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マスター:楠原 日野
シナリオ形態:シリーズ
難易度:易しい
形態:
参加人数:6人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2014/09/14


みんなの思い出



オープニング

 まだ蝉の大合唱が聞けるものの、夏休みが明けてしまい、学校は始まっていた。
 夏休みテンションのまま、ふざけ合っている男子生徒。この夏であった色々な思い出を中心に、おしゃべりを楽しむ女子生徒――人数が少ないながらも、休み時間の教室はそれなりの喧騒に包まれている。
 だがそんな喧騒も関係なく、矢代 理子(jz304)は自分の席でひっそりしていた。
 一枚の紙を眺め、ずっとそのままの姿勢で身じろぎ一つしない。
「りっちゃん?」
 名を呼ばれ、顔をあげた理子が慌ててその紙を机にしまいこむ。その様子からあまり人に聴かれたくないのかと、中本 修平(jz0217)は屈んで机の上に両腕と顎を乗せ、声を潜めると、今見えてしまった物について尋ねた。
「今のって、久遠ヶ原の……?」
 その一言で、見られたのかとがっくりうなだれ、理子も修平と同じ高さまで顔を持ってきて声を潜め「うん」とだけ伝える。
 前、自分が天使と聞かされた際にこっそりと受け取っていたソレ――自分が天使と人の子供である事実をはっきり受け止め、そのための道を自分で選んだ証――を挟む指に、力がこもる。
 何も言葉を返さず、ただ受け取るだけで終わってしまったのが少しだけ惜しいのだ。
(もっと一緒に居たいんですって、言えばよかったな……)
 ちょっと頬を赤くして悶々とそんな事を考えている理子だが、さすがにそこまでは読み切れない修平が小首をかしげていた。
 そんな修平に理子は、自分の唇に指を当てて内緒ねというポーズを作る。
「まだお父さんにも言ってないけど、そのうち言うから黙っててね。修平君」
「うんまぁいいけどさ……それより、いよいよ次の日曜で最後だね」
 修平がそう切り出すと、理子の表情は一転して寂しいものへと変わる。言われるまでもなくわかっている事であるが、改めて言われると様々な感情が沸き立ってしまう。
 この1年で色々な新しい事に出会えた。
 そしてそれが、終わりを迎えようとしている。もちろん、これっきりではないと思いたいが、これっきりの可能性がある人だっているのを理解している。
 だけどそれでも――待ち遠しい。
 2人、何も言わなくともその想いは、同じであった。


「お帰り、理子」
 いつもの様に、外で仕事している父・郁也が理子に笑いかける。ついこの前までは深刻そうな顔をしていたものだが、今はもうそんな気配はない。
「ただいま、お父さん。
 明後日、いよいよだけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫。練習もしておいたから、問題はないよ」
 鍵盤もなしにピアノを弾くフリをする郁也の指が、理子の目には恐ろしく複雑に動くように見えてしまう。
 安心したように笑顔を返す理子は、家へと向かって行った。
 その背中を郁也は見送り、笑顔のまま目を細めた。
(来年から、あの子は傍にいないかもしれないんだ。今はとにかくあの子の為に動こう)
「それなら許してくれるよな、美亜」
 亡き妻の顔を思い浮かべ、そしてそれと同時に知ってしまった事も思い出す。
(彼が調べていたから、自分でも気になって調べたけど……次の日に急死する様な状態ではなかった、か。何か別の原因があるかもしれないと知ったら、あの子はどう動くかな)
 一瞬不安がよぎる。
 だが、思っていた以上に心が強い自分の子なら大丈夫と、その不安を振り払った。
 修平の家の方向へ、顔を向けた。
「……やはりあの子に、学園の入学を薦めよう。自分の事に向き合えるだけの、知識とかを持っておいた方が良いんだ」


