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「そうか、理子さんももうすぐ生まれ育った場所を離れる事になるのか……だったら、思い出に残るような卒業式にしてあげなきゃな」
理子からのメールを受け取った君田 夢野(
ja0561)は目を閉じ、出会ってから今までの事を順に思い浮かべていた。
(結果として久遠ヶ原に引き込んだのは、俺の責務のようなものでもあるしな)
そこでいきなり、部屋の戸が開いた。
「ゆめのーん! メールきたった?」
「ついさっき来て、少し感傷的になっていたところだ」
「久しぶりに皆そろうんやね。楽しみや!」
そこもまた、感傷に浸る要因であった。
そんな感傷よりも目先の楽しみの方が大きいのか、もしくはそんな感傷などなかなか表には現さないのか、浮かれている亀山 淳紅(
ja2261)は来た時の勢いのまま、戸も閉めずに部屋を後にする。
「よーう。淳紅がすげー勢いで走ってたけどよ、やっぱオメーんとこにもメールきたか。
4月からは理子が来るけど、オメーには嬉しい限りだな?」
顔を覗かせた江戸川 騎士(
jb5439)意地の悪い笑みを浮かべると、それだけを伝えて背中を見せる。
わざわざ弄るためだけに来たのかと思うと、なんだか釈然としない夢野は騎士の背中にお返しを投げかけた。
「騎士君は残念だったな。海さんがこっちにこなくて」
「アイツは来なくて正解なんだよ」
後ろ手に手を振る騎士の言葉に共感できる部分もあるなと、腹の傷をさする夢野であった。
久しぶりな感じがするこの流れのメールに、川知 真(
jb5501)の足は自然と、思い出がある音楽室へと向かった。すると、溢れてくる素敵なピアノの音色――やはりピアノの前にはケイ・リヒャルト(
ja0004)が座っていた
真の気配に気づいたケイが手を止め、ニコリと微笑む。
「真も、足が向かった口かしら?」
「はい。不思議なものですね、たまたまでしたのに」
「メールを受け取ったのなら、そう不思議な事でもないわ。思い出とはそういうものよ」
懐かしむように瞼を閉じ、そして今度は歌声も乗せてピアノを再開させると真は「そうなんですね」と納得して、ケイの歌声に自分の声も重ねるのだった。
「バーテンさん、いつもの一杯」
カウンターの向こうにいるバーテンダーのアルジェ(
jb3603)が、そっとアイスティーを海の前に滑らせる。
「あ、これを亀山さんに届けてもらってもいいですか?」
理子がカバンから取り出したのは1枚の紙と磁気カセットテープで、A面には校歌歌あり、B面には校歌歌なしと手書きで書かれている。
話の流れからすれば、淳紅が校歌の歌詞と音源が欲しいと言ってきたのだろうなと容易に想像がつく。
だがそれならば――
「今日、学校で渡してくれても良かったのでは。学校で見つけてきたのだろう?」
「学校のはカビてたから処分しちゃったんだけど、作り直したんだって」
どういうことだとアルジェが尋ねる前に、理子が目を閉じて語りだす。
「……うちで、ね。伴奏がお父さんで、歌がお母さんだったんだってさ」
涙を見せるかと海もアルジェも思ったが、毅然とした表情であった。
(この1年で、強くなったな……門出の祝いだ。1つ、景気良く盛り上げていこう )
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「卒業、おめっとさん。ささやかながらのお祝いを、手前ぇらに贈るぜ」
幕が上がりきると、待っていたのはおおよそ卒業式の音楽とは思えないような騎士によるエレキギターの激しい音色。
「とうとうやって来てしまった卒業式――だが私達には別れの歌よりも、もっとお似合いの物がある!
