「今日は集まってもらって、ありがとね」
理恵が部室に集まった面々を前に頭を下げると、ロイヤルブルーのネックウォーマーを大事そうに外した古庄 実月(jb2983)が表情を崩して首を横に振った。
「お礼言われる事でもないよ。むしろ、黒松さんっていうか、アニス君やエニスちゃんにお礼を言いたいくらいで……」
その目がアニスとエニス、それにゲルダ=グリューニング(
jb7318)に向けられ、そして地堂 光(
jb4992)へと移るのだが、その目が合うと、赤くなってうつむいてしまう。
それと理恵に視線を向けられても、合わせようとしない城里 千里(
jb6410)。
――ゲルダの目が光った。
アニスとエニスを呼び寄せ、2人の肩に腕を回し顔を近づける。
「いいですか。『良かれと思って背中を押すのも必要よ』と母も言ってました。
くっつくまでも大変ですが、その後、さらに発展させるのも恋のお手伝い道です。この道は長く険しいですが、がんばりましょうね」
やる気に満ちたゲルダへ、2人は頷き合っていた。
色々な思惑が交差する中、久我 常久(
ja7273)は関係ないと言わんばかりに自分の腹を叩くと、いい音がする。
「面倒な挨拶とかいいからよー、さっくりすぐ始めようぜ! ワシ、めっちゃケーキ好きなんだよなー!!」
「それもそうだね。それじゃそろそろ準備に――」
「おっくれましたー!
わー! この子達が噂のアニマルズですのね!」
ガラスが一瞬軋むほど部室の戸が勢いよく開き、城里 万里(
jb6411)がやってくるなり猫のスズとミーシャの前でしゃがんでは手を差し出し、警戒心がだいぶ低くなった人懐っこい2匹は少しの間、鼻をスピスピとならすと、やがて自分から手に頭をこすりつけてくる。
「お前、来れないもんだと思ってた」
千里が開けっ放しの戸を閉め、猫にデレデレな万里へそんな言葉を投げかけたが、兄の言葉を無視してベロリンに挨拶し、窓の外にいるであろうリスの姿を一生懸命に捜す。
「おーい」
「見つかりませんね……」
「妹よー聞こえてるかー」
「あ、挨拶が遅れましたですの。
動物好きですっごく興味はあったのですが、若干アレルギー気味でなかなか顔出しできずにいた、城里 万里と申します。
いつかお目にかかりたいと思ってましたの! 今日は薬でばっちりです!」
分け隔てなく、全員の手を取り上下にブンブンと振り回す。もちろんアニスやエニスの手も取り「よろしくです」と挨拶をかわすと、最後に理恵の手を取った。
「いつもお兄様がお世話されています。最近なんだかかわいいですから、よろしく頼みますの」
「おいコラ聞こえて――」
千里が万里の肩に手を伸ばした時、理恵と目が合ったかと思えばすぐに外してしまう。
その様子に万里は内心、ニヤニヤと面白いなど――ちょっとは思ってる。
(ここは万里がお兄様の株を上げて差し上げます。万里ってばなんて健気な妹、マジ天使!)