 演奏日の前日。普段、人など来ることがない墓地に大型の車が停まっていたり、墓参りに来た風ではない人がずいぶんと多くいた。
 その中には修平だけでなく、津崎 海(jz0210)と吾亦紅 澄音の姿も。
「なんか、ずいぶん大掛かりになっちまったな」
「そうだねぇ……いつもみたいに電子ピアノで済ませるつもりだったけど、まさかこんな所にグランドピアノを運んでもらえるとかね」
 数台のグランドピアノが組み合減られていく様に、修平は溜め息しか出てこないし、澄音は呆れているのかよくわからない顔をする。
「お父さんにりっちゃんのお父さんも演奏するんだって教えたら、ずいぶん喜んじゃって。
 まさかこんなことしてもらえるとか、さすがの私も予想外」
 バウロンの撥を手に、海が笑っていた。
「明日の夕方には回収だって。けどお父さんたちは、演奏聞きに来るわけじゃないから安心してってさ――まあ、今は草の時期だしそんな余裕が全くないからだけど」
 ここに居る大人達は皆、業者である。そんな彼ら、顔にこそ出していないが内心、どうしてこんな所でと思っているに違いなかった。
「それもそうだね。
 でもそうなると、今日一晩ここに置かれるこれらを見張る人もいないわけか」
 修平の言葉に海はハッとする。
 ただその直後。
「ま、僕が今日、見張るよ。普通の人なら夜の墓場はいたくないだろうけど、僕の場合、天魔の怖さ知ってるからね」
「色んな意味ですげーな、修は」
 澄音に感心されるも、「慣れだよ」と笑って返す。
 そして修平は矢代家の墓をじっと眺めていた視線を外し、手で庇を作りながら天を仰いでかっと照りつける日差しにますます目を細めた。
 去年と変わらぬ、セミの鳴き声。去年と変わらぬ、陽射し。
 だが今年は、2人ではない。
(去年までなら、思いもつかなかった状況か)
 1年を振り返り、ずいぶん濃密な1年だったなと思い出し笑いの様なものを口元に浮かべていた。
「いよいよ、明日がこの1年間の締めなんだなぁ。後悔しないように、精いっぱいやらなきゃね」

