悩む様子を廊下からアルジェ(
jb3603)は、遠巻きに眺めていた。
(……悩んでいるようだな。理子達のようにハッキリした指針の様な物がないまま始めてしまったからな……)
「少し練習法を調べておこう」
ポツリと漏らし、廊下を歩く――が、すぐに修平に呼び止められた。
「アルジェ――ちゃん。もうすぐホームルームだから自分の教室に戻りなよ?」
向かおうとしていた方向と、逆の方向を指さされたアルジェはそう言えばそうかと踵を返す。
そしてふと、聞こうと思っていた事を思いだした。
教室で頭を抱えている理子に目配せし、聞こえないように声のトーンを落とす。
「修平。なぜ今まで教えようとしなかったのだ?」
「それは……今度、みんなも交えて教えるよ」
メールを受信した江戸川 騎士(
jb5439)は目を通し、「……ふーん」と無愛想に口を尖らせ、画面を閉じて布団の上に放り投げる。
「予想通りの反応だな」
それから数日後、放課後の音楽室で練習していた海の他にアルジェと川知 真(
jb5501)もいる所へふらっと、騎士が入ってきた。
「気にすんな。さぼんねーか、見に来ただけだからよ」
椅子に腰をおろすのを目で見送り、アルジェは説明を再開する。
「海は多分一つの事に集中できるタイプだ、他の楽器は考えなくて良い。やりたくなれば別だが」
「そこは私のせいですね。
江戸川さんも一緒にやってくださるそうですから、海さんは私達に気を使って他の楽器をしようと思わなくていいんですよ」
「あれ、そうなんだ」
「そ−ゆーことだ」
海の視線に応える様、手をひらひらとさせる。
小太鼓を強く叩いて逸れた視線を再び自分に集め、アルジェが続けた。
「バウロンに限らずだが打楽器はリズム感が大事だ、これに合わせ皆演奏する。
裏の指揮者とも言える、皆の演奏の基礎となるのが海の楽器の特徴だ」
「そうですね。ただ、打楽器は裏の指揮者以外にもう一つ大切な役目があるんですよ。
それは、音楽を安定させる役目です」
安定と言う言葉が飲み込めず、首をかくりと曲げる。
「例えばバスケのシュート。ボールを持ったらグッと踏み込みスッと飛んでシュっと投げる――海は特に考えずにやれているが、一つ一つの動作を意識してみると、調子のいい時はいつも同じリズムで放っているはずだ。
逆にリズムが崩れると、なかなか入らない。手拍子に合わせて、シュートするふりをしてみろ」
一定のリズムで手拍子を続けるアルジェに従い、海がそのリズムに合わせてシュートするふりをするのだが、最初は一定だったリズムが予測もしにくいような微妙な間を置いたり、連続で叩いたりと、不規則なリズムになると、途端にフォームも崩れていく。
「アルジェさんが、演奏の基礎が海さんの楽器だという話をされましたが、例えばお家を作る時、基礎がしっかりしていれば建物も安定するでしょう? それと同じですよ」
「そうだ。海の乱れは皆の乱れ、逆に海が安定すれば皆も安定する。だからいつも一定、乱れなく……などと思っているかもしれないが、実際は少し違う」
肩をガクリと落とす海の鼻に、アルジェが指を突きつけた。
「演者の調子や性格もだが、観客も含めて全体の雰囲気を感じてリズムを決める……それが海の役割」
「全体の雰囲気……そうですね。最近の言葉で言うと、確か『空気を読む』というやつでしょうか。そう考えると難しそうですので、『皆さんを海さんのテンションに巻き込む』と考えてはいかがでしょう?
基礎である海さんが『赤』だといえばその曲は『赤』なんですよ。ね? わかりやすいでしょう?」
「え、そうなると結構重要?」
少し顔を強ばらせる海。
そこで教室の隅から、椅子の脚を引きずる音が聞こえた。
「お前だけで演奏してんじゃねえんだ。お前のペースが乱れた程度で、俺らが簡単にヘマすると思うなよ?
