「ただいまー」
「おかえり」
アルジェ(
jb3603)の姿を見るなり、海は詰め寄る。
「ここ最近、一緒に帰らないね? 修君としばらく口利いてないんじゃない?」
「そんな事はない、何時もと変わりはしない。
練習時間を作りたいのと、話す用が無いからたまたま修平と話していないだけで、いつも通りだ」
淹れたての紅茶を差し出す。
納得していない顔の海だが、それを黙って受け取りすすり――呻いた。
「どうした?」
差し出し返され、それをすすったアルジェが動きを止めた。
「……苦い、な。すまない、少し量が多かったようだ。淹れなおす」
メールに目を通し、ケイ・リヒャルト(
ja0004)が目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべた。
「音楽を……いいえ、音そのものを楽しむ、か」
「難問というべきだが、それについて思う事はあるな」
君田 夢野(
ja0561)の言葉に、同意だと言わんばかりにケイと江戸川 騎士(
jb5439)も頷く。
「みなさん、そうなんですね」
川知 真(
jb5501)が『みなさん』の顔を順に見ていくと、腕を組んで何度も何度も首を傾げながら考えている亀山 淳紅(
ja2261)の姿が。脂汗でも吹き出そうなほど、ずっと考え込んでいる。
「それはそうと、演奏する曲の方向性を決めませんか?」
「そうね――理子の過去・現在・未来をお母様に伝えられるような曲が良いかしら。3部作とかにしても面白そうね」
「俺としてはこれまでの8ヶ月と、これからの5ヶ月。そこで皆が思い感じた事、遺して来た思い出、あるいは誓い――彼女に捧げる音楽は、俺達9人で作り上げていくからこそ、9人の想いをこの曲に込めたい……どうだろうか」
ケイと夢野の言葉を聞いていた騎士が、ロケットをポケットに収めた。
「別によ、1曲にするとかにこだわらなくてもいいんじゃねえの?」
「私もそう思います。これだけの人数がいて色々出来るのですから、ミニコンサートのような形式でも良いんじゃないでしょうか?
墓前だからって、しめやかな曲でなくてもいいでしょう」
しばしの沈黙。
「それぞれがそれぞれの想いを伝える、か。それでいいんじゃないだろうか?」
(俺の想いはもちろん――)
トランペットを吹く少女の姿を思い浮かべ、彼女の奏でる音を思い返すと、自然と表情が安らいでいた。
「そういう形式でいいんじゃないかしら。その際、パートは歌を希望するわ」
「フレーズを似せたりとかってのも面白いよな。ま、そこらへんはここで決める事でもねーけど。
んじゃ、俺はちょっと用事があるからよ。じゃーな」
「そうですね。後は決めていただく形がいいでしょう」
それが締めの言葉となり、次々と席を立つ――そんな中、淳紅だけはまだうんうんと唸り続けていた。
早朝、ケイが修平の家を訪ねていた。
「あれ、おはようございます」
「おはよう、修平。もしよかったらだけど今から、一緒してもらえないかしら」
その誘いに「いいですよ」と答え、肩を並べ保育所へ向けて歩き出す。
車が横を通り過ぎていった。
「修平、今の車が通る音、なんて聴こえた?」
「え……? うーん、ヒュゴウ、ですかねぇ」
道中ではずっと、そんな質問が繰り返されていた。
鳥の羽ばたく音、風で揺れる木々の音。
さまざまなモノの音の効果音を保育所につくまでの間、ずっと。
「お? お前ら、はえーじゃねーか」
保育所の職員室から顔を覗かせたのは恵那ではなく、書類を片手に持った騎士だった。
「あら、恵那は?」
「そこでまだ寝てるぜ――おっと、修平は見んじゃねーぞ。ガキんちょはまだ知らなくていい」
書類を机の上に放り投げると、空いた手で戸を閉める。
それから恵那に代わり、騎士が薪ストーブを点けるのだが、ここでもケイの質問は続いていた。
傍から聞いていた騎士だが、つい口を挟む。
「お前は考えすぎなんだよ。もっと直感的に答えろ。きっと、そう思ってるぜ?」
そうだとも言わないが、薄く口元で笑みを形作るケイの様子に、騎士の言葉が的を射ているのだと気づかされる。
「誰かに話すから、こう答えなくちゃ、なんて正解は無いのよ?」
「お邪魔するでー! さっむ!」
部屋へ飛び込んできた淳紅が薪ストーブに密着する。
その後ろからぞろぞろと、理子の父親を含め、他のメンバーも顔を出す――が、1人足りない。
メールの着信音。真からだ。
『申し訳ありません。今回は参加できません。皆さんと音を楽しんでください』
読み上げ、少しだけ残念そうに携帯を閉じる修平。
そんな事はお構いなしに海、理子、それに澄音の3人が初めて触るオルガンで騒いでいた。
「暖かくなるまで、ここから離れへんからなっ! ……?」
キッと睨むもやしっ子淳紅が、理子父の厳しい視線にとりあえず笑顔を返しておく。
「よ、海。バレンタインはアリガトな。コレやるよ」