心の……いや、魂の演奏。とくと聞いてください!」
音に乗せた海の言葉が途切れるのに合わせて、アルジェが演奏を止め、息を呑んだケイが口を開いた。
「いつもの毎日 Hellow Hellow でも良く見て 景色はいつも変わってる
気付けば――」
卒業生に指を向け、「ほら――」と卒業生に向けた指を、自分に指を向けた。
「キミはボクを見詰めていて ボクはキミを眩しく見てる
キミは迷いに沈んだり ボクは自戒に悲しんだり
気付けば――」
まだ見ぬ未来へと手を広げ「ほら――」と、自分の胸を押さえる。
「新しい自分へと生まれ変わる」
ケイが歌っている最中、自分の仕事はこれで全部だと言わんばかりの海の肩にアルジェの手が置かれた。
「海のバウロンは皆を楽しい気持ちにさせてくれるから」
両肩を押さえて、ぐいぐいとステージに向かって歩かせる。
「この1年、誰よりも近くにいた友達であり姉妹のような【仲間】だからな。今更蚊帳の外になんて行かせないぞ」
「そうですよ」
微笑む真がコサージュにしたスイートピーのブリザーブドフラワーを海の左胸に付け、すでに同じようにコサージュを付けた澄音、2人の手を取りステージへと引っ張っていく。
「さあ、開幕させましょう? 音楽への情熱に差はあれどずっと一緒にいた貴方は私達の大切な仲間ですから」
背中を押され、手を引かれるがままステージに足を向ける海だが、その表情は困ったようで嬉しそうなものであった。
リズムが単純でわかりやすく、ノリやすいアップテンポの間奏を挟み、ケイが再び口を開こうとしたその瞬間、大型クラッカーが盛大に弾ける音と共に、天井からは大量の風船がゆらゆらと降ってくる。
『その瞬間』
ケイと騎士の声が共鳴し合う。
「キミもボクも輝いている」
『輝き続ける』
「正しさなんて関係無い」
『想う道を行くんだ』
(それぞれの想いを背に、思った通りの道をまっすぐまっすぐ。何処までも……まっすぐ。アナタ達ならそれが出来るはず)
ケイは卒業生を1人1人順に見ていると、ギターの余韻が終わらぬうちにステージの上の淳紅がピアノの前にいる修平へパチンと指を鳴らした。
「修ちゃん、よろしくぅ!」
頷き、鍵盤に指を走らせる。軽くて遅い音に、重くて速い音。全体的に重苦しくあった校歌がややコミカルで、楽しげな曲に変貌していた。
「海、バウロンで感じるがままに叩け」
背中を叩き、アルジェが感じるままにサックスを吹き始めると、海も「ここだ」と思うタイミングでバウロンを叩く。
そして澄音、真、淳紅、3人による混成三部のアレンジ校歌。
アレンジ譜面は真についさっき見せてもらって、初見となるこのアレンジ校歌の出だしに、臆することなく歌いだす澄音。すでに何度も練習したかのように、澱みなく、しかも自信を持った歌声。
少し悪戯っ子ぽく微笑んだ真が、澄音の声に声を重ね、澄みきった2人の聖女の声が人の鼓膜と心を震わせる。
(これが、才能なんやろうな)
2人には軽い嫉妬を覚える――それに、借りたテープで聞いた理子の母親の歌声も、数百年以上にわたって歌を愛してきた大先輩だけあると思わされてしまった。
だが、それはそれ。
歌への情熱は、誰にも負けない。2人が人の心を震わせる歌を歌うのならば、自分は世界を震わせる歌を歌えばいい――ただそれだけだ。
全身全霊をかけて、音に没頭する淳紅。
それに澄音が対抗心を燃やすも、才能だけでは越えられない『修練の厚み』の前には無力だった。真はと言えば対抗心を燃やしたりもせず、歌いながらステージから降りると、卒業生へ順番にコサージュを付けて回っては微笑みかけていた。
