(参ったな……)
そんな目をした地堂 光(
jb4992)と顔を見合わせ、城里 千里(
jb6410)は部室の戸にかけた手を離す。
光が千里へ「どうする?」と声には出さず問いかけると、指を1本立てて「1分待て」と、こちらも唇だけを動かし、タイミングを見計らっていると、背後から伸びてきた太い腕が2人の首に回された。
「なーに躊躇ってやがるよ」
久我 常久(
ja7273)が腕を首に回したまま器用に足で戸を開けると、もがく2人を引きずりながらずんずんと進む。
「よーう、邪魔するぜ!」
「常久か……今のを聞いていたのか?」
「ああん? なんだ?」」
雅がじっと常久を見ている間に光は力技で腕から抜けだし、自力脱出はとっくに諦めた千里は常久の腕を掌で叩いて外せと無言のアピールを繰り返していて、雅は肩をすくめるのだった。
理恵が3人に向けて、手を合わせる。
「ちょっと今、アニス君がふさぎ込んじゃっててさ。どうにかしてくれないかな? 報酬は……うちでの晩御飯って事でどうかな」
「おーう、マジで! ワシ絶対行く!」
常久が手を叩いてはしゃぎまわり、解放された千里は乱れた髪を軽く手で直しながらも気の抜けた表情を浮かべ、ポケットの中で2枚のチケットを握り潰す。
「部長命令とあらばってな」
どことなく、ほっとした顔。まるで、一大決心していたものの肩をすかされて、言わなくてもいいという安堵の表情である。
そして逃げるように出ていく千里だが、涼子の前で足を止めた。
「あんた、こっち側の人だったんスね……んん? いや、違うか……?」
「どうした」
「いや、前、迎えに来た人かと思ったけど、雰囲気が近いだけで全然違うか。軍服ワンピースの人なんですけど」
話を聞いた途端、涼子の表情が強張るのを千里は見逃しはしない――が、だからといってわざわざ藪はつつかない。
「その人はあの真宮寺 涼子特別講師だぞ」
「……それは失礼しました、真宮寺先生」
頭を下げ、そのまま滑るように部室の外へと出ていくと、光が「場所はメールで教えてくれ」と理恵に伝え、追いかけていった。
「でもよ。どうしたってんだ?」
「とぼけたが、聞いていたのだろう?」
「……ま、最早裏切ったとみなされているのであれば、天界に帰るよりも学園で預かったほうが安全なのは確かだな」
エニスを一瞬だけ一瞥し、常久も背を向け部室を後にすると、涼子も「では失礼する」と、部室から出ていった。
廊下を足早に歩き、曲がり角を過ぎたところで足を止める。
「……学園の総意ではなく、一部の者の独断に近いかもしれん。おそらく、この話を知らない学園関係者も大勢いるのだろうな」
涼子のとこ場を聞き、常久はもたれかかっていた壁から背を離しふり返る事無く歩き出す。
(学園の『大人』っつうのは腐ってやがるな。あいつら子供が敵の矢面に立って、大人は安全なトコでコソコソとクソなコトを捻り出してやがる……クソ以下だ。
子供が平然と戦うのが普通になってる世界なんて、つぶれちまえ)
古庄 実月(
jb2989)、ゲルダ グリューニング(
jb7318)、Vertenette Hautecloque(
jb8543)の3人が玄関をくぐり、そして実月が振り返ると「入っていいんだよ?」と、玄関の外に声をかけた。
扉の陰からおずおずと姿を見せる新田 六実(
jb6311)。
「お邪魔しても、いいんでしょうか……?」
「遠慮は無用よと、母も言っていましたから、こういう時はどーんと入っちゃって大丈夫です」
自信満々に胸を張るゲルダの横を、ヒリュウが遠慮なしに脱衣場に向かっていく。
「エニスちゃんはどこかな。先に話を聞いておきたいかなとか」
