「明日だねー。恒例のやつ」
「ああ、そうだな」
津崎海とアルジェ(
jb3603)が、並んで帰路についていた。
「あれは修平と騎士?」
アルジェの言葉通りに、中本修平と江戸川 騎士(
jb5439)、その2人が神社の鳥居をくぐるのが見えた。
「あ、本当だ――」
手を振り上げ、大きな声で呼ぼうとしている海の口に、アルジェがそれを止めた。
2人の表情が、気になったのだ。
「何やら妙な雰囲気だな……海、ちょっと様子を見よう」
「それで、りっちゃんと海ちゃんについて、何が聞きたいんですか?」
「――修平、お前の意見を聞きたい。
理子の母親について、もうわかっている。そして何度調べても、海は『天使の取替えっ子』という推論に至る。
お前、知っていたんだろ?
だから海が人間を嫌わないよう、人間が海を嫌わないよう、風波が立たないように、お前はしてきたんじゃねぇのか?」
修平の顔色は変わらない。まるでこういう日が来るのを想定していたかのように、冷静だった。
「もっと信用してやれよ。
俺は、病死したと思っている母親が実は天使だった理子と、天使の取替えっ子である海が出生の秘密に気がついて傷ついたとしても
あいつらはあいつらでしかないと思うぜ。
実際、この地の天使がどう出るか判らねぇし、『実は理子の母親も生きており、この地の管理者です。上層の方針が変わって侵攻します』だったら流石に厄介と思うが、俺は驚かねぇよ」
口を開きかけた修平は目を動かし、視線で何かを訴える。修平の視線の先を騎士が目で追うと、鳥居のすぐ下、階段のところに青いポニーテールが揺れていた。
視線を修平に戻すと、口元に手を当てて考えるそぶりを見せ、修平の方から一歩、近づいてくる。
「半分正解、半分ニアピン、と言っておきます。
りっちゃんのお母さんが天使なのは、正解です。でも、確実に死にました――若くして亡くなったから、世間的に病死と思えたんでしょうけど、実際は力が尽きての寿命みたいです」
また一歩。
もはや真横である。
「海ちゃんは『人間』、です。こればかりは絶対に、これ以上のことが言えない……約束なんです」
そして横を通り過ぎた――その際かすれる様な声で、「海ちゃんは江戸川さんに近いです」と伝えるのであった。
「え!? なになに、ステージ?」
まるで初めて聞いたというような反応を見せる亀山 淳紅(
ja2261)に、修平が「メール、しましたよね……」と少し落胆してみせる。
「ごっめーん、気づかなかった」
キャッとぶりっこぶると、すぐに手をあげて「一番手、もっちろん歌いまっすやでー♪」と、真っ先にアピールする。
「自分の本気の意味は、2種類、かなー」
そしてへしょっと、吾亦紅澄音へ笑みを向けた。
「ちょっと澄音ちゃん、最初の2曲だけは混ざらんといて。練習してへん状態で合わせられるほど、器用やないの。ごめんな」
咳払いをし、学ぶ姿勢を見せる修平と矢代理子の2人の正面に立つ。
「曲があってない。その人のイメージじゃない……ってのは確かにある思うんやけど、コンテストの課題曲とか避けて通られへん時はある。
そゆ時のために『完コピ』や。自分の色を極限まで消して……演技とかに近いんちゃうかな?」
自分を抱きしめるように左腕を腰に回し、右手を顎の下、艶のある仕草で歌い始めた。
声量がいつもよりずいぶん控えめだが、リズムや音程、それにブレスとその長さ、抑揚と掠れる位置が原曲と全く一緒である。
さらに言えばその表情までもが、淳紅らしからぬ歌い手そっくりの女豹を思わせるようなものだった。
まさしくなりきっているというよりは、そのものである。
歌が途切れ、目を閉じた淳紅――開いた時には、いつもの彼に戻っていた。
「……どやっ。色気でてた?」
コクコクと頷く2人に満足し、今度はアコースティックギターを手に取ると、肩にかける。
「んで、次はどんな歌でも楽しく歌える――そういう風に練習してきたけど、そん中でもやっぱり『自分が歌いやすくて声に合う』曲はでてくる。
コピーやなくて、自分を最大限いかせる歌。自分はポップス系のフォークソングっちゅーんが性にあっとるみたい」
ギターでリズムを刻み始め、それに合わせて歌いだす。
原曲など気にせず遠慮なしに、自分の想いとシンクロしたその歌を心の底から全力で歌い上げていた。歌から溢れだすエネルギーは短い時間歌っただけだというのに、玉の汗となって零れ落ちる。
歌い終わり、息を吐き出す――と、澄音を手招きし、にぱっと笑った。
「お待たせ! 一緒歌お!」
待ってましたとやってくる澄音を、手拍子と床をドンドンと足でリズムを刻みながら皆を見回すと、淳紅が何を求めているのか察して、皆もそれに合わせてリズムを取りだす。
淳紅が満足げに笑い、再びアコースティックギターでメロディーを奏ではじめた。
それに合わせて歌いだす澄音に、淳紅はやや音量控えめにして後追いで支えるように歌い、2人の声には歌が好きすぎる想いで溢れているのだった。
(ふむ、音と楽曲のミスマッチか……)
思考を巡らせる君田 夢野(
ja0561)。立ち上がると理子のすぐ横に移動して、そっと告げた。
「選曲について一番重要なのは、理子さんが何を演奏したいか、だ。それに練習を合わせるのも必要か――」
「えっとそれじゃあ、眠れなくなっちゃうのを防ぐには……?」
「本番前日に安眠を取る方法?