ポケットから純金のロケットを取り出すと、海へ渡した。
「ありがとー!」
「入れる写真が無かったら、俺の写真、やろうか?」
冗談めかしつつも笑いながら言ったのだが、海は「ちょーだい」と言う。
そのロケットがどういう時のプレゼントなのか、わかっていない風である。久遠ヶ原の生徒であれば、わかっていたのだろうが。
微妙に冗談が不発で終わってしまった騎士が肩をすくめ「あとでな」と、その話をしめてしまう。
理子父が厳しい視線を向けていたのに気が付き、楽しげな笑みを夢野に向けた。
「理子、今日はしっかり楽しんでいけな」
肩に手を置きさらに険しくなる気配を楽しみつつ、パッと手を離すと、わざわざ理子父の方に顔を向ける。
「おっと、これ以上は君田にわりーもんな」
どうにか無関心を装っていた夢野も、思わず咳き込む。
咳き込んだ本人と、赤くなってうつむく娘を交互に見比べ、もはや答えは明白と、理子父の視線は完璧に夢野へ固定された。
咳き込みを誤魔化す様に、咳払いひとつ。
「修平君、音を楽しむって事で悩んでいるらしいね」
「ええ、まあ……」
「修平君。俺はな、楽しいから音楽をやっているわけじゃないんだ。
もちろん、音楽自体は楽しんではいる。だが、根本的な理由はそれとは別――君田、響音」
その名前に修平はピンと来ていないが、理子父の方が反応を示していた。
「もしかしたら、聴いた事はあるかも知れない。その人の音楽が、全てを失った俺の心を救った。
そして俺は、義父さんと同じ事をしたいと思った……それが、音楽をやる理由だ」
理子の楽しそうな顔を見る。
「あえて言うなれば、俺の演奏哲学は『志』。音楽を通じて何をやりたいか、何を伝えたいか――大事なのはそこだと思う」
だから少女の母へ伝えたい言葉がより一層、感じ取れる。
そしてより一層――届けさせてやりたいと思う。支えになりたいと。
「楽しむって言うのは、いわばその一種だ。
誰かを楽しませる、というのは音楽の数ある意味の一つだからな」
「おら、お前らゲーム始めっぞ! 修平は置換え表現できるようになったようだが、まだまだだからな!」
「さーて、今回は俺もセンセイぶらずに、楽しむとさせて頂きますかね。んじゃ、遊ぼうか!」
襖で二間を仕切るとオルガンで、曲ではない音を鳴らす。
「今の音は何を連想させるものだと思う?」
淳紅が勢いよく腕を振り掲げ自信満々に答えるのだが、不正解。
「聴音は昔から得意やなくてなー……」
「次はアルが問題を出そう。楽器の演奏方法から入ってしまったからな、こういう音の原点に触れるのはいい影響がありそうだ」
最初はまず調音から始め、それから何かの音を演じる。
「それはきっと、お湯の沸く音ね」
ケイの回答に「正解だ」と答えた。
「修平は頭が硬いから、こういうのが苦手なんでしょうね」
「だよな。今のお前は、音の楽しさを知らない園児と変わらん。悔しかったら何か弾いてみろ」
ふられても思いつく物が無いのか動けない修平に代わって、ケイが席を立つ。
「ならちょっと、別の事をしましょうか」
そう言って弾きはじめるドレミの歌。ドとミを交互に鳴らす。
「最初のドはドだけど、次の部分ではミで歌ってるって気づいてた?」
楽しげに笑いながら、一転、ジャズを歌いながら弾き始める――その音を、部屋の外で壁に身体を預け、俯いて聞いている者がいた。
その表情は俯いているためわからないが、紛れもなく真である。
楽しげな音、楽しげな声を聞くたびに、軽く握った拳をさらにキュッと握りしめた――ところで、アルジェと出てきてしまった。
「少し前に来たんですが、ゲームのお邪魔してはいけないかと思いまして、タイミングを図っていたんですよ」
聞かれる前に、照れたような笑顔で言い訳。
「そうか――この2人に報告しておきたいことがある。すまないが3人だけにして欲しいのだが」
「ええ、では部屋の隅の方にでも座らせていただきますね」
入れ替わり、そしてアルジェが海と理子を前に、静かな廊下で淡々と語りだす。
「アルは修平に告白……らしきものをした」
驚く2人を前に、さらに続ける。
「アルはライフワークとして人の感情を観察、分析することをしている。その中でも修平は特異な部類に入ると思う、そう感じて特によく観察していた。
知れば知るほどなぜ自分の感情をココまで押さえ込むのか……そうしてる事すらも忘れる位自然になってしまったようにも見えるが、それが知りたくなった」
耳が熱くなっていくのを感じる。
「だから、感情が見たいと言い衝動的に唇を奪った。返事はもらってないが、抜け駆けの形になってすまない」
顔を見合わせる2人。
「報告は以上だ。前回の練習で見せてくれたように、多少は影響があったようだが……アルは理子、海、そして関わる皆とこれからも良い関係を続けたいと思っている。
これからも、一緒に演奏することを許してもらえるだろうか?」