とにかくお前はお前の思うがままに、やりゃあいいんだよ」
それだけを言い残し背を向けると、廊下に出ると、ぴしゃりと戸を力強く閉めるのであった。
残された3人は顔を見合わせ、アルジェも真も大きく頷いて見せる。
「そういう事だな。後は自分で考えるリズムを実際に出す事が出来るように、手に動きを染み付ける反復練習だな。
撥をいつも持ち歩き、暇な時は手に持つといい。可能なら軽く叩いても良い」
そして「説明は終わりだ」と、アルジェはサックスを抱えた。
「海は理論より実践だろう?」
「まあ、授業中に叩くのは撥ではなく指で先生にバレないようにしましょうね。海さんのバウロンはとても楽しそうで、感情豊かな演奏だと思いますよ」
照れる海の手を取り、しっかりと撥を渡して握らせた。
「前に保育所で演奏した時に、亀山さんが言っていました。
『音楽はな、音を楽しむって書くねん。せやから、君らがこれまで楽しないって感じてきたなら、それは音楽では無かったってことや』って」
握らせた手を包み込むように握り、顔を近づける。
真の、綺麗な瞳で覗きこまれた海が、顔を赤くする。
「ですから、海さんもそんなに肩肘はらずに、一緒に音を楽しみましょう?」
(呼んでおいて本人が一番遅いとか……拷問か?)
飲み屋の一室。理子の父・郁也と向かい合って座る君田 夢野(
ja0561)は、居心地の悪さを感じていた。
敵視や毛嫌いされている風ではないにしろ、向こうから声をかけてくることもなく、ただゆっくりとグラスを眺めながら日本酒を煽っているだけだった。
ウーロン茶を一気に飲み干す夢野。
腹をくくったのか、胡坐から正座に変えると理子の父を正面から見据えた。
「不躾ではありますが、聞かせて頂きたいんです。
何故矢代さんは先立った妻……美亜さんにしか、そのピアノを捧げないのか」
「……なんだ、娘さんをくださいとか言うのかと思った」
グラスを置いた郁也は思いのほか、つまらなそうに口を尖らせる。
一瞬、くくった腹がかっさばかれる感じもしたが、咳払いして堪え、続けた。
「私は、音楽を含む芸術で最も重要なのは『存在する意味』だと思っています。だから矢代さんの言う事は分かるんです。
ただ、私はその他の人には聴かせられない理由が知りたい。
理子さんは、ひいては私も貴方に弾いて欲しいとは思っていますが、それが叶わずとも、せめて理子さんに納得だけはして欲しい」
空になったグラスのあたりで、視線が彷徨っている郁也。
じっと夢野は待ち続け、教えてもらえそうにないかと諦めかけたその時、郁也が口を開く。
「……俺は音楽はやめるつもりだった。でも、美亜は自分に聴かせるために続けてほしいと言ってくれた。
美亜がいた時は誰かに聴かれてもいいと思えていたけど、美亜がいない今――本当なら、音楽をする自分が存在してたらダメなんだ」
「くっだらねー。ずっと音楽を続けろって、言いたかっただけじゃねーか」
個室の戸を開け、ふらりと姿を現した騎士が開口一番、辛辣な事を言い、夢野の隣に腰を下ろす。
「あんたの欠点は、全てを見ようとしないことだ。
俺が、ちょっと調べて判った事を知らないのもその為だよ。そんなんだから、理子の母親が天――」
「おい……言うのか、今ここで」
ぐいっと引き寄せてきた夢野の手を払い、「いつでもかわりやしねーよ」と言い捨てる。
「……どうせ、いつかは知る事か」
「なんのことだい」
「あんたの妻は天使なんだよ。比喩とかじゃなく、天魔の類だって話だ。思い当たる節は色々あるだろ?
