走る黒松理恵。それと併走する若林雅。
その後ろをずいぶん遅れて走る地堂 光(
jb4992)は、走りながらも受けた傷に応急手当てを施していた。軽く拳を握るが、痛みはない。
(これなら問題ねぇな)
そしてふと、古庄 実月(
jb2989)が不安げな顔を向けていたのに気付いた。
「まずは目の前の問題を解決してからだ、それが今一番大事な事だろ?」
「そう……ですね。
偉い天使って、エニスちゃん何を言われたんだろう……とにかくこのままじゃダメな予感がするし……早く止めないと!」
決意の再確認をして前を向き直る実月が目にしたのは、鼬に足をすくわれ理恵と雅が見事にお手本のような尻餅をついたところだった。
(うん。群れに突っ込むのはさすがに怖いなと思ったけど、やっぱりまずは数を減らさないと)
自分がああならなくてよかったと、実月はつくづく思うのであった。
(面倒な話だ……とっとと終わらせるか)
息を切らせながら後方の1匹へ向け影野 恭弥(
ja0018)が銃弾を放つと鼬の身体を貫き、鼬は惰性で地面を何度か転げそのまま動かなくなった。
あれだけ肩を上下にしながらも的確に当てる恭弥を、驚きに少しだけ見開いた瞳で上空から見ていたVertenette Hautecloque(
jb8543)は、再び敵の隊列に目を走らせる。
1匹減った程度では変化がないが、少しでも抜ける事ができそうな隙間ができないか、常に注意を払っていた。
尻餅をついた雅の手を取り引っ張り起こす久我 常久(
ja7273)。
「ほれ、ワシに感謝するんだな」
起こしてもらった雅は「悪いな」とだけは言うのだが、その顔は眉を寄せていて、常久と併走しながら声のトーンを落として問いかけた。
「常久。お前、実はそれほど乗り気じゃないな。子供の癇癪に付き合ってられんとか、そんな気でいるだろう」
「ほう? 何でそう思う?」
「走るペースを考えるとな――ま、私もだがね。それなりに関わり、それなりに接してきたが、それでも必死になるほどの想いがない」
常久はそれには答えず、ただ黙って雅のペースに合わせるのであった。
「部長。遅刻してきたんですから、力有り余ってるでそ?」
城里 千里(
jb6410)が理恵を助け起こして焚き付けると、バツの悪そうな顔をする理恵。
そんな理恵に、千里は1つの提案を伝えた。
恭弥がすでに1匹退治したように、射撃でも突破はできる。だがそれでは時間がかかりすぎるから、こうしたらという提案。
理恵は頷き、少し前を走る実月に追いつこうと足を速めた。
「頼んだぞー」
手をひらひらさせる千里の横に、雅と常久が挟むように並ぶ。
「お前も案の定、それほどやる気がないな」
「ま、エニスの好きにやらせてみてもいいんじゃねーの?
