「お邪魔ましまー……す」
古庄 実月(
jb2989)が電話中の雅に気付きすぐ後ろのVertenette Hautecloque(
jb8543)へ、静かにしようとジェスチャーで告げると、ベルテネットはこくりと頷いた。
「――というわけでだ。暇そうなやつからまず電話をしてみた次第で」
『ざんね〜〜〜〜ん!! ワシめっっっっっちゃ忙しくてなー!! ほら、なんていったってヴァレンタインじゃん?? そらワシも忙しいのよ! あー忙しい! 忙しい!!』
ひとしきり捲くし立てた久我 常久(
ja7273)だが、急に静かになってしまった。
「――気は済んだか?」
『忙しい……ハァ。で、なんだ? あのガキがまた何かやらかしたのか?』
「さてな。嫌な予感もするんでな、それを確認して来てほしい。依頼扱いにしてもらうから、詳細はそっちを参考にしてくれ」
心配そうな顔の実月が時計を確認すると、もうそろそろ正午になろうとしている。
「黒松さん、遅いですね……何もないといいんですけど……」
「そうですね。ご一緒しているアニスさんやエニスさん達も、心配です」
今日の為に読んできたカップケーキの本を、大事そうに抱えるベルテネットの腕に力がこもる。
そんな心配顔の2人へと、同じくらいに心配顔の雅が向き合う。
「――すまないが、正式な依頼として見てきてくれないか?」
転移装置の前で常久や実月、ベルテネットだけでなく、地堂 光(
jb4992)に城里 千里(
jb6410)とゲルダ グリューニング(
jb7318)の3人も緊急と聞き、飛んでやってきた。
そのいつものメンバーに加えて初顔となる、新田 六実(
jb6311)が自己紹介を済ませるなり、今回の事態について眉をひそめた。
「何が起こったのかは判りませんが、連絡に応答しないと言うのは気になりますね」
「ああ、なんかやばそうな予感がしやがるぜ。前に黒松が消息不明になった時みてぇだ」
不穏な空気に、自然と皆の足は転移装置へと向かっていた。
剣先をやり過ごそうとしたしゃがんだ理恵だったが、肩へと突き刺さる。
「痛ァッ……!」
肩から流れる血が服を染め上げるも、すでに服は赤い染みだらけである。それでも泣きじゃくる2人のために、理恵は笑顔を作っていた――内心の、絶望を隠して。
――そこへ。
「黒松さん! 迎えに来ましたよ!! もう少し頑張ってください!」
実月の声。 理恵が顔を向けると、到着した7人がこちらへ走ってきている。
「この子らを優先して!」
自分でもなぜそこまでの使命感を感じているのかわからないが、理恵がそう叫ぶと千里が「……わかった、あと20秒稼いでくれ」と落ち着いた声で応える。
ただその目が肩口の傷などを捉えると、表情は変わっていないが青ざめたような気配で千里の足がさらに早まった。
「ヒリュウさん、お願いします!」
ゲルダが呼びだしたヒリュウの手を掴み、ヒリュウはゲルダをぶら下げてあまり高度は取れないが上空へと飛び、理恵の元へと目指す。
ゲルダの横に、飛ぶには不向きそうなやや小さな翼を広げた六実がよたよたとしながらも並び、飛んでいく。
オオイタチと1体のサファイアヴァルキュリア(以降、蒼乙女)が駆け寄る撃退士達に向かってきた。
「私の弟妹をひどい目に遭わせる人は、誰であろうと赦さないです」
ベルテネットの憤りを表すかのように、前後に動かす防水ブーツがぬかるみを跳ねあげ撒き散らし、服が汚れるのも構わずに駆けている。
「頼むぜ? 城里。足止めはきっちりするからよ」
光の声がなんとか耳に届いたのか、必死さが滲み出ている背中をした千里がこくりと頷いたような気がした。
その見た目とは違い蒼乙女の足はずいぶんと速いがオオイタチはさらに速く、千里の射程にもう踏み込んできた。手に持つ銀色の銃身から、無数の怪しげな蝶が飛び交いオオイタチを包み込む。
視界を遮っているうちに千里は斜めへ進み、オオイタチとの距離を開けようとした――が、蝶の群れの中からオオイタチが飛び出し千里は真横につかれてしまった。
(失敗したか……!)
