●
「……時間切れ、か」
断神 朔樂(
ja5116)は固い表情のまま、スマホを懐へ戻した。
最後まで連絡を待ったが――やはり守崎の決意は固かったか。
(然れど守崎殿が決めた事。拙者は、拙者に出来る事を)
彼がその決意を貫くのなら、自分も報いるだけの信念を返す。ただ、それだけだ。
「――さぁ、終わらせよう」
(ホントは、守崎サンも連れてきたかったけど……)
染 舘羽(
ja3692)に、愛だの恋だのはよく分からない。けれど、2人が決めた結末に口出しは無用。後は彼らの望む結末へ導くだけ。
(待っててよ、帰ったら真先に報告に行くからね)
彼女の兄が眠る地。遺骨の存在しない墓地。それでも、今のクロノにとって唯一の帰るべき場所。
見送る。黒野の旅立ちを。ここで。
「さて、良く逃げずに来た……とは、どちらが言うべきかの」
今日こそ決着を。固い意思を表すように、呟くは鬼面の虎綱・ガーフィールド(
ja3547)。
(――運命に、願いを託そうではないか)
事情を聞き駆けつけた相楽 空斗(
ja0104)も、唇を引き結び真摯な表情を見せる。
「守崎君が存在する限り、愛された君の魂はこの世に在り続ける。心を、誇りを棄てるな! 残される人の為に!」
撃退士達は武器を手に、選び取った結末へ立ち向かう。対峙する。黒き影と。
(人は簡単に迷う。それでも……)
負けられない。
「あの時の一撃、今日こそおみや付きフルコースで返す!」
負けられない。
「語るなら刃で語れ。貴様が培ってきた技の全てで、貴様が生きてきた証を示せ」
――負けられない。
「私が勝ったら質問に答えて貰う。そっちが勝った時は……」
言いかけて、止まり。燕明寺 真名(
ja0697)はううん、と首を振った。
「言わなくていい――人間諦めやがった大馬鹿に、負ける道理は無いのだから!」
●
対峙する少女の傍らには不気味に佇む二匹の黒羊。先陣を切った虎綱は、急ぎ頭数を減らすべしと羊に食らいつく。
少女を護るように立ちはだかる黒獣へ、挨拶がわりとばかりに痛烈な蹴りを。
(……固い)
骨を伝いびりりと走る衝撃に、思わず顔をしかめた。
だが直ぐには退かぬ。僅か距離を取り、護符を翻して魔力の塊を放つ。が。
「魔法もダメか、全く歯が立たんの」
「なら、これは!?」
真名の指先が黒羊へ向き、虎綱を上回る重い一撃が放たれる。
けれど、解放されたアウルは羊を傷つける事なく崩れる。ガラスへ投じられた卵のように。
「っ、珍妙な羊ね。気味が悪い」
噛み付いてくる様子もなく、ただ攻撃に耐え続ける獣。その不可思議さに、過ぎる一抹の不安。
羊の対応を諦め、真名はクロノとの距離を縮める。射程に彼女を捉える為。
魔法が駄目ならとばかりに、雨野 挫斬(
ja0919)が羊に肉薄する。
「あの日以来、ずっと解体したいって想ってた! まずは強くなったあたしを見せてあげるね!」
クロノの目を見据え、唇を大きく釣り上げて。挫斬は武器を、防壁の如き正面の羊へ振り下ろす。しかし、
(あれ、意外と固い?)
やはり手応えは乏しく。本能的に危険を察知、追撃を諦めて間合いを取り直す。
「……面妖な。先にクロノを叩くべき、か?」
「うーん。そうかも? でも、邪魔されないように先に解体しないといけない気がする〜」
「ならば此方は任せよう」
虎綱が気配を潜め、その場を離れる。それとほぼ同時に、挫斬は再び敵との間合いを詰めた。
「よし、さっさと片付けて咲ちゃん骨抜きにするよ!」
宣言する挫斬はいつもと寸分違わぬ笑顔。けれどその胸中は、いつになく不安定で。
(ねぇ守崎君。確かに私達は撃退士だから、学園の命令は絶対。だけど……本当に、これでよかったの?)
