「涼子さぁ〜ん〜!」
不意に後ろから誰かに抱きしめられ、ほんのりハーブの薫りが漂う。首を動かせば、すぐそこに森浦 萌々佳(
ja0835)の顔があった。
「モモカ、いきなり失礼よ」
ゆったりとした足取りでやってきたカタリナ(
ja5119)が萌々佳を叱咤してから、緩んだ表情を締め直して涼子と向き合った。
「こんにちは、はじめまして。特別講師の真宮寺涼子さんですよね? 大学部のカタリナです。
厳しい戦いの合間、わずかな休息を利用してショッピングをと思いまして……水着ですか、いいですね。ご一緒させてくださいな。それで――……」
カタリナが作られた笑みを少しだけ崩し、顔を近づけては涼子の耳元で何かをこそりと呟くと、ほんの少し思案顔をする涼子は萌々佳を引き剥がしつつ、「誰ってことも、ない」と一言と断っておいてから続けた。
「見せる機会があるかはわからんしな。そうそう会えるわけでもなし……」
(それは、見せたい相手がいるってことですよね)
そこに見知った顔がまた1つ。普段の制服と違い、胸元の広いゴスロリ服のアルジェ(
jb3603)が顔を出した。
「また徘徊しているのか、涼子。最近良く会うが……変わりは無いようだな――季節物のクローゼットの整理をしていたんだが、去年の水着がきつくてな。それも含めて夏服の新調しようと見に来たところだ。
見たところ涼子も水着を選んでいるようだが、一緒してもいいか」
「私も水着、一緒に選びますよ〜。可愛いって言ってもらえるよう、がんばりましょ〜」
(真宮寺さんか……学園での生活を楽しんでいるようで良かったな……)
店には入らず、少し離れた位置で何となくホッと胸をなでおろす陽波 透次(
ja0280)。さっきからずっと見ていた限り、会話は断片的に聞こえるくらいだが、雰囲気は十分に感じ取れた。
そしてずっと見ていたという事は当然、涼子の選定作業も見ていたわけである。
「ああやって色々やってる姿は、可愛いかもしれない」
「あんなのは所詮、誤魔化しです」
透次の前に突如にょきっと生えた亀山 淳紅(
ja2261)が物申すと、ずかずかと店の中へと入っていく。店の敷居をまたぐのすらも厳しいなと思っていた透次からすると、ちょっとだけは羨ましいと透次は感じる。
「デリケートな所に踏み込んで上手く立ち回れるほど、僕は器用じゃないし……まだそんなに親しいわけでもないし……」
そんな透次は背中を強く叩かれ、少しだけ咳き込んでしまう。
赤坂白秋(
ja7030)が、「ハッ!」とシニカルに笑っていた。
「入りてえと思ったんなら入ればいいじゃねえか」
そう言って彼も踏み込もうとして、直前で足が止まる。
彼の目には黒いビキニのアルジェや萌々佳とカタリナ、それに涼子(以外にもいる見知らぬ女の子達全員)が水着を手に取る姿が映っていて、うち震えていた。
「――素晴らしい」
ようやっと出た言葉がその一言。それ以外に思いつく言葉がない。
「――素晴らしい」
とてもとてもとてもとてもとてもとてもとても、素晴らしい。
これを表現するには、世界中のどの言語を用いて、どれほどの美辞麗句が並べ立てようとも、この素晴らしさを伝える言葉は存在しないであろう。しいて言うならば……愛。
それくらいかもしれないという程の、想いが籠められていた。
だからもう一度。
「素晴らしい……!!」
でゅふふふと薄気味の悪い笑みを漏らし、いざ――という所でやはり、足が止まった。
軽い挨拶をかわすつもりで上げた手を下ろし、緩みきった表情筋を引き締めて、涼子の顔を凝視する。変化に乏しかったはずの涼子の顔は今、色々な表情を見せ、活き活きとしている。
(良い顔、してんじゃねえか)
この中で一番幼い外見のアルジェが、パッドなんか仕込む余地のない布面積を限界まで少なくした黒いビキニを手に取って「修平はこういうのは好きだろうか?」と言うが早いか、すぐに試着する。
「どうだ涼子、おかしなところはないか?」
まだまだ成長の余地もあるというのに、現時点ですでに涼子との差は明白なアルジェを前に、涼子は思いのほか普通だった。
(気にしているようで、気にしていないんですかね〜?)