舌打ちする間もなく足が尻尾で掬われ宙に浮いたが巨漢の影がよぎり、千里の手が掴まれて前へと抛り投げられた。
数歩、泥を激しく跳ね上げてたたらを踏んだものの何とか転ばず、走る勢いもそのままに保つ事ができた。
「はよいってこんかい!!」
常久の檄が飛び、その言葉に押されて千里は振り向かず真っ直ぐに理恵へ目指す――この行動はほんの数秒のロスを防いだだけだったが、その数秒が明暗を分けるのであった。
まだ一番近い千里を追いかけようとするオオイタチだが、空から降ってくる妖蝶の群れをかわしたため、距離が離れてしまう。
「足さえ止められたなら、それでいいんです」
よたよたとしながらも滞空している六実が、次なる矢を弓に番えていた。
蒼乙女との距離が縮まり再び千里の銃口から無数の妖蝶が飛び交うも、全力で移動して狙いがぶれているせいもあるのか、蒼乙女は機敏な動作で横に跳び、簡単にかわされてしまう。
だがその蒼乙女の前に常久が立ちはだかり、レイピアの剣先が常久へと向けられるのと同時に常久は大地に拳を振り下ろす。
その瞬間、せり上がる畳が蒼乙女の視界を遮る。
だがそれでも剣先は畳を貫通して、脚を狙っていた剣先は常久の肩の付け根に突き刺さり、捻じられる。常久は痛みを無視しそこを目印に、毒々しい色のアウルを纏った右腕で畳を貫いた。
しかし右腕が畳を貫くより先に剣先が引かれ、手ごたえがない。
「反射速度がずば抜けてやがる! 視界も遮られてるってーのにこの距離でかわすとか、嫌なヤローだな!」
退く蒼乙女と、常久――と、そこへ。
「当たって!」
実月の放った封砲が横を通過し、蒼乙女のいるラインまでステップしながら斜めに下がってくるオオイタチ。
(物は試しです)
近づきすぎない程度に足を止めていたベルテネットが水の玉を生み出し、オオイタチへの正面よりやや横、蒼乙女のいない側を狙い、撃った。
撃退士が集まった事でその本性を現したのか、以前戦った時よりもはるかに俊敏で制作者の悪意を感じさせるオオイタチがあざ笑うかのように、水の玉が到達するよりも先に横へ大きく跳んでいた。
その先に、蒼乙女がいた。
オオイタチの尻尾が自動で範囲に入った蒼乙女の足を掬う――が、倒れるより先に片足が前に出ていた。
「隙ありです!」
ヒリュウの手を離したゲルダが、倒れるのを堪えた蒼乙女の背中へ落下して抱きつくように押し倒す。
泥にまみれ、転げまわり肘打ちを頬に喰らい引き剥がされると、威嚇しながらも突進してきたヒリュウの頭突きで蒼乙女をさらに転がして上空へ戻っていくヒリュウ。
泥だらけのゲルダが跳躍してヒリュウの手につかまり、再び上空へ。
すぐに立てない蒼乙女の顎が艶消しされた鞘で跳ね上げられ、鞘はそのまま蒼乙女の影に突き立てられ、影から影が伸び、蒼乙女に絡みつく。
「しばらくそこで大人しくしてな」
見下ろす常久が前を向き、理恵が生きており千里が間に合った事に安堵しつつも走り始め、そこにオオイタチが近寄ろうとしてくる。
その間に散弾の弾が割り込み、オオイタチは足を止めた。
「当たらない……けど!」
実月がもう一発、ショットガンを撃ってオオイタチと常久の間をさらに広める。さらに六実の放った妖蝶がオオイタチを包み込む。
