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『彼』は計画性を持たないが、一切の無計画ではない。
無軌道な行動はその実、たった一つの結末を迎える為に存在し。
これからこの地で起こる偶発的事象はすべて偶然でありながら必然性を孕むパラドクス。
其を容認する世界の論理が『彼』の抱えるもう一つの矛盾もを許容する可能性は如何許りか。
愚者は賢者であり、賢者は愚者である。
この場に於いて『彼』は、最も愚かしく感情的で――同時に最も冷静かつ怜悧な存在であったのだ。
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桐江を知る者は言うだろう。
彼は誰の手も煩わせることはなく、誰にでも少しだけ手を貸す男だ、と。
桐江をよく知る者は言うだろう。
彼は荒事こそ得意ではないが正義感と責任感は人一倍である、と。
そんな男が天魔を前に、易々と己の保身に走るものか。彼は恐らく、胸に真の目的を隠し其処に居た。
誰より周囲に迷惑を掛けることを嫌う男だ。事前の手回しは充分だったろう。
或いは――否、憶測でものは語るまい。
ともあれ結論から言えば、急行した撃退士達の懸念は杞憂に終わった。
市街から離れる毎、視界は広く開けていく。大型の敵が身を隠せるような場所は殆ど見当たらない。
居るとしたら動物と同等、或いは視覚を欺くモノか。
然しそのような敵から奇襲を受けることもなく。天魔の気配を全く感じさせない不可解な沈黙がそこにはあった。
――それどころか、人々の気配さえ、ひどく遠い。
しかし今は桐江の無事を確認することが何より先だ。
一種不気味な静けさの中を、何に問うこともなくひた走る。
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『若杉くんも来てくれてるんだよね。本当に頼もしいけど……無理しないでね』
数カ月ぶりに相対する電話口の彼は、ひどく間の抜けた声をしていた。
その能天気さに安堵とも落胆ともつかない感情を抱きつつ、星杜 焔(
ja5378)は桐江に告げる。
「急いでそちらへ向かっていますが……桐江さんあとどのくらい戦えそうです?」
『そうだな……活路さえ拓いてもらえれば単独で逃げ切るくらいの余力は』
「わかりました、では脱出の経路と合図を――」
だが、その時。
ピピ――と、耳障りな音。僅かに危惧していた事態ではあったが、早すぎる。唇を噛むが遅かった。
「っ、すぐ出られる場所で待機していてください」
『ごめ……わかっ……まって……』
通話はそこで途絶える。無慈悲な電子音を聞きながら、溜息を吐いた焔へ柘植 悠葵(
ja1540)が問う。
「電池切れ?」
「うむ、無駄話をしすぎたようだ……申し訳ない」
「……いや」
舞台が『家』であるという認識が、電池切れの懸念を薄めていたかもしれない。
だが運悪くも、件の土地で生活を営む者は久しく不在であった。電気の契約が切られていても致し方ない。
「けど、ここまで敵と遭遇してないのは嬉しい誤算だよ」
悠葵は呟いた。このまま恙無く終わるとは、露ほども思っていないけれど。
何にせよ不自然な点が多すぎる。まるで幾つもの異なる意思が衝突しあっているかの如き状況。
(サーバントの群れが行儀よく待機してるなんて可笑しな話じゃないか。……これで指揮者不在なんて、醒める事言うなよ)
青森での負傷が尾を引くカイン 大澤 (
ja8514)に、雪成 藤花(
ja0292)は移動中、治癒の光を向ける。
「これで少しマシになったと思いますが……無理はしないで下さい」
「……大丈夫、やれる、引き際もわかる」
死が利になるのなら甘んじる。だが、別に死に急ぐ訳じゃない。
