『花を刺繍に見立ててですか、ロマンチックですねー。
しかも夜にしか咲かない花っていうのも、素敵です……頑張っておじいさんの望みを叶えてあげたいですね!』
「――って、思ってたんですけどねー……」
ホロリと涙しそうになる古庄 実月(
jb2989)が周囲を照らし、ホイッスルを吹きながら暗い山林を歩いていた。
だいぶ意気込んでいたのだが……蜂の数に驚き、慌てて逃げた結果がこうである。
立ち止まり、方位磁針を凝視しつつ眉間にシワを寄せ、うろ覚えの地図を必至に思い出そうとする。
「確か、あっちであっているはず……」
自信なさげに再び歩き出しながらも、ホイッスルを吹き鳴らす。
(遭難した時に有効だって聞いたので、ホイッスルを持ってきて正解だったかも……)
誰かが気付いてくれることを祈りつつ、歩き続けるのだった。
山林を駆けまわる、レインコートを着て面を付けたやや体格のいい少年。
後ろを振り返り、やがて立ち止まると耳を澄ませた。――聞こえるのは、微かな笛の音くらいである。
面を取り、額の汗をぬぐう地堂 光(
jb4992)。
「蜂は撒けたが見事にはぐれたな、こりゃ」
ハルバードを上に向け、軽くひと薙ぎ。伸びる光の波が枝を切り落とすと、空から月の明かりがほんの少し差し込んでくる。
そしてアウルで構成された天使の翼を広げ、跳躍――木を何とか飛び越えるくらいの高さで、ぐるりと辺りを見回した。
「さすがに木の背丈も高いな――ん、あそこ辺りが怪しいか」
暗くとも、ぼんやりと月明りで木の輪郭くらいは何とか見えるため、少し開けた場所があるのがわかった。
あまり長くもたないその翼で地上に降り、方位磁針で進むべき方向をしっかりと確認。それからフラッシュライトで周囲を照らす。
「さ、行くか……爺さんを直前で預けといた黒松も、無事だといいんだがな」
気休め程度だが念のため、発煙筒を焚きながら、ホイッスルを口に、光は歩き出すのであった。
(……おい、いくらなんでもはぐれすぎだろ)
城里 千里(
jb6410)がそっと、闇に隠れて溜め息をつく。
その直後にエニスが現れ、Vertenette Hautecloque(
jb8543)が手短に経緯を伝えると、返事も待たずにエニスは駆け出すのだった。
(あなたたち、だと?)
その口ぶりに久我 常久(
ja7273)は疑念を抱いたが、それについてとりあえず今は問いたださない。
(とりあえず、はぐれちまったあいつらが心配だな)
理恵から預かっていたランタン型ライトで闇を照らし見渡しても、濃い闇が見えるばかりである。
阿手 嵐澄(
jb8176)が「たぶん、向こうで会えるっしょ」とエニスを追いかけ始めたので、ゲルダ グリューニング(
jb7318)、ベルテネット、常久、そしてはぐれた誰かを気にかけていた千里も、やがて駆け出す。
(蜂に襲われるとわかっていて、放りだすわけにもな)
そこで、はたと気づいた。
「なんで、エニスがそれを知っている?」
疑念と同時に答えも閃く。速度を上げ、ゲルダと併走するエニスを追いかけた。
「お爺さんも心配ですが、黒松さんが付いているなら大丈夫と信じたいです。
ですから、ついて行かせていただきます……この私の方向感覚を、舐めて貰っては困りますね」
「――アニスと合流したみたいね」
走るエニスが明後日の方向を向きながら、そんな言葉をポツリと漏らすが聞いてないゲルダが、声のトーンを落として顔を近づける。
「それよりも、エニスさん。蜂に襲われないコツってなんでしょう」
「あなたたちじゃ、どうしようもないわよ」
「アニスも来てるのか。この蜂はお前らの?」