それでもオオイタチは妖蝶の中から飛び出し、足を止めようとはしない。
「攻撃能力がない分、抵抗力が高いのでしょうかね」
「お前はこっちだ!」
常久とオオイタチの間に出来上がった空間へ光が割り込みながらも咆えると、その後をオオイタチが追いかけ、実月はベルテネットの横について影は絡みついているものの立ち上がった蒼乙女の動向に気を配るのであった――
限界の理恵。ストンと腰が落ちてしまう。
アニスへと向けられていたはずの剣先が、ちょうどよく下がってしまった理恵の顔に。
間に合いそうにないタイミングだが必死で頭を傾けたその直後、甲高い音と共に剣先が弾かれ大幅に軌道を変えて理恵の顔の横を通過する。
そして理恵の前に、最近ずっと目で追いかけているあの背中が。
「悪いな黒松、延長だ。もう15秒くらい我慢しろ」
「――うん!」
気力も体力も底を尽きかけていたはずなのに、力強く頷いた。衝動的に背中へ飛び付きたくなってしまったがぐっと堪え、いつまでも座っているわけにはいかないと立ち上がれないと思っていたのが馬鹿らしくなるほど、素直に立てた。
(チョー危ねー……)
理恵の前で平静を保っているように見える千里だが、ギリギリだった事に心臓は早鐘である。
次々と襲い来る剣先を銃身で弾いたり、撃って軌道を逸らせ、たまにかわしきれずに脇腹を刺されたりもするが、手を当ててアウルを流しこみ、とりあえず傷だけは塞いで何とか耐えきってみせる。
1匹くらい胡蝶が当てられないかと思うのだが、攻撃に転じている暇がない。
15秒もキツイかと思った矢先、蒼乙女の後ろを取った光のハルバードに1体は弾かれる。光は後ろを振り返りオオイタチの尻尾で足を掬われるが、その横っ腹に光を纏ったハルバードを叩きつけ、オオイタチをもう1体の蒼乙女へと押し付けた。
「いったぞ! 城里!」
足が掬われる蒼乙女が転ばぬように出した足を、横に避けてしゃがんだ千里がレガースで足を引っ掛け転倒させる。
「このぬかるみにその鎧、転べば俺らより悲惨だろ?」
千里と共に逃げ出そうとする理恵へ1体の蒼乙女がレイピアを振るうのだが、その剣先を光は自らの腕で受け止めた。それを見た六実が光のもとへ行こうとするのだが、上空の六実へ光は手で制した。
「こっちはまだ大丈夫だ、他の奴の手当頼む!」
そして次の一手を銀色に光る障壁で受け止め、剣先を通さない。
そこに畳がせり上がる。
「ピンチに駆けつけるってなぁ!!!」
常久の声が上から聞こえ、畳の反動で跳躍した巨体が上から蒼乙女の頭部へ渾身の力を込めて直刀を振り下ろした。それが兜を砕き、額の割れた蒼乙女は足元がおぼつかなくなる。
もう1体はもうすぐ立ち上がろうとしているのを見て、光と常久も撤退を開始する。
「やるじゃねーか、おっさん」
「へっ、畳の扱いには慣れてんだ。そうだな……畳の王子様とでも呼んでもらおうか!!」
結構な怪我をしているが、親指を立てる常久が大人の余裕を見せつけた。
もっとも冗談を冗談と見抜けない光は「畳の王子か。ぴったりだな」と至極真面目に応え、理恵達の横についた。
「よく頑張ったな、俺達が来たからには安心しろ。ぜってー無事に帰るぞ?」
「オオイタチが追ってきます!」
上空からのゲルダの声。
「皆で無事に帰って最高のバレンタインにしましょう!