勝利の条件が敵の殲滅ではなく対象の保護である以上、周囲が全速で動けるよう支援するまで。他者の手を煩わせてなるものか。
(まずったな、思うように身体動かねえし……。いや、痛みがないだけマシか)
戦うこと自体に価値を見出している訳じゃない。
少しでもここに存在する意味が、価値があると信じたいだけ。
「それにしても、敵が家に踏み込んで行かないって不思議ですね……何か理由があるのかな」
独り言のように呟いた若杉 英斗(
ja4230)に、ラドゥ・V・アチェスタ(
ja4504)が応える。
「我輩の関する所ではないが……何れにせよ依頼の本分は桐江の救出であるが故――奴が狙われる由縁も、敵の思惑も、今此処で論ずべき事ではなかろう」
本人に問うにしろ、独自に調査するにしろ、全ては事が片付いてから。
そう言い切るラドゥに対し、英斗も唇を引き結ぶ。
不可解な点は多いが、悩み疑りすぎて本懐を見失うのは愚かだと知っているから。
「俺もそう思います。とにかく今は、桐江さんを無事に連れて帰ることだけ考える!」
●
何処が現場であるかは資料など無くとも近づくだけで自ずと知れた。
言葉で聞いてはいたが、実際目にすると思う以上に不気味な光景。
サーバントは文字通り家を包囲していた。ドア、窓、出入りが可能と思われる全ての場所を固める形で。
斥候の接近に、気づく様子はない。
否――それは徹底的なまでの無関心だったかもしれない。
研ぎ澄まされた獣達の感覚は総て家屋の中に向けられているように思えた。
何らかの意図を感じざるを得ない。だが、既に動き始めた計画を今さら全て組み替える余裕などない。
ならば、不安が残ろうと強行するのがでの最善。
僅かに先行する悠葵と焔からの合図を受け、陽動役を引き受けたナヴィア(
jb4495)と長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が動く。
「わたくしは、わたくしの為すべきことを頑張るだけですわ」
それが、英国貴族として当然の振舞いだ。
矜持を胸に、みずほは地を蹴る。身に宿る無尽光を解き放ち、勢いづく彼女の背には蝶羽の如き光。
「あなたの相手はわたくしでしてよ」
舞うようにしなやかな動きのまま接敵を試みると、みずほはその勢いのまま腰を低く落とし、拳を突き上げるように、高く跳んだ。
「かかってらっしゃい……ませ!」
囲まれないよう僅かに距離を取り、また近づきながら、攻撃を繰り返す。その振舞いは、さながらリング上で立ち回る選手の如く。
2度目の跳躍でアウルを纏った拳が体を掠めれば、流石のサーバントも黙ってはいない。状況の変化を察し、獣達が動き始める。
「お怒りのところ残念だけど、ココにもいるわよ」
みずほへ狙いを定めた獣の背後に回り、ナヴィアは戦斧を振り下ろした。
漆黒の光を纏った刃が生み出す強烈な一撃に、易々と一体が吹き飛ばされ、動かなくなる。
(楽しませてもらうついでに、救出が楽になるように……っと)
事前に打ち合わせた作戦通り、数体を引きつけ掃討を繰り返す。
強き者に立ち向かう事も一興なれど、多数の敵を次々に屠るのもまた愉しい戦いの一つとばかりに――叩き潰す。
「片っ端から斬り飛ばしてあげるわ!」
黒き翼を背に翔ける。狙うは宙を舞う黒鳥達。群れる数羽を纏めて打ち墜とさんと、空を薙ぐ。
「……なんであれ、無事に終えれば良い。其れだけの事であろう?」
研ぎ澄まされたオーラで武装し、ラドゥもまた武器を握る。
「全員を無事学園へ帰還させる為ならば、我輩とて容赦はせぬぞ」
本来ならば、もっと大きな舞台で振るうはずの剣。それを携えここに来たのは、ひとえに借りを返す為。
(あやつが死のうが去ろうが、我輩の知る所ではないのだが――)
思い返すは丁度一年前の出来事。大きな戦いを共に切り抜けた、あの時の記憶。