今回の事件、アニエニの行動に天界の誰かが目をつけたってことだろ? 結果まで見られる可能性は低くない。それは向こうにとって害にならないか?」
失敗するのは目に見えている。人類的な目で見れば確かにそれも有りかもしれないと、雅は共感しそうになるが「それはダメです」と上空のベルテネットが高度を落とす。
「私は一人っ子ですので推測になりますが、弟や妹がいれば、アニスさんやエニスさんみたいな感じなのでしょうね。何といいますか、危なっかしい。そのままにしておけない。世話を焼きたい……と。
彼らが天使だから関わっているのではなく、アニスさんやエニスさんだからこそ……と、私は思います」
「ふ、ん‥‥危なっかしい、そのままにしておけないはわかるが、だいたいのヤツは信じたいモノを信じるんだよ。自身の幸せのために他人への悪を行う――そういうもんだ。
それに天使には天使の矜持があるんだろうよ。それを拭うには人から言っても無駄で天使から言っても無駄だろう。矜持とは、自身が自身とするものだ」
個として、エニスが正しいと思って選んだ道なのだと常久は考えていた。それにはエニスを天使だとか子供だとかではなく、エニスを1人の人として見ているという事であった。
「それを曲げれるモノがあるってするなりゃぁ……そりゃあ愛だろうよ」
「その、通り、です!」
のんびり屋でマイペース、しかも運動神経も足の長さも皆に負けているゲルダ グリューニング(
jb7318)が息を切らせながらも必死に追い上げてきた。
「友愛と言う言葉があるように、愛を持ってエニスさんを止めなければいけません……友達として! 種族が違っても『これだけ言葉を交わしたのですからもう友達です』と母も言ってました。
そして『友達が間違った事をしたなら力尽くで止めなさい。私も彼女の行動を命がけで止めたものよ』とも言っていました!」
常久や雅、千里とは違い、子どもらしくシンプルな考え方。それでもそれが最善と感じさせるのは、常久の言葉を借りるならそれがゲルダの矜持だからなのだろうなと、千里は考え直す。
(ま、俺もせっかく天使の観察という面白ライフを手に入れたんだ。簡単に手放したくはないしな)
ようやく話がまとまりかけたという所で、光の「集まってきやがれ!」と吼える声が聴こえてくる。
再びベルテネットは上空へと向かい、雅と常久はこの中でダントツにやる気はあるが脚がついて来れていないゲルダの腕を取り、追い上げる。
千里はと言うと――あまりかわらず速度を上げずに「いってらっさいー」なんて言っている所を「お前も来い」と、雅に尻を膝で蹴られ、しぶしぶ速度を上げた。
前を走りすぎた恭弥が足を止め、気を練っている横を5人は通り過ぎ、追いかける。
「おらよ!」
距離を詰め足をすくおうと伸ばしてきた尻尾を盾で薙ぎ、鼬の群れの中を走りつつ大声を上げた。
「古庄、気負うなよ? 落ち着いていけばいい。
優先すべき事を見誤るな! 俺は大丈夫だ。チャンスには遠慮なくぶっぱなせ!」
「はい! いきますよ、黒松さん!」
「りょーかい!」
実月の薙刀と理恵の槍にアウルが集約され、横へ光が飛ぶと同時に、2つの力が振り下ろされる。
(エニスちゃんに届けこの思い!!)
真っ直ぐに伸びる想いの力が鼬を薙ぎ払っていった。
「そうら、いけい!」
常久と雅が投げるようにゲルダを作られた道に放り、ゲルダは仲間がどうにかしてくれると信じて、ただ闇雲に真っ直ぐ走る。
「ゲルダさんは道路の右端をひたすらに真っ直ぐ、前の鼬が穴を埋めようと動いて来ています!」
「遠慮しないで飛んどけや!」
上空から聞こえるベルテネットの指示に常久はゲルダの前を塞ごうとする鼬に近づき、尻尾が飛んでくる前にせりだしてきた畳で跳ね上げた。
「さんきゅー助かったぜ」
光が後ろを振り返りハルバードを掲げて実月に伝えると、実月は嬉しそうに大きく頷く。
(受けた恩はきっちり返さねーとな)
脅威と見なしたのか、後ろ側にいた鼬が速度を落として実月に接近しようとしているのが見えた光はその間に割り込み、ハルバードから力の波を撃ちだして鼬を吹き飛ばす。
「おっと、今度はこっちが通せんぼだぜ?」
その間にもぐんぐんとエニスに迫っていくゲルダ。
「エニスさん、これが恋愛の第一歩です。互いに想いあう心こそが大事なのです!」
呼びかけるとエニスの鼬は主人の意思に反応してか、少しだけ足が遅くなる。
そんなゲルダに鼬が詰め寄ろうとするが、追いついてしまった千里の射撃で転がった。そして千里はと言うと、接近された鼬によって足をすくわれていた。
(あー……転んだらもう仕方ないだろ?)