……そっちは俺の専門外だから、自分で調べなさいッ」
理子の頭に手を乗せ乱雑になでると、歌い終わった淳紅と入れ替わりでトランペットを手にした夢野が前に立つ。
「さて、前回俺は『志」と言った訳だが、今回の楽曲のテーマもそれで行こうか。
今回は即興だ。ジャンルは行進曲、楽器はトランペット独奏、タイトルは……そうだな、『撃進歌』とでもしとくか」
夢野の息を吸う音が聞こえるほど、空気が静まりかえる。
――最初は歩くような速さでゆったりと、それでいて大地を打つ軍靴の如く一定のリズムで深く、力強く刻む。
だがその音は、ただの行進曲ではない。
昂揚感や強い意志が含まれているその音はまさしく、『敵地へと向かう前進』だった。
不安や恐れがあっても決して歩を緩める事の無いその前進には、『脅威に立ち向かう勇気』を感じさせる。ならばなぜ勇気が沸き立つのか。
その心、即ち『護るための意思』――その『志』を、音が作り上げていた。
勇壮な曲調はやがて穏やかになり、優しい音へと変化する。
それは戦いが終わり、平和になった世界で戦う力を人々を癒す力に変えたいという『志』の新たな側面であった。
演奏が終わり、静けさが戻る。
「心を籠めるという点では理子さんに敵わないが、物語を詠うという点ではまだ俺は勝つ自信がある――自らの音を再確認して、それを思った。
……勝ち負けという問題ではないけど、まぁ、張りあいたくなるくらい理子さんも上手くなったわけだ。出藍の誉れって奴だな」
「できた世界を音で表すだけでなく、音が世界を紡ぐ事もできるんですね。また一つ、勉強になりました」
ぺこりと頭を下げる理子から、夢野は視線を外さない。
(だから、俺は決めた。俺が4ヵ月後に奏でる音楽は、俺の『センセイ』として皆と共に過ごした物語。
そして俺が望む未来予想図……ただ、今はまだ何を望むのかは自分自身でも分からない)
「だがそれを見出すには、まだ時間は十分ある――そう。まだ、な」
聞こえない様に独りごちると、席へと戻って行くのであった。
「にしても、後ろから追いかけられているのがリクエストとは、言うようになったな。
皆の前でトランペットを吹くのは、久しぶりだ。ワクワクあがるぜ――バイト先のクソ親父共に駄目出しされ続けた俺様の、進化を見るがいい」
騎士がトランペットを吹き始める。曲目はSoleao。
(そういえば学園に来て1年経ったな。って事はあいつを殺して1年になるのか……)
騎士のトランペットには、誰か特定の人物のみに向け、想いを捧げるような想いが籠められている――それが聴いている皆に十分、伝わっていた。
その想いが途中で、止まった。騎士が止めたのだ。
「あ〜……しんみりだな。やだやだ」
自ら作り上げてしまった空気に嫌気がさし、トランペットを置くなりヴァイオリンを手にすると、最初はゆっくり語りかけるような曲調、それが途中からガラリと速弾きパートへと移行するパルティータ第2番を演奏するのであった。
全てを、振り払うように。
「まだまだ未熟なれど、聴いてもらおう。
曲目は『愛の挨拶』。なんだかんだと、多分一番練習している曲だからな」
(それに、一番聴いてほしい曲でもある)
アルジェの視線は自然と、修平に向いていた。
1音1音、丁寧に気持ちを籠め、聴いている者を口説き落とす様に、愛を音で語る。まだまだ技術面の拙さは承知の上――それでも今の想いを精一杯に表していた。
吹き終わりには頬を上気させ、額に汗が輝いている。
いつもと変わらぬ無表情のはずなのに、その情熱が表情に滲み出ていた。
「……これが今のアルの演奏だ。どうだっただろうか?」
「すっごく気持ちが籠ってたよ」
海が代表して、皆の言葉を伝える。
「そうか……良かったら海、皆が終わったあと一緒に演らないか? 海のソウルフルなリズムに乗るのは楽しい」
ピアノの前に座った川知 真(
jb5501)が、鍵盤に指を乗せてから動きを止めた。その顔には苦笑いが浮かんでいる。
(王を賛美し、兵の士気を上げる歌の仕事を放棄して堕天させられた私が、神を賛美する歌を歌うのは……神と王が別の存在だと分かっていても何とも言えない気分ですね)
それでも、歌う事はやめられない。
ゆったりとピアノを弾き始め、真の高いソプラノが部屋全体に程よく響き渡る――曲は、アメイジンググレイス。
神へ捧げる歌にして、悔恨の歌。それがなぜか真にしっくりと、していた。
歌詞の意味など知らないがその手の歌が好きな澄音が割り込んでくると、真の声質と音量が変わり、2人の声がハモリ出す。