実月の問いに理恵は「こっち」と案内すると、台所でエニスがひたすら野菜を洗っているのが見えた。
「こんばんは、エニスちゃん。ちょっと色々と聞きたいんだけど……」
帰ってきた時のアニスの様子、それにどんな事を話していたかを聞いているうちに、実月だけでなく、ベルテネットやゲルダ、まだ関わりの薄い六実ですらも、アニスがひきこもった理由を察する事ができた。
「あんなに怖い思いしたんだもんね……こうなっちゃうのも仕方ないのかな」
「それで……アニス君はどちらに……」
胸の前で両手の指を絡ませ、まつ毛を震わせて今にも泣きだしそうなくらい心配そうな顔のベルテネット。
「2階にね。こっち」
「あの……声をかけたいのですが、私では良い言葉が思い浮かびません。
ですから『私達のことも、もう信じられませんか?』とだけ、お伝えください」
ぐっと親指を立てるゲルダと、頷く六実が理恵の後ろについて行く。
「でも、折角のご飯会だし、エニスちゃんもアニス君がいないと寂しそうだしね、何とかお話だけでも聞いてもらえないかな。
というわけで行ってきます」
ベルテネットへ小さく敬礼する実月が、お菓子を持って階段を上がっていった。
その後ろをしばらく見上げていたベルテネットだが、気を取り直しエニスの横に並ぶと、手に提げていた袋から肉や野菜を取出し並べる。
「これらをスープで煮込んで――」
「あ、オデンってやつね」
「いいえ、違います。ポトフです」
「アニスさんアニスさん」
ゲルダが呼ぶも、声は返ってこない。
それでもゲルダは再びノックしながらも、声を懸命にかけ続けた。
「貴方は1人じゃありません。悩みは1人で抱え込むよりも、皆で分かち合うのですと、母も言っていました。
そして話すだけでも、ずいぶんと楽になりますよとも――アニスさんの為に誰かが傷付くのが嫌なら、アニスさんが強くなって守れる人になれば良いのです」
応答は――やはり、ない。
六実が戸を指で優しく触れる。
「アニスさん、私はまだ貴方やエニスさんの事をよく知りません。だから貴方がどういう経緯を経てこの学園に来られたのかも知りません。
ですから『私を信じて欲しい』とか貴方に訴える気はありません。」
一息吸って、力強く顔をあげた。
「でも、他の方達は貴方と色々な事を一緒に体験してきたのでしょう? その時の気持ちを忘れないで下さい。
そしてこの間の事件……貴方達を命懸けで守った黒松先輩達や、何時も一緒に居たエニスさんの事はどうか信じてあげて下さい」
言いたい事は言い切ったのか、六実は戸から指を離すと背を向け、階段を降り始め――ようとして、足を止めた。
「そう、ベルテネットさんが言っていました。私達のことも、もう信じられませんか? と」
壁際に寄って実月とすれ違い、階段を下りていく六実であった。
そしてご飯の用意があるからと、理恵も降りていくのを見送り、実月が戸に背を預けてぺたりと座り床にお菓子を置くと、その横にゲルダも座り、わざわざ大きな音を立てて菓子を頬張る。
「アニス君、エニスちゃんがすっごい心配してたし、寂しそうだったよ」
反応はなくとも、続ける。
「アニス君とエニスちゃんが、恋を素敵な感情だと思って増やそうとした気持ちは、今はすごく良いことだなーと思うんです。
やっぱりその……幸せ、ですし。
で、それを利用しようとした天使にすごく腹が立つし、利用されたアニス君やエニスちゃんは怒って当然だと思うんです」
どんな天使なのかは知らないが、架空の天使を相手に実月の方が頬を膨らませてしまう。
「だから、今後どうするかも含めてご飯を食べながら話し合わない? アニス君。