休む気満々でいたのだが、空中で額を思いっきり押され逆上がりでもするかのようにくるんと一回転、勢いはそのままで足が地面についてしまい、走らざるを得なかった。
「サボるなよ」
「……寝かせておけばよかったな」
雅に釘を刺され、思わず舌打ちをする千里であった。
「あれだけ弱いなら、いけるか」
気を蓄えた恭弥が後ろから追い上げ、ゲルダに詰め寄ろうとしている2匹が縦に重なった瞬間を狙い撃った。
高速で真っ直ぐに伸びる銃弾は2匹の脚を穿ち、転倒させる。
射程ギリギリの位置から、しかも走りながらの射撃でそれだけの事を成すのはさすがであった。
「寄ってくるな」
恭弥に詰め寄ってきた鼬の尻尾を取り出した盾で払いのけ、頭部に銃身を押し当て引き金を引く。
(無愛想なお方ですが、頼りにはなるのかもしれませんね)
まるっきり文句も言わずに、ただ淡々と必要な事だけをこなす恭弥の姿をそういう風に、上空のベルテネットは捉えていた。
鼬の群れをゲルダが完全に通り抜け、後はエニスに追いつくだけである――が、あと少しの距離をなかなか縮められない。
エニス自身が追い付かれてはいけないと思っているのか、鼬の脚が再び早くなったからだ。
「エニスさん、止まって話を聞いてください!」
「エニスちゃんは何をするつもりなの!? これもキューピッドになる為なの…?」
ゲルダに続き、実月が声を張り上げる。
「私達のことはいいから……せめてアニス君の話を聞いてあげて!」
それでも止まる気配がない。
(こうなったら、最終手段……かな)
ちらっと光を一瞬だけ見た実月。
不思議そうな顔をする光と視線が合ってしまい、自分ではっきりわかるほど頬が熱くなっているが、それでも意を決して大きく息を吸い込んで、今までよりも一番大きな声で言葉を届けた。
「エ、エニスちゃん達と会ってから、気になる人は出来たから……! 十分エニスちゃん達は私にとってキューピッドになれてるよ!」
その瞬間、誰もが足を止めた。自分に集まる視線から逃れるように実月は両手で顔を隠すが、それでも恥ずかしくて穴に入りたい一心からその場にしゃがみ込んでしまう。
(よりにもよって本人の前で……!)
だが実月の言葉は確かにエニスに届き、エニスも止まっていた。
「本当に?」
振り返るエニスへゲルダが飛びつくように抱きつく。
「恋愛させたいのなら、私達と一緒にゆっくりやりましょう。『恋愛に近道なし。私も彼女との距離を地道に埋めたわ』と母も言ってました。
それに古庄さんだけじゃありません。
エニスさんとアニスさんのお蔭で、城里さんと黒松さんはラブラブ一歩手前まで来たのです、あの年でようやく互いに手を出さないお子ちゃま奥手恋愛モードです」
「おいコラ」
千里が聞き捨てならないといった顔をしているが、だが今は説得が優先と、それ以上は黙る事にした。かわりにしゃがみ込んだ実月を心配そうに声をかけている理恵へと目を向け、今の言葉が聞かれていなくてよかったと思うのであった。
「あたし、別に何もしてないのに」
「きっかけってのは無理に作るもんじゃない。できちまうもんなんだよ。それでもお前さんは無理に作ろうっていうなら――自分の矜持を賭してまでというのなら、ワシらとは敵になるだろう。
エニス、そういう事でお前さんは良いんだな?」
追いついた常久がエニスに覚悟を問いかけると、エニスは優しく、それでいて強く抱きしめてくれるゲルダや、地上に降り、微笑みながら歩いてくるベルテネットの顔を順に目で追い、最後に常久へ顔を向けた。
捨てられる事に怯えた、子どもの目。
その顔を見た瞬間、常久はもう大丈夫だという確信を持ち、それ以上かける言葉もなく振り返る。
