「北海道ってこの時期に桜が咲くのな」
そんな妙な感慨を抱き、桜を見上げていた城里 千里(
jb6410)だったが『らしくない』理恵に訝しむが、すぐ頭を振っていた。
(らしくないって、何だよ……)
「母の日……私の母は、私が幼い頃にいなくなってしまっておりますから……母にプレゼントを贈ったことはありませんね……」
寂しそうな顔を見せるVertenette Hautecloque(
jb8543)へ、ハッとしたような顔を向ける理恵。
母という単語で、どことなく寂しげな雰囲気を炎宇(
jb1189)も見せていた。
(母……か、どんな人だったのだろうな。見目麗しくなくともいい、優しい女性だったら……いいなとは思うがな)
思い返そうにも、親の顔すら知らない。ただ出てくるのは、貧民街の皆の顔だった。
皆が父であり、母である、大事な家族。
そんな家族を失った日から、こういう記念日には本を一冊買い、瞑想にも似た読書をする習慣があったのだが、今日はその予定を変更してやってきた。
「偉いな、アニス君は。おーし、オジさんに任せとけ!」
「アニスでいいよ、オジさん!」
子供の為となると意外と乗り気な炎宇とは違い、久我 常久(
ja7273)はそうでもなかった。
「母の日ねぇ……そういうイベントも、しなくなっていたんだがなぁ。
アニス、お前さんのお母さんはどんな人だ? プレゼントっつうならその人の好みに合わせるもんだろ」
「エニスはお母さんじゃないよ! お姉ちゃんっていうか、そんな感じなんだ!」
アニスの回答に質問した常久のみならず、霧谷 温(
jb9158)も眉をひそめていた。
事情がやはり、よくわからない――理恵の袖を引っ張り、声を潜め事情を問いただしたが、事情を聞いても、なお眉をひそめたままだった。
(子供2人だけで生きてる……? そんな話、普通にあり得るのかな?)
「んーまぁ母親じゃなくても問題無しだろ、感謝を伝える口実なら誰だって喜んでくれるだろうよ」
「そうですよ! アニスさん初めまして、ですね。贈り物をしたいという心意気や、良しです。
『感謝と愛の気持ちを伝えるのは大切よ。私も毎年バレンタインには彼女へチョコを贈っていたわ』と、母も言ってました」
ゲルダ グリューニング(
jb7318)が手を合わせ、得意満面の笑みで自慢げに話す。ツッコみ処はあるが。
「まーどーでもいーじゃん! 行こーぜ、デートだひゃっほーう!」
ゲルダとベルテネットの背中を、実に嬉しげに押す如月 拓海(
jb8795)。
彼らを、理恵は静かに見送るのであった――
常久の質問から始まり、そこに温が便乗し、エニスの人物像の質問に混じって、現在の生活ぶりを詳しく聞き出していた。
髪が長く気が強そうだけど泣き虫で、口に出さないけど甘いモノ好きな女の子。
今は小さな小屋で暮らしているとか、2人だけで何でもしなくてはいけないこと、ここでは調べ物をしていたなど、子供らしくずいぶん口が軽かった。
だが、それでも。
「何を調べてたの?」
「それはナイショ! エニスにおこられちゃう!」
肝心なことだけは、決して言おうとしない。
(……少なくとも生活ぶりから、あまり普通ではない気配を感じるな)
「アニス君はどのような物をお考えでしょうか?」
ベルテネットがアニスに促すのだが、こめかみに指を当てて悩んでしまう。
そんなアニスの前にしゃがみ、ビーズアクセサリーのクマを見せて炎宇が話す。
「こんな小物はどうだ? 何歳になっても女性は可愛いものが好きとオジさんは思うからな。その……エニスさんは好きな動物とかいるか?」
「うーん……ヒトかなぁ?」
(ヒト、ね)
その呼び方に、決定的な違和感を覚えた温。口には出さないが他にもそう感じている人がいるだろうと思いつつも、今、話す事でもないかと肩をすくめた。
「好きな人にプレゼントを選ぶ基準は『普段使える』『生活の邪魔にならない』『好きな物』の3つだ、と母が言ってました」
(盗撮や盗聴機器が仕込める物ならなお良しとも言ってましたけど、これはきっと考えなくて良いですね)
ゲルダがうんうんと頷く。
「まだ子供だし、相手も子供だから、そんなに堅苦しく考えずにかさばらないものであまり高くないものとかでいいんじゃない?
容器を入れ物に使えるお菓子とか、ちょっとした鉢植えとかさ。後々まで形に残るし」
雑貨店の店先に飾られている物を適当に指さしながら、温も会話に混ざる。
「何かかっちょえーもんとかねーかなー……あ、玩具屋行きてーな玩具屋!」
そんな時、大はしゃぎで玩具屋を指さすのはアニスではなく、拓海だった。
「ロボとかすげーのがあるに違いねー! ア〜ニスー、見に行こうぜー!」
アニスの手を引っ張って、強引に玩具屋へと突入していく。
いなくなってから、千里が大きく一息。
「妹がいるから年下の扱いは慣れているが、6歳とか昔すぎてわからん……」
「もう少し自由にさせて、自分で学ばせるのもいいもんだ」
常久に力強く背中を叩かれ、少しだけむっとする千里だが、あえて何も言い返さない。
(きさくおじさんと素直じゃないツンデレさん……!)