「ですから、報酬はコンビニスィーツで」
真顔で兄の肩に手を乗せる万里に「お前何言ってんの」的な顔をするのだが、理恵が声はかけようとせずに千里に近づくと、千里は距離を置く。
面白いとも思ったが「ナンナノコノヒトタチメンドクサイ」と、そんな風にも思ってしまうのであった。
なんだか妙な空気が漂っていると感じた実月が、大きな柏手1つ。空気を引き締めると
「とにもかくにも、準備開始ですね」
パイ作りの手順を改めて聞いていた光の顔は、真剣そのものだった。
「えっと……どうしたのかな、ひ……地堂、君」
「ああいや、こういうのも作れるようになっておくと良さそうだってな。
なにぶん姉さんの料理はアレだしな、レパートリー増やすのはいい事だ」
「そっか。簡単に作れるみたいですし、お菓子作りって楽しいですよね」
何気ない普通の会話だが、それでも2人の間には確実に特別な空気が流れているのが誰の目にも明らかである。
そんな2人の様子に「あーあー。そっか」と理恵は頷き、噛みきれないモノでも噛んでいるかのような顔で視線を送っていたところ、雅が手を伸ばしかけて、先に常久がその背中を強く叩いた。
「こういうの、何でも入れていいんだろ? あれとかどうだ――ざくろ」
「……ザクロは可食部分に分離するのが面倒だから、パス」
「女性の味方なのですけどね!」
万里までもが理恵の背中を叩くと、咳き込みつつ「なんで2人して叩くかな!」と元気に叩き返してくる。それを見た雅はほっと胸をなでおろすとアーモンドを一粒、パイ生地で挟み込みんでからエニスと一緒にオーブンへ向かう。
光と実月の2人もあまり慣れていない手つきで、パイ生地を挟んでいる。他が見えてはいるだろうけれども、あまり意識が向けれている気配はしなかった。
理恵と万里が千里の話をしていて、やはり意識が横に向いている。
――今しかない。
いつの間にか姿を消していた常久が、忍び寄り、音もなく1つのパイ生地に自分で用意したアーモンドを潜ませ、端の方をほんの少しだけ、特徴的に欠けさせておくのであった。
「ちーす。フェーヴに使う小物、美術の先生から借りてきたんで……」
「おーう千里、残念ご苦労様だ。今回のはアーモンドを使うんだぜ」
笑う常久。
小さな陶器を手に、調理実習室に入ろうとしていた千里が足を止め雅に目を向けると、雅は何も言わずに大きく頷く。
「フェーヴはアーモンドを使うのか。しまったな……わざわざ、数少ない俺が話せる美術の先生に事情を話して借りてきたのに、道具が被るどころか必要なかったとか……」
踏み出した一歩をそのまま戻し、ほんの一瞬だけ理恵を見たがすぐに戸を閉めて、行ってしまう千里であった。
(頑張れお兄様!)
万里が旗を振るようにクリームの絞り袋を振ると、絞り袋の先端からクリームが飛び散って、エニスや理恵が犠牲となる。
そこに「わしが舐めて取ってやるぞ!」と常久が猛進するが、雅の膝で股の間を突き上げられ、転げまわっていた。
「なにしてんだかな……」
ぎゃあぎゃあと楽しそうに騒ぎ立てる5人へ光はごく短い溜め息を吐くが、元気そうな理恵に元気そうでよかったと、思わず目を細めてしまう。
隣にいる実月も、理恵のこれまでの様子に何かを感じ取っていたようだが、その姿を見て両手を顔の前で軽く握って鼻をフンと鳴らす。
(何があったかわからないけど、前向きには動いているみたいですね。大丈夫ですよ黒松さんっ。フェーヴ、当たるといいね)
そして隣の光を盗み見ては、自分だって大丈夫だったからと大きく頷いていた。
色々と背中を押され、状況や雰囲気のおかげもあったが、好きと言えた。
それの答えとして、彼は――名前で呼ばれた時の事を思い出し、首から耳からと真っ赤になって蒸気が出そうになりながらも、あの時の嬉しさを再び噛みしめる。
(わ、私もがんばらなきゃ……!)
