「男の子が三人で、女の子が七人ね。女の子の方はちょっと手狭かもしれないけど、まあ、大丈夫でしょう」
山咲 一葉(jz0066)が差し出した鍵を受け取り、ホテルというより旅館といった風情のあてがわれた部屋へ行くと、それは想像していたよりかなり広い部屋だった。逆に男子部屋はがらんと寂しいことになっていたが。
「…8時間の遠泳か。正直其処まで体力が持つか自信がありませんけれど、やるだけのことはやってみたいですね」
楊 玲花(
ja0249)は元より、今回遠泳の経験者はいない。学校の授業で、プールで泳ぐことはあっても波のある海ではまったく勝手が違うはずだった。
しかし撃退士の身体能力なら『そのくらい』簡単なことなのかもしれない。
集合時間がおしているのでさくさく着替えて砂浜へ出る。
「青い海、白い砂浜…です? たくさん泳いで美味しい物食べて。思いっきり遊ぶのですっ」
スクール水着でなぜかサメの浮き具を抱えている逸宮 焔寿(
ja2900)は純粋に合宿を楽しみ、
「…八時間も泳いで肉無しは最低にょろねー。でも優秀扱いで高級肉はともかく、あのボーナスとやらは不吉な香り満点にょろり」
戦部 小町(
ja8486)は微妙な心境でいた。
(…ここは可もなく不可もない成績で。無難に八時間を泳ぎ切る方向でいくにょろり。肉は高級でなくても食べられればいいにょろ)
一体何がそんなに不安なのか。いやうん、企画兼引率者のせいですね。
「夏です。海です。溶けそうなのです!」
水色のワンピース水着姿ではしゃぐのはReira(
ja8757)。
「はァ…暑っつゥ…だっるゥ」
その横に立つ夕霧 朝緋(
ja8977)はなぜかTシャツに半ズボンととてもこれから海に入る格好には見えなかったが、これで泳ぐつもりらしい。しかして、トップを狙うつもりはあるらしい。
(…高級和牛…食べたいの)
他にも高級肉目当ての参加者がいた。アトリアーナ(
ja1403)はスクール水着にパーカーを用意し、念入りに日焼け止めを塗って準備を整えている。目が本気だ。
もちろん他の下心あって参加する者もいた。
(折角、マリオン先輩と一緒に参加出来た此の合宿…よ、よぉし少しでも頑張って、良いところが見せられるようにしないと…!)
如月 統真(
ja7484)は憧れの先輩ことリネット・マリオン(
ja0184)にお近づきになれたらと気合いを入れていたが、悲しいかな。彼もお年頃の男の子。水着姿のリネットを見た瞬間でれんっと完全に鼻の下を伸ばして見惚れてしまった。
「…その、あまりじっと見られると、恥ずかしいですね…特に統真様、少々視線が痛いです…」
「…はっ!? い、いえ、なな、何でもないです。に、似合っています」
それでも向けられる熱い視線がいたたまれなくて背を向けるが、今度は豊かな胸にかわって形のいいお尻が見えてしまう。これはこれで目が離せなくなる姿だった。仕方ない。だって水着なんだもん。
「わーいわーい、海なのですよぅ」
小学生のようにはしゃいでいるのは鳳 優希(
ja3762)。水色のフリルのついたビキニと蒼いパレオと、あまり泳ぐのに適した水着とは言えないがこれもまた仕方がない。シュコシュコと足で空気入れを踏んで浮き輪を膨らませる姿はこの一行の中では浮いているが、その意味はとてもわかりやすい。
やがて膨らませきった蒼い大きな浮き輪を手に、彼女は堂々と宣言する。
「ナツキさん、カズハ先生! 希は、海が好きです。とても好きです。けれどもそれは、泳げるか泳げないかは問題では無いと思うのです。希は、海に入ると沈んでしまうのです。前へ進まないのです。困りものなのです。……なので、希は浅瀬に向かうのです。カズハ先生、宜しくお願いしますっ!」