そんな2人に好奇の目を向けているのはゲルダだが、その視線の意味合いに何か怖いものを感じたのか千里がぶるりと身を震わせていた。
「母親にプレゼントを渡そうって奴はワシに聞け! 年的にも近いはずだろう、ちょーっとぐらいアドバイス出来るかも知れねぇぞ!」
「値段的にはそんなに張らないもの、でも日本らしい感じの品物……どんなものがあるのでしょう?
私自身の分も購入しておきたいと思うのですが、日本にどんなものが売っているかまだよく分かっておりませんので」
常久からの助言を求めるベルテネットの前を、玩具屋から元気よく飛びだしてきたアニスが横切り、それを追いかけて出てきた拓海が足を止め、ぽんと手を叩いた。
「あ、そいや母の日の贈り物を買いに来たんだったな。すっかり忘れてたぜ、反省反省。
つっても特別母の日を祝った覚えもねーし、ついでに僕もかーちゃんに何か買ってくかなー」
そしていきなり眉根を寄せる。
「……無難にカーネーションとかか? いやでもここは意表をついて薔薇とかどうよ?」
温へ振るのだが、「どうって言われてもな」と肩をすくめるばかりであった。
(俺の意見もあまり役に立ちそうにないし、少し抜けて、俺もついでに花でも贈ってやっか)
千里が「ちょっと抜けます」と、誰かに聞こえているかもしれない程度の声で、ふらっと花屋に入ってく。
(あとは手紙に、桜の写真や花びらを押し花にして送ってやれば喜ぶかもな。学園編入の件では俺も気を遣いまくったし、両親にも気まずい思いをさせたままだ)
メッセージが添えられる母の日ギフトの花束を手に取り、 両親の顔を思い浮かべる。
心配を隠し、取り繕っているのがありありと見える笑みを思いだし、自身にも皮肉げな笑みが浮かんでいた。
(……でも俺はどこにいても俺で、今はそれなりに楽しい。元気にやってるくらいは伝えても、バチは当たらんだろ?)
花屋に入っていった千里を目で追い、何をしに行ったのか察した温が少しだけ周囲を見回す。
(俺もなんかついでに――花送ってもしょうがないし……)
そして何かを見つけ「ちょっとだけゴメン」と、向かった先はお土産屋。
そこへ立ち寄って、北海道のお土産として有名なラングドシャを2つほど配達を頼む――それだけで終了であった。
申し訳程度のラッピングとリボン。ただリボンを見ていたアニスが、勢いよく手を合わせる。
「リボン! エニス、リボンとかイロイロもってた! オジさん、さっきのキラキラしたのであんなふーなのってあるかな」
ベルテネットの髪飾りに指を向けるアニス。
「おう、探せばきっとあるさ。ところでアニス、疲れてないかい?」
「うん! だいじょうぶ!」
証明するかのように駆け出すアニスに、目を細めて炎宇が笑う。
「アニスは元気だな。
子供はそれくらいが丁度いいものだが、あまり無理をするなよ。疲れたらいつでも背負ってやるからな」
後を追う炎宇、常久、温の3人。
「買い物終わったらよー、せっかくだし、みんなで桜の下で飯食べよーぜ。もちろん、りえも込みで」
「なら俺、先に部長へ届けに行きますよ」
いつの間にか花屋から出てきた千里が一方的に告げ、後にしようとする――と、ベルテネットに呼び止められた。
「こちら、私からの差し入れをお届け頂けると嬉しいのですが……」
道すがら買っていたクロワッサンとステンレスボトルの入った紙袋を、千里へ見せるように顔の前でかざす。
それを「了解」と短くぶっきらぼうに言い放ち、受け取るなり振り返る事無く来た道を戻って行くのであった。
「お花見なら、お菓子は必須ですよね!」
「よーしよし、僕と一緒にそっちの買い物に行こうか!」
これ幸いと女の子達と一緒になって歩きはじめる拓海。一生懸命お近づきになろうと話しかけているのだが、日朝の戦隊物の話とか振っているあたり、少々残念な要素なのだろう――
(やはり、何か違う)
クロワッサンをボトルの甘いコーヒで黙々と流し続けている無表情な理恵の横顔を、千里はただ黙って見ていた。
「ただいまでーす! お花見しましょー黒松さーん!」
ゲルダとベルテネット、それと荷物持ちの拓海が帰ってくる。それに少し遅れて、アニス、炎宇、常久、温達の姿も見える。
「花見じゃーい!」
「オツカレサマです――この毛虫退治って、ここだけで終わりなの?」
「ここだけのようだよ。カップル並木とか呼ばれてて人気のスポットだったようだけど、これじゃあ今年はもうだめだろうね」
(人気スポットをピンポイントで、か。きっと、偶然じゃないんだろうな)
残念そうな顔をする理恵が、突然固まる。
「こちら、いつか母の日に渡せる日が来ると良いのですけどね」
「私は生きてるかわかりませんし、墓前に供えようかと」
取り繕うように笑っていた理恵だったが、ベルテネットが手にしているラッピングされた物や、ゲルダの赤い造花を見て表情をこわばらせる。
それを拓海と千里は見逃さない。
「りえは何か仏頂面してっけど何なの?
