●バレンタイン当日までに
依頼のために放課後沙那のクラスまでやって来た彼女らは、お互い挨拶を済ませた。
「こ、今回はよろしくお願いします」
体を90度に折り曲げる沙那。
「ああ……なるほど」
改めて上から下まで沙那を見て、カタリナ(
ja5119)はそう漏らした。
女子からチョコを渡されるというのもうなずける。それなら、単純に男っぽい格好をやめて女の子らしくするだけで効果があるのではないか。
そう意見を述べると、
「そうですね、相手のイメージを崩して失望させるのが簡単かもしれません……。少しのイメージチェンジで誤解を受けにくくすることもできると思います。お手伝いしますから、自分を変えてみませんか?」
着物の似合う和服美人、苧環 志津乃(
ja7469)もそれを支持しにこりと微笑む。
「いや、そんなイメチェンなんて……!」
沙那はなぜか焦ってブンブンと顔を振る。恥ずかしいのだろう。
「依頼の間だけでもやってみませんか? そうそう、マルドゥークさんは面白いお仕事をなさっているとか」
とカタリナはアレン・マルドゥーク(
jb3190)に話を振った。
アレンはヘアメイクアーティストでもあるので、そういったことは得意なのだ。
彼のやわらかな印象の外見や物腰は、見た目沙那より女性的に見える。
「ええ、私に任せてください〜。このままでは沙那さんにとっても、彼女に恋してしまう乙女達にとっても悪循環ですからね〜」
にこにこと『天使の微笑み』で沙那の後ろから、髪の毛を美容師の手つきで触った。
「やってみて損はないと思う……それで向こうが興味を無くしてくれれば、お互いにいい」
平野 渚(
jb1264)も淡々とではあるがイメチェンに賛成した。
「うう、でも私あんまり派手なのは無理です」
沙那はうつむきながら訴えるが、そのささやかな抗議は通りそうもない。
「大丈夫です、あなたを内面通りの女性らしい可憐な姿にして差し上げますよ〜」
「そうと決まれば早速行きましょう」
「え?」
アレンと苧環に両側から掴まれて、沙那は空き教室へと連れて行かれた。
●イメチェンしてみよう
沙那は椅子に座らされ、アレンがてきぱきとメイク道具を用意しだした。苧環はどこからか姿見を持って来て沙那の前に据える。
カタリナは衣装を調達してくると言ってひとまず出て行った。
「あの、そんな本格的にやるんですか?」
沙那はもう居たたまれなくなって逃げ出したい、とばかりに椅子の上でそわそわしている。
アレンが沙那の両肩に手を置いて、鏡越しに彼女を見つめた。
「周囲に誤解させないためには、それ相応にしないと。ウィッグやエクステで可愛くしちゃいましょう〜?」
ケースからゆるふわカールのエクステを取り出し、沙那の髪に当ててみる。
「これなんか良さそうですね〜。おや……ひょっとして、イケメンな外見だから可愛いのは似合わない、とか思っていらっしゃいますか〜?」
え、と沙那は思わず顔を上げて鏡に映るアレンを見た。図星らしい。
再びアレンはにこりと笑う。
「大丈夫、女の子は誰だって可愛くなれるのですよ〜。本当の自分を隠している方が恥ずかしい、そう思って頑張ってみませんか〜?」
沙那はそうすぐに恥ずかしさが解消される訳ではないと思うけれども、彼の言葉には
「はい……」
とうなずくのだった。
それから皆の手により沙那は着々と変身していった。
アレンがエクステを着けて整えると、横で見ていた苧環はまあ、と手を打った。
「ロングヘアにするだけでもとても女性らしくなりますね」
「でしょう〜、メイクはナチュラルメイクでも充分沙那さんの持ち味が出せると思うのですよ〜」
手際良くアレンは沙那の顔にメイクを施していく。
カタリナが両手一杯に服を持って来た。そしてあれこれと沙那にあてがってみる。
「いや、そんなフリルのついた服なんて恥ずかしいです……!」
沙那はあてがわれただけで尻込みしてしてしまった。
「こちらも参考にしてはどうですか〜?」
アレンが持参した『月刊Yagis』のオシャレな冬コーデのページを開いて見せた。
「あ、いいですね」
カタリナは故郷での自分の私服を思い出しつつ、頭の中でコーディネイトを考える。
「……私も、そういう家の娘ですからね」
彼女は、沙那がこれを通じて今後も女の子らしい格好を楽しんでいけるようになればいいな、と思っていた。せっかく素材はいいのにもったいない。
だから沙那の本気なイメチェンも彼女の目的のうちだった。
カタリナはなるべく沙那の意見と出来上がったヘアメイクを活かせるように服を見繕い、沙那に着替えるように促す。
「スカートにどうしても抵抗があるなら、下にこの薄物を着けてみてください」
苧環が万が一スカートがめくれても必要以上に恥ずかしくならないように、インナーを手渡した。
「あ、ありがとうございます。じゃあ、着替えてみますね……」