3人の校歌が歌い終わる頃、呼びかけるようなアルジェのサックスに修平が視線を向け、2人の視線が交わるとそれだけで通じ合った。
ピアノ演奏が終わり、海も音を出すのをやめると、アルジェの語りかけるようなサックスだけが体育館に響く。短い演奏が終わるかという所で、応える修平のピアノが続き、お互いが語り合っているような掛け合いがしばらく続いた。
やがて絡み合う2人の音には艶があり、聴く人によっては少し、頬を染めたりもする。
そしていよいよ、頬を少し染めた理子の出番であった。
淳紅が淡い光を放つ光球を次々と理子の周囲に浮かべていくと、照らし出された理子がトランペットを構え、ピアノとサックスの余韻が消えたその直後、『愛の挨拶』が始まる。
誰もが酔いしれる音に、夢野の指には知らず知らずのうちに力がこもってしまう。
(すっかり、彼女の演奏も俺より上手くなった。出藍の誉というものだな)
自分が色々できる分、そこそこのレベルである事を自覚している分、追い越された事は別に悔しくはない。むしろ嬉しいくらいである。
固くなった指の緊張をほどき、集中力を最大限にまで研ぎ澄ませ頃合いを見計らうと、滑らかに自分の音を割り込ませた。
夢野に向けられた理子の優しく微笑んだ目に、夢野も目で微笑み――出会ったころを思い出す。
(一目惚れ……では無かったな。むしろ最初はただの弟子と思っていた――明確な切っ掛けというものも無かった、と思う)
素晴らしい音だとは感じた。技術的な未熟さが惜しいとは思った。
だが、それだけだったはずである。
(ただ、彼女と触れ合ううちに心の内の充足感みたいなものは感じられた。
撃退士として送る殺伐とした日々に、彼女は音楽という心の拠り所を思い出させてくれた)
死も厭わぬ戦い方をしていたが、いつしか帰るべき所があるとはっきり自覚した時、理子の存在の大きさにも気が付いた。
(ありがとう、理子さん――帰るべき日常を守ってくれて。君がいるから、今の俺は戦える)
観衆の目も仲間の目も完全に意識から消え去り、理子と自分の音しか存在しない世界に踏み込んだ夢野の耳には、理子の声か、もしくは理子の声に似た声ではっきりと「ありがとう、夢野さん」と届いた。
ハッと意識が現実に引き戻された時には、理子も自分も演奏を終えていて、拍手の音だけが響いていた。
そこに舞い上がる、七色の羽。
「皆様の門出に祝福を。ご卒業おめでとうございます」
風を背にして、深々とお辞儀をする真。それに続くはポップになった校歌をケイがピアノで、騎士がエレキギターで、夢野がトランペットで、アルジェがサックスで演奏すると、淳紅が巻き起こした風が作り物の桜の花びらをまき散らし降らせると、全員立つようにという仕草をして校歌を歌いだす。
真とケイも歌いだせば、たちまち感染したかのように生徒も父兄も手拍子を交え、歌っていた。
そしてその歌声と手拍子に包まれ、理子達卒業生は式場を後にするのであった――
退場後、淳紅が引っ張り出してきた2弾鍵盤の電子キーボードで器用にドラムとメロディを分けて、メジャーで明るい曲を伴奏すると、退場したばかりなのに戻ってきた澄音を含み、体育館は歌の無法地帯となるのであった。
「ピアノで静粛なお涙頂戴曲も勿論ええけど、どうせならぱーっとした曲歌いたいやろ?」
「思いっきり歌うって機会少ないからな。超気持ちぃ〜♪」
「どこまでも、歌いましょう」
ギターをかき鳴らしながら騎士も、そしてケイも歌い続ける――
「卒業おめでとう」
音楽室で夢野は持参した紙袋を理子に渡す。中には久遠ヶ原の制服などであった。
「それとお返しだが……こんなものしかないけれど」
薔薇の形をしたの石の指輪を理子の手の上に。