迷い。強き者に焦がれ、愛し、渇望する挫斬だからこそ持ちうる感情の波。
クロノが持つ一種偏執的な力への執着――それは挫斬にとって、愛すべき感情だから。
(もし彼女が再び撃退士に仇なせば……その時は、私が解体する。いいじゃない……それで)
答える者のない問いを、虚空へ投げる。
●
両脚に光を纏わせ、舘羽が先んじた。佇む黒衣の少女だけを目標とし駆け抜ける。クロノへ肉薄する。
(背筋がぞわぞわして、産毛がぶわわってなる)
全身を包む緊張感。精神を侵す高揚感。陶然たる表情を浮かべ、少女は艶やかに笑う。
「最高に……楽しいねぇ!」
「……酔狂な」
忘我の極み。得体のしれない衝動を全て叩きつける。眼前の敵へ。
けれど初撃をみすみす喰らう程、クロノとて甘くはない。
後ろへ跳躍した彼女は刀を抜き放ち、接地と同時に再び跳んだ。今度は重心を低く。
なぎ払う刀の反撃。けれどその太刀筋は舘羽には届かない。後方から虎綱が放つ光の一閃に、クロノの刃が弾かれ軌道を失う。
「ッ、ち」
風斬る音。再び繰り出される斬撃。掠める程度で躱せば、後方から水無月 神奈(
ja0914)が間合いへ飛び込んで。
「復讐の為に力を欲す、その精神には同情しよう」
鋭い太刀筋、己が刀身で受けつつ。神奈は鋭い眼光をクロノへ向ける。
悪魔への恨み。悪魔に操られた女への糾弾。言葉に乗せきれない激情を、太刀に預け。
「だがその手段は決して許さない! 人を捨て悪魔に与した貴様のような下種に……かける情けなどあるものか!」
昂る感情に反し、冷静な判断力は失わず。
切結ぶ刀。弾かれる。互いに。火花の如き白と黒。拮抗するオーラ。
奥歯を噛み締め、距離を取る。冷静さを欠いては仕損じる。分かっているからこそ。
「水無月神奈、参る」
最小限の動作を以て、均衡を崩す目論見で。言い聞かせ再び、討ち取る為に走り出す。その剣に白き無尽光を纏わせて。
「此方も忘れるな!」
追い縋る羊を躱し、朔樂がクロノへ接近する。同時に舘羽も間合いを詰めた。
三方を囲まれたクロノへ向け、二つの矛が向けられる。
神喰 朔桜(
ja2099)は悠然と、銃口を魔の者へ。下界を見る神の如き傲然を湛えて。
「羊ねぇ……姫君を護る対の騎士って所? ま、何れにせよ詳細不明である以上、深く詮索する心算は無いね」
意味のない思考の螺旋に陥るより、先んじて成すべき事がある。
望まれる結末は唯、終焉。それならば。狙うべきは本体それのみ。
「――創造≪Briah≫」
宣言。深紅の瞳に黄金の炎が灯り、無尽光を纏う少女の黒髪が揺らめいた。
クロノへ向けられる銃から、金色の焔が迸る。仲間達の間を縫い、魔弾は稲妻の如く軌跡を描き、黒を確かに捉えた――が。
(……これは、してやられたかなぁ)
研ぎ澄まされた至天の一撃が、霧散する。黒光りする不気味な羊の、断末魔と共に。
現象は、真名の方でも起こっていた。
(無効化……文字通りのスケープゴートって事か……!)
