黒松理恵が走り出すのとほぼ同時に、あんこく(
jb4875)が闇の翼を広げ跳躍。そして空高く舞い上がると、目の上に手をかざして流氷全体を見渡した。
「なるほど、これは広いであるな!」
『それで、どうなんですか? あんこくさん』
ハンズフリーにした携帯から聞こえる古庄 実月(
jb2989)の声に思わずビクッと肩をすくめ、どう返そうかとまごまごしてしまう。
それでもなんとか手短にというか、たどたどしい口調で伝える。実月相手だからというわけではなく、度重なる苦すぎる経験に、女性相手にはどうしても腰が引けてしまうのだ。
「――という事だそうです」
(寒いし海に落ちるの怖いし、大変そうな依頼に来ちゃったなぁ……)
広さや数を聞いて、少しだけ後悔し始める。
(でも今さら言っても始まらないし、黒松さんの言うように早く倒して帰ろう! うん!)
「こちらが包囲されるとアウトだな。位置取りに気をつけつつ、回り込んできそうなヤツから潰すぞ」
実月が全員分用意してくれた滑り止め用のスパイクを靴に装着していた或瀬院 涅槃(
ja0828)が立ち上がり、アサルトライフルを手にする。
(妥当な判断か)
海に目を向け、口にこそしないが城里 千里(
jb6410)も、似たような結論に達していた。聞かれたわけでもないので、わざわざ言う気もないが。
それにいつもと変わらぬ不機嫌そうな目は動かしていないが、すでに向かってしまった理恵を目で追い、少しだけハラハラとしていたりする。
そして一言も口にせず、海を見ている男がもう1人。
理恵ではなく、狼を睨み付けているようだった。並々ならぬ執念さえも感じさせる。
(俺の家族を奪った天魔……とは流石に違うようだが、狼か――傷が疼くな)
頬の傷に触れる、炎宇(
jb1189)。その執念を感じ取り不安げな表情をした実月の視線に気付き、いつもの気のいい笑顔を浮かべ、子供をなでる様に実月の頭に手を置いた。
「緊張してるのか、お嬢ちゃん。オジサンまで緊張しちゃうだろ」
「お嬢ちゃんじゃないですっ! 実月って名前がありますから!」
ふくれっ面を浮かべ、ドスドスと感情をむき出しにした歩調で海へ。炎宇は肩をすくめ、同じく海へと向かって歩く。
海の側では濃い青と白い色で構成された服と手袋を着けた久我 常久(
ja7273)が「うへぇ、さみぃ……」と漏らしながら、足の届く範囲にある流氷をつんつんとつついていた。
「この氷、ワシが乗っちまったら割れちまうんじゃねぇのか?」
「お試しになってみてはいかがでしょう」
おっとりとした口調でVertenette Hautecloque(
jb8543)――ベルテネット オートクロクが提案するのだが「やらねぇからな!?」と、驚いた顔で常久は全力で拒否する。まさか自分の体形を見て、やってみてはという言葉が投げかけられるのは想定外だったらしい。
「さあみんな、スパイクはつけたかな!?」
阿手 嵐澄(
jb8176)が、見ている人が不安になりそうなほど常にずれている自分の相棒に両手を添えると、勢いよく一回転させる。そしてやっぱり、ずれてる。
「はっはっは、おにーさんのカツラみたいにつるつるすべっちゃあ、困るだろォ?」
「各自、自分の取るべきルートは把握したな? 行こう」
涅槃を皮切りに、千里が真っ直ぐ理恵の元へと向かい、助走をつけた実月、炎宇も次々と流氷の上を駆け出していく。そして半歩遅れて、ベルテネットが翼を広げ5mほどまで飛翔して追いかける。
「落ちたらひきあげてやっから、若い奴らでがんばってくれな」
その巨体に見合わずキビキビと素早い動作で、流氷ではなく水の上を走り出す常久。