「私外に出てますから、着替え終わったら呼んでくださいね〜」
とアレンは教室を出て行った。
数分後、着替えた沙那が皆の前に出て来ると……。
「どうでしょうか……?」
「うん、可愛らしいじゃないですか!」
カタリナが感嘆の声を上げた。
「ほら、ご自分でもご覧になってみてください〜」
アレンが沙那を姿見の前に立たせると、沙那は目を丸くした。
「これ、私ですか……!?」
ブラウンのふんわりしたフレアスカートにローヒールのロングブーツ、襟にあしらったファーと胸元の大きなリボンが可愛いキャメル色のポンチョコートという、さっきまでの飾り気のない男子儀礼服姿とは正反対の、どこかの令嬢のような姿がそこにあった。
顔も全然違う。
「この髪飾りを着けて……」
苧環が花を象った髪飾りを耳上に着ける。ゆるふわカールに派手すぎない色とデザインの髪飾りはとてもマッチしていた。
「まつ毛もマスカラでパッチリだし、ほんのりオレンジのチークも似合うと思う」
平野も薄く微笑み、うなずいた。
上品な中にも可愛らしさのある装いだ。
「当日までこの格好を維持して、いくらか慣れておきましょう」
カタリナの提案にええっと驚く沙那。
「依頼を無事終えるためです、ちょっと我慢しましょう?」
「うぅ……」
結局沙那は折れ、依頼のため、と承諾した。
「それと、やっぱり沙那さん自身がある程度説明できなければ駄目だと思うんです。少し練習しましょうか」
苧環が言った。
「は、はい」
「体の向きは相手に正対に、目は無理に合わせる必要はありません。相手の喉元を見るようにして……」
と沙那の正面に立って指導する。
それからチョコは受け取れないということをしっかり説明し謝る練習をした。
「友達なら大丈夫、と友チョコを沙那さんから申し出てみれば、相手の方も納得しやすくなるのではないでしょうか?」
「なるほど」
「チョコを渡す側だとアピールするのはどうでしょうね〜? ……このガチムチブロマイドを差し上げますよ」
アレンはやけにマッチョで暑苦しい筋肉美を誇示したポーズの『遠野先生ブロマイド』を沙那に渡した。
「はあ、ありがとうございます……」
「それを時々見つめていれば、恋する乙女のように見えるはずです」
「当日は私達が一緒にいますから」
カタリナがまとめると、その日はそれで解散となった。
●バレンタイン当日
休み時間ごとに苧環やカタリナが沙那に会いに来てくれた。
沙那も令嬢スタイルを維持しており、クラスメイトの視線が猛烈に恥ずかしかったけれども、沙那を男だと思っている女子は今の彼女の姿を見ても本人だと気づかない程にイメチェンは成功した。
下駄箱やロッカーにも、苧環があらかじめ物をみっしり詰め込みチョコの入る隙間をなくしていたので、誰も沙那にチョコを渡すことはできなかった。
という訳で本格的に本気な女子がやって来そうな昼休み――。
沙那は中庭で苧環、カタリナと一緒に昼食を食べていた。
カタリナは今日は宝塚のような、凛々しく艶めいた男装姿だった。通り過ぎる女子がチラチラと彼女に興味深げな視線を送ってくる。
「カタリナさん、皆に見られてますねぇ。やっぱりカッコイイから目立つんですね〜」
ほぅ、とため息をつきながら沙那が感心したように言った。
「いつもはそんなじゃないですよ」
カタリナは苦笑する。これは普段の沙那を暗示した姿。男装しているから目立つんだ、ということに沙那は気づいていないらしい。
やがて、向こうから誰かがこっちに走ってくるのが見えた。
「やっと見つけました、お姉さま!」
ツインテールの可愛らしい中等部一年のA子だ。どこから見ても女の子だが、実は男の娘である。手にはラッピングされたチョコの箱がしっかり握られていた。
「お姉さま、その格好どうしたんですかあ? 一瞬誰だか判らなかったじゃないですか。でもそういうのも可愛くていいですねえ☆」
イメチェンされても意に介さないA子の前に、カタリナが颯爽と出た。
「やあ、可愛らしいお嬢さん。私と少し話をしようじゃないか」
「え〜、あなたも素敵ですけど、ボク沙那お姉さまに用があるんですぅ」
「そのチョコかな? 妬けちゃうね。私にもくれないか?」
「このチョコはダメですぅ。お姉さまのために手作りしたんですから。お姉さま、ボクとお付き合いしてくださいっ。ボクずっとお姉さまと一緒にいたいです」
ダイレクトな告白だ。
「ご、ごめんなさいっ」
沙那はA子とちゃんと向き合い、練習通りに説明をし謝った。
「付き合うのは無理だけど、お友達じゃダメですか? これ、私から」
とチョコを出す。
「そっかあ〜。じゃあ、お友達でもいいかな。ちょくちょく遊びに来てもいいですかぁ?」
「まあ、常識の範囲でなら」
「嬉しい! じゃあ今日はこれで!」
A子は沙那とチョコレートを交換し、軽快な足取りで帰って行った。
「よ、よかったあ〜」
若干の不安は残るものの、取りあえず納得してもらえたことで沙那は思いっきり脱力した。