「学園に来てから、身の護り方やアウルの使い方を教えて欲しかったらいつでも呼んでくれ。
――久遠ヶ原で、俺は待ってる。きっと、学園は君を歓迎する」
理子は右の薬指に指輪を通し、夢野の顔を正面から捉えながら「好きです、夢野さん」と、万感の思いを込めてハッキリ、そう伝えるのであった。
教室に1人戻った修平――本来なら、卒業生全員がそろう所だが、皆、結局体育館に戻って行ってしまった。修平はちょっと物を取りにきたのだが、改めて眺めた黒板の落書きに『亀山参上!』の文字を見つける。
「卒業おめでとうだ、修平」
肩をすくませた修平が振り返るとアルジェが佇んでいて、ちょうどいいなと修平は取りに来た物を差し出した。
「まあ、ありきたりなものだけどさ……」
「……そうか。今日はホワイトデーでもあったな、有り難く受け取ろう……だが」
受け取ったアルジェはずいっと修平に詰め寄り、黒板との間に挟み込んで逃げ場を断ち「アルはもう1つ、欲しいものがある……」
と、そっと肩に手を乗せる。
「その肩に背負っているモノだ……その半分、アルに背負わせてくれないか?」
だが修平は唇を噛みしめるばかりで応えはなく、その目は辛そうだったが、それでもやっと、修平は口を開く。
「……僕だけじゃどうにもならない時が、来るかもしれない。その時まで――海ちゃんから目を離さないでいて、ほしい」
それが精一杯なのかと、アルジェは少し落胆するが、それでも少しは背負えた。それだけでも今は、よしとしておこうと落胆の色を見せずに頷くのであった。
「ところでこれで完全に僕の依頼が終わったわけで、アルジェはどうするの?」
「……アルの進路? 決まっているだろう?」
アルジェの珍しく見せる微笑みに、修平はカッと熱くなっていた――
1人抜けだし、ぼんやりと1年の関わりを思い返しながら真は薄く桃色になりつつある桜のつぼみを眺めている。
「こちらはまだ桜が咲かないのですね。でも、もうすぐ咲くでしょう」
ちらりと、体育館に目を向ける。
「そう、不変など、永遠などつまらないものです。移ろい変わるからこそ魅力的なのですから」
頭を深々と下げ「彼らに幸あらん事を」と願い、そして誰にも何も言わぬまま、この地を離れるのであった。
卒業式が終わり、海の家での二次会の最中、後ろから騎士が修平の頭を叩き、その肩に腕を回すと耳元に口を近づけた。
「心配するなと言わないが、あいつはお前が心配するよりも強えし馬鹿じゃねえよ。手前ぇが『何者であるか』とっくに気がついていると思うぜ」
そしてすぐに離れ「ま、それでも困ったら連絡して来いや」と、手を振り海の元へと向かうと、頭をなで繰り回す。
「今日はよくやった――ほぼ繰り上がりだろうが、高校ともなれば他中学からの奴もいるだろうしよ。お前にも早く清く正しい虫が付くよう、頑張るんだぞ」
理子と夢野に視線を向けていた事で、虫の意味が分かった海――だが。
「え、あんま必要ないかなぁ。江戸川さんといた方が楽しいしね……て、ほにゃー!?」
表情一つ変えない騎士だが、海の言葉が何かに触れたのか、海の髪を弄繰り回すのであった。
「そういえば。
これにて依頼任期満了って感じやけど、まだ修ちゃんの登録名依頼人のままなんよね。この関係に、何て名前つけたらええと思う?」
淳紅がにやっと笑って修平へそんな疑問を投げかけると、少し考えたのちにこれしかないと、修平は伝えた。
「音の巡りあわせでできた縁を持つ者同士って事で、僕らは『音縁奇縁』の仲でしょうかね」
音が音を呼び合わせ、不思議な縁が生まれた。それがこの1年で、皆が得たモノなのであろう――君達に祝福あらんことを……
拙いなれどその音律は心に 完