お腹が空いたら戦は出来ないっていうし、皆で考えた方がいいアイデアも浮かぶよ」
しばらく待ってみたが、やはり……
「すまねぇ、遅れたな」
「よーう俺ちゃんが来たぜ!」
「チス……」
「や、ようこそ――あ、雅も一緒だったんだ」
雅がまあなと答える前に、何かに気付いて目をそちらに向けると、つられた千里が顔を向ける。
すると上を飛んでいたヒリュウが一瞬見えたが、落ちてきた何かが千里の視界を塞いだ。
「なんだ……?」
手に取り、広げてみると――ブラだった。
「ひにゃぁぁぁぁぁあ!!」
理恵の拳が飛び、千里が開けっ放しの玄関から外へ浮き飛ばされ、真っ赤になってブラを手にした理恵は、脱衣場へと逃げ込んでいった。
そしてきらりと鋭い眼光の常久は、見逃していなかった
「ほうほう、理恵ちゃんはDだったかー。けっこうなもんじゃねぇの」
すごく釈然としない顔をした千里と、気の毒そうな顔はするものの目が横を向いている光、それと通路で窮屈そうにしている常久の3人が、アニスの部屋の前にいた。
「……で、誰も信じなくて正解じゃないの?」
まるで、自分がそうだと言わんばかりに意外そうな顔をする千里。ただ思い浮かべているのは、ロクでもない事ばかり考えている悪い方向の人間像である。
「誰も信用出来ないなら、それでもいい。自分を信じて行動出来るって事だろう? ソレも強さだ。
下のエニスは誰でも彼でも信用しまくってるしな。今回の学園の話だって安易に信用しすぎだ」
腕を組み真面目な顔で頷く常久だが、通路に挟まったままだ。
眉根を寄せ、口元に手を当てていた光がノックする。
「俺は正直難しい事はわからねぇ。
だがな、アニス。お前にとって、この一連の騒動は辛い事ばかりだったか? 失うものばかりだったか?
――得たものも大きかったと思うぞ。最低でも俺は、お前達と出会えて本当に良かったと思ってる。お前の事気にかけてる奴も結構いると思うしな。
真実を知る事に、辛い現実を見る事になるかもしれねぇ。けどな、そういう時には俺達がお前の仲間達が傍にいる。1人じゃねぇ」
そして常久を押すような形で階段を降りていく――その途中、理恵の部屋に手紙を差し込んでいった。
上ってきた理恵が一旦下りるのだが――
「人格尊重と自己責任を取り違えてるんじぇねぇ。危ないコトをしようとしてるんなら、止めてやるのが当たり前だろう」
常久が小声で伝え、何食わぬ顔で居間へ戻るのだった。
すれ違う光が理恵の顔を見て不思議そうな顔をするが、結局何も言わず、台所へと向かう。
憮然とした顔の理恵の心を示すかのように、階段を上る動作ものろのろとしたものとなり、そこに千里の声が聞こえてきた。
「お節介な奴ばっかりだな――ほっといてくれるなら、いっそ楽なんだが。だから余計苦しむハメになる。
そろそろ自分が惨めになってくるころか? ま、惨めなのに慣れるのも悪くはないぞ。それに関して俺は大先輩だ。
……怖かったんだろ? 自分の事じゃない、大好きな誰かを失うことが。俺は怖かった……ほんとに、間に合ってよかった」
この前の事かと思いあたると、千里にとってのその誰かというのが誰の事なのか――理恵は自分が熱くなっていくのがよくわかった。
「……エニスが撃退士になるそうだ。そうなれば、黒松はエニスを守ろうとするだろう。
勘弁して欲しい。黒松は俺がいったくらいじゃ止まらん――本当は止まるかも知れない。いや願えば止まるだろう。俺達が頼まれればそうするように。
でも、それは俺の本意じゃない。俺のせいで、彼女が立ち止まる。そんな惨めは、いらない」
戸が開く音。
「……どうだ? 惨めな気分になった感想は」
「……みなさん、おせっかいすぎです」
