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束の間の休息を得るため、一行は海岸近くの店を訪れていた。
「この状況で店を続けているとは……なかなか肝が据わっている」
切り分けられた肉や野菜を運びつつ、相楽 空斗(
ja0104)が店主に話しかける。
「奴らと戦う撃退士に比べれば、大した事ないさ。……俺にとっては店を手放す方が怖い。それだけだ」
切なげに笑う年かさの男が悲しくて、空斗は悟られないよう目を細める。
「おーい、買ってきたよぉ」
2、3km先のスーパーへ向かった雨野 挫斬(
ja0919)と染 舘羽(
ja3692)、そして守崎が戻ってきた。
手に提げた買い物袋には缶ビール、それから各人の好みに合わせた飲み物が数種。
「やっぱり外で飲むビールはサイコーよねぇ」
おじさんの分も買ってきたからね、と店主に冷えた缶を差し出しつつ。
「はい次、烏龍茶の人ー!」
「挫斬さん牛乳そっちに入ってるー?」
「ミルク希望? お子ちゃまぁ」
「違うよー、パンケーキに必要だって言ったじゃないですか!」
挫斬と舘羽の様子を横目に見つつ、氷月 はくあ(
ja0811)は鉄板の準備を手伝う。
「氷月殿! 拙者やるでござるよ?」
「あっ、えっと……わたしが料理すると何が生まれるか解らないので、お手伝い今のうちしか出来ませんから……!」
どこまで本気かわからない少女の呟きに、断神 朔樂(
ja5116)は笑って答え。
「こういう時に働くのは男と相場は決まってるでござ〜」
「うむ、レディ諸君はゆっくり待ってくれて構わんぞ」
両手にトウモロコシを持ったまま空斗が胸を張る。
「おー。焼くぜー超焼くぜー」
2人の言葉を肯定するように、虎綱・ガーフィールド(
ja3547)はコテを握った。
「……よく、わからない……が。力仕事、食う……両方、得意……」
運ばれてくる食材と程よく熱した鉄板を前にして、ザクセン(
ja5234)もようやく状況を理解し。
戸惑いつつも周囲の行動に倣い、準備を手伝い始めた。
「よし焼モロコシだッ! めんどくせーしパンケーキも焼いてしまおうそうしよう」
「ままま待たれよ、物事には順序というものが! 先に肉と魚、あと焼そば!」
「焼かせたまえ虎綱君ー! そろそろ糖分切れで俺死ぬ! 死んじゃう!」
「……平和でござるなぁ」
一時でも幸せに浸れるこの時間が。きっと、今後の皆の勇気に変わる。
海を眺めながらテラスを囲う金網に手をかけ、守崎はジュースのプルタブを引いていた。
重い溜息に気づき、空斗は運んでいた大量の野菜を机に置いて、守崎に話しかける。
「――美しいな」
隣に並び立ち、彼の視線の先にある広い海を見つめて呟いた。そんな空斗の心遣いに、守崎も微かに笑みを浮かべる。
「だろう? 自慢の海だ」
「夏場であれば泳ぎたかったが、流石にまだ早いな」
「……ああ」
ふっと笑う青年に向け、空斗は胸の前に握り拳を作る。
「海水浴の季節にもう一度ここを訪れよう。その時は、是非この街を紹介してくれ」
空斗の申し入れに、守崎は驚いたような表情を浮かべる。
だが、すぐに頷き拳を前へ突き出した。空斗のそれに、合わせるように。
食事を前に色めき立つ仲間から少し距離を置いて、燕明寺 真名(
ja0697)は波の音に耳を傾けていた。
空は抜けるように青いのに、海岸には荒波がざあざあと押し寄せてくる。
まるで、少女の心の内をそのまま写し取ったかのように。
――守崎さん、あなたにお訊ねしたい。
彼らが買出しに出掛ける前。真名は、ひとつの問いを守崎へ向けた。
――どんな天使です。貴方知ってるんですかっ……!
