●午前4時25分、久遠ヶ原
学園ではなく、己等個人へ宛てられた第一報。
抱いた想いは様々なれど、取る行動は等しく。
「それにしても……いえ、協力感謝しますよ」
書類を手に廊下を疾走する燕明寺 真名(
ja0697)の言葉に、水無月 神奈(
ja0914)と神喰 朔桜(
ja2099)が頷いた。
「非常事態だ、やむをえん」
「1人でも多い方が良いだろうしね」
「はい。今は、とても助かります! 魔術理論に関してはまた後日、詳しく伺わせて下さい」
「ん、勿論っ」
時間が時間だ。気づく者ばかりではないだろう。まして本件は未だ人的被害が出ていない。
優先度、緊急度の高い出動要請は今日も斡旋所に多く寄せられている筈。然らば己が動かずしてどうする。
偶々取材中で――こんな時間にしか集まれなかった予定の不一致を恨んだものだが……
今は思う。定められていたのかもしれない、と。
(早まった真似だけは、してくれますなよ……っ)
噛み締めた奥歯に力が籠る。怒りと焦燥の具現。けれど同時に――絶対に彼を引き戻せるという、強い自信を内包していた。
「燕明寺、やはり電話は繋がらないか?」
「ええ……残念ながら、先ほどから何度か試みていますが」
神奈は僅かに唇を噛む。出来るのなら、直接言ってやりたかった。
お前は悪魔の戯言を本気で信じているのかと。
お前は何の為に撃退士になったのだと。
お前は、何を討ち滅ぼし、何を護るつもりなのか、と。
(間に合え……こうなったら顔を見て言ってやる、それだけだ)
同刻、氷月 はくあ(
ja0811)も突然の報せに飛び起きていた。
激しい動揺。そして、焦燥。
正常な判断能力を失いかけながらも、なんとか準備を整え部屋を飛び出して。
(守崎さん……駄目、それだけは駄目だよ……)
学園内、知人に限らず手当たり次第に声をかける。
幸いここは『そういう』学園。昼の間ほどではなくとも、時間を問わず誰かしらは掴まえられる。
出来れば経験の多そうな先輩。或いは、人に与した悪魔そのものを捜し。
「ヴァニタスは……人間に戻れないの、かな……?」
なぜ今更そんな分かりきったことを問うかと、訝しげな視線を向けられても。
諦めることはできなかった。『ない』と確証を得たかったのかもしれない。
否、あるいは――誰かに『ある』と言って欲しいのか?
分からない。自分でさえ。
(――絶対行くから、少しでいいからお話ししよ。お願い)
胸の痛みを抑えながら、震える指でメールを打つ。
彼が読んでくれるかは分からないけれど。それでも、想いは届くと信じたかった。
焦燥。緊迫。突然の報せに動揺する若者達。
けれど雨野 挫斬(
ja0919)だけは、ひどく冷静に行動を開始する。
(学園側に守崎君のフォローも入れたし、住民の避難と増援対策も要請できた。あとは私達が行くだけ、だよね?)
