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現場へ向かう道すがら、雨野 挫斬(
ja0919)は通話を試みる。
相手は先遣部隊所属の先輩撃退士。出発前に斡旋所の職員から番号を聞いておいたのだが……
「だめだね、やっぱり出られないみたい」
二三度掛けて諦める。敵に関する情報をもう少しと思ったのだが、そううまくは運ばなかった。
「先輩諸氏の実力でも容易ではないか。然らば一層、気を引き締めねば」
今回が初陣となる断神 朔樂(
ja5116)は、幾ばくか緊張した面持ちのまま小さく呟く。
胸元に吊られた御守を、誰にも気づかれないよう静かに握り締める。ほんの少しだが心が落ち着く気がした。
唯一知り得たのは、上空を旋回するヘリからの指示。
今回の任務にあたる全ての撃退士へ向けて、上空から確認した敵の位置を周知している。
しかし夜間だ。街灯のない区域に敵が入ってしまえば、その情報さえ確かなものではなくなる。
敵の体長は人間の倍以上。あまり下降し接近すればヘリ自体が撃墜されかねない。
情報は極めて少ないが、それでも。大まかな位置だけを頼りに、死地に赴く心意気で、若人たちは海岸線を行く。
二月の海風は、未だ凍てつく氷のような鋭さを持っていた。
湿り気のある空気はまとわりついて重い。塩気を孕んだ風が肌を突き刺すように吹き込んでいる。
氷月 はくあ(
ja0811)はじっとりとした空気の重圧を感じ、無意識に拳を握った。
(うまく言えないけど……胸がざわざわします)
心を埋めるのは形容しがたい高揚感。この感覚を、かつて武士は、武者震いと呼んでいた。
「行きましょう氷月殿。……さぁ、命がけの鬼ごっこの始まりぞ!」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)が勇気づけるように、はくあの背をぽんと押す。
実践に馴れ始めた、駆け出しの忍。彼の手を微かに震わせたのは怖れか、それとも高揚か。
(栄冠を勝ち取るのはどちらの紅か? ――決まっている、我々だ)
「行くぞ諸君、我らの勝利の為に!」
敵の陽動を買って出た相楽 空斗(
ja0104)が先陣を切り、弓を手に駆け出した。
無論、負けて帰る気などない。暗黙の了承の下、虎綱とはくあが彼の背に続く。
彼らの背を見送り、場に残った五名は持ち場に散る。三人が無事、倒すべき敵を連れてくることを願いながら。
燕明寺 真名(
ja0697)は阻霊陣の準備をしながら、内ポケットに仕舞い込んだ手記とペンを確かめるように胸を押さえた。
(大航海時代の幻獣……か)
目撃者から寄せられたという衝撃的な写真。凄惨な場面に耐性がないわけではないが――それでも気持ちの良いものではない。
己の目で見れば尚更だろう。それでもカメラを向けた者の勇気、決して無駄にしない。
(被害者の外傷は物理的接触に起因するものに見えた……敵の能力がパワー偏重なら、私の攻撃は有効打になる)
それが分かるだけで、どれだけ救われるか。貴重な情報を提供してくれた勇気ある一般ジャーナリストの使命感に、敬意を表する。
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「――アクトさん、虎綱さん! いました!」
はくあが指し示す。小さく細い指の先、数十m。
それでもなお巨大な獣のその顔は、顎を引けば視界から消えてしまうほどの位置に存在している。
笑ってしまいそうなほどの巨体から伸びる前足。丸太よりよほど太い。
空斗は、そして虎綱は、ごくりと息を呑む。だが、臆している暇などない。
圧倒的な存在感に指先が震えるが、手を握り締め誤魔化した。
野放しにしておけば罪なき人々の命が危ない。それは。それだけは、避けなければ。