萌々佳もさっきからまったく悪意なしに自分に似合いそうなものを見せては尋ねているが、似合う似合わないくらいの意見だけで、胸のサイズを気にした風はない。
だがそれなのに、相変わらず水着の選定基準は胸にある事が腑に落ちないという顔の萌々佳。
ふと気づいたカタリナが、白秋は外で何をしているのだろうと小首を傾げると、涼子も同じように怪訝な表情で小首を傾げているのに気が付く。
ただし、自分と違ってその目はどこまでも追っている。
(……もしかして、ですが)
ちょっとだけアダルトな雰囲気の水着を、涼子の前に広げた。
「ビーチの男ドモにアピールするのも、たまにはいいかもしれませんよ」
「その他大勢にはどうでもいいが、アピールしたいにはしたいところだが……残念ながら、それのブラではちょっと物足りないな」
「とりあえず大きく見せるのを諦めるとこから始めません?」
カタリナの横に自然と湧いた淳紅が、眉間に皺を寄せてズバリと地雷を踏み抜いてきた。
やんわり伝えようと思っていたカタリナの頬に汗が伝い、萌々佳が「セクハラはダメですよ〜」とマネキン(の台座の方)を淳紅の後頭部に突き入れる。
転がった所へトドメと振りかぶるが、「待った!」と淳紅はてを突き出して制止する。
「病み上がりなんで、手加減を要求する! それに、悪意全くなしの意見やで!
こう見えても女姉妹に挟まれてて詳しいっちゃ詳しいですし、姉の盆地に合う水着を選んだ実績もあるんです!! 平地に合う水着なんて、ちょちょい――」
余計なひと言にマネキン鉄槌が振り下ろされるが、床を叩くだけに終わった。
ギリギリで許すが、次はない――そんな笑顔だが無言の警告に淳紅は頷くと、立ち上がるなり涼子をぐいぐい引っ張っていく。
「まずワイヤー入りのは駄目です、寄せるものがある人用なので。変にボリュームのある奴も却下、泳ぐ時に隙間から水入って来てずれてきますよ」
「パレオとかはどうしますか〜?」
萌々佳が涼子へと問うたのに、水着奉行淳紅が「却下です」とダメを出す。
「下隠れてたら上に目線行くんで、目立ってしまいますしね。
個人的にはシンデレラタイプの可愛く見せるモノよりは、布面積はそこそこ小さめで、肌の露出をやや多めにした年齢と雰囲気に添えやすい三角ビキニなんかが、見栄えいいちゃうんかな」
「これとかどうでしょう、ジュンコウ」
それぞれのパーツがリングを介してつながっている、黒いホルターネックのビキニを見せるカタリナへ、淳紅は親指を立てた。
「あとは淳紅が着てみせるだけだな」
「それも却下や。体型的には同じくらいですから、多分、モデルもいけるけど――却下や」
身体をさする淳紅。ふざけた風だが真剣な様子に、提案したアルジェは「ふむ」と顎を撫でる。
「涼子さんに試着してもらえばいいだけですよ。モモカ、私はこれを試着してみようと思うのだけれど、どうでしょう」
「リナリナにお似合いですよ〜」
そして涼子の背を押しながらもカタリナが外へと視線を向けると、萌々佳が頷いた。
2人がカーテンの奥へと消え、下着の上から水着を試着した2人がそろってカーテンを開けると、萌々佳に押されて何とか入ってきた白秋と透次、それと淳紅が並んでいた。
「どうでしょうね、これ」
「もう少し明るめのがいいんちゃう?」
淳紅はすんなりと意見を言うのだが、透次は「似合っているんだと思います」とあやふやな言葉、白秋は「素晴らしい!」と言うだけだった。
「じゃあ、涼子さんのはどうです?」