資料集めには、きっと仲間が走ってくれている。それならば自分は、自分にしか出来ない事をするのみ。
(――どうせ解体するなら、撃退士なんかより……)
本件の背後に存在する悪魔の動きを敏感に感じ取り、激戦の予感に身を震わせる。
怖れではない。これは歓喜の体現。
愛しいあのヴァニタスを、早く■したい、けれど惜しい。胸を支配するのはそんな矛盾。
……否。あれを■せば――きっともっと素敵な『なにか』に出逢えるはず。
人智を超えた力のせめぎ合い。想像するだけで、鼓動が、強くなる。
挫斬は微かに笑い唇を舐めた。ただ、歓喜に震えながら。
●午前4時55分、H県某市
早朝の瀬戸内海は不気味なほど静まり返っていた。
以前に訪れた際とは異なる顔。底知れぬ闇を内包した深淵への入口が、ぽっかり口を開き待ち受けている。
「真名ちゃん、どうだった?」
「……ええ、周辺住民の避難は完了しているようです」
これで心置きなく剣を交えられる。後は、彼の目を覚まさせる。唯それだけ。
絶対に。悪魔の筋書き通りになどさせるものか。
悪魔の姿は既にない。猫に似た怪物と、対峙し、此方に背を向けた守崎慎一郎の姿があるのみだ。
「まずは感謝しておきましょう。おかげで……最悪の事態は避けられそうですからね」
口火を切ったのは真名。彼女が示唆する最悪、それは守崎が己の判断で悪魔へ与していた可能性だ。
「――まさか、そちら側に立つ気ではありますまい?」
迷いを断ち切ってほしい。誰かに否定してほしい。
彼が抱えたそんな想い。託されたからには、報いるだけの行動を示さねば。
「どうぞ、お望みの資料です。望まない結論かもしれませんが、これが純然たる『真実』だ」
真名は、書類の束を守崎へ突きつけ、眉を寄せた。
「資料だけで幾らでも証明出来る。似たような事例は数多あれ、貴方が望む結果なんて何処にもありゃしませんでしたよ!」
「守崎さん……わたし、悪魔の先生にも聞いてきたけど、やっぱりそんなこと出来ない筈だって」
はくあは上着の袖を握り締め、涙を堪えながら言う。
つとめて冷静でいようとするが――ただそれだけの事が、酷く難しい。
銃を手に立ち尽くし、言葉を失ったはくあの言葉を代弁するように、神奈が口を開いた。
「奪われる苦しみを知るお前が……自分のエゴに他人を巻き込むのか! 口約束以下の甘言の為に!」
そも、悪魔は人を弄ぶものだ。肉体も心も、総てを。
「だから私は……『斬った』」
己の苦しい過去と、眼前で項垂れる男の姿を、無意識に重ねてしまう。
それゆえに。伝えなければならないと思う。
「思い出せ。お前が撃退士になった理由を――それは、罪も無い人の魂を悪魔に与える為ではなかっただろう!?」
痛いほど分かるのだ。黒野の気持ちも、守崎の気持ちも。
だけど。だからこそ。同じ境遇の人間を、これ以上、むやみに増やしてはならない。
「それでも私達は……撃退士なんですよ。なぜこの道を選んだか、忘れましたか? 私は、忘れてない」
「……まぁ、零れ落ちた物を取り戻すならそれ位の対価はあって然るべきとは思うよ。
死者を蘇らせたければ、それに見合う魂を捧げよ。生命の理は不可逆なれば……って、理論的にはありそうな話だしね」
「でもおねーさんね、純粋に疑問なんだけど〜」
朔桜の言葉に続ける形で、挫斬が首を傾げる。
「魂を返して貰ったとして、どうやって生き返らせるの? 悪魔は具体的な方法を教えてくれた?」
容易にそれを実行する術があるならば、それこそ学園に籍を置く悪魔達も噂くらいは耳にしている筈。
それがないという事は、すなわち、
「目を覚まして、守崎さん……。ヴァニタスは……もう、死んでるんだよ……?」
「そう。キミだって本当は解ってるんでしょう? 所詮はディアボロもヴァニタスも、厳密には蘇っている訳じゃない。――彼らは、ヴァニタスという生ける屍になったに過ぎない。それは……人としてもう死んでいる事に、変わりは無いんだ」
如何な形であれ死者は蘇らない。
