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山の斜面に形成された、幾重にも連なる細く長い果樹の群れ。
冬の始めには見事に色づく橙の果実も、春の兆しを感じるこの時期にあっては既に影を潜めている。
低く剪定された樹木の間を縫うように駆けながら、断神 朔樂(
ja5116)は半ば溜息に近い言葉を吐いた。
「木を隠すなら森の中、とはいえ木が多すぎでござ〜……」
この場所で戦闘になってしまえば、木の被害は避けられないだろう。
それらの保護は求められていないとはいえ、やはりそれだけでは割り切れないのが人情というもの。
「ガーフィールド殿!」
先を行く影へ向けて仄かに不安げな声を発する。振り向いた虎綱・ガーフィールド(
ja3547)は冷たい声で告げた。
「時間がない。ついてこれねば置いていくと、申したはず」
互いに余裕のなさが滲んでいる。一秒たりとも無駄にはできない緊張感の中では致し方あるまい。
「や、それは承知の上でござるが――」
何か気づいた事はないかと問えば、虎綱は寸時の間を置いて、その問いに答えた。
「じき見通しの良い場所へ出るはず。もう暫し辛抱されよ」
虎綱だって好きで切り捨てるようなことを言った訳ではない。
改めて認識させられる。人命が懸かっているのだ、と。
返事をする代わりに、朔樂は再び駆け出した。
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「歩く樹かぁ。RPGみたいだね〜、今じゃ珍しくもないけどさ」
からからと明るく笑いながら染 舘羽(
ja3692)が呟くが、共に行くザクセン(
ja5234)は無言のままだ。
無口なのは勿論だが、RPG自体を知らないのも原因のひとつか。
たどり着いた地点から、山寄りの集落を目指し進む。
どちらかといえば海側の街が栄えているようだが、ザクセンが本領を発揮するのは寧ろ山中。
それならば山の麓の農家を当たった方が効率が良い。
守崎は人を逃がそうとしていたという。それなら人の気配を探るのが最も妥当な行動だろう。
「おい、あんたら! この先は危ないぞ」
旅行者とでも思ったのだろうか。軽トラックに乗った老夫婦が、車を路肩に停め窓を開けて2人を呼び止める。
慌てて逃げてきたのか、荷台には出荷前の野菜が積まれたままだ。
「あ、大丈夫! あたしたち久遠ヶ原の撃退士です」
『この先』に天魔が出たのなら、むしろ其方へ向かねばならない立場。
そんな事情を噛み砕いて説明すると、老夫婦は戸惑いながらも知りうる限りの情報を提供してくれた。
「お隣の林さんの所に、守崎さんとこの倅から避難しろって連絡があったそうでね」
「やっぱり守崎さんの指示かぁ」
守崎が危険を知らせた。つまり少なくとも、その近辺を通過している筈。
辿り着ければ、きっと何らかの痕跡を見つけることが出来る。
「行こ、ザクセンさん! まずはその林さんちを目指すっ」
「……分かった、行く」
去っていく夫婦に背を向け2人は再び走り出す。
夫婦から聞き出した、林家が経営する果樹園のある方へ向けて。
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燕明寺 真名(
ja0697)と雨野 挫斬(
ja0919)も、等しく聞き込みに徹する姿勢。
舘羽とザクセンとは逆の方向へ向かったのだが、意図する所は他方と同じだ。
ただ一刻も早く守崎を見つける。最善の形で任務を終えられるように。
商店街から流れ出てくる人の群れは、情報が錯綜し恐慌状態。
だが、情報端末普及の功罪について議論する暇はない。
行くべき場所を見失い戸惑う彼らに向け、真名は腹の底から声を搾り出す。
「私達は久遠ヶ原の撃退士です! ディアボロ討伐の為、情報提供にご協力願います!」
挫斬も別の学生へ向けて諭すように告げた。
「天魔は1匹だけ。それも私達撃退士が倒す。だから、ここは安全です。私達が保証する!」
だが、人々の動揺は予想以上に大きい。集団心理が邪魔をする。
2、3の人間相手なら諭すことも出来たろうが、これだけの人数だ。
(……どこかに拡声器は)