「……違うわよ。あんな強面なやつなんか、欲しくないもの。
昔に誰かが、人を踏み込ませないためにばらまいたんでしょ」
会話を聞いていた千里が普段の口調で聞いてきたためか、エニスもごく普通に答えてきた。
(こういう点では、アニスの方が利口だな)
すぐ近くで常久も聞いていたのだが、気づかれているそぶりはない。
黒い服でかつ、自分の気配を押し殺し、その巨体には見合わぬ軽やかさで足音もあまり立てずに走っているせいである。
「そうか……で、さっきの言葉からすると、黒松と爺さんはアニスと一緒で、アニスのところには出ないのか?」
普段自分から喋らないが、妹と話す感覚なのか比較的饒舌な千里。
「アニスってば、羽音が嫌いだからってそういうルートを作ったのよ。だから、アニスの通る道には出ないわ」
それを聞き、千里は少しだけ安堵する――のは一瞬だけ。すぐ、いつもの不機嫌面に戻る。
「……はぐれた奴は痕跡を探して、合流してもらうしかない。あっちなら蜂の心配はないし、こっちも俺達が全部倒せば問題ないでしょ。
俺達はエニスについていくが、襲ってきた蜂は、別に倒してしまっても構わんのだろ?」
「好きになさい」
(誰かを心配してる? 少なくとも、誰かに何かを想っている気がするんだがなぁ)
千里の態度に思考を巡らせる常久の耳に、根を踏み蹴飛ばす音が飛びこんでくる。
「わわっ!」
ゲルダの慌てる声。
躓く可能性を頭の片隅に置いていただけに、常久はとっさに腕を伸ばし、転びそうになったゲルダの手をつかんで引っ張り起こす。
「助かりました」
「おう、気ぃつけろな?」
この時、嵐澄はというと、エニスと距離を置きペンライトで行く先をぼんやりと照らしながら進んでいた。
「つらいねェ。おにーさんの頭ぐらいじゃあ、夜道も照らせないなんてねェ」
「あまり落ち込まないで下さい。きっと役立つ日もあります」
ベルテネットのややずれたハゲましに、救われたわけではないが、嵐澄は「あるといいねェ」と、シニカルに笑うのだった。
――と、進行方向と別の方角を凝視する。
「蜂の『羽音』が聞こえるねェ。ちょっと見てくるよォ」
違う方向へと、1人走りだす嵐澄。
距離にして10mくらい進んだだけだが『羽音』が数を増やし、威嚇するかのように激しくなっていった。
音に注意していた嵐澄が、足を止め、ほんの少し上半身をのけ反らせると、すぐ目の前を小さめの物体が通過する。
ペンライトで羽音が激しい樹を照らし、じっくり観察。
その頼りない光源を、徐々に上へとずらしていくと――あった。
「立派な蜂の巣だねェ。でもこの距離なら威嚇するだけで、襲ってこなさそうだねェ」
樹までおよそ10m。蜂は姿を見せるが、最初に通過したっきり、それ以上こちらに来ようとしない。
後ろに引き返し、音を頼りに皆の後を追いかける。
「おーい、お嬢ちゃーん! ランスおにーさんも連れてってよォ」
黒く輝く霧を纏わせ、半泣きの実月が森の中を全力疾走していた。
「来てる来てる来てる、ふえぇぇぇっ!」
運が悪いのか、美月は蜂の軍勢に追われていた。正しくは、軍勢を撒いたかと思うと次なる軍勢に遭遇している――そんな感じである。
群生地への方角にばかり気を取られ、蜂の巣を探していなかったり、笛を吹いて威嚇にも似た行為をしているせいだったりするのは、きっと気づいていない。
――と、視界が突然、煙に覆われる。
「伏せろ」
煙の中から手が伸び、美月は頭を掴まれては煙の中に引きずり込まれ、身を低くさせられる。
美月の頭に手を置いてしゃがんでいる光が、蜂との間に割り込み、庇いながらも息を潜めていた。