「構わん、今宵はこのトリックヒーロー『ACT』がお相手しよう!」
高らかに宣言し、空斗は敵の眼前へ躍り出る。距離を保ったまま矢を番え、敵の足元めがけ無尽の光を射掛けた。
殆ど直線に近い、鋭い軌道を描きながら――アウルを纏ったネフィリムの矢は、獣の前脚を確実に捉える。
しかし。鋭い矢尻をして獣の皮膚を貫くことはできない。
(――予想はしていたが、固い)
ゴーグルの下の眼を細めながら、空斗は再び間合いを取る。
「やはり遠くから狙い撃つのは難しそうで御座るか」
「そのようだ……作戦通り、誘き寄せて一気に叩くッ」
「承知した!」
自分達には難しくとも、待機する面々ならば。間合いを詰めればきっと有効な打撃を与えられる。そう信じて2人は走り出す。
空斗よりも更に敵から離れた位置から、はくあが弾丸を撃ち込んだ。
「崩しますっ!」
少女の小さな掌には不釣合なリボルバー。十分な間合いが確保できた時点で立ち止まり、狙いを定め、光弾を放つ。
異形の獣の前足には無数の傷。しかしそのどれもが、敵の足を止めるほどの有効な手とはなり得ない。思わず眉をひそめる。
「――魔法攻撃なら足を潰せるだろうか?」
はくあの銃撃を横目に、駆けながら空斗が呟く。彼の言葉に虎綱は手中の忍刀を握り直した。
「可能性は……」
ある。そう言おうとして、けれど虎綱は口を噤んだ。忍の勘が働いたのだ。
(それほど明確な弱点があるならば、果して先輩方は苦戦するで御座ろうか? 罠の可能性がある以上、迂闊な行動は……)
「相楽殿、それを試すのは味方と合流してからに致しましょう」
言葉を飲み込んだ仲間に、空斗は納得したように頷く。ゴーグルの下の表情は見えないが、きっと笑っていたのだろう。
信頼できる仲間がいるということは、これほどまでに心強いか。
「無論。急いて倒れては、……誰も守れない」
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陽動班と別れた五名は敵を迎撃すべく、挫斬が予め調べておいた潜伏場所へと移動する。
『染君、そちらの準備は整っているか? 此方はもうじき到着する』
スマートフォン越しに聞こえる声に、染 舘羽(
ja3692)は笑んだまま応えた。
「大丈夫、こっちからももう見えてる。空斗さんのコート目立つから」
夜でもすぐ分かるよと、民家の影から様子を伺いつつ軽い調子で呟く。
迫り来る害悪への恐怖を微塵も感じさせない。それは必ずしも、遠巻きに見ているからというだけではない。
だが余裕があるのも舘羽だけではない。挫斬も舘羽とは別の方向の期待に、胸を高鳴らせている。
(あぁ……はやく来ないかなぁ。……したい。ハヤく、解体しタイ)
恍惚とした表情を浮かべ、自らの掌を見つめる女。常軌を逸したその姿も闇に紛れ、今は誰の目にも入らない。
ザクセン(
ja5234)と朔樂、そして真名。
3人は舘羽の隠れる民家から、道を挟んで逆側に位置する民家の影に潜んでいた。
平屋の家屋は程よい高さに広い横幅があり、ザクセンの巨体を隠すにも十分だったようだ。
身を小さく丸め、息をひそめて、やって来る一団の様子を伺う。
(カバンクル……、やはり、知らない)
遠目に接近する敵の姿を視認し、巨漢が目を細める。
情報社会と無縁の生活を送ってきた彼は、UMAという言葉自体を知らない。
当然テレビゲームや小説で描かれるそれらの姿も知らず。森に存在しないその生物が、如何様なものか見当すらつかなかった。
だが視界に写り込んだ敵は幸い、理解の及ばないような異形ではない。ザクセンも知る獣達に、姿だけはよく似ている。
外見でそれらと異なるのは、ただただ大きさ。そして額に煌めく宝石の存在だけ。
(……まあいい。来たら、狩る……それだけ)
思いを新たに武器を握る。胸中にある真実は異なろうとも――今この時、あれを倒すという目的だけは、全員が共有している。