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リプレイ本文

 準備をしてくれた大人達が去り、夕暮れの墓場に、静けさが再び戻った。
 いつの間にかセミが鳴くのを止めて、本当にシンッと静まり返っている。遠くでトラクターの動く音が聞こえるだけに、ここの静けさがはっきりと目立つ。
 墓の前でたたずむ、修平。
(色々な人達がりっちゃんの為に動いてくれましたよ、おばさん。
 きっともう、僕がりっちゃんを見続ける必要はないんじゃないかな――)
『理子が私の子どもである以上、将来的に様々な事に巻き込まれてしまうかもしれない。
 だから修平君。修平君はまだ力を上手く使えないみたいだけど、その力で理子を――ううん、この平和な場所を私の替わりに見守ってほしいの』
 床に臥す理子の母親、美亜から告げられたお願いを一字一句、思い出していた。
 もうだいぶ前の言葉で、ずいぶん幼かったというのに覚えている。それが切実な願いであると、幼いながらにも感じ取ったからだ。
 そしてそのお願いの直後に現れた女性も、はっきりと覚えていた。
 自分よりもずっと昔から、この地を見続けてくれている人だと教えられたその女性に、すごく惹かれるものがあったから。
 恋と言う感情に近いかもしれないけど、昔の話なのでさすがに、そうなのかまでは覚えていない。
 ただここ最近は思い返すたびに、思う。
「だいぶ、似てきたなぁ」
「誰の話だ、修平」
 急に声をかけられ振り返った修平の前に、ヴァイオリンとギターケースを手にした江戸川 騎士(jb5439)が胡散臭そうな顔をして立っていた。
「いえ、ちょっと昔の話です――それより、どうしたんですか? こんな時間にこんな所へ」
「よく言うぜ。お前だってこんな時間にこんな所にいるんじゃねーか。
 ま、俺は海から連絡あったから来たってだけだがな。ピアノも心配だけどよ、お前は明日に備えて休めってーの」
 小突く騎士がピアノの前の椅子に腰を掛けると、ヴァイオリンを取り出す。
 肩に乗せ、軽く音を出して確かめると、普段の騎士からすると珍しいほどに静けさを壊す事のない音色を紡ぎだした。
 修平は目を閉じ、その音に身を任せていた――すると脛を軽く蹴られ、驚いた修平は目を開ける。
「そういえば知ってっか? 今は東北の方にいる、シェなんとかって戦車好き天使の事をよ」
 長らく学園にも足を運んでいない修平が、首を横に振る。
「夢野とかは接触したみたいだがよ、どうにも理子のおふくろさんを知ってるみたいでな。
 だからどうしたって思うかもしれねえが、万が一って事もある。油断なんねえぜ」
「あ、だからか……一時、ここらへんに戦車型サーバントが現れてたのに、現れなくなってたのは」
「今度は、その東北から居なくなってるかもしれねえ。じきにここへ戻ってくるだろうよ」
 ほんの少しだが、修平の顔が曇る。
 そんな反応を騎士は見る前から、ヴァイオリンの弓でその頭を叩いた。
「ここで戦火がってのはどうしようもねぇかもしれねえが、少なくとも、もうお前1人でどうにかする必要はねえって事を覚えとけ」
「……ありがとうございます」
 礼を言われたはずの騎士が再び、修平の頭に弓を振り下ろす。
 それがかわされると、少しだけ面白くない顔をする騎士が弓をブンブンと左右に振り、そしてふと止めた。
「海の神様の話だけどよ。
 どっかでくだらねーことしてる、隠れん坊が大好きな双子の天使が、もしかしたら関わってるかもしれねーな」
 そう言った後で「まあ、知ったところでお前の苦労は変わらんだろうがな」と、苦笑してみせる。だが騎士の苦笑とは別に、修平の顔には苦い笑みが浮かんでいた。
 その修平の笑みを見て、騎士にはピンときた。
「修平――お前、海の神様ってのに心当たりがあるな」
 騎士が腰を上げて――下ろす。
「どうかしたのか、2人とも」
 日も暮れる寸前だが黒い日傘を差したアルジェ(jb3603)が、小さく首を傾げる。その服装は修平達と共に通う学校の指定制服に、久遠ヶ原の儀礼服を羽織るという、少しばかり珍しい出で立ちであった。
「……いや、なんでもねえよ」
 なんでもないと言いつつも、騎士は修平を射すくめている。
 ――そのうち言わせる。
 そう、目が語っていた。
 その話はそれで終わりだと言わんばかりにヴァイオリンを弾き始める騎士へ、少し不思議そうな顔を向けるアルジェ。それから修平に目を向けるも、修平も「何でもないよ」とあからさまだが、はぐらかす。
 こういう時は聞いても無駄とわかっているだけに、それ以上の言及はしない。
 修平の背中を押し、背中を合わせて修平と同じ椅子に腰を掛ける。そしてサックスを取り出して、手入れを開始するのだった。
 あまりにも自然な流れで押しのけられた修平だが、嫌な顔はしないものの、落ち着かない様子であった。それをニヤニヤと騎士が眺め、再びヴァイオリンの弦に弓を落す。
 それに負けじと、修平もピアノを指慣らし程度に弾き始める。
 ……どれほどの時間、そうしていたのか。気づけば赤い日差しすらも薄れ、風景が色濃く染まり始めていた。
「ずいぶんがんばってるねぇ」
 様々な音が交差するその場に、声が割り込んできた。
 音に紛れて始めは気づかなかったが、そのうちにアルジェが気付き修平の背中を小突いて、騎士が「よお」と声をかけた事で修平は手を止め、振り返る。
 普段から見慣れた郁也ではなく、それどころか記憶のある限りでは初めてかもしれないという、スーツ姿の郁也がそこにいた。
 とくにスーツへの知識が乏しい修平にとっては、ただでさえ郁也のスーツ姿ですら見慣れないというのに、モーニングコートとなるとなおさらである。
「おじさん、どうしたんですか」
「こういう寝ずの番は、大人の役目だからな。修平君は適当な時間で切り上げなよ」
 モーニングの上着を脱ぎ他のピアノの前に座ると、郁也は修平の名を呼んだ。
「技術は大したもんだけど、もっと一音一音のつながりと意味を考えて。無駄な音なんて一つもないんだから。
 あと、そういう癖があるのかもしれないけどあっさりめに弾かず、もっと音に没頭する癖を付けないと」
 そう注意して一呼吸置くと、郁也の少し節くれた指が鍵盤の上を踊る。
 それは修平程軽快ではないものの、時には駆け足で、また、時にはねっとりと絡みつくような音。それが上手なのかと問われると、そうだと言う人とそうでもないと言う人が半々くらいになりそうな、不思議な音。
 ただ確実に言えるのは、誰の印象にも残り、心に染み入る音であった。
(まさしく理子の父親らしい弾き方だな)
 それに気づけたアルジェだが、表情を大きくは変えないものの、目を丸くする。
 1年前の自分なら、気づけなかったかもしれない。いや、気づけなかっただろう――だが今、すんなり気づく事が出来た。そんな自分の変化に、驚きと喜びが湧き上がってしまったのだ。
(修平のおかげなんだろうな)
 すぐ横の修平を見上げ、目を細めるのだった。
 帰る事を勧めた郁也だが、いつしか修平への講義と、まだ納得できていない自分のピアノの練習に励むうちにすっかり、夜は更けてしまっていた。
 そんな時間に、2人の来訪者が。
「こんばんは。さすがに夜は冷えますから、色々お持ちしましたよ」
「ご苦労様ね」
 大きなカゴを両手でぶら下げた川知 真(jb5501)と、ケイ・リヒャルト(ja0004)が微笑んでいた。
 真のカゴからは暖かいスープや夜食などが出てきて、ケイのカゴからはブランケットが数枚引っ張り出される。
 そこでやっと郁也は腕時計を確認し、露骨にしまったと言う顔をして修平とアルジェに視線を向けた。
「もうこんな時間だったか……仕方ない。
 帰れとはもう言わないけど、修平君とアルジェちゃんはちょっと寝にくいけど、車の中で休みなさい」
「ま、ガキはとっとと寝てあとは俺達に任せろって話だな」
 騎士にまで後押しされ、修平とアルジェが目を合わせると、先にアルジェが頷く。
「では、先に休む」
 腰を上げ、郁也の車に向かうアルジェが、ふと立ち止まる。
「……修平」
 遅れて腰を上げた修平が「ん?」と首を傾げると、アルジェが振り返って親指を立てた。
「寝顔を見て欲情したら、キスくらいしても構わないぞ」
「しないから!」
「……そうか」
 アルジェは心なしか肩を落とし、とぼとぼと歩を進める。
「いやぁ、今のははっきり否定もないんじゃなかな」
 郁也の苦笑。
「そうね。どちらかといえば期待されてたものね」
 微笑みながらケイの解説。
「そうなんですか?」
 そういう事に全く気付けない真。
「男なら『キスまで?』って聞き返すぐらいしろよ、このお子ちゃま」
 騎士のダメ出し。
 この場に味方がおらず、一斉攻撃を受けた修平はそそくさと逃げるようにアルジェの後を追いかける。
 2人が車に乗りこむのを見届けてから、騎士が大振りに肩をすくめた。
「まったくよ、あいつも素直になりゃいいっつーのに」
「そうね。見ているあたし達の方が、よっぽどわかっているかもしれないわね」
「そうなんですね」
 感心して頷く真だが、何の事かは今一つ分かっていない顔だ。
 溜め息1つ郁也が吐き出すと、墓を――いや、墓のさらに奥、我が家の方角へ遠い目を向けていた。
「もう一組も、わかりやすいんだよなぁ」