必殺の一撃を無駄にした事に歯噛みする。
(けど、これで的は1つ。切札は残すにしろ、後は全力で挑めそうね)
浮かぶ笑みは、高揚の印。
●
星をも墜とさんとする概念武装、ヌディ・ムバ――射手たる氷月 はくあ(
ja0811)は凛と佇む。
二撃、三撃。魔を帯びた光の弾丸を以て、闇を制す為。
(リソースが足りない)
それでも。やりきれなさ切なさを殺してでも、進むしか。
彼女がこれ以上過ちを犯さぬよう誰かが、否、自分が。断ち切らねばと銃口を向け。
(一番辛いのはわたしじゃない。だから)
報いる。彼の決断に。
救う。彼女の哀れな魂を。
「不浄を滅せ、ヴァジュラッ!」
戦い続けよう。力、尽きるまで。
苦境に立たされて尚、クロノは嗤い、戦いを楽しむ様相。
其処に天使への恨みは在るか。否。時間の概念を奪われた『それ』は最早、制御不能の絡繰人形。
他の多くのディアボロと等しく、ただ、衝動に任せて眼前の敵を滅ぼすだけの。
「やるじゃない……ついこの間まで、虫けらみたいだったくせに!」
囂しい声をあげ、クロノが猛獣の如き腕を振り上げる。既視感に、震える。
「来る!」
同じ手に二度倒れてなるものかと、守りの構えを取る舘羽。咄嗟に横へ逃れる神奈。
けれど無傷では済まされない。重い一太刀は、確実に彼女達を抉る。
続けざまに突撃するクロノ。負傷者への追撃と思われた刃は、しかし衝撃波の軌道とは別方を向き。
挫斬を捉える。一撃。振り下ろし、そして薙払う。
「――!」
弾き飛ばされた挫斬は動かない。だがその場の誰にも駆け寄る程の余裕は無く。
拮抗する力。傷だらけになりながら、武器を持替え虎綱とはくあも間合いを詰める。
「休ませはせぬよ」
「身命を賭してでも……撃ち抜く、撃ち墜とす!」
炎が。光が。立て続けにクロノの肉体を刻む。
これを好機と捉え、真名も一気に間合いを詰めた。
「貴女の分まで持っていく! クロノ、勝負!」
轟く雷鳴。迸るアウル、怯む漆黒の魔物。
だが、まだ。まだ足りない。
「っ、もう一発!」
痺れていない訳はない。それでもクロノは即座に持ち直す。唯、この死線を終わらせない為に。
「小手先で誤魔化せないよう、叩き潰してあげる……!」
太刀を振りかぶる。真っ直ぐに、真名へ。来る。避けきれない。覚悟に目を瞑る――が。
「――させるかァァァァアアッ! 断ち切れッ!!」
朔樂の咆哮。正しく其れは、銀炎の如き一撃――光纏う刀身は、身の丈を凌駕する巨大な刃の幻影を見せ。
刹那。斬飛ばす。クロノの忌わしき豪腕、そして、刀を。
「っ、ああああああ!」
黒衣が跳ぶ。太刀を振下ろした朔樂、その腹に見舞うは渾身の蹴り。避けきれず吹き飛ばされる。
けれど。
(この一撃に力、技、想い……全てをっ!)
腕を押さえるクロノの背後には、回り込んだはくあの姿。
「貫け――!」
クラウ・ソラス。全てを無に帰す光剣が、残る腕を削ぎ落とす。
「自慢の腕を失った以上、君にこれ以上の切札は無い筈。違うかな」
朔桜が銃を掻き消した。
唯の一つも身じろぎする事なく。唇さえも凍りついたまま。
再び昇りつめる。至高天へ――そして、奇蹟の模倣者は不敵に笑う。
(大丈夫、これで終わる)
確信を胸に、天上へ掌を差し伸べる。生まれるは黒き雷槍。虚空より喚び寄せ形成す、神の憤怒、その権化に良く似た圧倒的な力。
傲る魔王の如き悠然とした態。永劫の昔より、人智を超えた力を約束されていたかのような表情のまま。
虚に生まれた黒き稲妻が放たれる。
『――轟き穿つ神威の雷槍≪Brionac≫』
最期に映ったのは、空間を切り裂く程の、鮮烈な――白。
●
兄は言った。仲間外れのようで苦しいと。
あたしは反抗し、喧嘩して……そのまま、兄は天使に囚われた。
あのとき謝っていれば、或いは兄と一緒に行くことが出来ただろうか。
何度も、そう何度も悩み、苦しんだ。
守崎慎一郎は悪くない。ただ私は、2人とも大切だった。
だからごめん。エゴだって分かってるけど。
あたしのことは忘れて。慎ちゃん……笑って。
●