相手が天魔であるからには、あまり効果はないはずなのだが―それでも蜂は煙の中に入るのを嫌がったのか、敵に興味を失ったのかわからないが、その羽音は徐々に遠ざかっていく。
「――行ったな。たまたまあいつらがそういう性質なのか、こいつが効いてくれて助かったぜ」
「あっと……ありがと」
「仲間だ、庇うくらいはするさ。
さ、笛の音がしたからこっちに来たんだが、目的地のルートから少しそれちまったな。戻って先を急ごうぜ」
実月を立たせ、あとは特に気を使うわけでもなくずんずんと進んでいく光。その後ろを、実月がちょこちょことついて歩く。
そのうちに光が立ち止り、薙ぎ倒されている草の状態を見て首を傾げる。
「あれ? 誰か槍使う奴いたか?」
「あ、それなら――」
「あや、その声は地堂君に古庄さん?」
小さくぼんやりした光が見えたかと思うとやがて、槍を手にした理恵がやってきた。足下にはアニスもいる。
光としてはアニスや理恵よりも先に、理恵の手にある槍に目がいった。
「あぁ。あんたの武器、俺と同じで槍だったんだな……爺さんは無事か?」
「……お嬢さんのおかげで、無事だよ」
理恵の背中から聞こえる弱々しい老人の声に、ひとまず胸をなでおろす。
「後は俺が背負っていく、貸しな? 部長らしく部員に指示出しゃいいのさ、代わりに背負いなさいってな」
「う、助かる……そろそろへばってきた所だったのよね。今、蜂に襲われたらやばかったかも。
元々は姉さんからの依頼だけど、こんな事になってごめんね」
「元々黒松の姉さんからの依頼なのか。相変わらず、お互いに難儀な姉を持って大変なようだな」
2人して苦笑する。
結局、光が背負い、先を目指すのであった。
暗い中でもはっきりと見えている千里が、2丁の銃で飛んできた蜂を撃ち落すと、エニスが感心する。
「あんなに小さいのに、当たるものね」
「そりゃ兄ちゃんたちは撃退士だからな、これくらいは余裕だ」
エニスが前を向いている間に、かなり注意を払っているからこそだが。
蜂の行動範囲を理解した嵐澄が、耳を頼りに「ちょっと右によろうかァ」などと指示を出すおかげで、襲われる確率がぐっと減ったというのも大きい。
「その先は、ちょっと危険だねェ。たぶん巣があるよォ」
耳で先に察知した嵐澄が、巣がある進行方向のちょっと斜め、そこへ思いっきり香水を投げつける。
砕ける音――その直後、誰もが聞こえるほどの羽音の軍勢が一斉にそちらへと向かうのが、はっきりとわかった。
「昔読んだBE‐PALに、『ハチは香水つけてたら襲ってくる』とか書いてあったんだよねェ」
「あいつら、普通の蜂よりも全てが敏感になってる分、よく効いたみたいね」
走るエニスが緩やかに速度を落として嵐澄と並び、「やるじゃない」と褒める。
「まー、おにーさんは姑息だから、色々考えるんだよォ――どうやら、ゴールのようだねェ」
急に視界が開け、月明かりが降り注ぐそこに、白い花がゆるゆると開き始めていた。
到着するなり、三脚とカメラの用意を始める嵐澄。
出発前に「まーァ、ロマンチックなことォ。おにーさん、割とそうゆー話も好きよォ」と言っていただけに、わりと乗り気のようであった。
「待つ間に、男性達にも着替えてもらいましょう。花婿もそろって完成ですので」
白、もしくは黒のダブルのスーツを荷物から出してくるゲルダが得意げに、「『愛には形も大事よ。私も彼女に色々と愛の贈り物をしたわ』と母も言ってました」と語る。
「わしは自前のがある! どうよこのタキシード!!!中々ワシのサイズに合った物が無くて大変だったんだからな!」
得意満面の常久だが、山林を歩いていたせいで少しよれている――本人は気にしていないが。