「なんやのん、ゆめのん。黄昏って」
 すでに日付が変わった頃、1人、自室の窓から星空を眺めていた君田 夢野(ja0561)へ、ずかずかと勝手に上り込んできた亀山 淳紅(ja2261)が声をかけた。
 ぼんやりしすぎていた夢野はゆっくり振り返り、淳紅の顔を確認してやっと。
「ああ、かめやんか――いや、『センセイ』としての俺も今日で終わるのかって」
「あー……寂しいん?」
 ハッキリと聞かれ、唇の端を釣り上げてしまう。
「ま、色々だ」
 うやむやに答え、再び星空を見上げた。
(昔は、戦場で死ぬ可能性を受け入れてた――撃退士はそういうモンだって、達観した風に。
 だけど、俺はただ生きる事の素晴しさから目をそらしていただけだった)
 目を閉じると瞼の裏に、はにかむ少女の顔が浮かび上がる。
(それに気付いたのは、俺はこの世界で生きていたくなったから。理子さんのいるこの世界で、もっともっと)
 気付けば強く、拳を握りしめていた。
 その拳を見つめ、誓う。
(だからこそ、俺は戦う。
 この世界を守る為に、理子さんのいる世界を守る為に……矢代理子、君は俺の“夢”だ)
 閉じた拳の力を抜き、一本一本開いていく。
 そしてふと、視界の端に淳紅の不可解な行動が映った。
「……かめやん、何してる?」
 問いかけるも、淳紅は黙したまま布団を引き終わり、さっさと潜りこんで電気を消せというジェスチャーを送ってくる。
 無言の淳紅にならい夢野も無言のまま立ち上がると、布団の上から淳紅に踵を落す。
「なにすんのや!」
「だから、何してると」
「どうせ明日行くところ同じやし、寝坊せんように朝起こしたって?」
 ぶりっこ淳紅へ、夢野は再び踵を落すのであった――



 郁也と騎士がアルコールを取り始めたあたりで、ケイと真は少し離れて矢代家の墓の前でたたずんでいた。
「この1年……色々あったわ。理子や修平達との出会いもその中の1つ。それが今日、一旦の節目を迎えるのね」
「そうなんですね……正直、1年間も続くと思いませんでした」
 それはケイも同じなのか、耳を傾けたまま次の言葉を待つ。
「ですがこの1年で学んだこと、考えさせられたことその多くに、感謝しています。
 他人を思うが故の行動、すれ違い、人の心とは――いえ、自分も含め色々な方の考え方が複雑に交錯していたように思います」
 真の指が墓石に触れる。
 冷たい感触――のはずだが、どこか温もりを感じる。
 慈愛に満ちた笑みをケイに向けた。
「でも、全て相手を思ってのこと。相手のことを思うだけで、相手の為にと考えるだけでここまで慈愛に満ちた行動が取れることに感動しつつ、その伝わらないもどかしさすら愛おしく感じます。
 そこに人も天魔も、関係ないんですね」
 真の笑みに、ケイも同じような笑みを返しながら「そうよ」と答える。
「そして今日、終わってしまうんですね……」
「そうね……でもこれはきっと、終わりではなく、新たなスタート。
 素敵なスタートを切れるように、歌うわ。思いっきり。心を込めて」
 ケイが踵を返し、真っ直ぐに前を向く。
「今日のあたしよりも、明日のあたしがもっと歌を好きになるように」
 真も「そうですね」とはっきり力強く応え、ケイの後を追う――