天使への復讐。守崎が告げた黒野の本質を指すその言葉は、真名にとってもひどく重く。
過去を顧みて思わず震える手を、ぎゅっと握り直す。
「……燕明寺さんは、お茶でいいんだよな」
ペットボトルを差し出しながら、守崎が歩み寄る。真名は返事をせず、僅かに頷いた。
「君も背負っているんだな……。俺や、黒野と同じように」
「こんな時勢です。珍しい事ではないでしょう……けれど、仇敵です。私にとって、とても赦しがたい存在」
天使の存在を仄めかされるだけで、心が酷く揺れる。未熟な己の精神を情けなく感じるけれど、蹲っていては前に進めない。
「けれど私はジャーナリストですから。鉄の心を持ち、あの天使を追い続けます」
決意は一層固く。信念は揺らぐ事なく。
眼下の海は混沌を孕んだまま――表向き、静かに凪ぎ始めていた。
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「あ、それもう食えるで御座るよ?」
朔樂がトングで、焼けた肉や貝を取り分ける。
「浜辺で鉄板を囲む……王道ですねぇ」
先ほどまで厳しい顔をしていた真名も、さすがに食事中は穏やかな表情だ。
素晴らしい、と呟きながら野菜で肉を包み口へ運んでいる。
「お腹いっぱい食べれるって嬉しいよね〜! あ、はくあちゃんお肉食べた? 魚とかエビは?」
肉の焼ける音を聞いて楽しくなってきたのだろう。舘羽が海老や魚の切り身を乗せた紙皿を渡す。
「あっ、いただきます! おいしいお肉食べれば元気出ますよねっ」
どこか緊張した面持ちでいたはくあも、少し笑顔を見せた。
(もっと強くなるんだ。繰り返さないように。そのためにしっかり食べるのも、大事だよね)
網の上でぽんっと何かが弾け。
「うわっ」
飛んできた水粒に驚き、朔樂が思わず後ずさる。
撃退士である以上この程度で火傷などする訳もないが、本能的に避けようとしてしまうのは当然。
「イカの水分が跳ねたで御座るか……」
鉄板の上で踊り狂うイカの切り身。隣で見ていた空斗は顎に手を当て、成程と頷いた。
「よし断神君、俺が代わろう」
「お、驚いただけで御座るよ!」
「ふっ案ずるな。俺のこれは何の為のものだと!」
胸を張りサムズアップする英雄候補生。親指の先は彼の特徴的なゴーグルへ向けられ。
「成程、相楽殿はアウトドア活動に命を賭けてるんで御座るか」
「……あ、えっと、一応言っておくが冗談だぞ……?」
たわいもない言葉の応酬に、誰からともなく笑い声が零れる。
はじめは貝や焼そばを見て首を傾げていたザクセンも、初めて味わう料理の数々に、少しだけリラックスした様子で。
本当の意味で気を抜く事はできていないかもしれない。
けれど、戦いの最中で見せる表情とは、少し異なる落ち着きを持っている。
「あ、それは牡蠣だよー」
「カキ……?」
「そう。海に住んでる貝!」
バーベキューの作法から食材の事まで、ザクセンの疑問に答える舘羽。
2人の様子を微笑ましく眺めつつ、虎綱も口を挟んだ。
「養殖ではなく天然物だそうで。そろそろ時期も終わる、次は秋まで食べられないで御座るよ」
「……ヨウショク……?」
「ああぁ、えっと養殖っていうのは……」
3人の様子を遠巻きに見守りながら、守崎は低いフェンスを背に炭酸飲料を開けた。
「守崎殿。少し、話をしませぬか」
声を掛けたのは朔樂だ。
仲間の前では明るく振舞っていたが、彼もまた、自らに重い枷を科している。
黒野が掲げる『復讐』。その言葉に、感じるものは少なくない。
「……復讐なんて、するもんじゃない。俺も以前はそう思っていました」
「以前、で御座るか?」
「はい。今は……それを志す人間の気持ちが、分かるから」
どういう意図で、守崎がそう言ったのかは分からない。
けれど一つ確かなのは――守崎が、誰かを強く憎んでいる事。
「……まぁ、そんなに落ち込むことも御座らん」
