早朝、ひんやりとした山の空気に呑まれながら空を見上げると、素敵な青色。日中はそれなりに『暖かく』なるというが、『暑い』の間違いではないだろうか。そんなささやかな文句を天気予報に入れて、山の案内人イツキを見ると、彼はにこにことマイペースに笑っていた。
「ではこれから二人ずつペアを組んでもらいます。登山中は別行動でも構いませんが、点呼を取る時は必ずパートナーがいるか確認して下さい。テントは二人用なので、そのペアで使ってもらいます。…ええと、男の子は二人だけだから君たちでペアになってね」
点呼はともかく、夜の寝床を女子と共にするのは学校の行事として少々まずい。それに女子は女子で一緒にいたほうが着替えなども気を遣わなくていいはずである。
「三日のコースを一日で踏破しろか。無茶を言ってくれるものだ。まあ、やってやれないこともないんだろうからここは腹を決めてやるしかないな」
「今回はよろしくお願いします」
苦笑した榊 十朗太(
ja0984)に、物見 岳士(
ja0823)はきりっとした態度で挨拶をする。
確かに無茶な行程だが、撃退士の身体能力で一般人と同じペースでは物足りない感じもするし、へとへとになるまで体力を使うという意味では夏の合宿らしいものである。
「忍ちゃん、よろしくね」
「はい!」
雀原 麦子(
ja1553)、望月 忍(
ja3942)ペア。
「ふふ、登山合宿だなんて楽しみですね!」
「はぅはぅ、いっしょにがーるずとーくしようね! ね、カタリナさん!」
カタリナ(
ja5119)、エルレーン・バルハザード(
ja0889)ペア。
「山…。そういえば久しく行ってないかも」
「うーん、遊びじゃなくて訓練なんですよね?」
特に希望がないということで適当に振り分けられた沙酉 舞尾(
ja8105)、佐藤 七佳(
ja0030)ペアと、
「色々と楽しみですね」
「山を登り切ったら、きっと大幅なダイエット効果が得られそうっすね!」
神城 朔耶(
ja5843)、大谷 知夏(
ja0041)ペア。
「先頭は僕が、最後尾には岸崎(jz0010)君が着くから、何かあったらすぐに言ってね。最初はゆっくり、徐々にペースを上げていくからそのつもりで。じゃあ出発の前にこれだけは注意して欲しいことは…」
さらさらとイツキが注意事項を言っていく。どれも大事なことだ。
「それじゃあ、他に何かあるかな?」
15分にも及ぶ専門家の事前説明の後に何かと言われても、実に困る。
普段は説明に回ることの多い蔵人はお株を取られ、少し苦笑した。
「あー…、先頭のペースについていけない者は、俺が後ろから拾っていく。怪我をしたら無理せずその場で待機し、俺が来るのを待つように」
注意事項はこのくらいでいいだろう。
皆出発したくて、うずうずしているのだから。
「それじゃあ、準備運動をしたら出発します。しっかり身体をほぐして、最後まで怪我のないように楽しんで下さい。人とすれ違ったら挨拶して下さいねー」
そして十二人は出発した。
最初はゆっくり、と言ってもそこは撃退士。
オリンピック選手が全力を出しても無理! と叫びそうなレベルの速度で集団移動。
人の好さそうな顔に騙されちゃダメ。
こ、この子だけは見逃してー! と、必死に抵抗した保冷ポーチに入ったノンアルコールのビールもにこやかに没収された麦子は死相を浮かべて杖をつきながらよろよろ最後尾を歩く。すぐ後ろを蔵人が歩いていて、若干心配そうに様子を見ている。
少し先からそんな様子をさらに観察しているエルレーンは、
「蔵人くんかっこいいねえ! まさしくディバインナイトなの! 強いし頼りがいあるし、ううっ、アレとは大違いなの」
誰かと比較しながら表情をくるくると変えている。
このキャンプの目的は『ディバインナイトの理想像』蔵人を身近で観察すること。
「…きちく眼鏡攻めに見えて実は受け、うふへへへ」
どうせ観察するなら山の大自然にしろをとお説教したいところだ。
「私は野草に興味があるのね〜動物を見たりもできるかな〜?」
忍はおっとりと話ながら歩く。その前には、え、あれ? その格好でいいの? と確認を受けた巫女装束の朔耶。目を閉じたまま山の新鮮な空気を楽しんでいるようだ。
先頭グループには、
(知夏は、本格的に夏を迎える前に少しダイエットをしたいと、思って居た所なので参加して、ついでに体重を落とそうと画策中っすよ!)
