拙い、誰かが来る。いいね、森の広場だよ」
狐雀が去るのをシルヴィアは見送ると、立ち上がって青葉扮するヘレナや桐亜のディミトリアスと話す。適当に2人をやり過ごし、彼女はたっぷり間を取って口ずさみ始めた。
――解らず屋のお父様。例え悪魔が魂を引き裂こうとも私は彼についていきます。ごめんなさい、でもこの恋の種は何度引き千切っても芽生えてしまう。だから行くの、恵みの大地へ。
重圧から解放され、鬱憤を晴らすように歌い上げるシルヴィア。そんな彼女を、陰からヘレナが隠れ見る。
袖のない舞台には演者がハケて休む時も場所もない。常に客に観られ、常に演技せねばならない緊張感は、狐雀の想像を遥かに超えて精神を削っていく。
――はぅう、喉が渇くです……まだ始まったばかりなのに。
稽古と全く違う疲労に喘ぐ狐雀をよそに、舞台は順調に進む。
「……てみなさい、パック。まるで彼らは糸もなくクレタの地下迷宮に迷い込んだ子羊。怪物に追いかけられては夏も冬もなく逃げ回り、辿り着くのは嵐の海。あぁ私達のよう」
「タイターニア様とオベロン様の?」
「パック、あの花の蜜を彼らの瞼に垂らしなさい。それで迷路の壁は取り払われ……」
瑞穂のタイターニアと翠蓮のパック。次には青葉と桐亜の場面が続き、そこでふと、1時間前の事を狐雀は思い出した。買い物。たい焼き。そんなどうでもいい、いやたい焼きはどうでもよくないが、場違いな事。たった1時間前の事なのに現実感がない。
――つまみ食い……おいしかったですー。
「……、……った後には……達がいるのよね?」
そして気付いた時には、遅かった。完全に台詞を追い忘れている。
愛しげに寄り添うハーミア。間。台詞。出てこない。きっと自分なのに何も浮かばない。
「ぼ、くは……」
間。間。間!!
視界が白い。共演者も客も見えなくなって、いよいよ沈黙が降り――かけた時、横腹を、摘まれる感触が、あった。シルヴィアの目配せ。前。公園入口。そこには、画用紙を持ったひかりがいた。
プロンプ。念の為に頼んでいたカンニング役だった。
「……僕は絶対に君を放さない。……だって2つの胸は……1つの誓いで繋がっているから。おやすみハーミア」
何とか狐雀が繋ぐと、安心したようにハーミアが眠りに就いた。
3幕。
惚れ薬が意図せぬ方へ効いてしまった事を知ったパックは慌てて挽回せんとする。が、そこにやって来たのはディミトリアスと妖精女王。焦ったパックはつい薬を振り回してしまい、女王までもが薬に囚われる始末。苦悩、あるいは秘かに愉しむように、4人の後ろをパックは飛ぶ。
「何たる事を、このパックとした事が! けれどこいつぁとんだ笑い話さ。女王様がどこの馬の骨ともつかぬ輩に色目を使う。あぁ早く治さなければ。だがしかし、あぁ惜しい、人間とは何と愚かなんだ!」
翠蓮が騒乱を囃し立てるように日舞を舞って魅せる間に、瑞穂は前列の客に近付く。手を取って頬を染め、潤んだ瞳を客に向けた。
「ねぇお願い、つれない態度はもうやめて。ご希望ならば私は車を引く鳩だって連れてきてあげるわ。それに貴方のお世話をする動物達……」
一方で舞台の人間達、女2人と男2人の争いは見る間に白熱し、遂にはディミトリアスが剣を抜く。対するライサンダーも剣を構え、ぱぁんと、ヘレナがハーミアの頬を打った瞬間に互いの剣がぶつかった。
「腑抜けのライサンダー、僕こそヘレナに相応しい!」「何だとこの虚弱、女の剣しか使えない奴め!」
「3人して私を弄んで……どれだけすれば気が済むの、ねぇ!? 一緒に寝て一緒にご飯を食べて一緒に遊んだ日々、秘密を打ち明けあった時間、姉妹の誓い、全ては夢の中!」
「意味が解らない! 何なの、ライサンダー」
「煩い話しかけるなこの売女! 決闘の邪魔をして僕を陥れるつもりだな!?」
「な、何なのよ……あ、あ、貴女こそ私のライサンダーに何をしたの!? 私達はさっき愛を確かめ合った、なのに今は魔法にかけられたよう。貴女が無理矢理迫ったのよこの雌狐!」
「雌狐! 言うに事欠いて! はっ、あはは、私は貴女みたいに恵まれてない、でも! ――貴女みたいにはならないわ」
涙と笑みの中に底冷えする怒りを込める青葉。その迫力に場が呑まれかけた――直後、不意に客席にいた子供がふらりと入ってきた。一見滅茶苦茶な場の空気にアテられたか。いち早くパックが駆け寄る。