「そういえばよ……アンタの妻の死因だけど、グレーとしか言えねぇな。つまり死因として遺書にあった、老衰以外の決定打に欠ける訳だ」
「そう、なんだよな。グレーとしか言えないんだよな」
 声のトーンを落して目が沈む郁也の紙コップに、騎士が溢れるほどの酒を注ぎこむ。
「お前が悩む必要もねえってことだ。そんなこと悩むよりは自分の老後とか、心配すること他にあるだろうが」
「それもそうだな――俺の老後はそんなに心配ないさ。気の早い話だけど、孫に会える日を楽しみにすることにしたしね」
 意外な反応に騎士は虚をつかれたが、すぐにニンマリと笑みを浮かべて「そいつは俺も楽しみだぜ」と、楽しそうに酒を酌み交わすのだった。



 シートを倒しているとは言え、あまり寝やすいとは言えない車の運転席で、修平は何度目かの寝返りをうった。
「眠れないか、修平」
 肩をすくめ、助手席のアルジェの方へと身体を反転させる。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「アルはもともと眠りが浅い。気配がすればすぐ動ける程度の訓練はしている」
 そうは言ってはいるが、どちらかといえば眠っていなかったという方が近い。
 表情では読み取りにくいかもしれないが、アルジェの感情は人並みにある。すぐ横に修平がいてぐっすり眠れるほどの神経は、そうそう持ち合わせていなかった。
 いや。
 この1年でそういう風に変化したのだ。
「……たった1年だが、なかなか濃い経験が出来た。皆に感謝だな」
「そうだね」
「だが、これは終わりではなく始まりだ」
 図らずもケイと同じ事をアルジェも口にする。
「人の営みは途絶えることなく、たとえその身が滅びても人がそれを結び、伝え続ける限り、絶える事無く続く」
 人の文化に興味を持った、アルジェらしい言葉である。
 かわらず輝き続ける、星と月を見上げるアルジェ。
「そう、いつまでもだ」