だからこそ。取り戻す事の出来ない『生』だからこそ、尊く価値があるものだから。
「死を想え。取り戻せる命に何の価値がある? 蘇る死者は、醜いの一言に尽きるよ」
染 舘羽(
ja3692)も、皆に続く形で守崎に告げる。
「……あたしにはよくわかんないなあ。守崎サンは黒野の姿をしてれば、人間じゃなくても大事なの?」
自分には、大切な存在というものが無かったから。
大切なモノを持っている彼が、少しだけ羨ましいと思う。
「守崎サンの大事なものは、黒野だけじゃないんでしょ? 折角そう思えるもの、簡単に投げ捨てたりしないでよ」
彼が守りたかった街。記憶。在りし日の情景。
黒野がそれらを捨てたと知った時に、本当に傷ついたというのなら、尚更のこと。
――彼には、それを捨てずに生きて欲しいと思う。
守崎は答えない。けれど少しずつ、彼の纏う空気は変わりはじめた。
仲間達による説得を静観していた断神 朔樂(
ja5116)も、察しているのだろう。決まりつつある心の底を。
「……憎むべきは、天魔で御座ろう? 命は救えなくても。せめて彼女の精神……笑顔だけは、救ってあげるで御座る」
ぴくりと、守崎の肩が僅かに震えた。
その乱れに気づいたか、それとも偶偶かは分からないが――虎綱・ガーフィールド(
ja3547)が、告げる。
「どうやら時間切れのようだ。まだ迷うなら、そこで考えていろ。貴様が真実守りたいのは、クロノの肉体か、それとも精神か」
刀を抜き放つ。
定刻、重い腰をあげた化物へ切先を向け、切り捨てるように冷たい声で。
「それでも彼奴らの言葉を信じるなら……クロノの死は俺が貰う。貴様になど一片もやらん。命も、思いも全て俺が――」
黎明の海風にさらわれて、言葉尻は遠く海原へと運ばれていく。
撃退士達を包む無尽の光が、照らし出す。人間が抱え続けなければならない、心の闇の深さを。
●午前5時、現場
放心状態の守崎を置いて、8人の能力者が武器を取った。
眉間に向けて、虎綱が先手を取り無尽光の刃を投じる。
敵の額に軽い衝撃を与え、アウル体は衝突と同時に光の粒子となり拡散した。
巨体が驚きに震えるのを好機とし、舘羽が次いで地を蹴る。細い脚に光を纏わせて、爆発的な速度で。
「猫かわいいよねー、もっと小さかったら連れて帰りたかったぁ」
敵の姿を見据え、駆けながら呟く舘羽。虎綱は呆れたような声で無茶な後輩を窘めた。
「家で飼うには、ちと凶暴すぎると思うが」
「えー? 一緒にトレーニングしたらきっと楽しいよ〜」
「……そういう事にしておくか」
今はそんな戯言を交わしている場合ではない。笑い合うのは、目先の害悪を退けてからでいい。
虎綱は得物を持ち替え、肉薄する。獣へ。回り込む勢いで、相手の注意を引きつける。
(しかし……不気味だな)
敵の視界に入らぬよう、背を取る算段で疾走する神奈。だが、懸念がひとつあった。
(杞憂であればいいのだが、嫌な予感がする)
彼の獣は、爪を振りかざしながらも瞳を閉じたまま。まるで瞳ではない何処かで、状況を掴んでいるようだった。
――それならば、あの瞼は何の為に存在するものだ?
「虎綱さんっ! 大丈夫!?」
気づけば、1人の仲間がその力に気づかされていた。
「かすり傷だ。それよりも奴の瞳を見るな、意識を乱されるぞ――」
辛うじて惑わされることは無かったものの、不意のことに驚かされ、一瞬の隙が生まれたらしい。
振りかざされた獣の爪に、魔装の下の皮膚が抉られる。伝う紅の血潮。だが、まだ戦える。
神奈の背を追う形で魔法の使い手2人が移動する中、はくあだけは敵の正面に残っていた。
動き回る仲間の間を縫うように、彼女の放つ光の弾丸は獣の頭部に向けられて。
「……撃ち抜くっ!」
眉間。そして瞳。
絶え間なく撃ち続ける数多の光から、致命打となりうる一撃が生まれることを信じて。
(流石に……今回は、わたしも本気で怒ってるよ)
激しいアウルのせめぎ合いは、言葉より雄弁に、彼女の怒りを物語る。