先取り合宿らしい気合いを入れている知夏や、
「…ガキの頃の修行で山歩きには慣れているつもりだったが、さすがに本格的な登山は違うな。ここは無理せず、レクチャー通りにやることにしようか」
ペースを乱すことなく歩く十朗太がいる。もう一人の男子・岳士は出発前に踵や足の親指付け根などマメが出来そうな場所をあらかじめテーピングしておくという準備万端の姿勢で合宿に臨んでいる。
1時間程経過した頃、こまめに振り返りながら先導していたイツキが軽く手を振って言った。
「ここから先ちょっと険しくなるので、少し休憩します」
ふう、ふうと息が切れてきた抜群のタイミングだった。
来た道を振り返ると、既にバスを降りた道は見えない。
「ここはどの辺ですか?」
舞尾が尋ねると、蔵人は簡易マップを指で辿った。紙の上ではすぐでも実際の距離にするとかなりのものである。
「今はこの辺だな。一般の人なら、少し先の山小屋で一泊といった所か」
早。
既に行程の三分の一を歩いてしまったらしい。
「悪所は戦闘スタイル的に苦手な箇所ですから、この機会に練習しておくのは悪くは無いですね」
得意のローラーブレードが使えない七佳は道が険しくなると聞いて気合いを入れ直した。
「あ、ここから先は、マップに載っていない道を行くので気をつけて下さいねー」
のほほんとした笑顔に釣られそうになって、学生達は首を傾げた。またしても聞き捨てならないことを聞いたような。
イツキが案内したのは、まさしく道無き道だった。
というより、あえて悪所を多く選んだコースらしい。普通のハイキングコースでは物足りないというだけの理由なのが恐ろしいところだ。
結果、キャンプ場に着く頃には昼をすぎ、全員泥だらけになっていた。
「なるほど、本当に訓練、だな……」
岩についた苔で滑った十朗太は額の汗を拭いつつ、歩いた距離とコースの難易度に見合う達成感をひとことに呟いて、荷を下ろした。
到着順に砂利の上にへたり込む女子達。
山の澄んだ風が、火照った体に気持ちいい。
しかし、休んでもいられないらしい。
「そっち持っててー」
見れば山小屋の頑丈な倉庫から取り出されたテントを運んでくる引率の姿。
さてさて山合宿、これからが本番かもしれない。
●みんなでカレー作り
【無難に行こうぜ】
「カレー作りは、あまり料理は得意では無いので、貰った食材で、無難に食べられそうなモノを作る予定っすよ。冒険やバクチはせずに、確実性を優先っす!」
知夏の台詞はある意味真理である。
他人のために、ではなく自分が食べるものだから、やっぱり変なことをするのは怖いし嫌だ。
第一身体は疲れ切っている。
まともな食事がしたい。
(箱に記載の作り方に沿えば大丈夫)
岳士はルーの箱の裏の説明を読みながら、具材を一口大に切る。
その横では似たようなことを考えた十朗太が、
(火が通りやすいように切れば、味が染みやすいよな)
少し工夫を加えながら調理を進めていく。