折角のバレンタインを台無しにするなんて、恋路を邪魔するも同然です! 絶対に許しません!」
少し前に出てきた実月が理恵に声をかけ撤退する光達の後ろを守るように、追ってくるオオイタチへ向けて最後の封砲を放つ。そして封砲が放たれた直後、ベルテネットが光弾をオオイタチが回避するであろう先を狙い、撃った。
ベルテネットの予測が的中し、封砲をかわしたオオイタチがベルテネットの光弾の直撃を受け転げまわり、さらに六実の矢が追い打ちをかけると短い雄叫びをあげて泥濘に倒れ伏す。
そこに束縛が解けた蒼乙女のこれまでにない踏み込みで一直線に距離を詰め、突き出された剣先は常久がかばい腹部を刺し貫かれながらも影を縛り付けて再び束縛すると、光が零距離から衝撃波を放ち後ろへと吹き飛ばす。
追かけてくる蒼乙女へベルテネットは光弾を放ち、届きはしないと知らない蒼乙女に回避行動をとらせ、少しでも距離を稼ごうとした。
どうにか撤退しようとする全員の前に、弓を番えた軍服ワンピースで金髪の女性の姿が。
放たれた矢は目で追えないほど速く真っ直ぐし、蒼乙女の顔面に突き刺さるのであった。
「ご苦労。そちらの少年と少女はこちらで保護するので、諸君らはこの場を離れろ」
怪しい――それが全員の印象だった。
そっと六実がその気配を探るのだが、今一つはっきりしない。ただ言えるのは、自分よりも遥かに強い――それだけである。
「聞いてないんで、俺らは俺らの依頼優先で連れ帰ります」
ダメかとか思いながら走りながらも千里が告げると、女性は「了解した」と思いのほかあっさり引き下がる。
「もともとつまらないお願いだったのでな、それはそれでいいだろう。すぐに帰って傷を癒すがいい」
色々と不安はあったが、つまらなそうに言う女性の横を通り抜け、皆はその場を離れていった――不思議な事にもう追ってくる気配がないと、だいぶ走った後で気づくのであった。
息が落ち着いたところで、六実はだいぶ深手になっている理恵と常久の傷を癒し、光は転げまわって全身泥だらけのゲルダにタオルを差し出す。
「ま、顔くらい拭け」
「どうもです――さて黒松さん。泥だらけになりながら貴方を助けようとした城里さんに一言どうぞ。無言は許されませんよ」
ゲルダからエアマイクを差し出された理恵は目を丸くさせたが、千里の横顔を見上げて一言を伝えた――
「あそこで『チョコ、あげる』だなんて、軽く失望ですよ!」
頭から暖かなシャワーを浴びるゲルダの言葉に、エニスの背中をこすってやっているベルテネットや、湯船にいる実月と理恵も苦笑する。
風呂の広さだけで決めたという理恵の部屋の浴室に、全員がそろっていた。六実もちょこんと湯船の角の方に困惑しながらも浸かっていた。
「あの……ご一緒しててもよろしかったんでしょうか」
「いーのいーの、恩人さんだし。服が乾くまで時間あるだろうし、これからカップケーキ作るんだけど、どうかな?」
理恵が笑顔を向けると、六実もはにかみ返して「はい」と答えるのであった。
部室では今、光がシャワーを使っているので座り込んで順番待ちしている千里と常久。
理恵から受け取った、包装が破け、泥だらけのチョコを眺めていた千里。常久は雅から受け取った試作品という名のカップケーキを一口で食い、そして千里の背中を強く叩いた。
「どうよ、必死になるのもいいもんだろう?」
「……そうですね」
素っ気ない言葉だが、それでも常久には千里の変化が少しだけ感じ取れていた。
(俺みたいな歳になってからじゃ、必死になれないもんだ。若いうちに経験しておけよ、千里)
常久の心の内など知る由もなく、チョコを眺めていた千里は口に抛りこむ。
口の中が切れていたらしく、血の味と泥の味がするが――それよりも千里の心には満足感が広がっていった――
【恋戦】最悪【MV】 終