 ――さぁ、私たちの演奏を始めよう








「そっか、もう1年かぁ」
 目を細め、淳紅はこの1年、ずっと変わることのなかったメンバーを眺め、近くの木陰で音声通信を繋げた。
「姉ちゃーん、聴こえる?」
 返事の代わりに恨み節が聞こえるが、淳紅は素知らぬ顔をする。
「いや知らん、赤点とる姉ちゃんが悪い。とりまここ置いとくねー」
 そして赤いパーカーに儀礼服、灰色ズボンとスニーカーの淳紅が駆け出す。ピアスとエンゲージリングが、強い日差しに負けじと照らし返す。
 矢代家の墓石の前に立つと、大仰に礼をして芝居がかったように大きく腕を広げた。
「さぁさぁ此度が最終曲! この1年の小さく大きな軌跡。演奏者は勿論、観客席の皆様、学園の皆様、そしてミア様。
 一言一句一音一律、奏で漏らさぬよう、お聴き逃さぬ様に!」
 その言葉に聞き入る面々と、鳴きやまぬ蝉達。
 淳紅が「どうぞ!」と手を伸べると、太陽が照りつけ蝉が大合唱している森に、蝉の声に負けじと、空気を震わせる音が流れ始める。
 所々かすれ、音が安定しないやや拙いトランペットの音――ではなく、実に安定していてどっしりとした、力強いトランペットの音。
 それにあわせ、よどむ事の無い綺麗なだけのピアノの音――でもなく、少しゆっくりだがトランペットの音にしっかり合わせ、来る時に来て、引くときには引くピアノの音。
 どちらも相手の音が聞けている、余裕を持った『愛の挨拶』が矢代家の墓に、いや、矢代 美亜に向けられていた。
 紛れもなく、彼女を愛した2人の言葉が音となって伝わってくる。
 言葉を伝える理子と郁也の胸ポケットからは、青い薔薇が一輪ずつ。その薔薇は聴いている全員の胸にあった。始まる直前、真が「私達の演奏が天まで届きますように」と祈りを込めて、神の祝福という花言葉を持つそれを配ったのだ。
 そして徐々に、音が弱く小さくなっていく――と思った矢先に、再び音が大きく鳴り響く。
 郁也が手を止め、修平がハイドンの『トランペット協奏曲』を弾いていた。そして続けざまに理子のトランペットが、ごく自然にすっと入る。
 毎年続けてきたその曲も、今年はまるで違う曲かの如く響き、森に吸い込まれていった。
(落ち着いた音だ。だいぶ心にゆとりを持てるようになったみたいだな、理子さん)
 この1年、みっちりトランペットを教え続けてきた夢野が、慌てた時に音が崩れていた理子を思い出し、目を細めていた。
 細めた目の視界の端で、儀礼服に革靴の騎士がカメラを持った男の首根っこを掴み、どこかへ飛んで行ってはすぐ1人で戻ってくるのが見えたが、今の空気を壊さないためにも、それは見なかった事にする。
 曲の終わりが近いと感じて夢野はコンダクターコートを脱ぎ、久遠ヶ原の儀礼服を羽織って立ち上がると、ちょうど曲が終わった。
 このためにわざわざ儀礼服に着替えたケイと真が目を合わせ頷きあうと、2人同時にピアノアレンジの『アメイジンググレイス』を弾き始める。
 緩やかな、全員で呼吸を合わせる間を取る為の前奏――ぴったり音は合わさっているのに、違う音程。この2つが混ざり合い、調和を作り出す。
 さらに音階を上げた修平のピアノと、アルジェのアルトサックスが演奏に厚みをつけ、そしてケイが優しい響きで、滑るように歌いだす。
 ケイの声をなぞる真の声。
 ソプラノ2人の1節が終わると、救ってくださるとと祈る淳紅のカウンターテナーが加わり、優しさの中にも徐々に力強さが加わっていく。
 ケイの透明感、真の清涼感、淳紅の‘生’が籠められた歌声に、騎士の荒々しく攻撃的な歌声が。さらに夢野の重々しく決意に溢れる声が混ざって、歌声は段々とその力強さを増していった。
 やがて、澄音が声量を全く加減せずに加わり、海と理子の肩に腕を回して2人が歌いやすいように促す。
 促された海と理子が澄音に合わせ歌いだすのを見計らい、ケイ達5人はピタリと歌声を止めた。
 皆の注目が集まり、歌い慣れていない海と理子は顔を赤くしながらも澄音に引っ張られるがままに歌い続け、何万年とこの時が続けばいいと皆が心から思いながら、5人が再び音の輪に加わった。
 複雑に絡み合う、色々な音と声――それは大気を震わせ、雲も突き抜け天まで届こうとしている。いや、その想いは確実に天にまで届いているだろう。
 いつしか激しい音の奔流も終わりを迎え、辺りの静寂さがより一層深まる。
 やがて蝉達が思い出したかのように鳴き始めると、真が澄音に視線を送り、オリジナルの演奏を始めた。演奏しながら、真が情熱的に掛け値なしの全力で歌いだす。
「逝ってしまったあの人に この歌を捧げよう」
 先ほどとは比べ物にならない声量が広がる。
 負けじと、澄音がそれに応えた。
「生きているあの人に この歌を捧げよう」
 そして真が「空に――」と歌えば、澄音が「大地に――」と続け、2人は大きく息を吸った。
『人に 悪魔に 天使に
 今ここにいられる奇跡に 感謝を
 これからも皆といられるように 祈りを――』
 それこそが願いであるという想いが、辺りに溢れていた。
 歌いきった澄音だが、悔しそうな顔を真に向け、真はそれをニコリと笑顔で返す。
 静まり返った空気を、今度は騎士のヴァイオリンが震わせた。それに合わせ、真の伴奏。そして海のバウロンが混ざり合っていく。 日本人にはあまり馴染のない、ケルト風の独特な癖のあるリズム――ただそれも、乗ってしまえば癖のあるリズムではなく、リズムが癖になるものだった。
 ケルト風だけあって、民族音楽という言葉がしっくりくる音――ただテンポが特殊故に、海のリズムが狂いそうになる。