真名は考える。時間が許すなら、交番を探して住民の避難状況を確認したい。
警官なら持っているかもしれないが……周囲を見回してもそれらしき建物は見当たらない。
アーケードの逆端は駅に通じているようだ。ならば交番も、そちら側にあるのかもしれない。
(交番を探しに行くか――いや)
商店街。全ての店とは行かないまでも、セールの際などに利用する為に備品として持っていてもおかしくはない。
周囲を見回して――見つけた。拡声器。
なりふり構っている場合か。店先に置かれたそれへ腕を伸ばすと、真名は商店の什器に飛び乗り、一段上から大声を張り上げた。
『皆さん! 私達は久遠ヶ原から来た撃退士です! 情報を下さい! 全ては愛すべき人と故郷を、この街を守る為に……!』
群衆の視線が、一点に集まる。
腹の底から搾り出した声は、天を衝き人々の心をも動かすか。
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同じ頃、相楽 空斗(
ja0104)と氷月 はくあ(
ja0811)は海沿いの道を走っていた。
空斗の手には、先輩から預かってきた守崎の証明写真。
流石に実家の詳細まで調べている余裕はなかったが、幸いここは東京でも大阪でもない。
過疎化が進む地方都市。それも中心街から少し離れた沿岸部。
都市部とは異なる、昔からのコミュニティがある。
(……不幸中の幸い、か)
撃退士の息子。元水産業の実家。その情報だけでも、きっと守崎を知る者に辿り着ける。
ならば目指すべき場所は一つ。地元漁協だけだ。
「あぁ、守ちゃん所の倅だな」
船が心配で避難できなかったと苦笑した壮年の漁師は、空斗の差し出す写真を見て呟いた。
「守崎さんのご家族か、親しい方の連絡先をご存知ですか?」
「あそこはもう誰も住んでないはずだぞ」
「……ならば、守崎氏が行きそうな場所に心当たりは?」
漁師は少し考える素振りを見せて、ああ、と口を開く。
「黒野さんとこの墓かもしれんな。今日は月命日だし」
「――クロノさん?」
「もう三年近く前になるが、あの時も怪物が出てな。守ちゃん所と黒野さん家は仲が良かったから余計に――」
漁師の語る過去を聞き、はくあと空斗はお互いに顔を見合わせた。
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『守崎さん、山の麓にある林果樹園の方にいるみたい。場所的には市の西側、かな?』
『あ、当たりかもしれません! 私達が聞いた黒野さんのお墓もそっちです!』
『西側というとあちら側……ふむ。こちら監視組了解で御座る、大まかな位置は把握した。急行致す』
「こちら燕明寺――駅周辺の一般人については退避完了しました。私達も至急向かいます」
情報の共有を終え、真名が地を蹴る。
挫斬も同時に駆け出しつつ、ぽつりと一言。
「またこの町が襲われたのには、やっぱり理由があったんだね」
表向きは淡々と。胸に宿る暗い炎はそのままに。
「どうやらそのようですね。答えは守崎さんと『黒野さん』の間に」
頷きペンを握り直す真名。感じる悲劇の気配に、わずかに身構え襟を正す。
最後まで見届け書き残すことこそ、報道員の使命だと感じているのだろう。
「真名ちゃんもそう思う? ……うん、やっぱ守崎君には色々聞かなくちゃね」
お互い、何かに気づいたのだろう。挫斬は薄く笑い、真名は無言で眉を寄せた。
たとえ、どれだけ残酷な結末に辿り着こうとも。
真実を詳らかにしなければ、この災禍はきっと終わらない。
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ドン、と地を抉る音ひとつ。
衝撃の元を視線で辿れば、動く巨木を相手に果敢に立ち回る、1人の撃退士の姿がある。
大樹の姿をした怪物を視界に収めると、ザクセンは低く唸った。
「樹は命を見護るもの……あいつ、違う……!」
「本当。あれが樹とか、ない」
舘羽は頷きつつ通話ボタンを押し、標的の発見を仲間に伝える。
「敵と守崎さん発見!」
辛くも敵のばら撒く樹液からは逃れているものの、数m先の守崎はやや劣勢に傾いている。
「俺……気、引く」