優希はカナヅチだった。
まあいくら撃退士が身体能力に優れていても、こればかりはどうにもならない。もちろん初心者も歓迎の合宿であるから、むしろ特訓しようという心意気は素晴らしいと言える。
ナツキは黒を基調とした競泳用水着、一葉は白いワンピースと動き易そうな出で立ちで現れた。水着の色もそうだが、引き締まった筋肉美に女性らしさ溢れる豊満なスタイルと体つきも実に対照的である。異なる色香に当てられてしまった憐れな男子約一名。
「うぐっ…いや、大丈夫だ、これしきの事…でっ…」
ユリウス・ヴィッテルスバッハ(
ja4941)は鼻を抑えて視界を変えるが、どこを見ても水着女子。たらりと指の隙間から滴る鼻血にどよめきが走る。
「いやまて誤解だ。これは決してそういう事では…うぐっ…」
異性(?)に耐性がなさすぎるのも困りものである。
「ユリウスちゃんはちょっと木陰で休んでから参加にしましょうか。あ、上向いちゃだめよ。鼻をつまんで、姿勢は前かがみの方が楽なはずよ」
一葉は養護教諭らしく対処法を説きながら背中を押して木陰へ連れて行く。
指導役のナツキは首から下げたホイッスルを吹いて、言った。
「ではまず準備運動を行う。わかっていると思うが、これはとても大切なことだ。どんなに泳ぎが得意な者でも溺れることはある。しっかりと身体をほぐし、かといって無理に筋を伸ばしすぎないようにしろ」
教官、と呼びたくなるような口調で彼女は合宿参加者を並ばせ準備運動を開始した。
「…準備運動はしっかりと、なの」
「足がつったら痛いのですよー」
アトリアーナと焔寿は小声で呟きながらきちんと身体をほぐす。
「軽く軽くステップステップ。いっちにーいっちにー」
優希は声を出しリズムに乗って身体を動かす。
十分程かけて念入りに準備運動した後、ナツキは沖の方を指さした。
「あそこにクルーザーが停まっているのが見えるな。波際から約五百メートルの位置だ。まずはクルーザーに辿り着くことだけを考えろ。着いたら一旦休憩をはさみ、一度こちらに戻ってくる。これは第二の準備運動だ。本番の遠泳に参加できるかどうかは、これを見て私が判断する。自分でこれ以上の距離は無理だと思ったら申告しろ。その者たちには浜辺とクルーザーを往復する訓練に切り替えてもらう。もう一度言うが、どんな泳ぎの熟練者でも、不慮の事態に遭遇することがある。波の高さ、水温、水中の異物、体調…、様々な要因はあるが、私が言いたいことはひとつ。無理はするな。プールと海はまったく環境が違う。これは訓練であって、競技でも限界を試す場でもない。自らの体調管理も訓練のひとつだと思え」
この説明に一部から安堵の溜息が出た。
特に玲花は海で泳ぐことへの不安が強かったが、持ち前の矜持が邪魔して自分からリタイアはできないと悲壮な覚悟を決めていただけに、指導役から訓練切り替えの指示が出れば――それでも不安はあるが――長時間の遠泳よりは、休憩を挟みながらの訓練の方が今の自分には向いているように思えたのだ。
「鳳は、山咲先生が戻ってくるまでその辺で海水に身体を慣らしておけ。真夏より多少水温が低いからな」
「了解なのですっ」
「では全員、海に入るぞ。最初は歩きながら水に身体を慣らせ。各自自分ペースでクルーザーへ向かえ」
「はい!」
威勢のいい返事に満足したように頷き、ナツキ自身も海へ向かう。
「マリオン先輩、見ていて下さい…僕、頑張りますから!」
「…統真様、張り切られるのは結構ですが、ナツキさんも言っておられましたし、無理はなされませんよう」
恋する少年の耳にその言葉がちゃんと届いたかは怪しいが、リネットの方はそれなりに泳ぎに自信があった。