伝える機会を逃し続けてしまっていたけれど、心の底では感謝していた。
(借りを返さぬ内は気がすまぬ。吸血鬼は存外義理堅いものでな)
早々にここを収めて、礼の一つでも言ってやろう。それを告げる前に倒れることなど、絶対に許すものか。
「こっちも忘れるな!」
敵の気を引くべく声を張り上げ、英斗も白い狼と対峙する。
(4人で引き付けるとなると、1人5体か……。やっぱり多いな)
単体の能力はたかが知れているが、甘く見て包囲されては敵わない。
木々、遮蔽物、そして仲間の背。四方を囲まれない為にも全てを頼る必要があった。
(だけど、1対1に持ち込めば絶対に勝てる相手だ。桐江さんと合流するまで……絶対に耐え切ってみせる)
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陽動班が開けた小さな突破口。交戦が続く敷地内を、悠葵が縫う様に進む。
ここまで来れば、姿が確認できた。救出対象たる彼はリビングと思しき部屋に備えられた大窓の前で待機している。
向かってくる仲間の姿を認めると、桐江は窓を開け屋外へと飛び出した。
その行動を察知した一部のサーバントが、標的を変え襲い来る。
鋭い爪が喉元を抉るかと思われたその時――カインの放った二発の銃弾が、敵の鼻先を掠めた。
「さすがに、マトモに狙えるワケねえ、な」
ショットガンを握る手は、いつものようには動かない。故に傷を与えるには至らず。
(連射は傷に響くし、単発は単発でマトモに照準付けられねえか。ったく)
だが、牽制には充分だった。
その隙に、悠葵のすぐ後ろを行く焔がV兵器を顕現させる。
「桐江さん……!」
虹色に煌く無尽光の弾丸が、刹那怯んだ獣の頭部を的確に撃ち抜いた。
同時に、藤花の祈りが光となり桐江を包み――消えてゆく。腕や頬、背中に負った傷が、次々と。
「……ありがとう、助かった」
「桐江さん、彼らを操る指揮者がいる可能性ってあります〜……?」
望まれるのは迅速な撤退か。それともサーバントの殲滅か。問えば、桐江は苦笑いのまま答える。
「指揮者は……うん、いない。皆が大丈夫なら討伐していくべきだと思う」
上手く撒けるとは限らず、また残していった敵が此処を動かない保障など無い。
藤花の支援もあり、幸い想定したほど消耗せずに住んでいる。……ならば選択は一つだろう。
「大丈夫。俺もまだ、戦える」
盾を捨て、双剣を手に。桐江の表情も変わる。
二班の合流。この時点で既に、敵の数は15体以下にまで目減りしていた。
そこへ3人――いや、桐江も含めた4人が加勢に回る。勝敗は最早、火を見るより明らかだった。
「ラドゥ様、そちら大丈夫ですか〜」
「うむ、桐江とも無事合流できたようだな」
「はい……では俺はみずほさんの支援にまわりますね」
僅かでも、役に立てただろうか。カインは人知れず目を細める。
「……くそ。今度光学機器、買おう」
小さく舌打ちをする。『今度』のことを考えられる余裕があることに感謝しつつ。
最後の弾丸を、的に向け。トリガーを引いた。少なくとも牽制の一手にはなると、信じて。
ナヴィアに向かう敵の刃を食い止めるかのように、英斗は腕を――竜牙を振るった。
「背中が空いてるぞ!」
奇しくもその斬撃により黒鳥は息絶える。
それまでの戦いでナヴィアの攻撃を受けていた為、耐え切れなかったようだ。
「ありがと、これで残りは……」
彼女の呟きとほぼ同時に、悠葵の放った魔弾が最後の鳥を撃ち落とし。
「これで鳥は終わりだろ?」
「はい。あとは、あっちだけですね」
とはいえ多勢に無勢、残す敵はたった5体。こちらに残る戦力を考えれば、急ぎ助太刀に回る必要もないだろう。
そう思った刹那――その判断を肯定するかのように、みずほの拳が1体を捉える。
