Vertenette Hautecloque(
jb8543)があまり食べる機会のない豪勢なハンバーガーを、ナイフとフォークで切り分け口に運び、舌鼓を打っていた。
彼女の前には紙ナプキンで口周りを拭きながら、カツラのずれを直している阿手 嵐澄(
jb8176)と、どこか遠くに視線を彷徨わせてポテトをもそもそと口に運んでいる城里 千里(
jb6410)がいた。
その日たまたま出くわし、どういうわけだか話の流れで3人で昼食を一緒する事となった。ハンバーガーなのはベルテネットの希望である。
「――俺です……部長がバッジを失くしたから、それの捜索?
プールにすらつけて入る位なら、普段も付けて……ああ、あの猫の。わかりました、もう少ししたら向かいます」
通話が終わるなり、すぐにどこかへと電話をかけて今聞いた事情を説明する。
「……――利用客の退避は必要ありません。営業の範囲内で、館内放送と掲示をお願いします。掲示データは後ほど送ります」
腰を上げ「それじゃ俺はこれで失礼します」と、2人を残して行ってしまうのであった。
千里が去ってから間もなくして、2人にも捜索を手伝ってほしいというメールが届くなり先ほど聞こえてきた説明のこともあり、千里の小さくなっていく背とメールを交互に見比べ、そして2人は納得する。
「それにしても一緒にプール……なァんか、敵意を感じないカンジの相手だしねェ。
あァ食後のアイスコーヒー、いまもらってもいいかなァ?」
「蒼い空! 白い雲!! そしてぇえええええ!!!!
蜜を垂らしたかのような艶やかな肌! 美しい花達がワシ等の事を待ってるぜぇ!!」
とか喜び勇んできてみた久我 常久(
ja7273)だったのだが、雅から話を聞くなり露骨にがっくりと肩を落とす。件名の『温水プールに至急』しか読んでいなかった方が悪いとも言えるのだが。
「……振られた男から貰ったぷれぜんとぉーー? はー……そんなモン持ってんなよな……」
「まあまあそう言わないんですよ、久我さん。それに、私も分からないでもないし。
とにかくまず私はこういう時の基本、落し物を管理している所にこの件をお伝えして、見つかり次第連絡もらえるよう頼んできます」
駆け出そうとして思い直し、早歩きに切り替えた古庄 実月(
jb2989)に少しだけ不安を覚え、地堂 光(
jb4992)が目で追いながら、ポツリと漏らした。
「中本との思い出の品……か」
(いつか懐かしいなと、その品を見ながら思い出す事も出来るようになるかもしれない――俺のように紅蓮の炎が焼き払ってしまったわけじゃないのなら)
「見つけないとな。今度は俺が力になる番だ」
「でもそういう物を付けてプールに入るのも、よくないと思います」
バッジの形状を思い出しながらプラカードを作っているゲルダ グリューニング(
jb7318)のもっともなお言葉。
「まー頼まれちまったもんは仕方ねぇ……雅よぉ、今日の行動順を詳しく教えろや。理恵がまだ探してないところから別行動で捜した方が効率的だろう?」
「なら俺はゴミ箱漁ってくるか。本人には大事でも、人から見ればそうでもないってのはあるしな」
常久が雅を連れ、光は1人でその場から散っていく。
残されたゲルダは「できました!」と落し物探してますというプラカードを掲げヒリュウを召喚し、できたてのプラカードを首に下げ「さすがヒリュウさん、何でも似合います」と満足げに頷き、歩き始めるのだった。
人が多いのならば人目も多く、目撃情報を募るだけでもかなりの効果が見込めるはず――ただおしむらくは、記憶を頼りに書いたのでバッジの絵がそれとなくな形状なのと、絵心がそれほど、という事であった。
(さすがだな城里のやつ。あらかじめ話は通してたのか)
ゴミ箱を探る前に回収されてはと思い、業者に事情を説明しようとしたところ、すでに話が通っていた後だった。
こうなれば後は心置きなく光がゴミを回収して、目立たぬようにバックヤードに集め、その中を確認するだけである。
ただ残念なのは、それが徒労に終わってしまった事だった。
「ま、捨てられていないとわかっただけでもマシか」
散らかしたゴミをまとめ直しプールへと向かうと、ちょうどベルテネットがウォータースライダーから跳びだしてきて水しぶきを上げる。
そして着水した地点を中心に、その周囲を見渡していた。ただ、水の中や排水口を見ているかと思えば何度もスライダーを見上げ、やがてプールから上がると小走りでスライダーの階段に向かって行く。
「……楽しかったみてぇだな――ん?」
一連を眺めていた光が、スライダーから流れてきたバッジのような物に目を細めた。
少しの間、流れるそれを見ていた光の視界に、スライダーの階段から降りてくる千里の姿が見える。
千里も光の姿を確認すると、指で光を招きよせ流れ着く可能性のある範囲が細かに記入されているパンフレットを見せた。
「この範囲を重点的に捜せってことか。闇雲に捜すよりかはまだいいな、助かったぜ」
記載されたそれを受け取った光が、最初から逸れている千里の視線の動きにつられ、光もその視線の先を追うと下を見ながらうろうろしている理恵を発見する。
「黒松、少しは休め。体力かなり消耗してるだろ」
光が声をかけ、そこで初めて理恵は顔をあげ「千里君、地堂君」と2人に気付く。
「飯、食ったのか?
