●植物園
人気の一切ない植物たちの楽園は、風と梢の揺れる音だけが支配していた。
森閑とし、世界から隔絶されたのかと錯覚するほどの静謐ささえ感じられる。
そんな静けさを、不躾にも遠慮なく打ち破る地鳴りが不規則に響いていた。
事前に管理会社へ連絡し簡易地図を借りていた撃退士らは、地上と空に分かれて迷路の中央を目指すことになった。
「迷路の奥には血に飢えたミノタウロスが一匹。――さしずめ、迷宮(ラビュリントス)って所だな」
紙袋を小脇に抱え、生垣迷路の入口で阻霊符を展開しつつ小田切ルビィ(
ja0841)が呟く。
その脇で地図に目を落としながら、ケイ・リヒャルト(
ja0004)は道程を確認していた。
「中心付近までの最短距離は……このルート、になるかしら」
いくつも分岐する入組んだ道を視線でなぞり、最短ルートを割り出す。
「伝説の生物が見れるとは面白い、な」
同じく地図に目をやりながら、楽しみを見出すように僅(
jb8838)が零す。しかしすぐさま思い直した。犠牲者が出ている以上、そう面白いモノではないということに。
がさごそと、紙袋からおもむろに赤い糸玉を取り出したルビィを、横目に見ていたファーフナー(
jb7826)は訊ねた。
「小田切、それはなんだ?」
「“アリアドネーの糸玉”に倣ってみたぜ。糸が無くなっちまう前に到達できりゃ良いンだが…」
それを誰かが逸れた際に備えてのものであると察したファーフナーだが。
同じことを思ったか。不知火藤忠(
jc2194)が、残念なお知らせとばかりに口を開いた。
「ルビィ、地図と上からの指示もある。それに出口のある迷路だ。馬鹿じゃない限り、出てこられないようなことはないと思うぞ」
的を射た物言いにわずかに喉を詰まらせ、ルビィは誤魔化すように咳を一つ。
「いいんだよ、こういうのはノリと気分が大事なんだ」
そう言って、糸玉を解き入口の木柵へ結びに行く。
ファーフナーは首をすくめると翼を展開し、目標の位置を把握するために一旦上昇。位置確認すると再び地上へ降り、ケイが導き出したルートとは反対の場所を目指し移動を開始。
幸い中央はけっこう拓けており、見つからずに迂回出来るルートも二本ほどは見て取れた。少し回り道になるため、攻撃タイミングを合わせるのであれば、先に行くべきと判断してのことだ。
先に行ったファーフナーの背を見届けると、ジョン・ドゥ(
jb9083)も静かに翼を広げ、山狩りならぬ迷路狩りを皆に告げた。
「さて始めよう。狩りの時間だ――」
音もなく上空へ飛翔し、ジョンは俯瞰から迷路を見下ろす。
中央に目標を認め、事前に連絡先を交換しておいた携帯で皆に連絡を入れた。
簡易地図だけでは、飛べない仲間が正確な距離および広さまでは把握出来ない。それを伝え導くこともジョンの役目ではあるが。
もし目標が狭い通路に出てきた際そこで戦闘となった場合は、仲間が立ち回りやすいようすぐに援護へ移行できる。そういった目的もあった。
ジョンからの情報を受けた地上組は、ケイの提案で全力移動を行う。
隊列の先頭を走るルビィは曲り角を特に注意しながら、生垣スレスレを【風の翼】で低空飛行。進路を確認しつつ、しっかりと角と斧を見咎める。
念のための糸玉を垂らすことも忘れない。
ケイ、僅、藤忠もそれに続き、迷路を進んでやがて中央付近へと到着した。
常に雷電を纏い発光している、目標であるミノタウロスを生垣の陰から視認する。
周囲は岩石などが散乱し、ところどころ大地が陥没していた。テニスコートくらいの広場はすっかり荒地になっている。
その中をきょろきょろと辺りを見回しては歩き、その度に地鳴りを轟かす。迷っていることに困っているような鳴き声をあげては、牛頭人身は再び広場を回る。
「ミノタウロスか……糸などなくても脱出できる迷路だというのにな」
何気ない藤忠のその一言に、糸玉の残った紙袋を生垣の脇に置こうとしていたルビィが、少し恨みがましい目を向けた。
「あ、」と失言に気づいたように、藤忠は明後日の方を見やる。
「あの牛、おつむの方は相当悪いようね」
「だが、このままというわけにはいかないかも知れ、ん。迷路の木々を全て薙ぎ倒してしまう前に、早めに手を打った方がいいだろ、う」
「そうね」
僅に頷き、ケイは上空へと目を遣った。
空から地上を見下ろしていたジョンは、少し遅れてファーフナーが配置に就いたことを確認。