(えーと、甘口と辛口を1:1で…)
忍は慎重な手つきで材料を量っていく。特に米は水に浸す時間、蒸らす時間を気に掛けておく。後は採取できた野草を使い、ミニトマトを添える。中々見た目の可愛いカレーができた。
【ちょっと工夫してみようかな】
「カレーとかに使うお米は、やっぱり長粒米ですよね」
七佳は楽しそうに屋外での調理を開始する。
ライスはサフランライス。カレーは水の代わりに野菜ジュースを使って隠し味にチョコレート。ルーは市販のものを二種類合わせてちょっと辛目に仕上げてみる。
「さあ、気合い入れるわよ」
一時はグロッキーになった麦子も少し休んだら自分の調子を取り戻したらしい。
リュックから出てきたのは、柚子胡椒と採取した野草。
何故か鍋の中の色が違うと思ったら、グリーンカレーである。失敗ではない。
味付けは激辛に仕上げる。
(ご飯は美味しく炊くのは意外に難しから、慎重に火加減と炊き具合チェックしなきゃ)
留意する点をしっかりおさえた出来になった。
「岸崎様に甘口カレーの美味しさを知ってほしいのですよ〜♪」
と、少し違う方向に気合いを入れる朔耶はリュックから色々取り出して調理し始める。
与えられた具材を切ってコンソメとブーケガルニで煮込み火が通るまでもうひと仕事。
フライパンでガーリックバターを作ってルゥを『炒め溶かす』という技を使い、火から下ろした鍋にカレールゥを混ぜ入れる。
それからまた火にかけ完熟トマトをいれコツコツ煮込む。
手間暇を掛けた一品に仕上がった。
進んで河原から石を持ってきて簡単な石竈を組んだのはカタリナである。
飯ごうを火にかけた後、カレー作りに取りかかる。
玉ねぎを飴色になるまでしっかり炒めてから新鮮な野草を投入。持参したスパイスを駆使して青臭さを取り除き、食べやすくする。
やや辛めのスパイシーなアウトドアカレーに、ミョウガやスベリヒユのおひたしを添えてできあがり。
「多分、普通のカレーの方が美味しいですけど…折角なので山らしく、です」
女の子らしい心遣いである。だが、審査用には。
「これ使ってください。とあるラーメン屋さんにわけてもらってきたんです」
デスソースって何…?
「あまずっぱ〜…ですね。美味しいですー」
途中で採取した木苺を味見して舞尾は満面の笑みを浮かべる。
「中辛と辛口に、すり林檎とスキムミルクを加えてとろみとコクを出しますー。栄養もばっちりです」
それから煮潰した豆と玉葱ペースト、香辛料等を炒めて煮汁でのばした辛味ソースを作る。
「これでお好みの辛さに調節できますー」
審査用、ということらしい。
【イッツ ア フリーダム】
重ねて言うが、これは自分用のカレーである。審査はおまけ。
だから好きなものを作っていい。
(カレー…にんじんきらい! おやさいきらい!)
子供か! とツッコミを入れたくなる選択をしたのはエルレーン。
「お肉は好き!」
だから肉だけのカレーを作ろう!