絡みにくい自虐ギャグを見事なまでにスルーされたランスはふっと笑うと、「神は死んだ! 俺の毛根ごと、な!」と頭の相棒を外す。
きらりと光る見事な頭部が、アウルによってさらに輝きを増した。
「見事な輝きであるな!」
空から戻ってきたあんこくに声をかけられ、ぼっち感を味わっていた嵐澄は少しだけ涙ぐみ「ありがとう!」と強く抱きつく。
訳のわからぬあんこくだが、とりあえず「おう!」と力強い返事を返すのであった――
だいぶ先に突っ走った理恵だったが、1人で狙われ続けてはろくに前に進めず、右往左往していた。
すると銃声と共に氷の飛礫が軌道を変え、海に沈む。
「……部長ー。張り切るのはいいけど、中本先輩にできる報告が『北の海は冷たかっただけ』とか嫌でしょ?」
「う……それはやだけど……」
「依頼が終わったらこのローブ、かしてやらんこともないですし。とにかく前に出すぎないで下さい」
モフモフとした肌触りで、温かみのあるローブをヒラヒラさせる。仲間相手には全くと言っていいほど喋らない千里だが、ずいぶんと饒舌であった。
(索敵範囲より敵射程が長いか)
おおよその位置はあんこくの情報で、頭に入れてある。余力を残しながら移動し、流氷の高低差で射線が通らないと判断すると「今です」と理恵に前へ出るタイミングを伝え、自分も飛ぶと見せかけて飛ばないフェイントをかけつつ、冷静にヘイルウルフとの距離を詰めていく。
時折、足場となる氷が増えたりするのは姿を忍ばせ、水の上を歩く常久が氷を蹴飛ばしてくれているからである。
「潮が速い――流氷の動きに注意するのだな、皆の衆!」
大きな声で叫ぶあんこくだが、それで注目の的になったのか氷の飛礫が一斉に降り注ぐ。
「そんなものに我が当たるか! 愚か者め!」
大仰に後ろへと跳んだがそこにあった流氷は薄く、乗った瞬間に割れて海へと落下。
「ぐおおお! 寒い! ので! ある! 助けて! ほしいので! ある!」
「今、お助けします」
空から砕出されるベルテネットの手に、1度は掴もうとしたあんこくだが、女性の手とわかるや否や硬直し、躊躇してしまう。
その硬直した手をベルテネットが掴み引き上げようとするが、生粋のお嬢様であり、腕力的にも乏しいためなかなか引き上げる事が出来ない。
そこに大きな手がぬっと現れ、あんこくの腕を掴んで引き上げると、雑な扱いだが大きな流氷の上に放り投げる。
「す、すみません。私が非力なばかりにお手を煩わせて……」
「仲間ァ助ける事に、煩うもないってもんだ」
恩着せがましい事も言わずに、常久はその場を後にする。その背を羨望とも取れる眼差しで見送る、あんこく。
やがて寒さに耐えながらも立ち上がると、狼達に指を突きつける。
「お前等のせいである! 我が女に騙されるのも、お前等のせいである! 許さんぞー!」
そんな恥ずかしい事を大声で叫び、ベルテネットに礼も言わず再び氷の上を駆けだす。
残されたベルテネットが、困ったような笑みを浮かべていたのであった――
「その隙を見逃すか」
流氷同士が作る小さな影と、小雪と雲が生み出す薄暗さに紛れ、敵に見つかる事無く真っ直ぐ最短で距離を縮め身を潜めていた炎宇が、あんこくに一斉攻撃を仕掛けたヘイルウルフのの隙をつき、目に見えぬ闇の矢を高速で撃ちだしていた。
完全に不意をつかれ、口から一直線に貫かれたヘイルウルフが力なく流氷から滑り落ち、海へと沈んでいく。
そして自分の乗っている流氷が、もう沈むという頃になってから次の流氷へと飛び移り、来た時と同じ勢いで後退を始めた。
不意をつかれた事で意識が今度は炎宇のいた所へと向けられるのだが、それもまた、隙である。