本に持ち替え、地上部隊に空から戦闘開始の合図を出した――。
まず生垣から飛び出したのは、ミノタウロスの背後を取っていたファーフナーだ。
続くようにルビィ、僅も駆け出す。藤忠は止水が如く心を落ち着け一人潜行した。
先陣を切ったファーフナーは両手に雷を帯電させ、一気に距離をつめていく。
その間隙を縫うように、
「ミノタウロス…永遠に迷宮で迷子になっているとイイわ。序にその身体はボロボロのお土産にしてアゲル」
ケイは拳銃で腐敗効果のある弾丸を放った。【アシッドショット】は、背後を振り返りかけたミノタウロスの右上腕部に直撃。
ほぼ着弾と同時に肉薄したファーフナーは、両の手を突き出すように膝関節を狙う。
脚を潰せば移動もできず、踏ん張れないことから斧を振り回す力も減るであろうことを想定していた。
が、巨体を支える脚は想像以上に頑丈だった。どころか、たてがみから発生する雷が全身を覆っているため、【コレダー】の雷が相殺されてしまう。
『ブモゥオオォオオッ!!』
長大な柄を持つ斧を振りかぶり、ミノタウロスは回避もままならないファーフナーの頭上へそれを振り下ろす。
あわや直撃かという寸でのところで、間に割って入る影があった。
「おっと、そいつはさせねえぜ!」
重たい斧の一撃を大剣で受け止めたルビィ。
「――くっ!」
しかし思いの外力が強く、咄嗟に刃を傾ける。火花を散らしながら滑る斧は、剣の切っ先から勢いよく落ちて――
ドゴォオオン! と激しく大地を打ち付ける。衝撃波を伴う爆風、飛散する石つぶて。いくつかの生垣は風圧で傾き、ルビィとファーフナーは揃って吹き飛ばされた。
幸い負傷は軽微。
「小田切、助かった」
「いや、礼はいいぜ。それよりなんだ、あの馬鹿力は」
今しがた斧刃の落ちた地面は大きく抉れ、クレーターになっていた。
「力が自慢の超パワータイプか…ならば技で攻めよう」
上空から戦場を見下ろしていたジョンは感心しながらも、本を開いて小さく呟く。
発生させた真紅の槍を、ミノタウロスの背後に浮かんだ文字盤目掛けて落下させる。
槍は上体を起こした標的の左腕を貫通し、同時に文字盤が砕け散った。
体を覆う雷のせいだろう。状態異常に対して一定水準以上の抵抗力があるようだ。
「一先ずはあの放電をなんとかすべき、か」
砕け消え行く文字盤に紛れていた僅が、その場にしゃがみ地面に手を叩き付ける。
描かれた魔方陣は封印を施すものだ。もしたてがみから発生する雷がスキルであれば、効果があるはずなのだが……。
しかし、魔方陣が消えることはあっても、雷が掻き消えることはなかった。
「なるほど、そういうこと、か」
どういう仕組みかは分からないが、発電器官を持つ電気うなぎみたいなものだろうと僅は納得する。
『ブモゥオオウ!』
目を真っ赤に充血させ、地団太を踏んだミノタウロス。全身を覆う雷を斧へ伝わらせると、
左足を軸にして回転し、僅を斧でなぎ払おうとした。
「僅!」
ケイは咄嗟に射撃し、斧の側面を下から撃ち抜きわずかに上方へと軌道を逸らす。
斧刃すれすれで避けて側転、僅は事なきを得た。
「すまな、い」
間一髪間に合ったと、ケイはほっと安堵の息をつく。
斧の旋風に巻き上げられた土埃の立ち込める中――、
ゆらりと揺らめく影一つ。
潜行状態で隙を窺っていた藤忠は、ここぞとばかりに腕を振るった。
空を切った風は無数の刃となって、土煙を切り裂き目標を襲う。形のない白刃により、ミノタウロスは全身に裂傷を負い出血した。
「かなり頑丈だな。ただの切り傷程度にしかならんとは」
ぼやく藤忠。しかし、ミノタウロスの様子が変わってきていることに気づいた。
『モゥ、ブモブモ、』
心なしか、発生する雷に勢いがあるような……。
そう思ったのも束の間。全身を巡る雷は手を伝い斧へ、そして角にも集まり――。
ミノタウロスが斧の柄を強かに大地に突き刺すと、斧と角両方から放射状に電撃が拡散した。半径十メートルを無差別に焼く。
コントロールは利かないのか、直接被害に遭った者はいない。が、近辺にいた藤忠の狩衣の袖から落ちた地図が、黒焦げになってしまった。
「圧倒的な攻撃力も、命中しなければ怖くはない」
ファーフナーは【ナイトアンセム】を発動。目標の周囲を深闇の霧が覆い、認識障害を付与する。
「しかし……今のは不味いな」
上空にいたジョンはスキルの範囲まで高度を下げると、普段抑えている威圧を開放した。