(調子に乗って体力を浪費してはいけません)
冷静に自分に言い聞かせ、じゃぶじゃぶと海に入っていく。
「きれいな海なのですぅ」
泳ぎが得意なReiraは早々に泳ぎ始め、
「はァ…冷てェ……」
その後をゆったりのんびり朝緋がついていく。
優希以外の全員が泳ぎ出すのを待ってナツキもクルーザーへ向かって泳ぎ出す。あくまでも参加者の実力を測るため、或いは海に不慣れな者が溺れた時に助けるためなので最後尾に付きながら注意を払った。
「うう…、すみません…」
いきなり出遅れたユリウスは一葉を見ないように意識しながら準備運動を始める。
「無理は禁物よ」
きっちり釘を刺して、一葉は膝まで海水に浸からせた優希に向かって手を振った。
「お待たせー」
「カズハ先生! 宜しくお願いしますっ」
「はい、頑張りましょうね」
そんな微笑ましい会話を小耳に挟みながらユリウスは見事な快晴に目を細める。
(流石に太陽が堪える、な…)
日頃余り運動をする方ではないもやしっ子には少々辛いものがあるらしい。それでも泳ぐことはできるので、ゆっくりと合宿仲間の後を追いかけ泳ぎ始めた。
ここで最初の脱落者のお知らせです。
(…ぐ……がぼっ …ご… ぷ…)
予想通りというか、そこまで頑張るかというか、リネットの傍で泳ごうと自分のペースを崩した統真は『海で溺れる』ということを身をもって体験していた。とりあえず泳げるレベルで得意な人の真似をするのは危険です。
注意事項はちゃんと聞いてね。
「如月。おい、如月!」
「統真様!?」
いつの間にかクルーザーに引き上げられ横たえられていた統真は、自分の顔を覗き込むリネットの姿を見て無意識に笑うと、けぽっと水を吐いて気を失った。無念。
(…う、海水飲んだ…)
頑張ってクルーザーから浜まで辿り着いたものの、玲花は自分の実力不足を思い知らされていた。息継ぎの時にうまく波を避けられず、どこへ向かっているのかも怪しくなったところをナツキに捕まえられたのだ。
「ナツキさーん。往復訓練の場合、バーベキューはどうなるんですにょろりー?」
ぜえはあと肩で息をする小町の質問に、平然とナツキは答えた。
「標準扱いだな。自分の実力に合った訓練を選ぶのもまたひとつの勇気だ」
「では私は往復訓練でおねがいするにょろー。正直八時間は自信がないにょろね」
「わかった。戦部と、あとは楊、ユリウス。お前達は往復訓練に切り替えろ。他の五人は遠泳行きだ」
「あのっ 私は大丈夫です! 行けます!」
思わず敬語で訴えたユリウスを一瞥したナツキは、冷ややかに切り捨てる。
「確かに。泳ぎの筋は良い。せっかくの機会だとも思うが、こればかりはドクターストップなのでな」
ひらひらと手を振る一葉に、彼はがっくりと肩を落とした。
「往復するだけでもかなり体力を使うはずだ。今回は海に慣れることに重点を置け。それだけでも立派な訓練になるぞ」
言われてみればそうである。
ユリウスは気持ちを切り替えて、波に挑むことにしたのだった。
「ぶくぶく…浅瀬でも沈みまくるのってどうしたものでしょうか」
カナヅチの優希は浮き輪にしがみつきながらぷうっと頬を膨らませる。
「そうねえ。浮かぶだけなら水深のある方が楽だけど、水に慣れることも大切よね」
優希の浮き輪を引っ張りながら水深八十センチくらいのところを歩く一葉は笑った。
「ほら、身体の力を抜いて〜…って、浮き輪から手を離してって意味じゃないのよ!?」
こっちはこっちで大変である。
ざっぱーんと大きな波に揉まれる都度、溺れかける優希の実力は、ある意味立派と言えた。
(トップでゴール! トップでゴール!)
(高級和牛! 高級和牛!)