「ええやんな。スポーティーなイメージに歳相応のアダルティーさも出たんちゃうんか」
やはり淳紅くらいは意見を述べるも、透次は「似合ってるんだと思います」と言い、白秋は「素晴らしい!」と、カタリナに向けたと言葉を繰り返す。
ただ、受け取る側が違った。
涼子の少しにやける様な照れた笑みを浮かべ、直ぐにカーテンを閉めてしまった。
カーテンを閉めた手に顔を押しつけ、必死に平常心を取り戻そうとしているところへ、萌々佳がひょこりと顔を覗かせた。
「パッドなしですけど〜結局、胸はあまり気にしていないんですか〜?」
「……あの馬鹿者が、大きい方が好きなんじゃないかと思ってたんだが――今はもうどうでも、いい」
萌々佳だけに聞こえるような小声で答えると、萌々佳は笑みを強めて「涼子さん、かわいいです〜」と試着室に踏み込んで涼子をはぐる。
「――あれ? というか海かプールいくんですか〜?」
「百合子からチケットを貰ったのでな、レジャープールには行こうかと思っている」
(また独りですかね〜?)
ありうると思いつつ、自分も水着をいくつか買っておいて正解だったかもと思っていると、カーテンの向こうに人の気配が。
「涼子さーん、水着選び終わったんなら、自分の服も選んでくださいよー」
カーテンの向こうで淳紅がそう、お願いするのであった。
グレーの霜降りUネックプリント半袖に、重ね着用にとブルーの六分袖ジップパーカーを選んでもらった淳紅。プリントが少し見える程度までファスナーを下ろしてある。
「自分で選ぶと、どうしても傾向が似通ってしまうんな」
「ですから〜私も涼子さんにこれをお勧めしますよ〜」
胸に大きなリボンがついた水色のブラウスに、オレンジの七分パンツとサンダルを萌々佳が勧めると、雰囲気もあってかすんなりと試着してくれる。
「やっぱり似合いますね〜、夏らしさもあります〜。夏と言えば浴衣! これも必要じゃないですか〜!? 浴衣〜!!! 浴衣を買うなら小物も買いましょうよ〜!!」
「モモカの方がはしゃいでいますね」
そう言いつつも、人を着せ替えできるのは楽しいと、カタリナも涼子に似合いそうなものを選んでは次々に試着室へと持ちこんでいく。
ここでも透次は見るだけ――だが。
「……男は着飾ってるのを見てもあまり楽しくは無いけど、女性は服を着替えるだけでも随分と見応えあるよなぁ」
「そう、その通りだ。そしてもっと涼子にはいろんな服を着てもらいたい、着てもらって、そして見たい――舐め回す様に肌色過多の涼子をもっと見たい!!」
鼻の下が伸びている白秋が身をかがませ、じっくりじっくりと試着室への距離を縮める様を眺める透次は「素直すぎるなぁ」と、ポツリ呟く。
「涼子、せっかくだから、新しいジャンルを試してみないか? 近くにアルの行きつけのデザイナーズショップがあるんだ、今度、案内しよう」
カーテン越しに声をかけるアルジェへ、「ああ、今度2人でな」と、ずいぶん自分達と距離が縮まってきたような言い方をする涼子に萌々佳は嬉しくなっていた。
そして浴衣や小物が入ったカゴを試着室の中に押し込むのだが、カゴが少しだけ重くなっていたと押し込んでから気が付き、ふと下を見ると、しゃがんでいる白秋がガッツポーズを取っている――いやな予感が走った。
「……随分な物を選んだな」
カーテンを開けた涼子は、胸が隠れる程度までしかない水色のショート丈ポンチョ、カッティングが多すぎるタイトスカート姿と、萌々佳が選んだ覚えのない服装だった。