「これ、そこな妖精。今茂みから出ては女王様に見つかり叱られてしまう! そっと此方へ……」
子供の手を取り自然と客席へ向かう翠蓮。子供を元の席に戻すと、懐から小瓶を取って掲げた。
「嘘が本当で本当が嘘で、あっちこっちで馬鹿騒ぎ。高みの見物といきたいところが、月も傾き宴もたけなわ。ここらが夢の納め時、起きればめでたく万々歳さ」
名残惜しむようにパックが小瓶の液体を振り撒く。
桐亜は自らの爪で掌を刺し、途切れそうな集中を繋ぎ止めていた。
舞台は4、5幕を残すばかり。が、ここに来て疲労が急速に心身を蝕んできた。開演前の宣伝活動が地味に響いている。あの時間を心穏やかに過ごしていればよかったのか。
――それで客が来なくても……困りますけれど。
客か、演技か。少なくとも今の自分では両者を取る事はできなかったという事だ。天界でなら、あるいはもっと演技を学んでいれば何とかなったかもしれない。
「あぁ僕達はどうしてしまっていたんだ、まるで夢の中にいたようだ」
狐雀の台詞に合せて桐亜も頭を振って立ち上がる。その拍子に、視界が暗転した。ふらりと体が傾ぐ。何かに寄りかかった。眉間を押えて体に力を入れ直す。傍にいたのは、青葉だった。
「……、何とした事だ。昨日までの僕は露と消え、今の僕は子供そのもの。惑うものなどなかったあの頃の心が君という太陽を求めているんだ」
青葉を抱き締める。彼女は狐に化かされたようで、けれど信じていたい。そんな想いを表すように両腕を回してきた。
――ツバキ、アオバ。
3幕でも真に迫る慟哭を上げてみせた。演劇。やはり歌とは違う。戯曲を読むだけとも違う。僅かに高鳴るものを感じた。
「皆、夢を見ていたのかしら。でも何故か今はとても晴やか」
「見て、森の動物達が集まってる」
正気を取り戻した妖精女王が現れる。桐亜は幻を見たかの如く瑞穂を仰ぎ見た。瑞穂が厳かに告げる。
「今見ているのは一夜限りの夢幻。けれど交されるのは真の契約。私が貴方達を祝福しましょう。さぁ妖精達よ、歌い踊れ!」
5幕。ひたすら歌い踊る最終幕。
それは初公演でここまで何とか漕ぎつけた6人を鞭で打つかのようだった。普段と違う緊張を強いられ続け、冷却シートの感触も解らぬ程に熱が篭ってくる。空は次第に赤みを増してきて、さながら燭台の炎だ。
暑い。だが青葉はそんな疲労をおくびにも出さず舞台――公園中を駆け回る。瑞穂が光纏して星々の煌きを描き出した。
気付けば客は50人を超え、園内全体に広がっていた。その間を縫い、青葉が振り付けも何もなく踊る。桐亜が多少遅れてついていけば、狐雀とシルヴィアも手を取り合って歌を紡ぐ。
「ご覧になられたは一夜の幻。他愛無い物語は泡沫の夢。どうか皆様おやすみなさい。阿呆な劇団にゃお恵みくれて、さっさと皆様ねんねしな」
パックが終りの口上を垂れて一礼すると、ひかりを含めた6人も続いた。
数秒の沈黙。そして、拍手が溢れた。
●劇団猫の手の始まり
ひかりがアンケとカンパを頂き、青葉と桐亜が入口で客を見送る。
「ヘレナ良かったです〜、他にどこかで活動されてるんですか?」
「ん〜色々少しずつかなぁ。まだ次は決まってないけどぉ、これから頑張っていきますよぉっ」
「応援してます!」
「ありがとぉございまぁす♪」
終幕直後は誰もが休みたい。が、そこを笑顔で耐えて見送りに出ればこそ、カンパ制とはいえお金をもらう事ができる。青葉の背中はそう言わんばかりだった。
お茶を飲んだ他の者も遅れて入口に立ち、帰っていく客1人1人に挨拶する。そして15分後、園内には、ひかり達7人だけが立っていた。
静寂が辺りを包む。夕日が沈み、互いの表情も見辛い。誰かが「終ったのかな」と呟く。「うん」誰かが頷いた。
「お疲れ」
「……まだバラシが残っていますけれど、ね」
疲労感と達成感と喪失感をない交ぜにした、不思議な満足感。どこか気恥ずかしいような、言い表せぬ感情が誰しもの心を少なからず満たしていた。
「……綺麗にお掃除なのです」
「もっちろん、それが終ったら打ち上げよねぇっ!」
さっきまでの疲れは何のその、勢い込んで提案する青葉。シルヴィア、瑞穂、狐雀が次々同意すると、翠蓮と桐亜は顔を見合せ
「……仕方がない」
と付き合ってやる事にした。
かくして劇団猫の手初公演は、まずまずの成功を収めたのだった。
<収支報告:収33600久遠 支(ひと月分の飲食費等含)31600久遠 劇団員報酬:300久遠>