2人の共感する笑い声を聞き、理恵は軽い足取りで台所に戻るのであった。
「――ところで、城里さんとはその後どんな感じですか黒松さん?」
「うぇ!?」
戻るなりベルテネットにそんな話を振られて、静まりかけた顔の熱が再燃する。
「一応、他人の恋バナに興味があるお年頃ですから」
「ベルテネットさんはどうなのでしょう?」
「私? 私はいいです。そういうの、苦手ですから」
「その後で言えばよ、実月ちゃんはどうよ?」
常久に話を振られた実月が困っていると、光がふと思い出して剥きかけの果物と包丁を置いて手を洗い写真を取り出した。
「実月、そういや修学旅行の時の写真があったぜ。誰が撮ってたのやらだが、また思い出作れるといいな」
皆の注目を集める中でも堂々と写真を手渡して、そんな言葉まで。これには実月の方がまいってしまうが、それでも嬉しくて「……うん」と返すので精いっぱいだった。
そこでよろけて実月の背中を突き飛ばすゲルダに、光の背中を叩いて突き飛ばす常久。光の腕の中に実月が収まれば、さらに煽る。
アニスを連れて降りてきた千里は事態を飲み込みきれずにあいかわらず、ぼっち感が漂っているのであった――
また一緒にお風呂に入りましょう――ゲルダの提案があり、今回は3人4人と分かれて入る事になった。
(あがったら、しいくらぶについてもうちょっと聞いてみようかな)
目を閉じ、食事中の風景を思い出していた六実がそんな事を考えていた。
「ねぇ。また、頭洗って?」
「ふふ、このベルテネットに任せて下さい」
座って待っているエニスに微笑みかけて、湯船からあがったベルテネットがエニスの後ろで膝立ちになると、シャワーをかける。
「お2人は、今後どうするのですか?」
「なんかこわーい人と一緒に暮らすみたい……ね、たまに泊まりに行ってもいい?」
「ええ、もちろんです――私だけでなく、皆さんも2人を弟や妹のように思っているのですから、ここにいる私達のことは、2人にも信じていただきたいです。
ここにいる……いえ、この家に今日集まっている人たちは、2人のことが大好きなのですから」
「……うん」
こうして見ると本当に姉妹のように見えてくるなと六実がぼんやりと思い浮かべ、そして今は記憶喪失の姉の像を重ねてしまい、少し滲む視界を誤魔化すために湯の中に顔をつけるのであった。
「いい加減にしてもらえませんかね」
「そうですね」
「おっさん……」
さっきからこの調子でからかわれ続けている千里の剣呑とした雰囲気に常久が逃げ出したところ、風呂上がりのエニスにばったりと出くわした。
すると、途端に表情を引き締める。
「危険なら守ってくれる……自衛も出来ない奴が甘ったれるじゃねぇ。誰のせいでこの間、誰かが死に掛けてたって忘れてんじゃねぇのか」
「それは……」
「ガキはガキらしく、面倒事は大人に押し付けていいんだぜ?」
優しげな表情を見せる常久だった。
そこに理恵の怒鳴り声――階段を駆け下りてくるゲルダが「夕べはお楽しみでしたねと母も言ってましたから!」と、そんな捨て台詞を吐いていた。
千里や理恵の面白い面が見れた光は、ポケットの中の退部届を握り潰しながらくつくつと笑う。
「最高の仲間だぜ、お前らはよ!」
【恋戦】アニスが問題か 終
「まったく……あれ?」
床の手紙に気付いて拾い上げる。
『先日は大変だったな。だが、その中で確認出来た絆の存在も大きかっただろう。
最近の黒松は凄く楽しそうだからな。一時期に比べて凄く生き生きしてるぞ? ま、これからも陰ながら見守らせてもらう。
何かあれば俺達をしっかり頼りな?』
読み終えた理恵は、手紙を机の中へ大事にしまうのであった――