話が少し聞こえていたのだろう。パンケーキの生地をひっくり返しなつつ、虎綱が呟いた。
「この世には野良悪魔なんかもいる、ヴァニタスと共存できる可能性もあろうよ」
夢のような話だ。希望的推測に基づく、根拠のない願望にすぎない。
それでも、呟かずにはいられない。ここで沈黙するのは、あまりにも悲しすぎる。
「言葉は通じている。さすれば救える道も、きっとどこかにあるで御座ろう」
胸に提げた御守りを、ぎゅっと握り締め朔樂が言う。守崎は顔を歪めたまま口を開く、が。
「ガーフィールド殿、パンケーキの焼き加減はどうで御座るかー?」
まるで何かを誤魔化すように、朔樂が言う。虎綱が頷いた。
「今が食べ時。おーい相楽殿ー! パンケーキが焼けたぞ、メープルシロップをもてーい!」
「燕明寺くーん、メープル借りるぞー!」
暗くなりかけた雰囲気を、吹き飛ばすように。努めて明るく。
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賑やかに食事を楽しむ仲間から離れ、缶ビール片手に挫斬はゆっくり守崎へ近づいた。
「ねーぇ、守崎くん」
低い金網の縁に肘を預け、海風を浴びる守崎。
彼の背後から、両肩の上を通るようするりと腕を這わせ、挫斬は小さく息を吐いた。
「お姉さん酔っぱらっちゃったから変なこと言っちゃうかも……先に謝っておくね。ゴメンなさい」
「……何ですか」
顎を引き、振り向かずに守崎は答える。挫斬は満足げに唇の端を釣り上げると、更に小さな声で、青年に囁きかけた。
「クロノ……ううん、咲ちゃんの事。どうするつもりかな? 死人は生き返らない。ヴァニタスは、絶対にヒトには戻れないよ」
「分かってる。俺も、……撃退士だ」
握り締めた守崎の手が僅かに震えているのを察し、挫斬はくすくすと笑った。
「彼女を殺して終わらせるか。彼女と同じ道を歩むか。……あなたは、どうする?」
耳に息を吹きかけ、挑戦的な口調で挫斬は語り続ける。
「よく考えて。全ての為に彼女を屠るか、彼女の為に全てを捨てるか。
あなたは、どちらか選ばなきゃいけない。決めずに会えばあなたは迷いに殺されるでしょうね。
何も決めず逃げてもいいけれど……その時はついて来ないでね。あたしが、咲ちゃんを解体してあげるから」
守崎の顎、そして首筋を指でなぞり、ようやく身体を離しながら挫斬は冷酷に告げる。
現実を――突きつける。
「忘れないで。彼女は、捨てたんだよ。故郷も友達も、命さえ。……勿論、あなたの事もね」
硬直する守崎に、挫斬はポケットから取り出した阻霊陣を渡す。
「これは余裕がある時に使って。おじさんは任せたよ。――お客さんが来たみたいだから」
「え……」
顔を上げる。眼下の浜辺に、砂を掘り上げながらこちらへ進み来る不穏な影がふたつ。
それは、巨大な貝の姿をしたディアボロだった。
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「……休息……邪魔、するか」
やや不満げな表情を浮かべ、ザクセンがいち早く敵の気配に気づいた。
砂に身体を隠した貝は、ともすれば撃退士達を挟み撃つ心算だったのかもしれない。
だが、緊張を解ききらず警戒を続けていた面々には通用しない。
「無粋な輩で御座るな」
表情は笑んだまま。声色だけが、冷たく鋭利に表情を変えて。
「食事中の奇襲は卑怯で御座るよ……」
溜息を吐きながらも、心は冷静。どこかで、招かれざる客の気配を感じていたのかもしれない。
各々の手中には、光を纏う唯一無二の武器がある。
「守崎君、すまないが後方を頼むぞ……!」
撃退士だけに許された力。アウルの光をもって、闇を制する――。
「あはは、ここまで大きいと気持ち悪いねぇ〜」
ほろ酔いのまま武器を手に、挫斬が砂浜を駆ける。
異常に発達した斧足を殻の隙間から差し出し、地を蹴った貝が宙を舞う。
砂を撒き散らしながら、勢いをつけたまま体当たりを試みる敵。