ザクセンが鉤爪に意識を集中させながら、先陣を切って敵へ近づく。
人ならざる者の叡智により形作られた鉤爪を、大きく振り抜いた。
激しい風切り音とともに、生まれ出た衝撃が刃となり敵の背を襲う。大振りな攻撃。だが不意打ちゆえ、敵の身体をわずかに捉えた。
『――アアア!』
風の衝撃波に葉を散らされ、樹が呻く。
同時に、対峙する儀礼服姿の男がザクセンと舘羽に視線を向ける。間違いない。守崎だ。
「君達、撃退士か!?」
「はい! 一般の方は――」
「周辺の住民は大方逃してある、後はこいつを始末するだけだ」
「分かりましたっ」
負傷しているようだが、動けないほどの怪我ではなさそうだ。
(じゃあ、遠慮なく暴れさせてもらおうかなっ)
相手の余力をそう判断し、舘羽は、振り向いた琥珀樹の正面に横薙ぎの一撃を叩き込む。
その隙に、守崎と敵との間にザクセンが割り込んだ。敵の注意を1点に向けさせないよう立ち回る。
「仲間、来る。それまで……耐える」
片言で呟くザクセン。守崎はその言葉をすぐに理解したようだ。不敵に笑い、頷く。
「ほらほら、よそ見しないであたしの方だけ見てて!」
舘羽が軽やかに飛び回り、敵の注意を引きつける。
だが、敵の攻撃は想像以上に重かった。
相手の正面に着地した瞬間、狙いすましたように、粘性の強い樹液が舘羽の足元を襲う。
(――やばっ)
緊急回避を試みるが、脚を滑らせ転んでしまう。倒れた所に続けざま、敵の樹液が降りかかってきた。
「お前の相手……俺!」
寸時、自由を奪われた舘羽。連続攻撃させてなるものかと、ザクセンが敵の前に躍り出る。
狙いを定め、弧を描くように鉤爪を振る。命中した一撃で、辛うじて相手の注意を自分に向けることができる。
しかし不利な状況は変わらない。今度はザクセンが、樹液の餌食となる番だ。
避けきれず、自由を奪われる。負傷したままの守崎が駆け寄ってくる。
来るな。叫ぼうとするが、届かない。
守崎の背に、琥珀の弾丸が襲いかかる――
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「待たれよッ!」
刃を交える戦場の背後。きつい斜面を滑り降りるように駆け、虎綱が姿を現した。
武器を手に、牽制するように琥珀樹と守崎の間へ割り入る。
「虎綱さん!」
窮地を救うかの如き仲間の到着に、声をあげる舘羽。
彼女の声に応えるかのように、虎綱は獲物を忍刀に持ち替え、敵の注意を自身に向けさせる。
「断神殿もじきに到着する筈、それまで持たせる」
身動きを取れずにいる味方に樹の意識が向かないよう、太刀を振りつつも敵と距離を置き、相手を走らせることに注力する。
そうしている間に、なんとか琥珀の檻から抜け出した舘羽が、再び武器を手に敵の背後へ回り込んだ。
「お返しっ!」
挟み撃つ形で囲まれた樹。遠距離の攻撃手段を持たないのだろう、眼前の撃退士に狙いを搾って、樹液や枝で攻撃を仕掛けてくる。
当たらなければ問題ない。けれど、全てをかわしきれるほど甘くもない。
二度目の樹液をまともに喰らい、舘羽の動きが再び封じられる。
「大丈夫か!?」
駆け寄る守崎。回復を施そうと一瞬隙を見せた背へ、琥珀樹の枝が襲いかかる。
己を軽視しすぎる守崎の性格は、癒し手として尊敬に値するもの。けれど戦場では、それが命取りになることもある。
「守崎殿!」
虎綱が叫ぶ。琥珀から抜け出したザクセンが走るが、間に合わない――
だが、守崎は倒れなかった。
ぎりぎりで駆けつけた朔樂が、彼の代わりに攻撃を受けたのだ。
「すまん、遅くなったでござる……!」
頭上に大太刀を構え、振り下ろされる一撃をなんとか凌ぎ切る。
武器を包む淡いアウルの光が火花を散らす。激しい力のせめぎ合いを可視化する。
「うん、ようやく楽しく戦えそうだね」
追って駆けつけた4人の姿を視界の端に捉えると、傷だらけの舘羽は静かに笑った。
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樹液に脚を固められた仲間の姿に、真名がほんの僅か怯む。
だが、躊躇っている暇はない。初めから敵と対峙し続けている守崎の疲弊を考えれば、一刻も早くカタをつけるべき。
(全力で挑む……!)