「終わった……ね」
うっすら浮かぶ涙を、指の腹で拭うはくあ。
その涙は弔いであると同時に、黒野にこの道を選択させた天魔と世界へ向けた、静かな怒り。
彼女の心中を察したか。或いは、同じ想いを抱えていたか。空斗は小さく、己を納得させるように呟いた。
「俺はまた、人を救えない。運命を変えられない。無力だ……実に、無力だな」
ゴーグルをずらし、手の甲で目頭を押さえつけた。
だが、泣いてばかりいられるものか。
(無垢な想いを愚弄する天魔……これが、神の導く定めだと言うのならば)
目を擦りゴーグルを付け直して、空斗は唇の端を釣り上げた。
(俺は定めを――神をも壊す英雄になってみせよう。必ず)
人を諦める人間が、一人でも少なくなる未来を夢見て。
鬼面をそっと外し、虎綱は流れる汗を拭う。
(……我は鬼。何も感じぬ……何も想わぬ)
心を殺して敵を制す。それが己の義務だ。今迄そうしてきたし、これからもそうやって生きていく、けれど。
(鬼に心を支配され、『人』を失えば……某とて黒野と同じ)
目を閉じかぶりを振る。そしてもう一度、ゆっくりと瞼を上げる。映るのは戦友の姿。
黒野とは違う。自分には仲間がいる。
例え道を誤っても、此処に孤独はない。その幸せは――どれほど価値あるものか。
「さて、戻りましょうかの。守崎殿に土産を買っていきませぬか」
「うん……帰ろっ、学園に!」
手当を受けた神奈が、気を失った挫斬を連れ街へ戻ろうとしていた。
「優しいね」
意外だと笑う朔桜。神奈は僅かに顔をしかめ、伏目がちに呟いた。
「相容れぬ考えに変わりはないし、馴れ合うつもりもない。だが……人を殺める気もない。それだけだ」
「……うん、実に君らしい答えだ」
笑みが零れる。
(……宝石?)
取り戻した意識の端、初めに認識したのは指輪だ。遊色の小さなオパールは、雨上がりの空に架る虹の様に煌く。
それを静かに拾い上げ。腹部の鈍痛に耐えながら、朔樂は上体を起こした。
「朔樂さん、帰れそう?」
舘羽が手を差し伸べる。朔樂は脇腹を押さえたまま、手を取りゆるりと立ち上がる。
「ったた……、かたじけない。情けない所を……」
「何言ってるの! 朔樂さんが防いでくれなかったら危なかったよ。……ありがと」
それは一体、何への礼か。再戦までに黒野が重ねたはずの罪。それとも仲間の怪我。
否どちらにせよ、スリルだけを求めていた以前の舘羽からは聞かれなかった筈の言葉。
「染殿は、いい意味で変わったで御座るな」
「……そう、かな?」
舘羽自身には全てが一つの延長線上ゆえ、実感は沸かないが。言われて、以前の自分なら彼らにも肩入れしなかったかと気づく。
(そっか……そうだね。今なら少し分かる気がする、守崎サンや黒野が考えてた事)
共に戦った仲間達の存在。彼らの熱量は、僅かではあるけれど舘羽の心を動かした。
もし彼らが倒れたら。名前も知らない他の誰かが傷つくより、嫌だと思うのだろう。
この想いがもっと大きくなれば――それがきっと。愛や恋、友情という名の『執着』なのだろう。
――慎ちゃん、笑って。
黒野咲の最期の言葉、舘羽はしっかりと胸に刻みつけて。
(……待ってて。あたしが持ってってあげるよ、守崎サンのとこに)
それは黒野との約束であり、同時に守崎との約束。剣を交えて感じ得たもの。彼女が追い続けたものの片鱗を、彼へ伝える。
「さぁ染殿。拙者達も学園に戻り、これを守崎殿に届けるでござる」
これ? と首を傾げる舘羽に、朔樂は拾い上げた指輪を差出した。
其れは黒野が最期まで身につけていた指輪。これは守崎にとって、自分の『これ』と同じ意味を――。
朔樂は、胸の御守りをぎゅっと握る。
真名ちゃん、と呼ぶ声に、今行くと返事を一つ。分厚い手記をぱたんと閉じ、記者はぽつりと呟いた。
「人を捨てたヴァニタス、か。一連の事件もこれで幕引きね。さぁ……この情報を巧く使ってくれる所は、と」
戦いの激しさを物語る、使い込んだノート。
表に刻まれた『黒守』の文字をなぞり目を伏す。消えゆく乙女に哀悼の祈りを捧げるように。