覚悟を決めて、絞り袋を手に取って光の横顔を見ながら、口から何かが飛び出しそうになるのを堪えながらも言葉を紡いだ。
「美味しくできるといいね……その……ひ、ひか、る、クン」
名前で呼ばれた光は目を丸くさせて、実月の顔を覗き込む。実月が目を逸らし、どんどん下向きになっていく様を見ながら、ふと今までの実月の言動を振り返ってしまった。
(今まで実月が所々で言っていた『気になる相手』ってのは、俺だったんだよな……)
言うたびに今のような反応を見せていた理由に納得し、そして実月が感じていたであろう気恥ずかしさを今、自分が感じてしまっている。
なるほどこれは恥ずかしいと、表情がぶっきらぼうになってしまうのだが、それでも何とか言葉を絞り出した。
「――そうだな、実月」
今この瞬間、絞り袋から盛大にクリームが噴き出すのであった――
(要らん恥をかいた感じだ)
どうにも理恵が絡むと自分の調子が狂うなと、部室に戻って来てみると、ゲルダがアニスと共にテーブルにハート形のテーブルクロスをかけ椅子を並べ、指定席を示す名前入りの三角コーンまで立てている。
そして猫と戯れる、もう1人の存在に気付いた。
「……なんか久しぶり。良い正月は過ごせたか?」
声を掛けられたことに気付いた中本光平は猫を抱いたまま立ち上がり、千里と向き合ったかと思えばすぐに目が暗く沈む。
「夢見はよかったかもしれないが、夢見の見が悪かったというか……」
「ああ……」
同じような思いをしたのか、初夢の事を思い出した千里の目も暗く沈んでしまう。
そんな2人の背中を、ゲルダが突き飛ばす。
「暗く沈むのは後です! 今はとにかくお祝いムードの、飾りつけの時間ですよ! ハート形の飾りをよろしく頼みます!」
「……そうだったな」
のろのろとした動作で検索を始め作り方を熟読すると、アニスを呼び寄せ、一枚の紙を今しがた学んだ手順通り丁寧に折り曲げていく。
「これが折り紙って言う、人間の文化だ」
「ふしぎですー。どうしてこうなるです?」
どうしてという問いに、どう答えたものかわからない千里はただひたすらに折り方を教え、やがてアニスが折り方を覚えてしまうと死んだ目をしながらまるでリピート再生かの如く、効率が良く無駄のない動作を恐ろしい速さで繰り返し続けるのであった。
「アニスさん、少し手伝ってください」
ゲルダがアニスの手を引き立たせると、千里から引き離して部室の隅で放し始める。
「皆さん奥手ですからね。良かれと思って、私が要らぬお節介を焼きましょう。
『人は最初の一歩を踏み出すのが大変なの。その代わり、一度踏み出せば後は沼にハマるが如くずぶずぶと行くわ』と母も言ってました!
ですからこちら、黒松さんの席を城里さんの隣にして、あわよくばラブラブな空気に……」
「おい、全部聞こえてるぞ」
ゲルダが席の並びで画策している声が、千里の耳には届いていた。
普段ならヘッドフォンを付けているのだが、今日に限ってはアニスの声を聞くために外していたのが幸いだったようである――が、聞こえていると言ったのにもかかわらず、ゲルダは堂々と席を横に並べるのである。
立ち上がりかけた千里だが、結局それ以上のことは言わずに座り直して作業の続きをするだけであった。
「こっちの生活にも慣れてきたのかね。
困ってる事とかねぇか? 力になれる事があれば遠慮なく言えよ。無論、他のメンバーも力を貸して欲しいって言えば喜んで協力してくれると思うぜ?