魔具に意識を集中させ、魔力の矢を放つ。
敵と距離を置いた仲間達の間をすり抜けて、挫斬は駆け寄りざま、樹の幹へ鉤爪で傷を刻み付けた。
ごぷっと溢れ出す樹液。避けるように飛びすさり、不敵に笑う。
「今日はあの子はいないのかな〜? 残念!」
「あたしも、この間のお礼したかったんだけどなぁ」
と、舘羽が応える。
「でも、この樹も結構強そうだね〜? うん、楽しくなってきた!」
純粋に、闘いを楽しむように。二人の阿修羅は舞い続ける。
(日常を、取り返すんだ!)
はくあが後方でリボルバーの引金を倒す。
「援護しますっ!」
仲間の立ち回りを助けるため、ありったけの力を弾丸に込めて。アウルを解き放つ。
轟音とともに撃ち出される光弾。強力な射撃の反動で、手元が僅かに狂う。
しかし、弾道は敵を捉えた。仲間の間をすり抜けて、無尽の光が幹をかすめ、樹皮を剥ぐ。
だらだらと、まるで血液のように流れ出る樹液。
表情のない樹木が、怒りを露にしてはくあへ襲いかかる。
「氷月君!」
弾き飛ばされる小さな身体。空斗が手を伸ばし受け止める。
「ありがと――っ、後ろ!」
再び襲い来る、鋭い一撃。飛び退いた2人の元いた場所には、直径1mほどの穴ができている。
「空斗さん! 大丈夫!?」
「ああ……まだ、立てる」
揺らぐ視界。ふらつく脚。それでも己を奮い立たせ、敵へ弓を向ける。
まともに食らっていれば死んでいた。冷たいものが背筋を伝う。
だが生きている。それならば、やることは一つ――!
「後衛に手を出すのは、私たちを倒してからにしてくれない〜?」
背後に回り込んだ挫斬が、鋭い爪で樹皮を深く抉る。
痛みを感じているのだろうか、琥珀樹は地を揺らす呻き声をあげながら、2本の太い枝をうねらせる。
「いい加減ッ! くたばれェ――!」
好機。鬼神の如き気迫で吼えながら、朔樂が地を駆る。敵の懐に潜り込み、渾身の一撃を叩き込む。
大きくのたうちまわる敵。だが、まだだ。まだ倒れない。
(くそ、あと一息)
敵の最期の足掻きを食い止めながら、朔樂は後方を見る。
「相楽殿……!」
(勇気こそが英雄たる資質だというなら、守崎氏こそ英雄。俺は彼を讃え――彼の勇気に、報いる!)
真紅の光条。持てる力の全てを、真朱の光矢に変えて。
「行け――!」
赤き光が、爆ぜる。
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朽ちた木の傍に、撃退士達は呆然と座り込む。
人間は守りきった。だが――荒れ果てた農地に人は戻るだろうか。
人を生かすという事は、果して生命だけ護ることを指すのだろうか。
「蜜柑、可哀想だったね」
だが、それでも。尊い人命を救えたことに変わりはない。虎綱が呟く。
「明るい話をしよう、少なくとも今は」
赦そう。いずれ少年達は真の英雄になる。
守りきれなかった事に罪はない。憎むべきはただ一つ――破壊を命じる、悪しきヴァニタスのみ。
「先日この街に現れたヴァニタス……守崎さん、貴方、知っていますね」
傷だらけの青年は小さな溜息を落とし、己の過去を語り始めた。