野菜から出る甘味や旨味成分のことを知る由もなく、肉を炒めて水を入れてルーを溶かす。うん、なんというか見た目も地味。
「何か、誰かが言ってたよ…カクシ味!」
しかし彼女が手にしているのはバレンタインに手作りしたチョコレート(現在七月)。えー、料理が何たるか以下略のエルレーンさんが作った手作りチョコの味はお察し下さい。ついでに火加減も間違えて若干嘘大分黒いです。
最下位一直線。これは酷いカレー。
調理というのは結構時間がかかるものである。
薪の火で、というのだから普段家で台所に立つのとも違う感覚だ。
全員が完成させる頃には火も傾き暗くなってきていた。
「星…綺麗ですね」
思いの外調理に時間を取られ水遊びができなかった舞尾だが、空を見上げるとそんな不満は吹き飛んだ。
「なんか吸い込まれそうに綺麗ね♪」
空の色は夕暮れから、街中では見られない満天の星空に変わっていく。麦子や他の面々も大自然の中で楽しそうに火を囲んで自分の作ったカレーや友人のカレーを味わい、感想を言い合う。
特になぜか引率男性二人のカレーに興味津々の女子たちは、野性味溢れるイツキの特製カレーと、火を噴きそうに辛い蔵人のカレーに手を出していった。とりあえずその、蔵人のカレーとしては失敗していない。むしろ上手いくらいだ。辛さがアレなだけで。
屋外での食事は楽しい。特に麦子は没収されたはずのノンアルコールビールが冷え冷えで出てきたので涙を流して喜ぶ勢いだった。
コソコソとイツキと蔵人は話し合い、どのカレーが良かったかを話し合う。個人の味覚は極端だが、別に自分が合わないからと否定する気のない二人は公平無私に結論を出した。
「岸崎君は神城さんのカレー、僕は雀原さんのがいいと思ったな。うん。賞品は出ないけど、準優勝ってところだね」
「それで話し合った結果、――佐藤 七佳さんのカレーがベストだという結論に至った。家庭の味というのが決めてだったな」
おー、ぱちぱちと拍手が上がる。
「ありがとうございます」
はにかむように笑った少女に、蔵人はポケットから小箱を取り出す。
「では、特別ボーナスの授与に移る」
小箱から出てきたのは割とありふれた感じのレザーブレスレッド。
「これも一応ヒヒイロカネで出来ているので、役立てるといい」
七佳の細腕に蔵人はブレスレッドをつけてやると、彼女は顔を真っ赤にして小さくありがとうございますと礼を述べた。
その夜、某テント。
ぐっすり眠る者が大半を占める中、エルレーンとカタリナは小声で会話していた。というかエルレーンはスケッチブックに何か色々描いている。何だか噛み合わない会話のせいでカタリナは悪夢に魘されたとかなんとか。
早朝、朝日が出ない内に叩き起こされた十人はロッククライミングに挑戦することとなった。目的はひとつ。御来光を拝むことである。
「手を出せ」
「は、はい!」
途中梅雨の嵐で崩れたカ所があったので蔵人が橋渡し役をした。このくらい平気だろうが念のため、という配慮である。こっそり蔵人に憧れを抱いていた忍はドギマギしながらその手を借りた。
「山登りの醍醐味って奴かな、これが」
ゴロゴロと積み上がる巨石の上から、昇る朝日を眺める。
「すごい…」
思わず言葉を失う程綺麗な御来光。
「見事な朝日っすね、神秘的っす!」
ここまでやってきた甲斐はあったと、来て良かったと思える光景。
ちりちりと太陽の温度をこんなにも感じる。
「君たちは運がいいよ。こんなに綺麗に見えることは珍しいから」
相変わらずのほほんとした引率の声も、今は学生達の耳には届かない。
十分に朝日を拝むと、来た道を戻ってテントを畳み、元通り倉庫に片付ける。
さぁ、あとは帰るだけだ。
下山にさした時間は掛からず、バスが待つ中無人の温泉で一同は汗と汚れを洗い落とした。
「お湯がカラダに染み渡るっすね!」
それはともかく、強行軍を無事終えた一同の大半は湯船でうとうととしていた。疲れがどっと出てきた感じである。
「おーい、カタリナちゃん。置いてくよー」
声ではっとして、
「はっ、ウォークラリ…違った、バスに遅れないようにしなきゃ!」
目をぱちくりさせたカタリナは失言に顔を赤らめた。
バスに乗り込むと、それこそ温泉で最後の体力を使い切って崩れ落ちるように皆眠り込んだ。
「むにゃ…ビールぅ…」
誰の寝言かは聞かなかったことにする。
こうして、夏の始まりの合宿は無事に終了した。