ハーフの力は、理子に出るとは限らん。孫やひ孫、ずっと先の代に出る事もある。
あんたの代わりに君田が理子を守ったとしても、君田も人間だ。この先100年は生きないだろう」
引き合いに出された事に驚いた夢野だが、ここは黙って聞きに徹する。
「突然生じたアウルの力に振り回される人間は、大勢いる。知っているのと知らないのでは、身の置き方が違う――俺がしているのは、そういう話だ」
この事実を理子に伝えろ。
言外にそう含まれていると、夢野も気づけた。無論、郁也も。
「あと1つ」
郁也のキープしてあった日本酒を奪い取り、真上に向け一気に呷ると、空になった一升瓶を郁也の前に叩きつけるように置いた。
「あんたに伝える事がある。
――あんたの妻は辛かったと思うぜ。あんたが聞かなかったのもあるだろうが、好きな相手に嘘をついて生きてきたんだからな」
騎士は背を向けると、戸を開ける。そして背中を向けたまま、「だが」と続けた。
「あんたに対する思いは本当だったんだろう。
天使の女が人間の子を身籠った。天界に背くとして、殺されてもおかしくないだろう」
戸をゆっくりと閉め、締め切る前で手を止める。
「だから、あんたが過去に向かって弾くのは悪くないさ。ただ親ってのは、子供の未来の為に何かを残してやるべきじゃねぇのか?」
一方的に言い残し、戸を閉め切ると騎士は夜の街へと消えていく。
さすがにこの場に留まるのは、精神的にきついと判断した夢野は「すみません、失礼します」と席を立つのであった。
1人残された郁也は天井を見上げる。
「どう、思う? 美亜……」
海の家、いつもの部屋の外で薬を水で流し込み、やつれた顔で無理に笑うと亀山 淳紅(
ja2261)は勢いよく扉を開けた。
「ほならデートいこか」
海達の練習風景を、だらけた姿勢で椅子に座っていた澄音の前までやって来てそう告げる。
「んあ? 何でよ?」
「んー、悩んでる澄音ちゃんの気分転換?」
「それなら、ご一緒してもいいかしら」
あとからやってきたケイ・リヒャルト(
ja0004)が問うと、淳紅は危ういほどのテンションで外へと跳びだしていく。
気乗りしなさそうな澄音へ、ケイは顔を近づけ「きっと淳紅が奢ってくれるわよ」と耳打ちすると、淳紅に負けない勢いで立ち上がり、後を追って跳びだすのだった。
――3人で歩いていると、そこら中から、歌や音楽で溢れている。
「ほら、そこら中で路上ライブもやってるわ……皆、楽しそうね。
澄音は……『歌を歌う事』って楽しい?」
「そりゃそうだろ。普通そうじゃん?」
それを普通と言い切る澄音に目を細め、嬉しそうにケイは澄音の頭を撫でるのであった。
2人が話している間に、淳紅はノート片手にライブをしている人達を巡っていた。
「おにーさんおねーさんすんません! 悩める少女のために、ちょびっとだけお時間いただけますか?」
人懐っこく笑うと、何故歌が好きなのか、何故歌を上手くなりたいと思ったのかなどと書かれたノートを見せ、自由に歌への想いを書いてもらう。
「ありがとー、おおきに!」
そして2人の元へと戻って行くと、ちょうどカラオケに入っていくところだった。
それを追い、駆け込む。
「自分の好きなアーティストの歌を練習じゃなく、心の赴く侭に伸び伸びと歌う事も大事だわ。
思いっきり歌えば、良い息抜きにもなるでしょうしね」
澄音にマイクを差し出すケイ。そして淳紅がノートを差し出した。
「歌の数だけ想いがある。色々知ったら混乱するけど、自分ら2人の声だけで納得するよりずっとええ。
想いは宝や、大事にしてな」
そう言うと淳紅は笑い、そしてちゃっかりと曲を入れていたのか、静かなバラードが流れ出すとマイクを手に取る。
「自分はこの世界で一番歌が、歌うんが好きやから……自分が一番好きなもんの『1番』になりたいんは当然やろ?