「大丈夫だよ!」
海が笑い、部屋へと戻っていく。胸をなでおろすアルジェだが、理子がこそりと耳打ちする。
「海ちゃんはああ言うけど、修平君に一番固執してるのは海ちゃんなんだ。好きとかっていうのとは、ちょっと違うんだけどね」
それから理子も部屋へと入る。
残されたアルジェは部屋へ戻る勇気も出ず、そのまま逃げる様に去っていくのであった。
3人が出たのを確認した理子父が、夢野の横へとやってくる。
「……君の伝えたい想いは、なんだ?」
やはりきたかと天を仰ぐ――だが腹はもう、括った。
「戦い続ける俺の心を預けられる場所、それが理子さんの奏でる心、音楽だと見定めた。
だから俺は母へ素敵な音色を届けたいという彼女を支え続け、そして受け入れてくれるなら、それから先も彼女の支えでありたい」
大きく息を吸い、吐き出す。
「だから、矢代さん。
おこがましい言葉かもしれません――けれど、理子さんと共に夢を見る事を、どうか許してください」
実に分かりやすい言葉に、頭を掻いて「調和を大事にな」と離れるのであった。
そこに2人が戻ってくる。
ホカホカとなった淳紅が眼鏡をかけ、ワンド片手に皆の前に立った。
「ゲームの後は勉強も必要やろ? ホワイトデー特別講義って事でほい、ノート。
まず、ヒトはなぜ演奏する事を楽しいと感じるようになったと思う? ほい澄音ちゃん」
ビシッとワンドで指された澄音が頭の後ろで手を組み、眉を寄せた。
「さー? あたしとかは歌わなきゃ生きていけないって感じだけどな」
「正解やね。 生きるのに必要やったからや――ほなら次、なぜ必要やったんか。はい理子ちゃんのお父さん」
指された理子父が「伝達手段だった?」と答えると、腕でバッテンを作る。
「ブッブーッ! 生きるため、他者と共に生きる道を選択したからや」
自然、理子父は夢野とその隣に座る娘へと目が向いてしまう。
「ヒトが他者と生きるのに必要なものは何か。それは絆を作ること――結束力ともいうかな」
近くにいる海を立たせ、手を叩くとその動きでわかったのか、合わせて歌なしの手遊び歌をかわす。
「皆で演奏して、歌って踊って、リズムに乗る。それは自然に相手と合わせるきっかけになり、繋がりが生まれる。
つまり人が音を楽しい、好きな物と感じるよう進化したんは『他者と心を通わす』のに音楽が必要なもんやったから、が理由やったんやね」
ぱんっと力強く掌を叩きあわせ、海を座らせる。。
「音を楽しむ秘訣とか好きな理由とか、こういうとこにも隠れてるんちゃうかなー。
以上、今日の講義終わり! 復習は各自、感想はメールで提出するように。特に寝てたそこ!」
ノートを叩き、寝てしまった澄音を起こす。
「そろそろ、解散しようか」
まだ早いのだが、休日出勤の恵那に申し訳ないと思ったのだろう。理子父の言葉に各自が帰路へとつき始める。
「あ、せや! 宿題の答え、見つかった?
「それがよくわからなくて……正解なんてあるんですか?」
「正解? そりゃモチロン『欠点なんてない』! ……やったら嬉しいけど 、『たくさんある』 や。
自分が知ってる自分の欠点のひとつは考えすぎ、思い過ぎかな。理屈っぽすぎるんよね、多分」
肩をすくめてみせた。
「修平君は逆に考え無さすぎなんやと自分は思ってたけど……どう?」
十分に考えている、そう言いたかったのだが何故か言葉が出ない。
淳紅が背中をポンと叩き、同じく叩いて去っていくケイ。
そして不意に、後頭部をはたかれる。
「誰でもそうだろうが、お前は自分が傷つくのが怖いのさ。だから全てを他人事にする。まあ……俺が言う台詞じゃないがね」
去ろうとする騎士が一瞬だけ、理子を見る。
(やっぱり理子のおふくろさんは、俺と似て非なる存在だったか……書類には冗談として捉えられてたけど、間違いねーな)
夢野は「ちょっともう少し話そうか」と理子父に捕まり、連れてかれる。
海達も帰り、部屋に残ったのは修平と真。目の奥になにやら棘を感じた修平が、おずおずと声をかける。
「今日はどうしたんですか?」
柔和な笑みを崩しはしないが、どことなく真の視線が冷たい。
「修平さんは最終的にどうしたいんですか?
もしピアノの技術力を上げたいだけなら、もう十分かと。まだ足りないと言うなら、1人で超絶技巧曲でも練習されたらいかがですか?」
確かな棘に、口を開けて意外そうな顔をする。
そんな修平の横に並び、皆の帰っていった戸へと視線を向ける。
「貴方にはどんな貴方を見せても受け入れてくれる、仲間がいるでしょう。
理性的なのもいいですが、いい加減自分の心と向き合って、自分を皆さんにさらけ出したらどうです?」
言葉を一方的に投げかけるだけ投げかけ、そのまま去って行ってしまう。
部屋に残された修平は眼鏡を外し、そっと自分の袖を目元に当てるのであった――
拙いなれどその音律は心に8章 終