その様子を木の陰から見ていたらしいC子が現れた。
「やっぱり、アナタはあの九月さんだったんですね……」
その顔はかなり暗い。失望感が全身から出ている。
「どうしてそんな格好をするようになっちゃったの? スカートなんて恥ずかしくて履けないんじゃなかったの?」
「それは、そうなんだけど……」
沙那はスカートを押さえて頬を染める。
「彼女だって可愛い格好に興味があったっておかしくないでしょう?」
苧環がやんわりと指摘すると、C子は急に熱弁を始めた。
「可愛らしい格好で恥ずかしがりなんて普通じゃない! 見た目通りなんて全然つまらない。見た目はクールビューティなのに恥ずかしがりだったからこそ萌えだったのに!」
そして一気に冷めた表情になった。
「けど……、はあ……。何かもうガッカリ。それじゃあ」
一人勝手に納得して、C子は去って行った。
昼休みはこれ以上誰も来ることなく、とうとう放課後になった。
アレンと平野も合流し、また中庭に移動する。
アレンは今日はクールなイケメンを意識した装いをしていた。
「沙那ちゃんっ。あなた九月沙那ちゃんだよね!?」
「は、はい、そうですけど」
呼び止められ、沙那は振り向いた。
そこには思いつめた表情をした女子が、胸にチョコを抱えて立っていた。沙那は自分の完璧な理想、と思っているB子だ。
「何その格好。そんなの全然違うよ。あたしの知ってる沙那ちゃんじゃない。前の方がずっと沙那ちゃんっぽくてカッコイイよ。それがあたしの好きな沙那ちゃんなのに!」
平野がす、と進み出た。
「人を好きになる気持ちは分かる。けど、押し付けはしちゃダメ。アナタは何を求めているの? アクセサリーとしての恋人? 本当に願うべきなのは、その人が、笑って過ごせること」
「でも、あたしは前の沙那ちゃんが好きなんだもん!」
「『好き』なことが迷惑なこともある。『でも』はエゴになる。身を捧げるなら、何も求めてはいけない。自分としての意思は殺さなければいけない」
「そんなのずるい!」
平野の言うことに頑なに反発するB子。
平野は少し悲しそうな顔をした。
「その人の幸せに自分がいないのは悲しいけれど、それだけ。それだけ……なんだよ」
「あなたはまだ若いんですから、これから本当に理想の人が見つかります」
苧環が諭すように言うと、B子はしょんぼりした目で沙那を見る。
「あの、友達なら大丈夫だから……これ」
沙那がおずおずとチョコを差し出すと、
「ありがとう……少し、考えるね」
と受け取り自分のチョコは沙那に渡さず、とぼとぼと帰って行くのだった。
「沙那さん、その男から離れて!」
いきなり男嫌いのD子が立ちはだかった。『その男』というのはアレンのことだろう。
「そんないかがわしくて汚らわしい生き物の側にいてはダメよ! 今日はあなたのために特別なチョコを持って来たのよ。さ、二人でゆっくりお話しましょう」
ぐいと沙那の腕を掴んで人気のない所へ連れて行こうとする。
「ま、待ってください。私そういうチョコはもらえません」
沙那が腕を振りほどこうとした時友チョコを入れていた紙袋が落ち、中からチョコとガチムチブロマイドが出てしまった。
それを見たD子がひいい、と悲鳴を上げる。
「沙那さん、こんなモサい男に興味があるの!? ダメよ、そんなの! 私が乙女の友愛の素晴らしさをみっちり教えてあげるわ!」
「えええ〜〜っ!?」
あっという間に沙那が連れ去られてしまった。
「お待ちなさい!」
アレンはスレイプニルを召喚し、先回りさせた。
自分は『光の翼』を出し、沙那の所までひとっ飛びする。
「くっ」
スレイプニルに行く先を塞がれたD子が足を止めると、飛んできたアレンがそのまま沙那をお姫様抱っこしさらった。
「ああっ、これはまさか!」
そのまるで漫画のような一場面を目の当たりにしたD子は、芝居がかった仕草で手を口元に当てた。
「白馬(ではないけども)の王子様が自分をお姫様抱っこでさらって行くという、夢見る乙女がされてみたいことランキング一位の鉄板シチュ!」
ずしゃあ、と大げさに崩折れる。
「負けたわ……沙那さん、お幸せにね……!」
D子は身を引く自分に酔いしれながら、沙那を諦めたようだった。
「どうやら、これで依頼は無事完了したようですね〜」
沙那を下ろしてアレンが言った。
「修羅場にならないですみましたね」
「皆解ってくれた」
カタリナがふぅ、と息を吐き、平野もひっそりと満足気だ。
「本当に助かりました、ありがとうございます」
沙那が皆に深々と礼をする。
「これから素敵な恋が訪れると良いですね」
苧環が穏やかに微笑んだ。
そして自分も今日は、気になる人にチョコを渡そうと心に決めている。
彼女のバレンタインはまだこれから。
その後沙那はというと、時々なら女の子らしいオシャレを楽しむことに抵抗がなくなったようである。