欲望丸出しの泳ぎっぷりを見せるReiraとアトリアーナ。
辺りが暗くなり始め、もうすぐゴールだというナツキのひと声に速度が上がる。やがて水深が浅くなり、足が着く。
後はあのテープに向かって走るだけ!
優希と統真と往復訓練組の待つ浜へダッシュ。
一着アトリアーナ。朝緋と共にゴールしたいと僅かに振り返ったReiraが二着。その後になぜか魚を網に捕らえて持ってくる朝緋、リネット、焔寿と続いてゴールした。
はい、完全に欲望の勝利です。
「ふにゃぁ…」
「だっるゥ」
へたりと座り込む遠泳組を、浜で待っていた人々は既に着替えも済ませて手に皿を持ち、バーベキューの網に野菜などを並べ始める。どうやら彼らは準備係らしい。
「お疲れさま」
五人にバスローブを配った一葉は、すぐにご飯だからねと微笑んだ。
結局のところ、遠泳を泳ぎ切った五人全員に高級和牛肉が配られた。
元々そういうつもりだったらしい。
言われてみれば納得である。
「ううっ…僕って如何して何時もこう、駄目なんだろう」
べこべこに凹んでいる統真は唯一普通肉にもありつけなかった存在だが、体力を使い切らなかった分、疲れ切ったリネットのためにとせっせとバーベキューの指揮を取った。
「あれ? サメさーん? …泳ぎに行っちゃたのでしょうか」
首を傾げる焔寿は肉よりも野菜を中心に食べている。ブルジョアは肉を食べ飽きているらしい。おおう。
「トップ取れなかったのです…」
しょんぼりするReiraの頭を撫で、朝緋は囁く。
「一緒にゴールできたんだからいいんじゃねえかァ?」
「…はぅ〜」
あ、どうもごちそうさまです。
「…」
一着のアトリアーナは黙々と食事に専念している。
体力を使い果たしお腹ぺこぺこである。
「むぅ、いつかは高級和牛を食べるまでになりたいものです」
「…真水より浮きやすいというのは盲点でした」
優希と玲花ももりもりと食べている。基本、人の体は水に浸かっているだけで体力を消費するのだから食事風景が無言になるのも無理はない。
(遠泳を乗り切れば高級肉とは不覚…っ)
自分で選んだことながら小町は若干後悔していた。そういえば特別ボーナスってなんだろう?
夕食を終えると遠泳組も着替えを済ませ、再び浜に集う。
朝顔の浴衣に袖を通したリネットは、控えめに言った。
「…その、お恥ずかしながら、花火というのは初めてやるものでして。どなたか、やり方などお教え頂けたら、幸いにございます…」
ここで応えなければ男が廃る。
「ま、任せて下さい。僕が教えますから!」
ぐっと拳を作って言い切った統真だったが、憧れの先輩の浴衣姿に再び鼻の下を伸ばすことになった。
少し離れた場所で、Reiraと朝緋は一緒にいた。
「ずっと一緒なのです」
「これでお前は俺のモンだ」
お互いの左目――眼球を入れ替える儀式。
他人の目にどう映ろうと、二人にとっては大切なこと。
幸いにしてリア充爆破ーなどという者もいないので、静かに、二人だけの時間を満喫したのだった。
「んー、…ねずみ花火そおれぃ☆」
「ネズミ花火? なんですかそれは?」
優希と焔寿がはしゃぐ傍で、
「…やっぱり風情がありますね。昼間のことがなかったら、もう少し楽しめたかもしれないんですけどね」
玲花は少しだけ落ち込んでいた。しかしいつまでも引きずっていても仕方がない。次があれば必ず、と努力家は心に決めたのだった。
「写真…」
アトリアーナはポチポチとスマホで合宿の思い出を記録する。
指には堂々の一着のご褒美の指輪がはまっていた。たまにはこういうのも悪くない、と思う。
ババババッと背の高さほどに燃え上がる花火が夏の訪れを告げていた。