その他大勢でも2番でもなく、『1番』や」
そして満面の笑みで歌いだす淳紅の顔を、澄音はじっと見つめる。
その横顔を、ケイはどこか楽しそうに眺めるのであった――
「どうだった? 澄音。楽しかった?
あんな顔して練習してちゃ、出る声も出せないわ」
頬をつまみ、ほぐす様に軽く引っ張りつつも続ける。
「きっと、やる気と自信が空回りしてる状態なんじゃないかしら……違う?
澄音の紡ぐ歌は素敵だわ。心の侭、と言う所が。それを自信に変えても良いんじゃないかしら?」
手を離し、少し赤くなった頬を優しく撫でた。
「それが、澄音の最大の武器。
あとね。誰かを超えること……これはとても大事だと思う。でもその前に、自分自身を超えなきゃいけないとも、あたしは思うの」
撫でていた手を止め、両の手で顔を挟み込む。
「自身すら超えられないなら、他人なんて絶対に超えられない。
だから……自分の信念を強く持って。貴女の最大の武器を……大切に育ててあげて」
「少し整理ついた?」
後ろからの淳紅の声に、顔を挟まれたままの澄音の頭が縦に動く。
「なら、今日はひとまず歌って謡って唄お。せっかくの『デート』やし、ねっ」
澄音の背を押し、そしてケイの背も押し、少しすると待ちきれないとばかりに淳紅は走り出しながらショルダーキーボードを用意して、路上ライブへと飛び入りする。
他の誰にも負けぬよう、誰かの心に『一番』響く様に歌いながら。
そんな淳紅を目で追う澄音の後ろから、こそっと耳打ちする。
「そういえば、どうして澄音は他人を超えたいと思ったの? 超えなきゃいけない『壁』でも出来た?」
驚いた澄音がしばらく微笑みを浮かべるケイをじっと見ていたが、やがて「あんたも、だよ」と伝え淳紅の歌に割り込みながらも駆け出していった。
「あんただって、いつか絶対に超えてやんよ!」
「ふふー5年分歌い続けてから、出直しておいで!」
(澄音ちゃんはきっと、上手くなるわ)
澄音の声に触発され、さらにテンションをあげていく淳紅の歌声は誰よりもよく、響き渡っていた。
その様子を微笑んでみていたケイも、やがて肩を並べ、共に歌いだすのであった――
問題が解決するまではと、矢代家の近くでテントを構え、音楽を聴きながら自分のパートを作曲していた夢野。
そこに郁也が顔を覗かせる。
「修平君が、君達も交えて話す事があるそうだ……何のためにいるのかはよく知らないけど、外にいられるのもあれだから、うちの和室を使いなさい」
郁也と、そして皆がそろった居間。理子達はもう寝ている時間であった。
「――あれは、おじさんが出かけている日です。
僕とおばさんが庭にいると、屋上の手すりから身を乗り出して名前を呼んできたりっちゃんが落ちて来た時、おばさんは翼を広げ、抱き止めたんです」
(その時の羽が、これか)
貸してもらった羽に、そっと手を触れるアルジェ。
「この事をりっちゃんは覚えていないのが救いですが――これは亡くなる前日の話です。
つまりその時、残りわずかだった力を使ったせいで、りっちゃんを助けたがために、亡くなったんです」
淡々と語る修平。誰も何も言えない。
「おばさんに後悔はないと思います。でもりっちゃんにとっては、受け止めきれるかわからない話です。
残酷でも、これをりっちゃんは知るべきか、否か。僕ではもう判断つきません」
頭を振った修平が、皆の顔を見据えた。
「ですから、これは皆さんが決めて下さい」
拙いなれどその音律は心に11章 続