 だがそれを、テンポを変えたピアノとヴァイオリンの音。それに真と騎士の歌声がカバーする。まるで海の進むべき道を照らすかのごとく。
『Lig an solas ar do bhealach a dheanamh
 O an am ata caite go dti an la inniu,as an la inniu ar an todhchai』
 2人のカバーでズレなどなかったように、ソウルフルなバウロンの音と歌は続く。
『Do bhealach a sheachaint dunadh sa dorchadas go deo
 Toisc a bheadh  suil na ndaoine Kano
 Me,ba mhaith linn duit a bheith sasta
 Mian se duit,ni hamhain a gcuid fein,is feidir leat chomh maith
 Mar sin,me a imirt amhran seo sa chaoi is nach bhfuil do bhothar cludaithe sa dorchadas』
 自分とあなたの幸せを願う――その気持ちが、歌っている2人の心の中で大きな比重を占めてくる。ただ2人とも、顔にこそ出ないが自分よりも相手への想いが強いのであった。
 音の余韻が消えるか消えないかという所で、淳紅とケイの美しく、しっとりとした声だけがどこまでも遠くに響き渡る。
『届け 星のように永久に  届け 天の何処までも遠く
 私の存在がアナタの証拠  アナタがそこに居た証拠』
 ニッと笑う淳紅。
「今日も元気に1日過ごす」
 嬉しそうな表情を見せるケイ。
「アナタが見ていてくれるから」
 途端に穏やかな表情の淳紅。
「今日も優しく語り掛ける」
 眉根を寄せ、これ以上の言葉はないという顔を作るケイ。
「アナタがそこに居るから」
『きっとそこに居るから
 届け 星のように永久に  届け 天の何処までも遠く
 永遠に煌いて  永遠に見つめていて』
 コロコロと表情を変えるが、その言葉と想いに違いはなく、透明で、優しく純粋な力強さを感じさせてくれる。
 2人が歌い終わったのを見計らって、修平がピアノを弾き始めた。
 それは理子や海や澄音には、とても馴染んだフレーズ。アルジェも最近、だいぶ馴染んできたその曲。
 だが他のメンバーにはわからないそれは、修平達が通う小中学校の校歌だった。
 変哲もない校歌だが、9年間、一緒に歌い続けてきただけあって一字一句ずれもなく、そして本気で歌ってみた校歌であった。
 だいぶ一気に現代音楽に近づき、そのまま修平とアルジェのジャズ調バラードが始まる。
 ゆったりと、それでいて情熱的な語らいのように、主旋律を入れ替えながら音を合わせて、心を重ね合わせる。
 これまでを振り返りながらも、これからを創造していく――そんな演奏であった。
(もう1年が過ぎてしまったのだな……嫌なものだ、まだもっと続けたかったが……そう言っても仕方ない事か)
 演奏を続ける修平の背に目を向け、少しだけ辛い気持ちがこみ上げてくる。
 だから、足掻こう。
 アルジェはそう、心に決めたのだった。
 曲も終盤に差し掛かり、ケセランも呼んで漂わせ、盛り上がった空気を落ち着かせていく。やがて、余韻を引きながら静かにピアノの音が小さくしぼんでいった。
 背筋を伸ばした夢野のトランペットから、音が吹き鳴らされる。
 それに重なるのは、理子のトランペット。その音に狂いはなく、夢野の音にピタリと寄り添い、音はその強さを増していく。
 夢野が作曲した『Hello World』。
 練習期間としてはギリギリだったはずだが、それでも理子は夢野の想い描いた通りの音を作り上げる。
(本当に、上手くなった。1年前はロングトーンの練習すらままならなかったはずなのに、もう俺なんかより遥かな高みにいる。
 センセイとしての役割なんて、とっくに終わってしまったんだな)
 だが、理子のおかげで今の自分がある。死すら厭わなかったはずなのに、今では生きる事への執着が強くなりつつある。理子への想いがあるから。
 その感謝と想いをこめて、自分は吹き続ける。
(シラブルも知らなかった。腹式呼吸も、できていたのに気付いていなかった。運指、背筋を伸ばす事、音への志、自信――それらを一つ一つ教えてきた)
 過ぎ去った1年間を順になぞると、会うたびに大きな成長を見せていた理子。そしてその根底は昔も今も変わらず、ここにある。
 そんな理子をずっと見てきた――そして、これからも。
 理子と視線が絡み合い、どちらからともなく、笑みがこぼれた。
 2人が作りあげていた音は、ここで一旦、幕を閉じる。
 最後のトリの為に。このための1年であった。
 理子と修平、2人による協奏曲――ここ最近でよく練習を続けてきた『ピアノとトランペットのための協奏曲』。
 照りつける日差しに負けずありったけの体力と、1年間の想いと技術、全てを乗せて、2人は演奏する。
(お母さん、すごく上手くなったんだよ。聞こえる?)
 天へと届けたい、様々な想い。
(1年間、本当にありがとうございました……)
 今この場で聞いてくれているみんなへの、感謝。
 2人は今、確かな身震いを感じている。
 いや、2人だけではない。今この場で聞いている誰もが、その音にその身が、その魂が震えていた。
 音の持つ感動とは、力とは、こういうものなのだ――だからこそ、自分達は音楽が愛しいと、改めて実感させられるのであった。