なんとか躱しつつ、挫斬は守崎・店主と距離を広げていく。
「此方にも居るで御座るよ?」
挫斬を狙う貝の背後に回った虎綱が、持ち替えた忍刀で差し出された敵の足を狙う。
距離を詰め、砂浜に落ちる大きな影を縫い止めるように踏みつけながら、貝の隙間を狙い刀を振るう。
「……何これ、貝? 焼かれて踊りたいの? 空気読んでよね……」
溜息を吐きながら舘羽。焼き貝にしてやりたい、とぼやきつつ敵の外殻へ斧を叩き込む。
「見た目に違わず硬いなぁ! って事は、中身はどうかな?」
食事を邪魔された腹いせとばかりに、等しく差し出された足に狙いを定める。
「おっきい貝だけど……食べられないよね、流石に」
「だよねぇ、残念!」
「さくっと倒して休養に戻るとしましょうっ」
はくあは苦笑しつつも、僅かに開いた貝の隙間を狙い、的確に光の弾丸を撃ち込んだ。
「ずいぶんと固いみたいだけど…、これでどうっ!?」
地面に向け、光の矢を穿ち空斗が叫ぶ。
「断神君ッ、後ろだ!」
銀色の焔を纏う彼の太刀は、然して一度鞘の中に。敵の一撃を受けるも、回避を試みるも難しい。
「ッ」
思わず舌打ちが漏れる。けれど。
「朔樂さんっ」
襲いかかる敵との間に、舘羽が割り入り攻撃を凌ぐ。
同時に、閉じようとした貝の間に斧を差入れて防御を阻害する。
「よし! 片付けよ!」
「――染君、右に跳べ!」
空斗の放つ矢が、貝の蝶番を容赦なく破壊する。
挟み込もうとする力が弱くなった処へ。
「相楽殿、かたじけない……! これでケリをつけるで御座る!」
銀の炎を纏った朔樂の刀が、命断つ一撃を放った。
「――切り裂く。その全てを!」
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食事を邪魔されたことで、全員が多かれ少なかれ苛立ちを感じている。
しかし真名がそれ以上に不機嫌なのは、当然、この襲撃にも黒野の影を感じたからだ。
黒野のことを考えると、どうしてもその先にいる『天使』の存在に思考が向いてしまう。
「粉々にすり潰して海の肥料にしてやりますよ!」
魔法書をぎゅっと胸に抱き、生まれ出る鋭い光の一閃で敵を屠るべく。
「あはははは! 真名ちゃんだけじゃなく、あたしの事も楽しませてよ! ……ねえ!」
挫斬がなぎ払う。貝の表面を滑る爪は、僅かながら敵に衝撃を与え、怯ませる。
「……海、汚す……許さない……!」
終始、貝の柔らかい内臓を狙うザクセン。
手加減などするものか。敵は己の食事を、休息を阻害し――あまつさえ海の平穏を脅かそうとしている。
「これで……終わり……!」
このままにらみ合っていても、不利になるのは此方。一気にケリをつけよう。
真名を狙い、飛びかかろうと足を出す貝。
僅かに開いたその隙間へ、狙いすまし鉤爪を差し入れると、そのまま力任せに二枚の貝を引き裂いた。
「――!」
きぃん、と耳に痛い高音を発し抵抗を見せる貝だったが、つっかえ棒よろしく斧を差し込まれてしまえばなす術もなく。
怒りを胸に秘めたザクセンの、重い一撃によって――勝負は、決着を見る。
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「動いたらお腹空いたぁ〜」
「そうですね、仕切り直しましょう!」
わいわい盛り上がりながら、パンケーキ焼きを再開する女性陣。
その背中を見守りながら、虎綱は小さな声で呟く。
「……見ているので御座ろう? 黒野咲」
彼らを見守る影は答えない。ただ、息を潜めてじっと、笑う守崎の姿を見つめている。
「此処でけりをつけるのは粋では御座らん。……次に遭った時が、その時。違うか?」
音もなく、闇が嗤う。唇の端を上げた魔の者の気配を察し、虎綱は言葉を続けた。
「先日琥珀樹と剣を交えた、あの丘で。……また逢おう」
答える声はない。けれど。
どこかで、ヴァニタスの笑い声が聞こえた気がした。