「お前らも写真、撮ってやろうか?」
蜂避けに着ていたコートを脱ぎ、火照った体を夜風で涼ませていた千里がエニスに話しかけると、ゲルダの目が輝く。
「衣装を変えての観賞も、おつな物ですよ」
たまたまなのだろうが、荷物の中からエニスとアニスも着れそうな子供用のスーツとドレスを引っ張り出した時。
「エニスー!」
「あ、みんなもう来てましたか」
アニスはエニスと、実月はベルテネットと手を合わせ、お互いの無事に喜んでいると槍を手にした理恵、それに老人を背負っている光も到着する。
すぐに実月が樹にロープをかけ、布を渡した簡易更衣室を作り上げると「覗いたら封砲の刑ですから」と釘を刺し、実月に続き、理恵とベルテネットがそちらへ側へと移動する。
「見るな! っていうのはフリだろ? ワシ知ってる」
気配を断ち忍び寄ろうとする常久が、生贄用なのか嫌がる千里の首に腕を回し、近づいていく――と。
「ああっ躓いてつい2人にぶつかってしまった、これは不可抗力ー」
白々しいゲルダが全力のタックルで常久の背中を押すと、前につんのめった常久がカーテン替わりの布を掴み、引き落してしまう。
しかし、そこにはまだ着替えず、ジト目で見下す理恵と実月の姿が。
「ね? 少し待って正解だったでしょ?」
「ですねー……」
アウルが溢れ出る武器を、実月は振り上げるのだった――
「ドレスなんて普段あんまり着ないんで、ちょっと恥ずかしいですけど……」
白いドレスに着替えた実月が、少し恥ずかしげに、それでも笑顔で更衣室から姿を見せる。それに続いて、理恵、ベルテネット、ゲルダ、アニスと次々に。
いつもと違った新鮮な姿――それに千里は息を飲み、絶句していた。
「なかなか似合うじゃねぇか」
ぶっきらぼうだが光の素直な褒め言葉に、そう言われ慣れているわけではないだけに、実月は照れていた。
「どう、千里君」
やや意地の悪い笑みを浮かべた理恵が、千里の裾を引っ張り意見を求めるのだが。
「あー似合います似合います」
内心がどうあれ、棒読みで答えるのだった。
もっとも理恵もそれは予測済みだったのか、気にする様子も見せず、ゲルダから借りたタキシードを渡そうとする。
「じゃ、これ着て一緒に写ろ?」
「……俺と撮ってどうするんですか、ね」
今にも溜め息が出そうな千里を、常久がちらりと見ていた。
(冷めた態度だ……何を諦めた?)
千里の背に蘇った思い出が重なり、くっと苦笑する。
そして正面に向き直り、ベルテネットへ「わしとどうだ?」と、ずいぶんボロくなってしまったタキシードで胸を張る。
理恵と千里が撮った後に、常久とベルテネットが撮る――絵面的に、娘とお父さんにしか見えないが。
一方、実月が誰かをどう誘おうかうろうろしていると、光の方から声をかけた。
「どうせ何かの縁だ。一緒に写るか?」
本人の自覚がないちょっとした優しさ――実月は「よろしくお願いします」と、光と一緒に写るのだった。
「残るはおにーさんだけど、いいかなァ?」
「あ、よろしくです――アニスさんとエニスさんも、ご一緒しましょう」
「構わないわよ? ね、アニス」
「うん、エニスがいいなら、いいよ!」
こうして嵐澄とゲルダ、それにすまし顔のエニスにお気楽なアニスも一緒に、1枚。
「――ありがとう、ありがとう……」
写真を撮り終えた老人は涙しつつ、何度も何度も礼を述べるのであった。
老人の願いがかなった――それを実感しているうちに、エニスとアニスはいつの間にか姿をくらましていた。
月夜の下、闇に浮かぶ白い刺繍は美しい花嫁達を祝福するように咲き誇り続ける。
きっとこれからもかわらず、ずっと――
【恋戦】花よ花嫁よ【FD】 終