「悪いけどおにーさん卑怯だからねェ……こーゆー、相手に手が出せない場所からの攻撃、ってのがあってるんだよねェ!」
1人もくもくと外周から回り込んでいた嵐澄がスナイパーライフルで、ヘイルウルフの足場を撃ち砕き、海へと転落させる。それをスコープ越しに覗き込みながら、ランスが薄く笑った。
「ごめんねェ、おにーさん敵には容赦ないのよォ」
2発目の銃声に、ヘイルウルフ達が嵐澄から距離を取るように動き始めると、反対側の外周から回り込み、大きめの流氷の上で膝立ちになった涅槃が構えていた。
「狙わせてもらうぞ、狼諸君」
氷から氷へと飛び移る際に1発で眉間を撃ちぬき、海へと沈めた――と、身を低くし、空いた手を氷に押しつけ体重を乗せると、脚を素早く大きく開く。
その足の間を、氷の飛礫が通り過ぎ去っていった。
「下手に大きく動くと落ちそうだしな。執拗に足を狙うのなら……こういう避け方はどうだ?」
不敵に笑うとそのままの体勢からさらに身を沈め、横へと跳躍。さらに回り込みながらも次の足場へと目指す。
嵐澄、涅槃のいない方へと動き出すのだが、その先には空を飛ぶベルテネットが猫図鑑を片手に待ち構えている。ただ、近寄られそうな気配を感じ取ると後退していた。
「いらっしゃらないで下さい……!」
その声にはありありと恐怖がにじみ出ている。
ベルテネットへ向けて、氷の飛礫が撃ちだされた。それを上昇でかわすのだが、その上昇した先に顔を向けているヘイルウルフがいる。
ヘイルウルフの後ろにいてそれにいち早く気付いた常久が、声をあげていては間に合わないと流氷を殴りつけた。
鈍い音と激しい水飛沫をあげ直立した流氷に氷の飛礫が直撃し、流氷が砕かれる。それでも飛礫は飛んでいったのだが、勢いが無く、ベルテネットに届く前に失速して落下を始めた。
「目の前で女に、怪我させねぇよ!」
片刃の直刀をヘイルウルフへ、振り下ろす。致命傷にはならなかったが、刃が深々と影に突き刺さり影を縫い止めた。
そして狙われる前に気配を薄くして退くと、そこに猫の幻影が飛びかかりヘイルウルフの喉に噛みつく。
「たびたび申し訳ありません」
「気にすんな、ベルテネットちゃんよ! ほらほら、まだくるぞ!」
次々に飛礫を飛んでくるのだが、それは空中で弾け角度を変えた。
「ランスおにーさんは、こういうことできるんだよォ」
「これくらいの事、造作もない」
(俺もできるんですけどね)
嵐澄と涅槃と千里が、軌道を逸らしてくれたようである。
「ありがとうございます、皆さん」
「何、手助けをするのは当然の事だ。大切な仲間の為なら尚の事」
さも当然という笑みを向ける涅槃。そんな涅槃の頭部を、なまあたたかい目で見る嵐澄。
(若いっていいねェ……)
どんな意味合いかはともかく、どちらにせよ戦闘中だというのに違う方向へ想いをハ――はせていた。
「わっと!」
追いついた実月が、氷から氷へと跳躍した先で飛礫の直撃を受ける――ところだったが、斑鳩でギリギリ受け止めていた。
しかし足下が不安定になり、落下しそうだった所を理恵が槍の柄で留めると、炎宇が引っ張って体勢を立て直させる。
「あ、ありがとうございます」
「落ちたら悲惨だしね」
ニッと笑う理恵の視線の先には、ずぶ濡れのままロングボウを構え移動を続けるあんこくの姿が。思わず2人して笑ってしまう。
不慣れでまだ不安を引きずっていた実月だったが、身体の強張りが取れていくのを感じていた。
だがそれとは逆に、炎宇からは身体を強張らせどす黒い感情をむき出しにしてヘイルウルフを睨み付ける。波止場で見せたそれよりも、はっきりと感じ取れた。
「お前達自体に恨みはないが今、俺は自分を抑えられそうにない……!」