「さぁ、観念しなさいな」
「その程度で我輩に土をつけられると思うなよ」
次々と地に沈む敵の残骸。もはや時間の問題だ。
或いはこう言ってもいいだろう。
残りは、後片付けに過ぎない。
●
偶然か、必然かはわからないが。
懸念していた指揮官の登場も無く、サーバントの掃討は無事終わった。
ひとえに、個々の奮闘こそが勝利の所以。
「……ありがとう、本当に助かった」
へらりと笑う桐江へ、汗と泥を拭いながら英斗は冗談めかして言う。
「桐江さんがいない間に、クリスマスもバレンタインも終わっちゃいましたよ。せっかく傷をなめ合おうと思っていたのに……」
「あはは……ごめんね。お詫びに今度メシでも奢らせてよ」
「いいんですか? いっぱい食べますよ!」
「大丈夫。今はお金のアテもあるから……」
そう言って、桐江は己が携えた鞄へちらりと視線を向けた。
其処に何が入っているのか、幾名かは問いかけようとしたのだが。
「桐江先輩……よかった、無事で本当によかったです。近頃お見かけしなかったので心配してました」
「うん。雪成さんもありがとう。……星杜君と一緒に、拓海のお祖母さんを助けてくれたって聞いた。そっちも含め、本当に感謝してる」
「わたくしも報告書、拝見いたしましたが……今回の件、何か心当たりがあるのでは?」
みずほは毅然とした態度で問うた。
地に伏した際についた土埃を払いながら、カインもまた告げる。
「隠し事、してんなら早く吐いたほうがいい。別に、頼ったり弱みを見せることは恥ずかしいことじゃない」
けれど、桐江は苦笑いを零すだけだ。
そんな彼を見つめ、ラドゥは低い声で呟く。
「貴様の為にと動く者がおる。秘する事で其れ等を殺す事もあること、貴様は理解しておるな」
「……うん。わかってる」
「分かっていて尚、口を噤むというのなら……我輩はこれ以上何も言わぬ。いつぞやの借りは、これで返したからな」
(……桐江先輩、手に余ることを一人で片付けようとしていませんか?)
旧い友人を一気に喪った彼に一体どんな言葉をかけたらいい。ずっと考えていたが、これだと信じられる言葉は見つからなかった。
それでも、今は素直に無事を喜びたい。
けれどその前にひとつだけ。すべき事がある。
「あの、ひとつだけ確認してもいいですか。どうしても気になって」
確かめるように口を開く。
桐江が、振り向いた。
「壱さんという方は、桐江先輩のご家族……ですか?」
――その言葉を聞いた瞬間、彼から表情が消えた。
●
今迄、独りで活動を続けていたのに、突然久遠ヶ原に頼ったのは何故か。
独りでは切り抜け難い状況だった。半分正解で、半分間違いだろう。
(桐江は――知ってるのかもな。掌の上で踊らされてるような、この不気味さの正体を)
だからこそ、彼は努めて平静を保とうとしていたのだろう。彼女が『その言葉』を口にするより前は。
誤魔化しきれないぎこちなさで後輩をあしらう桐江から、目を逸らして。悠葵は遠く、空に視線を向けた。
元より桐江を殺す心算ならば、なぜ直ぐに始末しない。遠巻きに観測し状況を楽しむかのような舞台装置には覚えがあった。
(……居るんだろ。答えてくれよ。君は彼に、そして俺達に、何を望んでいる?)
倒れ伏し形を失っていくサーバントに視線を落とし、かぶりを振る。
状況を整理するには、まだ材料が少なすぎる。けれど。
(悪魔の君が、天使をも操るのか。それとも――この件には天使も関与しているって事かな)
ただ殺すのは面白くない。ならば、どうすれば面白くなる?
人の感情を弄ぶことが目的だと彼は言った。
(約束したもんな……この退屈で下らない日々に、彩りを与えてくれるって。次はどうやって遊ぶ心算か……早く、教えてよ)
感情の軋轢が生み出す不協和音。
ここから再び奏でられる予感に、心が、疼きだす。