もうお前達2人は、大事な仲間なんだからな」
「いえーい! ワシが王冠ゲットだー!」
光がアニスエニスと話している横で実月がキューピッドの羽をあしらったパイを見せている間に、常久が誰よりも真っ先に選んだパイから、アーモンドの粒を取り出して掲げてみせた。
「おめでとうですの!」
最初から盛り上げるつもりで用意していたクラッカーを万里が鳴らし、得意げな顔をした常久は訝しんだ顔の雅から千里お手製の王冠を受け取って頭に乗せる。
「これってあれだろ、王様になったら命令できるんだろ? わし知ってる。
つーことで実月ちゃんは光と手をつないで、ゲルダちゃんは理恵ちゃんの後ろから抱きつけ!」
「え……待ってください! 王様ってそう言う事ですか!?」
慌てふためく実月を前にしれっと「こういうのって、そういうアソビだろ?」と言い放つ。理恵もよくはわかっていないだけに、反論したくとも何も言えず、雅に視線を送ったが、当の本人は訝しんだ表情のまま常久のケーキを眺めていた。
「なるほど、そう言う事ならお任せください!」
アニスエニスと共にヒリュウと戯れていたゲルダが勢いよく立ち上がり、手をクイッと持ち上げて理恵に立つよう促す。ヒリュウはというと、千里の椅子にタックルして強制的に立たせていた。
ヒリュウの動きに注意しつつ、まあこれくらいならと理恵は立ち上がるのだが、ゲルダの目が光る。
「では後ろから――おおっと躓いてしまいましたー!」
全力で千里へと突き飛ばすゲルダ。立たされていた千里もヒリュウに突き飛ばされ、2人は抱き合ってしまった――のは一瞬だけであった。
千里の腕に収まったと思った理恵が真っ赤になってすぐさま、千里を突き飛ばしたのである。
「あ……ゴメン、千里君」
突き飛ばされた千里だが、むしろ安堵の表情を浮かべ「大丈夫だ」と理恵の視線から逃れるように視線を逸らし続けていた。
「へぇ。黒松にそんな春が訪れてたのか」
2人の様子に光平が頷いていると、常久は光平に親指をぐっと立てたが、すぐに離れた理恵や千里へは下を向ける。
「面倒な奴らだな」
「まったくです」
常久が漏らした小声に、万里も深く頷く。
そしてそんな常久の腹に、不意打ちで雅の拳がめり込んだ。
「常久、誰よりも真っ先に狙ってこのケーキを手に入れていたな? 何故だ」
「ワシ ワルイコト シテナイ。ホントダヨ……ウソツカナイ」
常久が首を横に振るも、雅がその前に手をつきだした。
その手には常久のケーキの皿があり、丸々としたアーモンドの粒が『2つ』転がっていた。しかも片方にはオメデトウの文字まで刻まれている。
「私が入れたのはこっちの方なのだが、どうしてお前の皿からもう一粒でてきたのだろうな?」
「弁護士をよべ!! ワシは何も悪い事をして………いるともいないともいえん」
逃げ出した常久、追かける雅。そしてあれはやべぇと雅を追いかける光平。
実月は命令がノーカウントだったのに胸をなでおろすと同時に、ちょっとだけ残念な気持ちになっていた――というのに気付いて、大きく首を横に振った。
「どうかしたか……と、そういえば贈った誕生日プレゼント、着けてくれてるんだな」
停止した実月が驚いた顔で光の顔を凝視しやがて破顔すると、2人も雅を止めるために追いかけるのであった。
「プレゼントと言えば、私からも。
アニスさん、エニスさん。ご入学おめでとうございます」
ハートと天使をあしらった文具セットを、ゲルダがアニスとエニスに贈ると「さあ行きましょう」と背中を押して部室の外へと出て行ってしまう。
その際、ちらりとだけ万里を見るゲルダであった。
ピーンと来てしまった万里。
「あ、万里コンビニ寄るから先に帰るね!」
兄のポケットから問答無用で財布を抜き取ると、そそくさと万里も行ってしまう。その際、千里のポケットから男の子と女の子が仲良くしている陶器の人形が落ちた。
拾い上げる千里はしばらくそれを手の中で弄び――理恵と向き合って、理恵の手にそれを乗せて握らせるのだった。
「時間を、くれ。
……その、なんだ。俺は……自分が信じられていない……から」
向き合ってはいるものの、まだ視線は彷徨っている。
だが理恵はそれでも手の中の感触を確かめると、口元をほころばせた。
「うん――千里君が真っ直ぐに向き合ってくれるその日まで、待ってあげるよ」
【恋戦】幸福は誰の口に 終