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柘榴石は向かう。導かれるまま、双方を民家に挟まれた道路へ。
舗装されたアスファルトを踏抜く勢いで、カーバンクルが前脚を振りかざす。
ロングコートの裾を翻し、空斗は急き地を蹴った。
跳躍。かわす。直撃は免れたものの、上がる土煙で視界が一層遮られる。
(っ、しまっ……)
獣の鋭い爪が、弓を構えた男の腕をわずかにとらえた。
「アクトさん!」
傷を負った仲間を助けるように、はくあが後方から援護射撃を続ける。
(あれがカーバンクルなら額の宝石はガーネット。靱性は大したこと無いはずなのにっ)
狙い撃つ光の弾丸は獣の前脚に弾き返される。かすり傷こそ与えるが、やはり致命的な打撃には至らない。
弱点でなければあんなに必死で庇う必要はない。宝石が弱点であることは、紛う事なき真実のはずなのだ。
もどかしい想いを抱えたまま、それでもはくあは敵を撃ち続ける。
仲間が潜んでいるはずの場所は、もう、すぐそこに。
「相楽殿、無理は禁物でござるよ」
「……すまない。不覚を取った」
傷を負った仲間をこれ以上脅威に晒させてなるものかと、虎綱は敵との間に自身の体を滑り込ませた。
袂から抜き出した鬼面を己の顔へ宛てがいながら、猛虎は猛き声で吼える。
「――異界の獣如きが、人世の鬼をなめるなッ!」
まるでその声を合図にするかのように姿を現す、撃退士たち。
知能が及ばないなりに敵の増援を感じ取ったらしい。ぐるりと周囲を見回しながら、低く、威嚇するように唸り声をあげる。
その瞬間、かの生物の額がちかりと光った気がした。
(……いやな予感が、しますが)
民家の影に隠れたまま様子を伺っていた真名が、眉を寄せたままスクロールを手繰り寄せる。
(実例は作らねばならない。後続の為にも……ッ)
ヒトへ与えられしアウルの力を、異界の技術で形成された武器へ注ぎ込む。
「行け!」
スクロールから生み出された光の球を、真名はカーバンクルの額めがけて撃ち込んだ。
――だが。
獣の額で、深紅の宝石が再び怪しげに煌めいた。
刹那、巨大な鏡のような膜が、敵の周囲を取り囲む。
(……っ! やっぱりか!)
咄嗟に受身を取り、跳ね返ってきた魔法の力をやり過ごす。
敵の能力が物理に偏重していると気づいた段階で、多少は予想できていた。何かしら魔法を防ぐ手段を得ているはずだと。
「皆さん注意を! 魔法は反射されます!」
敵の固さに攻撃手段の切り替えを考えていた仲間が、寸時手を止める。
確かに情報料としては痛かったが、魔法に耐性のない者が大きな怪我をするリスクは潰すことができた。
そもそも、この程度の傷で怯む真名ではない。
否。多少の負傷で怖気付く者など、端からこの場に存在するはずもないのだ。
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獣は前脚を高く持ち上げ、今し方攻撃を繰り出してきた相手――真名のほうへ猛進する。まずい、と思ったが遅い。
恐らく大方の読み通り、彼奴は魔法を不得手としているのだ。
あの反射能力には時間制限が存在するのだろう。己の弱点を責めてくる脅威を、真っ先に排除しようと動いた。
「――っ」
受けの体勢を取るが、真名の身体は既に自身の魔力で傷ついている。動けない。
「燕明寺君!」
空斗が、堪らず地を蹴った。彼とて腕に傷を負っている。けれど彼の中に眠る英雄の魂は、手負いの少女を見逃すことを許さない。
大した準備もできないまま、真名と怪物の間へ滑り込む。背中に鈍い一撃。鮮血が散る。
「相楽さん!」
深く背を抉られ、空斗が小さく呻く。だが英雄志望の青年は、この程度で倒れるほどヤワではない。
ふらつきながらも立ち上がる。己の命よりも、仲間の無事のほうが、彼にとっては重要なことだから。