……はっ、まさか僕が他の女の子とイチャついてるのを見てやきもち妬いてんだな! 可愛い奴めー、それならそうと早く言えよチューしよ!」
唇を突き出して飛び込むが、ひらりとかわされて足を払われ、ご待望のキスは地面とかわす事となる。
「まったく……」
「……心臓、凍るかと思ったろ。嫌なのか、母の日の話題?」
千里の問いに理恵は答えず、「ちょっとあっちも見てくるね」と顔も見せず、その場から逃げ出す事を選んだ。
(理由まで聞く気はないが、嫌なら嫌で構わないんだけどな)
「あー……なんか変な感じだな?」
理恵の心境や態度は理解できているだけに千里は追う気がないが、逃げるような態度に勘付いた常久は、追かける。
追いついたものの、何故なのか――母の日が関わっているのは、タイミング的に察する事が出来た。だが嫌悪か悲しさのどちらかなのか、拒絶の機微まではわからない。
だからあえて、一番危険であるところを踏み抜く。
「まープレゼントを渡すっていう相手が居ないのも、辛いもんだもんな」
ありありと、理恵の背中がそうだと語っている。
言葉による返事はないが、常久は桜を見上げ、独り言のように呟く。
「『何か』を思いながら、大切な誰かに贈り物をする。それが感謝であるのかは分からんが、当たり前のように出来ている日常に感謝するべきだろう。
最早それが出来ない、したく無い者だって居る。心の底に溜まる汚泥となり蝕もうと、わしではどうにも出来ない」
すぐ目の前の全てにおいて未成熟の少女、そして少し離れて楽しそうにしている少年少女達を真剣な眼差しで一瞥すると、頭を振った。
こんな子供達を戦わせて、いいのか。
一瞬だけ湧き出た疑問だが、子供達の選択肢は子供達のものなのだと自分に言い聞かせる。
「問題は辛く厳しい物程、何度も問い直される。逃げようも無い程に……いつどこでケリをつけるかわしにもわからんが、どちらにせよ内々に留めて置くのはしんどいと思うんだがな」
普段の軽いノリは身を潜め、歳相応に深みのある言葉。
その言葉が届いたのか、それとも理恵もわかっていたのか。振り返ったその表情は、案外明るかった。
「ん、大丈夫。しんどいのなんて、一過性のものだから」
そう言った理恵が、少し困ったような、照れた表情を浮かべる。
「お父さんって、きっとこんな感じなんだろうな」
「りべーんじ!」
追ってきた拓海が理恵の手前で転んだ――と見せかけ、地面を滑りこんで理恵の下へと潜りこみ、クワッとその場で睨みあげる。
「青のフリルで可愛い系――おぐっ!」
問答無用で顔面に両膝が落とされ、息の根を止めそうな勢いで口を封じられた。
「まったくもう……」
すっきりとした顔の理恵が立ち上がると、顔を押さえた拓海が身を起こす。
「少しは気が紛れた? そうやって感情の捌け口でもねーと、潰れちまうからな」
まるでわざと怒らせているような口ぶり。だが事実、理恵自身の調子が戻りつつあるのも確かだった。
だから、理恵は2人に向けて伝えた。
「ありがとね、2人とも」
「アーニースー!」
「あ、エニスだ!」
鬼な形相で向かってくる黒髪の少女へ、にこやかな顔でアニスが駆け寄っていくと案の定、胸倉をつかまれ揺さぶられている。
「あわわわ……エニス、エニス。はい!」
フォービジューとビーズで花をあしらったバレッタを差し出すアニスの顔を、エニスがまじまじと眺める。
「今日はかんしゃしてる人に、プレゼントおくる日なんだって! だからエニスにあげるよ!」
受け取るエニスの顔がみるみるうちにくしゃりと潰れ、ぼろぼろと涙を流す。アニスが頭をなでてあやし、「ちょっとまっててね」と引き返してきては理恵にミニブーケを突き出した。
「これは?」
「きょうのおれーです! ありがとでした!」
うんうんと頷き、入れ知恵をした温がアニスに指を立てる。
「それじゃあ、ばいばいです! オジさんも、ありがとございました!」
腕を千切れんばかりに振るアニスと、頭を下げるエニス。穏やかな目で手を振りかえす炎宇とベルテネットに、エニスからどうにも目が離せないでいるゲルダ。
拓海から見たモノを聞き出そうとしている常久は、2人そろって理恵によって張り倒される。
そして桜を見上げる理恵。来た時に見たのとは違い、広大に見えた。
らしさを取り戻している理恵をただ黙って見ていた千里がくるりと背を向けると、その背中を突き飛ばされ、たたらを踏む。
恨みがましいような千里の視線を受けながらも、理恵は笑顔で皆に伝える。
「今日はありがとね、みんな!」