「私達と過ごした時間は楽しくありませんでしたか? 私は楽しかったです。だからもっと一緒に遊びたい。これも一つの恋です。
それに、ベルテネットさんがおっしゃっていました。弟や妹みたいだと――もう切っても切れない家族なのですよ。私達は」
「そういう事です」
ニッコリと微笑むベルテネットがエニスの頭をなでると、エニスはゲルダの胸に顔をうずめるのだった。
そしてやっと追いついてきたアニスが心配そうにエニスの横に並ぶと、ゲルダは2人まとめて抱きしめる。
「エニスの良くも悪くもあるところは、迷いがないことだな……アニスは俺が利用してるの、気づいてたんだろ?」
千里の白状に、アニスはこくりと頷く。
「アニスは俺の言うことを全面的に信用したりはしていない。自分で考える。少なくとも、自分に害が及ぶか及ばないかには敏感だ。
その分行動力が足りない。だからちゃんと2人で考えて、やれ」
アニスの頭とエニスの頭に手を置く千里が、やれやれと溜め息を吐く。
「フォローとか考える役はアニスの仕事だな。何、俺らの害になりそうなら俺らも全力で止めるし、フォローもする。
だからま、もっと考えて色々やってみたらいい」
伝える事を伝えると、千里も背を向け、一瞬だけ空のどこかを指さすと理恵達の方へと向かって行った。
ゲルダが2人の頭をなでながらも、常に周囲を警戒している。
「それにしても、私たちの弟妹に変なことを吹き込んだのは、どこの誰ですか。腹立たしいです」
「それなら――」
ただ話を聞き流していた恭弥が鋭い視線を上空に向け、片腕で発砲していた。
その直後、透明に近い何かの羽ばたく音が遠ざかっていく。
「……っち。外したか」
「あの、今のは……?」
「見ていた奴がいた、ということだろ。覚えのある手だ」
銃を肩に、恭弥はこれ以上この場に居る必要はないなと思い、後にする。その背中を少しだけ、ベルテネットは目で追うのであった。
「おい、大丈夫か? あんま無茶すんなよ?」
立てないほどの何かがあり、いつまでもしゃがみこんでいるものだと思って実月の手を取り、光が引っ張り起こすと、当然、実月は慌てたように「大丈夫!」と顔を見られまいと、光の顔の前で手を振る。
その手には握りすぎてついた爪の跡が、赤くなっていた。それを見るなり、光は絆創膏などを取り出すと、実月の手を優しく取った。
手を優しく掴まれた事により、実月は「はうぁっ」と慌てるのだが、そんな事に光は気づかない。
「昔は喧嘩ばっかりしてたからな、手当とかは地味に慣れてる――どうかしたか?」
「何でも――ありませン……」
言葉は尻すぼみになり、ずっと実月は俯き続けるのであった。
実月の様子を千里と話す理恵の姿も、ずいぶん楽しそうと言うより、嬉しそうに見える。
初々しい気配を遠巻きに見ながら、常久は雅にちょっかいをかけた。
「ようよう、お前さんもうかうかできねぇぞ?」
「……いや、もうわかってはいること、さ。きっちりとケジメはつけるがな」
それでも何か癪にさわったのか、常久のもちもちなぽんぽんに拳をめり込ませ、雅はアスファルトを踏み抜きそうな勢いで歩き帰っていった。
腹を押さえしゃがむ常久だが、ふっと雅の後ろ姿へと笑いかける。
「――若いうちに、色々と知っておくんだな」
甘い経験、苦い経験を色々と積み、人は大人になっていくのだと常久は知っているのだから――
【恋戦】衝突・後編 終
「やはり失敗に終わったね。人に接しすぎるとやはり、こうなってしまうんだ」
一部始終を見ていた子供の姿をした天使は、もう興味ないと言わんばかりに映像を消すのであった。