莫大な紅い負のオーラは、しかし狂化状態にあるミノタウロスには効果がないようだった。それを見て手早く弓に持ち替える。
視界を奪われ敵を見失っているミノタウロスは、ただひたすら狂ったように斧を振り回す。
が、その動きに規則性、というか癖を見抜いたケイは声を上げた。
「僅、合わせて!」
初めての共闘だが、
「了解し、た」
斧槍を手に、僅は迷いなく首肯する。
動線を予測して放ったケイの腐食弾は、斧と柄の接続部を直撃。
瞬時に腐食し始めたその部位へ、間髪入れずに僅が斧槍を振るう。柄と切り離された斧頭が手斧のように飛んでいった。
得物の重さに違和感を感じたように混乱するミノタウロス。
それを機に、撃退士たちは一気に攻め立てる。
「田村さんの仇、取らせてもらう」
藤忠は懐へと滑り込み、右手首を薙刀で斬り払う。腱を両断し、まず腕の攻撃力を削いだ。
ジョンはコールタールのような毒矢を放ち、ミノタウロスに猛毒を付与。それは対象を体内から蝕み体力を奪う。
続いてファーフナーは黒槍を構え、アキレス腱を刺し貫く。相当な硬さであったが、槍から突き出る無数の棘により切断した。
よろけたのを見咎めて、ケイは生垣から一気に距離を詰める。
僅もタイミングを合わせるように肉薄し、まずはケイの零距離からの射撃。右側腹部に大きな風穴を開けた。
「ふふ…見通しが良くなったわね、貴方が壊した迷路のように」
一拍置いて僅が振り抜いた斧槍は、分厚い筋肉に覆われた左の脇腹を大きく切り裂いた。太い肋骨が何本も露呈する。
大量に出血し、涎と吐血を振りまきながらも、のしのしと数歩進んだところで、
「犠牲者が最期まで丹精込めて維持管理してた場所なんだ。――これ以上、荒らさせはしねえ…!」
雄牛が如く角を突き出す形で、大剣を構えるルビィを目に映したミノタウロス。
両の腕にそれぞれ光と闇のオーラを纏う姿に、
『フモゥオオオオオオオッ!!』
まるで好敵手と対峙したような歓喜の咆哮を上げ、牛頭人身は最後の力で角に雷電を集中させる。
互いの踏み込みと同時。
ルビィは水平に払い抜け、ミノタウロスの突き上げた角はそれに追随し、稲妻が宙に軌跡を描く。
一瞬の硬直の後――、倒れたのはミノタウロスだ。真一文字に裂かれた斬撃痕は背骨まで達していた。
「“Ochs(オクス)”――『雄牛の角』を叩き込まれた気分はどうだ…?」
ほぼ虫の息の牛頭人身。
しかし肩の動きでまだ息のあることを認めたジョンは、黄金に輝く槍を心臓に向け、「トドメだ――」一気に急降下。
大地に心臓を縫い止め、完全に息の根をとめた。
●討伐後
平穏が戻った植物園。
負傷した者たちは藤忠の治癒膏で治療を受けた。
その後、撃退士たちは各々、行動を別にする。
ルビィは犠牲者の魂が安らぐ様にと祈りを込め、破壊された植物園の修復作業を少しでもと手伝う。
「植物園に再び観光客が多く集まってくるといいな」
犠牲者は出てしまったがと心の裡で憂いながら、ファーフナーは傍らで呟いた。
僅は迷路を楽しみながらも、木々の損傷具合、損傷した場所を借りた簡易地図に印をつけていく。
書き込む途中、
「――〜〜♪」
不意にそよ風に乗って美しい歌声が聞こえてきた。
「レクイエム、か」
犠牲者の為に鎮魂の歌を捧げるとは、実にケイらしい。僅はしばし耳を傾けながら、そんなことを思う。
藤忠は、亡くなった田村氏の剪定ばさみを探していた。一人、地図も持たずに。
しばらくして、生垣に引っかかっていたそれを見つけたまではよかったのだが。
「あれ、俺はどっちからきたんだっけか?」
そこは迷路の中でも、特に前後左右が分かりにくいよう細工されている場所でもあった。
こんなところで迷っていては不知火の名折れ。妹分にも笑われてしまう。
そんな時、
「おーい、そろそろ行くぜー」
仲間の声が聞こえた。ルビィだ。
「待っ――」てくれと声を上げようとして慌てて口を噤む。
糸がなくても脱出できると言った手前、助けを求めるなどという情けない真似は出来ない。
そんなことを考えながら右往左往する藤忠を、ジョンは上空からニヤニヤしながら眺めていた。
と――、
「おっ、気づいたようだな」
地上から助けを求めて手を振る藤忠。
仕方なさそうに首をすくめ、ジョンは地上に降下すると――、
まるでUFOキャッチャーみたいに引っ掴み、藤忠を捕獲。
結局、そのまま上空を飛んで連れ出されたために、藤忠が迷子になっていたことを皆が知ることとなった。