いったん休憩だ。皆の報告聞くついでと思えば、時間無駄にしてる感覚ないだろ」
カロリーブロックとスポーツドリンクを手に理恵へと歩み寄る千里――そして一歩引いて踵を返す、光。
(黒松の事は城里に任せておけば大丈夫だろ)
チクリとする胸を叩きながら、光はプールへ飛び込むのだった。
(かわいそうだものねェ、なァんかねェ。おにーさん、ワカモノが困ってるのに弱いのよねェ)
そうは思うが、プールをちらりと一瞥して首を横に振る。振られた頭に対して遅れて動く、カツラ。自分がプールに飛び込めば、水の上に黒いクラゲが浮かぶとよくわかっているだけに、入りたくはない。
「……ってことで」
ヒリュウにプラカードをぶら下げねり歩くゲルダのその後ろについて歩く、ヒリュウに興味津々で触ろうと飛び跳ねる子供達へ嵐澄は声をかけた。
「やァ、元気だねボクたちィ……よかったら、ちょっとバイトしてくんない?」
子供達は不審者を見る目つきを向けるが、どんどんずれていく頭部に誰かが気付きそれが凄い速さで伝わって、子供達の目はすぐ危うげな頭部に釘付けになる。
そして「遊びながら出いいから、捜してくんないかなァ」のタイミングで堂々とずれを直す様で、子供達は一斉に噴き出し、声を立てて笑う。
つかみはバッチリだ――意図はしていないが。
「……実はねェ、そのバッジはあるおねーさんの宝物なんだよォ。泣きながら捜してるんだって、可哀そうだとおもわなァい?」
(持っていたら、楽なんだけどねェ)
拾って自分の物にしてしまっている可能性を考慮して少しだけ事情も話したのだが、子供達は顔を見合わせるばかりで持っていそうにない雰囲気を嵐澄は感じ取っていた。
ならば、最終手段。
「あとでアイス買ったげよォ……そうそう、見つけてくれた子にはヤキソバとタコヤキもおごっちゃうよォ」
その言葉は絶大で、子供達の目が輝き――
子供Aは仲間を呼んだ。子供Jが現れた。
子供Bは仲間を呼んだ。子供Kが現れた。
子供Cは仲間を呼んだ――と、どんどん子供達が集まってくる。その目は確実に嵐澄を狙っている。
嵐澄の頬に汗が伝うが、もうこうなったら腹をくくるしかない。
「じゃあみんな、頼んだよォ」
理恵の姿に変化し水で作り上げたバッジのサンプルを腰につけた常久が雅共々、他の人に聞いて回る。
「なあ雅よお。お前さん、理恵の事をどう思ってんだ?」
「……そうだな。以前は男女のそれとは違う『好き』だと思っていたが、最近、そうではないのかもしれないと思い始めている所だ。
といっても言う気は一切ないし、私は理恵を大事にしてくれる誰かと理恵が付きあってくれるなら本望だと思っている」
「言う気はねえか……枯れた男の言葉だがよ、言っとくぜ。
言わない後悔はあとで必ずやってくる。それは言った後悔よりもずっと、尾を引いてな」
それは経験からかと聞きたくなった雅だが、この男は自分の過去を決して語ろうとはしないと思い、開きかけた口を閉じた。
自分の痛みを他人に分ける事をしないそんな男だと、そんなイメージを雅は抱いていた。
少しの間、沈黙。
そしてふと、アニスとエニスが理恵と千里に合流しているのが見えた。
千里がエニスから、アニスから送ってもらったリボンを受け取り――それを放り投げるふりを見せる。何やら叫ぶエニスに、千里は投げたふりだけだとアピールするように返そうとするが、先にエニスの拳が油断しきっている千里の腹に突き刺さっていた。
握り拳を震わせしゃがみ込んだ千里を見下ろすエニスに、笑ったままなだめすかすアニス。
「……こっちの双子は似ていないものだな」
「なんだ雅、双子の兄弟姉妹でもいるのか?」
あまり表情を崩さない雅だが、あからさまにしまったという顔をする。
「ま、妹がいた――もう何年も会えてないがな」
長い休みのたびに帰省している雅だが、会えていないというのはどういう事か。先ほどの雅同様に気にはなったが、答え難い事だろうと常久はそれ以上の言及を避け「儂はちょっと向こうに混ざってくる」と言い残し、理恵の元へと向かっていった。
「地堂君、少し休憩したらどうかな」
プールサイドから実月が声をかけると、光の前にスライダーから跳びだしてきたベルテネットが着水した。
この光景を見たのは何度目だろうかと、光の脳裏に浮かぶ。
「……あんたもそろそろ休憩したらどうだ?」
「――失礼しました。そうですね、そうしましょうか」
多少照れたような顔を見せるベルテネットがこの場から逃げる様に、すいすいと泳いでプールサイドへ。
ベルテネットと違いゆっくり歩く光がプールサイドから上がり、待っていた実月へ「先行っててもよかったんだぜ?」と振るが、とうの実月は自分の手を合わせ、指をもじもじさせて顔を真っ直ぐには見ないし、答えない。