しゃがんだまま鼻を押さえ身悶える白秋に、誰もが察する事ができた。
「そこの馬鹿坂、これは虫刺されだと思うか? 間近で見てくれ」
涼子が自分の膝を指で叩くと、「いいぜぇ!?」とゴキブリよりも早い速度で白秋が涼子の膝に接近し、間近で食い入るように魅入ろうとしたその瞬間、とてもとても鋭い、ヒザの一撃。
まだ完全に癒えていなかった鼻から血を流し、昏倒すると思われた白秋だったが、胸に灯った銀色の炎が全身の細胞を駆け巡り、クワッと目を開けて持ち直す。
「まだだ、『猛銃』が矜持に賭けて、まだ――!!」
執念のガン見を続けると思われた矢先、後頭部を消火器で叩かれ、意識は失わなかったが後頭部を押さえ悶絶するのが精一杯だった。
「赤坂さ〜ん、エッチなのはダメですよ〜? そういえば涼子さん……人が多そうなとこは苦手ですか〜?」
荷物から雑誌を取り出し、お勧め喫茶の記事を見せる萌々佳へ、おずおずと透次が手を上げた。
「嫌でなければ、僕が案内します。調べる時間はたっぷりあったんで」
「ここは紅茶もなんですけど、エクレアがキャラメルソースでおいしいらしくて〜」
「クリームダウンもしていないし、淹れ方の上手な店だな……あとで少し茶葉を買い付けていこう。
それにしても涼子はアールグレイが好みか、紅茶本来の風味を楽しむストレート系なんだな。次のブレンドの参考にしてみよう」
涼子と共に紅茶を楽しみつつ、歓談を続けているその時、上を向いて鼻を押さえていた白秋は、「楽しかったか」と涼子をちらりと見た。
「――ああ。人と一緒というのは、いいものだな」
それに「そうか」と、白秋は笑った。
(本当に楽しそうだな……)
眩しいものを見るように透次は目を細め、こんな分け隔てなく平和に過ごせる世界が来る事を夢見て、口元に笑みを形作る。
(今は血塗られた道でも、後世の……罪のない世代に、そういう未来を遺せたら――その為に何かが出来たら……)
刃を向ける事しかできない自分が、そんな夢を見るのはおかしいかもしれないと思いつつも、今は、目の前の時間を大切にしたかった。
「そういえば赤坂さんが依頼でナンパ失敗したら奢ってくれるって言うてたのに、奢ってくれないんです」
「ほう……」
冷たい視線に戻った途端、白秋は「ここいらで失礼するぜ」と立ち上がり、当たり前のような仕草で伝票を手に取っていった。
(行動はイケメンなんですけどね〜)
その背中はまるで俺に惚れていいんだぜと言っているようだが、ハァと言うカタリナの溜め息。
「でも、ハクシュウなんですよね」
(そう言えば、涼子さんの水着も服も店員さんは男の方が多めに支払っていきましたと言っていましたが、もしかしてハクシュウなんでしょうか……)
そして、涼子の紙袋を見る。
(なんだかんだ言っても、選んでもらった物を買うあたり、やはり涼子さんは……あ)
「……すいません、仕事なので悪く思わないで下さいね」
思い出したようにカタリナは、謎のメールへ涼子のサイズを返信して、涼子との交流をさらに深めるのであった――
●某病院
「ふむふむ。寄せ上げ方が巧いのか、会うたびにセンチ単位で違うから自信がなかったですが、やはり私の目に狂いはなかった……!」
病院を後にする御神楽百合子の荷物の中から覗く、お子様には見せられないような水着の端がちらりと。
そしてその手には、レジャープールのチケットがずらりと――きっと、戦はこれから始まるのであろう……
涼子の独りショッピング 終