マビノギオンを手に、ヘイルウルフへと向かって行く炎宇。距離を取るあたりはまだぎりぎり冷静さは残っているが、正面から闇雲に向かっていては危険極まりない。
お互いに距離を縮める事無く撃ちあいになれば、単純に数で負けてしまう。
しかも今は囲い込みによる包囲で、ヘイルウルフ達は密集しつつある。
覚悟を決めた実月が敵陣へ向けて走り出そうとする――が、その肩を理恵が掴む。
「泣きそうなほど怖いなら、行かなければいいのに……」
「ち、近づかないと私って結構役立たずですし、みんなの援護を信じてますから!」
「それならまず、援護に頼らなきゃね」
千里に目配せすると、理解したのかヘイルウルフ達の足元を撃ち威嚇して自分に注目を集め、氷の位置に目を配りながら大きく高く跳躍する。
「ほら、行くなら今!」
理恵に手を引かれ、実月も気を取られている群れの中へと移動を開始した。
そして千里が一斉に狙い撃たれる。いや、撃たせたのだ。
わかっていれば避けやすいと、身体を捻り、上手くかわしつつも流氷に着地すると、すぐに次の氷へ跳躍。敵の注目を一手に引き受けてしまったからには、しばらく休む暇などない。
(やれやれ、人使いの荒い部長だ……)
「援護するから、おもいっきりやるんだねェ」
「お前を信じよう。だから、お前は俺を信じろ」
嵐澄が氷を砕き移動先を減らし、涅槃が実月の侵攻に気付いたヘイルウルフの頭部を撃ちぬく。
「わ、私もがんばります」
千里に意識が向いているヘイルウルフへ、ベルテネットが猫図鑑から飛び出てきた幻影を飛びかからせる。
「がんばれ、わけぇ奴ら!」
次々と流氷を蹴って、実月のための道を作る常久。
「お前ら、滅びやがれである!」
『くたばるんだな……』
激昂するあんこくが矢を放ち、思わず広東語がでてしまった炎宇からは生成された魔法の剣が撃ちだされていた。
「このチャンス、逃しません!」
距離を詰めた実月が、曲線的に斑鳩を振るうのであった――
「お疲れ様でした、皆さん……足手まといになってしまい、申し訳ありません……うぅ、怖かった……」
「気にするなって! こうして美味いコーヒー出すだけで、いい仕事してるじゃねえかよ!」
毛布を渡し、コーヒーを受け取る常久に「ありがとうございます」と頭を下げる。
「わしのしゅがーますくに、惚れてもいいんだぞ〜?」
「そこは申し訳ありません」
一蹴される様子に、あんこくがうんうんと頷く。
「残念だったね、久我さん」
「理恵ちゃんが慰めて……」
「断固拒否」
きっぱりと言われて、落ち込む様子を見せる常久の肩をポンとあんこくが叩く。
冷たい風が吹き、理恵が身を震わせると千里がローブを肩にかけてやった。
「約束してましたし……いや、俺がついてながら風邪引かせたとか、若林先輩に怒られんのが嫌なだけですからね?」
どういう弁明だとは思いつつも「ありがと千里君」と笑みを向けるのであった。
涅槃は腰に手を当て、炎宇と共に流氷を眺めている。その背中を、実月はじっと見ていた。
落ち込んでいた常久かと思ったが、復帰は早かった。
「さ〜て、終わったな。さみぃしどっか店でも入ろうぜ! 北海道って何が美味しいんだ?」
皆が和気あいあいとしている中、1匹にマーキングを施してわざと逃し、その後をつけていた嵐澄。
すると2人の子供の前で止まった。しかも翼が生えている。
(天使の子供……ちょっとおにーさん1人では荷が重いかもしれないねェ)
狼を撫でて労うと、2人はまたがり走り去っていく。
それを嵐澄はずっと、ただ見ているしかなかった。
「……あやしいにおいがプンプンするんだよねェ」
【恋戦】育む心に試練あり 終