そんな姿を目撃するヒリュウが、主人の元へと帰っていった。
光と実月がベルテネットと2人の理恵がいる所へと戻ってくるが、何やら千里がうずくまっている。
「……これが『たいせつ』という感覚だ。当たり前にそこにあり、無くなるなんて想像もしていなかった物の喪失感だ。
物でないならアニスにとってエニス、エニスにとってアニスだな」
「おっと、足が滑りましたー!」
心配そうに覗き込む理恵の横から、ゲルダの華麗なタックル(しかも膝裏に腕までまわして)が炸裂し、しゃがみこんだままの千里に理恵が覆いかぶさるように倒れ込んだ。
「……にゃろう。ごめんね、千里君」
「いや……」
肩に当たる柔らかい感触、耳元に息が吹きかかるほど近い所から聞こえる理恵の声に、千里は脳裏で平常心という言葉を何度も唱える。
(気づくな。俺――)
事の発端であるゲルダは2人をほったらかしで、早々に立ち上がるとアニスとエニスに向き直る。
「母曰く『愛とは相手を理解し気遣う事……私も彼女に色々したものよ(じゅるり)』と言っていました。
いいですか愛の伝道師として、今のはお手本です」
いけしゃあしゃあという言葉が理恵は思いついたが、何も言わない。突き飛ばされた恨みはあるが、嫌な感じはしなかったからだ。
それどころか、ちょっとだけ――嬉しかったりもした。
ベルテネットがアニスとエニスの前にしゃがみ、理恵に聞こえない様に少し声のトーンを落とす。
「今、城里さんがおっしゃった事に近いのですが、私は恋を抱いたことも失ったこともありませんので、想像になりますけれど……
理恵さんがこうして捜してるのは『恋を抱いた』という思い出を、大切にしたいのではないかと。失ったりとはいえ、それは確かに自分の人生にあった時間ですから」
2人の顔を交互に見て、続ける。
「例えば、アニスさんとエニスさん。2人が仮に離れ離れになって、もう二度と会えないとしても、お互いのことは忘れないでしょう? 恐らく、そんな感じなのではないかと。
――それとも、あるいは」
理恵の顔をちらりと。
「失ったものに対する未練がある、のかもしれませんね」
(と言いましてもすでに次の感情があるように見えますし、これはないかもしれませんね)
「黒松さんは多分バッジを失くしたこと自体に慌ててるというより、そのバッジと一緒に好きだった人との思い出まで流しちゃいそうな気がして、それが嫌で、悲しくて、捜してるんじゃないかなって思うんです」
「物が無くっても想い出は消えねぇよ」
常久の言葉が割り込み、実月はその言葉を頷いて肯定する。
「もちろんそれを失くしたからといって本当に思い出が消えるわけじゃないんですが、その思い出が大事であればある程、少しでも失くすイメージをしちゃうと怖いですよね……捜すのに必死になるのも当然です。
なのでアニス君とエニスちゃんには、人間にとって思い出っていうのは大事なんだよと伝えたいです。恋する相手は誰でもいいわけじゃなくて、奇跡的な確率で出会えた想いを寄せる相手にするものだから。
そんな奇跡が生んだ恋の思い出はそう簡単に見切りをつけたり、捨てたりは出来ないんだよ、と」
2人の頭をなでる実月が、皆の注目を浴びている事にハッとして顔を赤くする。
「うぅ……これ、なんだかものすごく恥ずかしいこと言ってる気がします……!」
「いや伝える事は悪い事じゃないんじゃねえか?」
恥ずかしいと感じていない光が首を傾げると、その背後から本日二回目のゲルダ華麗なタックルが炸裂。実月もなぜか双子が突き飛ばされ、たたらを踏んで光の腕の中へ。
「すすす、すみません!」
「なんで謝るんだ?」
赤くなって慌てる実月と、本当に何故かわかっていない光が首を傾げる。首謀者は親指を立て、共犯者共々逃げ出すのであった。
「ホント油断できないね……」
理恵がそう漏らすと、後ろから誰かにつつかれる。
振り返ると見覚えのない女の子が。それも手にはバッジを持っている。
「あの人が、返してあげた方が良いって……」
あの人――アイスコールを続ける大勢の子供に群がられている嵐澄を指さす少女。ただ、返すというワリにバッジを強く握りしめている。
(見切りを付けたり、か。想い出を思い出にして伝えるなら――)
理恵がしゃがみ、その子の手を取ると微笑んだ。
「それ、お姉ちゃんの大事だった物だけど――あげるよ。大事にしてね」
パッと顔を輝かせる女の子の頭をぐりぐりと撫でて、すっきりした顔の理恵が立ち上がる。
「みんな、なんかごめんね――さ、なんか食べよっか!」
【恋戦】想いと思い出と 終