 ――――

 ずっと続くのではと錯覚しそうになった2人の演奏が、終わりを迎えた。
 誰からともなく、拍手。それと同時に、上空で華やかで色とりどりの火花が散りばめられる。皆が見上げ、この様子をアルジェがカメラで撮影していると、郁也がカメラを取り上げ、皆を写してくれる。
 撮影が行われている中、ブルースターと一重咲きした白薔薇の花束をケイはそっと墓前に添え、真共々、手を合わせた。
 手をほどき、ケイが修平へと向き合う。
「修平。貴方の音は貴方しか出せないのよ――これからも、その音を響かせていって」
 それだけを伝えると、真と肩を並べ歌を口遊みながら帰っていった。その歌声には清々しさと、音楽の素晴らしさが滲み、溢れ出ているのだった。
 もうお開きだと悟った淳紅が、ふにっと笑う。
「1年、楽しかった――うん、ありがとうな」
 手を振り、淳紅もその場を後にした。

 蝉の鳴き声に挟まれた帰り道、蝉の声に交じってふと淳紅の耳に、謳って笑って逝けるように生きなさいと、夏の声が反響する。
「さよならやなくて、またね、だったなら――」
 天を見上げる淳紅が、穏やかな笑みと言葉を捧げるのだった。


「よー、海。お疲れ。頑張ったご褒美だ」
 騎士が海へと純金のロケットを投げて寄こす。
 受け取った海が開くと、いつか2人で撮った写真がそこに収められていた。
「俺様、写真を撮らない人だからな。時間掛かって悪かったよ」
「ふっふーん、大丈夫――ほい!」
 何かを投げつけられ、反射的に騎士はそれを掴む。
 海から投げて寄こされた物。それは今投げた物よりも新しいが、全く同じ純金のロケットだった。
「頑張ったご褒美だよ」
 得意げな顔で、今しがた言われた事を言って返す海へ、騎士は思わず鼻で笑ってしまった。
「生意気言ってんじゃねーよ」


 2人して帰路につく修平とアルジェ。そして修平から、これからどうするのかを尋ねられた。
「できればこちらに残りたいので、方法を模索中だ。基本的に依頼をこなしていれば単位はもらえるからな。試験さえクリアすれば何とかなる……と思う。
 外で活動している者もいるようだし」
 単位を数えているのか、指を折るアルジェが手を止める。
「海の家の手伝いも中途半端だからな、喫茶スペースもこれからだし……それに、修平からはっきりとした答えをまだもらっていない」
 横目で見ると、修平の目が泳ぐ。
 今この場で聞けるとは、アルジェも思ってなどいない。
「ふふ、長期戦の覚悟は出来ている。これからもよろしく、修平」


 郁也ですらも帰ってしまったが、それでもまだ理子はしゃがんだまま墓前で手を合わせていた。その背中を見守るのはもちろん、夢野だった。
 立ち上がった理子の肩に両手を置き、振り返らせないようにする。
「センセイ……?」
「あー……まあ、まずはなんだ。学園へ来る道を選んだ君に、祝福を。俺も、君が来る日を待っている」
 言いたい言葉はそれだったのかと誰かに尋ねられたら、苦笑するしかないなと夢野はこっそり思う。だが、いきなり伝える事が出来るほど器用な自分ではない。
 ひとまず深呼吸。
 それから再び、重々しく口を開いた。
「君が天使として生きるのなら、俺はきっと君より先に死ぬ。撃退士として死ななくても、時がいつか俺を殺す」
 人と天使の寿命の違い――それが踏み込む事を躊躇わせる要因の1つでもある。
 それでももう、躊躇わない。
「だから……安っぽくて嫌いだから、今まで言わなかったけど――今のうちに、後悔しないうちに……言えるうちに、言おう」
 緊張で、言葉がスムーズに出てこない。
 しかし今、伝えないでどうするか――夢野は覚悟を決めた。
「好きだ、愛してる。理子さん」



 一昨年は、1人だった。去年は、2人だった。
 そして今年はみんながいた。
 1年間、ずっと支え続けてくれたみんなが。
 人も、撃退士も、天使も、悪魔も、ずっとつながっていた。
 つなげてくれたのは――音楽。
 音楽が響く限り、みんな繋がっている。
 だからこそ









 音よ、いつまでも響け――




 拙いなれどその音律は心に  これにて、閉幕


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: −
重体: −
面白かった!:10人

胡蝶の夢・
ケイ・リヒャルト(ja0004)

大学部4年5組 女 インフィルトレイター
Blue Sphere Ballad・
君田 夢野(ja0561)

卒業 男 ルインズブレイド
歌謡い・
亀山 淳紅(ja2261)

卒業 男 ダアト
その愛は確かなもの・
アルジェ(jb3603)

高等部2年1組 女 ルインズブレイド
RockなツンデレDevil・
江戸川 騎士(jb5439)

大学部5年2組 男 ナイトウォーカー
白翼の歌姫・
川知 真(jb5501)

卒業 女 アストラルヴァンガード