先んじて飛び出した虎綱と舘羽に続き、挫斬と朔樂が敵を挟み込むように右へ寄る。
「正面から睨めっこしたら駄目ってことか〜」
「……ならば奴が自由に動けぬよう……囲むだけッ」
「ん。おっけ〜、行こ!」
合図。巨体の左右を抑える形で布陣する。
長い身体を持つ魔物は両脇を固められ、前後以外の動きを封じられる形となり。
『ッ、ガァァァッ!』
身動きの取れない苛立ちをぶつけるかのように、その長い尾で周囲をなぎ払う。
蛇のように細長い、異形の獣の尾。その有効射程は如何程か。
間合いが掴みきれずに、飛び退いた着地点を掬われて挫斬が地に伏した。
「ッ、」
寸時、怯む。しかし敵の意識は再び対岸へ向けられた。巨体の影から、跳ね回る舘羽の姿が垣間見える。
「虎綱さん! 足を見て動こっ、それで多少は動きが読めるはず!」
仲間の動きに気を取られ、生まれ始める隙。
そこを狙い、朔樂は太刀を抜く。重さを感じさせない仕草で軽やかにくるりと振り回し、再び両手で握り直す。
「……人間を」
大太刀の鋭い切先を前へ向け。果敢に、勇猛に。立ち向かう。
「人の想いを……踏み躙るなぁッ!!」
其処に介在する感情はただ一つ。純然たる、怒り。
その間に、挫斬もなんとか体勢を立て直し。
「やってくれるね……お返しに、爪の先まで綺麗に解体してあげる!」
跳躍する。高く。高く。
重力、引力、総てのエネルギーを指先に集約するように――なぎ払う。
弱り始めた獣は、いよいよ本気を出しはじめ。
不穏な動きを見せている遠くの敵を捉えようと、後方へ向かい、長い尾がぐんと伸ばされる。
「させるものか!」
魔道士達へ向かう敵の動線を塞ぐように、神奈は敵の正面へ立ちはだかる。
もう少し。そうだ、尻尾を切り落せ。そうすればもう、奴に彼女達を止める事は出来ないはず。
身体を覆う光を、ぐっと脚に集中させ。神奈は跳ぶ。
狙うはただ一点。意思を持った鞭、あるいは鎖の如き、忌々しいあの尾。
「――その尾、貰い受ける」
第二の武器を奪われ、瞳の魔力を使い果たし。
ただ爪だけで8人の撃退士を相手取るディアボロは、確実に疲弊していた。
「終わらせましょう……!」
奥歯をぎりっと噛み締めたまま、魔法書を手に真名が呻く。
「奇遇だね、私もそのつもりだ――尻尾がここまで届かなくて助かったよ」
朔桜は相変わらず余裕の笑みを湛えたまま、鮮やかな金色の衣を纏い。
「――創造≪Briah≫」
吹き上がる。
漆黒の闇と見まごうような深い夜の海の色をした、幾千の無尽光が。
集約する。束と化す。
言葉なく紡がれる滅びの呪は、明けきらぬ夜の闇を総て吸い込み、吹き飛ばすよう激しく海岸を洗っていく。
「消し飛ばしてあげる――BRIONAC【轟き穿つ神威の雷槍】――!」
海が、揺れた。
●午前5時15分、現場周辺
守崎が、震える手で仲間達の傷を癒やしていく。
彼の迷いは断ち切れたのだろうか。
真実知りうるのは本人のみなれど、今は、敵の手に堕ちなかった彼の清き精神――そして、説き伏せた仲間達の情熱に祝杯を。
一時の安堵に表情を緩める撃退士達の中に、頬を赤らめ俯く男がひとり。
「……落ち着いて振り返ってみると、自分の言葉が妙に恥ずかしいでござ……っ」
「格好よかったよ?」
「き、気を遣わなくて良いでござるよー……」
力任せに叫んだ言葉は、とても青臭く。まるで子供向けの物語の登場人物のようだったかもしれない。
けれど、飾らない言葉だからこそ届く想いも、きっとあるはず。
妙な居心地の悪さには辟易してしまうが……後悔は無い。自分の言葉を撤回する気も、朔樂は持っていない。
「この貸しはデート1回で許してあげる! ……なーんてね。全部片付いたら、買物に付き合ってくれればいいよ」
だから、絶対に生きて帰ろう。
そんな想いを言外に込め、挫斬は守崎に微笑みかける。
暫しの休息の後。撃退士達は約束の地へ向かうことになるだろう。
悪しき因果を断ち切り、クロノを倒し、――黒野咲の彷徨える精神を救うために。