だが声量は1人で歌っていた時よりも大きく、澄音もそれに負けじと全力を出していた。部屋全体が震え、今使っていないピアノの弦すら震え、わずかな音を出すほどに2人の声が響き合っていた。
歌い終わり、「やっぱり1人より一緒に歌ってくださる方がいた方がいいですね。ありがとうございました」と伝えるのだが、どことなく澄音は不満な顔をしている。
「……声、もっと出るだろ」
「屋外ならいいんですが、ここで全力で声を出してしまうと声が反響しすぎてしまいますから。
あっ、音楽祭の時は全力でしたよ。マイク使いませんでしたので」
照れたように笑う真。そんな真に指を突きつけ、「今度は外でな!」と挑戦状の様に言葉も突きつける。
「ええ。構いませんよ」
にっこりと、笑みを返す真であった。
そして最後に立ったケイ・リヒャルト(
ja0004)は、何も持たない。
「あたしは……歌なくしては生きていけなかった……そして生きていけない」
胸に手を当て、すっと瞳を閉じて大きく息を吸う。
「だから、歌うわ」
瞳を開けた時には別人のような気配をかもし出し、静かに、滑るように歌いだす。
それは真と同じ、アメイジンググレイス――ただ、真と違うのは誰かに捧げる歌い方というよりは、自分自身を表現するための歌。
その声はどこか遠くを彷徨う様に、奥行きを感じさせる。
優しく穏やかで、静かに――神の恵みを歌に、見出したかのように。神の恵みである歌を、尊ぶかのように。
別世界が繋がるような感覚。徐々に抑揚のある声へ変わっていく。
瞳を閉じ、心の奥深くを歌い上げ、それは段々と力強く確信的に変化していくと、瞳も開き、目力が強く輝きを放つ。
いつしか、胸に手を当てていた。
まるでこみ上げそうな感情を、押し殺している様である。
穏やかに――けれど、確信を持って力強く伝える。
命が続く限り、そう、心と体が朽ち果てる時が来た時に、喜びと安らぎが訪れるのだと。
そして最後、たっぷり間を置いて溜めを作ると、優しく、愛しげに歌い上げる。
歌は、永遠に私の物だと世界に伝えるのであった。
……歌い終わり、少しばかり静かな世界が広がっていたが、その時を動かす様に再び歌いだす。
これまでと違い、そこにまるで伴奏があるようにリズムに乗り、楽しげに妖艶な声で。
「The tryst of overnight as long as tonight
The romance of overnight as long as tonight
OK,let’s enjoy
OK,let’s crazy dance
Do’nt miss the moment
Do’nt miss you――」
澄音が割りこもうとするのだが、珍しく躊躇していた。
それは、ケイの歌への想いと自分の歌への想いが別のところにありすぎて、自分が入る事でケイの魂とも呼べる歌を壊したくなかったからだった――
皆が帰ったり温泉へと向かったりした中、修平は1人、ピアノの前で座っていた。
『どうだったかしら、修平』
ケイに感想を求められた時、その場では「凄かったです」としか答えなかったが、ピアノが弾きたくなってしまったのだ。
そこに真が顔を出す。
「先日はすみませんでした。差し出がましいことを言ってしまって」
「先日――ああ、いえ。そんな事はありませんよ」
「修平さんは技術があります。だからこそ音楽を楽しんでいただきたいんですよ。
それにまだお若いんですから、我侭を言ったり甘えたり、自分の思っていることや感情を、もっと表に出した方がいいと思うんです」
そして真が、寂しそうに笑う。
「今のうちに出しておかないと、後で後悔しては遅いですよ」
「……やはり大きいほうがいいのだろうか?」
温泉で海の胸と自分のを見比べ、つい、口に出していたアルジェ。
空気が和らいだかという所で、切りだしてみた。
「海は聞いていないか? 修平が戻ってきた理由とか」
「え? 私のために戻って来たってのは聞いたけど、それだけしか知らないかなぁ」
「ふむ……」
隣の男湯に、誰かが入ってきた気配――それにアルジェが「すまない、海」と脱衣場へと戻って行った。
(話しても、いいかもしれないとは思うんだけどね……)
真の言葉を思い返しながらも、それでもまだ、思い留まっていた。
「言ってはいけない、か……」
「修平、背中流すぞ」
ガラッと開けて入ってくるアルジェのタオルが、はらりと落ちる。
だが鍵をかけ忘れ、入られた時点で色々と結果が見えていたのか、目を閉じていた修平であった。
(こんな日常でも、壊すわけにはいかないからね……)
拙いなれどその音律は心に 9章 終