「天翔ける真紅の流星……英雄ACTを甘く見るなッ!」
「ねぇ忘れないで、こっちにもいるよ!」
敵の背後を取った挫斬が、鉤爪を顕現させ懐へ潜り込む。
がら空きの背に一撃。致命傷には遠く至らないものの、硬い皮膚に一筋の傷が生まれる。
相手が痛みを感じているかは分からないが――少なくとも、敵の注意を引きつけることはできたらしい。
獣が振り向く。痛手を負った2人へ背を向け、軽やかに動き回る面々の動きを止めるべく爪を振るう。
上体を起こして振り下ろす際の一撃は、アスファルトの路面を易易と粉砕する。
だが、大振りな攻撃の直後、敵の重心は明らかに前へ寄る。
戦う術を心得た少年少女は、それを見極めると衒いなく狙いを前側の軸足へ定めた。
「申し訳御座らぬが、ここで朽ちてもらうっ」
朔樂が大太刀を手に、地面を蹴った。恐れがないと言ったら嘘になる。それでも、怯んでいるわけにはいかない。
取り巻く無尽光はさながら翼のように、跳躍する朔樂の背を覆う。
「覚悟――!」
幼い少女の身の丈ほどもある大剣を、まるで己が手足のように自在に操って。
振りかぶった剣の切先が――込められた無尽の光が、獣の脚を掠めてゆく。
『――ォォ』
獣の咆哮。今までとは質の異なる、悲鳴にも似た叫びが、無人の街へと響き渡っていく。
相手の爪を受ければただでは済まないと分かっている。距離を保つため飛び退りつつ、朔樂は敵の様子を伺った。
前脚に負った痛手を庇うように、異形の獣の動きが僅かに変わる。額を庇う形から、脚を庇う形へと。
(……いける、か!?)
体勢を低く保ったまま、仲間の様子に意識を向ける。
次いで敵の懐へ飛び込んだのは、ザクセンだった。鉤爪を纏った腕を振り抜き、カーバンクルの脚を再び捕える。
(足……潰す……。アイツ……逃げる、できない)
吹き出す獣の血潮。鉄錆の臭いによく似た異臭が立ち込める。
それでもザクセンは顔色を変えず。的確に、容赦なく。相手の脚へもう一撃見舞った。
『ガ――ッ!』
堪らず叫ぶ獣は苦しげに膝を折る。だが休ませてはもらえない。
「どうしたの、もう終わり? あたしとも遊んでよ……ねえ!」
距離を取るザクセンと入れ替わるように、舘羽が敵の足下へ飛び込んでいく。
脚を負傷したために身動きを取りづらくなった敵を翻弄するように。
振り下ろされる爪を巧みに回避しながら、打撃の届く距離まで踏み込み――駄目押しの一撃を叩き込んだ。
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崩れ落ちる巨体。だが事前情報によれば敵は複数。
警戒を解かず周囲を見る8人の前に、黒衣の少女が音もなく現れた。
セーラー服を潮風に靡かせ、ヴァニタスの少女は妖艶に笑む。
「――伏せろ!」
誰かが叫ぶ。だが遅い。声とほとんど同時に、少女は妖しく嗤い、異形の腕を振り抜いて。
獣を御し、僅かに隙を見せた舘羽の背を衝撃が襲った。
耐え切れず吹き飛ばされる。舘羽の身体を咄嗟に受け止めようとした朔樂も。隣に並んでいたザクセンと挫斬も。
だが気を失ったのは直撃した舘羽だけだ。皆、衝撃を受けながらも己の足で立っている。
「……少しは骨のある撃退士が生まれ始めたようね」
少女が紡ぐ声は、聞いたものを絶望に震えさせる凄みを持っている。
身構える撃退士。決して敵わないと理解していても、そうしないわけにはいかない。
だが少女は、彼らの行動など端から分かっていたとばかりに、与えられる打撃を易易と躱していく。
「……焦らないで。また、すぐに会いに来る」
少女の姿が掻き消える。
その場に残されたのは――ただ、傷を負った若者達の姿だけ。
挫斬の笑い声が、夜の闇に吸い込まれていく。
「貴女は私が解体してあげる! 絶対に! 愛してるわ!」
戦いは、未だ幕を開けたばかりだ――。